騒動当日。とある撃退士病院の屋上──
隠れて煙草を吸っていた岩永が銃を突きつけられて詰問を受けている時。事の発端である徳寺明美は、別の撃退署員によって床へと組み伏せられていた。
「貴様、監視の目を潜り抜けて、こんな所で何をしていた!?」
「空を見に来ただけよ。……それとも『逃げようとしていた』方が都合が良いかしら? 『脱走』なら合法的に私を『処刑』できるものね」
別にいいのよ? 撃ちたければ撃ちなさい── 明美の言葉に、カッとした撃退署員が明美のこめかみに銃口突きつけ、その撃鉄を上げ……
「……穏やかじゃないね。『あっち』でひと悶着あって忙しいのに、わざわざこのタイミングで何してんのさ、って感じかな?」
突如、耳元で聞こえた永連 紫遠(
ja2143)のその声に、署員がビクリとして振り返る。
「学園撃退士!? なぜここに……!」
「戦場でもないのに銃なんか抜いて。上の人たちの許可を取っているのかしら? ましてや『処刑』とか……色々な人たちの『迷惑』になるでしょうに」
その言葉にクッと呻いて、乱暴に明美を引っ立てていく署員たち。入れ替わる様に屋上に出てきた清水が、それを見送り、頭を振る。
「すまない。あのシュトラッサーには鶴岡で大きな被害を受けた。彼らも同僚を亡くしている」
「……まあ、分からなくはないけど、ね。『事情』も知らないんでしょうし」
淡々と答える月影 夕姫(
jb1569)。彼女らもまた敵手としての徳寺明美を知っていた。
「思えば、あの砦での戦いが一番大変で、手強かったわね。何度、雪や泥を被ったことか……」
「苦労させられたよね…… でも、敵ではあったけど、悪い感情は持っていないよ? それより、あれだけしっかりした作戦を立ててた相手の正体がまさかおばちゃんだったとは…… そこが一番驚いたんだよ」
懐かしそうにそう言いながら、夕姫と彩咲・陽花(
jb1871)がうんうんと頷き合う。
柴遠は天を仰ぎながら、「気に入らないなぁ」と呟いた。恨みに囚われた署員が、ではなく、何か捨て鉢に見えた明美の態度が。
「徳寺明美は目的を達した。そして、今は……虚しさを感じている」
煙草に火をつけつつ、そう言ったのはファーフナー(
jb7826)だった。
(人であることを捨て。皆から人類の敵と憎まれて。そうして事を成した果ての、ただ死を待つだけの日々…… すべて覚悟の上だとしても──)
彼自身、かつてアンダーカバーとして、誰にも本心を打ち明けることなく、感情を殺し、多くの人間を騙し、裏切って来た。
故に、ファーフナーには明美の気持ちが少しは分かる。たとえ目的を達したとしても、その虚しさは消えないのだ。
「今、彼女が欲しいものは、哀れみでも、同情でも、許しでもない。彼女が生きた証──己が成し遂げたことの実感、だろう。恐らく」
『救出』によって救われた親子と明美を会わせることはできないだろうか──? ファーフナーは清水に訊ねた。
徳寺明美には自身の『功績』を喧伝するつもりはない。その目的の為に他者を犠牲にした──故に、彼女は罪人として死ぬ覚悟は出来ている。……だが、それでも。それでも、やはり報いは欲しているはずだ。彼らから直接、明美に謝意を伝える機会を持たせてやれれば……
「……仕方ないわね。私も手伝うわ。関わり合いのあった人だし、このまま放っておくわけにもいかないでしょ」
やれやれといった風に、悪戯っぽい表情でウィンクして見せる柴遠。感謝する、と答えたファーフナーが視線で清水に返答を促す。
「救出された親子の現住所は署で把握している」
自身も煙草に火を付けながら、清水がファーフナーに答えた。
「だが、許可が下りるかは確約できん。撃退署は徳寺明美に大きな恨みを持っている」
●
後日。学園と清水を通じて正式に見舞いの許可を得て。学生たちは改めて明美の個室病棟を訪れた。
「こんにちは、明美さん」
ノックの返事を待って入室した黒コートの黒井 明斗(
jb0525)が、まず見舞いの花束を手渡した。明美は驚いた顔をして──まるで少女の様にはにかんだ。
「ありがとう。花なんて何年ぶりかしら……」
光栄です、と明斗は微笑んで。花を活ける花瓶を探して、部屋を見回し、そして気づいた。
……ただカーテンが風にそよいでいる他に、真っ白な病室には何もなかった。花瓶も、テレビも、ラジオも、本も。それが撃退署の明美に対する扱いだった。
明斗は明美に気付かれないようにその表情を険しくすると、そっと廊下に出て看護師に花瓶を貸してくれるよう頼んだ。そして、その足で一階へと下りると、適当な女性雑誌やパズルを数冊、購入するべく売店へと足を向ける……
「元気そうね……と言うのも何か変な話かしら」
半身を起こした明美に気さくにそう話し掛けながら、夕姫は手に持ったスーパーのビニール袋を掲げて見せた。その中には『女の子』(夕姫「何か?」)が好きそうな甘味や煙草等の嗜好品、更には酒まで突っ込まれていた。
「明美さーん! 毎日病院食じゃ飽きるでしょ? 特製のお弁当を作って来たよー!」
隣の空き病室からベッドテーブルをガラガラと(勝手に)借りてきた葛城 縁(
jb1826)が、重箱(縁「ん? 普通のサイズだよね?」)で持ってきたお弁当を「じゃーん!」と明美の前に広げて見せた。
「さ、食べて、食べて! お茶も用意してるんだよ!」
正直なところを言えば、シュトラッサーとなった明美は食事で栄養を取る必要はなかった。それでも明美は縁の気遣いへ感謝し、好物であった卵料理を口へと運び……
「……味がしない」
「ええっ!?」
と、思わず正直な感想を口にした。
「そんな、陽花さんじゃあるまいし!(←酷) ……味付け失敗したかなぁ。料理には自信があったのに」
思わぬ評価に半泣きになりながら、縁は料理を口へと運び…… いつもと変わらぬ美味しさに、無言で考え込む……
「そ、そうだ! 明美さんのこと、色々と話して聞かせて欲しいな! シュトラッサーになる前の事とか!」
親友の危機(?)を見て、陽花が慌てて料理から話題を逸らす。
失策を犯した明美も、ありがたくそれに乗ることにした。
「……そうね。こう見えても私、良いとこのお嬢様だったのよ? 旦那が死んだ後、建築会社を継いだんだけど、ほら、やっぱり男社会だから色々と苦労があってね……」
そして、鶴岡市は天使ファサエルが開いたゲートの結界に閉ざされた。
そこでの顛末については、『庄内決戦』OPの明美の回想に筆を譲る。
「徳寺明美は裏切り者だ。最初に戦う事を諦め、自ら天使の配下に収まった」
明美を見舞った数日後。どこかの公民館と思しき避難所── 訪ねて来た陽花の質問に、鶴岡にいたという初老の男性が答えた。
「あの女は積極的に天使の実験に協力した」
「あいつが率いていたサーバントたちが損耗する度、俺たちは精神エネルギーを搾り取られた」
他の皆も口々に明美のことを罵った。まだ生きていると聞いて驚き、いずれ消えると聞いてざまを見ろと唾を吐く者もいた。
「……でも、あの人が天使の下についてから、廃人になる人は少なくなくなった」
ポツリとそう呟いた若い男が周り中から睨まれて。それでも、彼の意見に反駁する者はなく。そんな彼らを撮影しながら、柴遠が「複雑なんだね……」と息を吐く……
「明美さん、こんにちはー! 今日も来たよー?」
「外は良い天気です。散歩でもどうですか? 病室に籠ってばかりでは気が滅入ってしまいますからね」
とは言っても向かう先は屋上ですが、と済まなそうな表情で、明斗。本当なら近所の公園にでも連れ出したいところだったが、病院の外に連れ出すことには署から許可が下りなかった。
これ見よがしに立つ見張りたちに見送られ、階段を上って屋上へと向かう。
その途中、夕姫は『全てが終わった』ことを明美に報告した。
「……ファサエルとの戦いに乱入して来た双子の悪魔は倒したわ。……アルディエルもお姉さんの──ファサエルの恋人の仇を取った」
「そう。それは良かったわ。あの子、何だか危なっかしかったから……」
屋上には、ベンチと花壇が並べられ、出来得る限り公園風な空間が作り出されていた。明斗たちのせめてもの心尽くしだった。
「空が……蒼いわね」
ベンチに座って天を仰ぎ、満足そうに深く息を吸う明美。陽花が魔法瓶から暖かなお茶を湯呑に注ぎ。縁もまた意気揚々とテーブルに食事を並べる。
「さあ、リベンジのお弁当だよ!」
「……!」
明美がテーブルの上に視線を戻した時。目の前に広がっていたのは漬物、煮魚、煮っ転がしといった、昭和の香りのする料理の数々だった。
「この間、気づいたんだけど……明美さん、味覚が殆ど無いでしょ?」
「!」
「だから、この前、明美さんのお話を聞いて、思い出として記憶されてる味を……おふくろの味を再現してみました!」
ささ、と促されるままに箸を取り、ゆっくりとジャガイモを口へと運ぶ。
味は──感じられなかった。だが、歯と舌がその感触を得た瞬間──陽だまりの様な暖かさと懐かしさとと共に『味の記憶』が溢れてきた。
「美味しい……」
言葉と共に、涙が零れる。それを拭う事もなく、噛み締める様に箸を往復し続ける明美の姿に、縁が心中でグッと拳を握る……
それから暫く、見舞いの間隔は開いた。
双子悪魔事件の事後処理に追われる兄たちに代わって、柴遠とファーフナーは病院に顔を出し続けた。
「感傷だな……」
自分でもらしくないと思いつつ、ファーフナーが一度だけ呟いたことがある。
ただ死を待つだけの日々の空虚さを自分も知っているからこそ……だからこそ、他人事ではあり得ない。
久方ぶりに訪れた明美の病室は、いつの間にか生活感に溢れるようになっていた。──命尽きるまでの間、出来るだけ便宜を図ってほしい。せめて残り少ない『人生』を、人として生きられるように──陽花の願いを、清水はちゃんと果たしてくれたらしい。
笑顔で彼らを迎えた明美は、既にベッドから起き上がれなくなっていた。見た目は小太りの中年女性のまま、しかし、確実にその命は細くなっていた。
「これを見てください」
電動ベッドで半身を起こした明美に、明斗がモバイルPCの画面を見せた。
映し出されたのは、先日、陽花と柴遠が撮影して来た、避難所にいる鶴岡の人々の現在の様子だった。明美に対する辛辣な意見も、編集せずそのまま流された。
「……。なぜ今更こんなものを……?」
明美は傷ついた態度は見せなかった。ただ、疲れた様な表情で訊ねた。
「これが貴女の『戦果』だからです」
「貴女がなんとか護ろうとしてた人たち──貴女がいなければあの人たちは今、こうして在ることすら出来なかった」
明斗と柴遠の言葉に、戦果、と呟き、見入る明美。縁もまた真摯な態度でそんな彼女に向き直る。
「明美さん。どんな理由があったとしても、貴女の背負った罪は消えることはない。それを彼らは忘れない」
縁も笹原小隊の皆とは長く関わりあってきた。顔見知りだった面々が鶴岡で大勢死んでしまったことは物凄く悲しい。
「でも、私たちは忘れない。徳寺明美っていう、一人の優しい女の人がいた事を……私たちは絶対に忘れない」
縁は告げる。確かに、明美は多くの人命を奪った裏切り者なのかもしれない。でも、その汚名を背負って多くの人を救ってきた。その事実は決して揺るがない。
「色んな感情はあるけれど……明美さんのお陰でこれだけ多くの人が助かったんだから。凄く立派な事だと思うから……胸を張って生きていいと思うんだよ」
「だから、自分を否定しないで欲しい。……僕は、あの一連の戦いで出会った人たちの事は基本的に同志と考えています。立場や境遇、やり方は違っても、ゲートに囚われた人々を助ける為に命を懸けた」
陽花が言う。
明斗が言う。
──私たちはそれを知っている。他の誰が知らずとも。
PCの画面が切り替わる。
どこか公営住宅と思しき室内で。夕姫と明斗にカメラを向けられた主婦と思しき若い女性が、ペコリとこちらに頭を下げた。
「こんにちは、徳寺明美さん。私は……私たちは、鶴岡で囚われていた者の一人です。ゲートが解放される前に、撃退士さんたちに救出されました」
横から幼い声がして、カメラが横にパンした。よたよたと歩いて来る子供を迎え、愛おしそうに抱き上げる母親──かつて、ゲートに精神エネルギーを吸収されて感情のない瞳で背に負われていた子供のその姿に、明美の目から涙が溢れる。
「天使にも誰にもバレぬよう、私たちを救出地点まで逃がしてくれたのは明美さんだと聞きました。お陰で私たち親子はこうして今も生きています。本当に……本当にありがとうございました……」
流れ続ける画像と音声。顔を伏せ、両手で覆って泣き続ける明美。なんだかんだあっても、やっぱり人間って良いと思うな──柴遠がそうそっと微笑む。貴女のことだよ、明美さん?
「あなたはずっと『人間』よ。これまでも、これからも。……たとえ裏切り者と言われ、真実を何も語らなくても、だって、その想いは『人』そのものだもの」
夕姫の言葉に、明美は何度も頷いた。
「私のした事は、無駄ではなかった」
許可された面会時間が過ぎるまで、明美の嗚咽は病室に響き続けた。
……季節は廻り、春が訪れた。
明美の表情は憑き物が落ちたかのように徐々に透明感を増していき、それに比例して見舞いに訪れた者たちの胸を締め付けた。
「何かしたい事はない?」
車椅子に乗せられて病院の庭を散策しながら、柴遠に問われた明美は、買い物に行きたいわね、と答えた。
こう見えておしゃれさんなのよ、私。と続ける明美。指揮官時の赤いコート(ファー付き)姿を思い返して、縁と陽花が顔を見合わせ、苦笑する。
「それはいいわね。学園のある島には商店街もあるし…… なに、学園の力を持ってすれば、明美さんの身柄を学園に移管する事くらい……」
「…………」
「……明美さん?」
夕姫の問いに、返事はなかった。
木漏れ日の下、明美は、彼女を識る者たちに囲まれながら。いつまでも微睡むように微笑み続けていた。
「……そうか。逝ったか……」
病院から駆け出して来た明斗の報告に、ファーフナーは咥えていた煙草を地面に落とした。
陽花は動かなくなった明美の傍らで、縁と共に泣きじゃくりながら…… 物言わなくなった明美へ最後にこう語りかけた。
「……たとえ存在が消えてしまったとしても、私たちは明美さんのことを忘れないよ。お嬢様だったことも、煮っ転がしが好きだったことも、お洒落? さんだったことも…… 彼女が存在していたという事実は──繋がりは、私たちの中に残っているのだから」