●
色とりどりのブラジャーやショーツが陳列されている。
デパートに駆けつけた学園生たちがヴァニタスと遭遇したのは、女性向け下着売り場の一角だった。
恐らく、ミズカ用の下着を購入しようとしていた途中なのだろう。
フェミニンな白いブラジャーとキュートなチェック柄のブラジャーを両手に握ったまま、サバクは硬直していた。
「――選んであげないのかい?」
そんな、第一声。
ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は気軽な足取りでヴァニタスに近づくと、まるで友人に挨拶するように話しかけた。
「やあ、こんにちはサバク君。あの不死王が女の子を連れて買い物だなんて、随分と丸くなったものだね?」
「……けっ。よりによってテメエが来やがるとはな。こんな場所までわざわざご苦労なこった、くそったれが」
ハルルカの接近でようやく我に返ったのか、サバクがWブラジャーを投げ捨てる。代わりに、隣にいたワンピース姿の少女――ミズカを庇うように前に出ながら、サングラス越しにハルルカを睨みつけた。
ヴァニタスの全身から、ぴりっとした殺気が迸る。
一触即発の空気。
だが、ハルルカは涼しい顔でサバクの威圧を受け流した。
「おやおや、そんな怖い顔をしないでおくれ。別にキミたちのデートを壊しにきた訳じゃないんだから」
「……なんだと?」
「おーおー、なんか面白いことやってるじゃないか」
ハルルカの後方から聞き慣れた声が聴こえ、サバクがそちらに視線を向ける。
蒼桐 遼布(
jb2501)は隠れる気などないのか、「よぅ。元気してたか、サバク」と普通にヴァニタスへと歩み寄っていた。
「……龍野郎まで来てやがったのか」
「蒼桐遼布だ。そういえば、ちゃんと名乗るのは初めてだったか?」
と、遼布がサバクと話している傍ら。
床に落ちたブラジャーを拾う、小さな手があった。
前髪に青のメッシュを入れた娘が、さきほどまで両手ブラ装備だった男に冷ややかな視線を向ける。
「へー……テメェそーいう下着が好きなわけ? ってーか表出てろ表! ミズカといちゃつきてぇのは分かるが、悪目立ちし過ぎだっての!」
ついて来い、と宗方 露姫(
jb3641)がサバクの手を掴んで引っ張っていく。
衝撃の遭遇から数分後。
場所を屋上に移して、撃退士とヴァニタスは改めて対峙していた。
「……テメエら、一体どういうつもりだ。どうして襲ってこねェ。あと何だその生ぬるい目は」
警戒心を剥き出しにした、サバクの疑問。
それに答えたのは志堂 龍実(
ja9408)だった。
「ここを戦場にする訳にはいかないからな。オマエと本格的に戦うことになれば、ここにいる人たちにも被害が及ぶ可能性が大きい。そんな事態になることは極力避けたい」
それに、と龍実が続ける。
「オマエだって、ここでの戦闘を望んではいないんだろう? もしも戦う気なら、ミズカを連れてくる訳がないしな。本当にただデートをしているだけだというのならば、自分たちとしても無理に戦うつもりはないさ」
それは龍実だけではなく、参加者全員の総意だった。撃退士の側に、戦意を見せる者は一人もいなかった。
「まぁ、オマエの用事が終わるまでは監視させて貰うが……こちらから仕掛ける気は無い。勿論、ミズカにも手は出さない。どうだ、ここは一時休戦といかないか?」
「…………」
あくまで警戒を解かないまま、サバクが龍実たちをじっと睨む。撃退士の本心を探るように。
やがて、撃退士たちに本当に戦う意思が無いと判断したのか、サバクは口を開いた。
「けっ、勝手にしろ。その代わり、少しでもミズカに妙な真似しやがったらブッ殺すぞ」
「……ん、わかりましたの。被害が出ないのが一番ですの」
こくん、と橋場 アトリアーナ(
ja1403)が小さく頷く。彼女も一時休戦には賛成だった。休戦を証明するように、武装は完全に解除されている。
穏便に事を済ませたい、という計算は勿論あった。でもそれ以上に、普通に買い物をしている二人を彼女は見てしまっている。
戦意など、湧くはずもない。
「馬に蹴られる趣味はないので、ね。むしろ、こちらこそ喜んで護衛させてもらおう、か」
アスハ・ロットハール(
ja8432)が友好的な笑みを浮かべる。女ひとりの為に敵陣に乗り込めるこの男を、アスハを嫌いでは無かった。
いまだ警戒した様子を見せるミズカにも、アスハは笑顔のままで近づいた。
「……安心しろ。嫌がるレディを無理に連れ戻す気はない。少なくとも僕は、キミの味方、だ」
そう言って、アスハが雑誌を差し出す。
マタニティ雑誌だった。
ミズカの顔が一瞬で茹蛸みたいに赤くなる。同時にサバクが物凄い勢いで手刀を放って雑誌を叩き落した。
「ぶっ殺すぞ赤毛!」
「安心しろ。サバクの分もちゃんと用意しておいた、ぞ」
そう言って、アスハが再び雑誌を差し出す。
結婚情報誌だった。
咆哮と共に雑誌を破り捨てるサバク。その肩に、ぽん、と白い手が置かれる。
ハルルカだった。
「で。ミズカ君の下着、選んであげないのかい?」
サバクの悪夢は、そんな感じで始まった。
●
「ほらミズカ君、気になるものをいくつか持っておいで。サバク君が選んでくれるそうだよ」
再び下着売り場。
ハルルカの隣には、露骨に不機嫌そうな顔をしたサバクの姿があった。
ミズカが戸惑いながらも、チョイスした下着――さきほどの白とチェック柄の二枚を、サバクに提示する。
男はしばらく無言で黙っていたが、やがて諦めたように白いほうを指さした。すかさずハルルカが追及していく。
「ほう、サバク君はそちらが好きなんだね。どうして白なんだい? 決め手は何かな? ミズカ君が穿いているところでも想像してみたのかい? そこのところ是非詳しく聞かせて欲しいのだけれど」
「ンなもん言えるか!」
露姫がにやにやと笑ってサバクを眺める。ヴァニタスは舌打ちすると下着から視線を逸らした。早く買い物を済ませてこいつらから離れたい、と思っているのが丸わかりだった。無論、ハルルカは獲物を逃がさない。
「ふむ。サバク君は何も買わないのかい?」
「……だったら何だよ」
「正直スーツ似合わないし、服でも買ってみたらどうかな。何なら私も手伝うよ――というか今、無性にサバク君を着せ替え人形にして遊びたいんだ。さあ、私に遊ばさせておくれ」
「絶対に嫌だ」
本気で抵抗するサバク。
しかしその傍らで、露姫がミズカの肩に腕を回し、ひそひそと、しかしサバクに聞こえる程度の声量でこんな話をしていた。
「なぁミズカ、お前ぶっちゃけサバクの格好どう思うよ? 暑苦しくね?」
「えっ? えっと……その、正直……ちょっと」
思わぬカミングアウトに、サバクが砲弾を直撃したような顔になる。
「さっきも言ったろ? お前とリッチは目立ち過ぎなんだよ」
そう言って露姫が、周辺警護を務めているアトリ、アスハのほうに視線を向ける。二人は、サバクらを不審がる一般客にも対応していた。
「……久遠ヶ原学園ですの。これは社会見学なので、危険はありませんの」
学生証を提示するアトリアーナ。アスハも騒ぎを鎮めるべく、作り笑いを浮かべて説明を繰り返している。それもこれも、サバクが無駄に目立っているせいである。
「そ、そんなに変か……?」
「……せめてもう少しマシな変装にしておくべきだったな……たとえば、ミズカに合わせるとか」
龍実が本気で同情しているような声で、ガチへこみしているサバクの肩を叩く。本人はこれで周囲に溶け込んでいると思っていたらしい。
とどめを刺すべく、ハルルカがミズカの耳元で何事かを囁いた。
ミズカは赤面して戸惑いの声をあげたが、最終的にはハルルカの説得に折れ、言われたとおりに実践することを決断。サバクのほうを向き、恥ずかしそうな声音で台詞を読み上げていく。
「……えっ、と。今のままのあなたも……その、す、好きだけど。なんていうか……もっと格好良くなってくれたら、嬉しいかな、って……」
瞳を潤ませたミズカが、唇にひとさし指を当て、上目遣いでサバクを見上げる。
そして、ちょこんと首を傾げて一言。
「だめ?」
「……っ」
ミズカにお願いされて、サバクが無視できる訳がない。
彼女を味方につけられた時点で、サバクの敗北は確定していた。
露姫とハルルカが、笑みを浮かべてサバクに近づく。
サバクの悪夢はまだまだ終わらない。
●
「よし。これでちったぁマシになったな」
「うんうん、中々に素敵だね。どうだい、ミズカ君」
「い、良いんじゃないかな……? さっきより似合ってると思う……」
試着室から出てきた男を、女三人はそう評した。
カジュアルな装いをした青年ヴァニタスは、もはやどこからどう見ても普通の若者だった。
「やっと解放されンのか……」
げっそりとした顔でサバクが項垂れる。ハルルカに好き放題に弄り回された不死王(笑)は、露姫の手によってデートに相応しいコーディネートに仕立て上げられていた。
「お客様お客様。これなんかもどうですか?」
明るい声と共に、サバクの眼前に何かが差し出される。
それは所謂、紐パンと呼ばれる代物だった。
「……は?」
「サバクさん絶対似合うと思うんですよ! 是非! 穿いてみてください!!」
ひーもーぱーん! ひーもーぱーん! と店員に扮した(扮せてない)残念な美少女が叫ぶ。はぁはぁと息が荒い。
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)はサバクに女性用下着を売りつけながら、妄想を炸裂させていた。
「サバクさんって普段包帯じゃないですか。つまり下も包帯で巻いているはず。常時紐パン状態というなんとも変態チックなファッションなのかもしれないと思うと……うへへへへへへへ」
「よだれ垂れてンぞ」
「はっ!? いえ、淑女の私はそんな妄想してません。してませんよ……あ、ところでいつも巻いてる包帯って、ちゃんと洗ってるんですか? 私気になります!」
「…………」
暴走するエリーゼの妄想に、ちょっと退くサバク。本能的に身の危険を感じているのかもしれなかった。
しかしエリーゼの毒牙が及ぶのは、サバクだけにとどまらない。
「そういえば、そろそろ夏ですねミズカさん!」
「えっ? う、うん……?」
「夏といえば海、海といえば水着。というわけで、新しい水着をここで買っちゃいましょう――私も一緒に選んであげます!!」
そんなこんなで、エリーゼとミズカが水着選びに旅立ったのだが。
「えっ、ちょっ、ひゃあっ!? どこ触って……」
「未成熟な少女の肉体……これはこれで……ごくり」
「ミズカにナニしてやがンだテメエ!」
「あ、採寸ですよ採寸。服を選ぶための。決してセクハラなんかじゃないので安心してください……え、ビキニ? ビキニの方が良いんですかミズカさん!?」
「そ、そんなこと一言も言ってないよ……!」
ミズカとサバクは、完全にエリーゼのペースに翻弄されていた。
それでも買い物自体はつつがなく進行していき、最終的に水着を二点購入。
一点は白のビキニ。『サバクさんを落とすために、大胆にいきましょう!』というエリーゼの助言もあり、本当に買うことになった。
そしてもう一点は、紺のスクール水着。『サバクさんはスク水のほうが興奮すると思いますよ!!』とエリーゼが断言した、かは定かではないが、こちらもやはりエリーゼお勧めの品だった。
「ちょっと恥ずかしいけど……これでサバクが喜んでくれるなら」
「喜ばねェよ!」
「さて。水着は決まりましたし、今度は夏服選びに行きましょうか、ミズカさん」
「……って、オイ待て。テメエ何ちゃっかりミズカの手ェ握ってンだ堕天使!」
ミズカを引っぱっていくエリーゼを、サバクが追いかけようとして――止められた。がしっ、と両方の腕をハルルカと露姫にロックされる。
「クソっ、はなせテメエら!」
「生憎、私たちはまだサバク君で遊び足りなくてね。もう少し付き合って貰うよ」
「心配すんなよ。ミズカはエリーゼに任せておけって。アイツもミズカに手出しするつもりがないのは見りゃわかんだろ?」
「別の意味で手ェ出す気満々だろうが! 不安しかねェよ!!」
女撃退士二人に掴まれたまま、取り乱す不死王。極悪ヴァニタスの威厳は微塵もなかった。
「ッ……オイ、そこの銀髪と赤毛! テメエら、アイツの護衛するとか言ってたな! あの堕天使を何とかしろ!」
サバクは周辺警護を申し出たアトリとアスハに救いを求めたが、二人とも不動だった。
アトリアーナは笑いを堪えたような表情を浮かべている。内心では、サバクの焦る様子を楽しんでいるようだった。
「……ん、ボクの仕事は周辺警護ですの(止めるとは言っていない)」
アスハもあっさりと拒否した。
「さっきも言ったようにデートの邪魔をするつもりは無い、が……ミズカのほうは満更でもなさそうだ、ぞ?」
「あァ?」
指摘を受け、サバクがミズカに視線を向ける。
少女はエリーゼと共に、楽しげに談笑しながら買い物に興じていた。
撃退士たちが皆気さくに話しかけていたからなのか、事実ミズカは撃退士への警戒をだいぶ解いている。若干戸惑っているようだったが、少なくとも嫌がっている素振りはない。
ミズカが自分以外の相手に、心を開きかけている。
それを見てサバクは多少なりとも安堵したが――それはそれで気に入らなかった。
舌打ちする男の耳元で、ハルルカと露姫が愉しげに囁く。
「ふふっ、嫉妬してるのかい?」
「意外とお子様だよなー、サバクって。独占欲強すぎじゃね?」
「……うるせェ。服弄りがしてェんなら、さっさと終わらせやがれ」
サバクが不機嫌そうに呟き、そっぽを向く。
そうして、女たちに好き放題に弄られる時間が再び続くのだった。
●
買い物を終えた一同が次に向かったのは、五階のレストラン街だった。
「うまいか?」
「う、うん……」
「そうか。どんどん食え」
「そ、そんなにじろじろ見られたら、恥ずかしくて食べられないよ……」
ハンバーグセットを食べるミズカの様子を、対面の席に座って見つめるサバク。二人のテーブルにはリッチ(露姫コーデ済み)や撃退士たちも同席していた。
「あんまり邪魔はしないようにしますね」
森林(
ja2378)が控えめに言いいつつ、二人を観察する。自身が恋愛に疎いため、他の仲間と違ってあまりサバクをからかう気は起きなかった。
「そう言えば、人のデートとか見るのこれが初めてかも……?」
世間一般のデートとは違うだろうし、そもそも片方は人外だけれど。意識すると何だかそわそわしてしまう。森林の胸中を知る由もないサバクは、ミズカの口元に付着したソースを拭ってやっていた。これは『はい、あーん』という例のアレが起きてもおかしくないな、と思う森林だった。
ハルルカもそれを期待していたのだが、結局それ以上のイベントは起きずに食事はデザートまで進んでいった。折角のデートたというのに、何を恥ずかしがっているんだか、と思わなくもない。
「しかし、あの暴れん坊が随分と丸くなったもんだなぁ、オイ。これが愛の成せる技ってやつかねぇ……」
食後の茶を啜りながら、しみじみと言う露姫。サバクは買い物中に散々茶化されていたが、約束通り撃退士に危害を加えることは無かった。相当我慢しているに違いない。
「ミズカいなかったら、テメエら全員ぶっ殺してるけどな」
テーブルに肘をつけたサバクが、無愛想に答える。あくまで撃退士と馴れ合う気はないらしい。
「これからも人を……殺し続けるのか?」
探るように問いかけたのは龍実だ。折角のサバクと会話するチャンスを無駄にはできない。敵であるこの男とちゃんと話せる機会など滅多にないのだから。休戦を申し出たのもそのためだった。
龍実の問いに、サバクが唇の端を吊り上げる。
「当たり前だろうが。俺はヴァニタスだぞ。今回は仕方ねェから引いてやってるだけだ」
「……そうか。そう、だよな……」
一緒に買い物をしたり食事をしている、今の状況が異常なのだ。本来、撃退士とヴァニタスは敵同士。分かり切っていた答えとはいえ、落胆は避けられなかった。
――また、サバクと戦うのか。
(それは、嫌だな……)
内心の迷いを誤魔化すように、龍実が話題を変えていく。
次に訊ねたのは、サバクの人間時代についての話だった。
前回、サバクはミズカと『同じ』と言った。ならば、サバクも昔は彼女のような境遇だったのではないか?
お前には分からない、と言われたが、それでもサバクのことを知りたかった。
「別に、今と大して変わらねェよ。喧嘩漬けの毎日だったな。むかつく奴は片っ端からぶっ飛ばしてた」
「……不良だったのか?」
「まァ、そんな感じだ。どこにでもいるような、ありふれた屑だった」
(ふむ……境遇が似ているミズカに同情した、という訳ではないのか……?)
龍実が頭の中で推論を組み立てていく。確証はないが、もう少しで核心に迫れる感じはあった。しかしそれ以上のことをサバクは語ろうとはしなかった。
(サバクがなぜお姫さんを保護したのか、か……)
遼布にとっても、それは引っかかっていた部分だった。そもそも、ヴァニタスが人間を連れて行動すること自体あまり聞かない話だ。その背景に何があるのか興味はある。だが、聞き出そうとは思わなかった。
(だって、野暮だろ)
きっかけが何であれ、この二人が互いに特別な感情を抱いているのは明らかだ。今日ずっと一緒にいて、改めてそれがわかった。ならばそれで充分だろう。
「よし。用事はもう済んだし、帰るぞミズカ」
「何だよ、もう行っちゃうのか?」
サバクが立ち上がろうとしたのを、遼布が制止する。
「これ以上、テメエらと一緒にいる理由がねェ」
「……そうかい。俺としてはもっとお前と仲良くしたいんだけどね――まぁいいや。デートの邪魔しちまったし、ここの飯代は俺たちが持つよ。迷惑料がわりだ」
「ケッ、誰がテメエらの世話になるかよ」
毒づき、ぱんぱんに膨らんだ財布を取り出すサバク。『上司』から活動資金として与えられているのか、あるいはこれまで殺してきた相手から奪ったのか。ともあれ、懐には余裕があるらしい。
サバクがそのままレジカウンターに向かおうとした時だった。
それまでモンブランを食べていたアトリアーナが不意にミズカのそばへと近寄り、耳元でごにょごにょと何事かを囁いた。
既視感のある光景。
戸惑うミズカに、今度はアスハが接近。アトリアーナと同じように耳打ちし、無垢な少女を唆していく。
相談はさくっとまとまった。
アトリアーナが親指をぐっと立て、ミズカを鼓舞する。
やがて決心したミズカが頷くと、サバクのもとへと駆け寄っていった。
「え、えっと……お願いがあるんだけど……」
かくして、不死王の休日は終わりへと近づいていく。
●
仏頂面の若い男と、照れ笑いを浮かべた清楚な少女が、一緒に並んで映っている。
そのプリントシールには、ファンシーなフォントで『初デート!』という文字が描かれていた。
「えへへ……」
刷られたばかりの写真シールを大事そうに両手で持ちながら、ミズカが表情を緩ませる。初デート記念。いざ文字に起こしてみると、何だかくすぐったい。
この手の写真を撮るのは、サバクも初めての経験だった。アトリアーナとアスハの助言がなければ、恐らく撮ることはなかっただろう。
一同は食事の後、デパート周辺にあるゲームセンターへと立ち寄っていた。
あの後、デートの記念に写真を撮ろう、とミズカが提案したのだ。無論サバクは猛反発した(サバクにとってここは敵地である)が、ハルルカに教わった上目遣いでミズカがお願いしたら、一発だった。ちょろすぎる不死王。当然めちゃくちゃ茶化された(主に女性陣から)。
そして何枚かプリントシールを撮った後。
ミズカは、化粧室の前で露姫と二人きりになっていた。
「悪ぃな、呼び出しちまって。どうしてもお前に言っておきたいことがあってさ」
そう前置きして、露姫は切り出した。
「俺さ、彼奴のこと諦めてねぇから」
露姫が打ち明けたのは、サバクへの想いだった。
それは浮ついたものではなく、『撃退士』としてのもので。
「彼奴がお前のために、お前があいつのために生きようとしてることは受け入れるよ。尊重もする。でも――彼奴がまだ誰かを殺し始めたら、そうも言ってられなくなる。彼奴と戦うチャンスが、転がって来ちまう」
再びサバクとの戦いが始まれば、その先に待っているのは、真っ赤で真っ黒な未来。
きっとその未来には、サバクにとってもミズカにとっても――恐らく露姫にとっても、ろくでもない結末が用意されているのだろう。
だけど、もしもその未来を、変えられるとしたら。
不死王と殺し合う運命を、変えることができるとしたら。
「……なぁミズカ。今度はお前が、彼奴を俺らから守ってくれねぇか?」
一方その頃。
ミズカを待つサバクは、森林やハルルカと一緒にいた。
「せっかくだし、ミズカさんにこっそりプレゼントでも買ってあげたらどうですか?」
「……やっぱ、テメエもそう思うか」
森林の提案に、サバクがどこか苦い表情を浮かべる。実は最初からアクセサリの一つでも買ってやる予定だったが、何を贈れば良いのかと迷っている間に撃退士と遭遇し、結局ここまで来てしまったのだという。
そんな甲斐性のないヴァニタスに、森林がそっと助言を添える。
「さっき、あれを欲しそうに見てましたよ」
そう言って森林が指さしたのは、クレーンゲーム機。サバクもそちらに視線を向けて納得した。筐体の中には、デフォルメされた白い猫のようなぬいぐるみが沢山入っている。いかにも子供が好きそうな、可愛らしいデザインだった。
そうして、不死王がクレーンゲームに挑戦。一発で獲るつもりだったが、用意した軍資金は瞬く間にゲーム機へと呑まれてゆき、ようやく一匹目のぬいぐるみを救出できた頃には、あれだけ膨らんでいた財布がぺらぺらになっていた。見た目どおりというべきか、器用さに欠ける男である。加えて、ぬいぐるみを持った姿が致命的なまでに似合っていない。
お姫様の為に頑張る不死王のその格好悪さを、不恰好さを、ハルルカは愉しく思う。好ましく思う。
「ねえサバク君」
だからハルルカは、真剣な声で不死王に話しかけた。
ミズカはまだ戻ってこない。
彼女がいない間に、彼に聞いておきたいことがある。
きっと、とても大事なことだから。
「……ンだよ」
「キミとミズカ君は同じだと、そう言ったね。あの娘も以前まったく同じことを言っていたらしい」
「…………」
「――キミは彼女に、ずっと自分と同じでいて欲しいと。そう、思うかい?」
●
一同がゲームセンターを出る頃には、すでに空は赤く染まっていた。
互いに攻撃を仕掛けることはなく、平穏無事に全てが終わろうとしてしている。
だけどそれは、今日だけの話。
「……これから、どうしたいと思ってるのですの?」
今後どうするのか、とアトリアーナがミズカに訊ねる。真剣な表情だった。
「……撃退士じゃなくてボク個人としては幸せに過ごして欲しいと思ってるの」
敵同士だとしても、放っておけない。
ミズカは昔の自分に、少しだけ似ている。
かつてアトリアーナは、興味が無いこと対しては無関心だった。けれど義姉妹達との出逢いを経て、感情を表に出せるようになった。
「……できた大切な人、失うのはとても……つらいから」
目の前で殺された義妹を思い出し、腕に巻いたリボンに視線を落とす。彼女の形見だ。
これからもサバクが敵として立ちはだかるのならば、撃退士はサバクを討たなければならない。
そうなれば、彼女はきっと、つらい思いをする。自分と同じように。
この弱く儚い少女は、その痛みに耐えられるのだろうか――?
「……ミズカをどうするつもり、だ?」
アトリとは逆に、アスハはサバクに対して問いかけていた。
無能力者の彼女を連れて行動するのは、厳しいものがあるだろう。ヴァニタス化は必須と思われたが、サバクは答えない。何かできない事情でもあるのだろうか?
「……眷属にするにしろしないにしろ、その腕の中で保ちたいのなら、使える物は何でも使っておけ……例え、敵だろうと、な」
もし仮に、ミズカがサバクを喪えば、彼女は壊れてしまうだろう。
そしてサバクも、ミズカを喪えば恐らく――。
最悪の事態を想定しているのか、アスハは二人に連絡先を渡した。サバクが何気に携帯端末を持っていることに驚いたが、ともあれ、これで非常時にも連絡はつくだろう。サバクが撃退士を頼ってくれれば、だが。
「俺からも伝えとくことがある。サバク、ちょっと耳貸せ」
遼布がサバクに近づき、そっと耳元で告げる。
「お前とお姫さんを狙ってるフリーの撃退士たちがいる。そいつら、ちぃっとばかし思いつめちまっててな。今日みたいな街中でも襲ってくるかもしれん――気をつけろよ」
遼布のリークはサバクにとって衝撃だったが、ある程度は予想していたことだ。だからむしろ驚いたのは、『それ』を遼布が隠さずに教えたことだった。
「……テメエら、マジでどういうつもりだ?」
遼布だけではない。敵である自分に連絡先を渡してきたアスハを含め、好意的に接してきた撃退士たち全員に対して、サバクは疑念を持っていた。
なぜ、敵である自分に、ここまでする?
遼布は当たり前のように言った。
「前も言ったろ。『お姫さんとお幸せに』って。多分、ここにいる奴は皆そう思ってるぜ」
少なくとも遼布は、サバクに悪い感情は無い。友人にでもなれたら面白いだろうな、とさえ思う。
「…………っ」
撃退士たちの言葉が、サバクの脳裡を駆け巡る。同時に、胸の中にあった疑問が氷解していくのを感じた。
ずっと、撃退士たちから感じていたものの正体。
それは『祝福』だ。
この場にいる撃退士の多くは、本当にサバクとミズカの幸せを願っているのだ。
二人が幸せで在れるように、と。
「なぁサバク。この休戦協定、もう少しだけ続けないか? 俺たちは一般人に手を出されると困るし、お前だってお姫さんを危ない目に遭わせたくなんてないはずだろ?」
この場凌ぎの休戦で、終わらせたくはなかった。
それは、ミズカも同じだった。
「ね、サバク。信じてみても、良いんじゃないかな? 私はこの人たち……嫌いじゃないよ」
そう言って、ミズカが露姫を見る。
「…………わかった」
サバクはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
撃退士と馴れ合う気など砂粒ほどもない。まして撃退士は殺すべき相手であり、信用するつもりなど全くなかった。
だけど、その思いは今、揺らいでいた。
こんなのは、ただの口約束に過ぎない。いつでも破れる、都合の良い嘘。そう、自分に言い聞かせて。
ミズカとずっと一緒に居たいのは、どうしようもなく真実だったから。
サバクは、言った。
「――ミズカが無事な限り、俺のほうから人間共に手は出さねェ。……これで良いかよ」
「それが、キミの答えかい?」
ハルルカの言葉に、サバクは拗ねたような顔で返した。
「……だったら文句あっかよ」
「まさか。喜んで応じさせて貰うよ――ああ、そうだ」
「何だよ?」
「結婚式には呼んで貰えると、もっと嬉しいかな」
「……やっぱテメエは殺す!」
「お、落ち着いてサバクっ」
●
「今度こそお別れだな……ちゃんとミズカを護ってやれよ」
笑みを浮かべた龍実が、サバクに別れの挨拶を告げる。戦わずに済みそうだからか、安堵したような優しい笑顔だった。
その傍らでは、エリーゼがミズカを抱きしめていた。それはハグってレベルじゃあなかった。
ぎゅううう、と少女の頭を胸に押し付けながら、堕天使が別れを惜しむように言う。
「エ、エリーゼさん、くるしい……!」
「次はもっと遊びましょうね、ミズカさん。お姉さん色々はりきっちゃいますよ!」
「べたべたくっつくんじゃねェ、堕天使。さっさと離れろ。コイツに触っていいのは俺だけだ」
ミズカからエリーゼを無理やり引き剥がして、鬼の形相で睨むサバク。
それをジト目で見るのは露姫だ。
「なんつうかさ、お前ホントにミズカ大好きなんだな」
「うるせえ。引ん剥くぞテメエ」
「おっ、なんだよ。俺のカラダが気になるのか? やっぱサバクはロリが好きなんだなー……って誰が幼児体型だゴルァ!」
「言ってねェよボケ。つーか俺はロリコンじゃねェェェッ!」
露姫とサバクがぎゃーぎゃーと言い合う様子を、森林が苦笑しつつ眺める。
「……戦わないでいられるなら、それがいいのかもですね」
騒がしいながらも、平和な一日だった。このまま休戦が続くのであれば、サバクや撃退士が一緒になってプリを撮れる日も、もしかしたら訪れるのかもしれない。
それとも、そんなのは所詮夢物語なのだろうか。
サバクが去った後、学園生たちの前に数人の男がやってきた。件のフリー撃退士たちである。
目を血走らせた彼らの一人は、いきなり遼布に掴みかかった。
「あのヴァニタスを見逃しただと!? ふざけるなっ!!」
彼らはやはり、是が非でもサバクを殺す気だったのだろう。自分たちなら、たとえ民間人を犠牲にしてでもサバクを討っていた、と学園生たちに怒鳴り散らした。
が、これには学園生も黙っていられない。遼布は胸倉を掴んでいた男の手を振り払うと、啖呵を切った。
「――お前らがやろうとしていることは身勝手だ! それはお前らが普段倒している敵と何ら変わらないってことくらい気づけよ!!」
戦いに関係ない人まで巻き込むな。
遼布に一括され、男たちが言葉に詰まる。倫理に反した行いであると、自覚はあるようだった。
しかし、その瞳に宿る復讐の焔は、消えてはいない。
夕焼けの空は流血を予感させるように、不吉な赤に染まっていた。