●対エピンダル戦 旧撃退署跡・三階──
まるで破城槌が如き前蹴りが傍らのコンクリ柱を容易く破砕するのを目の当たりにして── 永連 璃遠(
ja2142)は驚愕に目を見開きつつ、地面を転がってエピンダルから距離を取った。
大丈夫ですか!? と回復の光を飛ばしてくれる黒井 明斗(
jb0525)に感謝の言葉を返しながら、曲刀を手にした服の袖で噴き出した汗を拭う。
(何、この分の悪すぎる接近戦! 心臓に良くないよ! っていうか、心臓破裂しそうだよ!)
心の底で叫びつつ、衝撃波を放ちながら敵の側方へと回り込む。と、地面に蹲っていた白野 小梅(
jb4012)が悪魔の背中に飛び付き、自爆技を使用した。濛々と立ち込める粉塵が晴れ渡ると……そこには仁王立ちになったエピンダル。奴は笑っていた。心底楽しいといった風に。傷だらけになりながら、高らかに笑い続けていた。
(やっぱり倒せない……かな? でも、時間は出来るだけ稼がないと…… アルくんが恋人を無事に確保できるまでは、目の前のこの悪魔に邪魔をさせるわけには……)
改めて決意を固める璃遠。だが、悪魔は唐突に見えざる何かと『会話』をすると…… すぐ横の壁を拳で破砕して脱出口を啓開。その穴から地上へ身を躍らせた。
「悪ぃ。ちょいと野暮用ができた」
「ちょっ、待ちなさい!」
「あれだけこっちを追ってきておいて、こんな所で『はいさよなら』なんて許されないんだよ!」
月影 夕姫(
jb1569)と葛城 縁(
jb1826)が穴へと駆け寄り、ライフルの銃口を外へと向ける。だが、眼下に広がる駐車場には既に悪魔の姿はない。
「向こうで何かあったようですね」
「あの様子だと、双子の方が追い詰められてるって感じかしら」
なんにしろ、このままアイツを行かせるわけにはいかない── 夕姫は悪魔を追うべく『小天使の翼』を展開し。明斗は藤堂たちに松岡への状況報告を頼むと、自らは怪我をした小梅を回復すべくそちらへと走り寄る。
壁の穴から地上へと飛び降りた夕姫は…… ふと嫌な予感に捉われ、落下に制動を掛けた。瞬間、背後の『屋内』から飛び出して来るエピンダル。悪魔は急ぎ双子の元へ向かうと見せながら、地面に着地するや撃退署1Fへと跳び下がっていたのだ。自分を追って飛び降りて来るであろう撃退士たちを不意打ちする為に!
気付いて振り返る夕姫。どんぴしゃのタイミングを外された悪魔は舌を打ちつつ上段蹴りを放ち。咄嗟に『防壁陣』で受けた夕姫を盾ごと中空へと吹き飛ばす。
「夕姫さん!」
わあ、と驚いた縁が慌てて狙撃銃を構え直し。ピタリと銃口を静止させつつ『アシッドショット』を発砲する。
バシッと着弾したそれを左腕で受け止め……エピンダルは現時点での優位をあっけなく切り捨て、今度こそ一目散に道路へと飛び出していった。
背後の皆に声を掛け、自らも地上へ飛び降りる縁。それに先んじて地上に下りた璃遠は着地の衝撃を前転で逃がしつつ、流れる様な動きで体勢を立て直すと急ぎ悪魔の後を追う。
「逃げちゃうんだ。脳筋の癖に見かけによらず、損得で考えられる知性は持ってるみたいだね?」
「あぁん!?」
璃遠の挑発に、エピンダルは瞬間沸騰的に反応した。流れる様な回し蹴りで『あの』ポストを璃遠へ蹴り飛ばし…… だが、それ以上の追撃はせずに瞬間移動で市街地へと跳び逃げる。
そんな悪魔の行動を見て、璃遠は一筋の汗を拭った。──あの男、目先の欲望に流されず、損得勘定で行動できるのか? ……だとしたら厄介だ。とても、とても厄介だ……
「悪魔の位置を教えて! 可能な限り嫌がらせをするから!」
装備を散弾銃に変えて後続して来た縁が、全力移動で傍らを追い抜き、狙撃地点へ移動する為、道路を直進していく。
璃遠は了解を伝えると悪魔を追った。見通しの悪い市街地へ、「ホント、心臓に悪いよ」と呟きながら。
その頃、明斗の治療を受けて意識を回復した小梅は、借り受けた救急セットの包帯をグルグルと頭に巻いていた。
まるで鉢巻の様になったそれを留め、よーし! と気合も新たに立ち上がる。その服装も全身と同様、ボロボロでキワドイ格好だったが、お子様故にかこれがまったくエロくない。
「オジサン、行こう! アレの行く先に約束の双子の悪魔もいるよぉ♪」
色んな意味でボロボロになりながら。それでも小梅は怯まず、キマジエルに追撃の続行を訴えた。ならば、と中年天使も覚悟を決めて、了承し、共に征く。
小梅はにっこり頷くと、明斗の背中に飛びついた。「わぁ!」と驚く明斗をよそに、そのまま肩へとよじ登る。これまた色々と見え隠れしそうなキワドイ動きであったが、繰り返すがまったくエロくはない(重要)
「いけいけゴーゴー!」
肩車で行く手を指差す小梅に微苦笑で応えながら、明斗は「じゃあ、行きますよ!」と悪魔の追跡を開始した。
小梅に仲間たちとの通信を任せ、悪魔の位置を把握しつつ。その先へ回り込むように、障害物のない道路を全力で直進していく……
●対双子悪魔交渉現場。同刻──
妹の死を恐れた勇斗が撃退士たちの前に割り込み、状況は再び膠着状態に陥った。
その時、狩野 峰雪(
ja0345)は戦場外、とある木の根元の陰にその身を隠しつつ、現場の状況を窺っていた。
(……どうやら悠奈さんはクファルのことをアルディエルくんだと思い込んでいる様子。あの調子だと、駆け落ちした2人をお兄さんたちが連れ戻しに来た、みたいな設定かな?)
何らかの理由で処刑が決まったアルディエルを連れ、必死で撃退士たちから逃げている──多分、彼女の頭の中では、そんな逃避行が成立している。長い間ずっと悪魔と一緒にいただけあって、相当に根深い幻覚と認識齟齬を仕掛けられているようだ。……多少の違和感では自分で気づくことも出来ないレベル。何かしらきっかけがあれば、そこから幻覚を打破できるかもしれないけれど……
(どうするかな…… 僕も姿を現すべきかな? 今のところ、まだ双子悪魔には僕の存在は知られていないようだけど……)
あの時、好機だったとは言え、単純な攻撃を仕掛けてしまったのは失敗だったかもしれない── 再び膠着状態に陥った現状を鑑みて、ユウ(
jb5639)はそのようなことを考えていた。
本来であれば、援軍が到着し、その包囲が完成した時点で一気呵成に決着をつけているはずだった。実際、双子の悪魔は王手を掛けられた状態だったが……そこでまさか、重度の幻覚に捉われた人質たちが敵駒として出現しようとは。
「勇斗くん、落ち着いて……! ほら、今のクファルのセリフ! 追い詰められた三下がよく言うやつだよ! そんな奴についていっても、悠奈ちゃん(と私)を幸せにはできないよ!?」
そのユウの傍らで、目玉をぐるぐるうずまきに回した彩咲・陽花(
jb1871)が、ワタワタと慌てながら必死に説得らしきものを勇斗に訴えかけている。
うん、落ち着くのは陽花さんの方ですね──思いつつ、ユウは自身が悪魔の幻覚下にあるかないかの確認作業を繰り返した。
どうやら先の戦闘時に受けた幻覚の影響は既に無いようだった。恐らく、即応で──十分な準備時間もないまま放つ幻覚は、出来る事も少なくなるのだろう。例えば、強度。継続時間。ずらせる認識の深さとか範囲とか……
「確かに、セリフが三下っぽいというのには同意しますけど…… その三下っぽい台詞で悠奈が死ぬのは御免です」
陽花の説得(?)に答えて、勇斗。その表情には苦笑こそ浮かんでいるが、顔中に脂汗が滲んでいる。
(バカな子やなぁ。悪魔と取引していい事なんか何もなかったはずなのに……)
そんな勇斗を見やって、クフィル C ユーティライネン(
jb4962)は心中で肩を竦めた。
正直なところ、彼の行動は賢い選択だとは思えない。だが、我と我が子に立場を置き換えてみれば、その心情は分からなくはない。……人質が妹だったら、殺しても死なないような気もするけれど。
「あぁ、本当にどこまでも醜い手を使ってくださいますのね。やはり、下衆はどこまでいっても下衆、ということですかしら?」
芝居じみた口調── 本当に見るに堪えないといった調子で、双子悪魔に侮蔑の感情を叩きつける桜井・L・瑞穂(
ja0027)。陽花もコクコク頷いて同意を示した後……ふと改めて瑞穂を見返した。
「あれ? 瑞穂さん……? ……いたっけ?」
「いましたわよ? だから、ほら」
そう言って、バラをあしらった黒いレースの下着に群青色のガーターベルトとストッキング──モデルの陽花にも劣らぬスタイルと縁にも負けぬプロポーションを示す瑞穂。堂々としていれば、それは美であり、エロではない。
「醜い手、って…… 交渉中に攻撃してくるのは『醜い手』って言わないのかい?」
悪魔がチラと背後を振り返り。洞窟の中から出て来た雪室 チルル(
ja0220)に視線を向けた。
「ついカッとしてやった! 反省はしていないっ!」
フンッ! と鼻息も荒く、両腕を組んで堂々と。チルルはそう言い切った。
チルルとクフィルは既に完全武装を済ませていた。洞窟内の水無瀬 文歌(
jb7507)から手渡されたものだった。
その文歌は今、自身に幻夢で夜間迷彩を施し、洞窟の中に隠れていた。文歌が洞窟に入ったのは先の乱戦の最中のこと。もし悪魔たちにそれを気づかれていなければ、峰雪と同様、アドバンテージとなる。
(他の皆さんにも、機会を見てヒヒイロカネをお渡ししませんと……っ!)
各人ごとにヒヒイロカネを巾着に分けて入れ。ギュッと拳を握りながら、文歌は外の様子を伺う。
「なによ? 謝らないからね! そもそもそういう事態はそっちも想定してたでしょ? そこのバカ(双子兄)以外はさ」
「……ならば、そっちもこういう事態も想定してたよね?」
悪魔クファルが告げた次の瞬間、堂上加奈子が悲鳴を上げた。何かに纏わりつかれたかの様に、悲鳴を上げながら己の身を払う加奈子。やがて彼女は『自分の中で蠢く何か』に対して、護身用の短剣を突き立てた。──自分の身体ごと。
「加奈子ちゃん!?」
慌てた悠奈と瑞穂から回復の光が飛び…… 加奈子は荒い呼吸で崩れ落ちる。
「幻覚にはこういった使い方もある」
どうやら今回のは脅しだったらしい。クフィルはそれ以上、加奈子に追撃をしなかった。
それに対して悠奈は何も言わない。認識の齟齬──それが勇斗には恐ろしい。
「……人質を自殺させる、という言葉は、この状況では交渉材料にすらなりませんわよ?」
底冷えするほど冷たい瞳で、瑞穂が悪魔を見据えて言った。
「その娘たちが一人でも死ねば、その時点で貴方たちを生かしておく理由もなくなりますわ。……心中がお望みだというなら別ですが」
「やめてくれ」
瑞穂を勇斗が遮った。全身に脂汗が滲んでいる。
「クファルもだ。必ず逃がしてやる…… だから、自棄になって悠奈たちを傷つけるのはやめてくれ」
状況は、再び膠着した。
チルルはただジッと状況が動くのを待っていた。本当は今にも突撃したくてしたくてジリジリとしているのだが……
……なに、悪魔の不意を付けるチャンスは必ず再びやって来る。それを信じ、チルルは──ハンターたちは、じっとその機会を待っている……
●
静寂に包まれた無人の街並みに、場違いな破壊音が豪快に鳴り響き── 『小天使の翼』で屋根へと上った夕姫がそちらを振り返った。
「透過すればいいでしょうに…… やっぱり脳筋ね」
塀を足場に軽やかに屋根から屋根へと跳び渡りながら、宙を滑るように現場へ向かう。
エピンダルが巻き起こした破壊の跡へと辿り着き…… ふと先の不意打ちを思い返し、警戒して足を止めた。そのまま大型小銃を構えて悪魔が出て来るのを暫し待ち…… そこからだいぶ離れた所で、再び破片と破壊音が宙を舞う。
「夕姫さん、そこじゃないよ! 悪魔は今、爆発した所にいるよ!」
消防署の鐘楼の上からスコープ越しに敵の姿を確認し、光信機に向け叫ぶ縁。薄闇の中、緑色に発光する瞳をスコープ越しの明かりに映し、レティクルに捉えた悪魔に向けて狙撃銃を発砲する。
「外れ……ッ!」
逸れた着弾を確認するや否や、スコープから目を離して鐘楼から飛び降りる。直後、悪魔によって投擲された岩塊が鐘楼を打ち砕き…… 破片が舞い落ちる中、転がるように地上に着地した縁が次の射点へ向かって走る……
「……もしかして。私、どこかの誰かさんの思惑通りに動いてる……?」
一瞬、その『誰かさん』(誰)がにっこり微笑む姿を幻視しつつ、急ぎ悪魔の逃走先へと向かう夕姫。
「いい加減、腹が立ってきた……! この溜まった鬱憤、絶対に叩き込んでやるんだから!」
街のメインストリートを(小梅を肩車したまま)直進していた明斗が、その舞い上がる爆発を見て街中へと進路を変えた。
「そうそう、そっち! そのまま真っ直ぐ!」
光信機を手に誘導する小梅の言う通りに進むと、前方を横切る悪魔たちの姿が視界に入った。──悪魔の前進を妨害するようにその前面に展開しながら、常に動き回って距離を取りつつ衝撃波を放つ璃遠。追いついて来た夕姫が屋根の上を跳び渡りながら、悪魔に立て続けに大型小銃を発砲する。
悪魔は移動を最優先にしつつ、まずは邪魔な璃遠に対して反撃を織り交ぜた。
璃遠が後方へ跳ぶ瞬間を狙って、瞬間移動で肉薄する悪魔。膝による一撃が璃遠の腹部をくの字に折り曲げ、吹き飛ばす。
明斗は急ぎ手に春雷のルーンを活性化させると、それを受け身を取って身を起こした璃遠の眼前へと投射した。突然、彼我の間で宙に弾けた雷光に仰け反り、たたらを踏む璃遠と悪魔。そこへ(肩車のまま)魔女の箒からフルフルと振り落とした猫たちへ、小梅が一斉突撃の指示を出す。
「小梅ちゃん!」
「うん! 分離ぃ!」
その間に、白銀の槍を活性化させつつ前に出る明斗の邪魔にならぬよう、光の翼を展開して浮かび上がる小梅。明斗は、纏わりつくアウルの猫たちを払う悪魔の側後背へ己を見せつけるように回り込むと、相手の拳の届かぬ距離から槍の穂先を突き入れる。
「そんなに俺と遊びてぇかあ!」
踏み込んでくる悪魔に対して、明斗は棒術の様に構えた槍で後退しながら受け凌ぐ。悪魔は敢えてその槍を──槍を掴む指を狙って己の拳を叩きつけた。指3本を破壊され、クッと呻く明斗。悪魔の追撃は、だが、上空から夕姫と小梅が射撃で阻み。その間に明斗は自己回復を終え、再び戦線へと復帰する。
「しつけぇ!」
「地味に粘るのが得意でして」
珍しく明斗が人の悪い笑みを浮かべ。それを見る悪魔の視界に、追いついて来た笹原小隊の面々の姿が入る。
本当にしつこい──エピンダルは口の端を歪ませた。実力的には自分の方がずっと上。しかし、人間たちはそれぞれが思考し、それぞれが役割に徹して自分と言う強敵に対抗しようとしている。
悪魔は笑った。心の底から楽しそうに。天使の合理と冷徹。悪魔の蛮勇と狡猾──その全てを内包しつつ、アウルという力を手に入れて。人という脆弱な種は、今、天魔にも匹敵する戦士へと育ちつつある……
「あの得体の知れない肉体…… 打てば打つほど固くなるみたいだ。ダメージ効率を考えるなら、小技で数を与えるのは後。まずは硬化する前に大技で一斉に削っておくのが良いかもしれない」
「まだ余力はあるみたいだけど、傷は塞いだだけでダメージ自体は回復していないと思うわ。奴の黒い出血──傷から漏れ出た魔力が防御強化の源だろうから」
そして、今、この間も分析を続ける璃遠と夕姫。
放たれた明斗の『審判の鎖』を、悪魔は瞬間移動で回避した。次の一手へと繋げる攻防一体の悪魔の技──だが、悪魔は明斗の背後ではなく、包囲の外へと跳躍していた。そして、交渉現場方面へと、一目散にただ駆ける。
「本当に手強い……!」
靴底のスパイクで急制動。慌てて反転しながら、璃遠。
悪魔の逃走、いや、前進を阻む者はもういない。いや、走る悪魔の行く先に、一人の撃退士が立っている。
「縁!?」
なんて無茶を、と叫ぶ夕姫とアイコンタクト。そのまま散弾銃を構えて縁が叫ぶ。
「助けてあげるのが兄貴分の役目──その言葉、私にもよく分かるよ。……だからこそ、貴方を行かせるわけにはいかない。だって、弟分や妹分を助けてあげるのが、姉貴分の私の役目だから……!」
少なくとも五体満足では行かせない。少しでも時間を遅らせる……! 女は度胸! 可愛い後輩たちの為なら、どんなことだってしてみせる!
「佳い女じゃないか。滾るねぇ!」
発砲された散弾を避けず、一直線に突っ込む悪魔。縁もまた少しでも敵の足を止める為に避けずに受けて立つ。
最短で突破を図った悪魔の身体が、ダンプの様に縁を吹き飛ばす。直前、夕姫の『防壁陣』が縁の身を庇って砕け── その『防壁陣』を放った夕姫は、今、悪魔の直上にいた。
「縁が生んでくれた隙──! 溜まりに溜まった鬱憤を、今、この一撃にッ!」
棚引かせた蒼海布槍を瞬間、己の右拳へ巻き付けて。そこに『神輝掌』の光を輝かせつつ、キマジエルと共に悪魔へダイブする。
「ガッ!?」
不意打ちで後頭部を殴られ、よろける悪魔。先の戦いでも奴はキマジエルの攻撃だけは避けていた。重い+レートの攻撃は流石のエピンダルでもただでは済むまい。
だが。
「ガアッ!」
悪魔の反撃は止まらない。放たれた回転蹴りが中年天使を吹き飛ばし──夕姫はその一撃を飛び込み前転でいなしつつ、裏拳で軸足を打ち据えて。そこへ反対側から身を捨てて飛び込んできた璃遠が直剣を悪魔の膝へと突き立て、一瞬、悪魔の動きが止まる。
「逃がすかぁ!」
パッ! とその直上に『瞬間移動』して来た小梅が、『光の翼』の全推力で急降下。速度をエネルギーへと転換しつつ、その右腕をグルグル回し……
「今度こそ、必殺のぉ、グルグル・ニャンコ・デ・プラズマぁ!」
+レートの自爆技が、三度、歯を食いしばった悪魔の頬へとめり込む。
直後、周囲の何もかもを呑み込んで巻き起こる閃光と爆発──! やがて、爆煙と粉塵が風に棚引き、晴れていき……
悪魔は健在で、立っていた。
撃退士たちもまた、誰一人欠けることなく。
「言ったでしょう? 実は粘らせるのも得意なんです」
緑光の残滓舞う中、ふぅ、と息を吐きつつ、明斗。
エピンダルは笑わなかった。
彼は本気で彼らとの戦いを楽しみ始めていた。
●
「私は…… 勇斗様を支持します。友人たちを失うわけにはいきませんから」
膠着した交渉現場── 埒が明かぬと悪魔が口を開きかけた瞬間。麗華がそう言って勇斗の傍へと移動した。沙希もまたたっぷりと地面を見つめ…… 意を決してそちらへ回る。
「ならば私もそちら側につきますわ」
瑞穂までそんなことを言いだして、陽花はええっ!? と驚いた。ならば兄の傷を癒してもらおう、という悪魔の言葉に瑞穂は一切の躊躇なく魔具を投げ捨て。重傷の悪魔に歩み寄ると回復の光をその身に翳す。
「傷口は塞ぎましたわ。重傷に変わりはないものの、これで今すぐ命がどうこうということはありませんわ」
「アッハッハッ!」
あろうことか、撃退士たちの中から『裏切り者』が続出して──いきなり笑い声をあげたのはクフィルだった。これには悪魔クファルも驚いた。
「いやー、これはもう完全にそっちの流れやね…… よぅし、わかった! なら、そっちの悪魔2人は逃げてええで!」
「えええええっ!?」
クフィルの放った提案に驚愕の叫びを上げる陽花。文歌もまた洞窟の中で同様に叫びそうになって、慌てて口を両手で押さえ。峰雪も物陰からそっと顔を出し、交渉現場の様子を慌てて確認し直し。勇斗やユウですら驚いて目を丸くする。
チルルは動かない。彼女は何も考えず、ただひたすらに「むむむ……」とその時を待っている。
どういうことか、と悪魔クファルがクフィルに尋ねた。クフィルはニヤリと笑って続けた。
「……その代わり。悠奈ちゃんとか残りの人間は全員、うちらの人質として残ってもらうで!」
「は?」
「何を迷う必要があるん? こちらとしては悠奈ちゃんらが帰ってくればそれでええ。この辺りが落としどころやと思うけどねぇ?」
にやにやと笑いながら、クフィル。──ジリ貧の悪魔二人は、是が非でもこの場から逃れたい。しかし、『アルディエルと駆け落ち』という設定で幻覚を悠奈に掛けた以上、あっさりとその提案に乗ることは矛盾するし、そもそも悠奈らを手放して本気で逃げられるとは悪魔ら本人ですら信じていまい。
「……私が帰ったら、アル君たちのことは見逃してくれるんですね?」
「いや、悠奈、ダメだ、それは……」
「でも、もうこれ以上逃げることは……」
クフィルの予想通り、愁嘆場を演じ始める悠奈と悪魔。クフィルは「話し合う時間くらいやってもいいで?」とか言ってすっとぼける……
翼の羽ばたく音がした。
地面に小さな影が落ち──新たな登場人物の到来を皆へと報しめる。
「真打登場やな。ここまでのお膳立てはしといたから、後はよろしくなー」
クフィルが蒼天を見上げて、告げる。
「悠奈」
人影が呟いた。
少女は信じられぬと言った風に悪魔と人影を交互に見比べ……「アル君が二人……!?」と困惑する──
瞬間、チルルが動いた。動揺した悪魔クファルが言い訳しようと悠奈を向いた直後、洞窟方面──悪魔の背後方向から弾けるように一気に肉薄する。
気づいて振り返った悪魔の眼前に突き出されるソーラーランタン。せいぜい強い照明程度の光しか発せぬはずのそれが、チルルの力で閃光を発し、悪魔の視界を『ホワイトアウト』する。
「しまっ……!?」
(抵抗された……っ!)
手放したランタンを落下するままに宙に残し、空中に活性化させた氷剣を両手で掴んで身体ごと突き入れたチルルは、だが、その手応えの薄さに舌を打つ。
悪魔は不意に視界を灼かれつつ、どうにか身体を仰け反らせた。本来であれば心臓を抉っていたであろうチルルの必殺の一撃は、悪魔の左脇を掠めて肋骨に逸らされ、表面の肉を切り裂いて血の飛沫を宙へと飛ばす。
「──!」
悪魔が何事かを叫び。同時に、加奈子と悠奈が悲鳴を上げた。恐怖に目を見開きながら、慌てて小剣を抜き放とうとする悠奈。彼女がそれを果たす直前──洞窟の中から飛び出して来た文歌が背後から彼女に飛びついた。
「ユウさん!」
投げ渡される巾着を受け取りながら──先の『芝居』の戦いで己が傷つけた文歌の無事にユウは心底ホッとしながら。防具を活性化しつつ最も近い位置にいた加奈子へ瞬時に肉薄。短剣を己の身に突き立てようとしていた彼女の眼前で、活性化させた大鎌でもってその眼前の大地を『薙ぎ払』う。突然、湧き起った砂塵に身を固まらせる加奈子。クルリと大鎌を回して持ち替えたユウが、石突でその鳩尾を突き、そのままその身を押さえ込む。
「落ち着いてください……! よく見て、それは幻覚です……!」
どのような幻を見せられているのか── 全力で暴れ、抵抗してくる悠奈の身体を、文歌は必死で抑えつけた。まるで中等部の女子ではないかのような膂力に、とにかく小剣を抜かせないよう右手を押さえる。
(これ……本当に悠奈ちゃん!?)
脚が絡まり、地面へ倒れる。アイドルらしからぬ全身土まみれ──それでも必死に転がりながら悠奈の上を取る。
そんな文歌の視界の隅に、悠然とこちらへ歩いて来る男のズボン裾と靴とが見えた。
気づいた悪魔ラフィルが、目を瞠ってその男──隠れ場所から出て来た峰雪の登場に呻きを漏らす。
「バカな。どうして……」
「どうして生きているのか、って? さあ、本当にそうかな? 実は幽霊かもしれないよ?」
スーツのネクタイを緩めながら、微笑を浮かべて、峰雪。……幻覚は悪魔の専売特許だと思っていたのかい? 自分たちだけは騙されないなんて勘違いをしちゃったのかな?
峰雪は悪魔を無視して、『キャットファイト』を繰り広げる2人の元へと歩いて行った。
「狩野さん…… あなたにもこの悠奈さんは悠奈さんに見えますか?」
「うん、見えるよ」
「よかった……」
ホッとする文歌に頷き、身を屈めて『聖なる刻印』を指先で悠奈に刻む峰雪。パチクリ、と目を瞬かせる悠奈に手を貸し、起き上がらせながら。彼女に向かって問い掛ける。
「アルディエルくんが二人でいるように見えるのは、君が悪魔に幻覚を掛けられたからだよ」
え? と呟く悠奈と──アル。
「……まさか、あの悪魔、よりにもよって、悠奈に僕の幻覚を見せたのか!?」
アルの表情が怒りに染まり、全身の血が沸騰する。あの野郎、リーア姉を手に掛けただけでなく…… どこまで俺たちをバカにすれば……ッ!
「落ち着けっ、アルディエル!」
勇斗が叫んだ。
「間違えるな。お前が今、すべき事は何だ!?」
アルはハッと我に返った。その視線を、憎い仇から愛する人へ──悠奈へ向ける。
「とりあえず抱きついちゃえ! なんならばキスもしちゃっていいんじゃない?!」
自身もこちらへ『戻ってきた』勇斗に思わず抱きつきながら。「それが白馬の王子様の役目だよ!」と上空のアルに向かってウィンクしながら拳を突き上げる。
「……ここは榊さんとアルディエルくんの思い出の場所なんだよね? 良ければ2人の思い出話を僕らに聞かせてくれるかい?」
悠奈の両肩に手を置きながら、峰雪が『2人のアル』に尋ねた。
ここで僕らは愛を語り合った、と告げる悪魔。そんな色気のある話はしていないとアルは答える。
「ここは二人が初めて出会った場所。そこの洞窟の中でお互い兄に対する愚痴を言い合った。似た境遇と思った君に僕は共感を覚えたけど……ああ、今なら分かる。君はお兄さんに拗ねて怒っていただけで、本当は全然僕とは違っていた。……きっと僕は君らが羨ましかった。それが、僕が君に……君たち兄妹に心惹かれたきっかけだったと、今なら分かる。……そんな僕が、お兄さんを悲しませるような真似を君にさせるはずがない。それは僕と君への侮辱だ。並べて語るべくもない」
悠奈が目を見開いた。そして、アル君、と呟いた。
その瞬間、周囲に薔薇の花園が現出し、渡る風と共に盛大に花弁を巻き上げた。
「最高の舞台を整えてさしあげましたの。感謝してくださいな♪」
花園の中心に立った瑞穂が、一輪の薔薇に口づけ、言った。彼女は寝返ったふりをして人質質らの傍に入り込みつつ、タイミングを計って『トリスアギオン』──天に捧げし聖なる祈りをもって奇跡をこの場に現出せしめたのだ。
バラの香りに幻覚を払われ、加奈子や悠奈が正気へ返る。
飛び込んできたアルを反射的に受け止めつつ、え? え? と困惑する悠奈。無事で…… 無事でよかった…… と涙するアルに微(苦)笑しつつ、陽花と勇斗が悪魔たちへと向き直る。
「……さて。これで人質はいなくなったんだよ。……あなたたちは絶対に許さない。今までの恨み全部、全力で晴らさせてもらうよ! それはもう、色んな意味で!」
両脇に馬竜と狼竜を従えた陽花が、薙刀の切っ先を悪魔らに向けて啖呵を切る。同時に召喚獣へ攻撃命令。馬竜を右へ、狼竜を左へ回り込ませ、自身は悪魔を攻め立てるチルルとクファルを挟み込むように。
踏み込んだチルルが氷剣でシールドごと悪魔の頭部を殴りつけた瞬間。陽花も一切の躊躇いもなく背後から悪魔の急所を狙って──肋骨の隙間から心臓目がけて、水平に寝かせた薙刀の刃を突き入れ……
だが、直前── ブワッと風を巻き上げながら、上空から地上へ急速降下して来た巨大なクラゲが、その包囲を邪魔するように水流の刃と共に突っ込んだ。
「来ると思っていたよ。頭脳派の君なら、逃走の保険は掛けていると思っていたからね……!」
風圧に汗を飛ばされつつ、長大な和弓を構える峰雪。弦に番えるは『イカロスバレット』──空を往くものを高みから引き落とすアウルの弾丸──
矢が放たれる。風に逆らう様に飛翔したその一撃は巨大クラゲの正面に命中。降下中であった巨大クラゲはガクリと高度を落とし、そのまま地面へ激突する。
「クラゲさんはこのまま残っているととてもやっかい……! ここで倒しますっ!」
墜落した個体に『星の鎖』を円状に振るって幾重にもその身に掛ける文歌。そのままギュッとクラゲを大地へ縛りつけつつ、マイク型魔具で自身の声を魔力に変換。タコ殴りにして、沈黙させる。
「連中、姿を消せるはずなのに……」
勇斗の言葉に陽花はハッとした。鶴岡から逃げ延びた大型クラゲの数は3体。その内の1体がわざわざ姿を晒して来たということは……
「対空監視! まだ来るよ!」
陽花の叫びに、ユウが『集中力』を使って空を仰ぐ。
「──見えました」
魔女の箒に留まったアウル猫を投石器の要領で投射し、敵の位置を示すユウ。応じて文歌が2本目の『星の鎖』を地面から打ち上げ、見えざるクラゲを引きずり落とす。
だが、残った1体は上空を通過しつつ、触手を底引き網の様に広げて地上をかっ浚っていった。ピックアップは双子が最優先。次いで人質価値の高い悠奈。加奈子と青葉は拾う余裕がなかった。が、青葉は自ら触手に飛びつき、松岡が彼女に伸ばしかけた手は、だが、すんでで止まる。
「待てェ!」
追い打ちをかけるチルルの雪氷の連弾──対空砲火の弾幕の中を飛び抜けた最後の大型クラゲは、主たちを救い上げたものの、山を一つ越えた所で力尽き、地面へと落ちていった。
「追うぞ!」
クッと地面を叩いた後……号令して駆け出す教師松岡。
その傍らに寄り、勇斗が尋ねた。
「先生。もしかして、青葉先生は……」
「ああ。あいつの幻覚はとっくに切れている」