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小夜田明海(さよだ・あけみ)。
トウテツくんの、実の母親の名だ。
火事の新聞記事を根気よく詳細に検索し、役所や警察等にも協力をあおいで、ファーフナー(
jb7826)が調べついた結果だ。
戸籍謄本で確認すると、トウテツくんは「小夜田天狼(さよだ・しりうす)」という名で登録されていた。
蛇足ながら、明海と共に焼死した「ボーイフレンド」は「小夜田弥(さよだ・わたる)」、離婚した実父は「星衛哲(ほしえ・てつ)」という名であることも判明した。
実父、哲は難病を患い、介護と金銭の問題で妻と不仲になり、離婚後は療養施設に身を寄せていた。
身寄りもなく、病気もあり、息子を養育できる状況にはなかった。
現在も実父は難病で動けず、息子はあの火事で死亡したと聞かされていた。
引き取りたくても引き取れない現実がある以上、療養施設の者は、優しい嘘を突き通すことにしたのだ。
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いつものように、倒されたディアボロの死臭を嗅ぎつけて、トウテツくんが現れる。
ぎょろりとした目で周囲を見回し、餓鬼のように膨れた腹としなびた四肢で死骸によじ登り、爪でべりべりと表皮をむしりとって、あんぐり開けた、よだれでいっぱいの口に運ぼうとする。
「さて‥‥どうしたものか‥‥」
御剣 正宗(
jc1380)は、持参した苺のショートケーキとメンチカツを取り出すタイミングを窺っていた。
「一体どうすればこんなことに‥‥?」
『よう。何しに来たんだこんな所に』
咲魔 聡一(
jb9491)が、パペットデビルを嵌めた腕を、トウテツくんの手と口の間に、にゅっと差し込んだ。
ビクっとトウテツくんは体を震わせ、目を剥いてパペットを見た。
人生ではじめてパペットを見た、という顔だった。
「ふふふ、驚いた?」
聡一が微笑む。「うん」とトウテツくんは頷く。
「それ、たべれるの? 美味しいの?」
パペットを指さすトウテツくん。聡一は苦笑した。
「うーん、パペットは食べられないし、おいしくないかな。でも色々、用意してきたよ」
「相当、残酷な環境で、それでも生きてきたんだな。よく生きた、強いな」
夕貴 周(
jb8699)は、そう言って、トウテツくんに手を伸ばした。
咄嗟にトウテツくんは、大きな頭を庇う。
「いたいこと、するの?」
「しないよ」
「あついのも?」
「しない」
周は、用意してきた、甘いクリームたっぷりのカップケーキと、唐揚げ、サンドイッチを並べた。
どれも手づかみで、すぐに食べられるものだ。量も可能な範囲でたっぷり用意してある。
「なあ。そんなもんより、ここにもっと美味しいものがあるんだ。きみに食べてもらいたいと思って持ってきた、一緒に食べよう」
美味しいよ、と一口、自分からケーキを食べてみせる周。
トウテツくんは、はぎ取ろうとしていたディアボロの表皮から、手を放した。
そして、ゆっくりと近づいて来ると、おずおずと、周のケーキに手を伸ばした。
「コンビニサラダもあるぜ」
逢見仙也(
jc1616)は、野菜サラダと、杏仁豆腐、稲荷寿司、カレーパンを広げた。
(ディアボロを食べた人間はあまりいないし、トウテツに少し興味がある。魂と肉どちらを食べているかが違うだけで、悪魔も人間を食べているし、死体食らったくらい大して気にならねーや。第一、人間だって家畜の死体を調理して食べているんだもんな)
仙也は、皆の邪魔にならない方向から、トウテツくんの動向を見守る。
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「少年。お前は親に、しりうす君と呼ばれていなかったか?」
ファーフナーの言葉に、ケーキに触れようとしていた、トウテツくんの手が止まる。
「‥‥しり‥‥うす‥‥くん?」
「‥‥そう。‥‥ほしえ・しりうすくん。それがきみの‥‥最初の名前、じゃなかった?」
花見月 レギ(
ja9841)が、ファーフナーに続く。
トウテツくんの脳裏に、大昔の、パパの声が響いた。
当時は意味がわからなかったけれど、何だか胸がほんわりとあたたかくなる声。
――しいくん、しいくん。ほら、高い高ーい。ははは、よく笑うなあ。いい子だ。
「‥‥しいくん‥‥」
トウテツくんは、自分の名前を、親にもらった名前を、思い出した。
「うん。‥‥そうか。しいくん、か。‥‥よろしくな、しいくん」
レギはトウテツくんを、本名で、出来れば、本名の愛称で呼びたかった。
トウテツくんは、しいくんと呼ばれて、ニィっと笑った。
飢えと偏食でそげ落ちた頬が、無邪気な彼の笑顔を不気味に見せている。
やせ細った顔の中で、目玉だけが大きく飛び出してみえる。
きっと嬉しいのだろう、とレギは素直に思った。
(少年が人肉に拘るのは、初めて食べた母の肉が、母の温かさと思いたかったからか? それをまた感じようと、人肉を求めるのかもしれない)
「少年よ。どうしてヒトの肉を食べたいと感じる? 食べること以外に、したいことはないのか?」
しいくんは問われて考え込んで、ファーフナーに答えた。
「ママのあじ、あったかかった。美味しかった! ほかは、よくわかんない」
予想とさほど変わらぬ反応に、ファーフナーは(やはりか)と心中で呟いた。
傍らの友人に問いかける。
「花見月。お前も過去に似た境遇だったと聞いている。少年が何故、食べても満たされないか分かるか? お前が子供の頃、望んだことは何だったか?」
「‥‥何故、満たされないのか?‥‥うん‥‥腸が弱いの、かな」
食べてもお腹がすくのは、腸の吸収効率が悪い、ゆえに腸が弱いと考え、レギは答えた。
「望んだ、こと?‥‥ああ、きっと‥‥」
――抱きしめて欲しかった。
そう答えたつもりで、レギの喉に言葉がひっかかった。
「うん‥‥豚バラブロック肉を、塩胡椒して、焼いて、持ってきたんだ。‥‥豚は人と、組成が近いと‥‥聞いた、から‥‥」
レギは弁当箱を取り出した。
「うん。‥‥小さい彼らがお腹をすかせる世界は、よくない、ね。お腹がすくと、悲観的になる」
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レギの豚肉、周のカップケーキと唐揚げ、サンドイッチ、聡一が<炎焼>で加熱中の温かい鍋焼きうどん、正宗の持ってきた苺のショートケーキとメンチカツ、仙也のサラダと杏仁豆腐・稲荷寿司・カレーパンが、ディアボロの死骸から少し離れた場所に、ずらりと並ぶ。
「‥‥キミが本来食べるべき物は、こういう物なんだ。‥‥今まで食べていた物は、食べ物じゃない‥‥よ」
正宗がやさしい口調でそう言って、しいくんにメンチカツを、はいあーん、と差し出した。
ゆっくりもぐもぐして、「おいしい!」と喜ぶしいくん。
「そろそろ、おでんとかシチューのうまい季節だよな。おでんはな、こう、和風の出汁の味のしみた大根とか、噛むとじゅわって口の中で広がって、旨くてさ、練り物とかゆで卵とかもよく煮えていて、色んな具材のハーモニーって感じなんだぜ。シチューは、どっちかって言うと、ミルクの甘みが残るホワイトソースに、野菜や肉が絡まって、パンによく合うんだ。芋を入れるとほくほくしてさ、これまた旨いんだぜ。お前はどんなもの食べてみたいんだ?」
仙也は、しいくんが食べたことのなさそうな料理を適当に説明した。その上で希望を聞いてみる。
「だしってなに? よくわかんないけど、ぜんぶ食べてみたいや。おいしいの?」
「そりゃ美味しいさ。冬は体もあったまって、ほかほかだぜ」
『だよなあ。このクソ寒ぃのに、天魔の死骸なんて食っても体温まらねぇだろ』
「もっと良い物を持ってきたよ。一緒に食べよう‥‥はい、出来た。召し上がれ、温まるよ」
パペットデビルと聡一が、コンビニうどんの準備を終える。
注意のそれていたしいくんは、アツアツの鍋焼きうどんに、がばっと手を突っ込んで、「わああ! あついよ!」と悲鳴をあげた。そのままうわあんと泣きじゃくる。
慌てて救急箱を取り出し、火傷したはずのしいくんの手を冷やす仙也。
微かな違和感を覚える。5歳児にしては丈夫な皮膚。まるで、撃退士のように。
「大丈夫? ごめんね、皆、きみに怪我をさせたいわけじゃなかったんだよ」
しいくんの目線に合わせてしゃがみ、目を合わせて話しかける周。
「ああ本当にごめん、フォークなら使えるかな? ふーふーして少し冷ましてあげるからね。本当に美味しいんだよ、気に入ったら全部食べていいからね」
よしよしと頭を撫で、聡一はしいくんにフォークを握らせた。火傷はうっすらと痕になっただけで、暫くしたら消えそうだった。
明らかに間違った握り方でフォークを掴み、うどんと格闘をはじめるしいくん。
見ていられなくて、ふーふーしながら食べさせてあげる聡一。
「うん。‥‥美味しいね」
レギもご相伴にあずかり、うどんをすすっていた。
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(少年が常に飢えているのは、寂しさを拭えず、心が満たされないからか?)
ファーフナーは、どっさり用意された食料が、みるみる消えていくのを見つめていた。
お寺に祀られている餓鬼のように、少年の胃袋は底なしに食べ物を欲していた。
(物理的に腹を満たすことで、心の飢えを凌ぐ。しかしいくら食べても満ち足りることはない‥‥食べ物では、真に欲するものの代替にはなり得ない。求めているものは、他人からしか得られないからな‥‥)
そして少年の実の両親が、まだ病魔に分かたれる前、穏やかな幸せに満ちていたはずのひと時を想像した。
(しりうすという名前は、両親が少年に与えた、最初にして唯一のプレゼントだ。そして、少年のアイデンティティに繋がるものだ)
ファーフナーは素性を隠し、偽名を用い、全てが偽りの人生を歩んできた。
家族の愛というものを、ファーフナーは知らない。
ただ、社会に受け入れられたいという叶わぬ願いを、人を憎むことで誤魔化してきた。
少年が覚醒者やハーフであっても、今なら撃退士としての道がある。
少年が求めていたのは家族愛なのかもしれないが、愛には他にも友愛、親愛など、色々と存在する。
五歳児程度なら、まだ引き返せる。
(引き返させてやりたいじゃないか。ヒトとしての、愛に満ちた道へ)
ファーフナー自身が、心の底で求めていた、あたたかい人生という道へ。
(これからは、思っていることを伝えたり、何かを望むことが許されることを、教えてやらなくてはいけないな)
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「うん。‥‥よく食べた、ね。ごちそうさま、って言うんだよ‥‥」
レギは、しいくんの様子を窺いながら、そっと抱き締めた。
「はい、ごちそうさま」
「ごちそうさま!」
冷たい、やせ細った、腹だけが異様につき出している醜い体から、可愛い男の子の声が発せられる。
着ている服はもうぼろぼろで、ボロ布の切れっ端にしか見えない。
しいくんのギョロっとした目と視線を合わせて、レギは、自分を一度も見てくれなかった育て親の女性を、ふと思い出した。
「‥‥かの人と、目が合わないのは、悲しかった‥‥きっと、そう思ったんだろう、と、思う。俺にはもう、思い出せないけれど」
誰にともなく、呟くレギ。
「かの人はいつも、俺より上、真直ぐを見ていたから。彼女と同じ上背を得たら、その目は俺を映すのだろうかと‥‥興味を持ったことも、あった‥‥あった、筈だ。多分」
でも。
「ないてるの?」
ヨシヨシとしいくんが、抱きしめられたまま、レギを骨ばった手で撫でていた。
「しいくんも、いっしょに、泣くよ。いっしょにごはん、たべたから。いっしょに、泣くよ」
そう言ってしいくんは、ディアボロの死骸を見た。
ご馳走してもらったお礼に、自分も何か、ご馳走したいのだと、皆、気づいた。
そして、しいくんにとってのご馳走が、ディアボロの死骸であることも。
「あれはダメだよ。なんでいけないのかって?‥‥うーん、何でだろうね、不思議だよね」
聡一は、パペットデビルを手に嵌め、かけ合いを始めた。
『そりゃ、アレだろ。そもそもあいつら、ディアボロを作るってのは、悪い事なんだ。だから、それを喜んで食うって事は、悪い奴の味方をする事になるんだよ』
「そうなの? 二号」
『知らね』
「‥‥まあ、あんな物を食べなくても、他にももっとおいしくて、もっと体にいい食べ物はあるからね。僕らとおいで、そしてもっともっと美味しい物をいっぱい食べよう」
『そうだぞ、いっしょに来いよ』
「さっき食べた、うどんとか甘いものとか、色々な物を探し回らなくても、欲しいって伝えたら、ちゃんと食べられるんだぜ。俺らも時間が有れば会いに行くし、しいくんを見捨てる奴なんかいねぇよ。いたら俺がしばいてやるからさ!」
仙也が、軽くスマホで時間を確認した。
更生施設の人が到着する予定時刻まで、あと数分だ。
もう、用意してきた食べ物はすっかりなくなっていた。
あと数分、しいくんを引きつけておくには、どうしたらいいのだろう。
「そうだ。食後のお茶とかいいね。煎茶を淹れよう。煎茶なら失敗しない自信はあるんだ」
聡一が、好物ゆえに持ち歩いていた粉末煎茶をお湯で溶いて少し冷まし、紙コップで配った。
「ゆっくり、ゆっくり、ふーふーして飲むんだよ」
しいくんに声をかけて、慎重に渡す。
「飲み終わったら、一緒に行こうね。ここよりずっと、きっと暖かい所だから」
周が穏やかな笑顔で、畳み掛けるように誘った。
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更生施設の人が到着した。周はしいくんと手をつないで、更生施設に向かった。
後ろでは、ディアボロ死骸の処理業者が、待ち構えていたように、活動を始めている。
名残惜しそうに振り返るしいくんは、でも、背を伸ばして、ヒトとしての道へ歩き出した。
穏やかな笑顔で見守るレギ。ファーフナーはレギに「行くぞ」と声をかけた。
後日、しいくんに手作り弁当を差し入れる正宗の姿があった。
「我ながら素晴らしい自信作だぞ‥‥甘い卵焼きにタコさんウインナー、鶏からに、お握りに、プチトマトとうさぎリンゴだ‥‥」
「お、うまそうな弁当つくるじゃねぇか。俺は約束した、おでんとシチューを作ってきたぜ」
仙也は寸胴鍋を2つ提げて、「あいつに、こんな旨えもん食ったの初めてだ、って泣かせてやるんだ」と張り切っていた。
「で、どうよ? しりうすの様子はさ」
仙也が施設職員に聞いてみると、最初は見た目から、かなり更生施設でも浮いた存在だったらしい。だが栄養たっぷりの食事と、適度の運動、職員の惜しみない愛情に満たされ、徐々に体格も変化し、今ではすっかり少年らしくなって、お友達と呼べる子も数名出来たようだ。
施設での名前は、ほしえ・しりうす。闘病中の実父に戸籍を移し、いつか再会できるよう、誰もが願っているという。実父とは、施設が仲介して、連絡を取り合っているようだ。
「そう。あの子、アウル能力がありそうですよ。近いうちに、久遠ヶ原で正式に診断してもらうことになっています。結果次第では、学園の後輩さんになるかもしれませんね」
「そうか‥‥後輩か‥‥そうなるといい‥‥な」
少し照れ気味に、正宗が呟いた。