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絶対絶命だった。
サバクの全身を覆う包帯は、自身の血でべっとりと汚れている。体中を斬り裂かれ、多数の箇所から血液を噴き出していた。
蒼白な表情に覇気はなく、顔からは多量の汗が流れている。スキル攻撃を喰らい、朦朧の状態異常を付加されているのだ。
サバクは頭に靄がかかったような気分だった。思考がぼんやりとして、体に力が入らない。
その間にも、蟷螂娘たちの群れは包囲網を狭めていく。
前後左右を円状に囲まれ、最早、サバクに逃げ場はない。
(……俺は、ここで終わンのか。こんな雑魚共に……俺は負けるのかよ)
やっと見つけた大切なものを、守ることすら出来ずに。
サバクが絶望に沈みかけた、その瞬間だった。華蟷螂たちの後方で、突如として朱色の閃光が炸裂。雷鳴の如き轟音が響き渡った。
まっすぐと迸る鮮やかな赤い雷が、野良サーバントの群れの間を貫き爆ぜていく。
何が起きたのか、最初はサバクにも解らなかった。
予想外の攻撃を受けた華蟷螂がそれぞれ振り向き、雷撃が放たれた方に視線を向けた。
朦朧とする意識の中、サバクも緩慢な動作でそちらを見る。
深藍色の瞳と、目が合った。
藤色の髪をした女は優雅な微笑を浮かべたまま、口を開いた。
「おやおや、どうしたんだいサバク君? 不死王ともあろう者が、ずいぶんと押されているみたいじゃないか。その大仰な称号は飾りなのかい?」
いつものように、ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)が芝居がかった口調でサバクに語りかける。
それはサバクのよく知る、撃退士の姿だった。
「よぉロリコン、随分とみっともねぇ格好してんじゃねぇか?」
続けて、右目に眼帯をつけた碧眼の少女――宗方 露姫(
jb3641)が登場。男のように乱暴な言葉遣いで、サバクに声をかけた。
未だに状況を掴めないサバクが、やっとのことで声を絞り出す。
「……テメエら……どうして、ここに……」
「あぁ? んなもん決まってらぁ。ダチとダチのカレシを助けに来てやっただけだよ!」
思いがけない露姫の言葉に、サバクが目を見開く。
「よう、ダチ公。無事……じゃなさそうだな。お姫さんを助けるのに手を貸すぜ」
さらに現れた蒼銀の髪をした少年、蒼桐 遼布(
jb2501)はヴァニタスに向かってこう言った。
「お前の大事な人を助けるのを手伝うのに、理由なんていらねぇ」
「互いに利害は一致してるんだ……それに今は休戦中、だろ?」
遼布に次いで女顔の双剣士、志堂 龍実(
ja9408)がサバクに話しかけた。龍実はこれまでの経緯から、現在のサバクを敵としては見れない。建前上はサーバント討伐のためだが、本心ではそれ以上に二人を助けてやりたかった。
そんな心情を察するように、銀髪の少女が頷く。
「……ボクたちは、敵じゃないですの。だから……背中は任せて」
橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)も、現時点でサバクと無用な争いはするべきとは思わない。それに、個人的にだがミズカには幸せになって欲しかった。こんなところで、彼女を死なせたくはない。
撃退士たちの言葉に、サバクの表情に戸惑いと驚き、そして希望の色が浮かぶ。
(この前のこともあるし、手助けしない理由もないよね)
森林(
ja2378)は内心でそう呟き、長弓を召喚。少年が首にさげる勾玉が、光纏に呼応して朧な赤い光を放った。
弓矢を番いながら、森林がサバクに向かって叫ぶ。
「必ず、ミズカさんを助けましょう!」
かくて、撃退士と不死王の共闘が始まる。
●
蒼い影が疾る。
零の型で一気に加速したアスハ・A・R(
ja8432)は、サバクの死角である背面に瞬間移動していた。
不死王と背中合わせで並び立ち、光纏により完全な蒼髪へと変化したアスハが構える。直後、魔術師の正面、左右の三方向から放たれた少女たちの腕が閃いた。
無数に繰り出された華蟷螂の鎌を、アスハはどれも寸前で避ける。首を狙った横薙ぎの一撃は屈んでかわし、即座にバックステップで後方に跳んだ。鋭く伸びてきた蟷螂の腕の間合いから何とか逃れ、反撃に移ろうとかけて再び跳躍。誓いの闇で阻みつつ回避し、猛攻をやり過ごした。
そうしてアスハが引き付け、一箇所に密集させた敵をエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が見下ろす。光翼で上空を飛翔する黒衣の天使はにこにこ微笑みながら、爆撃の狙いを定めていた。
地上へと両手をかざしながら、エリーゼがつらつらと考える。
(運が良いのか悪いのか……サバクさんに出会えただけ、運が良い方でしょうか)
このタイミングで二人と出くわすのは予想外だった。対サーバント戦力が増えたというべきか、あるいはミズカを助け出す負担が増えたというべきか。
とりあえず、今のサバクを殺すつもりはない。ミズカが『生きて』そばにいる限りは、サバクも撃退士との休戦協定を守るだろうし。
「それじゃ、当たったら危ないので頑張って避けてくださいねー、サバクさんも?」
そう言ってエリーゼは掌に集束した魔力を解き放った。光の豪雨が猛烈な勢いで華蟷螂たちに降り注ぐ。
浴びれば即死する死の雨を、サーバントは予測回避能力を発揮して辛うじて避けた。エリーゼの狙い通りだった。
予見の発動にインターバルがあることは把握済み。あくまで本命は、仲間の攻撃だ。
「『彼女』には及ばんが……とくと味わえ」
包帯を巻いたアスハの左手から蒼い燐光が漏れる。魔術師の周囲に三日月の如き蒼い刃が一つ、二つと出現し、弾け飛んだ。
荒々しく舞う冥府の蒼月が、サーバントたちに炸裂し、そのうち一体の全身をばらばらに斬り刻む。まずは一体撃破。
CRを負に傾けた代償で華蟷螂の反撃が苛烈になるが、リスクは承知の上だ。頬や肩口に鎌を掠めながらも、不利を愉しむようにアスハは笑っていた。
他方、アトリアーナ。
両手にアウルを集中させた阿修羅の娘は、紅く輝く巨大な球体を創り上げていた。
紅空堕太。
アトリアーナが太陽のように輝くソレを発射し、友人であるアスハに群がる蟲たちへと撃ち込んだ。着弾と共に爆裂した球体が、範囲内の華蟷螂を次々と葬り去っていく。
無機質な瞳の少女型サーバントたちは怯まずに突撃。手近な前衛撃退士やサバクに猛進して襲いかかる。
森林は味方に向かう華蟷螂に矢を放ち、牽制。回避されるが、予見を使わせることに成功。
さらに流草を発動し、アウルの矢を沢山の笹の葉に変化。サバクに斬りかかる蟷螂娘の腕に当て、わずかに狙いを逸らさせた隙に不死王が離脱。ぎりぎりのところで死神の抱擁をかわす。
回避射撃でサバクを支援しつつ、森林は無粋な天の眷属共に告げた。
「人の幸せの邪魔は、野暮ってものだと思いますよ」
「まったく同感だな」
遼布が鋼糸を乱舞させ、サバクに近づく華蟷螂を追い払う。予見で見切られるが、立て続けに龍実が干将莫耶で斬り込み、連撃を浴びせていく。
袈裟懸けに斬られた血塗れの蟷螂娘はそれでも動きを止めず、サバクに襲いかかった。龍実は咄嗟に庇護の翼を展開し、不死王へのダメージを肩代わりする。
いくら不死身を気取ったサバクでも、これ以上の負傷は不味いだろうと龍実は感じていた。
不死王に群がる華蟷螂を朱雷で掃いながら、ハルルカが訊ねる。
「サバク君、血啜りはまだいけるかい?」
「……あァ。あと一発くらいなら、何とか撃てる」
「OK。そこの彼女、橋場君とタイミングを合わせて使うといい。私たちには当てないでおくれよ」
ハルルカの冗談交じりの助言を受け、サバクがアトリアーナに視線を向けた。ヴァニタスと目を合わせた銀髪少女は頷き、淡々と言った。
「……大きいの、いく。利用するなら利用して、ですの」
アトリアーナの瞳に宿る紅いアウルの輝きと、両拳に宿る黒いアウルの輝きが共鳴。紅と黒の波動が膨れ上がり、二重の波動となって、周囲のサーバントを豪快に薙ぎ払っていく。
紅黒攻撃が拡散する中、サバクも召喚した血色の刃を撒き散らし、華蟷螂たちを細切れに切断。紅刃で斬ったサーバントから生命力を吸い上げる。
さらに、生き残ったサーバントたちの間で色鮮やかな爆炎が炸裂。潜行していた露姫だ。サバクの道を抉じ開けるために放ったファイアワークスで、蟷螂娘たちを焼き払っていく。
露姫はサバクに近づくと、ダークフィリアを発動。影を集約したアウルの力で、ヴァニタスの傷ついた体に癒しを与える。
撃退士はすでに半数以上の華蟷螂を討伐し、サバクは窮地から脱したと言っていい。だが、問題はまだ残っている。
「おい、聞こえてっかミズカ! お前のダチがお節介掛けに来てやったぜ!!」
スライムに囚われた少女を振り向き、露姫は鼓舞するように大声を飛ばした。
まだ間に合うと、信じて。
「――不死王の伴侶になる女が簡単にくたばんじゃねぇぞ、良いな!?」
●
サーバントとの戦いが終盤戦に突入する中、アスハとアトリアーナは残った華蟷螂たちと対峙していた。
「……助ける邪魔はさせないのですの。相手は、こっち」
敵を引きつける役目を担った二人の前衛に、蟷螂娘たちが襲いかかる。アスハの背後から飛びかかろうとした華蟷螂の頭が、光の渦に呑み込まれて瞬く間に灼き尽くされた。エリーゼの光焔だ。上空から戦況を俯瞰する天使は、味方の死角を潰すように支援射撃に従事していた。
アスハと背中を合わせたアトリアーナの左右から、二体の華蟷螂が迫り来る。死神の抱擁を狙う一体目の攻撃を転がって何とか避けたアトリアーナだが、起き上がるより早く二体目が間合いを詰めてきた。回避が間に合わない。
ついに、アレを叫ぶ局面が訪れたのだ。
きりりっと真顔で、アトリアーナが言った。
\ 助けて、ハルルカシールド /
「はいはいお任せあれ」
アトリアーナの左側面に飄々と割り込んだハルルカが、傘を模した盾でサーバントの鎌を受け止める。強烈な魂刈りの一撃だったが、そこは流石のハルルカシールド。余裕で耐えた。
アスハを狙う華蟷螂には、森林が牽制の矢を仕掛け、エリーゼが黒雷槍で畳み掛けて爆砕。ごりごり削れて逝く敵の数をカウントしながら、森林は勝利を確信した。
最後の攻防を終えて、高火力三人娘――アトリアーナ、エリーゼ、露姫がそれぞれ範囲攻撃をブチ放し、残党の制圧に乗り出していく。
爆音が轟く中、ハルルカの呟きがやけに鮮明に響いた。
「本当に、久遠ヶ原の女性は怖いねえ。ふふふっ」
他方、対スライム。
ミズカを救うべく、サバクが怒号を上げてスライムに突撃していく。
共に救援に向かうのは、龍実と遼布だ。
一体の華蟷螂が不死王の突貫を阻み、迎撃の鎌を振るう。
龍実は防壁陣を展開して対応。ヴァニタスの受け防御をサポートしつつ、
「サバク、オマエが無茶してどうする! 助けたいなら冷静に行動しろ! 助けるんだろ、彼女を!」
龍実がサバクを諭す傍ら、遼布は武装をゾロアスターに切り替え、サバクと一緒になって突撃。華蟷螂に、掌底を叩き込む。
「邪魔だ」
蟷螂娘を弾き飛ばしながら、三人はスライムのもとまで到達。龍実がスライムの肉体を掻っ捌き、何とかミズカを取り出した。
「ミズカっ!」
解放されたミズカを、サバクが両腕でしっかりと抱きしめる。無事を確かめ、サバクは安堵のあまり膝から力が抜けそうになった。しかし、まだ気を緩めるわけにはいかない。
遼布が二人を護るように前に出る。スライムはまだ生きているのだ。龍実に斬り裂かれた箇所も、すでに再生しつつあった。まだ油断はできない。
とはいえ、いくらタフでも数の力には抗えない時もある。今回サバクがそうだったように。
ちょうどミズカが救助された五秒後、大半の華蟷螂を撃破した他のメンバーが対スライムに合流していた。
つまりはそこが、戦いの終わりだった。
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「……無事でよかったですの」
戦闘後。アトリアーナは、ミズカの頭をぽふぽふと撫でていた。ミズカは多少生命力を吸い取られていたものの、それほど大きなダメージはない。スライムから救出された後、森林の応急処置を受け、すぐに意識を取り戻した。
「気休め程度ですけどね……」
森林が謙遜しつつ、治癒葉でミズカ、サバクの傷を治療していく。その傍では露姫がリッチに哀悼の意を捧げていた。
(辛酸舐めさせられまくった相手には違いねぇが、ダチを守ってくれたことにゃ変わりねぇしな)
仮にリッチがいなければ、撃退士たちが到着する前に、二人のうちどちらかが死んでいた可能性は大いにある。そう考えると、撃退署での戦いでリッチが生き残ったのはむしろ幸運だった、のかもしれない。
「……今回はマジでヤバかった。だから……テメエらが来てくれて、助かった」
ミズカを守ると言った挙句、このざまだ。もしも撃退士が味方をしてくれなかったら、取り返しのつかない事態になっていただろうとサバクは思う。
「……本当に、助かった。その、なんつうか……あれだ。あ……あり……が……あー……」
ちゃんと礼を言いたかったが、上手く言えないサバクだった。
相変わらず不器用な奴だ、と龍実は苦笑しながら、サバクを窘めた。
「もう、絶対にこんなことになるんじゃないぞ」
撃退士たちとサバクのやりとりを眺めながら、エリーゼが胸の中で呟く。
(もしもミズカさんが死んじゃったら、サバクさんも一緒に殺してあげようと思ってたんですけどねー)
あの世で仲良くする方が、幸せでしょう? とあるヴァニタスを思い出しているのか、エリーゼはそんなことを考えていた。
「……しかし、この現状。奴らがほっとくとは思えないな」
遼布が思うのは、例の撃退士たちのことだ。この場は切り抜けたが、根本的な問題は何一つ解決していない。
「くそが……せっっかくお姫さんにもサバクにも、幸せが訪れようとしてたのに……」
「……幸せ、か」
呟き、アスハがミズカを見る。サバクに救われた少女、サバクの隣にしか居場所がない少女を。
彼女の抱える闇とも、いずれ向き合う必要があるのかもしれない。
「サバク君。キミは――キミたちは、これからどうするんだい?」
ヴァニタスとしての使命を捨て、ミズカと共に生きる。その困難さを、痛感したはずだ。
それでも尚、危険と隣合わせでも尚、ミズカと一緒に流浪の道を歩むのか。
それとも――。
「…………」
サバクは黙ったまま、何も答えなかった。
ただ、何かを考えている、あるいは悩んでいる様子だった。
もしくは、答えは出ているが、『ミズカの前では言えない』ということなのか。
重たい静寂が、深い澱のようにその場に溜まっていく。
けれど、決断の刻は間違いなく迫って来ていた。