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「ねーさまに、人間3800人を献上しちゃいまぁっす♪」
悪魔娘ジェルトリュード(jz0379)は、「ヘルくじら」で拉致した人間をベリアルに受け渡した。
「人間って釣るの簡単ねー。まあ、世界屈指の、ずのー派アイドルのあたしにかかれば、簡単なのも仕方ないけどねっ。次はもうちょっと多く捕ってくるから、ねーさま、待っててね♪」
ジェルトリュードは「ヘルくじら」に移動を命じた。「ヘルくじら」はゆっくり、ゆっくりと向きを変える。雲に紛れ、<光学迷彩>で身を隠しているが、動きは緩慢そのものだ。
「‥‥小回りがきくのと動きの速さでは、デビルキャリアーも捨て難いっちゃ捨て難いんだけどねー」
今頃、田舎町で「影」が集めているはずの人間たちを運ぶため、「ヘルくじら」はのんびりと空を泳ぐ。今度の村では、4500人弱の人間が得られるはずだ。
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撃退士たちは、町の主要道路沿いに転移した。
歩きやすいのか、主要道は村人でごった返している。村人たちは「影」を追うように、そして「影」を追う人々を追うように、まっしぐらに西の山方面に向かっている。顔は前を向いたまま、正気をどこかへ置いてきてしまったかのようだ。
脳の奥に、笛のような音が響き渡る。撃退士たちは、何事かと周囲を見回した。
防犯カメラの映像だけでは、予測し得なかったことだ。
何かが起こった。
心の奥にしまいこんだ喪失感を煽られ、大切な人が消えてしまう危機感が募る。
浪風 悠人(
ja3452)には、愛する妻が、人々を煽動しているように。
卜部 紫亞(
ja0256)には、魔女狩りの時代を生き延びた魔術師でありながら、天魔との戦いで死亡した母に。
詠代 涼介(
jb5343)には、過去、戦いに巻き込まれた時に命を落としてまで救ってくれた、とある撃退士に。
ファーフナー(
jb7826)には、かつて自身の手で殺した女に。
エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)には、今ここにいるはずがない妹に。
赭々 燈戴(
jc0703)には、黒髪銀目の、悪魔に殺害された実娘に。
感じられた。
耳を塞いでも音がする。追わねばならない焦燥感に駆られる。
しかし、精神を鍛えている撃退士は、まだこの程度なら、自制できた。
「なるほど、手段はわかった。人々を洗脳し、自らの手を汚さずに人間を採集しようというわけか。敵ながら流石と言いたいところだが、お遊びはここまでだ」
エカテリーナは冷たく言い放ち、村人の住宅近辺に視線を向けた。
「これだけの人数に邪魔されたら流石に参っちまう。ちょっくら、隣町まで行ってくるぜ」
燈戴が、道脇の畑に降り立ち、人々の流れに逆らうようにして、無人となった町を目指して走りだした。
「多分、隣町まで戻る必要ないですよ。この町で色々調達できそうです」
燈戴の背中に向かって声をかけたのは、悠人だ。
乗り捨てられていた車に駆け寄り、すぐに走れるか、物色している。
セダンタイプの車だが、キーは車内に放置されていた。これなら動かせる。
だが燈戴は首を振った。
「隣町までの距離はさほどない筈だ。ここの住民を解放後、困らせるのも忍びないだろ」
そう言い置いて、走り出す。
涼介も、別の農道から、動かせそうなトラックを見つけていた。
「愚図愚図していると敵を取り逃すぞ」
そう言って涼介は助手席に、紫亞を招いた。
「人が多すぎて、視界の確保が出来なかったから、助かるわ。一応礼を言っておくわね」
紫亞はおっとりと、涼介に声をかけた。本当は<Voie de l'ombre>で瞬間移動を繰り返し、先頭集団の更に先まで移動するつもりだった。しかし人ごみで視界が遮られていたため、転移できなかったのだ。
「どうだシキ、衛星ネットと防犯カメラで現在の敵の進路、そこに至る道幅、並走・合流する他の道の確認が出来そうか? あと隣町までの往復時間はどれくらいだ?」
乗り捨てられた軽自動車に乗り込み、斡旋所に待機するアリス・シキ(jz0058)と連絡をとっているのは、ファーフナーである。
『防犯カメラによりますと、主要道沿いに集団が進んでいるようですの。カメラ映像だけでは、詳しくはわかりませんわ。衛星写真は地図ツールですので、オンタイムの人影などは写りませんのよ。ですが、迂回路などのご案内は出来そうですの〜。それと隣町の件ですが、地図上での直線距離は短うございますが、道のりは‥‥山越えが必要ですわ‥‥』
(主要道を歩く一般人が多い。道幅を占領されている現状では、車両で無理に通れば、撥ねてしまう!)
「集団の動きから察して、敵の進路先は恐らく西側の町はずれだ。迂回路の指示を頼む。こちらはセダンとトラック、軽を入手した。現在地はGPSで確認してくれ」
『はいですの、迂回路のデータを送りますわ』
ファーフナーに答え、全員のスマホに、アリスからナビデータが送られてくる。
「コドロワさんも乗って!」
悠人に急かされ、アサルトライフルMk13を構え、隙のない軍人らしく乗り込むエカテリーナ。
3台の車は迂回路へと道をはずれた。
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山道を走ること2時間弱。隣町についた燈戴は、別途、軽トラックを手に入れていた。
燈戴は、適当に目についた庭やガレージから、洗濯紐や物干し竿、梯子などを拝借し、また、商店や集合住宅から消火器を幾つかと、自転車も見つけ次第、荷台に放り込んだ。
「急いで戻らなくちゃな」
脳裏に響いていた音はもう聞こえない。愛娘の幻覚もすっかりなくなっていた。
燈戴は軽トラックを飛ばして仲間の後を追った。
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天魔「影」は、人々の歩みに合わせた速さで、ゆっくりとじっくりと、老若男女を惹きつけていた。
踊りながら、いざないながら、町はずれの畑の奥へ至る道をゆく。
主要道から農道に入り、山道に至る手前。
ひろびろと広がった麓の畑では、「ヘルくじら」が<光学迷彩>で身を隠し、その巨大な口を大きく開けて待っていた。
アリスは「ヘルくじら」の存在に気づかず、広々とした畑へ撃退士の車を誘導した。
どんどん脳内に響く笛の音が大きくなる。喪失感、大切な人の面影が、膨れ上がる。
「影」と人々が、どっと畑になだれ込んでくる。
「ヘルくじら」の存在に気づいたものはいない。
紫亞が<北風の吐息>で「母」を集団から引きはがした。
よろけた「影」を3台の車で囲む。
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(俺は、過去に縛られず現在を生きることを選んだ)
ファーフナーはグラールハルバードを振るい、人々の先頭集団と「昔殺した女」の間に、巨木を伐り倒して障害物とした。空気を斬り裂く音とともに、聖なる音色が響き渡る。
(今、守りたいのは若い友人達、そして、罪もないこの人々だ)
人々は倒木を乗り越えようと必死だ。足の悪い老人や子供もいる。彼らが苦戦しているところへ、紫亞が<スリープミスト>を2発打ち込み、涼介が召喚したフェンリルに<超音波>を5発使わせた。
先頭集団は沈黙する。後から来た人々は、何が起きているのかわからないものの、正気を失ったまま、倒れた人々、立ちすくむ人々をかき分けて前に出ようとする。
ファーフナーは<ダークハンド>で人々を止めた。
涼介も一般人の抑止に回った。眠ったり、動けなくなっている一般人を抱え、少しでも畑から遠ざける。まだ動ける一般人は、直接体を抱えて制止していく。
(俺が助かるより貴方が生き残るべきだった‥‥その方がきっと多くの命を救えていたはずだ。‥‥そう考えたことは一度や二度じゃない。でも、過去は変わらない。起こってしまったことは変えられないんだ。だからせめて、それが無駄ではなかったと示したい。ニセモノだろうが、恩人のカタチをしたあの撃退士の目の前で、見せつけてやる)
涼介はちらりと後ろを振り向いた。「影」に立ち向かっていく仲間の姿が目の端に留まる。
(俺が一人でも多くの人を救えば、それはそのまま、貴方のしたことが間違いではなかったという証明になる。そのためにも‥‥今ここで、この人たちを助けるぐらいのことは、やって見せなくてはな)
<悪鬼険乱>を使用し、アサルトライフルを構え、「影」を待ち受けるエカテリーナ。背後に黒紫色の炎が出現し、皮膚の至る所に黒い模様が浮かび上がり、その姿は不気味で悍ましく感じられた。
<ボディペイント>で【潜行】した悠人が、愛妻の姿を認めて、歯を食いしばった。
もし彼女が本物だとしたら? しかし‥‥その時は、大怪我をさせてでも正気に戻して連れ帰る!
「maman、貴女には沢山の事を教わったわ。魔法も、生き方も、戦い方も‥‥でも一番今役に立つことは‥‥邪魔をするなら誰が相手でも容赦しない心構えね。貴女がニセモノだってことは、このカードが示しているわ‥‥maman、占いを教えておいてくれて、本当に有難う」
紫亞は、懐からタロットカードを1枚取り出して、掲げた。<ラグナロク>をため始める。
「maman‥‥要は貴女を消し飛ばせばいいわけね」
罪もない一般の人々から、今の「妻」を少しでも遠ざける為に、悠人は【潜行】状態のまま、人々の隙間を縫って「妻」に接近し‥‥<ウェポンバッシュ>を打ち込む!
「おじいさん! おじいさんが‥‥!」
「ままを、たすけて! ままがころされちゃう!!」
ざわっと一般人からあがる悲鳴。
彼らには、彼らの「大切な人」に見えているのだ、あの「影」が。
迷わずに涼介は発煙筒を投げた。白い煙がもうもうと立ち込めて、戦いを人々の目から隠す。
(誰だって見たくないよな、ニセモノとはいえ、大切な人がボコられるところなんざ)
奇襲を受け、吹き飛んだ「妹」に、エカテリーナがアサルトライフルを容赦なく撃ち込む。
<アウル炸裂閃光><アウル毒撃破>を使い分け、「妹」を林に追い詰める。
「例え肉親とて、人類を裏切るような真似をするなら容赦はしない。こんなことで、私を止められるとでも思ったか。その甘さを後悔させてやる! 所詮、貴様は私に目をつけられた時から、ただの的なのだ。的は的らしく、素直に弾を喰らえ!」
「妹」に容赦なく弾丸を撃ち込むエカテリーナ。
傷ついた「妹」の無差別範囲攻撃が、戦闘中の撃退士全員を巻き込む。
更に反撃を食らいながらも、「妹」は容赦なくバステスキルを放つ。
「泡剤で見えなきゃ近づき難いだろ!」
かなり遅れて、現場に到着した燈戴が、トラックから飛び降り、消火器を放つ。
脳裏の娘の面影は消えない。
愛娘の葬儀には間に合わず、死に顔すら見ていない。
もし本物だったら、敵に操られているのでは、与しているのでは、脅されているのでは‥‥様々な父親としての感情が交錯する。
胸にさげた、楕円形のロケットペンダントが揺れる。 燈戴と亡き妻と娘の3人で写った家族写真が収まっており、裏面にはラテン語【Dum vivo vivam】の刻印がある。
「Dum vivo vivam(生のある限り、私は生きよう)、これは俺が、失った家族、生を紡ぎ続ける家族の為、誓った言葉だ!」
消火器が空になるまで泡剤を吹きかけた。
「娘」は泡剤を<物質透過>して、にゅるりと這い出てきた。
にたあ。黒髪銀目の娘が微笑む。
トラックに積み込んできた、洗濯紐や物干し竿、梯子、自転車等を投げつける燈戴。
今更バリケードを作っている暇などない。
「お前の息子は元気だ‥‥後は任せておけよ。お前の親父だぜ、俺は」
燈戴は、双銃インフィニティを構えた。
「お前の代わりに俺が。そしてお前を‥‥」
「愛娘」を討つ覚悟を決め、引き金に指をかける。
その姿勢のまま、燈戴はバステ【朦朧】を受けていた。
紫亞は<ラグナロク>を、確実に「母」に打ち込んだと思った。
しかし、手ごたえがなかった。
狙った場所に、「母」は居なかった。
「母」はにゅるりと、柔らかな畑の地面から這い出てきた。
(<物質透過>で避けたの!? どういうこと!?‥‥まさか、阻霊符を、誰も発動していない!?)
当たり前すぎて、意識にのぼらなかった。誰も思いつかなかった。
あと少し、あと少しで倒せるところまで追いつめている筈なのに、決めるつもりだった大技など、肝心なところで、機敏さや<物質透過>などで、避けられてしまっていた。
失策だった。
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「遅いと思ったら害虫がわいていたのね」
空から可愛らしい少女の声がしたと思うと、強風が巻き起こった。
同時に巨大な「ヘルくじら」の姿が浮かび上がる。
撃退士たちは衝撃で吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
一般人を拘束するスキルが解除される。また、倒木も瞬時に粉みじんになり、風に散った。
「害虫ごときが、あたしたち上級知的生命体の邪魔をしようだなんて、数百億光年早いわよ」
皆「光年は、時間ではなく距離だ」と反論が喉まで出かかるが、地面に縫い付けられるような圧力に耐えかね、声が出ない。動かない体を動かしてやっと見ると、ちょう生意気そうな悪魔族の小娘が、大口を開けた「ヘルくじら」に生き延びた一般人を誘導して飛び込ませているところだった。
「だいぶ生存者の数が減っちゃったわねー、まあ良しとしましょう。あんたたちは、ねーさまに運命を預ける栄誉を得たのよ、家畜にしてはついてると思いなさいね。さ、行くわよ」
「うう‥‥」
ファーフナーは、もう一度、目だけを精いっぱい動かして「影」を見た。
まだ、あの時「この手で殺した女」にしか見えない。
しかし、「影」を全く違う者の名で呼び、慕い、憑かれたようについていく人々。
勝ち誇ったように見守る悪魔の小娘。
自ら「ヘルくじら」の口に飛び込んでいく人々を、助けることもできず、止めることも出来ず‥‥人々が攫われていくさまを見守ることしかできない。
悔しい。
人は誰かのために生きているのだ。
それが故人であったとしても、生前に抱いた感情は、時を経ても決して消えることはない。
色あせていくことはあっても‥‥だ。
そんな人間の純粋な感情を利用する小娘、ジェルトリュードに、ファーフナーは強い嫌悪感を覚えた。
咄嗟に、体が、動いた。
ファーフナーは「あの時殺した女」に飛びかかり、<コレダー>でとどめを刺していた。
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「ごめんね、ねーさま、少し殺しちゃったわ」
「ヘルくじら」で「とある場所」にジェルトリュードが運んだのは、死者300人を含む4500人弱。
その全てをベリアルに献上し、小娘はてへっと無邪気に笑った。
「でも、まだまだ頑張っちゃうわよー! ちょっとイイコト思いついちゃったのよね。あたしの邪眼が疼いて止まらないの、新しい子作ってもいいかしら?」
ジェルトリュードはそう言って、自身の所有するゲートがある方角を、見つめた。