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合戦場と化した市街中心部では、轟音が絶え間なく響き渡っていた。
静かな雨音を掻き消すような、激しい銃声や爆音。それは中央制圧部隊や左翼陽動部隊の撃退士達が命を削り血を流し、悪魔の軍勢と戦っている事を証明している。
最前線で苛烈な戦闘が繰り広げられる中、右翼突撃部隊の撃退士達は戦場を迂回して、雨に濡れた道路を全速力で疾走していた。
指揮官ディアナを討つべく、撃退士達が接近していく。
距離五〇メートルまで詰めた辺りで、アスハ・ロットハール(
ja8432)はビルの陰に滑り込んだ。ここからは敵の間合い。全力移動で疲弊した隙を突かれれば終わりだ。酷使した足を休め、乱れた息を整える。
「それじゃあ、さっくり女王様に王手を突き付けてこようかね」
ビルに身を隠したアサニエル(
jb5431)が、弓を背負い直しながら軽く柔軟運動を行う。その隣には黒衣の少年。
「クイーン、か……終わったらラーメンでも食いに行くか。生きて帰れたら、だが」
ルナジョーカー(
jb2309)が呟いて、ビルの間から様子を窺う。雨空を舞う青髪の女悪魔は騎士。強敵だ。先ほどのディアボロ達よりも遥かに強い。
そう、敵だ。迷わず討つべき相手。しかし中には迷う者もいた。
「うーん、レインちゃんに復活してもらうためにディアナ様に加担するべきか、それともレインちゃんを連れて帰って学園で私の物にするか……」
珍しく真剣な表情で考え込むエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)。
彼女はしばらく本気で悩んでいたが、やがて一応の結論を導き出した。
「とりあえずアスハさんが何かするようなので様子見しつつ、ディアナ様を追い詰めましょうか」
エリーゼがにっこりと微笑み、宿敵の主君を見上げる。その横では矢野 胡桃(
ja2617)が翡翠の瞳で同じものを見据えていた。
――やっと、会えた。
胡桃が心の中で呟き、狙撃銃の射程まで移動すべく一歩を踏み出した、直後、ディアナの手元から蒼い光が炸裂した。
蒼色の雷光が迸る。
落雷は一瞬で少女の眼前まで到達していた。だが鞭の如く伸びた電撃は胡桃に命中する寸前で、正面から突き出された鋭い槍に斬り裂かれた。
虚空へと弾けた電撃が爆ぜ、蒼白い火花が散っていく。
胡桃へと放たれた先制の蒼雷鞭を防いだのは、アスハだった。腕に纏ったアウルの槍――破邪崩槍を構えたまま、赤髪の魔術師がディアナを見上げる。空に浮かぶ女悪魔は余裕の笑みを持って撃退士達を見下ろしていた。
「……やはり、気付かれていた、か」
さして動じた様子もなく、男はビル陰から無人の交差点に出た。そのままディアナの方へと静かに近づいていく。
ふと思い出したように、ディアナが言った。
「……貴方、何度か見た顔ね。確かレインの……」
「女王に憶えてもらっている、とは……身に余る光栄、だな」
雨に濡れた赤髪の男が薄く笑い、言葉を連ねていく。
「僕の目的は一つ……キミを奪いに来た、と言えばいいか、な」
青髪の女が訝しげな表情で見つめ返すのも気にせず、男は朗々と続けた。
「できれば僕としては、キミを殺したくなくて、ね。レイン共々、失うには惜しい。そこで、だ。多数の魂と今後を賭けて、ゲート死守のゲーム……というのは、どうだ?」
「……ふん。人間の分際で私に賭けを持ちかけるなんて、随分と良い度胸じゃない。だけど――」
ディアナが地上に向けた右人差し指から、蒼白い火花が弾ける。
男を見下ろす女悪魔の瞳には、蒼焔の如き怒り。
「百年早いのよ」
断絶の言葉と共に、電撃の大蛇が放たれる。
轟音、同時に衝撃。
防ぎ切れなかった二発目の蒼雷鞭がアスハの胴に直撃した。負傷率七割五分。
櫟 諏訪(
ja1215)が仲間達と散開しながら阻霊符を発動、狙撃銃を構える。
「そう簡単には折れてくれなさそうですねー? とはいえ相手が誰であれやることは変わらないですし、一気に決めさせてもらいますよー!」
「それじゃあ……始めましょう」
諏訪より少し手前。胡桃も狙撃銃を構え直して、ディアナに照準を定めていた。専門知識による自己強化は既に終えている。
「私は剣。初手から全力でいくわ」
狙撃手の二人が上空に向けて発砲する。宙を舞い踊る青髪の女悪魔は、放たれた銃弾を紙一重で避け切った。しかし撃退士の銃撃は終わらない。轟雷の如き銃声が響き、アウルの弾丸がディアナに命中。
その攻撃は、諏訪達とは別の位置から放たれていた。闇の翼と縮地を事前使用していたユウ(
jb5639)による追撃だった。
形の良い眉を歪ませ、ディアナがはぐれ悪魔の少女を睨みつける。
「はぐれ者如きが……やってくれるわね」
「……これが私の贖罪ですので。吸魂も虐殺も絶対に止めてみせます。貴方を倒して」
そう言って、ユウは闇の翼を広げた。縮地で強化した移動力で空中を素早く飛び回りながら、エクレールを構え直す。
「そんな攻撃、二度も喰らわないわよ」
不意を突いて側面に回り込もうとしたユウに右手を向け、ディアナが蒼雷鞭を発動。蒼白い電撃が二連続で、少女の華奢な体に叩き込まれた。負傷率十七割三分。強烈な反撃を受けたユウが地上へと落下していく。
だがこれも、ユウの作戦のうち。狙われるのは覚悟の上だ。ディアナを撹乱し隙を作る為の行動だった。
朦朧とする意識の中で、ユウが呟く。
「後は……頼みます」
漆黒のスナイパーライフル――天矛立の照準は、ディアナの右腕に定められていた。
ユウに気を取られた隙を縫うようにして、胡桃が引き金を絞る。
銃弾が放たれ女悪魔を襲う。血飛沫が跳ねたが、攻撃の起点である魔手は健在。すかさず反撃の蒼雷鞭の飛んでくる。
「さすが、女王。雪のお人形ほど楽にはいかない、わね。でも……」
銀髪の少女は淡々と電撃に射撃を当てた。鳴り響く鐘の音の如く、即死の連撃を撥ね落とし無事回避。
「私の『コレ』は、魔法だって落す」
避弾で攻撃を凌いだ胡桃が改めてディアナを見上げ、口を開いた。
「ねぇ蒼の女王。貴方に聞きたいことがあるの。答えてくれる?」
――私の大切な人が、雨の少女の名を聞けなかったのを悔やんでいた。
私は、あの人の願いを叶えたい。
雨の少女に、僅かな時間でも、自由を与えたい。
代わりがいるのなら……私が。
「貴方は、望めば誰でも配下にする? 力があれば、してくれる? 雨の少女の代わりに。新しい剣の人形はいかが?」
平坦ながらも切実な声で、少女が悪魔に問うた。大切な人の願いを叶えたい。ただそれだけの為に。
剣の人形を見下ろしたまま、ディアナは真っ赤な唇を歪めた。
「愚問ね、小娘。撃退士の力なんて要らないわ。レインの傷は後僅かで癒えるだから」
胡桃を嘲るように、青髪の女が嗤う。
「あの子は私が力を分け与え、じっくりと育て上げた最強の人形よ。撃退士如きに代わりなんて――」
言葉の途中でディアナが羽ばたき、真横に飛び退いた。放たれたアウルの銃弾が蒼い残像を掠めていく。闇の翼で飛翔するリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)の射撃だった。
「避けられたか……」
リンドが呟き、ショットガンを握り締める。この女悪魔は、かつて戦ったヴァニタスを超える強敵だ。レイン以上の強者。敗北を恐れていないといえば嘘になる。だが、退くなどという道は他に無し。
ケイオスドレストで肉体強化した龍人が、銃にアウルの力をこめて一気に解き放った。ショットガンが噴き上がるのは、通常よりも強烈な弾丸。
放たれたスマッシュの銃弾が、ディアナの頬を掠める。かわされた。しかし、スマッシュは囮だ。
本命は――
「さて、さすがに射ち落とせるとは思ってませんが……これは痛いですよー?」
諏訪は神経を研ぎ澄ませ、上方に構えたスナイパーライフルの引き金を絞った。イカロスバレット。威力一.五倍の対空射撃が、蒼翼の魔女へと叩き込まれる。
迸る赤。ディアナは、やはり墜ちない。だがダメージは大きい。
血霧の中、ディアナの向けた右手から蒼白い火花が散るのが見え、諏訪は咄嗟に回避射撃を発動。銃弾で蒼い雷撃の軌道を逸らすが、完全には捌き切れずに反撃を受けた。負傷率十八割七分。
「へばるにはまだ早いよ」
即座にアサニエルがライトヒールの光を飛ばして、諏訪の傷を癒す。諏訪、負傷率十割九分まで回復。
「いよいよ大将との戦いさね。ここで一気に王手まで持っていくよ」
他方、ルナジョーカー。
ハイドアンドシークで潜行し、陰影の翼で飛行するハーフ悪魔のナイトウォーカーは、ディアナの背後を取っていた。
女王の死角から、ルナがPDWで射撃を開始。発砲音が連続して鳴り響く。
ディアナは気付いていたのか、素早く振り向き銃弾の雨を回避した。銃弾を撃ち尽くしたルナを、女悪魔が蒼い瞳で冷たく睨む。真正面から挑むのが怖いのかしら、とでも言いたげな眼だった。
「わざわざあんたの舞台で戦ってやる気はない……傭兵として、吸血鬼として、弱者として、過ちを犯したものとして、あんたを倒す。もう二度と同じ過ちなんざごめんだからな」
攻撃し気配を露にした黒衣の少年が言って、短機関銃を構え直す。敵は相当の化物だが、恐怖は無かった。あるのは怒り。
ルナは、先刻の胡桃とディアナの問答を思い返していた。
「レインに、それだけレインにかけるものがあるなら、なんで彼女を大切にしなかった!」
想いをぶつけるように、ルナが発砲する。苛烈な銃撃を紙一重でかわし、ディアナが反撃の蒼雷鞭を振るう。二発とも直撃。ルナ、負傷率二十四割。
地面に落下していく少年を、ディアナが無言で見下ろす。
ルナの言葉が、女王の中で繰り返されていた。
「……くだらない。あの子は私の道具よ。撃退士の分際で知ったような口を……」
かぶりを振って、ディアナが生き残っている撃退士達に視線を注ぐ。
「揃いも揃って不愉快だわ。いい加減に鬱陶しいのよ」
ディアナの周囲に、蒼い三日月が次々と浮かび上がった。
四つの蒼月。それは、撃退士達を斬り殺す巨大な刃。死刃蒼月。
女王の双掌が、死の輪舞を奏でるように動く。連動して蒼月が舞い踊り、一斉に放たれた。
怒涛の四連続攻撃が、諏訪、胡桃、そしてアサニエルに襲いかかる、その刹那。
「……こちらも負ける訳にはいかんので、ね。止めさせて貰う、ぞ」
対戦ライフルを構えたアスハが、一三五口径の超大型弾を発射した。蒼月を操るディアナの手元で、妨害の魔弾が炸裂する。
「今の私の力が爵位級の悪魔にどの程度通じるのか、試させてもらいましょうか」
エリーゼもディアナの手の動きに注意していた。向けられる方向を警戒していた彼女は、技の発動と同時に魔法攻撃を放っていた。
天使が召喚した無数の焔の剣が、蒼月の一つに命中。エリーゼの破壊力が凄まじいのか、或いは蒼月が脆いのか。炎剣をぶつけられた魔法刃は砕け散り、灰燼となって消えていった。
残る蒼月は三つ。
アスハの射撃を受けて僅かに軌道が狂った散刃の蒼月が、撃退士達に迫る。
死刃蒼月。
いくら火力が落ちていようと、無策であれば大抵の部隊は崩壊するであろう四連続攻撃を、撃退士達は何とか耐えていた。
負傷率十一割二分、血塗れのアサニエルが隼色の長弓を構える。ディアナは蒼月を撃つ為に飛行高度を下げてきた。翼を撃ち抜くには絶好のチャンス。
回避射撃で対抗した諏訪と胡桃が即座に反撃。上空の女王に銃撃を仕掛けた。アサニエルも矢を放つ。集中砲火。
蒼く輝くディアナの右翼に、天使の矢が突き刺さった。片翼が消滅し、バランスを崩した女悪魔が地面へと急速落下していく。
「アスハ殿、今だ!」
華麗に着地したディアナが、リンドの叫びに身構える。しかしアスハは何の行動も起こさない。
行動を起こしたのは、エリーゼだった。
不意を突いた純白の少女が、背後から青髪の女悪魔に抱きつく。ドレスに包まれた艶やかな肉体を弄りながら、エリーゼは叫んだ。
「どうしてレインちゃんのおっぱいを大きくしなかったんですか、ディアナ様! 問い詰めたい! そこのところ小一時間ほど問い詰めたいです!」
言ってる最中もエリーゼの両手は止まらない。そのまま禁呪で自爆しようとした駄天使に、ディアナは氷点下の声で告げた。
「……ここまで私を怒らせた撃退士は、貴方が初めてよ」
後ろ手に向けたディアナの右手から憤怒の蒼焔槍が飛び、エリーゼの柔らかな腹部を貫いた。負傷率十七割七分。
血飛沫を鼻血のように噴出しながら、どこか満足げな表情のエリーゼがばたんと地面に倒れていく。
ふん、と鼻を鳴らしてディアナがエリーゼを踏みつける。
ディアナがエリーゼに止めを刺そうとした刹那、リンドは再び叫んでいた。
「以前もあの娘が俺を仕留め損なったが……蛙の親は蛙だな!」
「……安心なさい。この小娘を踏み潰した後、貴方もすぐに殺してあげるわ」
「くっ……」
リンド、挑発失敗。ディアナを引き付けるべく封砲を撃ちたいが活性化していない。根性も同様だ。
迷った末、リンドは女王へと突撃した。隙を作るために。味方に繋げる為にに。
八メートルまで接近した龍魔を、ディアナは蒼焔槍を放って迎撃。負傷率十四割二分の重傷を負ったリンドが、力尽きて倒れる。
が、蒼焔槍を撃った直後を狙って、諏訪が発砲。少しでも攻撃の邪魔になればしてやったり。ディアナは舌打ちしてエリーゼから足を退き後方に高速飛翔。回避運動の更にその隙を、アスハと胡桃の弾丸が追いかける。
撃退士達は、女王を静かに追い詰めていた。
既にディアナは、何発もの弾丸をその身に浴びている。物理防禦を捨てている魔女は、もはや髪も肌も着衣も血塗れだった。
「あたしたちの勝ちだ……ってね」
勝ち誇ったような、アサニエルの勝利宣告。実際あと一歩の所まで追い詰めているのだが、けれどディアナの蒼い双眸は、まだ戦意を失っていない。
「まだよ……まだ、終わらないわ」
同時に轟音。中央戦域にディアボロが雪崩れ込んできていた。敵の増援が到着したのだ。
撃退士達がそちらに気を取られた隙に、蒼輝翼を再展開したディアナは全速力で逃走した。ゲートが浮かぶ方向へと、光芒を描いて消えていく。
アスハは、撤退するディアナを追わなかった。こちらも壊滅寸前である以上、現状での追撃は困難と判断したのか。或いは。
「幕には早い……舞台も出演者も不足、だ」
戦場では、指揮官不在のディアボロ部隊との戦闘が続いていた。
後方支援部隊に回復を施され、復活したユウが戦況を確認する。
ディアナは指揮を放棄して、最終防衛線であるゲートまで後退した。それが態勢を立て直すまでの一時撤退なのか、最悪市民を奪われてもゲートだけは死守するという篭城の構えなのか。
答えは、この先にある。
「……ゲートは、必ず破壊します」
誓いを胸に、撃退士達がゲートの中に進んでいく。
待っているのは地獄か、それとも。