●クロウ
月臣 朔羅(
ja0820)は、楽器の手入れ中のクロウに接触していた。
横に折りたたみ椅子を広げて座り、自身も撮影機材の手入れを始める。
「話は小耳に挟んだわ。カナリアさんをうまく連れ出せたとして、その後どうする気なの?」
「どうする、って‥‥」
クロウの脳裏に、「餓死する自由」という言葉がよぎる。
しかし、彼はその言葉をぎゅっとねじ伏せ、見ないことにした。
「大きな駅とか、人の集まるところで、姉さんと一緒に演奏したら、きっといっぱいお金が貰えます。スカウトだってあり得ると思います」
短絡的で、非現実的な返答だった。
「家はどうする気? 姉弟そろって、雨風にさらされて生きるつもりなの?」
朔羅に突っ込まれると、クロウは何も言えなくなってしまう。
「それは‥‥演奏でお金を集めて‥‥」
「食費はどうするの? 病気になった時の医療費は? 生活費って意外にかかるものなのよ?」
畳み掛けながら、朔羅は思った。クロウは自分に都合のいい夢を見すぎている。
「きっと、きっと良い人に、すぐにスカウトされます! 姉さんはそれだけの実力があるし、そうなるべきなんだ!」
クロウは、思い描いている素晴らしい未来について、とくとくと朔羅に語った。
●団長
団長のキャンピングカーを訪れ、新聞記者・鷺谷 明(
ja0776)は単独インタヴューを試みていた。
胸ポケットに、ボールペン様のマイクロレコーダーを忍ばせ、こっそりスイッチを入れる。
今回の公演が成功すれば、子供達にお小遣い程度はやれそうですか?
――むぅ‥‥難しいかもしれません。おやつの菓子くらいは奮発しようと思ってはいますが‥‥。
歌姫殿を留学させたいとの事ですが?
――うむ。あの娘は未だ原石。然るべき教育を施さねば、宝の持ち腐れになります。
海外の私の知人に預けたいとは思っていますが、まだ先方が受け入れられる状態に無くて。
だからカナリアには伏せておいて欲しいのです。
下手に夢を抱かれて、駄目でしたでは、かえって傷つけるだけでしょう。
無論、彼女が別の道を選んだ場合も、応援するつもりはあります。
もし歌姫殿の留学がかなった場合、その後の歌劇団の展望は?
――今までどおりです。歌は、ナイチンゲールに頼ることになるでしょう。
「そういえば、どこかの斡旋所に、こんな依頼があったらしいよ‥‥まぁ、立ち消えになったようだがね」
明は、クロウが、カナリアから笑顔が無くなっていくと心配し、斡旋所を訪れていたことを、慎重に内容を選んで、伝えた。
コンコン。
扉が開いて、Robin redbreast(
jb2203)と、歌音 テンペスト(
jb5186)が車内にやってきた。
「オィーッス!」
歌音が元気よく挨拶をする。
2人は明を見つけ、「もしかして、取材の邪魔?」とロビンが尋ねた。
「いや、気にしなくて良いとも。丁度終わったところだ」
にやっと笑い、明は軽く手を振った。
「ねぇねぇ団長さん、皆に、将来の目的はまだまだ言わないの?」
ボランティア・歌音が、団長にずずいと歩み寄った。
「最終目的が分からないまま進むのは、道に迷って遭難して潰れちゃわないかナ‥‥あたしはそれが心配ですぴょん」
「将来の目的? ああ、自立の話ですか?」
団長は一瞬キョトンとした。
「私は、孤児たちには『今』を精一杯、頑張って欲しいと思っているのです。その間に、将来どんな仕事が向いているかをじっくり観察し、18歳になったら、行くべき道の選択肢を示せば良いと考えています」
「こんなこと言ったら、団長さんは、驚いてしまうかな。カナリアは、自信をなくしてしまっているし、クロウは、すごく不満を感じているみたいなんです」
ロビンはおっとりと、丁寧に言葉を紡いだ。団長は更にキョトンとする。
「カナリアが何故、自信を‥‥?」
「それは、直接話してみたら、どうですか? あと、クロウには、貯金してること、教えたらダメですか?」
明のマイクロレコーダーは、まだ、録音を続けていた。
●発表
【二羽の小鳥】
籠の小鳥(小鳥A):カナリア
自由な小鳥(小鳥B):ナイチンゲール
王様:城里 千里(
jb6410)
貴族たち:シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)、歌音 テンペスト、孤児たち数名
脚本原案:天宮 佳槻(
jb1989)
「記念すべき共同公演、頑張って成功させますわよ! ファイトー、オー!」
若干目の下に隈を作っているシェリアが、関係者一同で輪になり、景気付けの言葉を発した。
「‥‥お、おー‥‥」
ちょう棒読みで、千里が遠い目をする。
(これ、あれですか。君ならできるとかいって、体よくやらされる、あれ。交流名目なのに、重要な役を撃退士がやらないのは変ですし、はいはい、やりますよ、王様役)
出来れば、知り合いには来て欲しくない‥‥という千里の思いも空しく、明の手配したポスターが、ユウ(
jb5639)を含むボランティアと団員により、校内に続々と貼られていく。
勿論、バッチリ名前入りだ。
「公演、盛り上がるといいですね」
「きっといっぱい、見に来てくれますよ」
すっかり団員や孤児たちと仲良くなり、ユウはにこにことポスターを貼ってまわる。
「そういえば、団長さんってどんな人なんですか?」
「怒るとすーっごくおっかないのー! でもね、でもね、なんか‥‥パパみたい、なんだよ」
ユウの問いに、孤児たちが答える。
「もしかしたら、カナリアがいなくなっちゃうかも、って言ってた。ナイチンゲールに歌を任せるかも、って。カナリアは、もうじきオトナになるから、ここに居られなくなるかもしれないんだってさ。ぼくは、ずっとここにいたいなぁ」
「提案があります。ラスト近くに、この場面を加えたいと思います。従って配役を追加したいのですが」
淡々とした口調で、佳槻がプリントを配った。
(王様、飛び回る小鳥Bを見上げる)
おお、自由な小鳥Bよ、捕らえないから教えてくれ。
小鳥Aは以前は幸せそうに歌っていた、自由に飛び回るお前さんにも負けない程に。
その歌声を守る為に、雑音を排し、冷たい風を遠ざけ、大事にして来たつもりだ。
なのに、今の小鳥Aは、爽やかな風やきらめく木漏れ日に目もくれず、悲しそうにこちらを見るばかり。
一体何が足りないのか、我にはわからぬのだ。
(小鳥B、高らかに歌う)
木枯らしの冷たさを知らない者に、春風の訪れはわからないわ。
耳を閉ざせば、嫌なことを聞かなくて済むけれど、優しい声も聞こえなくなる。
答えはすぐ傍にあるのに、気づかないなんて、可哀想ね。
(窓が開き、小鳥Bは飛び去る。
広々とした空が見え、その下にいる人々の声が聞こえてくる。
外から小鳥Aの歌を漏れ聞いていた人や、今まで聞こえなかった王様の声が、小鳥Aに届く。
小鳥Aが、空と、その下にいる人々に向かって歌い、終幕となる)
*追加配役 外にいる人々:孤児たち
カメラマンとして、練習の様子を見にきた朔羅は、カナリアと、クロウの表情を観察した。
クロウは、配られたスコアを確認しつつも、姉の顔をチラチラと窺っている。
脚本をなぞるカナリアの顔が、蒼白な蝋人形のように見えた。
「カナリアさん、クロウさん、ちょっと来ていただけます?」
シェリアは2人を招き寄せて、幕間にミニコンサートをしたいと持ちかけた。
「団長さんの許可は得ていますわ。作詞も徹夜で頑張りましたの。どうでしょう、一緒に練習しませんこと? わたくしピアノを担当いたしますわ」
2人に歌詞を渡す。
「‥‥小鳥Bの言葉みたいですね。ナイチンゲールが歌うほうがいいのじゃないかな」
つまらなそうにクロウが感想を漏らす。カナリアは、じっと固まって、歌詞を見ていた。
「団長が許可したのでしたら、やります」
「姉さん?」
「わたしには、歌うことしか、できませんから‥‥シェリアさんが折角書いてくださった歌ですし、頑張ります」
カナリアの顔には、あの、団員や孤児たちの前で見せる、「心配させまいと浮かべる笑顔」が、張り付いていた。
●団長、そして秘密の会話
最初の練習が終わり、皆が食事の準備に入ったところで、朔羅は団長の車に向かった。
「自立資金と留学について、秘密にしておくには、限界が近い様に思います」
練習風景の映像を流しながら、畳み掛ける。
「カナリアさんは自分抜きの練習があることを知っている。その影響は‥‥この表情を見て、気づきませんか?」
「‥‥知られて、いたのですか」
「はい。クロウさんは彼女の様子を見て、危機感を抱いています。それはやがて、強引な手段に発展しかねない。彼は、姉が良き音楽家に拾われ、笑顔を取り戻す事を願っています。それは、貴方の留学させたいという思いに近い。一度、彼と話してみては、どうでしょう?」
わかりました、何とかして時間を作ります。団長はそう約束した。
孤児たちの多くが食事を終え、眠りにつく頃。
練習用に、学園から借りた夜の第2講堂は、人気を失ってがらんとしていた。
カナリアが弟とともに、何度も間違えながら、シェリアの書いた歌を練習している。
誰かのためにあり続ける事 それは本当に幸せ?
自分で羽ばたいて 自分の手で掴み取って
君が望む 君だけのトクベツ
誰かのためじゃない 君のためのトクベツ
さあ あの青い空へ飛び立とう 君は一人じゃない
そこにはいつも 大きな愛が見守ってるから
(声に覇気がない。感情もイマイチ伝わってこない。巧いけれど、それだけだ)
密かに見守っていた千里が、率直な感想を抱く。
「良かったら、ちょっとあたしの歌も聴いて欲しいな! カナリアちゃんの歌を聴いて練習したの」
貴族役で出演予定の歌音が、練習に飛び入りした。
なんとも表現しがたい、破壊的な歌声がボゲェ〜と響く。思わずクロウが耳を押さえた。
「‥‥ふっ。自分の惨状に泣けてくるわ‥‥」
ほろりと涙した歌音に、クロウがだみ声で言った。
「どんまいです。僕も歌は全然で、だから楽器を選んだんです。テンペストさんも自分に合う楽器とか絵とか、何か見つかるといいと思います」
「クロウさん、ちょっと、構いません? 衣装のサイズ合わせをしたいのですけど」
ユウが手招きをした。クロウはバイオリンを仕舞って、立ち上がった。
歌姫のどこか平坦な歌声を背に、2人は講堂内の廊下を歩き出した。
クロウが足をとめた。空き部屋から、団長の声が聞こえてきたからだ。
部屋の中で、明がマイクロレコーダーをスピーカーにつないで、インタヴューの一部を流している。勿論ユウも共謀者だ。
「‥‥自立資金? 留学??」
混乱した様子で、クロウはユウを見た。
「なにそれ、僕は聞いていない。知らないよ。なんなんだそれ」
「ここの団長さんは優しいね、みんなのお金を貯金してくれてるんだって。あたしは、タダ働きだったし、自由な時間もなかったな‥‥ぐんたいみたいに、殴られたりも普通だったよ。ここの団長さんはぜんぜん殴らないね、なんか不思議」
闇の中から姿を現し、かくりとロビンは小首をかしげた。クロウの目が揺れる。
練習後。カナリアに青汁を差し出し、自分も一気飲みしながら、歌音は呟いた。
「あたしもクロウくんみたいな家族が欲しいな‥‥」
本音だった。
「結果を出したら認めてくれるのは社会、だけど、結果が出なくても、努力や生き様を認めてくれるのは、家族や友達なのよ。カナリアちゃんにはクロウくんという家族が傍にいるでしょ。今のあたしにはそういう人がいないから、結果を出して‥‥笑いを取ったり敵をやっつけたりして‥‥認められるよう頑張るの。誰にも認められないのは、つらいことだもの」
ね、カナリアちゃん、と歌音は続ける。
「カナリアちゃんは、団長さんのために歌ってるの? クロウくんのために歌ってるの? それとも、お客さんに喜んでもらうために、歌ってるの?」
●カナリア・5
電気が全身を走り抜けた気がした。
わたし――わたし、誰のために、歌っているの?
今まで、カナリアの中をすり抜けてきた言葉が、すとんと心に落ちてきた。
『きれいな声。歌で、色んな人を楽しませられるって、すごいね』
ロビンのまっすぐな褒め言葉。
『ねぇ、戦いで疲れ傷ついた人達の心を、その歌で癒して貰えないかしら。泣けなくなった目に涙を。笑えなくなった顔に笑顔を。貴方のような人が支えてくれるから、私達は天魔と戦えるの。お願いよ、考えてみてね?』
朔羅の「依頼」。
ああ、わたし――本物の、籠の中の小鳥Aだった。
空も窓も何も見ていなかった。振り返ることさえしなかった。
わたしの歌に拍手をくれる人たちのことも、何も考えていなかった!
ただ、団長に認められたくて、褒められたくて――いやだ、わたし、ただの子供じゃないの!
美しい蝋人形の瞳に、光が灯った。
●公演前夜
「どうです? 練習の方は。小鳥Aの役、だいぶ慣れてきたようじゃないですか」
練習の合間に、佳槻が淡々とカナリアに話しかけた。
カナリアの歌は、あの夜から突如、命を宿した。
迫力ある声量。胸を打つ歌声。空っぽだった歌が、生き生きと息づいていた。
次席歌姫のナイチンゲールがたじろぐほどに、実力の差を見せつける。
(大丈夫。カナリアさんの歌は、ちゃんと聴衆に向いています)
陰ながら姉弟を心配していたユウが、胸をなでおろした。
『誰かに特別と認めてもらうんじゃない、特別とは、自分の手で掴み取るもの。だから勇気を持って世界に羽ばたこう、そういう意味を込めて作った歌詞ですわ』
ミニコンサート用の歌詞を手渡した時の、シェリアの言葉。
『公演が終わって幕が下りましたら、ハイタッチで締めましょうね』
『人はだいたい一緒でほとんど違う。似てても違ってても別にいいだろ? 誰だって平凡で、そして誰だってトクベツなんだ』
どう見ても団長を模した王様を演じる、千里の言葉。
『撃退士の書いたストーリーだ、あんまり現実と混同するなよ。この脚本を通してくれた団長を信じろ』
千里は、舞台の上の戦友。一緒に歌と演技を合わせ、練習を重ねてきた。
彼の言葉も、今なら信じられる。
そう。
わたしはトクベツで、そして平凡な歌姫――誰かのトクベツになるには、自分で掴み取らなくちゃ。
カナリアの歌に力がこもる。
この公演、絶対に成功させてみせるわ。
「姉さん、なんか昔みたいだ」
ミニコンサートの練習中、クロウがぽつりと呟いた。
「歌が好きで、大好きで、いつも楽しそうに歌っていた頃の姉さんが、戻ってきたみたいだ」
●開幕
客席は人でいっぱいだった。立ち見も多い。
明と朔羅は、取材と称して、オーケストラボックスの近くに陣取っていた。
幕が上がり、カナリアの切なく美しい歌声が、聴く者の心を震わせる。
その瞬間、会場の空気が、貴族の館のそれに変わった。
<続>