●貯蔵庫内
魔蜘蛛はアレンを庇い、2人は貯蔵庫の奥へ奥へと移動していた。
強羅 龍仁(
ja8161)に時折、魔蜘蛛からの攻撃が飛んでくるが、盾で受けられてしまっている。
(意外と威力はないな。撃退士であれば、首を切りつけられても、大したことはないかも知れん)
(魔蜘蛛が果たしてどこまでべティ様の記憶を有しているのか、かけてみましょう)
「猫神・恵那(
ja7947)ですわ。最後まで良しなに」
丁寧に挨拶をしても、返答はない。
「待って下さいな。先日にはディナーをご一緒した仲ではありませんの。共に食べたスッポン鍋、美味しかったですわよね?」
実際には出てこなかった料理を挙げて様子を見る恵那。八辻 鴉坤(
ja7362)が英語であることないことを叫び、罵詈雑言を交えて、アレンの動揺を誘おうと試みる。
とろんとした目で、アレンは微笑み、リボルバーをパンパンと5発発射した。
どこを狙ったのかもよくわからない。とりあえず撃った、という感じだった。
鴉坤はフライパンで回避する。
いや、フライパンがなくても、一般人の攻撃など、撃退士に当たるわけがなかった。
(残弾1発だと? 何に使う気だ‥‥)
龍仁は不安のようなものを感じた。
下妻ユーカリ(
ja0593)がハンドサインを出し、射程ぎりぎりから、魔蜘蛛の腹にある大きなベティの顔の目を狙って必殺の一撃を繰り出した。魔蜘蛛が悲鳴を上げて2本の足で顔をかばう。その隙にアレンの手を引いて、ユーカリは貯蔵庫の外へ転げ出た。アレンは抵抗するが、撃退士の腕力に勝てるわけがない。
●ダンスホールへ
「ああ‥‥アレン‥‥どこに、いるの」
魔蜘蛛がアレンを追いかけてくる。のそり、のそりと貯蔵庫から現れた姿を見たものは、一斉に口元を押さえた。それほどの、醜悪さ。
美しいベティの本来の顔が、変な角度で残っているだけに、余計に気色が悪い。
「置いていかないで‥‥」
「ベティ! 助けてくれ、私はここだ!」
アレンがユーカリに拘束された状態で叫んだ。魔蜘蛛の腹の目がぎょろりとキッチンを見回した。
鴉坤がユーカリを守るように立ちはだかり、龍仁が暴れるアレンを抱えあげた。ついでに手刀で銃を落とさせる。ダンスホールで一旦下ろすと、素早く上着を使って両手を縛り上げ、アレンの自由を奪った。
「アレン‥‥アレン‥‥」
のそりのそりと魔蜘蛛がやってくる。
「どこ‥‥」
「ここだ!」
隣接するダンスホール。そこから、大声で魔蜘蛛を呼ぶ鴉坤。
そこには、ディアボロ退治の要請を受けてやってきたマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)、前回コックさんを助けられなかった水尾 チコリ(
ja0627)、ロングボウを構えたシルヴィア・エインズワース(
ja4157)、Rehni Nam(
ja5283)、そして聖城 明(
ja7444)が、臨戦態勢で待ち構えていた。
ダンスホールに魔蜘蛛が足を踏み入れた瞬間、シルヴィアの狙いすました鋭い一撃が飛んだ。前衛組が囲んでしまう前に、残り2発の鋭い一撃をお見舞いする。
(意外とやわらかい敵ですね)
死体が素体なのだ、矢はぷすぷすと簡単に深く刺さり、おうえええと奇声をあげながら、魔蜘蛛が身をよじる。
「アレンさん! ベティさんの声が聞こえないのですか?! お願い! ちゃんと、ベティさんの声を聞いてくださいよ‥‥あんなに愛し合っていたのに、声が聞こえないなんて、そんなこと絶対にないのですよぉ‥‥」
レフニーが鴉坤と入れ替わりに前衛の盾となり、拘束されているアレンに呼びかけた。
「聞こえている‥‥聞こえているとも‥‥愛しのベティ、早く君のそばにいきたいんだ、この縛めを解いてもらえないかい?」
とろんとした目で懇願するアレン。
魔蜘蛛の魅了は、彼の心の奥までも、侵食していた。
念のため、ホール内、周辺廊下に逃げ遅れた人がいないかを確認してきたチコリが、がるるるるとうなった。金色の光の獣耳や尻尾が見えるような気がする。
「にんげんはたべちゃだめって、おそわらなかったの? ぷんすかなんだよー!」
チコリは魔蜘蛛の腹の顔の目を狙い、思いっきり加速した蹴りをお見舞いした。
「コックさんのかたきー!!」
あんぎゃあわぎょええええ!!
魔蜘蛛は奇声を発し、腹を2対の足で守った。残る2対の足の攻撃がチコリに向かう‥‥!
アイアンシールドで受け止めるレフニー。
「手数は多いけれど、威力はなさそうですね」
観察に集中していたシルヴィアが呟いた。
「くもさんこちら! てのなるほーへ! チコ、ちっちゃくたってがんばれるんだからねっ」
チコリはアレンから魔蜘蛛を引き離す作戦に出た。
「無理するなよ」
鴉坤が声をかけると、チコリは嬉しそうに頷き、再び魔蜘蛛に向かってがるる〜を始めた。
武器を漆黒の大鎌に持ち替えた明が続く。
「天魔如きが、穢らわしい口を開かないでください。人の情に付け込むしか能がありませんか」
マキナは淡々と語ると、魔蜘蛛の足に「序曲」を伴う鋼糸を絡ませ、強く引く事で足を裂き断った。虫特有の、青い血がびしゃっと飛び散る。
「見るに堪えませんね。もう終焉(おわり)にしましょう」
視認し難い鋼糸で翻弄しつつ、距離を詰めて近接戦へ持ち込む。
ナックルバンドを嵌めた拳を打ちつけると、ぶよっとした死体、いや、肉の塊の感触が伝わってきて、嫌悪感を催す。
魔蜘蛛は必死に抵抗する。シルヴィアの矢を受け、チコリは動物のように荒々しく蹴りつけ、ユーカリは苦無で、明は実弾で応戦する。人質を確保された以上、もう魔蜘蛛に勝ち目はなかった。
「助けて、アレン。助けて」
ベティの声で泣きじゃくる、薄気味悪い腹の大きな人面疽。
切っ先の鋭い足からは、レフニーと龍仁が皆を守る。
盾を抜けてこられるほど、強い攻撃手段は持っていないようだった。
「失礼します」
マキナはそう言うと、一旦距離を取り、創造≪Briah≫『九世界終焉・序曲』を準備した。
続くターンで、創造≪Briah≫『九世界終焉・終曲』の一撃を、文字通り幕引きとして、腹の顔へと叩き込んだ。
ぐあああああああ!!!
2対の足で頻りに守っていたことから、腹の人面疽が弱点ではないかとマキナは客観的に考えていた。
そして、それは、正解だった。
マキナの光纏である黒焔が、魔蜘蛛とベティの死体を焼き尽くさんばかりに輝く。
●戦いは終わったが‥‥
「お待ちください!」
光纏に、物理的に物を燃やす能力はない。だが、その光景に一瞬恵那は、そのことを忘れて叫んでいた。
「燃やしたい気持ちはわかります! ですが、落ち着いてくださいませ!」
恵那が必死にマキナを止める。鴉坤が恵那の背をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫、光纏に、物理的に物を燃やす力はないのだから」
「あ‥‥そうでしたわね」
ほっとする恵那。
「キッチンのオーブンでやけばいいとおもうのー、あそこなら‥‥はいらないかな?」
チコリはコックさんの敵を取るために、うんうん悩んでいた。
「‥‥私は成すべき事を成しただけです。恨むなら恨んでくれて構いません。その結果が齎す総てを背負う覚悟はありますから」
マキナは終始、無表情だった。
かさかさと音がして、魔蜘蛛の本体がベティの体から離れ、逃げていこうとする。
動物的な勘でチコリが気づき、本体はぐしゃりと潰された。
「この蜘蛛が誰かに取りつくと、またあの天魔が再生‥‥するのでしょうか」
シルヴィアがぞっとした顔で、チコリの潰した心臓大のモノを見つめた。
「うーん‥‥」
アレンがぼうっとした顔から、平静の彼に戻った。目の輝きが違う。
「私は‥‥夢でも見ていたのか?」
「夢でしたらよいのですけれど」
鴉坤は、傷だらけになったベティの亡骸に回復を試みたが、腹にぽっかりと穴が空き、変形した遺体を治すことはできなかった。
こんなベティをアレンに引き渡すのかと思うと、切なくて、最初の楽しかったクルージングバカンスを思い出してしまう。
「ベティ!? 何が、何があったんです?」
‥‥アレンは、魔蜘蛛に魅入られていた時の記憶は、すっかり抜け落ちているようだった。
緊張の糸が切れ、夫妻と遊んでいたときのことや、何事もなければ迎えられたはずのハッピーエンドが頭をよぎって、シルヴィアの目に涙が滲みそうになっていた。
「‥‥なんて後味が悪い旅なの‥‥」
悲嘆に暮れるアレンにかける言葉を探そうとしたが、見つからない。ただ、後を追ったり、自棄になったりはしないで欲しいな‥‥と思うシルヴィアであった。
「ベティさん。アレンさんにお伝えすることは、ありますか‥‥?」
レフニーが遺体に尋ねる。もう、返事はなかった。
ユーカリが、遺体から結婚指輪を外し、アレンに手渡す。
「思い出はまだ残っているからね」
亡骸の目から一筋の涙が光っていることに、アレンは気づいていた。
「う、う、うわあああ!!」
変わり果てた妻を、ただただ抱いて、泣くことしか、彼にはできなかった。
●帰港
天魔退治完了ということで、マキナは早々にヘリで戻っていった。
副操舵手に明が手を貸し、久遠ヶ原大桟橋への接舷を試みる。
どーんと音がし、少し揺れたが、無事に帰港することができた。
1発だけ残して使わなかった銃は、龍仁が引き取った。
このままでは、アレンが自身に向けて引き金を引きかねないと思ったからだ。
「いろんなことがあったし、センセにはいっぱいおみやげばなし、できちゃいそう!」
チコリは、迎えに来てくれたマリカ先生(jz0034)に飛びついて、今までの出来事を語り始めた。
「気を落とさないで、アレン。ベティは君のことをずっと見守ってくれているさ」
鴉坤は悲しみに沈むアレンに英語で語りかけ、久遠ヶ原のショットバーに誘った。
「アレン。お前は生きるんだ‥‥ベティの分も」
言ってしまってから、龍仁は「ちっ‥‥俺らしくもない‥‥」と言いつつ、ぼりぼり頭を掻いて、立ち去った。
多くの人が失われた。
多くの花束が、海に投げ入れられた。
そのうちの一つに、1対の結婚指輪が光っていたことを、誰も知る者はいない。
【船旅シリーズ・完】