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橋の上に立つ小田切ルビィ(
ja0841)を、水面に冷やされた風が雑に撫でて去る。それは疑心暗鬼に陥っていた彼の胸の内をもう一歩分縮こまらせた。
小日向千陰と大山恵が持ち帰った情報を整理する。
倒壊した4つの家屋は、かなりの時間が経過しているにも関わらず撤去させる気配がない。そのひとつの家主と思わしき男性は心を壊されており、数少ない住民である老婆は彼との接触を拒んでいた。
「不自然っつーか……隠そうともしてねえっつーか」
疑念を確信に変えるには、できることをするより他ない。
愛用のデジカメを優しく弄び、ルビィは橋を、その強度から確かめるように、入念に渡っていく。
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帽子を軽く持ち上げて眺めてみるも、その森は微塵も動揺を覗かせなかった。
絵画のように生え揃った針葉樹は全て仲間と寄り添っている。視線を戻し、巡らせてみるが誰か、そして『何か』が踏み入ったような痕跡は無く、道らしきものも見当たらない。帽子を外し、頭でも掻き毟れば妙案が浮かぶかも知れなかったが、生憎柄ではない。
時計を確認した。時間は限られている。鋭く息を吐くと、狗月 暁良(
ja8545)は雑草を乗り越えるように足を運び、森の中に踏み入った。
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暫く進んだ先で一通りの調査を終えたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は翼を広げ、飛び上がった。二対四枚の赤翼は生い茂る木の葉をすり抜け、空を目指して上昇していく。
腕を組んで周囲を確認する。あてもなく探していてはあまりに効率が悪い。煙なり、せめて川や開けた場所などの目印でもあれば、と目線を伸ばしてみるが、収穫は無い。
気の抜けた息を吐いて翼を返す。教会の裏手を目指して下降すると、僅かにこぼれ出てくる子供らの笑い声に耳に飛び込んできた。
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「……で、実はこっちのポケットに入ってる、と」
\おおおおおおおおお!!/
月詠 神削(
ja5265)の判り易いマジックに、子供たちは大いに沸いた。アウルという種が仕込まれていることは明明白白だったものの、五所川原合歓は一緒にはしゃいで見せたし、ナナシ(
jb3008)も微笑んで環を離れていった。胸の辺りをさすり、手で謝るような仕草をして教会を後にする。
「あの方は……?」
「おやつの時間、だとよ。ま〜〜いつもの事だ、気にしねぇでやってくれ」
久我 常久(
ja7273)が軽い調子で言うので、夜草(やぐさ)は気の抜けた返事を打つしかなかった。
僅かに目を伏せる夜草の様子を窺う。血色は悪くないが、心なしやつれているように見えた。白いシャツには汚れやほつれなどは無かったものの、それなりの年季を感じさせた。
視線を巡らせる。壁に貼られている幼い絵はどれも笑顔だった。
「いいところだな」
「そう、ですか?」
「あぁ。ここはいいところだ」
「ありがとうございます」
心底の、ほっとしたような夜草の笑みは、常久の心を軋ませた。
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ナナシは時刻を確認した。定めた集合時間まで余裕はない。始めなくてはならなかった。
老婆の姿がないことを確認して教会の裏手へ回り込む。調べる場所は一点、夜草が離れようとしなかった扉の先、事務室と思われる区画。部屋はもうひとつあったが、こちらは居間兼炊事場であった。子供らとかくれんぼに興じる最中に踏み入ることができたのは僥倖だった。子供らの大半を見つけられなかった事実はこの際無視することとする。
息を吸い込み、一気に地中へ。
広げた翼をはためかせ、狙っていた部屋の直下へ到着する。耳を澄ませるが、物音は無く、会話も遠い。
意を決して床から入室する。
8畳ほどだろうか。木製の簡素な部屋で、壁際の事務机と本棚のみというシンプルな作りだった。監視カメラらしきものも見当たらない。
薄手のゴム手袋を嵌めて調査開始。端から順に目を通していく。アルバム、日記、日誌、予定表etcetc。
最後の引き出しには鍵がかかっていた。
扉の死角に入り込み、横から腕を忍ばせる。指先が紙に触れた。
(「思い出の手紙、とかなら気も楽なんだけど……」)
音も無く取り出した。
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「タバコが嫌いなんだって?」
「あ、はい」
夜草は椅子に掛けたまま目を合わせてくる。
「あの匂いとか独特だもんな。ここじゃタバコなんて買うにも……そういや食料やら服やらは何処で買ってくるんだ?」
「食料は、定期的に届けていただけるサービスがありまして。服は時々、街へ降りて」
「そん時はおまえさんも遊んだりするのかね?」
「いえ、特には」
「ひとりで寂しくなったりはしないか?」
「みんながいますから」
「そうか。
ありがとうな、今日は。うちの学園のやつといろいろ都合をつけてくれたんだろ」
「いえ……」
「あいつはどうだ、使い物になりそうか」
両目が細くなり、口の端が持ち上がる。
「そうですね。優しくて、努力家なんだと思います。
直すところはたくさんありますけど、充分、やっていけると思いますよ」
「直接言ってやってくれ。飛び跳ねて喜ぶぜ。
……質問ばっかりになっちまうんだが、もうひとつだけいいか?」
「なん、でしょう?」
「あの子供たちは大丈夫なんだな?」
夜草は、
「……はい。あの子たちは、何があっても、私が守るつもりでいます」
真直ぐと常久を見詰め返してきた。
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「俺のこと、覚えてるか?」
九葉(このは)がきょとん、としている間に目を光らせる。他の子供と衣服の差異は見受けられない。
首を傾げ続けていた九葉へ、合歓が助け船を出した。
「わたしと一緒に会ったんだよ?」
「……あ」
思い出したようで、それから照れて、合歓の脚に隠れてしまう。はにかんで前髪を触る仕草は、申し訳なさから来る気まずさを紛らわすものなのだろう。
つい下がった眉尻を小指で掻いて、神削は精神を集中させた。狙いは九葉。
結果はすぐに出た。
異常無し。
「――……神削?」
「……ああ、悪い、なんでもないんだ」
首を傾げる合歓に笑んで手を振る。
「なあ、写真、いいか? 合歓先生デビューの記念に」
合歓は戸惑っていたが、カメラを取り出すと子供たちが先に反応を示した。歯を見せた笑顔と無尽蔵に突き出されたピースサインに囲まれると、合歓も切り替えるように肯いて似た表情を浮かべてくる。
九葉が合歓の白い髪に頬ずるように身を乗り出してくる。
そこをファインダーの中心に据えて、神削はシャッターを押し込んだ。
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ルビィは僅かに身を反りながら畑に踏み入った。よく手入れがされている。揃えた指を土へ進ませ、取り出すと、指の先に細かな種が付いてきた。
「ホシでも埋まっテた、か?」
「いや、ただの畑みてェだ。掘り返すにも目印なり何なりがねェことには、な……」
「ふむ……」
暁良が畑に踏み入った瞬間、老婆の怒号が轟いた。
ルビィが首を伸ばし、暁良が畑から飛び退く。
老婆が腰を直角に曲げながら歩みを進めてくる。ひとの畑で何をやっとるだね。
そこへ、橋の向こうから全速力で駆け付けた千陰が割って入る。彼女は余所行きの声で早口に謝罪しながら何度も何度も頭を下げた。その合間、腰の辺りに出された『撤退』のハンドサインを受け、ルビィ、暁良の両名は橋を目指す。定めた時間も迫っていた。
車の前で佇んでいると、千陰がハンカチで額を拭いながら戻ってきた。
「助かったぜ」
「いいのいいの。いやー、ものごっつい怒られたわ……」
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さて、と千陰。
「何か見つかった?」
「畑も橋も特に変わったところは無かった……んだが、戻ってくる時に妙な声が聞こえた気が……」
「ああ、それ多分恵さんよ。今ぶらさがって懸垂してるから。ほら、あそこ」
「966! 967!」
「ブれネーな……」
「落ちたら危ないわよ、って言ったんだけどね」
「まァ橋の麓から途中まで降りる道もあったし、あの位置なら大丈夫じゃねーかな」
「暁良さんはどう? 森は何かあった?」
「手つかずの自然、って感ジだったゼ。神社なり祠なりあれば、と思ったンだが……悪ィ」
「いいのよ。不自然なところが何もない、って判ったことだって収穫には変わりないし――それに、何もないのが一番なんだから」
労いの裏拳を甘んじて受ける。俺には? とおどけたルビィには緩やかなグーが放たれた。
車体に寄り掛かり、それぞれ無言で考察を重ねているとフィオナが戻ってきた。
「どうだ、何かあったか?」
「異常ナシ、だ。生憎ナ」
「そっちはどうよ?」
「うむ」
フィオナは肩を窓に預け、傾いたまま端的に報告した。
「サーバントがいたぞ」
「「「「 は ? 」」」」
声の数に誤りはない。4つ目は、車の窓を勢いよくスライドさせて身を乗り出してきたナナシのもの。
「ちょっと、小日向さん! なに転がってるの、それどころじゃないでしょ!?」
「ナナシさんがいきなり飛び出てきたからビックリしちゃったのよ!!」
「続けるぞ」
ありのままを伝える。
教会の裏手から数分進んだ先でサーバントを発見。肥大したフクロウのような個体は、こちらと目が合うなりよちよちと逃走を開始。翼こそついていたものの使う様子はなく、また攻撃もしてこなかった。捨て置くわけにもいかず愛刀を抜き、何かの手掛かりになればと手心を加えたもののサーバントは即死。跡形も残らず塵となって消えた。亡骸や近辺に特筆すべき物は無かった。
「確認だが、近辺での天魔の目撃情報は無かったのだな?」
「ちゃんと調べたわよ!? 休日返上で、ありったけをがっつりと!」
「ココまで言うンなら、信じてもイーんじゃネ?」
「……かもな。一匹だけならはぐれたヤツかもしれねーし」
「繰り返すが、小物だったぞ。置物にもならぬ駒が作られ、放棄された経緯と背景は?」
「俺が知るわけねーだろが」
「道理だな」
「ナナシは? なンか見つかったか?」
「ええ……ちょっと、これを見てくれる?」
ナナシが衝き出したデジカメを4名が覗き込む。書類が映っていた。
「何だこりゃ……『独立認可証』?」
「ほう、豪気なものが出て来たな」
「で、この書類と同じ封筒に入ってたのが――これよ」
「何々……『寄付金打切りの通達』?」
ナナシが身を乗り出して訴える。
「子供たちの服には値札がついていたのよ? 悪いけど、この孤児院に新品の洋服を買えるほどの蓄えや収入があるようにはとても思えないわ」
「巣立った先達かラの差し入れ、ってセンは?」
「子供はみんな血色も良かったし、健康そのものだったわ。食料の世話まで定期的にしてくれる先達がいる、って考えるのは、ちょっと無理があるかも」
「畑――は、そうか、あの婆さんのだったな」
「農作物で収入を得ている線も消えたな」
「1枚目の文面を読むと、独立を認可されているのよ。つまり申請したものが通っているの。
そして、通過したのは――」
「九葉ちゃんが救出された直後よ」
千陰は俯き、額に指を添えている。
一同の許へ神削と常久が並んで歩いてきた。
「そろそろ集合時間だし……帰りの時間も迫ってるからな」
「どうだ、なんかあったか?」
一同と情報を共有する。橋、畑、二方向の森、孤児院の事務所で見つけた二枚の書類。
「そっちは?」
「九葉さんは……うん、いい子だと思う。特に問題もなかったよ。
救助した前後のことは、ちょっと曖昧みたいだ。何か聴ければと思ったんだが……」
「夜草は何か隠してるだろうな。ナナシちゃんが調べた結果とは、ま〜〜大筋は間違っちゃいねえがわざと言葉を減らしてる感じだもんな。
ただ、信用できる奴だ。少なくとも悪巧みしてるような奴じゃねぇ」
千陰の顔が更に手で隠れた。長く息を吐き、首を捻り続けている。
「俺たちの考え過ぎなら、それが一番だが……」
「いいえ。状況証拠だけでも、この村は怪しい所が多すぎるわ」
「あー……俺、他の場所も見てくるぜ」
「難しいな」
零した常久。その視線を一同が追う。
教会の扉が開き、合歓が長い坂を駆け下りてきた。
「合歓ちゃんの研修が終われば、ワシらが留まるのは不自然になっちまう」
「クソ、時間切れか……」
「で、どうするの、小日向さん」
曇天を見上げる千陰の肩に暁良が腕を回す。
「考えてるコト、思ってるコトを包み隠さず、感情を捨てて話をするしかネーぞ。
センセーも合歓も、すぐ頭に血が上るタイプだからナ」
「異を唱えるつもりならば、覚悟と決意を持って臨むことだ」
続くフィオナは千陰の前で仁王立ち。
「あの様子なら、五所川原はこの先もこの場所と関わり続けようとするだろう。そしてあの様子なら、トラブルがあっても対処する覚悟はあるだろうさ。それすら無いのならば辞めておいた方が互いの為だろうがな。
いずれにせよ、覚悟も決意もない者が止めようとすることほど不幸なことは無い。ゆめ忘れるな」
合歓が到着する。そろそろ時間だから挨拶を頼もうと思って。
笑顔を転がす合歓に、千陰は正面から向き合った。落ち着いて聞きなさい。
そして全てを伝えた。この村で調べることができた全てを。
伝えるごとに笑みが失せ、頬が強張っていった。
「――私、残りたい。ううん、残る」
「アンタにとっては安全っていう保障もないのよ。それでもいいのね」
「――判ってる」
「……判ったわ」
手を取り、袖を捲って腕輪を確める。
「ヒヒイロカネはあるわね。発煙手榴弾は?」
「――ある」
「んじゃ、何かあったら空に投げなさい。私は麓の街に滞在してるから」
「妥当な所かも知れんな」
「抜け駆けはナシだゼ?」
「あ、俺も残るよ」
暁良と神削の挙手に、千陰は首を振る。
「その方が心強いけど、日本各地でてんやわんやな今、何も起こっていないところにみんなを拘束することはできないわ。学園に怒られちゃうし」
「だとよ。どう思う?」
話を振られたナナシは、首の裏を両手で揉みながら暫く唸った。
「ごめんなさい。小日向さんの単独行動って嫌な予感しかしないわ」
「気にするな、ワシも同感だ」
「じゃあボクが残るよっ!」
汗だくの恵が千陰の背に飛びつく。
いやいや、とルビィ。
「大山も生徒だろ」
「ボク、今回はつづりさんの代わりに来たんだよっ! だから今日のボクは司書さんなんだよっ! 残る×∞」
「だーーもう! 判ったわよ、判ったから汗を拭いてきなさい!」
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子供たちには何も話さないという方向で夜草との話はついた。合歓が残ることに沸いた子供らの表情を徒に曇らせる必要はない。
村を下り、拠点となる宿を確保。手続きは恵が行い、千陰は忙しなく電話をかけ続けていた。
何かあればすぐ連絡する。笑顔でそう言い残して、恵は買い出した品々を抱えて千陰と宿に入っていく。
「不安だわ……」
「何もねえといいんだがな〜」
「何か起こる前の流れとしちゃ、王道だナ」
「やりたいようにやらせてやれ。手に余るようなら手を貸してやれば良い」
「……冷えてきたな」
「運転するぜ。乗ってくれ」
後ろ髪を引かれながら乗り込んだ車内は冷え切っていた。
進み出す車から顧みた村は、早春の宵にすっかり飲み込まれていた。