●
「飲み物お願いしていいっ?」
「ああ、任せてくれ」
月詠 神削(
ja5265)がドリンクの作成に取り掛かる。
やがて仕上がったのは間違えようのないカシスオレンジとハイボール。
(「俺が飲酒可能になるのは今年の10月31日……ぐぬぬ」)
トレーにグラスを乗せた神削の前に、あ、と蓮城 真緋呂(
jb6120)が躍り出る。
「運びましょうか?」
「ああ、それじゃあ頼む」
「綺麗……ねえ、次は私の分をお願いできる?」
もちろんそのつもり、と神削は準備を始めていた。
取り出したのはレモンとライム。作成は危なげない手つきで進められていく。
主賓らの席へ向かおうとする真緋呂の腰がメニュー表に当たった。滑り落ちぬように慌てて捕まえると、並んだ文字が両目に飛び込んできた。
「え……!? ここにあるもの、食べられるの!?」
「もちろんです!」
木嶋香里(
jb7748)が包丁を添えた大根を器用に回しながら仰け反り気味に身を乗り出す。
「どれでも好きなだけ注文してくださいね♪」
「それじゃあ……鶏皮の湯引きとチーズカナッペ、鰹の土佐造りにサーモンとタコのカルパッチョ、胡瓜のピリ辛浅漬けとローストビーフ、あとはー……海鮮出汁茶漬け、も捨てがたいけどとりあえず手巻き寿司で!」
「かしこまりました♪」
嬉々として香里は快諾。
「味見してみます?」
「いいの? ありがとっ♪」
「お待たせ。はい、『シャーリー・テンプル』」
「わあ……!」
箸で摘まれたビーフを口で受け取り、開いた手でカクテルを受け取ると同時、長い事掲げていたトレーが点喰 縁(
ja7176)に掠め取られる。
「運んどきますんで、食いもん頼んます」
「ああ、でしたら――」
呼び止めたのは金鞍 馬頭鬼(
ja2735)。
「このシーザーサラダもお願いします。聴けば、お酒は初めてとのこと。急ごしらえですが、空腹よりは良いと思います」
「ご謙遜を」
笑み(?)を交わし(?)、縁は主賓らのテーブルへ向かう。
●
「お馬さんが野菜を捌いてる……」
三ツ矢つづりは厨房を注視していた。
見慣れていない者には稀有も稀有な光景だった。お馬さんこと馬頭鬼は馬スーツ(クリーニング済)に腰巻のエプロン、馬マスク(クリーニング済)の上には長いコック帽が乗っている。真っ白いそれが照明などに当たらないよう器用に厨房を動き回りながらさくさくと野菜を調理していく様に、つづりは徒に関心を掻きたてられ続けた。
「あ、人参持った」
「大丈夫ですよ、突然食べたりはしませんから」
多分、と、カタリナ(
ja5119)は自身の注釈に苦笑した。
「手って、どうなってるんですか?」
「普通に五本指ですよ。でも足は蹄です。ほら」
促されるまま耳を澄ますと、確かに、馬頭鬼の移動に合わせてかっぽかっぽという音が聞こえてくる。
「へぇー……へえー……」
尚も食い入るつづりの許へ縁がやって来た。カシスオレンジをつづりへ、ハイボールを五所川原合歓に渡す。これにて、その場にいた全員にドリンクが配られた。
「それでは!」
コーラを携えた若杉 英斗(
ja4230)が立ち上がる。
「三ツ矢さん、五所川原さん、検定合格おめでとーございまーす! かんぱーい!!」
\かんぱーい!/
短く硬い音が幾重にも鳴り響く。
「参(サン)も伍(ウー)も、資格合格おめでとうございますよー!」と櫟 諏訪(
ja1215)。
「試験の合格、おめでとうございます」と雫(
ja1894)。
「検定合格おめでとう」と翡翠 龍斗(
ja7594)。
「おめでとうな、ほんと」と黒夜(
jb0668)がテーブルに肉じゃがと菜の花の白和えを置いて厨房に戻っていく。
入れ替わるように、華桜りりか(
jb6883)がおずおずとつづりの前に立つ。
「三ツ矢さん、検定合格おめでとうございます…です。良ければどうぞなの……」
ぱか、と開けられた箱の中には、優しい姿のトリュフと生チョコが並んでいた。菓子類に目が無いつづりはありがとういただきますと早口に唱えてトリュフを摘んで口に運び、広がる甘さに喜色満面、身悶えた。
お返しにと差し出された生チョコを頬張ると、りりかの頬も桜色に。
「お、あいさつ終わったか、りんりん?」
その声にはっとしたりりかを、彼女が振り返る前にゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が持ち上げた。
「ほんなら呑むで! 酒や酒! あるだけ持ってこいや!」
声を張るゼロに連れられて、りりかは小さく手を振りながら去っていく。
入れ替わるようにやってきたのは駿河 紗雪(
ja7147)と藤井 雪彦(
jb4731)。どちらも大振りな花束を抱えていた。
「つづりちゃん、五所川原さん、合格おめでとうなのですよ♪」
「おめでと〜☆」
それぞれから手渡された花束を受け取る。合歓は目を閉じて香りを楽しみ、つづりは耳まで真っ赤にして暫し硬直した。
「ありがとうございます。今日は楽しんでいってくださいね」
「はいっ♪」
紗雪は太陽のような笑顔で頷くと、雪彦の手を取り、彼に絶えずカバーされながら、無人のテーブル目指して真っすぐ進んでいった。
「良かったじゃン」
言いながら訪れた狗月 暁良(
ja8545)がつづりと合歓の間に腰を降ろした。両者が反応する前に飲み物を置き、「改めて、合格おめでとうな♪」と両手で両者の頭を一気に撫で回す。「2人とも、酒初めてなンだって? 無理すンなよ」
それが落ち着いた頃、神谷春樹(
jb7335)が合歓の前にやってきた。
「合格おめでとうございます、五所川原さん」
ありがとう、と微笑んで、合歓が腰をずらす。春樹は頭を下げ、彼女の隣に着席した。
「検定がふたつ、ということでしたけれど」
「――うん、私だけ。司書のと、孤児院の」
「ご苦労がしのばれるてぇもんです」
正面、縁は一瞬だけグラスに視線を落とした。
それは過密な試験のスケジュールにではなく、志した先へ腕を伸ばす行為への敬意、や、諸々。
軽く目を瞑って話題を切り替えた。
「『うちのちっこいの』も心配してやした」
合歓がぱちくりと瞬き。
「――元気?」
「えぇ」
合歓は目を線にしてハイボールを呑み干した。
ところで、と空のグラスを置いた雫が切り出す。
「司書技能ってどんな試験をするんですか? 正直、蔵書の位置や簡単な説明くらいしか思いつかないんですが」
「――あとはね、解れちゃった本の修繕とか、来館者への対応とか――」
「そうっ!」
ぱたぱたと飛んできたナナシ(
jb3008)が、鮮やかなカクテルを強く煽りながら飛来、合歓の白い髪にやんわりと寄りかかった。
「来館者への対応! これが厄介だったのよねー」
おや、と諏訪が顔を上げる。
「ナナシさんも検定を受けたのですかー?」
「――勉強、見てもらってたの」
「そうでしたかー」
微笑みで細くなった諏訪の目は、早くも若干様子が異なっているナナシの変化に気付いていた。
「それは、カクテルですかー?」
「そうよ」ナナシは得意げに『ミモザ』を傾ける。「私は大学部3年だし、天魔に年齢なんて概念はないからセーフよセーフ」
「そうですねー?」
「それより聞いてよ、その来館者への対応っていうのが――」
頭上で繰り広げられる激論をぽわぽわと見守っていた合歓の袖を、くい、と雫が引っ張った。
「児童保護施設管理技能というのは、どんな内容だったんですか?」
「僕も興味があります」と、春樹。
「――うん。えっとね」
合歓は(ナナシを乗せたまま)2人に向き直り、試験の内容について、出来る限り詳細、鮮明に語り出した。
●
再びカウンター。
天宮 佳槻(
jb1989)は、長い事同じグラスを拭いていることにはたと気が付いた。
(「あれから2年くらいになるのか……色々と変わったな」)
初めて会ったつづりは、この店でエプロンを着け、客同士のいざこざに巻き込まれていた。
初めて会った合歓は、この島の外れにある廃墟で、子供を脅威から守ろうとして動けなくなっていた。
(「……だけど、あの子供……」)
合歓が保護した子供は本土、茨城県の孤児院に暮らす少女だったという。彼女が何故この島のあんな場所に、しかも単独でいたのかは、まだ明らかになっていない。
(「……いや、野暮な詮索は――」)
「大丈夫よ」
佳槻が目線を上げる。いつの間にかそこに座っていた小日向千陰が、半身のまま眼差しを向けてきていた。
「まだ答えは出てないけど、ちゃんと調べてるわ。だから大丈夫」
「……何か飲みますか?」
「じゃあ、ノンアルでお任せ」
カウンターの最奥で交わされる遣り取りに、久我 常久(
ja7273)はそっと気を張り詰めていた。佳槻の視線が手元に落ちた頃、腕がやんわりと小突かれる。市川が銚子を掲げていた。
猪口を差し出す。
「あれから動きはあったか?」
「静かなものだよ」
適量が注がれた。
「お前さんも大変だな」
「小日向のことか。なに、迷惑をかけた分成長してくれる。とても良い部下だ」
両者の間に、狩野 峰雪(
ja0345)が無言で枝豆を置いた。
常久の手が伸びるより早く、峰雪は、笑みを湛えたままその場を立ち去る。
「聴かせてやりてぇなぁ」
「気付いているだろう。気付いてもらわなくては困る」
猪口が長いこと口に添えられる。
「私など軽く超えて貰わなくては困る。三ツ矢と五所川原もだ。そうでなくては私の『ここ』での時間に意味は無い」
鼻を鳴らした常久が銚子を取った。市川の猪口が伸びてくる。注ぎ方は少しだけ荒くなった。
峰雪はカウンターのちょうど中央に戻った。
背後では共に厨房に立つ『仲間』が休みなく火や氷を扱っている。意識を伸ばせば、あちこちで談笑が、まるで打ち上げ花火のように絶え間なく咲き続けていた。
あごを引けば、心地よい疎外感が峰雪を包み込む。
そこへ踏み込んできた雪代 誠二郎(
jb5808)もまた、同じ雰囲気を意図して纏い続けていた。
「長居なさるのかと」
「あの雰囲気が掴めない程、僕は若くないよ」
笑みを強めて差し出したのは、小皿に盛られたオニオンスライス。
「何か飲む?」
「ソーダ、いただけますか」
「呑まないの?」
「今日は、呑まない方が楽しいものが見られそうなので」
「呑み方を示すのも、僕達の役目だと思うよ」
「それを言うなら――」
と、誠二郎が視線を向けると、峰雪が湯気の昇る猪口を口から離す瞬間だった。
「効いてみる?」
「……有難く」
渡された猪口に温められた酒が注がれていく。なみなみと受け取り、峰雪と軽く掲げ合ってから、誠二郎はそれへ静かに口を近づけた。
●
両手に持てるだけ大皿を持った真緋呂がつづりらのテーブルにやって来た。
「合格おめでとう。はい、あーん」
ローストビーフサイズに開けたつづりの口に、真緋呂は3枚重ねのそれと、もう片手に持っていた、具を入れ過ぎて海苔が届いていない手巻き寿司を同時にツッコんだ。
「(ふごっ!?)」
「美味しいでしょ? 私の今日のイチオシ♪」
「ありがとうございます! どんどん食べてくださいね♪」
既に料理でいっぱいのテーブルに、共に訪れた香里が置ける限りの大皿を並べていく。
「ね、ローストビーフおかわりしてもいい?」
「はい! まだまだありますからね♪」
「ありがと、お願い♪
んーもう我慢できない、いただきまーす♪」
宣言と同時、合わせた手に持っていた箸を構え、取り皿に乗せたそばから口に運んだ。ひと口ごとに咲き誇る真緋呂の表情に更なる熱意を燃やし、香里は厨房に戻っていく。
なんとか呑み込んだつづりは、その勢いからドリンクを一気に呑み干していた。
「その、水? 一口貰ってもいいです?」
「この水は未だ早いと思うゼ」
つづりの咳を諏訪の耳が拾った。ナナシとの語らいに区切りをつけ、一升瓶を抱えて席を移動する。
「良ければ効いてみますかー?」
「日本酒?」
「趣味が渋いといわれそうですけれど、好きなのですよねー?」
ぽん、と栓が外れると甘い香りが広がった。これなら大丈夫かも、と開いたグラスを向ける。注がれたそれは濃い白色だった。
「何でも、豆乳のお酒だそうですよー?」
「へー」
軽い乾杯を行い、一口。
「おー、なんかまろやか。飲み易いー」
「それは何よりですよー? きっと喜んでいると思いますよー?」
つづりが首を傾げながら再び含むと同時、諏訪が瓶を回し、ラベルを向けた。そこには筆で、ある見慣れたものが、達筆に描かれていた。
[・_・]
プーーーーーーッ!!!
噴出した日本酒を、諏訪は事前に引き寄せていたお盆でばっちりガードする。おしぼりで軽く片付け、顔を上げた先にいたのは、再び咽返るつづりと、声を殺して笑う暁良。
「大成功ですねー?」
「……え、ちょ、これ……マジで先輩が原料?」
「さすがにそれはないですねー? 差し入れとして預かってきたのですよー」
「そ、そうなんだ。あービックリした。
うん、美味しかった。もう一杯貰える?」
「もちろんですよー?」
「食事についての知識や、児童の精神安定についてまで、ですか」
「――うん、大変だった」
勉強は苦痛ではなかったが、進めただけ不安になると、合歓は諏訪が注いでいった白い日本酒を呑み干す。
「――ちゃんとできるかな、って……」
「大丈夫ですよ」
春樹が真っ直ぐ告げた。
「僕は孤児院育ちなんですが、そこで職員の方に触れてきた僕が保証します。
五所川原さんは、大丈夫です」
「――……!」
合歓は、
「――〜〜……!!」
春樹に抱き付いた。
「ご、五所川原さん?」
両腕は肩口から背中に至る。のしかかる勢いだったので、必然、彼女の胸は春樹の顔に押し当てられる。
ちなみにこの時、支えを失ってソファに滑ってきたナナシは縁が咄嗟に受け止めた。
「五所川原さん」
強く名前を呼ぶが変化が無い。むしろ骨が鳴るほど腕に力を込めてきた。
助けを求めて眼差しを送るが、雫は、合歓をぼうっと見つめながらドリンクを煽るばかり。
●
(「みんな楽しそうだなー……」)
顔に笑みを貼り付けた菊開 すみれ(
ja6392)が雫だけになった烏龍茶を煽る。
(「失敗だったかなー……合コンとかあるから慣れておかないとと思って参加したけど、先生が同席してるから舐めることもできないし、っていうか舐めさせてくれる知り合いが見つからないし」)
すみれはほんの僅か遅れて合流していた。店のドアを開けた時には、既に場は温まっていたのである。
(「会話に入れないなー……スマホ弄るのはよくないよね……昨日読んだ雑誌になんて書いてあったかな? スキンシップとか取った方がいいとかだっけ? でも、そんなさりげなく触るなんて難しいよ……」)
やはり、帰ろうか。
とうとう荷物をまとめた、その瞬間。
「こんばんは、菊開さん」
「若杉さんやっほーーーーーーーー!」
船の灯りを見つけた遭難者のように、すみれは半泣きで両腕を広げ、椅子の上で細かく何度も飛び跳ねた。
「検定の合格ですって。おめでたいですよね」「そうだね、おめでたいよね!」
「なんか、こういう話を聴くと自分もがんばらなきゃなぁって思いますよね」「うんうん思う思う!」
「自分は資格とかなんにも持ってないからなぁ」「うんうん!」
「あ、ヒーローの資格なら持ってるか」
きりっ。
「なん☆ちゃ「ああ、やはりスミレでしたか」「カーターリーナーさーーーーーーーん!!」
涙目と両腕で出迎えられ、カタリナは眉を垂らして移動、すみれに抱き付かれるとぽんぽんと頭を撫でて返した。
「飲んでいますか?」
「うん! 飲んでるよ! カタリナさんはビール?」
「はい。ヴァイツェンを」
掲げる黄金色は、見慣れたそれよりも色が濃い。
「ピルスナーも嫌いではありませんが、やはり私は、ビールといえばヴァイツェンになりますね。今日用意されていたこれは香りも素晴らしくのど越しも爽やかで、恐らく本場から取り寄せたものかと。そもそもヴァイツェンとは母国の言葉で『小麦』のことを――」
と、カタリナは己の饒舌さに気付き、手で口を塞いだ。
すみれは笑顔で首を振る。
「もっと聞きたい!」
「……長くなりますよ? グラスが空ですけど、何にしますか」
「すいませーん烏龍茶くださいーい!」
●
少し離れたテーブルでは、ゼロがその酒豪っぷりを存分に発揮していた。テーブルには空いたグラスと酒瓶が並び、今またそこに役目を終えた大ジョッキが加えられた。酒の席を心底楽しむゼロを見詰めながら、りりかもこの時を楽しんでいた。
が。
「お代わりお待たせだよっ!」
と、恵がビールをピッチャーで運んでくると、りりかは硬直、ゼロは目を見開いた。
「ういっす! 元気やったか? 覚えてるか、ほら、去年の夏の『実襲』!」
「もちろんだよっ!」
「あんときは楽しかったな〜♪」
結んだ唇が、手繰り寄せたかづきの陰に隠れる。
「な、連絡先教えてや。あんときは大山ちゃん怪我しとったやん、今度はお互い万全でやろうや!」
「望むところだよっ!」
「あ、もちろんデートのお誘いも待っ「訓練だああああああああっ!」
交互に鳴る電子音は、喧騒の中で尚鮮明なものだった。
恵が立ち去る。
見送り、手を置いたピッチャーには抵抗が掛かっていた。
「お酌するの」
たどたどしく注がれた黄金色は泡が6割を占めた。それでもゼロは一気に飲み干し、旨い、と思ったままを口にする。
「どや、呑み会も楽しいやろ?」
「はい、です……」でも、と俯いて。「あと数ヶ月、したら、一緒に飲んでみたいの、ですよ」
再びビールを注いだ。今度は見事な比率となる。
それが持ち上がると、りりかも己のカクテルを掲げた。
カクテルの名は『シンデレラ』。
やがて訪れる未来を想い、小さくて鮮烈な乾杯が行われた。
●
入り口のベルが鳴ると、或いははっとして、或いは眠たげな目をそちらに向けた。
幾多の視線を受けながらラファル A ユーティライネン(
jb4620)は壁際に立つ。
一同に見守られる中、繋がれるだけ繋がれて使われていなかったマイクを口元に近づけ、2回咳払い。
「あ〜〜〜……」
会場内をぐるりと見渡す。
「やべー、俺こいつらと誰一人面識ないわー」
「「えっ……」」
司書共が目を丸くするが特に構うこともなく。
「まーなんだ、面識があろうがなかろうが、めでてーことはめでてー」
再びぐるりと見渡して、
「ってことで、誰かなんかやれ」
水を打ったように静まり返った。いきなりそんなことを言われても。
「君は?」
誠二郎が厨房を見遣るが、
「いえ、自分は調理担当ですから」
と、馬頭鬼はマスクの口にストローを送ってメロンソーダを呑み込んだ。ストローの形状は闇の中もとい馬の中。
(「素質は充分だと思うがね」)
「はぁいっ!!」
揚々と手を挙げて真緋呂が前に出る。頬はそれとなく赤らみ、足取りも若干危うさを感じさせるものだったが、ケースから愛用のヴァイオリンを取り出して、構えると、視線も姿勢も一息で定まった。
真緋呂の演奏が始まる。初め、誰もが聞き入る優しい旋律だったそれは、やがてエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が空きビンでジャグリングを行いながら躍り出るとテンポが上がり、ラファルが「んきったぁぁぁぁのおぉおおおお」とこぶしの効いた歌を合流させるとより一層激しさを増した。
拍手や喝采の中、演者によって演目は続けられる。しかしこの時、マステリオの両目は、『獲物』を求めて会場内をつぶさに観察していた。
●
のんびりと眺めていた千陰の許に、飲み物をぐいと煽りながら龍斗がやって来た。
「何を飲んでるの?」
「ジンジャーエールです」
「間違いねーよ」と、黒夜。「ウチがずっと運んでたから、間違いねー」
なら安心、と千陰は差し出されたひじきの煮物に箸をつけた。舌鼓を打っていると、隣に龍斗がどさり、と腰を降ろしてくる。
「司書って、色んな所が……ある先生にそっくりですよねぇ」
「まあ、否定はしないわよ。嫌でもないし」
「唯一、違うところを言うなら、あの人はどんな時も余裕を持っているですが」
「少なくとも今の翡翠君よりは余裕あるわよ?」
「そんなことはありません」
「本当は?」
「眠いです」
「まーまーまーまー小日向さん」
「お、ありがとー」
促されるまま差し出したグラスに英斗がコーラを注いでいく。
「若杉君もちょっと顔赤いわね」
「匂いとかにあてられたかもしれません」
「10段階で示すとどのくらい?」
「アルコール対抗値なら4ってとこですかね。まあシリアス値は8、モテモテ値は9なんですけどね!」
「ほーーーん?」
千陰が仰け反るように体をずらす。
彼女の先には、
笑みに汗ひとつ滲ませず、それでいて黙々と調理を行う峰雪、
互いに笑いを浮かべながらも、飽く迄品を湛えたまま飲み進める常久と市川、
こちらの視線に気付いて流し目を送ってきた誠二郎、という、チーム・ナイスミドルの姿があった。
「ダイエットにかこつけて私にチア服を着せようとした若杉君のモテモテ値は?」
「訂正します。2でした」
「そんなことないわよ。4はあるんじゃない?」
「いや、自分なんてまだまだ2だったんです……!!」
「まーまーまーまー。泣いてないで飲みなさいな。
天宮君、お代わりもらってもいい?」
「2つですね」
この遣り取りを遠くから眺めていた暁良が、意外、と零した。
「センセーって呑まねェのか」
「あー、千陰は呑まないっていうか……」
「そんなだからダメなのよ!」
突然の大声に一同が振り返る。天井と床の間には、頬を赤くして、両目をとろーんとさせたナナシの姿があった。
グラスを傾け、体を傾けながら進んでいく。そろそろ床と平行になるというところで、そっとカタリナが姿勢を矯正した。
「何飲んでるの? お酒?」
「天宮君の緑茶スカッシュ。めちゃウマ」
「そんなだからダメなのよ!! 小日向さんは大人として、酒の飲み方を2人に示す必要があると思うのよ!!」
「……そうね。ごめんなさい。真っ先に示すべきだったわね、ナナシさんに」
「私のことなんてどうでもいいのよ! ほら、飲みなさいもっと、ほら!」
「酔っぱらったナナシさんめんどいー」
「私のことなんてどうでもいいって言ってるでしょ!」
助けを求めてカウンターを見遣るが、チーム・ナイスミドルは全員、意識を向けたまま目線を外した。
「いいから飲むわよ! 今日は飲むのよ!」
「……ナナシさん」
「何よ!」
「大好きよ、ナナシさん」
真っ直ぐ目を見る。
「めんどいなんて言ってごめんなさい。いつも私達の面倒を見てくれてるのはナナシさんなのに。
本当に感謝してるのよ。だから、ありがとうね、ナナシさん」
千陰が両腕を広げると、ナナシは、ぽつりと呟いた。
「私だって……」
ぐい、と残りを呑み干して。
「私だって……ただ本が読みたくて図書館に通ってるわけじゃ@☆▽〒※□ーーー!!(がしっ)」
「判ってる。判ってるわ。でもできればちゃんと入り口から入館してね!(抱きゃっ)」
「小゛日゛向゛さ゛ーーーん゛!」
\(なにこれ)/
ぽかんとする一同を掻い潜った雫が、ぽわわんとしたまま千陰のズボンを引っ張った。
千陰は屈み、傾けた耳で呟かれた言葉を拾うと、ナナシを右腕で抱え、左腕で雫を抱き上げた。
言葉も無く、慈しむように抱き合い、撫で合う。
常久が言葉を投げながらやって来た。
「あと一人いけるか?」
「や、やめろ。ウチはほんとにいーんだって」
「ずーっと羨ましそうに見てたじゃねぇか。遠慮する間柄でもねぇだろ。なぁ、千陰ちゃん」
頷きが返ってくる。
「料理、美味しかったわよ。腕上げたわね。褒めたげるから来なさい、黒夜」
黒夜は目を見開くと、俯き、フードを目深に被った。その姿勢のまま常久に抱え上げられ、千陰の肩に降ろされる。
「……こーゆーのは……」
「2人きりが良かった? なんて」
「……ん……」
さて、と常久が咳を払う。
「千陰ちゃん……」
「……は? え、無理ですよ? 無理ですからね!? ホテル小日向は140cm以下の方限定です!」
「なら問題ねぇな。ワシ、最後に量ったとき136だった」
「それはkgでしょ!? あー! 駄目! 無理!! 今は無理!! んぬあーっ!!!」
●
「ああいうのを見ると、あたしなんてまだまだだなって思うんです」
つづりが何杯目か判らない酒を飲む。
「ああいうのが『大人』なんだろうな、って。
お酒が飲めるだけじゃ全然まだまだで、自分以外の、『周り』が見えて初めて大人になれるんだな、って」
「成る程ナ」
「でも、あのふたりに同じことを言ったら、自分のことだけ考えろ、と言うと思いますねー?」
「……めんどいね」
「いーんじゃネ? 甘えとけば。ンで、余裕ぶってるトコを追い抜かしてやれ。つづりと合歓ならヨユーだろ」
「……ありがとうございます」
「此れからも気張れよ、応援してるゼ」
「自分も、二人がこれからもっと頑張って素敵な人になっていくことを応援してますよー?」
「ウス」
「お話中に失礼します」
3人が顔を向ける。寝息を立てる合歓の下から、春樹が手を伸ばしてきていた。
「そろそろ助けていただけませんか」
3人はニヤリと笑うと、
「ハーフの方だなとは思ってたんですけど、ロシアなんですか。えっと、ダンケシェーン?」
「国から違うゼ。спасибо、だナ。ンで、こういう時は――」
「覚えましたよー?」
「あの、本当に――」
「「「 Поздравляю♪ 」」ですよー?」
「いや、ですから――」
尚も助けを求めた春樹が、心地よさ気に寝返りを打った合歓に、更に締め上げられた。
●
(「やっぱりマズかったかな〜……」)
どんどん呑み会らしくなっていく周囲を、雪彦は強く警戒していた。
(「そろそろ帰ったほうがいいかな〜? いや、でも……」)
「雪君♪」
隣に掛ける紗雪が満面の笑みで覗き込んで来る。
「みなさん盛り上がっていますね♪ 雪君飲んでます? 食べていますか? 酔ってますか?」
「もっちろん☆ 楽しんでるよ〜」
言って全面に汗をかいたアイスティーを手に取る。料理は文句なく美味しい。飲み物も種類があり、飽きない。幸せそうに酒類のラインナップを網羅していく紗雪が幸せそうで何よりだ。先の言葉に偽りは無い。しかしそれどころではなかった。
幸い、今のところ紗雪に絡んでくる者はいない。というか、会内最速級のペースで各種の酒を楽しむ紗雪には付け入る隙がない。しかもその傍らで雪彦が赤色ランプ宛らの警戒心で周囲に気を張り、加えて時折の語らいが匂わせる仲睦まじさが漂えば、もう近づける者は誰もいなかった。誰も遠巻きに見守るばかりである。
●
「……いいなぁ……」
カタリナの呟きをすみれは聞き逃さなかった。ずい、と体を寄せてくる。
「最近、会えてないの?」
「……はい……」
頷き、カタリナはジョッキの森に沈んでいく。
「ですからぁ、私もさみしかったりとかするわけですよぉ……」
「友達? 行ってあげてよ」
「すいやせん、受けた仕事を途中で抜けるたぁ……」
「いいからいいから」
峰雪に頭を下げ、縁は皿洗いを中断、持ち込んだボトルを抱えて小走りで向かう。しかし到着した時には、カタリナは既に寝息を立てていた。
背中を二度叩き、毛布を掛ける。
テーブルに置いていたボトルをすみれが小突いた。
「いい匂いがするね。ひと口もらってもいい?」
「どうぞどうぞ。っつっても、大したもんでもねえんですがね」
グラスに透き通った黄色が満ちる程に、凛とした檸檬の香りが広がる。それはとても優しげであったが、すみれの胸裏にある感情を連れてきていた。
「そろそろお開きかなあ」
目の前の友人以外にも、ちらほらと目を閉じる者が増えてきていた。
●
「残念、左でした」
「く……」
「では、一杯どうぞ」
差し出されたジンジャーエールを、龍斗は約束通り一気に飲み干す。そしてこれが彼のリミットとなった。
「……まだだ……手土産、を……」
志半ばにして、龍斗はカウンターに突っ伏す。ちなみにこの時、店内の料理はほぼほぼ真緋呂に食べ尽くされていたのでお土産になりそうなものはなかった。
(「これで2人目」)
マステリオは妖しく笑う。
ひとりめの犠牲者は英斗。彼もまた奇術士の策に嵌り、今はカウンターで「おい、そんなにくっつくなよ」と幸せそうな夢を見ている。
次の獲物を求めて見渡した。
「ごっつパーマかかってるやん……」
「それが、何か?」
「あの、えと……んと……」
カウンターにいる者は無理だろう。口車に乗りそうもない。その傍らに居る者にも警戒されそうだ。
ここはやはり、奥でずっと動かないもう一人の主賓を。
振り返った先には千陰の顔があった。
「何してるの?」
「これはどうも、ご無沙汰してます。開業以来の大盛況のようで」
「ホテル小日向は警備体制もバッチリなのよ」
雫はとろん、としたまましがみついており、ナナシは寝ていた。黒夜は店の裏へ毛布を取りに行っている。
「ソフトドリンクばかりですよ」
「危険な飲み方はご法度よ」
ではこうしましょう。マステリオがビールの王冠を弄ぶ。
「同じゲームをして、あなたが勝てば、大人しくします。その代わり、負けたら僕のルールに従ってください」
「約束よ」
「では、いきます」
親指に弾かれた王冠が跳ねあがる。くるくると回りながら上昇、やがて下降してきたその軌跡に、マステリオが前後上下左右から縦横無尽に両手を走らせた。言葉のまま、目にも止まらぬ早業。
かくして王冠は姿を消した。
「さて?」
千陰は口角を吊り上げた。
「右よ!」
ここから6連敗して千陰は寝た。
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宴もたけなわとなる。
眠った千陰とナナシを暁良に任せ、ついでに春樹をなんとか救い出したつづりは、目を擦る合歓と共にカウンターを訪れていた。
常久と、後片付けを進めていた神削が出迎える。
「2人とも、何か飲むか?」
頷きがふたつ返ってきたのを確認して、神削は作成を始めた。
昨夜懸命に学び身に着けた手順が、今、余すところなく発揮される。
「……酒言葉って、知ってるか?」
「――……知らない」
「花言葉、みたいな?」
「ああ」
カクテルに添えられた思い。
「お待たせ。伍にはこれだ」
深い赤色を湛えたカクテルの名は『キール』。
酒言葉は『最高の巡り会い』。
「参には、こっち」
桃を帯びた橙色のカクテルの名は『カリフォルニアレモネード』。
酒言葉は『永遠の感謝』。
「改めて――合格おめでとう。
二人の今後に幸あらんことを」
それぞれのカクテルと、神削のレモンティと、常久の日本酒が小さな乾杯を重ねる。
無言で一口。
各々の口から温かな溜息が漏れた。
「今日の酒はうめぇなぁ。
なぁ、そうだろ?」
「――「はい」」
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今日は本当にありがとうございました。
またいつでも、図書館に来てください。
いつまでもと願われた酒宴は、以上の司書らの言葉を持って幕を閉じた。