●準備
しんしんと舞い降りてくる雪のした、郭津城 紅桜(
ja4402)は、黙々と雪かきをしていた。腰を深く落とし、等間隔に区切った雪の塊をスコップに乗せる。慣れた手つきで、スコップに乗せた雪を雨宮アカリ(
ja4010)が用意したソリに投げ入れていく。
ソリが雪でいっぱいになるたび、アカリの指揮のもと、向坂 玲治(
ja6214)があらかじめ定めた位置にソリを運んだ。
「ふう」
慣れているとはいえ、雪かきが重労働であることには変わらない。玲治が戻ってくるまで、紅桜は小休止する。
紅桜がメガネを拭く後ろで、黒いサングラスをかけた誰かが、エアダスターを振り回していた。
「ひゃっはー!」
エアダスターの先から炎が上がる。ノズルの先にジッポーが取り付けられていた。
「スライムは消毒です〜!」
バコ。
紅桜は、プラスチック製のスコップでアーレイ・バーグ(
ja0276)の頭を叩いた。良い子はマネしないように。
「ひでぶっ」
「誰が、デブですの」
「い」
バコ。
アーレイが否定する前に、紅桜はもう一撃喰らわせた。
「スライムも阻害剤もどんな物質でできているのかわからないのに、火気を扱うのは危険ですわ」
なにも叩かなくても、とアーレイが頭をさする。
事情を知っている人間には、逆消毒されなくて済んでよかったのではという見方もできる。
そんなやり取りをしている二人の後ろで、両手にうす茶色の袋を抱えた誰かが、白衣のすそを引きずって歩いていた。
紅桜が肩をつかむ。手が触れた瞬間、肩が跳ねた。
「その手に持っているのはなんですの?」
「……生石灰です」
雫(
ja1894)は振り向き、顔を上に向けて答える。ほとんど真上を見ている状態だ。
生石灰──つまり、酸化カルシウムである。
雫は、生石灰によって熱を発生させ、スノウスライムの周りについた雪を融かそうと考えたのだ。
確かに生石灰は、水と反応して消石灰を生成する際、反応熱を発生させる。
ココの小等部は、そんなことまで教えているのかと、紅桜は首を横に振った。むろん、入学以前から知っていたのかもしれないが、それこそおそろしい話である。
「とりあえず、バケ学研究クラブの七五三掛さんに相談していらしたら良いと思いますわ」
紅桜のアドバイスに、雫は無言でうなずく。
「では、私も」
自作の火炎放射器を小脇に抱えて、アーレイも雫についていった。
数分後、アーレイが肩を落として戻ってきた。
「髪型が悪かったでしょうか……」
紅桜は、こめかみに手をあてた。
●雪
「このくらいでいいかしら」
東雲 桃華(
ja0319)はスコップを地面に刺して、手をはたいた。
桃華の足もとには穴がぽっかり口を開いていた。半径2メートル、高さ2メートルほどの大きさの穴だ。
その穴のなかから手が伸びてきて、地面のふちをつかんだ。松下 忍(
ja5952)が、穴から飛び出てくる。
「お手数をおかけしますわ」
「軽いもんだぜぇ、カカッ」
口角を曲げて、忍が答える。
落とし穴は桃華の策だった。
転がって大きくなるなら、動きを制限してしまえば良いと考えたのだ。
「で、あちらさんはどうなってっかなぁ」
忍は、目標に目をやった。桃華とともに用意した落とし穴に落とす、ターゲット。忍の視線の先では、ターゲットと仲間たちとが、熱く、寒い攻防をくり広げていた。
人の早歩き程度の速度で、スノウスライムは移動する。移動するといっても、実際に動いているのは二つ重なった雪玉の下の部分だ。地面の雪を集めて、雪玉は徐々に肥大化していっている。
転がって移動するスノウスライムだが、必ずしもまっすぐ進むわけではない。時には、急停止して方向転換することもある。なぜなら、そこに雪があるから。
「……」
二つの雪玉を重ねたものが二つ、横に並んでいる。
上部の雪玉には、それぞれ小さな穴と、適当なマークが描かれていた。
(´・ω・`)(・∀・)
( )( )
「用意はいい?」
「いつでもいいぜ」
おかしな顔をした雪だるま同士が、確認し合う。小さな穴の奥から、目がのぞいていた。
声は、カタリナ(
ja5119)と玲治のそれである。
二人は、囮となるべく、雪だるまに扮したのだった。
ひょこひょこと移動し、スノウスライムから10メートル程度のところで止まる。
同じく、スノウスライムも動きを止めた。雪の塊を察知し、方向転換を始めたのだ。
スノウスライムが4メートル手前まで近づくと、カタリナたちはまたひょこひょこと移動する。雪だるまの状態では、全力で走れないが、早歩きに追いつかれない程度の速度はだせる。
玲治は雪だるまの横から手を出し、スノウスライムに向かって、ブツを放った。ブツは、スノウスライムにぶつかると、シュンと音をたてる。ブツはそのまま、なかに吸収され見えなくなった。
すると、スノウスライムが瞬間、動きを止めた。そして、また動く。
玲治たちは、距離をとってはスノウスライムが近づいてくるのを待った。
移動しては止まり、移動しては止まる。
どこかで見たような光景である。
玲治たちとスノウスライムの進む先に、こぶし大ほどの雪玉群が並べられていた。
だが、雪だるまに扮し、視界の悪い玲治たちは気づかない。
(「ふふっ、そのままよ」)
雪玉群は、阻害剤入りの特製地雷だ。地雷といっても爆発はしないが。
「あっ」
玲治が、雪玉につまづく。
雪だるまさんが転んだ。
「ええ!?」
思わず、雪のなかに身を潜めていたアカリが声を上げた。
カタリナは雪だるまを脱ぎすて、倒れてしまった玲治を引っ張って走る。
カタリナが向かった先には、スプリンクラーが設置されていた。
「これで」
栓をひねり、ノズルから勢いよく水を噴出させる。
雪が積もった地面の一部分に、水撃がレーザーのように集中した。
「うぎゃっ!?」
アカリが、水の集中した雪のなかからほふく前進で抜け出してくる。
「ほんとに、勘弁していただ──はうっわ!?」
這い出てきたアカリをスプリンクラーの水撃が再び襲う。まるで、追尾型の兵器のように。
(「カタリナぁ……お、覚えてなさぁい!!」)
スノウスライムは、アカリたちを無視して転がっていく。
目的の場所は、もうすぐそこだった。
鴻池 柊(
ja1082)は、鍋の中身をおたまで数回かき混ぜると、少しすくって、小皿にそそいだ。
「おっ、うまい」
柊は、おたまを鍋に戻し、再びかき混ぜ始めた。
●晴
スノウスライムが進む先には、うず高く積まれた雪の塊があった。
猫にまたたびよろしく、スノウスライムはほかに見向きもせず、まっすぐに転がっていく。
スノウスライムが、雪に接触しようとした手前で、雪玉が二段から一段になった。下の部分が、桃華たちの用意した穴に落ちたのだ。
成長したスノウスライムの全長は4メートルを超えていたが、下部の雪玉の進行を止めるには深さ2メートルの穴でも十分だった。
「動きさえ止めてしまえば、こちらのものよ」
言って、桃華は両の手を合わせる。
「天気はどうですか?」
穴にはまったスノウスライムを横目に、カタリナが、鈴原 水香(
ja4694)にきいた。
水香は指を一本立て、天に向ける。
「たぶん、晴れる!」
すると、そらを覆っていた雲が割れ、日の光が差し込んだ。
「「おおー」」
大昔ならば、奇跡だなんだと、神の遣いの一員と呼ばれていたかもしれない。
「このときを待っていました! 射撃用意」
アーレイが腕を掲げる。
「ッてぇ!」
号令とともに腕を一気に振り下ろす。反動でのアーレイの豊かな胸が、縦に揺れた。
たゆん。
柊と玲治が、両手に持った銃を連射する。
銃口から射出されるのは、弾丸ではない。液体だ。
カラフルなプラスチック製の銃から出ているのは、阻害剤を混ぜたお湯である。
湯がかけられた一部が、少しへこんだ。
スノウスライムのあちこちに、へこみができる。
だが、へこみができるだけで、スノウスライムの基本的な大きさは変わらない。
「打ちかたやめ!」
ぽたぽた。
水が垂れている。
「……なあ、これ、阻害剤が吸収されずに流れ出てないか」
と、誰かが静かに言った。
「……」
「カカッ! 融かすのと、倒すのとは切り離して考えたほうがイイみてぇだなぁ」
忍が、にごった色の湯が入ったバケツを揺らした。忍も、湯になにか混ぜているようだ。
「おりゃぁ」
バサァー。
にごった色の湯が、スノウスライムの一部にかかる。
すると、明らかにその部分だけが融けだした。
「おっ、効果ありっぽいなぁ。ニッシシ」
「松下先輩、なにを混ぜたんですか」
「これよ、これ」
桃華がたずねると、忍はてぶくろをはめた手で、白い袋のなかから一掴みしてみせた。
忍が手にしているのは、真っ白い粒子だった。それだけだと、雪にも見える。
「塩化カルシウム、ですか」
「だなぁ。カカッ」
桃華が袋に書いてあった名称を読み上げる。
忍が塩、つまり塩化ナトリウムをバ研から借りようとしたところ、塩化カルシウムを渡されたのだ。
塩カルは、広く融雪剤として使われる化学物質であった。
アーレイたちは、阻害剤とお湯の混合液の代わりに、塩カルの水溶液を、水鉄砲のタンクに入れた。もし水鉄砲が鉄製だったら、のちのち面倒なことになっていただろう。
「これで一気にかたをつけましょう」
銃口を向けられたスノウスライムは、本能的に危険を察したのか、下部を切り離してスライドするように落とし穴から逃げ出た。そして、すぐさま二段に分離する。
再構成された雪だるまのスケールは、もとに比べれば二回りは小さくなった。だが、それでも全長は成人男性に比べて高い。
「あっ、あれ!」
穴に残された雪のなかに見えた人の腕を、桃華が指さした。
水香が穴をすべり降りて、雪に埋もれた学生を助け出す。
「この人は私に任せて」
水香に頷いて、ほかのメンバはスノウスライムに向き合い、融雪と撃退の任に分かれた。
融雪はアーレイたちが担当し、撃退はアカリたちが担った。阻害剤入りの雪玉を投げつける、正攻法だ。
雪玉を当てればスノウスライムは弱まるが、体躯自体は大きくなってしまう。アーレイたちはその都度、塩化カルシウム水溶液による攻撃を加えた。
だんだんとダメージは蓄積しているようだが、決定打がなかった。
「お願いします」
阻害剤が入ったアンプルを腰に下げて、雫が柊の前に立つ。
「うーん……こんなことして良いものか」
「いいです」
「はあ……わかったよ」
柊は、雫にひもの片端を取りつけ、もう一方の端をしっかりと手に巻きつける。
「それじゃ雫、いくぞ!」
「優しくしてくださいね」
がくりと、柊の力が抜けた。
気を取り直して、柊はフリースローの要領で雫を投げようとする。が、いくら小柄な雫でも、片手だけでは狙いが定まらない。
仕方なく柊は、雫の両脇を抱えて、スローイングの要領で投げる。
胸をそらし、身体のバネを引き絞る。
「いっけーっ!」
「うにゃ〜!」
緩やかな弧、というより直線に近い放物線を描いて、勢いよく飛んでいく。
ペタリ。
見事、雫はスノウスライムの上部に取りついた。と同時に、雪のなかへと引き込まれる。
「ええい」
下半身は引かれるに任せ、上半身だけを使って阻害剤入りのアンプルを差し込んでいく。
一本、二本。
腕が雪のなかに取り込まれるも、あらかじめくわえていたアンプルを突き刺す。三本。
下部では、雫と同時に特攻を仕掛けたカタリナが、アンプルを突き立てていく。カタリナも雫同様に、雪のなかへと引っ張られる。
しかし、これまで吸収された阻害剤によって弱まっているためか、力をこめれば引き抜くことが可能だった。
アンプルラッシュ。
カタリナは、腰に差したありったけのアンプルをスノウスライムに注入する。
ダメージが蓄積し、雫も引力を感じなくなる。
「ラストォ!」
スノウスライムの動きが、完全に止まった。
●事後
「どうしたの、攻撃の手を休めてはいけないわよ」
「しかし、カタリナさんたちが。それに、敵の動きも止まったようですわよ」
「構わないわ」
紅桜が進言するも、アカリは取り合わない。
スノウスライムに取りついている雫やカタリナを無視し、アカリは嬉々として雪玉を投げ続ける。
むしろ、カタリナがいたから投げていた。
「フハハ、これでも喰らいなさい!」
紅桜はカタリナたちに当てないようつとめて投げているが、アカリはお構いなしだ。
「みなさん、敵はもう──」
ぼふ。
カタリナの顔面に、雪玉が直撃した。
ピクピク。
真横で動かなくなった、元スノウスライムに手を突っ込んで、カタリナは手のひらを握りしめる。
「だあーっ」
ばふ。
ナイスヒット!
紅桜の顔面から、雪が落ちた。
「まったくもって……ああもうっ、年上のかただとしても容赦はしないですわ!」
急きょ、雪合戦がはじまる。
わいやわいや。
雪合戦の会場から離れた場所で、水香がバ研の生徒を介抱していた。
よしよしと、水香はバ研の生徒を抱きしめる。
「ああ! あなたは天使です」
水香の胸に顔をうずめて、男子生徒が言う。すりすり。
大昔でなくとも、神の遣いとして扱われしまった水香。
はて、この学園に生徒にとって、天使は良い意味なのだろうか。
「大げさだよ」
「そんなことないです! それに比べて、あの悪魔……」
体を水香に預けたまま、男子生徒は七五三掛女史をにらみつける。すりすり。
「まあ、なんだ。助かってよかったじゃないか」
「死にかけてたんですよ! これがなかったら」
と、男子生徒は服のなかから何かを取り出した。
「あ、それ、俺が投げたカイロじゃねぇか」
雪だるまの恰好で、スノウスライムを誘導していたとき、玲治が投げたブツはこのカイロだった。
「それにしても、よくまぁあんなものを……。何のために作ったのかしら?」
桃華が七五三掛女史にたずねる。
「そりゃあオマエ、単純な理由さ。除雪にどれくらい費用がかかってるか知っているか? アレが完成したあかつきには」
「お金、ですか」
「いやいや、福祉の精神と財政健全化のためだ。まあ、そのついでに、我がバ研の財政も健全化をだな」
「少し尊敬しかけていた自分が恥ずかしいわ」
「なに──お?」
七五三掛が鼻をぴくつかせた。
「みなさん、カレーができましたよ」
柊が鍋の前に立って、盛り付けをしていた。いつの間にか、その横にはカタリナが立ち、柊と一緒に皿を並べている。
数時間前から用意していたカレーはよい具合に煮込まれ、あの独特の匂いを漂わせていた。
「ああ、おなかがすきましたわ」
「わたくしともあろうものが、取り乱してしまいましたわ……」
匂いに誘われ、アカリたちがやってくる。遊び疲れた子どものようだ。
一時休戦。
腹が減っては何とやら、だ。
アカリが、銀のスプーンを突きつけた。
「もぐもぐ、ごっくん。いいかしら? これを食べたらもう一戦よ!」