●
早朝。朝焼けの茜色がまだ空にうっすらと残っている頃。
秘湯開場の合図として入口の鎖が外された。
駐車場にはマイクロバスが既に到着しており、撃退士たちが順番に下りてくる。
そんな中、すごい勢いで斜面を駆け上がってくる少女がいた。
雪室 チルル(
ja0220)である。
「やったあ、一番風呂だわー!」
猛烈な勢いで服を脱ぎ、かけ湯を浴びると、ざっぱーんと磨き立ての女湯に飛び込んだ。
湯の花も残っていない徹底した湯船の磨かれぶりに、管理人の職人気質を感じ取る。
「おおおー! こっちを向けばオーシャンビュー、あっちを向けば紅葉が見頃っ! おまけに今日は空まで綺麗で、あたい幸せ感じちゃうわ!」
とろりとしたお湯を腕に滑らせながら、チルルはハイテンションだった。
何しろ、命を張った戦闘依頼から、傷も癒えぬ状態で帰ってきた直後である。
傷を癒し、肌をもちもちぷるぷるにするという、秘湯の存在を聞いた瞬間、どれだけ期待値があがったことか。
そして実物は期待通りであった。
ぴかぴかつるつるの湯船。芯からあたたまる湯質。傷にも全然しみてこない。
「はぁ〜、癒されるわ〜〜〜」
チルルは気持ちよく、ウトウトし始めていた。
次に桶を抱えてやってきたのは、切れ長目で眠そうな感じのモデル体型の美女、ザラーム・シャムス・カダル(
ja7518)である。
「たまにはゆったりと浸(つ)かって浸(ひた)って‥‥癒されるのも悪くはないのぅ」
多国籍文化的な安眠グッズのコレクターであるザラームは、空気を入れると膨らむバスピローを持ってきていた。
バスピローで襟首を安定させ、温泉に浸かりながら、ぐぅぐぅと寝ているザラーム。
何か良い夢を見ているのか、幸せそうである。口元が僅かに緩んでいる。
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は、アリス・シキ(jz0058)と一緒に、のんびりと女湯へ上がってきた。
お互いに長い髪を結い上げて、ヘアターバンの中に入れる作業を手伝い合う。
かけ湯をして、湯船に入る際に、「冷えもんでございますわ、ごめんなさいませ」と、ちょっと時代を勘違いした言葉を口にするアリス。
「あの、それは‥‥なんの呪文ですの?」
みずほに問われ、逆に狼狽えるアリス。
「先客のございますお風呂に入ります時は、こう申し上げるのではございませんの?」
それは江戸時代の風習です。
「しょうがないわよ、進級試験直後だし。出題範囲が広いと、変な知識も混ざっちゃうわよね」
ウトウトしながらチルルがアリスをフォローする。
「そうですわね。進級試験も一応、済みましたし、卒業前の大切な時期ですもの、お風呂でゆっくりと疲れを癒しまして、何とか新しいスタートを切りたいものですわね」
みずほも、とろりとしたお湯を腕に滑らせる。
「それにしても綺麗な場所ですわ‥‥紅葉に、どこまでも広がる海と空と。皆様も、お美しくていらっしゃいますし‥‥」
ザラームのナイスバディを見つめ、みずほはぺたぺたとお湯で頬をパッティングした。
そこへやってきたのは、左手を闇に染めた美少年(?)、ユノ=ゲイザー(
jb9677)である。
「ちょ、ちょっと! お待ちなさいませ!」
みずほは胸を腕で隠して立ち上がり、細身で中性的な少年(?)に警告した。
「ここは女湯ですのよ!」
「‥‥だから?」
短い銀髪が揺れ、黄金色の瞳が細められる。中性的なユノの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
これまた中性的な服装を、堂々と脱いでいき、ユノの細い体躯があらわになる。
「あ‥‥ごめんなさい」とみずほは謝った。ユノは、間違いなく女性だった。
「慣れてるよ」
右耳に光る紫ダイアのピアスを湯につけないよう注意しながら、ユノは湯船に身を沈めた。
「この学園って、男の娘とか、性別わかりにくい人多いわよね」
とろとろしながら、チルルが頷く。
「可愛い娘も多いと思うがのう」
バスピローで気持ちよく半眠半覚状態で、ザラームが呟く。
「あーここですここです〜、女湯はっけ〜ん!」
サイドテールにした、腰までの金髪を揺らしながら、有栖川 妃奈(
jc0695)が走ってきた。
「間違えて猿湯に入っちゃうところでした! きゃあっ」
すのこで滑って、盛大にコケた。
「大丈夫?」
チルルが声をかける。妃奈は立ち上がり、「大丈夫です!」と服を脱ぎ始めた。
これまた、素晴らしいモデル体型であった。
「へぇ‥‥」
ユノがつい、観察する。
「わわわ、綺麗な男の人‥‥? でもここ女湯ですし、とにかく綺麗な人が居るのです! そ、そんなに見つめられると恥ずかしいですよ」
「あぁ、悪いな」
どぎまぎする妃奈からすっと視線を外し、別の女性を観察し始めるユノ。人間観察はユノの大好物であった。もう癖といっても問題ないレベルである。
「日頃ドタバタしてるから温泉くらいはのんびりしよ〜っと♪ ああ〜、このお湯、とろっとしていて、気持ちいい〜♪」
ゆったりと湯船で体をほぐし、妃奈はほうっと息をついた。
妃奈の登場で目を覚まし、ザラームは、アリスに声をかけていた。
「これ、そこのおぬし。後で一緒に、甘ったるいコーヒー牛乳を飲もうぞ」
可愛い子を見ると、口説かなければ気がすまない性質のザラームである。
「はい。ご一緒いたしましょう」
アリスはにっこりして、ザラームの誘いを受けた。
そんな光景も、ユノは観察し続ける。
多分ザラームは、温かくて眠たくなる場所が好きで、きっと甘いものも好きで、当然寝ることも好きで、人間そのものも好きなのだろう。
でなければ、知らない相手に、コーヒー牛乳を一緒に飲もうと誘ったりするわけがない。
きっと、家族や友人や、繋がりの深い人物に関しては、もっと好きなのだろうと、ユノは考えていた。
里山の斜面を、数匹の猿が通り過ぎていく。
「あ、野生の猿がいる〜! 可愛い〜♪」
妃奈はきゃっきゃと声をあげかけて、そして気づいた。
簡素な更衣室の、木製ロッカーがひとつ、大きく開いている。
あそこは、妃奈が着替えを入れた場所。
あ。私、鍵を‥‥かけ忘れた!?
「ああ、あの猿が持っているのはわわ、私の‥‥し、下着〜!? ま、ま、待ちやがれーっ!!」
慌ててバスタオルを体に巻いて、下着を握りしめた猿を追いかけ始める妃奈。
「お待ちなさい! 猿とは言え、不埒な行為は許しませんわよ!」
湯船から飛び出し、みずほが素早く猿の行く手を塞ぎ、野生の猿相手に、持てる技の全てを(アウルなし&手加減もなしで)叩き込む。
野生の猿が、みずほの技をありったけ食らって無事なわけがなく‥‥。
「あ、ありがとうございます。でもそのあの、ちょっとやりすぎかも、とか‥‥」
妃奈は、白目をむいて動かなくなった猿から、ビリビリに破れた下着の成れの果てを取り戻し、丁寧にみずほに頭を下げた。
「ごめんなさい、つい頭に血がのぼってしまいましたの‥‥」
しゅんとみずほは肩を落とし、そして。
自身が全裸で、女湯から飛び出していたことに気がついた。
「さ、さ、猿であっても、わたくしの裸を見られてしまいましたわ。もうお嫁に行けませんわ‥‥」
慌てふためいて、女湯に戻り、みずほは、真っ赤になって泣き出してしまった。
「あの位置は、男湯とか休憩所から、見えますの? 見えませんの? どういたしましょう、誰かが望遠鏡で覗いていたりしましたら、わたくしそれこそ、命を絶たなければ‥‥!」
「ん〜、ここからだと、どこからも見えそうにないわよ。あたいが保証するわ」
チルルがタオルを巻いて、みずほの暴れたあたりに行ってみる。
「それなら、良かったですわ‥‥」
みずほは安心して、めそめそ泣き続けていた。
(はぁ‥‥スカート押さえて帰らなくちゃ‥‥)
ゆっくりとお湯に浸かり、妃奈はしょんぼりしていた。お気に入りの下着だったのだ。
「味気ないかもしれませんけれど、綿の普通の下着でしたら、売店にございましたと思いますの。サイズを教えていただけましたら、わたくし買って戻ってまいりますわ」
アリスが助け舟を出し、湯船からあがって体を拭き始めた。
神がいる。妃奈は思わず、アリスを拝んだ。
ぬくぬくと皆であたたまりながら、チルルがふと、気になっていたことを思い出した。
「この湯船から出たら、進級試験の結果が待っているのよね。みんなはどう? 進級できそう?」
「わたくしは勿論、卒業するつもりですわ。雪室さんはいかがですの?」
何とか落ち着いたみずほが返す。チルルはえへんと胸を張った。
「あたいはね、明日から本気出すわよ!」
●
ここにひとり、里山の斜面を汗だくで登る者がいた。
こそこそと木々に隠れ、時に足元を滑らせ、草むらに隠された罠にはまり、猿よけに使われている人工芝で素足の裏をチクチクと刺激される。斜面な上に、体重がかかると人工芝は結構痛い。
「なんの!」
腰にタオルを巻いただけの不埒者、佐藤 としお(
ja2489)は、女湯を覗きに行く気まんまんであった。
数あるトラップをかいくぐり、落とし穴にはまり込み、土まみれで脱出し、根性でたどり着いた女神の園からは、きゃっきゃっと高い声が聞こえていた。
トライバル柄のタトゥーが数多く刻まれた上半身の筋肉が、緊張できゅっと締まる。
伊達眼鏡が湯気でくもる。
としおは、覗き防止用の壁にぺたりと体をつけ、そーっと湯船に視線を向けた。
「ぬお!?」
そこは女湯ではなく、猿湯、だった。
年頃のメス猿が、せっせと子猿の毛づくろいをしている。
としおを、自分たちのテリトリーに侵入してきたよそ者とみなし、でかいオス猿が、かあっと口を開き、としおを威嚇する。
「あ、あれ!? ここ猿湯!? てか、何で猿湯に目隠し壁があるんだよ? て、あああああ〜!!」
オス猿に本気で襲いかかられ、攻撃を躱したはずみに足を滑らせ、としおは、ごろんごろんと、里山の斜面を転がり落ちていった。
●
鑑夜 翠月(
jb0681)は、男湯の一番乗りを果たしていた。
「ふう〜、こうやってのんびりとするのも良いですよね」
ゆったりと体を休め、肩まで湯に浸かる。のんびりと紅葉を眺め、「秋ですねえ」と微笑んだ。
傍らには、温泉たまごと、屑入れの入った密封タッパーが浮いている。
かけ湯をして、雪ノ下・正太郎(
ja0343)が入ってきた。
「きゃあっ」と思わず胸を隠して、湯船の中でしゃがみこむ翠月。
「ん?‥‥女湯じゃないよな、ここ」
再度、確認する正太郎。確かに男湯である。
赭々 燈戴(
jc0703)が一升瓶を抱えて登場した。くんくん、と鼻が動く。
「坊主、無粋だぜェ。男なら体なんか隠さず、堂々と裸で風呂を愉しもうじゃないか」
瓶を置いて、豪快に服を脱ぎ、かけ湯をかぶる燈戴。
「男女の違いなんぞニオイでわかるわ。男の娘の類にゃ騙されねえよ」
「あう‥‥」
翠月は真っ赤になって、もじもじした。
「ああ、男の娘ってやつか。それならそう言えよ」
正太郎も、全裸を隠そうともせず、堂々とかけ湯を使っていた。
(ちぇ。間違えて女が入ってる‥‥なんてラッキーなこと、あるわけないもんな)
とろりとした湯が全身を包み込む。心地よくて、正太郎はゆっくりと息をついた。
普段は、「我龍転成リュウセイガー」なる変身ヒーローとして、日夜世界の平和を守っている正太郎だが、今日は、湯治に来ただけの、ただの疲れた青年だ。
ようやく翠月が落ち着きを取り戻し、浮いているタッパを開けて、温泉たまごを食べ始めた。
全身土まみれのとしおが入ってくる。かけ湯で体中の汚れを綺麗に落としてから、湯船にゆっくり足を入れる。
「やっぱ風呂はいいよな〜♪ 癒やされるよね〜♪」
赤く黄色く色づいた紅葉を眺めながら、としおは女湯が覗けなかった無念を抱えていた。
「生き返るな‥‥温泉は露天か檜風呂だな。‥‥近くに、檜風呂は無いだろうか?」
絶景を満喫しながら、強羅 龍仁(
ja8161)が湯に浸かる。
濡らさないように注意しながらパンフレットを見ても、残念ながら、ここには露天岩風呂しか無いようだ。
「檜の風呂は、あれはあれでまた、香りに癒されるものなのだが‥‥」
それにしても、と龍仁は考える。
「温泉に浸かりながら一杯出来れば良いんだがな‥‥そうもいかんかな」
「飲むか?」
タイミングよく、燈戴が手持ちの一升瓶を見せる。
「何だ? 日本酒か?」
「いやいや、未成年でも飲める冷えた甘酒だ。未成年はダメ・ゼッタイ、なんてな」
龍仁と燈戴は、甘酒を酌み交わしながら、紅葉とオーシャンビューを愉しんだ。
「海の蒼に山の紅。おまけに秘湯の湯で、俺様のイケメン度も上がる。最高だな、かはは」
甘酒をくいっとやりながら、ご機嫌な燈戴のそばで、絶景を見回す南条 政康(
jc0482)。
万全の防水加工を施した腹話術人形タダムネに話しかける。
「のう、タダムネ。絶景じゃのう。しかも湯もまた、まことに良い湯じゃ」
『仰せのとおりにございます。ここでしっかり身体を休め、次の依頼に備えましょうぞ』
(腹話術‥‥?)
翠月は興味津々に、政康とタダムネの会話に耳を傾けていた。
「はやく天魔をこの国から追い出し、平和を取り戻したいものじゃな。しかし、まことに、まことに良い湯じゃの。チビマルやドンベエにも、この湯を楽しませてやりたいものよ」
『召喚獣は、さすがに周りに迷惑がかかりまするな』
「うむ、残念じゃ」
「この学園には面白い人が多いなあ」
のんびりと、としおが政康の腹話術を眺めている。
龍仁は、何度か湯船を出ては冷水を浴びて体温を調整し、のぼせないよう心がけていた。
「甘酒飲むか?」
燈戴が尋ねると、タダムネが『有難き幸せにござりまする。しかし殿、休憩所にはコーヒー牛乳が売っておるらしいですぞ。こちらで甘酒を頂戴し、堪能するも良し、売店のコーヒー牛乳を選択するも良し、これは大いに迷いますな』と大きな口をパクパクさせた。
「何だ、飲むのか飲まないのか、はっきりしないやつだな」
1人2役のやりとりに、燈戴は退屈そうに言った。
「よーし、タダムネ! 拙者はコーヒー牛乳にするでござる。早速飲みにまいろうぞ」
『御意』
ざばあと湯船から立ち上がり、政康は燈戴に頭を下げた。
「赭々殿、拙者などに声をかけていただき、かたじけないでござる。ご厚意だけ頂戴するでござるよ」
●
場面かわって、休憩所である。
大きくて広い和室が幾つかあり、何段階かの室温に分かれていた。
湯あがりの者用に、やや涼しく調整された和室。
まったりしたい者用に、少しあたたかさを感じる程度の、ほどよい室温の和室。
卓球台がある奥の部屋は、ちょっと空気がひんやりしていて、床もコルク材になっていた。
「気持ちの良い湯だったな‥‥」
黄昏ひりょ(
jb3452)は、涼しい和室で、座布団を枕に、ゴロゴロと転がっていた。
畳の匂いが気持ちよくて、なんだかホッとする。
「お姉ちゃん肌綺麗♪」
「夢ちゃんも綺麗じゃないか、若いしな」
地領院 夢(
jb0762)と、地領院 恋(
ja8071)の姉妹が、浴衣姿で入ってきた。
慌てて起き上がり、赤面するひりょ。
「ああ、お気になさらずですよ」
夢はひりょに軽く手を振り、姉妹は売店のほうに歩いて行った。
浪風 悠人(
ja3452)・浪風 威鈴(
ja8371)夫妻も、温泉を堪能し終えて、休憩所に来ていた。
2人で仲良く、海が見えるベンチに座り、コーヒー牛乳と軽食をいただいている。
「温泉‥‥気持ち‥‥よかった‥‥♪」
「それは良かった。威鈴が喜んでくれたのなら、何よりも嬉しいよ」
夫婦は美しく広がる海を眺めながら、語り合った。
進級試験の事、段々過激化する依頼の事、この先にはまだまだ不安がいっぱい待っている事。
悠人は、今一番不安に感じ、悩んでいるのは、威鈴の両親にいつどうやって挨拶に行くか、なのだと告げた。
「大丈夫‥‥だよ‥‥」
威鈴は、優しく微笑んで、悠人の頭を撫でた。
「今‥‥なら‥‥いける‥‥って思えたら‥‥ボクの‥‥親に‥‥会えば‥‥いいと‥‥思うの」
「有難う、威鈴」
悠人は妻をそっと抱き寄せ、「二人でならきっと乗り越えられるよね」と囁いた。
ほんのちょっぴりの希望と安心感が心に芽生える。あたたかな妻のぬくもりが胸にしみてくる。
(お邪魔するわけにもいかないなあ‥‥)
ひりょは、遠くから浪風夫妻を見つめ、そっと気配を殺して、単身、売店へ向かった。
(また、来たいな。今度は大事な仲間達と皆で一緒に)
売店からは海がよく見える。ジュースを買って再び和室に戻り、ゴロゴロしながら、ひりょは心の中で考えていた。
先の戦いの後、ここに来ていれば、多少傷の治りも早かったのかな
また友達とワイワイ来てみるのもいいかもしれない
学園生活も慌ただしい、そんな中でも、ほっと一息つける場所かもな
温泉も景色も凄くいいし、気分転換にも良さそうだ
仲間達がほんわか笑顔でまったりしてる所を思い浮かべて、ひりょ自身も、思わずほっこり笑顔になってしまう。
体を伸ばしてゴロゴロくつろいでいると、そのうちゆっくりと睡魔が襲ってきた。
「ここの売店にはレモネード売ってるんですかねー?」
「売ってますかねー? レモネードが飲みたいですよね。ビタミンCで更なる美肌を狙いたいところです‥‥!」
料理屋『蛍』店員、常名 和(
jb9441)と、その常連客である狭霧 文香(
jc0789)が、湯あがりほかほかの体で売店を彷徨いていた。
「そう、先輩の入った温泉どんな感じでした? こっちは紅葉がめっちゃ綺麗でしたよー!」
「女湯も絶景でした‥‥! 紅葉が色とりどりで鮮やかで。お肌ももちぷりになった気がしますー♪」
ツヤツヤのお肌で2人はレモネードを探す。ようやく見つけた瓶ジュースは、絞りたてのレモンの味がした。だが、在庫がもうないのか、ケースの中を幾ら探しても、見つからない。
2人が飲んだのが、最後の2本だったというわけだ。
「ん〜、なかなかいいレモネードを置いてあるじゃないですか。これは負けられませんね。料理屋『蛍』では連日連夜レモネードテロ開催中〜♪ 気になる方はぜひお越しください!‥‥って、このお店の前に、はり紙でも貼っておきます?」
悪戯っぽく笑う和。
「まさにテロですね!‥‥チラシの貼り逃げ、しちゃいましょうかっ」
和のアイデアに、くすくす笑う文香。
「ああ、何だかレモネードが、もっともっと飲みたくなってきちゃいました。この後は『蛍』さんに直行しませんか? 何杯でも頂いちゃいますよ〜?」
「何杯でも!? さすがレモネードの伝道師ですね‥‥!」
幸広 瑛理(
jb7150)は、売店近くのベンチで、甚平姿でコーヒー牛乳を飲みながら、女衆が来るのを待っていた。
「こんにちは、幸広先輩! 休憩所で少しゆっくりしませんか?」
夢が恋の手を引いて、挨拶する。恋も会釈した。瑛理も手を振って答える。
「こんにちは、恋さんに夢さん、今日も姉妹仲良しですね」
立ち上がって背後に回り、恋の肩にそっと上着をかける瑛理。こっそり囁いてウインクする。
「他の男にこんな綺麗なうなじを見せるのは、勿体無いですよ」
そして微笑んだ。
「飲み物は僕からご馳走させて貰っても?」
「有難うございます! じゃぁ、フルーツ牛乳飲みたいです♪」
夢がはしゃぐ。恋は申し訳なさそうに頭を下げた。
「え、あ、なんだかいつもすみません」
「いえいえ。2人の笑顔が何よりのお礼ですよ」
3人でジュースを飲みながら、温泉の話で盛り上がる。
「紅葉と海が同時に見えるってとっても素敵でした、男湯はどうでしたか?」
「いやあ、絶景でしたね。猿もいてこれぞ日本の秋、でした。悪戯はされませんでしたか?」
夢の話に頷き、「これで日本酒でも飲めたら良かったんですけどね」と瑛理が残念そうにこっそり呟いた。
「え、猿がいたんですか?」
恋が目をぱちくりさせる。
「いましたよ。女湯からは見えませんでしたか?」
「はい。全然気がつきませんでした‥‥」
恋は答えながら、(先輩の甚平姿、少しいつもと雰囲気が違うかな。格好良いです)と考えていた。
「見て見て、先輩。温泉でお姉ちゃんの肌、いつも以上にとっても綺麗です! つるつるでぷりぷりなの♪」
「ちょっと夢ちゃん、普段とそう変わらないよ」
お姉ちゃん自慢を始めた夢に、恋が慌てて止めようとする。
「いつもお綺麗ですが湯上がりの魅力はまた格別です。夢さんも笑顔がより輝いていますね、一緒に温泉に来た甲斐がありましたよ」
瑛理が褒めちぎる。恋は真っ赤になって俯いた。
「もう、顔があげられないじゃないですか、勘弁してくださいよ」
照れて気まずそうに、恋が呟く。
それにしても。
夢ちゃんと一緒にのんびりするのは久しぶりだな。
最近は何かと忙しかったようだし、楽しんでいるようならすごく嬉しい。
そう、恋は心の中で、貴重な日常生活の幸せを噛み締めていた。
●
麻生 遊夜(
ja1838)は、来崎 麻夜(
jb0905)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が、湯からあがるのを、のんびりと待っていた。
売店でコーヒー牛乳と軽食を購入し、和室で適当にだらけている。
「待ち人ですか?」
ゴロゴロしていたひりょが姿勢を正し、遊夜に声をかけた。
「そんなとこぜよ。露天も良いが‥‥やはり、こういう時間も悪くないもんだぜ」
ケラケラと明るく笑う遊夜。
「黄昏さんか。ひとりで来なすったんで?」
「はい。知り合いは何人か来ているんですけれど、なかなか声をかけづらくて‥‥」
ひりょは苦笑して頭を掻いた。
「次の機会があったら、大切な仲間たちも連れてこようと思っているんですけどね」
遊夜は、「それもいいやな」とケラケラ笑う。
「大勢で楽しむのもまた乙なものぜよ。俺のほうは最近また家族も増えたし、やるべきことが多くてね、なかなか来たい人と2人きりでってわけにはいかんのぜ。大勢も楽しいし2人きりも、もちろんひとりでふらっとするもよし、だな。そんな時間も、たまには必要だろう」
こくりと深く頷く遊夜。
「そうなんですか、ご家族が多いんですね」
「俺は寮・兼・孤児院を運営しているからなあ。孤児や独立した元孤児の計13名が家族ぜよ」
「13人!? それは大変ですね」
どいつもこいつも大事な家族ぜよ、とケラケラ笑う遊夜であった。
そこへ、とてとてとヒビキが走ってくる。麻夜もバスタオルで髪を拭きながら、ヒビキを追ってやってくる。
「ユーヤぁ!」
「ほい、風呂から出た後の飲み物ほど美味いもんはないやな」
ケラケラと笑顔を崩さず、抱きついてきた2人にコーヒー牛乳を渡す。2人から人見知りの気配を感じ取り、ひりょはそっと席を外した。
「温泉、ちゃーんと楽しんできたか? 良い景色だったよなぁ」
ケラケラ笑う遊夜に、「ん、混浴じゃないのが、残念だったの‥‥」とヒビキが呟く。
「ん、でも、山も、海も‥‥綺麗だった、ね?」
遊夜のあぐらに座り、背を預けたヒビキから順に、濡れ髪を拭き、ブラシで梳いて整えてあげる。
「ん、よろしく、ね?」
遊夜に微笑みかけ、ヒビキはコーヒー牛乳を「おいし」と飲んでいた。
「ヒビキが梳いて貰ってる間は、後ろから先輩に抱き着いて甘えとこうかなー? ふふ、家と違うのもまた新鮮でいいねぇ」
クスクス笑いながら、麻夜は買ってもらったコーヒー牛乳を飲み、軽食をつまみながらゴロゴロした。
時々手を伸ばして、遊夜やヒビキにも食べさせてあげる。
「はい、しゅーりょーだぜ。これでヒビキの髪はサラツヤなのぜ」
ぽんぽんと遊夜がヒビキの肩を叩く。
「ん、やっぱり、ユーヤが、一番」
自分の髪に触れ、こくりと頷くヒビキ。
「次は麻夜の番ぜよ。麻夜は相変わらず大変そうだよな、洗ってるとき重くねぇ?」
濡れたながーい黒髪をなでなでして、遊夜は手入れに取り掛かった。
「クスクス、長い髪は自慢だけど、確かに大変だねぇ。だから、細かいのはやっぱり先輩にして貰うのが一番だよ」
大人しく髪を任せながら、麻夜はヒビキに抱きつかれたり、最後には膝枕でうとうとされたりしていた。
「ん、どこでも一緒、ゆっくり、出来る‥‥」
心からまったりしたのか、ヒビキがすやぁと寝息をたて始めていた。
●
一方、奥の卓球ルームでは、熱く激しいバトルが繰り広げられていた。
ことの始まりは、湯あがりに休憩所を探検していた亀山 淳紅(
ja2261)が、奥の部屋の卓球台を見つけたことであった。
「お〜い、こっちに卓球あったでー。折角だし皆でやろうや〜」
のんびりまったり、ピンポン感覚で遊ぶつもりで、淳紅は友人を誘った。
「うおおお! たっきゅーっす!」
湯あがりほかほかの、ニオ・ハスラー(
ja9093)のテンションが急激に上昇する。
早速、ラケットを片手に持ち、ズビシっとポーズを決めるニオ。
「亀山さん! エイルズさん! 負けないっすよーー! 勝ったらコーヒー牛乳かフルーツ牛乳を所望するっす!」
ぴょんぴょんと跳ね回り、気勢をあげるニオ。
「よっしゃ! 負けた人が牛乳おごりなー!」
俄然やる気が湧いてきた淳紅。
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は、「やはり温泉と言えば卓球は基本ですからね」と、落ち着いた様子でとりまとめた。
3人でじゃんけんをして、順番を決める。
スコーン、カコーンと気持ちの良い音を立ててラリーが続く。
白いピンポン玉が右へ行き、左へ行き、審判をつとめるニオの瞼が徐々に重くなってくる。
「チャンスやで!」
好機を得たとばかりに、淳紅がスマッシュを放つ。
「あっ」
エイルズレトラ、思わず脊髄反射でピンポン玉を回避する。
「亀山さんに1てーん!」
ニオの声が卓球ルームに響き、「わああ、やってしまいました〜」とエイルズレトラがORZする。
「次こそ、避けませんよ!」
気を取り直し、試合を続行する。
リズミカル且つ勢いのあるラリーが続き、今度はエイルズレトラがスマッシュ!
しかし淳紅、うまくレシーブ!
自分に試合の流れが向いていると感じた淳紅は、攻めに攻めて、再びスマッシュ!!
「ああっ」
意志と無関係に、エイルズレトラの体がピンポン玉を避ける。
ニオの「亀山さんに1てーん」を聞きながら、淳紅はエイルズレトラに詰め寄った。
「なんで避けてしまうねん、真面目にやる気あらへんのんかー?」
「いや、そんなことはないんですよ。どうしても脊髄反射的に避けてしまうんです。日頃の習慣とは恐ろしいものですねえ」
エイルズレトラは負けを認め、悔しがった。
「もし、これがドッジボールだったなら、内野が僕一人になった瞬間に、相手チームが投了することになるところなのですが‥‥!」
「はーい試合開始ですよー」
審判のエイルズレトラの合図で、ニオはサービスの構えを取った。レシーブの構えをして待ち受ける淳紅。
「ひゃっはー!」
勢いに任せて、ピンポン玉ばかりか、ラケットまで一緒に投擲するニオ。
「ちょっニオちゃんラケットとんできtあばっ」
すこーーーんと良い音を立てて、淳紅の顔にラケットが刺さる。
くっきりと淳紅の顔に跡をつけて、ころりん、と卓上に落ちるニオのラケット。
「さあ来るっすよーー!!」
ラケットの代わりに、スリッパを片手に構えて、ニオは試合を続けた。
すぱーん、ぽこーんと、ちょっと変わった音を立てながら、器用にピンポン玉をレシーブしていく。
流石は撃退士、並みの運動選手では出来ないことをやってのける!
「はーい、3ゲーム先取で亀山先輩の勝ちですよー」
パチパチとエイルズレトラが拍手する。
「疲れたっすー、うひー汗だくっすー、牛乳飲むっすよーー」
服の裾をパタパタして仰ぐニオ。
「もうなんか、負けとか勝ちとかどーでもいいっすー。とにかく冷たいものが飲みたいっすよー!!」
「せやね、自分も汗だくやわ」
動き続けていた淳紅も、すっかり汗びっしょりになっていた。
「大人しく、カードゲームでも遊ばへんか?」
エイルズレトラの目がきらりと光った。
後になって淳紅は振り返る、「それは新たな罠の始まりやったんや‥‥」と。
「さて、僕がトランプを持っていますから、切って配りますね〜」
3人で畳の部屋に場所を移して、円陣になる。
「エイルズさんすげーっす! カードをぱぱぱーって! かっけーっす!!」
鮮やかな手つきでトランプを切り終えるエイルズレトラ。感動するニオ。
「で、で、あたし、るーるわかんねーっすけど、どーするっすか?」
「‥‥ババ抜きにしましょう」
エイルズレトラと淳紅の2人がかりで、ニオにルールを教える。
「りょーかいっす!」
最初は、ニオに対し、ルールのインストがメインということで、ゆるーく遊ぶ3人。
「たまにはええよな、こうやってのんびりすんのも」
まったりした雰囲気で、ふに、と笑う淳紅。
意味ありげな微笑の下に何かを隠しているエイルズレトラ。
「えへへー、ババのこしちゃったけど、みんなで遊べて楽しいっす。うし! もうひと勝負っす! あたし次は勝っちゃるっすよー!」
「よっしゃ〜、自分もだいぶ疲労回復したし、もう一勝負やっ!」
単純なババ抜きで白熱する3人。
皆にカードを配る際に、こっそり、各自の手札を細工するエイルズレトラ。
「お、お、お、さあどれにするっす? どれにするっす!?」
「う、うーんっ、こっちが怪しいかな、それとも‥‥」
三つ巴の好勝負が続く。
「やっぱりババを見抜くのは難しいですねえ。ところで亀山先輩、ニオさん、提案があるんですけど、ドベになった人が1位の人に食事をおごるっていう案はどうでしょうか?」
この提案が通った途端、ニオと淳紅は、嫌な汗をたっぷりかくことになった。
エイルズレトラが圧勝し、ドベはぎりぎりで淳紅に決まる。
(やられた‥‥手品得意だって忘れてた‥‥)
今度は淳紅がORZする番であった。
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秘湯と景色を満喫して、のんびりとマイクロバスが帰っていく。
その行く手には、いつもの日常が待っていた。