●
「多くの人が命を賭けて繋いだこのチャンス、何としても成功させないといけないですね」
艶やかな黒髪をまっすぐと伸ばした悪魔の少女、ユウ(
jb5639)が決意を口にしながら、冷静に進む。闇の翼を展開しているが、まだ飛翔はしていない。
「確実に、そして素早く、この場を切り抜けて先に進まないと……」
「さて、初戦で手こずってちゃダメでしょうし、でも油断せずに、さっさと倒しちゃいましょー!」
くるくるとしたあほ毛が特徴的な緑髪の青年、櫟 諏訪(
ja1215)が明るく鼓舞し、阻霊符を起動。半径五〇〇メートル範囲における天魔の物質透過能力を悉く無効化していく。
「私はレインちゃんとディアナ様に会いに来ました!! ということで……そこをどいてください」
フリルに彩られた純白のドレスを着た少女天使、エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が微笑む。
「それにしても今回のこの人形は、以前のキラードールの上位互換でしょうか。私とレインちゃんの『力』にそっくりな……レインちゃんの偽物……?」
エリーゼが前方のスノウを見つめる。銀髪碧眼の少女人形。レインを模したようなディアボロは、無機質な青い瞳でエリーゼを見つめ返すだけだった。
「……なんでしょう。なんだか、大事な物を汚された気分です」
エリーゼがぽつりと呟く。胸の奥から湧き上がるこの感情は何なんでしょう。怒り? それとも哀しみ? あるいはもっと別の何か……?
「ずっと気になってたの」
光纏し銀髪に変化した小柄な少女、悪魔との混血である矢野 胡桃(
ja2617)が専門知識を発動。アウルの力を効率化し、攻撃力を上昇していく。
「まずは、目の前の敵を薙ぐことからね」
雑念を振り払うように、意識を前方に集中させる胡桃。その思案の正体は、本人のみぞ知るところだ。
「ここで足止めを食う訳にはいかぬ、急いで突破するぞ」
黒く変異した左眼や赤黒い鱗で覆われた肌、額から生えた長さの違う双角が目立つ異貌の龍人、リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)が闇の翼を発動。一対の羽を背から広げ、空中へと舞い上がった。
地上の胡桃を見つめ、リンドが決意を込めた声で呟く。
「モモ殿は何があっても守るのだ。ただ命を守るのではない……心も、覚悟も守り通してみせる」
「やれやれ……すっかりここも慣れた地、だな」
血色の髪を三つ編みに纏めた青年、アスハ・ロットハール(
ja8432)が誓いの闇(プロマイズ・フェザー)を発動。黒い霧が、アスハの全身をうっすらと包み込んでいく。
アスハが前方の少女人形を見据える。すでに思考は戦闘に切り替わっていた。
「あの人形型とはいえ、レイン同様の攻撃手法ならば……付け入る隙はある、か」
「同じ過ちを繰り返すものか……ゲートを破壊し、幕引きとするためにも」
他方、黒衣を身に纏った緋眼の少年、吸血鬼ルナジョーカー(
jb2309)は、ハイドアンドシークを発動していた。闇の中に身を隠し、潜行の効果を得ている。
彼方のゲートへと想いを馳せ、ルナが呟く。
「雨を……止めに行こう」
「まぁ、本命前の準備体操ってところだね。ちゃっちゃと片して前に進むよ」
赤髪緑眼に白い肌の女性天使、アサニエル(
jb5431)が肩を回しながら啖呵を切る。
「それじゃあ、打ち合わせ通りに蹴散らすよ」
過度に気負わず、余分な力を抜き、アサニエルは一歩を踏み出した。
それぞれの思惑を胸に抱き、撃退士八名が散開しながら敵へと迫る。
●
雨に濡れた道路を疾走するアスハは、真っ先に雪色の少女人形へと向かっていった。
紅蓮の矢の如く、真っ直ぐと突き進む赤髪の魔術師。対してスノウは、腰を落として迎撃の構えを取る。不用意に間合いを詰めることはせず、アスハが『光雪』の射程内に踏み込んできた瞬間を狙う算段らしい。
構わずアスハは突進する。
何の策も工夫もなく、真正面から?
いいや違う。生粋の賭博師であるアスハ・ロットハールが仕掛けたのは、もっと大胆な一手だった。
二〇メートル強を駆け抜け、まもなくスノウの攻撃圏内に入ってしまうというところで、闇色の霧を纏ったアスハの姿が霞んだ。その刹那、正面からスノウに迫っていたアスハが道路上から消失。次いで銃声が轟く。
不意を突かれた少女人形の胴体に衝撃。遠方から放たれた胡桃の銃弾が、ディアボロの胸に突き刺さる。その威力の高さに吹き飛びそうになったのを堪えて、スノウが改めて前方を確認。やはり赤毛の男は消えていた。
取り残された黒羽が地面に舞い落ちるのと、スノウの左隣から声が発せられたのは殆ど同時だった。
「……此方だ、人形。いつまで間抜け面を晒しているつもり、だ?」
跳ねるように振り向いたスノウの鼻先に、巨大な杭が飛び込む。
全長五〇センチメートルを誇る大型パイルバンカーの威容、その根元に搭載された回転式薬室、そして機甲仕掛けを一から作り直された改造グラビティゼロを右腕に装着していたのは、消えたはずのアスハだった。
「……擬術、零の型(ゼロ・フットワーカー)。実戦で使うのは初めて、だが……上手くいった、な」
アスハが使ったのは、因縁深い使徒の型を模倣した瞬間移動の技。一瞬の超加速で、アスハはスノウの真横へと接近していたのだ。敵の不意を突くと同時に、胡桃の射線を確保するために。
初撃の作戦は成功。狙い通りに決まった。
だが、問題はここからだ。
全身から青白いアウルを立ち昇らせたスノウが、左腕でバンカーを振り払ってアスハと距離を取る。スノウは胡桃の痛烈な銃撃を喰らって、レイン同様に薄い胸部の装甲が抉れていた。しかし、貫通するには至っていない。
「流石にタフ、だな……思ったとおり、キラードールの系譜、か……」
むしろ、一合目でこれだけのダメージを与えられただけでも上等だな、とアスハは思う。ディアナ勢力が使う人形型ディアボロは冗談みたいな強度なのだ。ドールシリーズに連なるスノウの外皮を一撃で削る胡桃の腕前も、とんでもなく凄まじかった。
「硬いから、なに? 的が大きくなっただけ、ね」
アスハから約四〇メートル後方。胡桃はスナイプゴーグルの倍率を調整しつつ、所々にチェーンが巻かれた漆黒のスナイパーライフル――天矛立を淡々と構え直していた。
「雪の人形が強いか、剣の人形が強いか……さぁ、勝負よ」
恐らくスノウには警戒されているだろうけど、次も必ず当ててみせる、と胡桃が静かに意気込む。
「ふむ……ならば誘導(エスコート)は、ボクが務めよう」
胡桃に背を向けたまま、アスハがスノウと向き直る。銀髪碧眼の少女人形は、突き出した右手から青白い光を噴出していた。
魔力を練り終えたスノウが光球を発射。警戒していたアスハも、素早く魔法障壁を展開して対抗。放たれた『光崩』の砲弾がマジックシールドの前面で炸裂し、雪崩のように広がりアスハを襲う。
並の阿修羅相手なら、六割は削れるスノウの強力な範囲魔法攻撃。
だが、
「……貴様もこの程度、か。拍子抜け、だな」
時間経過で消失していく魔法障壁や青白い光の雪崩の奥から、溜息が漏れる。
アスハは負傷率六分と、ほぼ無傷に近かった。
「レインに劣る……と聞いていたが、この情報は訂正すべき、だろう、な……『大きく劣る』、としたほうが適切、だ」
学園生の中では、アスハがもっともディアナ勢力との交戦経験が多い。アスハは自身の経験に基づいて、敵戦力を分析し、これまで高い精度で敵の力量を計測してきたが――この場合はスノウが弱いのではない。アスハが硬すぎるのだ。
余談だが、仮に受け防御に失敗していた場合でも負傷率は一割七分程度。耐久系前衛職(ディバインナイト)ばりの魔法防御性能は、魔法専門職(ダアト)の強みだろう。
しかし、敵はスノウだけではない。
無数の棘がアスハへと伸びる。
それは、妖花ティターニアによる緑の縛鎖。味方に先んじて急接近した結果、アスハは最前線に突出し、孤立する形となってしまった。当然、仲間の援護も受けにくく、敵からは攻撃されやすいので、集中攻撃の餌食となるリスクは高い。そして単独でこの三体の猛攻を凌ぐのは、簡単ではない。
もっとも、その程度のリスクはアスハも承知の上。その対策はしっかりと練ってきていた。
「……誓いの闇(プロマイズ・フェザー)!」
アスハの全身を包む黒い霧から、無数の羽根が吹き荒れる。
攻撃に自動反応した黒羽の渦が、伴侶の光纏をモチーフにした誓いの闇が、迫り来るティターニアの棘を阻む。その一瞬の隙に、アスハが後方に飛び退いて緑の鞭から逃れていく。
「……前に出ることで、ボクが狙われるだろうとは読んでいた、が……やはり、助けられた、な」
思わず、アスハが最愛の妻の名前を呟く。直後、役割を果たした黒羽が燃え尽きるように霧散していった。
立て続けに金切り声が響き渡る。
棘を無事かわしたアスハを、今度はセレーネが強襲。青髪を振り乱し、爪の伸びた五指を振りかざし、羽ばたく鳥翼の美女がアスハの頭上から襲いかかる。
それには気づいていたが、デコイとしての役目を優先してアスハはあえて動かない。
アスハの後方で、黒い雷光が爆ぜる。
突然の轟音に、半人半鳥の歌姫は全力で翼を振って斜め横へと飛翔。直後、地上にいる赤髪の男と上空にいる青髪の女の間を、漆黒の雷が引き裂いた。
それは、ヴァニタス・レインに匹敵する魔力の持ち主――破壊天使エリーゼ・エインフェリアが撃った、黒雷槍(ブリューナク)の雷撃だった。
「あはは、私の攻撃を避けるなんて中々やりますね。でも、逃げられませんよ?」
純白の天使が、愉しげな声と笑顔で宣告する。
にこにことした嗜虐的な微笑の先には、体勢を崩したセレーネの姿があった。
『黒雷槍』は命中に優れた良槍で、カオスレート込みだとレインを凌駕する威力と精度を誇るが、惜しくも外れてしまった。しかし、追撃の準備は万全。
緑髪の狙撃手が構えるアサルトライフルの銃口は、雨空をふらつくように舞うセレーネをしっかりと捉えていた。
櫟諏訪は全神経を研ぎ澄まし、アウルを集中。斜め上方に向けた突撃銃の弾倉に、弾薬を装填。右手で銃把を握り、人差し指で引き金を絞る。
「空中戦はやらせませんよー?」
諏訪の明るい声と共に、乾いた破裂音が響いた。セミ・オートで発射されたアウルの銃弾が、エリーゼの雷撃に続いてセレーネに襲いかかっていく。タイミングは完璧だった。
放たれた墜落の弾丸が、セレーネの右胸を貫通。被弾の強烈な衝撃で、熟練撃退士相当の実力を誇るディアボロが血飛沫を撒き散らしながら、イカロスの如く地面へと落下していく。
諏訪に撃墜されたセレーネが地面に膝をつく。立ち上がった鳥女は再飛行しようと翼を広げたが、少女阿修羅のユウは、それよりも早く走り出していた。
「イカロスバレットの落下効果は瞬間的なもの……この一瞬の隙を、絶対に逃がしはしません」
セレーネが再び羽ばたこうとした刹那、機を窺っていたユウが跳躍。一気に間合いに踏み込む。それを可能とする機動力を、彼女は備えていた。
ユウの右手が霞み、数条の細い光が閃く。
パイオン。
目に見えないほど細かい、曇り空色の斬糸が、セレーネの体を絡み取るように舞う。ユウはそのまま右手に力を込めて、勢いよく真下に振り抜いた。女の顔や胸、腹に縦模様の赤い線が走り抜ける。失墜者を地面に叩きつけるようにして放たれた、薙ぎ払いの一撃だった。
かはっ、と血を吐いてセレーネが仰け反る。さらに生じた隙を、竜人の悪魔剣士が追撃していく。
「魅了の術で此方の戦力を奪われるのは、非常に困るのでな。早々に退場願おう」
リンドの全身から紅蓮の光が噴き上がる。灼熱の焔を思わせるオーラと共に、右手首の鱗に仕込んだ火緋色金から大剣が出現。全長二一〇メートルの両刃大剣――リンド自身の鱗を素材として改造を施したV兵器、ヴァーミリオンが具現化する。
ユウの薙ぎ払いで意識を刈り取られ、動きを封じられたセレーネに逃げ場はない。
昂る闘争心に駆られ、リンドが大剣を一閃。
龍剣士が振り下ろした刃は、赤い三日月を描いて青髪の女の左肩を破壊。斬撃はディアボロの左胸、臍、右太股を袈裟懸けに流れ、セレーネに深い傷を残して去っていく。
一拍遅れて、盛大に噴出する血飛沫。赤く濡れた青髪の鳥女がよろめき、しかし倒れない。
セレーネの青い瞳には、殺意が戻っていた。深手を負ったもののスタンから快復した歌姫が、ここぞとばかりに叛逆の軍歌を奏でる。
美しい歌声だった。魅了の旋律は、リンドの心を揺さぶるように、頭の中に直接響き渡っていく。私のために戦って。私の敵に、刃を向けて。セレーネの歌声はそう語りかけていたが――リンドには通用しない。
凶貌の龍人、高い特殊抵抗力を備えた悪魔剣士は、落ち着き払った声で告げた。
「俺を操りたければ、メデューサ級の化物でも連れて来るのだな」
リンドの刃が翻る。とどめの一撃。高速で振り抜かれた大剣は、歌姫の首を切断していた。
刎ね飛ばされたディアボロの頭が雨空を舞い、小さな水たまりに落ちて転がっていく。死した美女の見開かれた碧眼には、まったく活躍できなかった無念が浮かんでいるようにも見えた。セレーネも、まさか一瞬で殺されるとは思わなかっただろう。恐るべき連続攻撃だった。
「まだです。『光雪』が来ますっ」
ユウの叫びに、リンドが振り向く。青白い光を纏った少女人形は、密着してくるアスハを強引に振り切って、ユウとリンドに両手を向けていた。
「目の前のアスハ殿ではなく、固まった俺たちを狙ってきたか」
密集しないように気をつけてきたが、対セレーネ班の前衛は攻撃する際、どうしてもセレーネの位置まで接近する必要があった。結果、二人は範囲攻撃魔法の有効範囲内に入ってしまっていたのだ。
スノウの掌に、雪ような燐光が灯る。強い霊的な力が人形の両手に集まり、膨れ上がっていく。
射程外まで急いで離脱しよう、とユウがリンドに声をかけるが、タッチの差で光雪のほうが速い。間に合わない――はずだった。
二発の銃弾がスノウの左右の腕に叩き込まれる。
「……隙だらけね、雪のお人形」
「思い通りにはさせないのですよー?」
胡桃と諏訪の銃撃だった。攻撃を阻害するように正面から左腕に撃ち込まれた胡桃の弾丸と、死角を狙って右方向から放たれた諏訪の弾丸が、スノウの両腕を弾いていた。
攻撃を連続で浴びたスノウがわずかに怯む。その隙に、ユウとリンドが全力で後方に跳躍。直後、上空に発生した青白い光の粉雪が地上へと降り注ぎ、破裂音を立てて一帯に炸裂していく。
●
滅茶苦茶に砕けたアスファルトと、被害を受けていない道路の境界に、ユウとリンドは立っていた。
「……何とか、間に合いました、ね」
荒い息を落ち着かせ、ユウが呟く。
咄嗟の回避が間に合い、二人とも無傷。辛うじて『光雪』から逃れることに成功していた。何の対策もしなければ大抵の物理前衛職が二発で沈むレベルの攻撃だ。喰らうわけにはいかない。
「私たちは、こんなところでつまずいている場合ではないのですから」
銀髪碧眼の少女人形を見据え、ユウがワイヤーを構え直す。
他方、ティターニア班。
疾走するアサニエルが、青薔薇の女王へと迫っていた。
「あんたの棘は厄介だからね。他のメンバーが人形を倒すまで、あたしらが相手をしてあげるよ」
アサニエルの接近に呼応するように、ティターニアの下半身――触手のように蠢く夥しい数の棘から、数本が伸びていく。が、それらはアサニエルに命中する前に銃撃を浴びて、軌道が曲げられた。
「援護射撃は任せてください、ですよー!」
「助かるね。このまま真っ直ぐ行かせて貰うよ」
諏訪の回避射撃を受けて棘を回避し、アサニエルが突貫。
七メートルほどまで間合いを詰めたところで、アサニエルが地面に手を当てた。同時に広域展開される魔法陣。陣が完成し終えた途端、それまで気持ち悪いほど動いていた棘が、へなへなと萎れていく。
アサニエルが使ったのは、シールゾーン。それは、スキルを封印するスキル。
「ほら、十八番を封じられた気分はどうだい?」
にやりと笑う赤髪の女天使。カオスレートの影響で、シールゾーンの成功率は格段に上がっていた。どう接近するかがネックだったが、諏訪のサポートもあって首尾よく決めれた。これは大きい。
棘の縛鎖さえ封じてしまえば、あとはこちらのものだ。
無能な豚と化したディアボロの背後に、影が迫る。
ハイドアンドシークで気配を殺していたルナだった。黒衣の傭兵は、アサニエルが正面から突撃している間に密やかにティターニアの後ろを取っていた。
愚鈍な女王のバックから、無数の黒い刃が踊る。オンスロート。味方すら切り刻む征服者の凶刃が、無数の太い棘を華やかに散らしていく。
切断された棘がぼたぼたと地面に落ちる中、気配を露わにした吸血鬼の少年が笑う。挑発的な笑みだった。
「お前の相手は俺だ、って奴だな」
対して、振り向いた妖艶なディアボロは不快そうな表情。自分の最大の武器を大きく奪われたのだから、無理もない。
ティターニアが、棘――ただの太い鞭となった棘で、ルナに反撃を試みる。弱々しい通常攻撃。しかし、それすらも撃退士は許さなかった。
無数の彗星が降り注ぎ、無数の棘ごとティターニアに衝突。コメットの重圧に負けて押し潰された棘の数々が、緑色の残骸となって地面に弾ける。
「ほらほら、これで棘の数も数えやすいんじゃないかい?」
余裕綽々といった表情で、アサニエルがティターニアを甚振り続ける。敵の注意を引き付けるように、笑う。
舐めるな、とでも言いたげな顔で、ティターニアが縛鎖の術を再度発動。シールゾーンは解けていた。残った数本の棘が乱舞し、アサニエルの脚や胸、首にするすると絡みつき、締め上げてく。
長く太い棘に拘束されたアサニエルの身が宙に浮かぶ。アサニエルは一瞬だけ面食らったようだが、すぐにそれは愉しげな表情に変換された。
「やるじゃないか、そうこなくちゃ面白くないさね」
アサニエルは動じない。むしろ予想外の事態を楽しみ始めていたが、ティターニアの拘束は一瞬で終わりを告げた。
黒と金の双剣を掲げたルナが即座に解放に向かっていたのだ。闇夜色の干将と月色の莫耶、二本の剣が鋭く振り抜かれ、触手じみた棘をばらばらに斬り落とした。
「大丈夫か……って、聞くまでもないな」
「掠り傷みたいなもんさ、大したダメージじゃない。それに、こんなところで倒れたら風邪引いちまうよ」
軽口を叩くアサニエルに、ルナが苦笑する。しかしこうやってティターニアのヘイトを稼ぐのも悪くないな、と思ったところで、気づく。
「……もう何本か、棘が再生し始めてるな」
最初にオンスロートで切り裂いた棘が、少しずつ修復されていた。あと数秒もすれば元通りになるだろう。
「ティターニアの所有する、常時再生能力か。やっぱり鬱陶しいな」
再生が完了する前に殲滅しないとな、とルナが二発目のオンスロートを放つ。一部の棘が大きく消し飛び、刃が命中しなかった他の棘はどんどん復元していく。
「早く攻撃しないと、ですねー! 丁度いいですし、試しさせてもらいますよー!」
諏訪のアシッドショットが、再生途中の棘に撃ち込まれる。強固な装甲をも溶かす腐敗の弾丸が、太い棘の一本に突き刺さった。
「さて、これでどうですかねー?」
この技は長期戦になればなるほど効果を発揮する。が、熟練撃退士クラスと思しきこのディアボロに、果たして通じるかどうかは分からない。
緑髪の青年が、ふと雪色の人形を振り返った。
「どうやら、あちらは効いてきたみたいですねー?」
●
雨に打たれる人形の右腕では、じわじわと腐食が進行していた。
さきほど諏訪が放った弾丸はアシッドショット。それは静かにスノウを蝕み、防御性能を引き下げている。
しかしスノウは、時間経過で回復可能と判断。腐敗の術者である諏訪よりも、ティターニアの周囲に集まったアサニエルとルナを次の標的に選んだ。
腐敗していく右腕を掲げ、少女人形が『光崩』を撃つ動作に入る。今度の相手は高カオスレートの天使と、防御や回避が比較的苦手な隠密職。直撃は大打撃を意味していた。
スノウの右手に集中した青白い光が、バレーボール大の球体となって放たれる、その刹那、
諏訪のアサルトライフルから放たれていた一発の銃弾が、発射前の光球に接触した。
光球が盛大に炸裂する。誰もいない空間で雪崩が起き、扇状に虚しく広がっていく。諏訪の読みは的中していた。
諏訪が爽やかな笑みを口許に綻ばせる。
「もしかしたら、と思ってましたけど、うまくいってよかったですよー!」
何かに触れることで炸裂する範囲攻撃。その性質を見抜ければ、対策は容易だ。そして、術が放たれる直前の僅かなタイムラグを、諏訪は見逃さなかった。
「……さて。其方の手札はあらかた出尽くした、かな……そろそろ幕引き、といこう、か」
間髪入れずにアスハがスノウに詰め寄る。突き出したバンカーは、腐敗した細い右腕へと向けられていた。
アスハのグラビティゼロに装填されたアウルが爆発。弾丸化した鋼鉄の杭が六連続で発射される。狙いは無論、損傷の激しい右腕だ。
右腕を狙われていることに気づいたスノウは、咄嗟に左に跳躍した。がしゃりと音を立てて飛び跳ね、スノウはグラビティゼロの六連打を寸前で回避。
しかし、スノウの逃げた先には彼女が待っている。
ひょこっ、とアスハの背から姿を現したのはエリーゼ・エインフェリア。範囲攻撃を警戒してずっとアスハを盾代わりにしていたのだが、最早隠れる必要もない。この一撃ですべてを破壊する。
「今度は外さないですよー。心も体も、全部ずたずたに斬り刻んであげます」
ふわふわした笑顔を見せるエリーゼの手中に、嵐を纏った漆黒の槍が出現。黒嵐槍(トリシューラ)。それは精神吸収を応用し変化させた、『精神破壊』の魔法槍。
すかさず投擲された漆黒の槍は、スノウの隙を突いて右肩へと叩き込まれた。槍から吹き荒れし嵐が、肉体もろとも精神を打ち砕いていく。人形の顔に、初めて苦悶らしき表情が宿る。
激痛にもがき苦しむ少女人形を見て、エリーゼはどこか満足げに、にこにこと笑う。まるで冥魔のように、あるいは雨のヴァニタスのように。それはどこまでも無邪気で残酷な笑顔だった。
スノウの右腕に蓄積されたダメージは相当なものだ。あと二、三度も攻撃すれば、破壊することも可能かもしれなかった。
「さぁ、雪のお人形。大事な『腕』を壊されたら……どうするのかしら?」
エリーゼに続き、アスハの空けた射線上で、胡桃が淡々と天矛立の引き金を絞る。漆黒のスナイパーライフルは、発光しているようにも見えた。
繰り出されるのは、破壊力を増大させた物理特化の一撃。
強弾『Eroica』。
自身を銃の一部と認識し、自身の纏うアウルを銃へと移動して放たれた強力な銃撃が、スノウの右腕に炸裂する。
腐敗効果を解除した薔薇の魔女は、スノウ対応班の撃退士に視線を向けていた。
ティターニアが、下半身から生えた大量の棘をそちらに伸ばそうとして、アサニエルのぶっきらぼうな声が飛ぶ。
「余所見してんじゃないよ。あんたの相手はあたしたちさね」
そう言って、アサニエルは滅魔霊符の光玉を真っ直ぐと放った。護符から生み出された光の玉が、ティターニアの頬を掠めて消えていく。
擦過傷から血を流しながら、ティターニアがアサニエルを睨む。
「それでいいのさ。あと少しの間、あたしたちと遊んでもらうよ」
アサニエルに続いて、ルナがPDWを連射する。
ルナがアウルの銃弾を浴びせ、ティターニアの豊満な胸部を穿ち、蜂の巣に変えていく。
ばらばらに砕けたスノウの右腕が地面に落ちる。
窮地の少女人形は、それでもまだ戦意を失わない。
残った力を振り絞って、スノウが左腕を頭上に掲げる。雨乞いのような光景。どうにか片手だけで『光雪』を撃つ気らしかった。が、
「――あなたは、もう眠ってください」
ユウの声が空から落ちる。同時に銃声。闇の翼で空を飛ぶユウが、空中からアサルトライフルで銃撃して、人形の動きを束の間だけ縫い止める。その一瞬の妨害で充分だった。
「終わりよ、雪のお人形」
「レインちゃんの偽物は、とっとと消えちゃってください。これが墓標代わりです!」
胡桃の銃撃とエリーゼの黒雷槍。高い威力と精度を誇る攻撃が、同時にスノウへと殺到する。
他方。右手にヴァーミリオンを握ったリンドが、血まみれのティターニアに近づいていた。
「ふむ。案の定、本体が負った傷は回復しておらぬな……」
束縛の棘がリンドに伸びる、より早く、アサニエルのコメットが炸裂。邪魔な縛鎖を残らず圧殺した。棘が再生するには、まだまだ時間がかかる。この状況で十秒は、あまりにも長い。
純白の光を纏った大剣がまっすぐと突き出される。刃の切っ先は、女の額に埋まろうとしていた。
リンドの口が、短い言葉が紡ぐ。
「さらばだ」
そして、雨の中に斬音が響いた。
●
八人の戦いが終わる頃には、全体の戦闘も大方の決着が着いていた。
損傷は軽微。時間的損失も、想定より遥かに少ない。殲滅に三十秒もかかっていなかった。
「初戦は自分たちの大勝利、って感じですねー? この勢いでゲートまで一気に行っちゃいましょー!」
支援部隊にスキルの回復を施されながら、士気を高めるように諏訪が言う。その他大勢の撃退士たちも賛同するような声を上げていた。
「……特に異常はない、か」
戦闘後も警戒を続けていたリンドが、ほどなくして大剣を納めた。不測の事態に備えるに越したことはないが、どうやら杞憂だったらしい。少なくとも、今現在においては。
様々な思惑を胸に抱いて、八名の撃退士――緑髪の青年が、桃髪の少女が、赤髪の青年が、純白の天使が、竜人の悪魔剣士が、黒衣の吸血鬼が、赤髪の堕天使が、黒髪の少女悪魔が、前に進んでいく。
その先に待つのは、勝利か敗北か。祝福か死か、はたまた裏切りか。
答えは、まだ誰も分からない。