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悠長なことをしている暇はない。村での情報収集を終えた七には、すぐに行動を開始した。
紅刃 鋸(
jb2647)、イリン・フーダット(
jb2959)、キャロライン・ベルナール(
jb3415)の三人は先行して、空から一本杉を目指した。徹を捜すにしろ、狼天魔を捜すにしろ、手掛かりはそれくらいだった。
三人が先に一本杉を目指したのを確認し、宇田川 千鶴(
ja1613)は阻霊符を発動した。
「私も先に一本杉を目指しとります」
千鶴は残るメンバーに声をかけ、山へ駆けだした。
「わたくしたちも行きましょう」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が声をかけると、白蛇(
jb0889)とイオ(
jb2517)は頷いた。
「さて」
白蛇がそう呟くと、足元から穢れを示す黒き靄が、吐息から清浄を示す白き靄が生まれた。その目はまるで蛇のように鋭く光っている。
「これが千里眼ですのね」
上空を見上げたみずほが声を漏らした。空には白鱗金瞳のヒリュウがその姿を現していた。
「わしらも行くかの」
白蛇が阻霊符を発動し、三人は山へと駆け出した。
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空から見下ろす山の景色は静かなものだった。戦闘の気配や銃声はもちろんだが、野生の動物すら姿を消したかのようだった。
薄い霧が立ち込めている。視界をやや不明瞭にはするが、大きな問題ではない。
「無茶なことするのねえ……」
鋸が呆れたような声を出した。
「天魔がそんな猟銃一挺でどうにかなる相手でもなし 、そうでなくても銃なんて素人が撃ってもまず当たらないわよ?」
「今はそんなことを言ってる場合ではないだろ」
キャロラインは眼下に視線を走らせながら、諌めるように言った。
「ま、そうだけど」
鋸は気にした様子もなく答える。
「二人とも」
ここまで黙ったまま、捜索に専念していたイリンが前方を指差した。
「おそらく、あれが村人の言っていた大岩ですね」
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「了解」
千鶴はキャロラインからの無線連絡に、足を止めることなく答えた。この無線は、キャロラインさんのお手柄やな、と千鶴は思った。村では問題なかったのだが、山に入ってから、携帯の電波が急激に悪くなっていた。
無線によると、上空からの先行組が大岩を発見したとのことだ。キャロラインから正確な位置情報を聞くと、
「こっちも順調に進んどる。足元が湿ってるのが、今回は功を奏したかもな。山村君の足跡が残っとる。思ったより捜索は難しくないかもしれんわ」
千鶴の進む獣道には、まだ新しい足跡が残っている。その足跡の向かう方角と、キャロラインから報告を受けた大岩の方角は、ほぼ合致していた。
『それはよい報せだな。だが、安心はできない。私たちはこのまま一本杉に向かう』
キャロラインからの無線が切れたことを確認し、千鶴は無線を懐に仕舞った。確かに安心するのはまだ早い。千鶴は後援組から離れすぎないよう、気をつけつつ、そのギリギリの速度で先を急いだ。
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「ということですわ」
上空からの先行組と千鶴からの無線の内容を、みずほが白蛇とイオに伝えた。
「なるほどの。イオらも先を急ぐぞよ」
「うむ。この辺りには山村殿も敵もおらんようじゃ」
千里眼は、徹らしき人影も、狼らしき獣の影も捉えていない。
「はい、先を急ぎましょう。わたくしは山村さんと話をしなければなりませんから」
みずほは瞳に強い意思を宿していた。
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「あれが件の一本杉ですね」
イリンの言葉に、
「そのようだねえ」
鋸が軽い調子で頷いた。
情報通り、一本杉の周りには円形に開けた空間ができている。ぱっと見では、徹の姿も狼の姿も見当たらない。
ひとまず、キャロラインが千鶴に、イリンがみずほに、無線で一本杉を発見したことを連絡する。
連絡を終え、無線を仕舞うと、
「取り敢えず、一本杉に近づいてみるか」
キャロラインの言葉に、二人は頷いた。
三人は警戒を怠ることなく、一本杉へとゆっくり近づく。
「「「――!」」」
その時だった。静寂に包まれた山に、銃声が鳴り響いたのは。
三人は銃声のした位置、一本杉よりもやや右手側。木々の生い茂るその場所へ、最大速で急降下した。
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「銃声!」
キャロラインからの連絡を受けた直後、千鶴はその銃声を聞いた。千鶴はちょうど、情報にあった大岩を発見したところでもあった。
銃声のした方角は、先ほど聞いた一本杉の位置からやや右にずれていたが、ほぼ同角だ。おそらく、先行している三人は、私よりも銃声のした場所の近くにいる筈や、と千鶴は思った。後ろの三人の姿は見えないが、そこまで離れていない。今の銃声は聞こえた筈。
どうする? 後ろと合流するか、銃声のした方へ先行するか。
その時、無線が入った。
『今の銃声は聞こえましたか?』
みずほからだ。
「ああ、聞こえた」
『今回の依頼、山村さんの無事が第一です。危険を伴いますが、先に向かって下さい』
「わかった。山村君のことは任せとき」
『どうか、お気をつけて』
みずほの心配そうな声を聞いて、千鶴はくすりと笑った。
「大丈夫や」
千鶴はそう言うと、無線を仕舞い、全速力で駆けだした。先程までの速度とは比べものにならない。千鶴は薄くかかった霧を、刃のように切り裂いて駆ける。
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「連絡は取れたかの?」
イオの言葉に、はい、とみずほが答えた。
「ただ、上空から先行している三人とは連絡が取れませんわ」
「おそらく、銃声から最も近くにいたのが前を行く三人じゃろう。今は連絡よりも行動を優先させているのやもしれん。或いは、すでに敵を発見し、戦闘中で連絡をとる余裕がないのか」
白蛇が顎に手を当て、推測を述べる。
「とにかく、わたくしたちも先を急ぎましょう」
「そうじゃな。ただ、周囲への警戒は怠らんようにの。狼は一頭とは限らんのじゃから」
イオは二人に注意を促す。二人はそれに頷き、獣道の先を見据えた。今、すべきことは決まっている。三人は先を急いだ。
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「いたぞ!」
キャロラインが声を上げた。徹の姿を発見したのだ。銃を構え、驚愕に染まった顔で、目を見開いている。徹の視線の先に、件の狼の姿も捉えることができた。狼というには、あまりにも大きい獣だ。
それは見紛いようもなく天摩だった。姿かたちだけなら、確かに白毛の狼に見えるが、情報通り、体躯は優に二メートルを超えている。狼は徹をその目に捉え、今にも襲い掛かりそうだ。
「私が行きます」
イリンが徹へと一直線に向かった。
「はいはい、あんたの相手はこっちだよ」
狼の気を惹きつける為、鋸がアサルトライフルで威嚇射撃を行う。木々が邪魔で正確な狙いをつけるのは難しいが、威嚇射撃なら何とでもなる。狼の注意が鋸に向いた。だが、徹への警戒も示している。
キャロラインはリブラシールドで、徹とイリンを守れる場所に位置取った。
徹を安全な場所へ、引き摺ってでも連れて行くべきだが、ここに鋸だけを残すのは危険だ。キャロラインがそう懸念したところで、
「ここは私らに任して、その子を連れて安全な場所へいったん退き」
そう声を上げたのは、千鶴だ。銃声を聞きつけ、駆けつけたのだろう。
「来いやワンコロ、遊んだるわ!」
千鶴は春嵐を使用した。狼の注意が完全に千鶴に向く。千鶴は八岐大蛇を抜き、狼と対峙した。
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「また、銃声がしましたわ!」
みずほが声を上げた。
「今のは最初のとは音が違ったの。おそらく、最初のが猟銃、先程のはライフルの音じゃ」
白蛇は冷静に分析する。
「大岩というのはこれのことじゃろ。わしらも現場に急ごうぞ」
イオが二人にそう声をかけた時、
「少し待って下さい」
みずほが無線を取り出した。
『こちらキャロラインだ。徹を発見、保護した。イリンと共に、安全な場所へ移動中だ』
「本当ですの! 山村さんにお怪我は?」
『大丈夫だ。少し取り乱してはいるが、怪我はない』
「そうですか、よかったですわ」
『飛行で移動中だが、そろそろ地上に降りる。イリンの発煙筒を上げる。こちらに合流する者は、発煙筒を目印にしてくれ』
「はいですわ」
『狼の方は、鋸と千鶴が二人で相手している。そう簡単にやられる二人ではないだろうが、そちらにも急いで援護に向かってやってくれ』
キャロラインの無線から間を置かず、発煙筒を三人は確認した。さほど遠くない位置だ。
「わたくしは山村さんの方へ向かいますわ」
みずほは発煙筒に視線を向けたまま、言った。
「おぬしは話したいことがあると言っておったからの」
白蛇はそう言うと、イオに視線を向け、二人は頷き合った。
「ならイオたちは狼の方へ向かうかの」
これで三人の行動は決まった。
みずほは徹の元へ、白蛇とイオは狼へと駆け出した。
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「あら、助っ人の登場のようね」
余裕の笑みを浮かべ、鋸が視線を向けた。狼からは距離をとり、ライフルによる射撃を行っている。
「お二人さんか、助かるわ」
狼を錯乱するように、接近と退避を繰り返しながら、千鶴が言った。
「なんじゃ、思ったよりも余裕そうじゃな」
「イオたちの助けはいらなかったかの」
二人はそんなことを言っているが、
「そんなことあらへんわ」
千鶴は抗議するように眉を吊り上げた。実際、千鶴にそれほどの余裕はない。千鶴に目立った外傷はなかったが、それは狼も同じだ。もともと、徹の復讐のこともあり、とどめを刺すつもりはなかったが、そこまでの隙がなかったのも事実だ。
「仕方ないの。少し離れておれ」
イオは千鶴に声をかけ、炸裂符を狼に放った。たいしたダメージは与えられなかったが、狼の注意はそれる。
「この辺りには、こやつ以外に潜んでいる天魔はいなさそうじゃの」
白蛇は千里眼での警戒を怠らず、他の三人に伝えながら、書を開いた。影の槍のようなものが狼を襲う。直撃こそならなかったが、狼の後ろ左脚を捉えた。
鋸と千鶴の二人だけでは拮抗していたが、白蛇とイオが加わることで、完全に戦局は優勢に傾いた。
「あとは、あの子がどうするか、ってことね」
鋸がちらりと発煙筒へ視線を向け、呟いた。
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「やっと来たか」
キャロラインはこちらに駆けてくみずほの姿を確認した。
「お待たせしましたわ」
徹の姿を確認して、みずほはほっと胸を撫で下ろした。無線での報告通り、怪我はなさそうだ。ただ、
「本当、大変だったのだぞ……」
キャロラインはなぜかぐったりとしている。それに、徹もどこか疲れた様子で、サンドウィッチを頬張りながら、キャロラインとイリンを睨んでいた。
「何がありましたの?」
状況が理解できず、みずほが二人に尋ねると、
「まあ、色々あってね……」
キャロラインの説明によると、イリンに抱えられた徹は、言うことを聞かず暴れていたらしい。ここに降りてからも、徹は二人を睨みつけ、
「お前たちは天使だろ! あの狼を生んだのはお前たちじゃないのか!」
と詰め寄ってきたらしい。確かに、天使である二人に連れさらわれる形となった徹が、そう勘違いするのも分からなくはない。
その後、自分たちは久遠ヶ原学園から来たことを説明し、何とか誤解を解いたところで、みずほが現れたのだ。
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みずほはキャロラインの説明を聞き終え、なるほど、と今の状況を大まかに理解した。
「どうぞ。落ち着きますわよ」
みずほは魔法瓶の紅茶をカップに注ぎ、徹に渡した。徹はまだ警戒を完全に解いてはいない様子だったが、カップを素直に受け取った。
今は徹と話をするときだ。その為に狼を引きつけてくれている仲間もいる。
みずほは、徹が紅茶を飲み終えたところで、
「山村さんがこの山に入ったのは、やはりあの狼への復讐を望んでですの?」
と尋ねた。単刀直入な質問だが、今は悠長にしている時間もない。
「そうだ、悪いかよ!」
徹は噛みつくように答えた。興奮した目をしている。
「あなたの様に天魔に大切な方を殺された人は一杯おられます。あなた一人が復讐したところで天魔によって不幸になる人は他にいくらでもいます。あなた一人が復讐を遂げても何も変わりませんわ」
厳しい口調で、みずほは徹に覚悟を問う。
「あなたは撃退士ではありません。もしあの狼が天魔であれば、あなたには絶対に倒せませんわ。それでも、本当に復讐をなさりたいんですか?」
「放っておいてくれよ! 俺は父さんの仇を討つ、それだけだ!」
徹は聞く耳を持っていない。
キャロラインは彼が持っている銃を見つめ、
「父君を失った悲しみと決別するにはそれしか道はないのだろうか…?」
何か思うところがあるのか、寂しい目をして、呟いた。
「10年は……、徹にとって長く重いものだった筈。ならば尚の事、君が行おうとした行為の重みについて……、何か気付いているのではないか? 」
そして、諭すように徹を見つめた。
「何だよ……、お前らに俺の何が分かるって言うんだよ……。俺はこの日のために……」
徹は俯き、歯を食い縛った。すると、
「狼の最期をご覧になりたいですか?」
イリンがそっと、徹の肩に手を置いた。
はっと、徹はイリンに顔を向ける。
「貴方の猟銃ではその狼は倒せません。もし貴方が本当にそれを望むなら、私が貴方の武器となりましょう。照準は私が。装填も貴方の守りも私がします。ですが引き金を引く決意は貴方に委ねます。仇を討ちたければ命じなさい。ただ『撃て』と」
それは徹の覚悟を問う言葉だった。そして徹は答えた。
「俺は……」
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「来たの」
初めにイリンたちに気づいたのは、白蛇だった。千里眼で周囲の警戒をしていたからである。
「お待たせ致しましたわ」
みずほが答えた。その後ろには、キャロライン、イリン、そして徹の姿もあった。狼からは距離をとり、徹を守る形で、三人は構える。
徹の姿を確認し、戦闘をしていた四人は、事の顛末を理解した。
狼はすでに、相当の傷を負っていた。体を覆う白い毛の至る所が、赤く染まっている。それは生々しい傷だ。
そこに、白蛇が何かを取り出し、腕を振った。肉眼では何も捉えられなかったが、狼は体を縛り上げられたように、動きを止めた。常緑を使用したのだ。
白蛇はイリンに、そして徹に視線を向ける。やるなら、今じゃぞ、と。他の仲間の視線も、自然と集まる。
「……」
徹は黙したまま、狼を睨みつけている。傷ついた狼の姿を目の当たりにして、気持ちが揺らいだのかもしれない。だが、それならそれで構わない。ただ、いつまでも白蛇一人の力で、この狼を抑えておくことは出来ない。
その時だった。
「……撃て」
それは小さな囁きだった。しかし、その声はその場にいた全員に、はっきりと響いた。
そして、銃声が木霊した。それは呆気ないほど、一瞬の出来事だった。
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狼は倒れ、起き上がることはなかった。
「父さん、ついに仇を、討ったよ……」
徹は天を見上げ、呟いた。それから、狼の骸に目を向け、
「これで、よかったんだよな……」
どこか寂しそうな顔をした。
誰にも正解など分からない。ただ、その時の徹は、今にも泣き出しそうに見えたのだった。