「一難去ってまた一難、だね。勇斗さんたちを追わなきゃならない。けど、別働班も放ってはおけない」
秋田県某所、山林── 謎の悪魔に対する遅滞戦闘を開始する旨、藤堂から連絡を受けて苦悶する松岡を見やって、永連 璃遠(
ja2142)は傍らの黒井 明斗(
jb0525)に呟いた。
松岡は懊悩の只中にいた。──全ては生徒たちの為。それが彼の行動原理。もう二度と若者を無為に死なせぬ──その為に彼は教師になった。
だが、この時、彼は純粋に教師としてそこになかった。一人の戦士として、男として、かつて袂を分かった同期の仲間たちを救わねば── そんな湧き上がる衝動が心を千々に乱している。
そんな松岡を生徒たちは見つめていた。川澄文歌(現、水無瀬 文歌(
jb7507))はその胸中を察して心配そうに。狩野 峰雪(
ja0345)は無言でただじっと彼の決断を待つ。
明斗も暫しじっと松岡の指示を待っていたが…… やがて意を決すると彼の前へと進み出た。
「先生たちはこのまま逃走班を追い、人質の救出を目指してください。僕らは『遅刻』している連中を迎えに行ってきます」
松岡は驚いた。璃遠もまた明斗の意見に同調する。
「僕も別働班の援護に人を割いた方が良さそうに感じるよ。あの双子の悪魔が接触を避けたいくらいの相手ということは、強敵か、相応に癖のある相手だろうからね」
松岡は反駁した。我々の主目的はあくまで人質の救出。強敵であるからこそ、戦う必要もないソレの相手を生徒たちにさせるわけにはいかない。
やはり、自分も別働班へ…… 言いかけた松岡を、明斗がきっぱりと制した。
「人質交渉の場へ突入する判断の方がずっと難しい。松岡先生はあちらへ向かうべきです」
「しかし……」
「状況は切迫しています。先生の個人的な事情を忖度している暇はないのです」
「なっ……!?」
明斗を睨みつける松岡。その視界にスッと峰雪が入り込む。
「……もう少し、あなたの生徒たちの力量を信じてあげても良いんじゃないかな?」
峰雪の言葉に松岡はハッとした。そうして自分の生徒たちを見渡した。
微笑を浮かべてそれに応える璃遠。文歌は両手と表情にグッと力を込めて「そうです、信じてくださいっ!」と訴える。
松岡は明斗に視線を戻した。敢えて厳しい物言いをした彼の表情は、松岡などよりよっぽど悲しそうな顔をしていた。
松岡は溜息を吐くと、その頭にポンと手を乗せ、言った。
「黒井の案を採用する。俺は榊たちの方へ向かう。狩野と川澄はついて来てくれ」
場が収まったことにやれやれと安堵しながら了承する峰雪。文歌は、はいっ! と嬉しそうに返事をすると、「よーし、逃走班を追うよー!」と元気よく走り出す。
「黒井は別働班へ合流し、遅滞戦闘を支援。永連は……」
「はい。僕も別働班の援護に向かいます。あちらは前衛が少ないみたいですし、少しでもお役に立てれば」
おどけた調子で敬礼を返して、璃遠は既に走り出していた明斗を追った。
明斗はずれた眼鏡を直していた。璃遠は暫し無言でそれに後続する。
「……仲間を置いて進むなどしたら、会長に怒られてしまいますからね。何より、そんなことをしたら、誰より僕自身が僕を許せない」
照れを隠す様に、明斗。璃遠は同意し、頷きながら…… 青春だよね、と呟いた。
●
味方との合流を急ぐべく北上を続ける別働班の『寄り合い所帯』は、エピンダルと名乗った悪魔を振り切るべくその移動速度を上げていた。
早足は既に小走りに近く。しかし、悪魔との距離は一向に開かない。サーバント『ウォッチャー』を飛ばして敵を監視するキマジエルによれば、むしろ彼我の距離は縮まりつつある。
「脳筋のくせにしつこわね……! いっそこのまま交渉の場まで連れてってやろうかしら」
索敵能力の高い小林と葛城 縁(
jb1826)に隊列の先導を任せ、自らは藤堂と共に最後衛についた月影 夕姫(
jb1569)が、後方を振り返りつつ忌々し気にそう舌を打つと、アルディエルが「えっ?」と驚いた顔をした。
「冗談よ。でも、いざとなったら、このままアイツを連れてった方が良い場合もあるかもしれないわね。あの双子の性格からして、絶対、粗利が合わなそうだし」
……で、実際、どうするんだい? との杉下の問題提起に、……誰かが時間を稼ぐ必要があるわね、と藤堂が呟いた。
「ここは私たちに任せて、あなたたちは早く松岡たちと合流なさい。アイツの方にこそ戦力は必要なはずよ」
藤堂は言う。かつて弟を連れ帰れなかった松岡にひどい言葉を投げかけた。その事が松岡を教師への道へ進ませた。……もう二度と若者たちを無闇に死なせない。命を懸けて守り抜く──そんな決意と覚悟を定めて。
「そんな松岡の生徒たちを、私が危険に晒すわけにはいかないでしょ? ……大丈夫。足止め程度なら全員で掛かる必要はないわ。少しは大人にも格好をつけさせて」
一切の気負いもなく、いっそ清々しく笑う藤堂。そんな彼女の野戦服の裾を掴む者がいた。視線を落とすと、白野 小梅(
jb4012)がジッと藤堂を見上げていた。
「違うよォ?」
小梅はふるふると首を横に振った。夕姫と縁が顔を見合わせ、小梅が言わんとしていることを代弁する。
「確かに松岡先生は戦いに関する色んなことを教えてくれたけど…… 自分を犠牲に私たちを守るとか、そんなことは考えてなかったと思うわよ?」
「昔の先生はもしかするとそんな気分だったかもしれないけど、今の先生は、そんなの、全然」
……良い教師生活を送れたようだね、松岡は── 杉下の言葉に、藤堂は少し寂しそうに頷いた。
かつて自分と同じく学園ゲートの出現で何もかも失った松岡が、教師として生きていく内に己の在り様を見出した。そのきっかけは、おそらく、きっと……
「ここで格好つけても松岡先生の心の傷を増やすだけですよ。同じ格好つけるなら王子様でいきましょう」
「ガチでやっちゃうと怪我人が出てつまんないからぁ、少しずつ合流地点に進みながら距離を取って戦うのぉ」
方針は決まった。
それを受け入れた藤堂ににぱっと笑うと、小梅はとててててーっ! と今度はキマジエルの元へと取って返した。
「そういうわけでぇ、ちょっと約束した悪魔じゃなくなっちゃったんだけどぉ……一緒に戦ってくれる?」
「仕方あるまい。何であれ、悪魔は滅ぼさねばならぬ。──それに、お前には命を助けられた借りがあるしな」
小梅は一瞬、きょとんとし……やがて満面に笑みを浮かべた。そうして全身から嬉しさを溢れ出しつつ、キマジエルと連携について言葉を交わす……
そう、方針は決まった。
仲間たちと共に準備を進めながら、アルディエルは天を仰いだ。──ごめん、悠奈。どうやら助けには行けそうにない。
そんなアルを、「え?」と縁が二度見した。なんでまだこんな所にいるんだ、とでも言いたげに。
「……アルくん、またしょうもないことを考えていたでしょう?」
「何か思い詰めているみたいだけど…… アル君だけでも先に悠奈ちゃんの所に行って。お姫様を助けるのは、いつだって王子様の役目って相場は決まっているんだから」
しっしっ、と追い払うように、早く行けと告げる夕姫と縁。しかし、とアルは苦悶した。悠奈を、彼女を助ける為に、仲間を置いて自分一人だけ、この危地を離れるなんて……
「自分に正直になりなさい。あなたが今、最優先でしなければならない事は何? 悠奈ちゃんはあなたが来るのを待っているわよ?」
「迷わなくていいんだよ? 面倒なことはお姉さんたちにどーんと任せて!」
大きく胸を張りながら、どーん! と胸を叩いて見せる縁。キマジエルとの話を終えた小梅がアルを見て「何でまだいるの!?」と驚き。自分はそんな責めららえるようなことをしたのだろうか、と少年天使は思ったり。
「大丈夫! ボクたちはオジサン(ファサエル)にだって勝ったんだよ? あの悪魔が強いからって、負けないもん♪」
負けない、と小梅は言った。勝てるとは言わなかった。そのことにアルは気づいていた。が、それ以上、何も言わなかった。笑顔で見つめる仲間たちに「任せます」とだけ告げて。アルは光の翼を広げて飛翔すると、一目散に悠奈の元へと飛んで行った。
「こちとら紛い物の相手をさせられて欲求不満なんだ。さあ、さっさとヤリ合おうゼ……!」
ドンッ! と大地を蹴る音が轟き、追いついて来たエピンダルが隊列後尾へと殴り掛かった。余人では目にも留まらぬ速度の肉薄と打撃── その一撃に撃退士たちは即座に反応、対応する。
前衛に出たのは、防御力の高い夕姫と藤堂、槙田の3人。悪魔の標的となった小梅を守るべくその前に盾の壁を築く。悪魔は構わず突っ込んできた。標的は何の迷いもなく盾壁ど真ん中の夕姫。身体ごとぶつかりながら、ハンマーのような拳を振り抜き。その糞重い一撃だけで3人の盾壁が崩壊する。体勢を崩した夕姫に放たれる追撃の空中回し蹴り── 夕姫はどうにか盾で受けたものの、その盾ごと後方へと弾き飛ばされる。
「にゃんこ!」
後方へと飛びずさりながら魔女の箒をふるふる振ってマテリアルの猫をけしかける小梅。キマジエルもまた『首なし鷹』を悪魔の頭部へ放って注意を逸らし。その隙に距離を取った槙田が夕姫と藤堂に回復の光を飛ばす……
「あぁん?」
エピンダルが気づいた。人間たちは彼から離れ、全体的に距離を取っていた。のしのしと歩いていくと、同じ分だけ距離を下げる。びびったかと突っ込んでみると、柳の様にそれをいなしつつ、分散、集合しながら再び悪魔から距離を取る。
「おいおい、やる気あんのかよ……」
げんなりとする悪魔をよそに、縁がそっと気配を消した。その表情に先程までの怯えも愛嬌もない。冷徹に、ただ冷徹に己の意識を集中させつつ、散弾銃を手に木々へと潜む。
上空を、光の翼を展開したアルディエルが猛スピードで通過していく── 無人の街中を走りながらそれを見た璃遠は、行くんだね、と呟いた。
別働班の皆も分かっているなぁ。そう独り言ち、笑みを浮かべる。彼は僕たちの中で一番、誰よりもこんな所で足止めを食ってはいけない人だ。
そんな璃遠の先を全力で疾走していた明斗が速度を緩め、やがて手信号で停止の指示を出した。
膝をついた明斗が遮蔽物の陰から行く手に双眼鏡を向ける。
その先には、大きく壁の崩れたコンクリ製の建物が── かつて悠奈が事情聴取を受けた、撃退署の廃墟があった。
別働班は退いた。戦いつつ退いた。そうして辿り着いたのが、この撃退署の跡地だった。
撃退士たちは屋内へと入った。エピンダルもそれに続いた。いい加減、彼のイライラは頂点に達していた。
藤堂の零距離射撃を阿呆みたいな反射速度で打ち払いつつ、ドンッと踏み込んだ悪魔の膝を。廊下に面した部屋の陰から、縁が散弾の投網で横合いから打ち据えた。チイッ、と舌を打つ悪魔を他所に移動する縁。それを追おうとした悪魔を別の場所に潜んだ杉下と小林が新型小銃で狙撃して。さらに物陰に潜んでいた小梅の猫たちが一斉に足元へ爪を立て。有翼目玉の支援の下、廃墟の中を縫う様に飛来した首なし鷹が爪で頭を掻いていく。
「瞬間移動持ち相手には、やっぱり広い空間で戦うより遮蔽物が多いこういった所の方が向いてるみたいだね」
縁は小さく呟くと、ギロリとこちらを睨んだ悪魔の足元へ向け銃撃を乱射。巻き上がった粉塵に紛れて階段の手すりを飛び越え、一階層下のフロアへ飛び下りた。
「この腐れ(ピーッ!)が! 逃がすと思ってんのか……ッ!」
首なし鷹を握り潰しつつ、拳を廊下の床へと打ち下ろすエピンダル。崩れ落ちて来る天井の瓦礫に足を止めた縁のすぐ目の前に、悪魔の巨体が落ちて来る。
「させないわっ!」
横合いから飛び出して来た夕姫が盾をかざして行く手を遮り。次の瞬間、彼女の眼前から悪魔の姿が掻き消えた。
「!?」
夕姫が目を見開き。次の瞬間、何が起こったのかを理解する。
(瞬間移動──今、ここで!?)
ゾワリ、と縁のうなじが泡立った。何が起こったのか、分かっていたわけじゃない。ただ直感が身体を動かした。
「縁っ!」
叫びつつ、片足を軸に回転し、コンパクトに抱えた大型小銃を背後へ振り向ける夕姫。その意図を察して素早く縁がその場に身を伏せて。慣性が残していったその後ろ髪を割って間髪入れず放たれる夕姫の一撃。瞬間移動により縁の背後へ回っていた悪魔のどてっ腹にその銃弾がぶち当たる。
「流石に、使用した直後に連続使用はできないみたいね」
夕姫の笑み。不意打ち気味のその一撃に悪魔がカハッ! と息を吐く。
その瞬間を。瞬間移動直後の隙を、狙っていた者がもう一人いた。
「みんなぁ、ちょっとだけ下がってぇ!」
その右拳をグルグル振り回しつつ、すぐ横の物陰から飛び出して来た小梅が、その拳にプラズマを放電させつつ、凝縮したアウルを巨大な猫の手型へと一挙に放出。振り下ろす。
「必殺! グルグル・ニャンコ・デ・プラズマぁ!」
スパン!(←3カメ) スパン!(←2カメ) ズババァーン!(←メインカメラ) と。振り下ろされた巨大な猫の手が悪魔を地面へ打ち倒し。直後、湧き起った爆発が悪魔を小梅ごと吹き飛ばす。
「もう一回!」
すかさず立ち上がり、もう一度グルグルニャンコ(略)を食らわそうとする小梅。自爆技、ではあるが、悠奈と麗華──大切な親友たちを助ける為なら、彼女は命すら投げ出すことも厭わない……!
「トドメ! グルグル・ニャンコ・デ・プ……ッ!」
粉塵の中から伸ばされた手が、小梅の顔面をガッと掴み。直後、床へと叩きつける。
撃退士たちは戦慄した。床のヒビに染み出す小梅の血…… その一撃は、気絶か、或いはそれ以上の……
「利き腕を振り回す癖…… そいつはちょっと頂けねぇぜ」
悪魔は笑っていた。傷つきながら笑っていた。楽しいなぁ、ええ、おい、と。自身も血を流しながら、その痛みすら悦楽と言うように。
対する撃退士たちは既にぼろぼろだった。夕姫や藤堂のシールド系のスキルは既になく。それでも槙田の回復を頼りにここまで耐えて……それも先程、遂に尽きた。
だというのに。悪魔はまだ笑っている。掛かってこいと手の平を持ち上げる。
それは撃退士たちにとって絶望的な光景だった。……この場にいる戦力が、彼女らだけであったなら。
窓の外から投げ入れられた小石──とエピンダルには見えた──の様な物が。次の瞬間、雷光と化して悪魔の視界を灼いた。
爆発音にも似た空気を震わす雷撃の振動音── 別の窓から飛び込んできた人影が、直刀を抜き放ちつつ、小梅を掴んだ腕の肘、腱辺りを素早く切り付ける。
うわっ!? と悲鳴を上げたのは、悪魔ではなく、その人影──璃遠だった。なんて分厚い筋肉だよ、と悪態を吐きながら。灼けた視界越しに振るわれた拳を後ろに転がる様に躱しつつ、もう一方の手で掴んだヒヒイロカネを活性化させて閃破を抜刀。衝撃波による追撃を掛ける。
(相手は見た目通り接近戦が得意なタイプみたいだ。僕はあまり打たれ強い方じゃないから、強烈な攻撃には気を付けないと……)
仲間の無事を確認しつつ、眼前の敵に観察の視線を向けながら。バックステップで距離を取りつつ、衝撃波を放ち続ける璃遠。その間に、先の窓枠を乗り越えて、明斗が屋内へと入って来た。先の閃光──春雷のルーンを投げ入れた当人であり、別働班待望の新手の回復役でもある。
「お迎えに上がりました、皆さん。怪我人は…… って、聞くまでもなさそうですか」
……その場には怪我人しかいなかった。苦り切った表情で、手早く回復作業へ入る明斗。幸い、重体者はいなかった。緑色のアウルの光を風に纏わせ、その場にいる者たちの傷を纏めて流れるように癒していく。
どうにか一息ついた、と思った明斗は、だが、次の瞬間、眉をひそめた。エピンダルが暴れ回る度に、次々と怪我人が出たからだ。
「埒が明かない……」
明斗は一旦、回復作業を中断すると、背後から悪魔へ駆け寄った。その気配を察して放たれたバカ重い裏拳をシールドで受け凌ぎ。体勢を崩しながら『聖なる鎖』で悪魔の身を縛る。
この間に回復を…… 顔を上げた明斗は、エピンダルの背中に張り付いた小梅を見てギョッとした。
彼女は気絶してはいなかった。なぜならその時、建物に忍び寄っていた明斗の『神の兵士』の効果範囲内に入っていたから……!
「グルグル・ニャンコ・デ・プラズマ」
バレないようにこっそりと。利き腕をクルクル回した小梅がその拳を突き入れる。
この日、二度目の爆発が、悪魔の背中で炸裂した。
●
本当にこんな所にいた……!
悪魔ラフィルに案内されて来た山の中腹で── 何らかの手段でこちらの接近を察知して洞窟から出て来た悪魔クファルを見て、雪室 チルル(
ja0220)は純粋にそう驚きを口にした。
なんだってこんな辺鄙な所に…… 勇斗もまたその事実を訝しく思う。この辺りは確か悠奈がアルと初めて出会った場所…… この場所を選定に悠奈が何か関わりが? だが、それを判断するにも周囲に人質の姿はない。
対する悪魔クファルもまた、そんな撃退士たちを見てひどく怪訝な顔をした。
「……ねぇ、ラフィル。どうして彼らは下着姿なんだい? もしかして、そういう趣味なのかい……?」
「趣味じゃないよ!?」
何かかわいそうなものを見た様な面持ちで双子の兄に尋ねる悪魔に、彩咲・陽花(
jb1871)が間髪入れずに反駁の声を上げた。
「これはそこの悪魔の趣味であって、私たちの趣味じゃないよ! こんな格好で外を引きずり回すんだから、ホント良い趣味してるよね!」
「はい、ラフィルの趣味ですね。特に幼気な少女に向ける脂ぎった視線は…… 変態な兄を持って貴方も大変ですね」
ユウ(
jb5639)もまた陽花に続き、慇懃無礼な言葉と共に、冷え切った眼差しで悪魔ラフィルへ視線をやった。
そのラフィルは、陽花やユウの嫌味などどこ吹く風で、満面の笑みを隠す事もなく双子の弟に話し掛けていた。
「メッセージは受け取った。アイツが来ているってのは本当か……? ……そうか。よし、アイツが首を突っ込んでくる前にさっさとこの場を離れよう!」
そのまま走り去ろう駆とする悪魔を、チルルが襟首を掴んで引き留めた。ぐえっ、と潰れた蛙みたいな声を出すラフィル。チルルは交渉相手であるクファルへ声を掛ける。
「こちらの人質の安否確認がまだよ。それが済むまでコイツを引き渡すわけにはいかないわ」
「当然だね」
クファルは頷くと、視線をこちらに向けたまま洞窟の中へと声を掛けた。
それに応じて、中から堂上加奈子が歩いて姿を現した。クファルの幻覚に囚われているのか、その瞳に意志の光は窺えない。
早速、チルルは彼女に『中立者』を使用し、人質が『幻覚を被せたディアボロ』などではないことを確認した。……もっとも、自分が幻覚に囚われ、認識をずらされていなければの話であるが。
「他の二人は!?」
「洞窟の中にいるよ」
「姿を確認させなさい!」
「そこまで譲歩はできないな」
さすがに全員は出してはくれないか…… 悪魔とのやり取りを聞きながら、陽花は心中で独り言ちた。人質3人の存在が確認でき次第、彼女らは悪魔たちに『仕掛ける』つもりであった。クファルもそれは読んでいたのだろう。安易に全ての手札は晒さない。
どうする? とチルルは皆を振り返った。
ユウは沈思し、黙考した。
(……今回のこの状況は、双子にとっても不測の事態のはず。このランデブーポイントも急遽、決められたはずで、幾重にも罠は張れないはず……)
特に、クファルの幻覚は、その内容が複雑になる程、準備に時間が掛かると推定される。ラフィルが見せた動揺は演技ではなさそうだったし、ユウの推察は高い確率で的を得ているはずだ。
(もっとも、ラフィルが見せたその動揺すら、『ラフィル本人に知らせていないクファルの策略』という可能性もありますが……)
そこまで思考を進めて、ユウはふるふると頭を振った。……まったく、『疑心暗鬼こそ幻覚が生む最大の効能』とはよく言ったものだ!
「となると…… まずは洞窟の中にいるという2人の姿を確認することが先決やねぇ」
裸エプロンに虎柄パンツ姿の一児の母、クフィル C ユーティライネン(
jb4962)が、悪魔クファルに向き直り「はいっ!」と元気に手を上げた。
「こんな格好させられて身体が冷えちゃって……ちょーっち、漏れそうなんやけれどー!」
目の前で手刀を切りながら、トイレを借りると言わんばかりの自然な流れ(本人談)で洞窟へと向かうクフィル。
うん、それは自然な流れではなかった。当然、クファルに止められた。
「なんや! もう我慢できひんのやけどー!」
そう言って急ぎ、そこらへんの草陰へと急ぎ(内股で)走るクフィル。
途中、勇斗の傍らを通り過ぎ様、小声でクフィルは彼に尋ねた。
「妹はんしか知らなさそうな、符丁みたいなもんって何かある?」
何かを我慢するかのようにふるふるとその場に震え…… 答えを聞いた後、おどけた調子で草陰へと走り込む。
当然、その行動は見せかけで…… 悪魔らから見えない所に着いたクフィルは芝居を止め、気配を消して洞窟へと向かった。
「幻覚の使い手相手にバカ正直に交渉するなんて、正直、ありえへんしな」
洞窟入り口脇の木陰から悪魔たちの様子を窺い…… 彼らの注意が撃退士たちに向いた瞬間、(何をやっているんだ、一児の母!)という皆の声なきツッコミを受けつつ、洞窟の中へと忍び込む。
(相手の裏をかかないと、この勝負勝てっこないし…… 何より大好きならーちゃん(妹)に嫌われてまうもんね!)
まぁ、やるなと言われることほどやりたくなるっていうのもあるのだが。そのまま洞窟の最奥へと進んだクフィルは、そこで人質2人を確認した。符丁を問い掛け、答えを得る。よし、とクフィルは頷いた。後は後続部隊が到着するのを待つばかりだ。
「もうちょい待っててな。外が乱戦になったら連れ出してやるからねー」
……一方、洞窟の外。
それから暫し待ってみたが、中からクフィルが戻って来ることはなかった。それが人質が中にいることを意味するのか、何かトラブルに巻き込まれたのかは判別できない。
(もうこれ以上は引き延ばせないよー……!)
それまで、こちらの戦闘意志をおくびにも出さず、にこやかに交渉を続けて来た陽花が、脂汗を流しながらユウたちを振り返る。
実際、彼女は頑張った。だが、悪魔クファルがそれ以上の譲歩をしない以上、やはり限界はある。
次の手札を切るべきだ── ユウが代わって前に出た。それまでの穏健路線と異なり、厳しい口調で問い詰める。
「……今回の『捕虜交換』はそちらからの提案であり、内容は悠奈たち3人とラフィルの身柄の交換にあったはず。にも拘らず、その交換の場で加奈子の安否しか示さず、しかも、その加奈子も洗脳状態…… そんな交渉が本気で成り立つと思っているのか?」
ユウは余裕綽々で立っていたラフィルの首根っこを掴むと、地面に押し倒してこめかみに銃を突きつけた。
「僕がなぜ君たちに魔具の所持を許可したのか、その意味を考えて欲しいな。……人質はちゃんと返すよ。僕たちの安全が確認された時点で。それ以外、僕らに人質を連れ回すメリットはない。そこは信じてもらうしかないけど」
ユウは銃口をずらし、地面へ向けて発砲した。ひぃっ!? と悲鳴を上げるラフィルにユウは改めて銃口を突きつけ…… そのユウに、クファルはむしろ優し気な瞳を向けた。
「こと『捕虜交換』においては、人質の命は交渉材料にはならないよ。相互破壊確証? だからね。君がラフィルを殺したら、僕も人質たちに自害を命じてここから去るだけのことだよ」
「……私たちがみすみす逃がすとでも?」
「君たちの目の前にいる僕が、本当に本物だと思うかい?」
はったりだよ、と陽花が叫んだ。ユウの知性もそれを支持した。もし、目の前のクファルが幻覚の類であるなら、それを示唆したりはしない。わざわざそれを告げたのは、こちらにそう思わせたいからだ。
だが、万が一──クファルがその裏をかいていたら? ……まったく、疑心暗鬼こそが幻覚の、とは本当によく言ったものだ!
(もっとも、この時点で私の目的は既に達成しているのですが)
ユウたちの目的── そう、それは時間稼ぎだ。
追いついて来た松岡たち追跡班が。既に交渉現場を囲むようにその配置を終えつつある……
チルルが残してくれたポテトチップスの跡を追って── 隊列の先頭に立って逃走班の道程を追いかけて来た文歌が、人の話す声を聞いて皆に移動の停止を指示した。
松岡らをその場に残し──阿修羅は隠密行動には向かないのだ──、峰雪と共に更に近くへ這い進む。斜面の上から状況を確認すると、まずは『生命探知』を使って人質の居場所を探ることにした。使用し、その反応に「ん?」と小首を傾げつつ、双眼鏡で現場を見下ろし、あの中かなぁ、と推定する。
「どうやら悠奈さんと安原先生は洞窟の中にいるみたいです……?」
何となく自信なさ気に言う文歌。それを見た峰雪は小首を傾げた。……文歌はロッジで一度、幻覚に囚われている。その際、悪魔のいいように認識や感覚をずらされている可能性も否めない。
「まずは堂上さん以外の人質がどこにいるのか、安否確認をしたいよね」
峰雪は呟いた。……洞窟にいると見せかけておいて、他の場所に隠していないか? その場合、隠すとしたらいったいどこか?
このまま交渉を終えて……或いは、戦闘になって逃げるつもりなら、どんづまりの洞窟の中に戻るとは思えない。どこかに逃走経路があって、そこに人質を置いているのではないか……?
「流石です、狩野さん! やり手の敏腕Pみたいです!」
「びんわ……え……?」
困惑する峰雪をよそに、文歌は手の中にアウルのスプレー缶を生じさせ、返事も聞かずに峰雪にスプレーし、櫛を入れる。
「幻覚に囚われたことのない狩野さんは切り札の一つ…… 極力、敵からその存在を隠しましょう!」
ボディペイントで峰雪に『迷彩』を施し…… その出来栄えに満足して文歌は大きく頷いた。
峰雪は苦笑交じりに礼を言うと、洞窟入り口に向かう文歌と別れて裏側から斜面を下りた。そうして北へと回り込み、クファルや人質の痕跡を探す。
──人質は意外な所にいた。交渉現場の側面、その藪の中に。
峰雪に気付いた悠奈が、驚いた表情で振り返る。一瞬、身体を硬直させた後、峰雪は久しぶり、助けに来たよ、と声を掛け……
瞬間、悠奈は場へと飛び出し、叫んだ。──「追手に包囲されてるよ、アル君!」と。クファルに向かって──
なんだって!? とクファルが叫ぶ間に。チルルは靴の中からヒヒイロカネを取り出し、極光剣を活性化させると背後からラフィルへ斬りかかった。瞬時に形成された氷の鋭刃が、不意を打たれたラフィルのあばらを数本断ち割り、背中から腹へと貫き通す。
「や、やめろ、どうしてこんな…… これまで一緒に逃避行をやって来た仲なのに……!」
ガハッと血を吐きながら、悶絶打って刃から逃れ。ラフィルがチルルに信じられないと頭を振る。
「うわー、何か悪魔っぽいこと言ってる。って言うか、あんた、アレ(な態度)で自分が私たちから好かれてるって本当に思ってたの?」
「そんな…… 貴様には人の情と言うものがないのか!?」
「あるわよ? 怒りとか嫌悪とか殺意とか憎悪とか」
クファルが双子の兄を呼んだ。逃げる悪魔の背をチルルが追う。残る氷翼鎧、氷冠を身に纏いつつ……クファルの元へと逃げ込んだラフィルを無視し、その傍らを抜けて洞窟内へと走り込む。
「いつまでも悪魔の手の平で踊っているわけにはいかないんだよ……! ここで決着をつけさせてもらうよ。絶対に逃がさないんだからっ!」
ようやく身に纏うことが出来た巫女服の両腕を振り、馬竜と狼竜、2頭の召喚獣を初めて同時に多重召喚する陽花。己が左右に現れた『戦友』たちを周囲に展開しつつ、陽花は悪魔の退路を塞ぐ様に北側に位置取った。そこへ、邪魔しないでください、と盾ごとぶつかって来る悠奈。ちょ、悠奈ちゃん!? と驚き、躊躇する陽花に、加奈子が無表情のまま、悠奈を支援するように魔法の詠唱を始める……
全周から、追跡班の撃退士たちが一斉に斜面を下り始めた。
文歌もまた草陰から飛び出すと、洞窟入り口を前にたたらを踏み、ロッジにあった幻覚魔法陣を思い出して『シールゾーン』を使用した。魔法的干渉により浮かび上がったそれを見て「やっぱり……!」と呟きながら、それを踏まぬよう中へと入り…… 幻覚により互いを敵だと認識して殴り合うクフィルとチルルに慌てて駆け寄る。
「わあ! 二人ともしっかりして! クファルさんの幻覚ですよ!」
文歌が幻覚に掛かった2人に『聖なる刻印』を使って抵抗を促すと、やがて、2人は夢から覚めたようにぱちくりと目を瞬かせ。文歌がホッと息を吐く。
一方、外では生徒たちを引き連れて飛び出した松岡に、もう一方の草陰から飛び出して来た青葉が肉薄する。
「青葉……ッ!?」
一瞬、硬直した松岡の腹に膝を入れ。横蹴りで吹き飛ばす青葉。
どうにか体勢を立て直したクファルの元には、ユウが飛び出し、肉薄していた。
「簡易幻覚、強度を最優先……!」
修羅の如き一撃をどうにか躱し、奥歯を噛みしめるクファル。ラフィルが傷口から手を放し、血塗れの手で弟の襟首を掴んで、言った。
「こうなったらもう仕方がない…… あいつを、あいつをこの場に呼ぶんだ!」