●
ゲート最深部。
遂にここまで辿り着いた撃退士たちは、待ち構えていた冥魔たちと対峙していた。
「さて、戦いを終わらせに来ましたよー?」
櫟 諏訪(
ja1215)が緑色の光を纏いながら、阻霊符を起動。限定空間内における天魔の物質透過能力を無効化していく。
続いて諏訪はスナイパーライフルXG1を召喚し、前方の敵に銃口を向けた。
狙撃銃の先には、漆黒色の髪をした少年たちの姿。少年を模した人形型ディアボロ、キラードール・クラウドだ。先の戦いで交戦したスノウの同種。さらに戦いの記録を遡れば、レインの支配領域でも同系統の個体が確認されている。
ドールシリーズは耐久力が突出しており、それはクラウドも例外ではない。しかも固有能力として、拘束の魔術を扱う。この戦場においては、実に厄介な相手だった。
最悪、ワンターンキルすらあり得る状況。だが、怖気づいてなどいられない。立ち止まっている時間は、もう残されていないのだ。
「此処に到るまでに、多くの者が死力を尽くし、道を切り開いてきました。吸魂を阻止するために、何としてもコアを破壊しなくてはいけませんね」
ユウ(
jb5639)が決意と共に、飛行能力を解放。不可視化していた悪魔の羽を背中に顕現させ、空中へと飛翔する。
絶対に負けられない。幾百幾千の人間の命運が、この場にいる撃退士の手に委ねられているのだから。
「ようやくここまで追い込んださね。これでチェックを掛けるとするよ」
アサニエル(
jb5431)がそう言って、人形たちの奥にいるディアナに視線を向ける。
蒼髪の女悪魔は傷だらけだった。先程のダメージが、まだ完全には回復していないのだろう。しかしディアナの背から生えた蒼い偽翼には、微弱ながら回復効果がある。女王の全身は今も蒼い光に包まれており、傷口がじわじわと塞がっていた。
「会いに来たよ、レイン」
矢野 胡桃(
ja2617)が八咫鏡の銘を冠するPDWを構えながら、敵陣の最奥を見つめる。
ゲートコアの前に、レインはいた。核たる結晶を守るように、全身に包帯を巻いた蒼髪の少女が立っている。顔色は悪く、すでに辛そうだ。負傷度はディアナよりも深刻なのが窺えた。
「……戦う前に、一つ訊かせろ、クイーン。守りたいのはコアか、それともレイン、か?」
ふと、アスハ・ロットハール(
ja8432)がディアナに問いかけた。女王の答えに、一縷の望みを賭けて。
「レインのことが大事ならば、ゲートを棄てて今すぐ退け。今なら、まだ間に合う」
アスハが本当に倒したいのは、虐殺の女王たる本来の彼女たちだ。重傷を負ったディアナに、重体のレイン。弱った今の二人と戦うのは、本意ではなかった。
こんな結末など、望んでいない。
けれど、その願いは他ならぬディアナによって砕かれた。
「……ふん。くだらないわね」
強大で怯懦な女悪魔は吐き捨てるように言って、美しい手を前に出した。
膨大な蒼い光が、ディアナの掌から噴き上がる。
「コアも、レインも、貴方たち如きには指一本触れさせない。ゲートは破壊させないし、レインも殺させない。貴方たち虫ケラが何を企んでいようと――その思惑ごと、全員まとめて消してあげるわ」
ディアナが蒼滅砲を撃つ構えを見せ、呼応するようにクラウドたちが突進。拘束魔法で蒼滅砲を補助すべく、漆黒の人形兵隊たちが剣を振り上げ撃退士に襲いかかっていく。
蒼滅砲の威力は、先の戦いで猛威を振るった蒼雷鞭の二倍以上だと言われている。直撃すれば、戦闘不能は必至だ。動きを縛る術を持つクラウドは厄介極まりない。
「あなたたちは邪魔です。すぐに蹴散らしてあげますね」
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)がにっこりと微笑み、掌を人形たちに向ける。黒衣の天使の小さな手からは、煌々とした光が溢れていた。
エリーゼの掌から強烈な光の雨が放たれる。降り注いだ光雨が、三体のクラウドに命中。頑丈なはずの人形たちの体に、次々と無数の微細な穴が穿たれていく。
「……っ! あの技は……あたしの……」
ゲート前にいたレインが気付いて、泣きそうな顔になる。驚いたが、それ以上に嬉しかった。
エリーゼの光雨――ジャッジメント・レインは、対冥界戦においてはレインのそれをも上回る破壊力を誇る。だが、裁きの雨を浴びたクラウドの負傷率は約五割。流石にしぶとい。一撃でそこまで削るエリーゼも流石だった。
「思っていた以上に丈夫ですねー……でも、これならどうですかー?」
諏訪が一体のクラウドに狙いを絞り、連続で発砲。四発中二発が、クラウドの両肩関節に一発ずつ命中。倒せずとも、無力化することはできる。関節部を撃ち砕かれ、人形の両腕が音を立てて地面に落ちていく。
「あんたらディアボロに手間取ってる場合じゃなくてね。足止めされる前に、先手を打たせて貰うよ」
鮮やかな赤髪を靡かせ、アサニエルが一気に前陣へと踏み込んだ。同時に地面に魔法陣を展開。
シールドーンで二体のクラウドに封印を施しながら、アスハを振り向く。
「戦うしかないよ。ディアナとレインを生かすことについては、別に反対しないけどね。二人とも弱体化しているとはいえ、それでもまだ手ごわい。手を抜けばこっちがやられちまうよ」
「……ああ。わかっている」
呟いたアスハに、新たなクラウドが突撃。斬りかかろうと一歩踏み込んだ瞬間、痙攣。糸が途切れた操り人形の如く、ディアボロはその場に崩れ落ちた。周囲には霧がたちこめている。アスハが設置したスリープミストだ。
次々とクラウドに対処していく撃退士に、ディアナが不快そうに眉根を寄せる。苛立つような声で、言葉を返した。
「終わるのは、貴方たちのほうよ。ここまで追ってきたことを、せいぜい地獄で後悔することね」
ディアナがクラウドに指示を出し、撃退士に突撃させる。標的となったのは、間合いが近いアサニエルと。前衛剣士のリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)。
人形の黒剣に魔力を収束。切っ先に黒い靄が集まっていく。
二体のクラウドが、剣先から黒雲を放った。アサニエル、レート差が大きいがぎりぎりで回避に成功。引きずり込もうとする雲の手から逃れる。
リンドもかわせる、はずだった。
が、ゲート内部で能力減少しているのが影響した。寸前で回避できず命中。黒い雲の塊に全身を絡め取られ、身動きを封じられる。
「まずは一匹――」
残忍な笑みを浮かべたディアナの掌から、柱のように膨れ上がった蒼光が轟音と共に爆裂。凄まじい密度を持った極大の蒼い光線が放たれ、動けないリンドのもとへと殺到していく。
リンド、負傷率十四割超。しかし根性で何とか持ち堪える。血塗れになりながらも立ち上がった。すかさずアサニエルが駆け寄り、ライトヒールを発動。龍剣士の傷を癒していく。
その光景にディアナが舌打ちして、再び蒼滅砲を撃つ構えに入った。下僕である人形が追従。黒剣を振り上げ、再びリンドに束縛の雲を放とうとした刹那、衝撃音。
「同じ手は喰わぬぞ」
リンドは咄嗟に大剣を振るい、クラウドの刃を弾いていた。上方向に跳ね上がった剣先から黒雲が無意味に放たれ、天井へと炸裂していく。
「モモ殿、今だ!」
リンドがクラウドと切り結ぶ傍ら、胡桃が疾駆。人形たちの間を抜け、ディアナに照準を定めた。PDWの銃口から、赤い光が噴き上がる。
暗き戦場に一筋の光を。
「――限定解除」
薙弾『Leidenschaft』の能力を解放し、胡桃が発砲。赤褐色の弾道を描いて、アウルの銃丸が女悪魔へと炸裂する。
「さぁ、女王。私とワルツはいかが?」
他方。ルナジョーカー(
jb2309)はハイドアンドシークで気配を潜め、目立たないようにして疾走していた。
「コアだけは、喰らいついてでも……」
クラウドへの対策が足りなければ、黒雲による拘束からの蒼滅砲や死刃蒼月で壊滅する。一方でコアを確実に破壊する必要もあり、ルナは後者に作戦の比重を置いていた。
「アスハさん。コアとレインちゃんは、任せました」
エリーゼが哀しげに笑い、コア破壊へと向かうアスハを送り出す。その内心では葛藤があった。
「……適材適所、我儘を言うわけにはいきませんからね。上手くやってくれるって、信じてますよ」
アスハが頷き、零の型を発動。一瞬の加速で、コアとの距離を一気に詰める。
瞬間移動でコアに近づくアスハに、クラウドの一体が反応した。けれどディアボロが迎撃するより早く、エリーゼが動いていた。黒嵐槍『トリシューラ』を投擲し、クラウドへとブチ込む。黒い竜巻を喰らった人形が朦朧となって撃沈する。
黒衣の天使を狙って別のクラウドが剣を構える。剣先から黒雲が放たれるが、エリーゼ、読んでいた。咄嗟に飛び退き黒雲を回避。
別のクラウドがエリーゼを追撃しようと黒剣を振り上げた。その肩に、弾丸が飛来。関節部を精確に撃ち抜かれ、人形の肩が砕ける。諏訪の狙撃だった。
運が良いのか諏訪の技量が凄まじいのか、あるいは両方か。相手が下級ディアボロとはいえ、ゲート内部で弱体化しているにも関わらず部位破壊は二回に一度は成功していた。
同じ頃。アサニエルが再びクラウドの標的となり、今度は避けられなかった。黒雲が赤髪の女に纏わりつき、蒼滅砲の射程圏内まで引きずろうとするが、
「……させませんっ!」
瞬時にユウがカバーに回っていた。銀色の拳銃を召喚し、囚われのアサニエルに銃口を向ける。紫電の雷光を纏った銃が狙うのは、アサニエル――ではなく、仲間の自由を奪う黒い雲。
ユウがエクレールの引き金を絞り、轟雷の如き銃声が鳴り響いた。一拍遅れて、ディアナの蒼滅砲が再度放たれる。しかし、その直線上に撃退士はいない。
アサニエルは間一髪でユウに助け出され、極太光線の範囲から逃れていた。魔法攻撃で解ける黒雲の特性を活かした巧い手だった。
「なんだい、デカい大砲持ってる癖に、その程度かい? あたしは傷ひとつ負っちゃいないよ」
姉御肌の天使は不敵に笑い、背後に無数の彗星を召喚。
艶やかな黒髪の悪魔は静かに闘志を込め、周囲に無数の影の刃を生み出した。
「それでは今度は――こちらから攻めさせてもらいます」
アサニエルのコメットと、ユウのオンスロートが、人形兵士たちに炸裂。クラウドが次々と降り注ぐ彗星に押し潰され、立て続けに乱舞する影刃に斬り刻まれ、死亡していく。
諏訪の狙撃は好調だった。先ほど片肩を潰したクラウドが逆の手で剣を振るおうとしたが、黒雲を放たれる前にもう片方の腕も破壊。無力化にほぼ成功。
エリーゼは、二発目の黒嵐槍を放ちクラウドを圧倒していた。打点の高さがずば抜けている。タフなキラードールを瞬く間に気絶寸前まで追い詰めていた。最早、はじめてレインの支配領域で同種の人形と遭遇した頃とは違う。
あの時よりずっと、強くなった。
だというのに、この寂しさは何だろう。
紅蓮のオーラを纏った龍剣士が吸魂符を放ち、朦朧状態のクラウドを追撃、撃破。同時に生命力を吸い取り与えたダメージ分回復する。先ほどディアナに受けた傷は完全に治っていた。
黒衣の破壊天使が、三発目の黒嵐槍でクラウドを貫く。胸に大穴を空けた人形は力尽きて後ろに倒れた。
現在動けるクラウドは、その一体で最後だった。
対クラウドの撃退士たちが、急いで前へと進んでいく。無力化した他のディアボロにとどめを刺さない。ディアボロの殲滅より、優先すべきことがあるからだ。
クラウドは軽視できないが、今回最も重要なのは、コアを破壊できるか否か。
もしも、それに失敗すれば――
これまでに起きた惨劇と、これから起こりうる悲劇を想い、リンドは大剣の柄を握り締めた。
「雨は、止まねばならぬ。悲しい雨は、もう沢山だ」
●
蒼い光の矢が大気を切り裂く。
レインの動作、手が向けられる先をしっかりと警戒していれば、今のレインの攻撃を見切ることは困難ではなかった。
満身創痍のレインが放つ光矢を回避しながら、アスハが零の型を駆使して瞬間移動。レインの側面、コアの間近まで大きく接近する。
最も、それをディアナが見過ごすはずもなく。コア破壊を阻止すべく、女王がアスハを振り向き蒼雷の鞭を伸ばした。
レインの攻撃に意識を集中していたアスハは、ディアナの蒼雷鞭を咄嗟には見切れないと判断。回避ではなく受け防御を選択し、破邪崩槍を高速展開。腕に槍状のアウルを纏い、一閃。蒼い電撃を斬り裂いた。
続く二発目は弾き切れず、その身に雷を浴びる。だが最低限の掠り傷だ。アスハは内心の落胆を隠せない。
――レインと同じ系譜の騎士級悪魔の一撃を浴びてこの程度で済むということは、やはり、今のディアナは。
「よそ見する暇なんて、与えない」
言葉と共に銃声。胡桃は四連続でディアナを狙撃していた。ディアナにダメージは通っていないが構わない。『蒼護翼を使い切らせる』。最初からそれが少女の狙いだった。
ディアナの背に生えた蒼い偽翼に、少しずつ亀裂が走る。
執拗に攻撃してくる胡桃は、ディアナにとっては厄介だったに違いない。だが、ディアナには彼女に対処する余力はなかった。レインの妨害を物ともせず、コアを脅かすアスハが迫ってきているからだ。
ディアナが再度、アスハに蒼雷鞭を放つ。殺せずとも、意識くらいは奪えるはずだった。
直撃さえ、していれば。
胡桃が避弾『La Campanella』を使い、雷の鞭を二発とも撥ね落とす。文字通り、『鳴り響く鐘の音』のように軽やかに。
「魔法だって落とす。……お忘れ?」
くすりと薄く笑う剣の少女。対照的にディアナは眉間に皺を寄せ、苛立ちを露わにした。一手の差で、追撃が間に合わない。
つまりアスハを止められるのは、もう『彼女』しか残っていない。
「コアは……絶対に破壊させません!」
雨のヴァニタスが力を振り絞るようにして、蒼い光の槍を生成。掌から撃ち放つ。
アスハは破邪崩槍を放ち、突き出されたレインの光槍を、真正面から迎え撃った。
槍と槍の衝突。
幾度目ともなる、撃退士とレインの一騎打ちの光景。
けれど片方は、まるで硝子が割れるようにあっさりと砕け散っていった。
「……キミとは、互いに全力で、戦いたかった」
折れたのは、ヴァニタスの槍だった。
壊れたのは、レインの光槍だった。
それでも少女はコアの前から逃げない。使命をまっとうすべく、精一杯両手を広げてコアを守ろうとする。
彼女を倒さなければ、コアに攻撃は届かない。
破邪崩槍を消したアスハの片手に、再びアウルが収束していく。生み出されるのは、第二の槍。
擬術・光槍(レインズランス)。
「……あなたも……あたしの技を……」
レインの言葉は、そこで途切れた。少女の体が震える。アスハの撃ち放った魔法槍が、レインの腹部に突き刺さっていた。
さらに光槍はレインごと、コアを貫いていた。
それでもコアはまだ壊れない。コア障壁のせいだろう。ゲート主であるディアナが健在な限り、コアへのダメージは大幅に減衰されるのだ。
「……どうして……?」
そしてレインも、まだ死んでいなかった。これはアスハが急所を外し、致命傷を避けたからでもある。
レインは既にぼろぼろで、狙おうと思えば、頭や胸を貫くことも普段よりは簡単に出来たはずだ。けれどアスハは、そうはしなかった。
腹と口から血を零しながら、困惑したような声でレインが問う。
「どうして、殺さないんですか……? あたしは敵で、あなたを、殺そうとしてるんですよ……?」
「……今のキミなど、殺す価値もない。それだけ、だ」
アスハはそう言って、スリープミストでレインを強制的に眠らせた。眠りに落ちて倒れそうになった少女の体を支え、ゆっくりと床に寝かせる。その後ろからディアナの叫び声が響いた。
「レインっ!」
まるで我が子を心配するような悲鳴だった。コアのほうを振り向き、これまで撃退士に見せたことのない、焦った表情を浮かべている。
チャンスは今しかなかった。
「さて、ここから狙わせてもらいますよー?」
レインが倒れて射線が空き、ディアナの意識がコア付近に向かって隙が出来たのを見計らい、諏訪は大きく動いた。コアを狙う、絶好の機会が到来したのだ。狙撃銃を正面に構える。
さらに同時刻、伏兵が遂に射程圏内に入っていた。
PDWを携えたルナが気配を露わにし、引き金を絞る。標的は、勿論コアだ。
ディアナが二人の射手に気づいた頃には遅かった。諏訪とルナの放った弾丸が、連続でコアへと着弾。合計三発の攻撃を受けたゲートコアが軋み、そして――。
誰かの世界が、壊れる音がした。
「よくも……やってくれたわね」
コアを破壊され、怒り心頭といった表情でディアナがアスハを睨みつける。憤怒に染まった美貌は、より迫力に満ちていた。もっともアスハは、いつかのレインにそっくりだな、と思う程度には落ち着いていた。
「……最初からそのつもりだったけど、全員、ここで殺してやるわ」
蒼き魔女の全身から蒼焔の如きオーラが噴き上がり、その周囲に四つの巨大三日月が現れる。死刃蒼月。
「特に貴方は、八つ裂きにするくらいじゃ済まないわよ!」
ディアナが叫び、同時にすべての三日月が一斉にアスハへと飛来。四連続攻撃がアスハ一人を殺すために放たれる。蒼い刃の嵐を、アスハは破邪崩槍を使い切り、さらに胡桃の避弾による援護を受け、何とか耐え抜いた。倒れない。
アスハにとどめを刺そうとしたディアナに、胡桃と諏訪が集中砲火を浴びせる。通算八発目の銃弾を浴びた瞬間、蒼護翼が砕け散った。最大の盾を失った女王を、ルナが撃つ。
「前回の意趣返しって訳じゃないが……可能な限り負けたくないんでね」
――あの日、あの時、誓ったように。
弱いのは、もうごめんだ。
「くっ……!」
呻き声を漏らすディアナの腹部に、黒い雷撃が命中する。黒雷槍『ブリューナク』。エリーゼの追撃だった。
「こんにちは? またお会い出来て光栄です、ディアナ様」
にこにこと、いつもと同じように漂白された微笑を浮かべながら、きっちり意趣返しを決めるエリーゼ。心なし、ちょっとすっきりしたような笑顔だった。
続いてユウ、アサニエル、リンドも、アスハたちと合流を果たした。ディアナを追い詰めるのに加勢する。
コアへのダメージは主であるディアナにもフィードバックしていて、蒼護翼で回復した分の生命力など消し飛んでいる。蒼護翼の代償で回避力も失っている以上、ディアナには『空に逃げる』しか選択肢は残されていないのだが――。
ユウと共に、リンドが闇の翼で飛行。空中戦に備える。さらに諏訪が、対空射撃スキルを活性化。撃退士たちは、ディアナの飛行を読んだ上で作戦を組み立てていた。空にディアナの退路は残っていない。
スリープミストの睡眠から覚めたレインが起き上がる。けれど、すでに撃退士によるディアナの包囲は完了していた。つまり、
「……女王、レイン。チェック、よ」
「もう終わりさね。おとなしく、負けを認めな」
王手を突きつける胡桃とアサニエル。
逃げ場は完全に絶たれ、絶対絶命。彼女たちが言うとおり、この状況からディアナが逆転することは、不可能だった。
「負け……? この、私が……?」
碧眼に絶望を宿した女王のもとに、アスハが淡々と迫る。同時に、武装を変更。グラビティゼロを腕に纏っていく。
ディアナは咄嗟に手から蒼焔槍を召喚し、迎撃を放つが――遅い。読んでいたアスハは槍をかわし、杭の間合いであるディアナの懐まで一気に踏み込んだ。
「――ディアナ様っ!」
最愛の主人を庇おうと、レインが駆け寄ろうと踏み出した瞬間、少女の脚首に弾丸が命中。
ユウが放った無慈悲な銃弾は、レインの命懸けの行動を阻止していた。脚を撃たれた少女が倒れ、悲痛な叫び声を上げる。
「……ラストコールだ」
これで、最後。
大型バンカーから射出された杭が、逃げられないディアナの体を衝く――
●
見上げた先には、赤髪の男の顔があった。
意識を取り戻したディアナが目を開き、状況を確認する。全身に深い傷を負ってゲート内の床に倒れているが、死んではない。致命傷となるはずだった一撃を加減されたのだと気づき、屈辱に顔を歪ませながらディアナは身を起こそうとした。
「ふざけた、真似をっ……!」
怒気を孕んだ女悪魔の声。瀕死の状態にも関わらず今にも暴れ出しそうな雰囲気のディアナに、アサニエルは呆れたように嘆息を漏らした。
「やれやれ。その体でまだ戦う気かい」
おとなしく捕まってくれるようなら手出しするつもりはなかったが、自爆の恐れもある以上、看過は出来ない。まだやるつもりなら、目的を殺害に切り替えざるを得なくなる。
「ディアナ……御主は、本当にそれで良いのか? 御主が一番守りたかったものは、何だ?」
諭すように、リンドが女王に話しかける。異貌の龍剣士は、脚を撃たれて動けないレインを一瞥し、言葉を続けた。
「素直になれ、ディアナ。自分を認めてくれる存在を、真摯に受け止めてやることだ。そうでなくば、御主自身が御主を認めてやれぬのだぞ」
「…………」
リンドの助言に、ディアナが黙り込む。少しは落ち着きを取り戻したようだ。
「ねぇディアナ様。冥界なんか棄てて、学園に来ませんか? 私と楽しく遊びましょう! レインちゃんも一緒に!」
エリーゼからの予想外の提案に、ディアナが目を丸くする。騎士である自分に、陣営を裏切り、寝返れというのか?
馬鹿馬鹿しい、と一蹴しようとしたディアナに、続けてユウはこう言った。
「もしも、あなたが望むのなら、学園に連絡を回して保護をお願いします。こちらの要望が通るかはわかりませんが……条件さえ揃えば、可能性はゼロではないはずです。ヴァニタスの寝返りも極めてレアケースですが……不可能ではないかと」
「……レインを、助けることが出来るというの?」
「保証はできません。ですが、学園に身柄を引き渡すことが、現状もっとも彼女が生き残る可能性が高い選択肢だと思います」
実際、ディアナ達の寝返りが通るかどうかと言えば、非常に難しいのが現実だろう。彼女たちは、人間を殺し過ぎた。学園内外の撃退士から怨みを買っているだろうし――けれど知恵を絞り手を尽くせば、もしかしたら匿うこともできる……かもしれない。
「託して、良いのね?」
ヴァニタスが『公式』に学園に保護された前例は一件もない。だがディアナにしてみれば、絶望的な状況に差し込んだ唯一の光明。疑心はあるが、どの道、抵抗すればこの場でレインを殺されるだけなのだ。縋ることしかできない。
「……あんたは来ないのか」
「負けを認めて、それでも無様に生きていくなんて、私は御免だわ。このまま生き恥を晒して、弱者に成り果てるくらいなら――死んだほうがマシよ。貴方なら解かるでしょう?」
「……弱い自分を許せない、か」
痛いほどに解かる。負けるのが悔しいのは、ルナも同じだった。
そうして、会話を終えたディアナの頭上に、巨大な魔法陣が展開していく。
禁呪・蒼血光雨。
捕まるくらいならせめて撃退士を何人か道連れにしようと思っていたが、レインが助かる見込みができた今、そんな使い方はできない。だがそれでいい。
――私が死んでも、撃退士が居れば、レインは生きていける。
「やめろ、クイーン。僕も、レインも……キミの死など、望んでいない」
「……ふん。本当に、変な男ね。貴方みたいな人間は、はじめてよ」
敵でなければ、好感を持っていたかもしれない。だが、人間全員がアスハのような者ではないだろう。エリーゼも誘ってくれたが、人間界に私の居場所はない、とディアナは思う。
そして冥界にも、もう帰れない。たとえアスハらが見逃したとして、ゲートを失い撃退士に完敗した今のディアナは、同胞にとっては『役立たず』。メンツを潰したディアナを、彼女が属する過激派勢力が見逃すはずがないのだ。いずれ追っ手を放たれ、粛清される。
何より、ディアナは力を喪ったまま生きることを選べない。
また弱者に戻って生きることなど、耐えられないのだ。
ディアナがレインを振り向く。同時に、天井に描かれた魔法陣が蒼く輝いた。
ヴァニタスは、たとえ主人を失っても、エネルギーが切れる前に何らかの手段で供給ラインを確保できれば、死ぬことはない。それだけが、救いだった。
「……最後の命令よ、レイン。貴方は生きなさい。この撃退士たちなら、貴方が生き残る方法を、きっと見つけてくれるわ」
――だから、幸せになって。
そう言い残して、ディアナは最愛の従者に微笑を向けた。
もう、思い遺すことはない、とでも言うように。
これで、本当に最後。
魔法陣の中から、光の雨が、降り注ぐ――
●
「……嘘……そんな……」
茫然自失のレインが、震える声で呟く。現実を、受け入れられなかった。受け入れたくなかった。
最愛の人が目の前で死んだという事実を、認めたくなかった。
「レインちゃん……」
見かねたエリーゼが、レインを後ろから抱きしめる。天使の腕の中で、ヴァニタスの少女は声をあげずに泣いていた。
「……殺して……ください。ディアナ様がいない世界に、生きる意味なんか、ありません」
ディアナだけが、レインの全てだった。
たとえディアナからの『最後の命令』でも、従うことは出来ない。
レインにとっての幸せとは、ディアナに奉仕し、彼女に必要とされることだけなのだから。
長い沈黙の後、エリーゼは唇を開いた。
レインの気持ちを、理解しているからこそ。
「……どうしても殺さなければならない、というのなら……私が」
たとえ強引に学園に連れ帰ろうとしても、レインは拒否し、その前に自害するだろう。
ディアナは、撃退士ならばレインを救えるのだと思っていたのかもしれない。けれど、エリーゼには解かっていた。
――私じゃ、ディアナ様の代わりにはなれない。
ならば、せめて――この手で。
「わがままを聞いてくれて、ありがとうございます」
レインが儚げな笑みを向け、エリーゼも辛そうな笑みを返す。ちゃんと笑えてるか自信がない。本当はエリーゼだって、レインを殺したくなどなかった。
別れを惜しむように、レインを強く抱きしめるエリーゼ。その傍らに、胡桃がゆっくりと近づいていく。
「レイン、憶えてる?」
そう言って胡桃は、纏っているトレンチコートを見せるようにして話しかけた。父のお下がりの、黒のコートだ。言われて、レインはすぐに気づいたようだった。胡桃が安堵の息を吐き出す。
父が、本当の名を聞けなかった事を悔やんでいた。
だから娘として、レインに聞きたい。
貴女を、ヴァニタスではなく、ひとりの少女として、最期まで見守りたい。
どうか最後くらいは、幸せな終焉を。
「『貴女の本当の名前が知りたい』。どうか、聞かせて?」
父と同じように、胡桃が問いかける。
真摯な言葉に、レインは素直に答えた。
「……あたしの名前は、ルイ。天野 涙です」
レイン――いや、涙に、胡桃は続けてこう尋ねた。
「ねぇ、涙。矢野の娘に、ならない?」
胡桃の、真剣な誘い。
けれど、蒼髪の少女は首を横に振り、拒絶の意の示した。
技を模倣して貰ったり、そんなふうに言って貰えることは、とても嬉しいけれど。
「今のあたしは『レイン』です。あたしは――ディアナ様のモノで、在り続けたいんです」
だから、雨はここで終わる。
ディアナのヴァニタスとして。
撃退士の、敵として。
「あなたたちと出会えて良かった。立場が違えば……ううん。なんでもありません」
哀しい微笑みを浮かべたエリーゼが、掌に魔力を収束していく。好敵手に引導を渡す為に。あるいは、友の願いを叶える為に。
――もしも生まれ変わったら。その時こそ、きっと。
「大好きですよ。レインちゃん」
光の雨が降る直前、雨の少女は泣きながら笑っていた。
「……えへへ。あたしも、あなたのことが大好きです、エリーゼさん」
それが彼女の最期の言葉だった。
そして、光雨が降り注ぐ――。
●
「……おやすみなさい」
少女を看取った後、胡桃は持参したドッグタグに、彼女の名前を刻んだ。天野涙の名前を。
「どうか、優しい雨に包まれて、安らかに眠ってくださいなー?」
諏訪も二人を追悼した。死んでいった彼女たちの安寧を、心から願って。
「二人の蒼は、僕が継ごう……雨は、止ませない」
アスハが呟き、出口へと向かっていく。右目の眼窩に宿る、渦状の紅光が揺らいでいた。
雨は、心の中に。
ユウが仲間と共にゲートから出ると、雨は止んでいた。
雨音の代わりに聞こえてきたのは、歓喜の声だった。撃退士の歓声が沸きあがっている。
敗者は死に、勝者が生き残った。
終わったのだと、アサニエルは実感した。ひとつの大きな戦いが、今、終わったのだ。
雨上がりの道を、撃退士たちが歩いていく。
見上げると、空には虹がかかっていた。