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魅了の緋眼を持つ、女型のエインフェリア。
それは、ともすれば人間のようにも見える天界の眷属だった。
周囲には十人近くの島民達が無理やり配置されている。人の姿を模したサーバントが生きた人々を操り、動かし、支配している光景は、醜悪さすら覚えるいびつなもので。
種子島入りした中央前方班は、エインフェリアを前に様々な感情を巡らせていた。
「これが、天使の言う秩序、ですか。人を護るのではなく縛る秩序を、受け入れる訳には行きませんね」
琥珀色の瞳と白銀色の髪が印象的な少女、アストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)が一歩前に出る。
騎士で在らんとする彼女にとって、使徒率いる天界勢力の凶行はまさに言語道断。怒りの感情が止まって尚、赦しがたいものがあった。
「僕は、あなたみたいに弱い人を嬲ったり利用したりする者が大嫌いなのです」
はぐれ悪魔の少女、オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)が珍しく強い語調で告げる。悪魔であるが故に迫害された経験のある彼女は、弱者が虐げられる事を何より嫌っていた。
「――だから、あなたは絶対に僕が倒すのです」
浮遊する虚ろな瞳の女が、人壁の奥から無感情に撃退士達を見下ろす。アストリットとオブリオの闘志がこもった視線を平然と受け流し、サーバントは長弓を構えた。
エインフェリアの手元から第一矢が放たれる。同時に撃退士達も地を蹴って散開、無数の矢と化して駆け抜けていった。
疾走するアストリットが対天魔用武器に意識を集中し、アウルを解放。鏡面の如く磨き上げられた純白の鎧を纏った少女騎士が、大剣を掲げてエインフェリアへと迫っていく。
サーバントと距離を詰めるアストリットは、既に磁場形成の術式を展開し終えていた。アウルを練る事で足下に磁界を発生し、摩擦抵抗を無くす事で爆発的推進力を得たアカシック能力者のアストリットが、一瞬でエインフェリアの眼前まで到達する。
真正面からサーバントに切り込んだアストリットが、気合を込めた叫び声と共に大剣を一閃した。薙ぎ払われた大剣が命中すれば、間違いなくエインフェリアに深手を負わせる事が出来る、はずだった。
だが、アストリットの刃がサーバントの柔肌を斬り裂く事は無かった。
――斬撃の軌道上には、エインフェリアの傍らにいたはずの少年が割り込んでいた。
刃が少年の首筋に触れ、皮膚を突き破りそうになった寸前で、咄嗟に自制したアストリットが大剣を静止。びたり、と少年の首を刎ねかけた刃が止まる。
「くっ……!」
アストリットがツヴァイハンダーの長大な剣身を強引に引き戻し、後方に跳んだ。その刹那、エインフェリアの突き出した剣がアストリットの頬を裂いた。血の尾を曳きつつ、アストリットが何とか敵の間合いから逃れていく。
少女騎士がエインフェリアを睨む。人霊の右手には長弓の代わりに具現化された剣が、そして左手には、まるで盾でも扱うように、首を掴まれた島民の少年が掲げられていた。
「ちっ、力無き者を盾扱いだと……」
その様子に、共に戦陣を展開していた命図 泣留男(
jb4611)が舌打ちする。恐怖を顔を引き攣らせた少年の瞳からは、涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
「眷属風情が……格の違いを魅せてやる、この俺のプレミアム・ブラックでな!」
宣言を決めたメンナクが、聖なる刻印を発動。先行するジャスパー・クリムゾン(
jb7167)に天の加護を与え、魅了への耐性を一時的に上昇させる。
「かつての味方も今や敵か……だが、そんなことはもうどうでもいいことだ」
天魔界双方より堕ちしはぐれ天魔であるジャスパーは、ぶっきらぼうに呟いて漆黒の翼を顕現。上空へと飛翔していった。
「まったく、天界勢も地に落ちたのお。人間を盾にするとは……よほど自分の力に自信がないとみえる。元眷族ぢゃと思うとがっかりするのぢゃ」
堕天使の木花咲耶(
jb6270) が、幼い容貌に反して老人のような口ぶりで独白する。呆れとも軽蔑とも取れる言葉だったが、エインフェリアは反応する事なく淡々と弓矢を番えた。
対応すべく咲耶も黒風珠を構えるが――撃てない。咲耶が懸念していた通り、無数の人壁に遮られて射線が空かないのだ。
エインフェリアが矢の雨を飛ばし、咲耶を襲う。もっとも、矢は咲耶の身体を貫く事はなく、全て不可視の鎧に弾かれた。丈夫な魔装防御を展開している事で矢の威力は減衰され、浅い打撃にしかならなかった。
とはいえ。何度も喰らえば流石に不味い。それに、早めに撃破しなければ攻撃に長けた前衛達を魅了で操られ、大打撃を受けかねない。
だからこそ、真っ先に島民達を引き離し、その隙を狙ってエインフェリアに攻撃を集中する必要がある。
対一般人対応の役割を担う紫園路 一輝(
ja3602)、ネームレス(
jb6475)、峰山 要太郎(
jb7130) の三人も迅速に動き出していた。
「やれやれ、物騒なお嬢さんだ。勇者の魂とはよく言ったもんだぜ」
エインフェリアを揶揄し、ネームレスが肩を竦める。
「さて……俺の技じゃ一人にしか効かねえからな……使い所が肝心かね」
新人にして古参のネームレス。彼は、自分の持つスキルの欠点を正しく把握していた。ただ使うだけでは、普通程度の効果しか得られないであろうことも理解している。
エインフェリアに操られ、数人の島民達が撃退士のほうに向かって突き進む。
「俺はこんな所で負ける訳にいかない。あの子に勝つためにも、此処は必ず目に見える勝ちを掴ませてもらう」
ネームレスより先に動いたのは一輝だった。事前に準備していたゲーム用のパイを的確に投擲し、向かってくる男性の視界を奪った。
もう一人、一輝に掴みかかろうとした女性の頭上に影が降る。それは、要太郎が出発前に作っていた即席の捕縛具だった。
ネットで絡め取る事で、要太郎は女性の動きを封じた。要太郎がそのままネットを引っぱり、物陰まで引き摺っていく。
「すみませんが、擦り傷ぐらいは勘弁してください」
悲痛な面持ちで要太郎が告げた。彼女を抱えたり担いだりする事は、敵に隙を晒してしまう為に出来ないと判断したが故の、苦渋の選択だった。
だが、その判断はこの状況では正しい。
「ごめんなさい……」
操られるがままに抵抗しようとする女性の手足を、要太郎が謝罪の言葉と共に布テープで縛り上げる。しかし、女性はむしろ保護されて安堵しているようでもあった。
撃退士は鮮やかな手並みで二人を行動不能にしていた。が、まだ八人ほどがエインフェリアの周囲に散らばっている。このままでは埒があかない。
「――っ、この、いい加減にしろ!」
怒声と共に、一輝が咆哮を発動。強烈な叫び声で一喝し、大気を震わせる。獅子の雄叫びのようなそれは、島民達の足を本能的に動かしていた。一般人への干渉力では、撃退士のほうが上手だったようだ。
咆哮で恐怖に突き動かされた人々が散っていく。範囲外にいたものには、ネームレスが気迫を当てて動きを封じる。
「ま、ビビらせるぐらいは大目に見てくれや。殺しはしないからよ」
威圧しながらも、当然ネームレスに危害を加えるつもりは無い。「斬り殺していい類の人間には見えねえからな」、とネームレスが飄々と笑う。
これで大部分の島民は戦域の隅。残るは数人。
「さて。後はあのお嬢さんを頑張って殺して差し上げようかね」
ネームレスが不敵な笑みを浮かると、大剣を掲げてエインフェリアのほうへと向かっていく。奴を倒す為には、個ではなく多で挑む必要があると名も無き剣士は感じていた。
残る人々を傷つける事なく救出する策は、既に撃退士達の中にある。
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鈍い衝撃音が響いた。
エインフェリアの飛ばした矢を大剣で弾きながら、アストリットが肩で息をする。
近接武器しか持たないアストリットは、人々を盾にされて上手く切り込む事が出来ずにいた。
「こちらが人を守るために戦う以上、その人を盾にする戦いをされるとこちらは大きく動きを制限される……まずいですね」
最低限のダメージの蓄積は、確実にアストリットを消耗させていた。
アストリットの顔に疲弊の色が濃くなる。しかし諦める事なく、アストリットは大剣を構えたまま円弧を描くようにしてエインフェリアの側面へと回り込んでいく。
エインフェリアが傍らに立つ青年の身体に身を隠し、彼を盾とする。大剣を振るう前に、失敗を悟ったアストリットは後退した。
「…………」
攻めあぐねるアストリットを、エインフェリアは路傍の小石でも見るような眼で眺めていた。最早、彼女を脅威として認識していない。それよりも意識を割かねばならない対象が他にいる、とでも言いたげな表情だった。
エインフェリアが頭上を見上げる。
上空には、武器を構えて飛翔するジャスパーとオブリオの姿。
空からならば、地上ほど島民達に射線を遮られる事はない、と踏んでの行動だった。
「こっちだサーバント、俺達が相手をしてやる」
ジャスパーが焔のリングにアウルを込め、紅蓮の光球を射出。残月を構えたオブリオも、美しい軌道に乗せてアウルの矢を射る。
二人の霊撃は、人壁を抜けてエインフェリアへと向かっていく。これならば、と思われたが――
ジャスパーが舌打ちする。
空中からの攻撃のことごとくを、エインフェリアは回避していた。身動き一つで魔法球と弓矢をかわし、掠り傷すら負っていない。事前情報通りの素早さだ。
すぐに二人は第二射の用意に取り掛かったが、その隙に、射線を読んだサーバントが人壁の中に埋まっていく。
追撃しようにも、高度を下げれば魅了の射程内に入ってしまう為、迂闊に近づく事が出来ない。島民達も引き離せず、加えてあの回避力の高さは厄介だ。
撃退士は万策尽き果てたのか? 残された島民達の間に、絶望の空気が強まっていく。
そんな空気を打ち破ったのは、アストリットの一手だった。
エインフェリアの注意が上空の二人に向いた隙を突き、アストリットが幾度目かの突撃を仕掛ける。
一瞬遅れたが、エインフェリアがその動きに対応。島民を盾にする事で、斬撃を防ごうとしたが、
アストリットは、大剣など出していなかった。
彼女が手にしていたのは――風の玉。アウルを自然現象に転化し、再現した本物の風を収束・球体状に整えたものだった。
アストリットが収束した風を一気に解き放つ。暴風が炸裂し、エインフェリアの傍らにいた島民達を一斉に吹き飛ばした。
エアロバースト。この戦いにおける、アストリットの秘策だった。
「油断していたところから穴が開けば、サーバントとて気が逸れる筈……!」
射線が空いた隙を狙い、次に動いたのはメンナクだ。彼は一輝達が島民の動きを封じている間に、光の翼で飛翔してエインフェリアの後ろを取っていた。
盾代わりの島民達が引きはがされた瞬間を狙い、メンナクが審判の鎖を発動する。
「はっ、俺の鎖はナイフのように鋭利だぜ!」
メンナクの飛ばした聖なる縛鎖が、エインフェリアの無防備な背中に突き刺さる。サーバント相手に麻痺の効果は出ないが、完全な奇襲でダメージは充分だった。
撃退士の反撃はまだ終わらない。
アストリットや上空班との交戦中にエインフェリアの死角に潜んでいた咲耶が、ウォフ・マナフを構えて突撃。さらに、上空にいたジャスパーも一気に急降下した。
咲耶とジャスパーによる同時攻撃。さしものエインフェリアも、この挟撃は回避できない。
「焔の龍よ。全てを喰らい尽くせ」
口上と共に、ジャスパーが紅炎を発動。太陽のように激しく燃える光球から、炎の龍が噴き上がるようにして現れた。
炎龍に喰らいつかれ、エインフェリアの身体が燃え上げる。もっともその炎は天魔相手に十全な効果は発揮しない。すぐに霧散したが――一瞬の隙を作る事には成功した。
立て続けにネームレスが神骸を振り抜く。冷静に考える暇など与えない。
「お前を殺して俺はまた一歩前進させてもらう! 全力で行くぞ」
一輝も金色夜叉明王を発動し、攻勢に転じる。本来のスタイルとは異なる刀での戦闘だが、問題なく動けていた。
だが、エインフェリアもまだ粘る。
時間経過で聖なる刻印が消失した一輝に、エインフェリアが魅了の緋眼を発動。
対策に用意していた鏡による神話的抵抗は失敗し、一輝が仲間へと抜刀・煌華の刃を向ける。
一輝の刃が、相対する咲耶の身体を斬り裂いた。咲耶も、あくまで足止めを目的に大鎌で応戦する。
人の盾を失ったエインフェリアが、アストリットに魅了を施しながら後退。上空のオブリオを、弓矢で撃ち抜いた。
戦闘が激化していく中、メンナクと要太郎は島民達を縛って動きを止めていた。巻き込まない為の配慮でもある。
「おとなしく待ってろよ、すぐに終わらせてやるからな……お前たちの悪夢を!」
連続奇襲攻撃が成功した時点で、大勢は決していた。もうすぐ、勝負に決着が着く頃合いだ。
ネームレスが正面から大剣の一撃を見舞う。当然のように素早く回避されたが、味方の攻撃を通す為の騙しに過ぎない。
「後は任せたぜ、っと」
大剣を振ってネームレスが後ろに飛び退く。同時に、ルシフェリオンを活性化したジャスパーが再度降下して切り込んでいった。
ネームレスに気を取られたサーバントへと、天を侵す魔刃が振り下ろされる。
「天に抗いし天使、ゆえに俺は魔界に堕ちた。だがそうすることで得た力もある」
全アウルを注ぎ込んで再び炎龍を呼び起こし、ジャスパーは刃を一閃した。
「俺はこの力で、この世界を守る――」
それが、最後の一撃。
ジャスパーの炎刃に両断され、サーバントの体躯は二つに割れて地面に崩れ落ちた。
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最終的に、撃退士は島民に誰一人重傷者を出す事なく、エインフェリア討伐に成功した。
島民保護に人員を割きすぎたのか戦闘面では多少てこずったものの、隙を作る攻撃やそこを突く攻撃もあり、何とか無事に撃破する事ができた。
「人に人を傷つけさせるなんて。許せません。ここの天使はどうしてこんな酷いことをするのでしょう」
島民への応急手当を終えた要太郎が憤るように呟く。今回が初依頼で、学園のはぐれ天魔達との違いに戸惑いを感じているようでもあった。
「しかし、何故これだけの規模の天界勢がここを進軍しているのか気になるのお。ここに何があるのか……?」
治癒膏の回復を施しながら、咲耶が疑問を発する。島の規模を考えると、やや不自然なような気がしたのだ。何か、嫌な予感がする。
ひとまずは、人々を安全な場所まで避難させるのが先か。
撃退士達がそんな事を考えていると、ふと声が掛けられた。先ほどの島民達だ。軽傷を負っている者は多いが、皆一様に安堵の表情を浮かべている。
代表するように、一人の女性が前に出る。彼女の瞳は涙に濡れていた。
女性が口を開く。発せられたのは、心からの言葉。
――助けてくれて、ありがとう。