●
翼を現したナナシ(
jb3008)に、久我 常久(
ja7273)が声を掛ける。
「あいつを、頼む……」
視線は余所へ、意識は教会へ。
声は崩れてしまいそうなほどの震えを懸命に堪えているようだった。
「……ええ。任されたわ」
ナナシは空を進み、教会を目指す。
●
黒塗りの斧槍と赤い四肢が激しく打ち合う。凌ぐのが手一杯、というよりは攻め手、決め手に欠けて、それでも大山恵は懸命に得物を振り回し続けた。
敢えて引き気味に浅く斬り付け、赤い個体――フォウを攻め込ませる。猪突猛進と言えば聞こえはいいが向こう見ずに過ぎず、訪れてくれた仲間は、そこに生まれる隙を見逃すような手合いではなかった。
厚手の大剣が真っ赤な背中を叩き割る。
「待たせたな!」
「ナイスだよっ!」
滑り込んできた小田切ルビィ(
ja0841)が恵の隣に並ぶ。
目の前、猛るフォウの隣で、紫の個体――シックスが教会を振り向いていた。空を行くナナシは既に破壊された入口まで至っている。数字が書かれたその顔は、しかしナナシではなく坂の麓、常久を見据えた。常久もまた気付いているようだが止まる様子は見られない。対してシックスは出発の直前であった。
「行け! 任せろ!」
「うんっ!!」
広場で数多の意志が交錯する。
出立したシックス。大股で駆ける挙動、その両足が地面から離れたタイミングでフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が両刃の直刀を振り抜く。が、シックスはこれを、体を捻って強引に回避。地面に転倒しながらもすぐさま起き上がり再び駆け始めた。
得物を担いだ恵が鼻を鳴らしたフィオナとすれ違い、次いで逆サイドを狗月 暁良(
ja8545)、そして月詠 神削(
ja5265)が走り抜けていく。
「紫はルインズだ」
確かに耳に入った言葉を反芻し、恵が奔る。
常久を間合いに捕らえたシックスが棒状の武器を振り回した。首を狩るような軌跡のそれを常久はジャケットを身代りにすることで回避する。続けざまの切り上げに、常久は地を両手で叩き、自身の直下に畳を現すことで難を逃れる。ぞぞぞ、と悲鳴を上げながら4割ほど切り落とされた畳、その上辺に乗っていた常久が、次の瞬間手にした直刀からシックスの頭頂部目掛けて急降下した。
シックスは仰け反るようにして辛うじてこれを往なす。姿勢はかなり無理のあるものとなり、到底続く攻撃を躱すことは不可能だった。
「はぁっ!!」
恵の横薙ぎを受けたシックスが広場に転がる。
「そのまま続けろ」
届いた声を追い、肩越しに振り返る。長い金髪が夕方の陽を蓄えていた。
「コレは我がやる」
「『我ら』だぜ」
仁王立ちのフィオナ、大剣を構えるルビィの前で、フォウが身を反って威嚇する。
「気を付けてねっ!!」
向き直った先で、シックスが常久を睨みつけている。
「頑張ろうねっ!!」
常久は応じず、静かに刀を体の前で構えた。
●
懐に飛び込んでから繰り出した左右のコンビネーションは、青い個体――トゥの手によって阻まれてしまう。手応えが全くないわけではないが相手は未だ健在。
舌を打つ小日向千陰に向けて、空を飛ぶ悪魔――ペミシエが大声を放った。それは超特大の声であり、質量さえ手に入れた音であり、その実、圧倒的な『力』だった。
押し潰された千陰が顔から橋に倒れ込む。その背へ白い個体――ワンが巨大な魔弾を叩き付けた。直撃を受けた千陰はバウンド、弾き飛ばされてしまう。勇んだトゥが追撃に向かい、そして天魔勢の攻勢は、一旦ここまでだった。
転がる千陰の背中を神削が腰を落として受け止める。
鋭く衝き出された青い脚と交差させるようにして、暁良が駆け付けた勢いそのままにカウンターの拳を叩き込んだ。
吹き飛び、転がるトゥに押されてワンが、付き従うようにペミシエも下がる。
首を鳴らして肩を回した暁良、千陰を支えた神削の順に橋を渡り切る。これでひとまず落下の心配はあるまい。
「ありがとね」
口元だけで笑った千陰の言葉に、しかし強いリアクションはどちらからもない。
神削の視線はワンとトゥへ。
「先生……」
「同感よ」
暁良の視線はペミシエへ。
「相変わらず汚ネー口に祟られてンな、センセー」
「んね。使いかけのチーク塗りたくってやろうかしら」
ジョークを口にする余裕ができたのは、仲間の顔が見られたから。
それでも狙いはまるで変わらない。手首に布を巻く神削、拳を合わせる暁良の間で旋棍を構える。
「圧倒するわよ」
「リョーカイ」
「ああ、征こう」
構える3名の眼差しを受けると、ペミシエは一度、強く身を強張らせてから、喉を開いて声を出した。
●
攻防において考え得るあらゆる状況を想定、対応を施したナナシが教会に飛び込む。身を低く保ち、矢のような軌跡となった。特大のピコピコハンマーを担ぎ、即座に、つぶさに周囲を見渡す。
(「……誰も、いない……?」)
誰かが居て、何かが起こっていたのは確かなことだった。教会の中はまるで竜巻に蹂躙されたような有様で、元の形状を保っている家具はひとつも残されていない。
ハンマーをしまい、調査を開始する。すぐに損傷の方向性に気が付いた。大きく割れているか、切断されているか、鋭利な創がついているかのいずれか。加えて血の匂い、窓から差し込む夕陽に煌めく濃密な埃、表より数度高い室内の温度。
(「細かい創は五所川原さんの鋼糸で……他は、サーバント? それとも……」)
相当激しいものであったことも間違いない。床も壁も、全て貼り換えなければ生活することなどできないだろう。
但し、一ヵ所だけ無事で済んでいる箇所があった。子供らの絵が貼られた壁の区画である。ひと月前に訪れた時と比べて枚数と人数が増えていた。白い髪の女性は数記号のような目で微笑んでいる。
この事実を確認することで精いっぱいだった。
ナナシが目を見開く。
砕かれた家具と床に紛れるようにして、ぐったりと、前屈のような姿勢をして倒れている彼女を発見したからである。
「夜草(やぐさ)さん!」
駆け付け、背を支え、繰り返し呼び続けると、やがて反応があった。深く咽込む度に口の中に溜まった血がこれでもかと溢れ出る。
(「……っ……これは……」)
土のように冷たくなった体。腹部には、拳が入りそうな貫通痕。
今から治療を施しても到底間に合わない。否、意識があることが奇跡だった。
悔恨に震えるナナシに夜草が声を投げる。声は酷く乱れたものであった為、要約したものを記す。
「みんなは」
「……判らないわ。でも、必ず私たちが救い出してみせるから」
夜草の頬を涙が伝う。
「ごめんなさい」
●
振り回す、という表現が相応しい左腕の攻撃を、ルビィは大剣で難なく受け止める。続く蹴り上げも同じ対応で防いだ。鋭く、素早く、重い。しかし、それだけだ。
フォロースルーにフィオナが斬り込む。さく、と小気味よい音を立てて脇腹がぱっくりと開いた。
4の字がこちらを向く。
「さて」
傍から見た分には問題なさそうだったが、それでもフィオナは万全を期した。神経を集中させて見る景色の中、予想どおりの軌道を描いて飛んできた回し蹴りを紙一重で躱すよう試す。
成功。
不意に零れた嘆息。これに反応したのか、フォウが拳を振り下ろしてきた。既に見切っているフィオナに当たる道理は無く、虚しく空を切るに終わり、その隙にルビィの大剣が胴体に叩き込まれた。
「造作も無いな」
「一気に行くぜ!」
ようやく立ち上がったシックスへ、恵が黒塗りの得物を叩き付ける。背中への直撃を許し身を反るシックスへ、常久が手刀を捻じ込んだ。不覚にも恵は寒気を覚えた。挙動も、眼差しも、彼女が知っている常久とはあまりにかけ離れていたからだ。
手刀には光が込められていた。つつがなくサーバントの体に送り込まれた光は、傍目にも順調にその身を蝕む。膝を揺らすシックスに、常久は冷たい視線を送り、小さく口を動かした。
「構ってる時間なんてねぇんだよ」
苛立ちが止まらず、憤りが収まらない。
教会へはナナシが向かった。言うまでもなく絶大な信頼を置いているが、自分が向かいたかったのも揺るぎようのない事実。
村の住人である老婆と男性は殺害されていた。その仇を今ここで自分が討ったところで、この村に平穏が戻ることはない。
満面の笑みで教会へ向かい、精悍な表情で教会に残った合歓は未だ行方が知れず、ナナシからの連絡もない。
自分にできることは、このあまりにも悪趣味なサーバントを倒すことしか残されていない。
(「偶然が過ぎるだろう」)
合歓と関係のある子供がいる村に、千陰の怨敵に似た悪魔が、合歓の仲間を模したサーバントと同時に現れた。
偶々で済ませるには線が重なり過ぎている。『誰か』が糸を引いたとしか思えない。
この怒りをぶつけてやりたい。しかし誰が何をやったのかもわかっていない。
柄を握る手にどうしようもなく力が入る。本当に斬り付けてやりたいのは、こんな下っ端ではない。
「さっさと沈め」
吐き捨てた言葉を真っ向から受け止めるようにシックスが持ち直した。つられて恵も腰を落とす。これは丁度、ルビィとフィオナが赤い個体と睨み合った瞬間だった。
例えば教室で、オフィスで、大通りで。
まるで合図に従ったかのように、誰もが一斉に静まり返ってしまう瞬間がある。
呼吸の間さえ合致し、風さえも動揺して消えてしまったその瞬間、その声は確かに広場にまで染み込んできた。
「……え〜〜〜〜ん」
(「!? 今のって……っ!?」)
(「子の泣き声、だな」)
(「教会からじゃねぇ……近いぞ!」)
(「どこだ? どこにいる!?」)
常久が坂道を駆け登る。既に声は途絶えていた。きっと懸命に抑え込んでいるに違いない。つまりこの状況が理解、もしくは見える位置にいる。
あたりを付けて飛び込んだ坂道脇の草叢で、常久は傷んだ木の板を発見した。
両端を持ち、ずらす。どうやら貯蔵庫か何かに用いられている、それなりの深さの竪穴だった。
子供たちはその隅に固まっていた。涙を流す女の子の口を体格のいい男の子が手で抑えていた。
それぞれが怯えきった表情で常久を見上げてくる。
常久は急いで笑みを浮かべる。引き換えたように、背中は冷たく沸騰していた。
「よぉ、久しぶりだな。ワシのこと、わかるか? 合歓――じゃねぇか、五所川原先生のダチだ」
まばらな頷きが返ってくる。
「覚えててくれたか、ありがとな。
あーーー……ここじゃちょっと、なんだな。あぁ、森のほう行くか。ほら、ワシの腹は柔らけぇぞー。ホテルみてぇなもんだからな、なかなか味わえねぇんだぜ? 仲間外れになんかしねぇぞ、みんなまとめて連れてってやる」
常久は両腕を広げて『5人』の子供らを呼んだ。
頼む。早く。頼む。
焦燥を微塵にも滲ませぬよう笑みを強めていると、やがて子供たちが立ち上がり、手を伸ばしてきた。
この時、常久の体躯と姿勢が幸いして、その背後で得物を振り被るシックスの姿は子供らの目に映っていなかった。
●
ペミシエが張り上げた声は、質の良い管楽器を思わせる音色をしていた。
暁良が眉を寄せ、神削が顔を顰め、千陰が咳き込む。不愉快極まりない音程だった。
対照的に、白と青は、水を得た魚のように両腕と顔を振るわせる。どうやらお気に召したようで。
「なーにを粋がってん、っだぁ!!」
大きく振り被った千陰が、全体重を載せたテレフォンパンチを放った。守りを考えずに打ち込めたのは、敵方の狙いが読み切れており、信頼できる仲間が隣にいたから。
ガキン、と強い音が弾けた。トゥの受けた、大きな掌がみしり、と軋む。
続けて暁良が殴り込んだ。間髪入れぬ、これ以上ないタイミングの一撃を、しかしトゥは辛うじて、同じ手で防いでのけた。みしり。
ワンが両手を翳す。
直後、緩やかな弧を描いて飛来した力の塊が暁良らの付近に着弾、爆発、3人を巻き込み、飲み込んだ。
「……っ!」
「チッ」
「つぁ……っ!」
肌が焼かれ、肉が揺らされるような衝撃。
それが霧散したタイミングで、トゥが前進、足刀を放ってきた。狙いは千陰。
「合わせて!」
突き出された脚を潜って往なした千陰は、起き上がりながらその背でトゥを担ぎ、投げ飛ばした。
腕を引き、力を込める神削。
これを察知したトゥが盾替わりの手を衝き出す。そしてそここそが狙い。
千陰が痛めつけ、暁良が穿った掌に、光闇を纏った神削の手刀が炸裂した。頑強な盾も、その表面が解れていれば打破は不可能ではない。いつか味わった手応えを噛み締め、更に力を押し込んだ。
青い手が弾ける。
策は成った。
それが、
とても、
腹立たしい。
魔弾を扱う白い『1』、防御に秀でる青い『2』、暴れて猛る赤い『4』、刀を持った紫の『6』。
ここまで揃っていれば、かつて激戦を繰り広げた相手を抽象していること疑いようもなかった。
模造であることも、また間違いない。彼らはアウル適合者であったから精神の搾取が通らなかったし、内3つの遺体は文字どおり『粉々』になってしまった。その様子は神削も見ている。
模造したのだ。
彼らのことを知る誰かが。
彼らを。
『この程度の仕上がり』で。
「……っ!!!」
力任せに蹴り飛ばす。まともにうけたトゥはごろごろと地を転がっていった。
千陰と暁良が距離を詰める。
白い個体が両腕を広げた。
●孤児院職員夜草の葛藤とその帰結
児童保護施設『かきつばた』は常々経営難に苛まれていた。母団体からの支給は最低限、新たな孤児の受け入れを申請するも却下される有様が暫く続いていた。それでもなんとか夜草はこの『家』を守り続けていた。村の皆々もよく手を貸してくれていた。慎ましくも健やかな生活を、彼女たちは過ごしていた。
しかしあの日、九葉(このは)という孤児の失踪事件を境に状況は急転する。幸い九葉は久遠ヶ原の生徒らの手によって無事救出されたものの、久遠ヶ原人工島で発見されたという不可解な事態と経緯によって――そしてこの事態を絶好の機会として――母団体からの援助は激減した。いくら村の皆々が手伝ってくれるとしても限界があるし、頼り切りになることは不甲斐なかった。できることはあまりにも少なく、そしてそのどれもが、根本的な解決には程遠いものだった。
眠れぬ夜を過ごしていた夜草の許へ、ある日、その者は訪れた。
その者は、まず大金を突き付けてきた。支給されていた額を遥かに上回るものだった。
生唾を呑み込みながらも、夜草は一度、申し出を断った。
翌日の夜。
その者は再び現れて、村の家々が幾つも破壊した。
言う事を聴けば生活費を送り続ける。
断れば、お前も、子供も、『ああ』なる。
「ごめんなさい」
受けてはいけないと理解していながらも、首を振ることができなかった。
子供たちを危険に晒すことはできない。子供たちにこれ以上ひもじい思いをさせるわけにもいかない。
指定された条件は、一見安易なものだった。
母団体から独立すること。ここで生活を続けること。このことを決して口外しないこと。
「ごめんなさい」
追加の指示を出されたのはひと月半前。
五所川原を引き留め、他の連中は帰らせること。
これで最後だと言われた。もう命令はないと。好きにしていいと、言われた。
夜草はこれを成し遂げる。あなたたちにも、五所川原にも、なにひとつ伝えられないまま。
そしてその者は今日、再び現れた。不気味な化け物を引き連れて。
現れるなり、夜草は攻撃を受けた。
合歓は子供らを逃がし、鬼気迫る様子で抵抗を続けたが、敗れ、彼女から離れようとしなかった九葉ごと、その者に連れて行かれてしまった。
それ以上のことは判らない。
「ごめんなさい」
何も判らない。
どうしてこうなってしまったのか。どうすればよかったのか。
何も判らない。
ただただ、申し訳がない。
「ごめんなさい」
●
「……私は専門ではないから、詳しいことは判らない」
児童保護という職務を、淡々と、孤独に、この辺境の地で続けることがどれだけ大変なことか、ナナシには想像することしかできない。夜草が抱えていた苦悶も、自責の念も、恐らく抱いていた憤りも、思い描くことしかできない。
だが。
そんなナナシにも、ひとつだけ、断言できることがあった。
「でも、貴方と一緒にいられたから、あの子達はみんな、あんなに笑顔だったと、思うわ。
貴方は間違えてしまったかもしれない。でも、貴方の判断は誤りではなかったし、誰も責めることなんてできない。
後の事は任せて。ここのみんなは絶対助けてみせる。貴方の無念も、必ず私達が晴らすから」
夜草は目を見開いて、血塗れの手を伸ばしてきた。ナナシがそれを握る。氷のような手を、強く、強く握った。
埃だらけの頬を涙が零れていく。ひとつ。ふたつ。みっつ。
よっつめは、首が力なく折れた拍子に真横へ流れた。
ナナシはもう、声を掛けることができなかった。
ゆっくりと床へ寝かせ、まぶたを降ろさせる。
立ち上がり、暮れ始めた表へ向き直った。
翼を広げる。
千切れてしまいそうなほど、強く。
●
シックスが放った斬撃を、飛び込んだ恵がその身で受けた。箇所は背中。このくらいならまだ、と口の端を持ち上げると同時、追撃の一薙ぎが腰へ叩き込まれた。此度は深かった。直接炙られているような熱が患部を襲い、喉を液体が駆け登ってくる。それでも恵は表情を変えない。
子供を抱えた常久が立ち上がり、走っていく。身を乗り出してこちらを見てきた子供らを、恵は飛び切りの笑顔で見送った。もう大丈夫だよ、そう伝えるように。言葉を出せないのが、歯痒かった。
シックスにしてみれば千載一遇。無防備な背中へ向けて、逆手に握った得物を振り上げる。
その肩を背後から掴まれ、強引に振り向かされてしまう。
「手間を取らせるな」
寄り掛かるように押し込んだ白柄の直刀がサーバントの腹部を貫通した。
「続けられるか」
「うん……っ!」
「よろしい。叩き潰せ」
無造作に刀を引き抜くと、貫通痕から金色の鎖が発生した。それは見る間に数を増やしながらシックスを包囲し、紫の体を捩じ切ってしまいそうなほど縛り上げた。
よろめきながらも得物を振り上げる恵。彼女の両目の光を確めてからフィオナは踵を返した。
橋のたもとへ視線を送る。
*
赤の執拗な乱打を斬り落としながらも、ルビィの意識は坂道、恵側に注がれていた。シックスが動いてからすぐに追い駆けた彼女は、音を聞く限りでは随分無茶な行動を犯している。あちらにはフィオナが向かった。今自分にできることは、目の前の『赤いの』をこの場で食い止める事。
どうしてこの個体が現れたのかは判らない。確定していることは、通してしまえば、子供らはきっと泣き声さえあげられなくなってしまうだろうという事。
赤の強烈な振り下ろしを、目線と水平に構えた大剣で受け流す。衝撃でがくん、と視界が下がった拍子、サーバントの奥の亡骸が目に留まった。
(「これ以上の犠牲者を出させはしない……ッ!!」)
甲から振り上げられた拳に得物を合わせる。赤い腕を押し下げながら払った剣閃、その先端がざく、と確かな手応えを伝えてきた。大剣を引き戻す。『4』の字はその中央から、ぱっくりと切り裂かれていた。
相手が並の人間、または理性のある天魔であれば、この一撃でおおいに怯んだことだろう。或いはこの個体のモデルとなった人物であれば、より猛って攻めへ転じたかも知れない。そしてその何れもルビィには関係のないことだった。
一瞬で迫り来る赤い顔、その切れ込みへ大剣の先端を構え、奔った。
影が重なる。
両腕で大剣を突き出し、駆け抜ける。
ぱんっ
「―――“Ochs(オクス)”」
サーバントが膝から崩れ落ち、やがて相応に離れた位置へ赤い頭の上半分が落下する。立ち上がるだけの力が残っていないことは一瞥からでも明らかであった。
払うように振られた白柄の直刀がその胴を斬り伏せる。切り口を滑り落ちた胴体はやがて、下半身と共にさららと崩れて零れた。
ルビィがあごを上げる。紫の個体も今、割れて崩れた。がしゃん、と大きな音を立てて、黒い得物の奥に恵が蹲る。
「我が連れて行く。征け」
「……頼んだぜ」
翼を広げたルビィが空に舞う。フィオナは組んだ腕を解きながら坂道へ。
日が山の向こうに沈みつつあった。
●
外装のへりに両手をかけたペミシエの下、ワンが両手を衝き出した。
放たれた、波のような魔力の中央を千陰と暁良が突っ切ってゆく。一瞬送られてきた眼差しに無言で肯き、神削は魔力を堪えながら待機、来るべき機会に備える。
白の力を突き抜けた暁良がトゥへ腰の入ったフックを繰り出す。トゥは頑なに平手で受けようとするが、それは既に神削の一撃で破壊されている。暁良の拳が直撃するとトゥの腕はひしゃげた。衝撃で腰を横に折るトゥ。その顎下を、千陰が十二分に回転させたトンファーで痛烈に振り上げ、打ち抜いた。
青い巨体が海老反りのまま宙に浮く。高さ、位置、向き。全てが神削にとって絶好のものだった。
会心の後ろ回し蹴りがトゥの胸板に炸裂する。靴底が青い肉にめり込む感触を踏みしめてから、神削は脚を振り抜いた。
墜落したトゥ、次弾に備えていたワンへ、暁良が高速の連撃を放つ。不意を突かれた形となったワンは酷くよろめき、地に伏せて痙攣していたトゥへは千陰が対の得物を振り降し、止めを刺した。
「さテ――」
名残惜しむ陽を帽子で遮る。
ペミシエを見据え上げると、細い肢体がびく、と震えた。
ワンが行動を起こしたのはその直後。
白い個体は全速力で走り出した――森へ向かって。
「え え え?」
(「ビビりやがった」)
(「ラス1は戻ってくるよう言われてた、とかね」)
(「何処まであいつらを貶める気だ……!」)
視線を一手に集める白い背中が、鮮烈な光に照らされた。
光は巨大な砲弾であった。赤い光を纏ったそれは一直線に、無慈悲に白い背中へ直撃し、押し潰し、爆発、ワンを跡形も残さず蒸発させた。射手の思いそのままの、余りに痛烈な一撃だった。
ペミシエが言葉を失ってしまうほどに。
「 あ あ」
並んで構える神削、千陰、暁良。
その後ろに大剣を担いだルビィ、恵に肩を貸したフィオナが到着し、
最前にナナシが着地した。
「さあ、どうするね?」
「このまま戦い続けるか、 それとも退くか――選べよ。退くなら追わねぇ」
「あ う う」
慄き、しかし身を乗り出すペミシエへ、ナナシが銃口を突き付ける。
「ドクサとの約束を破るの、ペミシエ!!!」
一息で広がっていく夕暮れの中でさえはっきりと目視できるほど、ペミシエの表情はありありと変化した。
「ど ど どうして」
「そんなことはどうでもいいの!!
ドクサは言っていたわ。貴方は人を襲わないはずだって。ドクサはそう信じてた。
あの判り易いドクサが笑顔を浮かべてそう言っていたのに、貴方はどうしてここにいるの!?」
教会の様子を回顧する。家具や壁に残る戦闘痕は五所川原の鋼糸とみられるものと鋭利な鈍器によるもののみ。少なくとも『声』で薙ぎ払ったような痕跡は見受けられなかった。或いは補助に徹していたのかもしれないが、夜草の証言にペミシエを示すものは挙げられていない。
無論、夜草が見落としたということも考えられる。それでもナナシは、『友達』の笑顔を信じることにした。
例えこの場で一歩譲ることになろうとも。
ペミシエは暫し、星が瞬き始めた空を見上げていた。
見上げながら泣いていた。
仄かに輝く体を涙が伝っていく。
やがてそれを腕で拙く拭うと、顔をこちらへ向けてきた。
「わ わたしの ヴァニタスが おいかけてたのは あ あなた?」
「そうよ」
「ひ ひ ひとつだけ お 教(おせ)えて
あの子は 強かった?」
何を言うかと思えば。
千陰は右目を取り外し、顔にぽっかりと空いた穴を見せつけるように目蓋を持ち上げた。
「ご覧のとおりよ」
「強かった?」
「ええ。超強かったわ」
「そ そ そっか」
ありがとう。
それだけを、聞きに来たの。
ごめんなさい、と、ペミシエは頭を下げた。
●
「そんじゃお疲れさん、ってワケにはいかねぇぜ。今度はこっちが訊く番だ」
「その前に、教会の様子を聞いておこうか」
肯いたナナシが見てきたままを伝える。教会の被害状況、夜草の証言、合歓の不在、そして、夜草が息を引き取ったこと。
後のふたつを知らされた神削と千陰の視線が地面に向く。それぞれと入れ替わるようにルビィとフィオナが前へ出た。
「確認だ。村の人を手に掛けたことにも、教会を襲撃したことにも、関わってねぇんだな?」
「う うん」
「そもそも貴様はいつからこの場所にいる?」
というより、とナナシ。
「どうして貴方がこの場所に辿りつけたの? 小日向さんの事は直接知っていたわけじゃないのよね、さっき確認していたし。そもそもドクサと一緒だったんじゃないの?」
「お お 教えてもらったの」
ケッツァーの臨時乗組員として名乗りを上げ、手伝った代償として自由行動をする権利を長より得、情報収集をしていたのだと言う。ヴァニタスの最期をどうしても知りたくて。ヴァニタスを倒した相手とただ一言だけでも話がしたくて。渋々ついてきてくれたドクサ、置いてくるわけにもいかなかったタリーウと共に。
しかし一向に手掛かりが得られず途方に暮れていた。
そんなある日、声を掛けられた。
お前の探している相手を知っている。教えてやるから独りで、誰にも言わずに来い。こちらはこちらの用事を済ませるので、後はお前の好きにすればいい。話をしても、殺してしまっても構わない。
「……ドクサが行先を知らないわけだわ」
「ほ 本当に 話を 聞きたかった だけ なの で でも」
「ついカッとなっちまった、と」
「案内は天界の者か」
「う うん」
「ここにいたサーバントを作ったのも、貴方に貸し与えたのも、そいつなのね?」
「う うん ていうか 勝手に ついてきた」
「教会を襲撃して、ここに居た人を手に掛けたのも、五所川原たちを連れ去ったのも、そいつなんだな?」
「う うん」
神削と千陰が顔を上げた。
「知っている事を、全部教えてくれ」
「姿、形、年齢、背格好、衣服、武器、技。洗い浚い吐きなさい」
あなたより少し小さい、と、ペミシエはルビィを指差した。髪は黒で、白が混じっていたと続ける。
服はこれと同じ色、と黒い外装をぺちぺちと叩き、武器は細長かった、と加えた。
あなたみたいに白いものを銜えていた、と千陰を指差してから、
「名前は えっと なま え 名前は 確か」
――御厨 喜兵衛(みくりや きへえ)
●
住民を失った村は、夜が更けるにつれて騒がしくなっていった。
戦闘が終わったことを知った常久が子供らと共に合流。同時に学園から手配された撃退士用の車両が到着するが、一同はこれに子供らを乗せることとする。引き取り手が見つかるまでは学園で預かることになるだろう。
次に、その運転手が手配したヘリコプターが夜空を騒がせながら飛んできた。これに傷の深い恵、付き添いの千陰、そして村人の遺体が収容される。すぐにもう1台が来るからもう少しだけ待ってて。一同に深く頭を下げてから、千陰はヘリコプターに乗り込み、学園へ戻っていった。
●
木々の葉が春の風に揺れて雑多な音を立てている。咽び泣くようなその音は、教会の中にも染み入っていた。
入口にはフィオナが陣取っていた。近くの壁に神削が寄り掛かり屋上を見上げている。隣の壁にはルビィが背中を預けて座り込み、暁良は表で村を眺めていた。常久は唯一無事だった壁、笑顔が多く描かれた絵の前で仁王立ち。
教会の中央に立つナナシが、この場で見たことを改めて説明した。すぐに伝えなかったのは、どたばたと慌ただしかったことに加えて子供たちの存在があったから。いずれ話さなければならないだろうが、今ではあるまい。
「……なるほどな。よく判った。悪かったな、途中で抜けちまって」
「いや、正しい判断だったと思う」
「あぁ。助かったぜ。それに、助けられたじゃねぇか」
常久が膝を曲げる。足元からは喉が焼け付きそうなほどの鉄の匂い。
「そいつで、間違いねぇんだな?」
ナナシが肯く。
「まだ判らないこともあるけど、御厨という使徒が関与していることは間違いないわ」
「充分だ」
あの日見たこの場の光景は二度と戻らない。
子供たちの笑顔は、もう二度と戻らないかもしれない。
合歓がここで、どんな表情を浮かべていたかは判らない。
ここで独りで戦っていた夜草の話を聞いてやることは、もうできない。
「ナナシちゃん。ワシはな、何が何でもそいつに後悔させてやりたくなったわ」
「同感よ。やりましょう」
「あの悪魔のヴァニタスと戦った時、他に目撃者はいなかった、って話だったよな?」
「ああ、間違いないよ」
口元に拳を当て、神削は熟考する。
「ヴァニタスを倒した俺達や小日向先生を、どうして天使の使徒が知っていたのか……そこが繋がらないんだ」
「その場にはいなかったのに、撃退士の戦況を知っていた、となると……――」
顎を支えたルビィは首を捻りながら呟いた。
「――報告書を読んだ、とかか?」
「この場であの名前を聴くことになるとはな。いつかのアレはこの為の金策であった、ということか」
「さてナ」
「察しがついていたか?」
「いや、別に」
ただ、好都合だ、と暁良は続けた。
「……あのオッサンは、俺がブッ斃す」
「下衆には相応の結末が必要だ。判っておろうな?」
「ジョートー」
暗い道を、ハイビームを焚いたワゴン車が昇ってくる。
古いエンジンが唸りを撒き散らしていて、宛ら物の怪のようであった。