●通報1日前
変な夢を見た。
汗びっしょりで起きたら、ぼくの両腕が青黒くなっていた。
ままは、「どうしたの?」とぼくを抱き上げて、すぐに、どさりと椅子に倒れ込んだ。
ぱぱはままを呼びながら、「まま、何やっているんだ。朝ごはんは?」とぼくを抱き上げて、そして、どさって床に倒れた。
ぼくは、2人を起こそうとして、でもダメで、そうだおばあちゃんちに行こうって思った。
おばあちゃんは、里山を越えた向こうの、隣町に住んでいる。
上手にお靴が履けなかったから、ぼくは裸足で歩き始めた。
おねまを、やぶとか木とかにいっぱいひっかけちゃった。
まま、怒るかな。
そういえば、何だかおなかがすかないや。
●
ファーフナー(
jb7826)は、生存者である、児童養護施設の事務員に電話をかけていた。
「聞きたいことがある。何故ディアボロの襲撃と判断したのか?」
『悲鳴が聞こえたんで、玄関から中を見たんです。そうしたら、あの子どもの両腕が、それぞれ樹木のように伸びて、ばたばたと皆が倒れていくのが見えました。あんな芸当、ディアボロだかサーバントだか、よくわかりませんけれど、その類のものじゃないと、出来ませんよ』
保護された事務員は、恐怖に声を震わせていた。
「公園から施設までの移動手段はなんだ? 車か?」
『車です。公園から少し離れたところで迷子を見つけたので、一時保護するとスタッフから連絡がありました』
「その際に、子どもを抱き上げたのか?」
『そこまではわかりませんが、チャイルドシートには乗せていたと思います』
「何故皆は逃げられなかったのか、事務員のお前だけが何故逃げられたのか?」
『私は、一人で落ち葉掃きをしていて、外に居たので、悲鳴を聞いて建物の中を見たあと、すぐに車で逃げ出してしまいました。そして学園に通報しました』
事務員は、公園の近くで警官が亡くなっていたことについては、知らなかったという。
恐らく、幼児を保護した場所から死角になっていたか、幼児に気を取られていたか、何かの理由で、気付かなかったのだろう。
件の児童公園は、そんなに狭い公園ではない。
しかし、これについては、肝心の、幼児を保護した当人が既に鬼籍入りしているため、推測するしかなかった。
●
「依頼とはいえ、安易に幼児=ディアボロと決めつけて討伐すると後悔しそうですね。不確かな情報ばかりですし、慎重に動かないと‥‥」
水無瀬 雫(
jb9544)は、揺らぐ心を抑えつつ、冷静に考えようとしていた。
「そうですね。施設の状況や、幼児が殺したと言う事実ですらも、冷静な判断ができたかどうか怪しい事務員の証言しかありませんし。幼児がどうやって、これだけの人数の人間を殺害したのかとか、最初に遭遇した警官が死んだのに、なぜ幼児をここに連れて来ることができた人間がいるのとか‥‥色々と辻褄があわない事になっているのですよね」
仁良井 叶伊(
ja0618)は頷いて、ファーフナーから事務員の証言を聞き、「ううむ」と難しい顔で腕を組んだ。
「通報内容は『ディアボロと思しきものに襲われた』だ。『幼児に襲われた』ではない」
ファーフナーは「つまり、その幼児は、一般人が見て、ディアボロの襲撃としか思えないような技を使えるということだ」と付け足した。
「非効率的な殺害方法にも関わらず、被害者が多すぎると思ってはいましたが、そういうことですか。慎重に行動しないと、痛い目をみることになりそうですね」
鈴代 征治(
ja1305)がそう言って、皆に、斡旋所から借りた無線機を配った。
「随時、連絡を取れる状態にしておいたほうがいいですね。状況の変化に応じて情報を共有化しましょう」
川知 真(
jb5501)は、重そうな紙袋を提げていた。中には、幼児サイズの手袋や暖かい洋服、靴下等、防寒着が詰まっている。幼児が複数人いた場合を想定して、多めに用意してきた。
「‥‥この、幼児型のディアボロについて心当たりがないか、聞き取り調査をしてきた‥‥」
征治に配られた無線機をつけながら、御剣 正宗(
jc1380)が、ぼそりと呟いた。
「可能性は‥‥色々だ‥‥。覚醒者の可能性‥‥はぐれ天魔の可能性‥‥それから、自我を持つディアボロの可能性‥‥ディアボロに寄生されている一般人の可能性‥‥。色々だ‥‥色々ありすぎる‥‥」
「まずは件の幼児に会ってみないと、何とも言えませんね」
雫が、正宗の言葉に、頷いた。
●
一行は児童養護施設へ向かった。
叶伊はまず、ガス・電気・水道のメーターを見に行き、ガス漏れや漏電の可能性がないことを確認した。
突然、ファーフナーのスマホが震えた。
がらんとした養護施設に、バイブの音がブイーンと響く。
事前に調査を依頼していた、警察からの連絡だった。心臓が凍って死者が出た事件は、ミニパトの警官2人が最初の確認例だという。幼児の身元や両親については、まだ確認が出来ていないようだ。
「わかった」
ファーフナーはスマホを切り、阻霊符を使用し、「怖くないから出ておいで」と、どこかにいるであろう幼児に呼びかけてみた。しかし、反応は、ない。
現場を一通り調べて、実際の状況を確認し、生存者がいることを願う叶伊。
だが、その希望は虚しく打ち砕かれた。
地道に部屋を一つ一つ確認していく征治。
被害者の遺体が、あちこちにごろごろ転がっている。簡単に検視するが、胸が氷のように冷たいだけで、外傷らしきものはなかった。
真が<生命探知>を使用する。
キッチン、押し入れのいくつかに無数の気配、そして2階にも、生命の気配を感じた。
●
誰か来る。
こないで。また、みんなみたいになっちゃう。
幼児は、2階のトイレの中で、便器の蓋を閉めたまま、その上にうずくまっていた。
鍵は、ノブのボタンを押すタイプだったので、背伸びして、しっかりかけた。
手の届かない高さにある窓から、冬の冷風がびゅうびゅうと吹き込んでくる。
バサバサと、ぼろぼろのおねまが、風をはらんで揺れる。
ぼくの手、どうなっちゃったの?
ぼくは、ただ‥‥。
下階から、複数の、人の気配が近づいてくる。
こわい。
こわい。
ぼくの両手が、次に何をするのか、わからない。
こわい‥‥。
●
叶伊が<蜃気楼>を使って姿を消し、待機している中。
「ここにいたのですね」
雫は、2階のトイレを思い切ってノックした。
「助けに来ましたよ」
その言葉に、トイレの扉の向こうから、小さな子どものすすり泣きが聞こえてきた。
「ぼくを助けてくれるの?」
「そのつもりで来ました」
「もう、誰も、‥‥ぼくのせいで動かなくならないように、してくれる?」
幼児は泣きながら、切実な願いを訴えた。
「ぼくはただ‥‥抱っこして欲しくて‥‥こんなことになると思わなくて‥‥」
「もう大丈夫ですよ」
トイレの扉が、軋みながら、ゆっくりと開いた。
幼児は、雫の胸に、抱きつくというより、しがみついた。
ズクン。激しい疼痛が雫の心臓を貫く。雫は笑顔で耐えた。
<中立者>の結果は、カオスレート・マイナス。
真は1階に引き返し、お風呂を綺麗に掃除して沸かし、温かいミルクの用意に取り掛かった。
幼児を囲んで、皆、腰をかがめる。
「おねーちゃんたちは、ぼくを抱っこしても大丈夫なの?」
「はい」
雫は痛みを顔に出さずに、やさしく微笑んだ。心臓に直接痛みが走る。ダメージは大きい。
(成りたてで自我が僅かに残るディアボロではないかな?)
雫の横から、<シンパシー>を使用する征治。
通報1日前までは、幼児は、ごく普通の家庭の子どもだった。
あの夜、寝ている間に何かが起こって、両腕が青黒くなり、意図せずに両親を殺した。
寄る辺がなくなると、隣町のおばあちゃんを頼って、ずっと歩いてきたことが、判明した。
その間、食べ物は一切口にしていない。
これ以上は、危ない。
雫は、水の様に変質したアウルを体に巡らせ、自身の治癒力を飛躍的に高める<生命の水>を使用した。が、それだけでは足りず、<聖水>も続けて使用する。
「ぼく、名前はなんていうんですか?」
「しょーた」
「おかあさんや、おとうさんは?」
幼児は涙目で首を振る。
「何が起きたのか、わかりますか?」
「わかんない‥‥」
「誰か一緒にはいませんでしたか?」
「ぼくひとり‥‥」
そこへ、人肌に温めたミルクを持って、真が現れた。
「寒いですね。少し温かいものを飲みませんか? お風呂も用意してありますよ」
雫に代わって、真が抱っこを交代する。心臓を貫くような痛みが真を襲う。
「こんな格好では寒いですよ。もし良かったら着てみませんか? あったかくなりますよ」
胸の奥の痛みをこらえ、笑顔で、持ち込んだ上着や靴下を着せつける真。
ファーフナーは、幼児の足をみて、気がついた。
壊死せんばかりに幼児の両腕が凍えているのに、足はさほど青黒くなっていないこと。
そして、足の裏が石ころなどを踏んだのか傷だらけで、血豆もできていること。
(覚醒者、天魔等なら、石程度では怪我はしない。この子は人間か?)
『‥‥ディアボロに寄生されている一般人の可能性‥‥』
正宗の並べた推論のひとつが、脳裏をよぎった。
「お前はどうしてそんなに、抱っこして欲しがるんだ?」
ファーフナーの問いに、「寒いの、寒いの」と答える幼児。
「あんまり寒いと、おててが、勝手に暴れちゃうの‥‥」
ディアボロなら討伐する。そう決めていた。だが、寄生された人間の場合は‥‥?
悪意がない、善悪の判断がつかないからといって、無罪とはならないが、寄生されて、しかも制御が効かない場合はどうなのだろう。
ファーフナーは息をついた。
●
「大丈夫か‥‥?」
正宗は、幼児をお風呂に入れてきた真に、声をかけた。
真は、かなり心臓にダメージが行っているようだ。
「お風呂に入れても、あたたかくなりませんね。さすっても、温かいものを飲ませても、この子は凍えたままです」
真はフラフラになりながら、それでも幼児を抱きしめ続けていた。
「しょーたくん、ぎゅーってすると、心まであたたかくなりますよね。寒い時はこれがいいと教えてもらったんです。私はしょーたくんを抱っこしていれば、あったかいですよ」
精一杯の、真の強がり。
見かねた征治が、<ライトヒール>で手助けをする。
このままでは真の命にも関わりかねない。
「警察から連絡があった。しょーたという名で調べたところ、隣町の保育園に登園していない子供がいた。その子の家を調べてもらったところ、両親の遺体が見つかったそうだ。無論、心臓が凍りついた状態で、だ」
ファーフナーは、淡々と皆に報告した。
「可哀想な悪魔の子だ‥‥」
正宗の言葉に、びくりと反応する幼児。
「ぼく、あくまの子なの?」
「そうだ‥‥今のところ、そうだとしか言えない‥‥。しょーたは、抱きついた相手の命を奪うディアボロだ‥‥。しょーたをこのまま、生かしておくわけにはいかない‥‥もう、仲間が危ない‥‥」
全長2mを超える、緑色の刃と白い柄を持った大鎌を取り出す正宗。
目に涙をため、真にしがみつき、震えだす幼児。
真の体を貫く痛み。征治の<ライトヒール>が辛うじて、気絶しかけた真を支える。
「抱っこして、落ち着いてる間に、なるべく苦しまないように、済ませてあげてください‥‥」
情けないと自分でも思いながら、雫は嘆願した。
(人に害をなすのなら、どんな敵だろうと討つ覚悟はしていたつもりでしたが‥‥さすがに揺らぎますね。私もまだまだ未熟なのでしょうか。せめて安らかに眠ってもらいたいです)
幼児の小さな、ぷっくりとした、青黒いおてて。
抱きついてきたときに感じた、ほっぺのやわらかさ。
まるで、人間の幼児そのもの‥‥。
「私も、出来るだけしょーたくんが痛くない様、怖くない様に撃退していただきたいです」
真も沈痛な声をあげる。
今回の事件で、幼児が背負う業は計り知れない、と征治は感じていた。
犠牲となった両親、警官、そして養護施設の人々‥‥。
叶伊と共に手分けして施設内を探したが、悔しいことに、生存者はどこにもいなかった。
犠牲者が多すぎる。この子の更正を願うより、この時点で、命を以って償わせるのも慈悲ではないかと、暫く逡巡していた。
「このままこの子に変化が現れない場合は、僕も討伐側に移ると宣言します」
征治が苦しげに吐いた、一言。
「安らかに眠れ‥‥もう、こうするしかないんだ‥‥」
大鎌を振りかぶる、正宗。
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ガキン。正宗の大鎌を、青黒い樹木のようなものが受け止めた。
――幼児の片腕が、変形していた。
「ぼくのおてて、暴れないで! もうダメだよ、もうダメなの、ひとりになりたくないよ!」
真の胸で泣きじゃくる幼児。
正宗の大鎌と、切り結ぶ、変形した腕。
大鎌の刃に霜がついて、白く濁って曇ってゆく。
征治は叶伊と目を合わせ、真の両脇に立った。
叶伊が、真の胸に顔をうずめて泣いている幼児の首を、そっと持ち上げる。
征治は聖獣のロザリオを手に巻きつけ、幼児の頭に押し当てた。
正宗と切り結んでいた樹木の枝のようなものが、ぐったりと力を失い、大鎌にずたずたにされた。
そう。
ディアボロ退治は、とっても簡単に、ほんの一瞬で終わったのだ。
「いくら後味が悪くても、今はこの状況を終わらせることが第一です」
征治は、事切れた幼児をそっと、真の胸から引き剥がした。
真は、泣いていた。雫も、幼児の亡骸に背中を向け、言葉を失っていた。
●
「川知さん。亡骸は可能な限り手厚く葬うよう、業者に依頼しましたわ」
斡旋所バイトのアリス・シキ(jz0058)は、真に頼まれて、既に手を回していた。
「皆様もお疲れ様でした。先日の事件についてですが、解剖の結果、一般人がディアボロに寄生されたものと判明いたしましたの。あの子の両腕だけがディアボロでしたのよ」
そこでアリスは口を閉ざした。そして、香りの良い紅茶を淹れ、撃退士の皆を労った。
両腕だけがディアボロ。寄生された一般人、しかも年端も行かぬ子ども。
助ける道は、本当に全く無かったのだろうか?
紅茶の湯気がくるくると宙に舞って、白く光って溶けていく。
皆、なかなか、紅茶に手をつけられなくて、静かに俯いていた。
――ありがとう。ばいばい。
どこかで、ふと、子どもの声が聞こえたような、そんな気がした。