夜半過ぎまで降り続いていた風雪も明け方までには落ち着いた。
集合時間を前に『砦』の中庭に集まり始める撃退士たち── 彩咲・陽花(
jb1871)もまた外へと出ると、早朝の冷たい空気の中、一面に降り積もった雪の上をざくざくと壁まで渡った。
白い吐息── 壁面に辿り着いた所で手を当てる。見上げれば曇天を背にそびえる『城壁』── 陽花は暫しそれを見上げ、やがてコツンと額を当てた。
「……良く持ち堪えてくれたね。今まで、ありがとう」
労わるように礼を言う。自分たちが守り切った砦の壁に。自分たちを守り切ってくれたその壁に。
今日、自分たちはこの砦を出て西へと向かう。……それは『戦友』との別れ。そして、奪還への旅路──
「いよいよ反転攻勢ね…… ちょっと撃退署側の人間が楽観視し過ぎなのが気になるけど」
「あの敵指揮官…… えぇと、明美おばさん、だっけ。随分と苦労させられたけど、今度はこっちの番。頑張らないとね!」
陽花についてきたのだろう。友人の月影 夕姫(
jb1569)と葛城 縁(
jb1826)もそう己の感慨を口にする。
陽花は朝の挨拶をしながらそんな友人たちを振り返り…… 防寒具を着込んでもこもこになった夕姫を見て絶句した。
「フェンリルって、もふもふで温かそうよね、陽花。召喚してくれない?」
「……夕姫さん、寒いの苦手だっけ?」
友人二人のそんな姿に、縁が乾いた声であはは……と笑う……
同日、朝──
中庭に集合した撃退士たちは隊列を整え、砦を出て一路、西進を開始した。
雨宮アカリ(
ja4010)が属する学生たちの一班は、杉下の第二分隊と共に隊列の二番目を進んだ。先行する第四分隊が斥候を済ませた気楽な道中。アカリが鼻歌で『雪の行軍』を歌い上げ。それを聞いた黒井 明斗(
jb0525)が縁起でもないなぁ、と眉をひそめてみたりする。
「ナムの次はスターリングラードかしらぁ? 病み上がりにはちょっとキツいわね」
「それって僕らは独軍? 赤軍?」
杉下の返しにアカリは笑った。現場の兵士からすれば、どちらも碌な事にはならないからだ。
「最終的に勝つって意味なら赤軍の方が良いかしらぁ? 『督戦隊』までついてるし」
そう言って隊列の後方── 撃退署の隊員たちを指差すアカリ。千葉 真一(
ja0070)が振り返って眉をひそめる。
「苦しい時には援軍の一つも寄越さず、どうにか凌ぎ切って見せれば厄介事を押し付けてくる…… どうにもリスペクトのないやり方だな。傍から見てても気分の良いもんじゃない」
真一は同意を得ようと傍らの学生を振り返り。そこにファーフナー(
jb7826)の姿を見出し、硬直する。
恐らく同世代の学生を想定していたであろう真一に。ファーフナーは視線を前へ戻すと、襟元のマフラーを口元まで引き上げながら「どうかな」とだけ呟いた。
あの撃退署の隊長からしてみれば…… 笹原小隊の理念など作戦を立てる上では何ら意味を為さない。重要なのは戦力だ。そう言う意味では、あの隊長の小隊に対する評価は決して低いものではない。
「まぁ、笹原さんが承知の上なら、俺が文句を言う筋合いでもないんだけど……」
明らかに納得はしていない口調で話題を仕舞にする真一。その時、既にファーフナーの興味は今夜の天気に移っていた。実際、何か問題が発生しない限りは関心の埒外の話ではある。
「雪だ……」
頬に触れる冷たい感触に、真一は歩きながら空を見上げた。
「また積もると足を取られてやっかいそうだな…… 去年もそれで苦労したし、強行軍をしようってんなら何か対策をしておいた方が良さそうだなぁ」
やれやれ、といった調子で呟く真一。ファーフナーは一人、かじかんだ手に吐息を刷り込ませると、手にした銃の台尻にそっと手をやった。
最初の村落が近づいて来たところで、第二分隊と学生たちは村とその周囲の偵察を行う準備に入った。
「ここでの依頼も久しぶりだねー! ここはひとつ頑張らなきゃ!」
全身、白一色の冬季迷彩に身を包み、狙撃銃の負い紐を「よっ」と担ぎ直す鴉女 絢(
jb2708)。ナイトウォーカーである彼女は村の外周を探索した後、村の西端で歩哨に立つ。他の皆は村の探索。家屋を虱潰しに調べ、安全を確認するのが役目だ。
「それじゃあ、行ってくるねー♪」
元気に手を振り、山の斜面へと入っていく絢。木々の間に入るとすぐに気配がなくなり…… ちょっとするともう遠目ではどこにいるのか分からなくなってしまう。
「なにか痕跡があれば見つけやすい、ってのは積雪の利点ではあるな」
「気をつけて。爆薬を持った骸骨があらかじめ潜んでいる可能性もあるかも」
警戒態勢で村へと入りながら、夕姫が注意を促した。夏に敵本隊が撤収した際、敵は砦の近くに爆薬を持った骸骨を潜ませていたことがある。
「おじゃましまーす……」
抉じ開けた引き戸を外し、縁が恐る恐る家の中へと声を掛ける。玄関で靴を脱ごうか迷っていると、ファーフナーが構わず中へと入った。慎重に、一部屋ずつ敵が潜んでいないか見て回り…… ようやくホッと息を吐く。
「……天魔が出現するまでは、のどかな村だったんでしょうね」
どこか生活感を残した部屋を見やって夕姫がぽつりと呟いた。
ファーフナーは一人、窓の外へと目をやった。──かつてここにどんな人間が住み、そして、今、避難先でどう故郷の事を想っているのか── 想像してはみたものの、何の感慨も浮かばなかった。
自分には関係のないことだ── 呟いてみて、その言葉に自嘲する。──思えば、己の人生すら他人事みたいなものだった。このすりガラスの向こうを見るように過去を回想している自分に気づき、ふと絶望的な気分になってはみるものの…… そんな気分こそが己の日常だ、と気づいて自嘲を深くする……
「この村落を二重の防壁で囲みます。外側の壁は土嚢を基礎に雪を高く積み上げましょう。水を掛け、夜の冷気で凍らせて即席の壁を築きます。内側の壁は半分ほどの高さで、分厚く、頑丈さを重視で。二つの防壁の間で地面を掘り下げ、使用する土を確保。同時に堀も作ります」
村の中の探索を終えて安全を確認すると、撃退士たちは早速、拠点化の作業に入った。
明斗は笹原と清水に許可を取ると、学生たちを率いて防壁の製作にとりかかった。まず重視したのは早さ。そして、堅牢さ。いつ敵が襲撃をかけてくるか分からない状況ではあるが、敵の攻撃に際してすぐに崩れるようでは意味がない。
「あんまり凝る必要はないですよ? ここはどうせ通過点──物資の集積所くらいにしか使われないんですから」
許可を得る際、明斗の作業案を見てそう言った清水に、明斗は「だからこそですよ」と答えた。物資の集積場にするからこそ、ここで堅牢に作っておくのだ。直接、あの敵と対峙したことのない人には分からないかもしれないが……
「さて、一夜城ではないですが、今日中に外壁だけでも終らせちゃいましょう。いつ敵の襲撃があるかわかりません。そうなったら…… 全員、野宿になってしまいますよ? 八甲田山の二の舞は御免でしょう?」
明斗がそう冗談を言うと、硬い表情をしていた下級生たちが笑った。共に砦戦を戦った戦友たちは、もう慣れっこだよ、と言いたげにスコップを掲げてみせる。明斗は微笑でそれに応じると、手をパンパンと叩いて皆に作業を促した。
「では、始めましょう。たとえ敵が来なくとも、壁ができれば吹き荒ぶ寒風は防げますからね!」
同じ頃── 縁は炊飯係の隊員たちに交じって、借り受けた野外炊具を使って皆の為に夕飯を作り始めていた。
制服姿の中にあって一人、愛用の割烹着にタスキをかけて、赤犬印の三角巾を頭に巻く。彼女が作ろうとしていたのは粕汁だった。極寒の中、土木作業や歩哨に立つ皆の為に、せめて身体が温まるように、体調を崩さぬようにと縁が考えたものだった。
「状況的にミスマッチな気もするけど…… 自分に出来るのはこれしかない! って、そう思ったから……」
具材を切り分け、鍋に流しながら照れたように笑う縁。
「まずは『補給』をしっかりと、というわけね。温かくて美味しいものが食べられれば、それだけで士気も上がるものね」
そう頷く夕姫の傍らで、陽花がいつもの様に手伝いを申し出て…… グッドスマイルを浮かべた縁が、いつもの様ににべもなくそれをシャットアウトする。
「陽花さんはこっち!」
「……これって」
手渡されたものは、縁が持って来た甘粕の半分。それだけで陽花は友人が自分に何をしてほしいのかを理解した。
「……うん。コーヒーもいいけど、身体を温めるならこれもいいよね。……私の場合、これを見るとどうしてもお正月なイメージになっちゃうけど」
それで美味しい甘酒を作って欲しい── 縁はそう言っているのだ。陽花の実家は神社であり、昔はよくお手伝いをしたものだから──
(みんな、元気かな? 今頃、どうしているかな──)
陽花は暫し物思いに浸り…… 巫女服姿に──本気になった。
「普段だったら料理をさせてもらえい復讐を始めるところだけど…… 今日は、甘酒作り、全力で頑張るよ!」
そして、夜── 集落の端に近い建物の屋根の上に、板を敷き、風除けの板と登る為の梯子を立てた明斗発案の『見張り櫓』に、撃退士たちは交代で歩哨に立っていた。
「なんかようやくと言うか…… 流れるように状況が動き出しましたね…… 藤堂さんは、今後の見通しとか何かありますか?」
歩哨に立つ長い時間の合間。周囲に警戒の視線を飛ばしながら真一が藤堂に話しかける。
藤堂は暫し考え、そうだな、と呟いた。……この時期の敢えての西進──確かに敵の意表はつけるだろう。問題は、これまで砦に拠るしかなかった自分たちに、確保した縦深を維持できるかどうか……
「や。藤堂さん。そういう話でなく」
「?」
「えーと、ほら、うちのがっこの先生たちとか」
そこまで言ってようやく藤堂は真一が何を言いたいのか理解した。と同時に腕を組み、小首を傾げる。愚痴とか聞きますよー、と真一が水を向け、ようやく話し出そうとしたところで…… まさかの笹原隊長が甘酒を手に上がって来て中断する。
「差し入れですよー」
笹原がポットとカップを配っていると、そこに交代要員のアカリが上がってきて、暫し会話に花が咲く。共に上がって来たファーフナーは見張りに立った。元々、話に興味はないし、甘酒は彼が飲むには甘すぎる。
「この雰囲気、懐かしいわ。安らぎすら感じるほどに……」
夜の闇と寒さの中で── 甘酒にほんのり頬を赤く染めつつ、アカリは空を見上げて言った。
「私はね、ずっと戦場で兵士として育ってきたわぁ…… 私にとっては、父の仲間たちが家族で、拠点は家。……笹原隊長には分かるでしょ?」
分かるよ、分かる! と頷く笹原。同様に顔が赤い。甘酒なのに。
「でも、その家族を危険にさらさなければならないのが僕の立場だ。兄の様な理念も信念もない、ただ跡を継いだだけのこの僕が」
その資格が僕にあるのか。そう零す笹原に、アカリは、それでも皆は貴方についてきてくれるのでしょう? と微笑んだ。
「分かるわ。仲間が……家族が一人でも欠けてしまうのは、何度経験したって辛いわよね」
でもね、とアカリは続けた。家族の為に少しでも役に立てるのであれば、自分はどんな危険な任務だってする。そして、多分、それは小隊の兵たちも同じこと。
「……なんだか、らしくもなくセンチメンタルになっちゃったわね。この夜のせいかしら」
どう考えても甘酒の所為だろう、と真一は心の中でつっこんだ。藤堂は藤堂で弟の死がどうとかそちらから来てくれないと許す事もできないとか何かぶちぶち呟いてるし。
(夜のせい、か……)
ファーフナーもまた一人、夜の闇を見つめながら故郷のシカゴを思い出す。
風の冷たさと共に刻んだ記憶に、楽しいものなど一つもなかった。乾き切った、色のない、無機質な情景── ただ長く過ごしたというだけの街。追われて二度と踏むことなどないかの地の姿が、だが、なぜこうも今日は頭に浮かぶのか。故郷のそれとは似ても似つかぬ、このウェッティな雪のせいか……
と、そこへ、あまりにも唐突に銃声が一発、鳴り響き── 撃退士たちはハッとして夜の闇を窺った。
銃声は村のはずれから── すぐさま得物を手に飛び出す撃退士たち。ここ滑るから気をつけて、と言いかけて、ずべしゃあっ! と自ら盛大にスッ転んだアカリを見張りに残して先へ行く。
最初に到着したのは真一だった。一面、雪に覆われ何も見えない路上に向かって、「何があった!?」と声を掛け…… 途端、近場の雪がぼこりと立ち上がり、真一が思わず距離を取る。
「うーん…… やっぱり少し外れちゃうなー…… 寒いと銃身が収縮するんだっけ……」
それは昼間、歩哨に立った絢だった。
「今の今まで雪の中にいたのっ?!」
「うん、交代が来なかったから……」
いや、交代は来た。ただ、完璧に気配を消した絢に気づかなかっただけだ。
「完全に冷え切っているじゃない!」
夕姫が笹原からポットを受け取り、温かい甘酒を差し出した。絢はそれを受け取りほっこりしながら…… 見よう見まねだからうまくできない、もう少し勉強しなきゃだめかな、などと呟きつつ、その場で愛銃をバラしてメンテナンスを始めようとする。
「さっきの銃声は?」
「うん。なにかおっきなトンボみたいなのが飛んでいたから撃ったけど、外れちゃった。やっぱり練習あるのみかなっ!」
……顔を見合わせる撃退士たち。真一が藤堂と共に道の先へ走り出し、夕姫が渋い顔をして唸る。
「……盲点だったわ。まさかトンボ型がいたなんて」
絢だけがそれを見つけた。そして、飛んでいってしまった。
「どの程度の情報が洩れたのかわからないけど、こちらが動いたのはバレたと見るべきね。どう対処すべきか考えないと……」
●
翌日。早朝──
携帯の目覚ましが鳴る音で、絢は『自室』で目を覚ました。
眠気眼で首を振り、状況を確認する。半身に寝袋。膝の上には射撃の教本── 昨晩、寝る前に銃の勉強をしようとして、教本を開いた直後に爆睡してしまったらしい。
慌てて絢が飛び起きる。今は起床の時間。そして、出発の準備を始める時だ。
後方から来た部隊にここの残りの整備を任せ── 小隊と撃退士たちは今日も道を西へと先へ往く。
やることは昨日と一緒。一つ違う点があるとすれば、それは敵と遭遇する可能性が格段に高まったこと。とは言え、自分たちがやることは変わらない。陽花はそう頷いた。これからどうなっていくのかは、まったく分からないけれど……
「でも、あのおばさんとは一度、しっかり話をしたいよね。何か消極的な戦い方も気になるし」
にっこりと笑う陽花をギュッと抱き締め、撫でる縁。
出発の号令が、今日も山間に木霊した。