●開店前
東城夜刀彦(
ja6047)が店先に箒をかける。隅々まで丁寧に、ゴミ一つ残さないよう丹念に。その傍らで店の看板を拭いていたレイ・フェリウス(
jb3036)は、並んだプランターにふと気が付いた。大きな緑色の葉から申し訳程度に伸びている赤や白を見て、彼は首を捻る。
「オシロイバナですね」
声に振り向けば、夜刀彦が目を細めていた。
カラン、と入り口のベルが鳴り、店長の高畑が現れる。
「綺麗にしてくれたね。ありがとう。そろそろ開店だから、最後の打ち合わせをしようか」
「わかりました」
2人の頷きを見届け、店長は店の中へ戻っていく。レイがドアを押し開けて半身になり、夜刀彦が小さく頭を下げてその脇を通り過ぎた。
●開店
長針が天辺を指した瞬間、中年のカップルが来店した。どうやら常連のようで、入店するなり高畑へ目配せして頬を緩める。賑やかだな。あら、可愛い人ばかりね。朗らかに語らいながら窓際の席に腰を降ろした。
「それじゃ、よろしくね」
高畑の言葉に頷き、ファリス・メイヤー(
ja8033)が歩き出す。エプロンのポケットから紙の伝票とペンを取り出し、いらっしゃいませ、と夫婦に頭を下げた。
「ご注文はお決まりでしょうか。本日のお勧めはこちらとなっております」
淀みない仕草で特製のチラシを見せると、ではそれを、と男性が指を立てた。併せてコーヒーを2つ注文してくる。
「かしこまりました。どうぞ、大切なひと時をお過ごしください」
腰を折り、ファリスがカウンターに戻っていく。声は届いていた。高畑は慣れた手つきでコーヒーを注ぐと、胸の横で腕を曲げて息巻いていたレイティア(
jb2693)の肩を叩いた。
「よろしく」
「が、がんばるよ!」
カップが寄り添ったシルバートレイを両手でしっかりと掴み、レイティアは歩き出す。慎重に、慎重に。言い聞かせた分だけ手が震えた。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……
落ち着きなさい、と小声でファリス。カクカクと頷き、レイティアは進む。到着を待つ中年夫婦に応援されながら、彼女はなんとかテーブルに辿り着いた。
「お、お待たせしました!」
ありがとう。言って男性がコーヒーを受け取る。緊張を貰っていた女性にシュガーポットを差し出す。2人がコーヒーを口に運ぶさまを見届けてから、レイティアは満足げにカウンターへ戻っていった。
「……で、できましたぁ……」
月乃宮恋音(
jb1221)が今日の特別メニューであるティラミスセットを差し出す。白と黒の層が映え、まぶされたパウダーがこれでもかと上品さを演出している。隣でつきっきりで指導していた高畑も満足の出来栄えだ。
「じゃあ、次は……」
視線を巡らせた先、エヴェリーン・フォングラネルト(
ja1165)が目をキラキラさせてティラミスを見つめていた。今にも跳び付きそうな表情に高畑は頬を掻き、体の向きを変える。
「お願いできるかな」
「はい!」
駿河紗雪(
ja7147)は元気よく頷き、ティラミスを中年夫婦の元へ運んで行った。
任せてもらえなかったことに少しだけ肩を落としたエヴァリーンに高畑が顔を近づけ、小さく口を動かす。
「終わったらひとつ食べていいから、仕事は仕事らしく、ね」
「は……はい! 頑張るのです!!」
それぞれが各々の仕事を一通りこなした辺りで、紗雪が店の外に出た。手には、今日のイベントが記されたチラシ。それを胸の前に掲げ、眩しい笑顔で声を張る。
「いらっしゃいませー。本日カップルさんは半額となっていますよー」
効果は絶大で、次から次へと店内に男女の組が押し寄せてくる。
恋音は早くもティラミスの準備を始める。
「いらっしゃいませー! 本日はこちらがオススメです!」
「コーヒーとレモンティ、ティラミスセットですね。かしこまりました」
「ちょっと待っててくださいね! すぐ用意できるんですけど、運ぶの時間がかかっちゃうんです!」
「お待たせいたしました。コーラとナポリタンです」
エヴァリーン、ファリス、レイティア、レイが次々と繰り出し、注文を受け取ってゆく。
仲間の動きに感心しつつ、夜刀彦はカウンターへ向かう。そこにはお一人様が腰を降ろしていた。
「いらっしゃいませ……でいいんでしょうか」
「勿論。コーヒーいただけるかな?」
夜刀彦が受けるより早く、カウンターから純白のカップが差し出される。
「他のお客さん優先で、ね」
「心得ています」
鳳静矢(
ja3856)は小さく頭を下げてカップを受け取った。
最後のテーブルにカップルが座ったところで、高畑がレイティアに声を掛けた。表で呼び込みをしている紗雪を呼び戻してほしい、と言う。給仕の業務もファリスが戻ってきたことでひと段落する。店内は笑顔で満ちていた。
高畑はバイトの面々をカウンターの内側に招き、小皿に乗せたティラミスを振る舞う。
元気よくお礼を言い、エヴァリーンはケーキを頬張った。
「はふー……美味しいのですー」
高畑は笑う。彼の隣で恋音が顔を伏せてコーヒーを口に運んでいた。
改めて店内を見渡し、レイは興味深げに鼻を鳴らした。
「こういった試みは、恋人達にはありがたいことだろうね……」
「皆楽しそうですよね。大切な人に気持ちが届くのって素敵です」
「私も幸せな人達見てると幸せな気分になるよ!」
「はは。君たちを雇ってよかったよ」
「あれ、ファリスさんは?」
エヴァリーンの言葉とほぼ同時、空の器を手にしたファリスが戻ってくる。
「スイーツの追加注文をいただいてきました」
「お、有難う。では早速……」
「……あ、私がやりますぅ……」
言うが早いか、恋音は冷蔵庫を開けて材料を取り出す。悪いね。高畑は微笑み、ファリスにケーキを差し出した。
長い黒髪の隙間から視線が飛ぶ。
夜刀彦、紗雪、レイが目だけで頷いた。
喫茶『夕化粧』で企画された無謀とも言えるフェア。超多忙になる店内をなんとか回す為、大規模の面接が行われた。それは到底独りで面接しきれる人数ではなく、半数近くは副店長の如月の面接を受けていた。
如月とはどういう人物なのだろう。そして店の雰囲気は。
事前に店の雰囲気を掴む為、事前に来店、観察していた恋音は、ひとつのアタリを付けていた。
即ち。
「んぅー、店長さんは、こんなふうに過ごしたいなーと思う相手はいないのですか?」
無精ひげが軽く吊り上る。
「あいにく独り身でね」
それじゃあ、と夜刀彦。
「『チョコを貰いたいな』って密かに思ってらっしゃる方はおられませんか?」
高畑は笑って首を振る。
「ふむ。では――」
ごちそうさまでしたー。レジの近くから声が投げ入れられる。
「……は、はいぃ……」
恋音がはっとして応対へ向かう。用意したプリンを近くにいた仲間に手渡して。
「え、えっと……」
「窓際、入口から3番目のテーブルです」
「わ、わかった。あのテーブルだね!」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……
「器はひとつだけなのに、朝一にコーヒーを2つ運んでいた時と同じ音がするです!」
「やれやれ」
息を落とし、ファリスがフォローに向かう。
「……あ、ありがとうございましたぁ……」
恋音は冷静に、正確に、早急に会計を続けていた。
高畑が唸りながら腕を組む。
「やっぱり会計と調理が1人だけっていうのは無茶があったかな。
君、確か経験者だったよね。悪いんだけど調理側に回ってくれるかな?」
こうして、夜刀彦を厨房に置き、恋音を会計に据えた新体制の元、お昼時の『夕化粧』は動き出した。
全てのテーブルの客が絶えず流動していく。ともすれば混乱することも仕方ないと思えた店内は、しかしそれぞれが丁寧な接客を心掛けたことが功を成し、なんとか無事に乗り切ることができた。
空席が目立つようになった頃、事務所の扉が開いた。
「はよざっす」
「お疲れ様、如月君」
如月は小さく頭を下げ、厨房で丹念に手を洗う。
高畑は早番の7人に笑顔を向ける。
「本当によくやってくれたね、ありがとう」
お疲れ様でした、と頭を下げる。
「中番のみんなもよろしくね。如月君の言うとおりに働いてくれればいいから」
頭を下げて入れ替わる中番と早番。その途中で、エヴァリーンがもう一度だけ店内を見渡した。
「うん、でもちょっと羨ましいかも、なのです」
くるりと顔を向ける。
「ふくてんちょーさんは、好きな方、いらっしゃらないのです?」
如月は黙殺。顔を背けたまま、とっくに石鹸を流し終わった手を入念に洗い流していた。
●昼過ぎ
エプロンで手を拭きながらさてと言い、如月は中番の面々を見渡す。
「判ってるな」
返答を待たず、入り口のベルが鳴る。腰の前で小さな花柄の紙袋を下げた大人の女性が入店し、そわそわと店内を見渡していた。
副店長の視線を受け、イリス・ヴィーベリ(
jb4169)が鼻を鳴らす。
「この僕が働くんだ。精々光栄に思うんだな」
如月のガン付けを物ともせず、イリスはスタスタと歩き、女性客を追い詰め、片腕を突き出して身体と壁で閉じ込めた。
「お前は、あれだろう、ここの店長狙いだろう?」
「はい。今いらっしゃいますか?」
「あんな男より、この僕こそがお前に相応しいと思わないか?」
「思いません」
「そうだろう、やはりそう――思わないのか?」
「どいてください」
イリスの脇をするりと抜け、女性客はカウンターに寄ってくる。
「おいおい……」
カランコロンカラン。
「む。お前も、ここの店長狙いか?」
「でもすぐ次に行きましたよ」
カタリナ(
ja5119)の言葉に顔を上げれば、確かに次の女性客に応対するイリスの姿が見えた。が、すぐに同じように脇を抜けられ、背中を丸めてしまう。
「へぇ、いいじゃん、タフだね」
つい、と視線を流す。
「迎撃任せたぞ、チーム男装」
静かにあごを引き、黒百合(
ja0422)と千年薙(
jb2513)が『出撃』する。
確認なのですが。カタリナがそっと手を挙げた。
「静かに珈琲を楽しむ人は歓迎、なのですよね?」
如月は大袈裟に頷いた。
それより、と顔を動かす。視線の先には、体のあちこちに包帯を巻いた鴉守凛(
ja5462)。
「あんま無理すんなよ」
「ありがとうございます……」
ぺこり、と癖のついた茶髪が垂れた。その隣で青髪が踊る。
「出来る限りフォローします。行きましょう、リン」
「はい……」
2人を見送り、如月は椅子を回す。
「今は言ってきたバカそうなカップルはお前に任せた。頼んだぞ」
「まっかせて副店長♪」
レイラ・アスカロノフ(
ja8389)はドン、と胸を叩いてフロアに出ていく。
「手順はさっき教えたとおりだ、しっかりやれよ」
「わっかりましたー★」
新崎ふゆみ(
ja8965)は袖を肘の上までまくり上げた。
小奇麗な格好をした女性客が声を振り絞る。あの、店長さんいらっしゃいますか。
その言葉をかっさらうように、薙がすっと前に出た。
「これはまた、可愛らしいおなごだのう」
美丈夫に化けた薙が真っ赤な瞳をすぅ、と細めて笑って見せた。
「ふむ、店長に渡すのは惜しい気がするのう。いい男であるからのう、あれは」
そんなことないですあなたも充分素敵です気を落とさないで。
女性客がフォローした瞬間を逃さず、畳み掛ける。
「――我はあと3時間勤めが残っておる。その後で良ければ、食事でもどうかの?」
待っておる。耳に直接話しかけ、優しく手を握って強引に名刺を握らせる。
女性客はそれを確かめると、薙に包みを押し付けるように手渡し、顔を真っ赤にして店を飛び出していった。
「……一丁上がり、とな?」
落ち着いた服装の女性客を迎えたのは、まだ顔にあどけなさの残る美少年――に変装した黒百合。
「うわぁ……御姉ちゃんとっても綺麗だね。今日見たお客さんの中で一番美人だよ」
小さい体だから仕方ない、と思わせる仕草でメニューを取り、そっと腕に寄り添う。
「……いい匂いがする。僕、見惚れちゃって仕事にならないや。素敵だよ、とっても」
何にする? 黒百合に促されるまま、女性客はコーヒーを注文する。ちょっと待っててね。天使のような笑顔を残しカウンターの中に入っていく黒百合。そわそわと店内を見回して待っていると、突然背中が重みを受け、顔にはコーヒーの、耳には百合の匂いが入る。
「お待たせしました。……ごめん、びっくりした? あんまりにも無防備だったから、つい。
ねえ、もうちょっとだけ、このままでいさせてよ……嫌、かな?」
女性客は突然立ち上がると、テーブルの上に紙幣を置き、顔を真っ赤にして店を飛び出していった。
「……毎度ありィ」
ペアルックを着込んだカップルに視点を移す。
「いらっしゃいませ〜」
ニッコリと微笑んだレイラが少し離れた位置からテーブルにメニューを差し出す。サイズの小さなメイド服から胸の谷間が覗き、顔を逸らした彼氏の視線を釘付けにした。
「何になさいます〜?」
おもねったようにレイラが言うと、彼氏はじゃあ紅茶を、と告げた。
「かしこまりました〜」
笑顔を見せ、レイラは短いスカートを翻して去っていく。あわや露わになりそうだった太腿を彼氏が食い入るように見つめる。
堪忍袋が爆発寸前だった彼女の隣に、遠慮なしにイリスが腰を降ろした。
「おい、女。特別に僕が接客してやる」
眼光鋭くにらみ付けたのも一瞬、彼女はすぐにイリスから漂う気品に敗北し、とろん、と目じりを下げて頷いた。
「いいだろう。特別に僕が持ってきてやる」
言い捨てイリスが席を立つ。熱烈な視線を向ける彼女に向かいの彼氏は激昂する。が、
「お待たせいたしました〜」
レイラが紅茶を運んでくると、すぐに頬を綻ばせた。
「熱いのでお気を付けください……ね?」
『ね』と同時に腰を入れ、胸元を強調するレイラ。いよいよ怒鳴りそうになった彼女は、しかし乱暴に置かれたコーヒーとイリスの姿にまた頬を赤くした。
カタリナが苦笑を浮かべると同時、入口のベルが鳴った。見れば女性客が2人こちらへ向かってくる。カタリナと凛は目配せをし、歩みを進める。
「いらっしゃいませ」
「店長さんは?」
「申し訳ございません、生憎店長は席を外しております」
カタリナは肩越しに如月を一瞥してから、すっと声を潜めた。
「代わり、というわけではないのですが」
客が眉を寄せ、カタリナが似た表情を浮かべた。
「店長、静かな珈琲の時間を愛せる方がお好きみたいですよ」
ずいと顔を寄せる女性客。落ち着いてください。カタリナは両の手のひらを見せる。
「落ち着いて、静かに喫茶店を楽しむ。素敵ですよね。まして、それが共通の趣味なら尚更……そう思いません?」
屈託がなく、含みのある笑みを浮かべると、女性客はわざとらしく髪を払ってからカウンター、静矢の左隣に腰を降ろした。
似たやりとりは凛の側でも起こっていた。声を潜めて、できるだけ親身に聞こえるように。
「店長……あまり積極的な子は苦手みたいで……。
物静かに珈琲を味わってるのが似合う人が好みって……」
凛はのんびりと店内を見渡した。
「こんなお店経営しているくらいですからねえ……」
見上げるように睨まれた。
「そんなこと言って……あなたも店長さんのこと狙ってるんでしょう!?」
凛は首を傾げた。
「はい……?
店長……男性じゃないですか……」
「えっ」
「ところで、ご注文は? 本日のおすすめメニューとか、いかがですか?」
夕方になれば店長も戻ってくるそうですし。
付け加えた小声が効いた。女性客はわざとらしく席を払うと、しゃなりしゃなりと歩みを進め、カウンター、静矢の右隣に腰を降ろした。それじゃあ、おすすめをください。
「はい、かしこまりました……」
応じ、カウンターの中へ戻っていく凛。カタリナとすれ違い、低い位置で短く手を叩いた。浮かべた微笑みは、しかし如月の視線を受けてやや尖る。
「指示と違わね?」
「雰囲気を守って、店長も喜んでくれるし、売り上げも取れる。一番いいと思いません?」
舌を打ち、如月はコーヒーを淹れる。
「でっきたー☆ミ」
ティラミスの乗った器を突き出すふゆみ。確認の為に如月が覗き込む。白黒の断層の隣に、小さなチョコレートが乗っていた。
「バレンタインだから……ガナッシュを作ってみたんだよっ★」
「へぇ……」
「お出ししていいのですか?」
ちょっと待ってろ。ゆっくり注いだコーヒーとふゆみのティラミスをトレイに乗せ、手渡す。
「サービスって言っとけ」
「わかりました」
「もうちょっと作れるかい、ガナッシュ」
「もっちろんですよっ★」
親指を立て、さっそく調理を再開するふゆみ。
「お待たせいたしました。本日はコロンビア豆を深く炒ったフレンチ風オリジナルブレンドで御座います」
よく口が回る。如月がそっと感心していると、ペアルックを追い払ったレイラ、そしてイリスが戻ってきた。
「ねえ、カウンターにいる女の人も店長さん狙いなの?」
「みたいですねえ……」
2人の会話にイリスが割り込む。
「店長はそんなにいい男なのか? 目当ての女が多過ぎる。昔、貴族になりたくて僕に取り入ってきた奴らみたいだ」
「とってもハンサムでやさしー人ですよねっ」
手を動かしながらふゆみが振り返る。
「副店長さんが奥さんだと思ってたけど、違うんですかっ☆ミ」
「馬鹿言ってないで働けよ」
言い捨て、如月は事務所の前に着席、新聞を開いて周囲の視線を遮断した。
やれやれと肩を竦める面々。しかし数名は、新聞の文字が逆さまになっていることに気が付いた。
定刻30分前ともなると、殆どのいちゃつくカップルや告白に訪れた女性客は追い返され、店内にはぽつぽつと常連やサラリーマンが窺えるだけになっていた。
事務所の扉が開き、高畑が戻ってきた。彼はカウンターの紫髪を見て眉尻を下げる。
「鳳君、まだいたの?」
「済まない。ついコーヒーが進んでしまって」
「ありがとう。料金は給料から引いておくよ。そろそろ準備してくれる?」
「了解した」
静矢はカップを厨房近くに置き、事務所の中に入っていく。
「中番のみんなもお疲れ様。もう上がって大丈夫だよ。ありがとう」
労いを合図に、中番の面々は続々と帰っていく。
彼らを見ようともしていなかった彼女の後ろで、黒百合が口を動かす。
「相手を蹴落とすくらいなら真正面から挑めばいい。また今度、と先延ばしにするのは敗者だ」
「……あぁ?」
「別に。独り言だよ」
言い捨て、立ち去る黒百合。彼女と入れ違いに、遅番の面々がフロアに雪崩れ込んでくる。
●夕方
影野恭弥(
ja0018)が店先にフェアを告げる看板を設置すると、ちらほらと客足が戻ってきた。
「いらっしゃいませ」
経験者らしく板についた動作と言葉で迎え、応対していく。その最中、ぼんやりとカウンターの中、不自然に距離を置いた高畑と如月を眺めた。
事務所の中。
アルバイトらの荷物や着替えを置くためのスペースには、A4サイズの用紙がこっそりと貼られていた。
そこには、早番と中番が残したメッセージが並んでいた。
副店長さんは 店長さんに気があるのでは、と思います。 月乃宮
↑店長さんに火の気はなさそうでしたけど……(苦笑)みんなが幸せになれるといいですね 東城
↑同感だ レイ
↑↑少し強引でもいいかもしれませんねー 駿河
↑↑↑ふゆみもどーかんっ★ ふ☆ゆ☆み
↑かなり動揺していたからな、間違いないだろう。新聞逆さまだったぞ イリス
「……あのひとが店長さんか」
六道琴音(
jb3515)がそっと肩越しに盗み見る。ちょうど紫鷹(
jb0224)が身支度を終え、出番を待っているところだった。
「……おっとりしていて、いい人だな」
紫鷹が呟くと、隣の如月が彼女をきつく睨んだ。なんだ藪から棒に。紫鷹は小首を傾げて調理器具を洗い始める。
やがて如月の強い視線は琴音に突き刺さった。慌てて視線をフロアに戻し、ふぅ、と息を吐く。
「(……本当にヤキモチ妬いてるんだ……)」
店内のテーブルは次々に埋まっていく。それは琴音の働きの所為でもあった。カップルで使用している席へ混雑を言い訳に『プレゼントを抱えたお一人様』を通していく。必然空気は悪くなり、まだ冷めないコーヒーを喉に流し込んで腰を上げる。
となると、混雑するのは会計だ。
だが、その業務自体はスムーズに進行していた。フローラ・シュトリエ(
jb1440)は事前に受けた研修に真面目に取り組み、何より集中しきっていた。普段の彼女を知っている者が見れば、思わず目を疑ったことだろう。実際、それほど機敏でミスの無い、的確過ぎる働きぶりだった。
「ありがとうございました!」
はつらつに告げ、深く腰を折る。
「見ていて気持ちがいいな」
「ああいうヤツ好きだよ」
厨房でそれぞれの器具を操りながら、静矢と如月は軽口を叩く。電話のベルが鳴り、高畑が事務所に消えた。扉が閉じたことを確認し、静矢は如月だけに聞こえる声を出す。
「何故、せっかくのお客を追い出すような指示を?」
如月が返したフライパンからぼろぼろと具が零れた。
「店長はこうした催しでもしないと経営が苦しい、と。副店長であるあなたも事情は知っているはず。それでもフェアを邪魔したいのは……何か理由が?」
如月は答えない。焦げたパスタを延々と混ぜ続けていた。
ラウール・ペンドルミン(
jb3166)がやってきて、如月の隣で手を洗う。小声は水音に紛れた。
「副店長よォ。店長のことが大事ならよ、店長が大事にしてる店と店のやり方も大事にしてやろうぜ」
やはり如月は答えない。だが、確かに先程までより表情が険しくなっていた。
「あんただって店長の為に頑張ってんだろ。
大事な相手の大事な物を守れねェってのは、恋としちゃいただけねェ部類だぜ」
コンロの上にフライパンを置く。力んで震え、斜めになってしまった。
「……他にどうしろって言うんだよ……!」
静矢は真っ白な平皿にティラミスを乗せた。
「素直になればいい。自分の言動に後悔する前に、だ」
程なくして、高畑が事務所から戻ってきた。すぐさま紫鷹が駆け寄る。眼鏡を外した瞳は凛々しい。
「済まない。コーヒー豆が無くなりそうなのだが」
「ああ、僕が持ってくるよ」
紫鷹が頷き、高畑が再び離れる。
それを残念げに見送る女性客が数名いた。紫鷹は心底、心底微笑み、カウンターから身を乗り出す。
「折角のお届け物ですから、籠に入れて頂けませんか?」
客は睨まれた、脅された、と身を震わせ、示された桃色の布を引いた籠へプレゼントを投げ込んで、或いはそのまま帰っていく。
おや、と和泉早記(
ja8918)が眉を寄せた。
「(薄利多売作戦、かな……でも何も注文していないし……)」
どうにも腑に落ちず、早記は歩みを進める。そして出口付近でようやく女性客に追いつくと、小袋に分けたクッキーをそっと手渡した。
「また、お越しください」
彼が必死に用意し伝えようとした真心を戸惑いながら受け取り、女性客は帰っていく。ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、似た様子の女性客は途絶えず、また浮かれて入店してきたカップルも顔を顰めて帰っていく。
用意したクッキーはすぐに足りなくなってしまった。どうしよう、落ち着かなくちゃ。深呼吸する早記へ、押し付けるように藤宮睦月(
ja0035)がクッキーを手渡す。
「あ、ありがとうございます」
早記の感謝は睦月の背中に当たった。彼女はあごを引き、足早にカウンターへ向かうと、如月にずいと詰め寄った。
「少し、よろしいですか」
「あ?」
「よろしいですか」
如月はフライパンを投げるように置き、睦月を連れてバックボーンへ消えていく。
残された静矢とラウールが目を見合わせた。
「どういうことか、説明していただけますか」
「何が」
とぼけないでください。睦月は語気を強める。
「石上心(
jb3926)さんに伺いました。特定のお客様を故意に追い返すよう指示していたそうですね」
「何言ってるかわかんね」
「では、男女で料理や接客態度に差をつけたり、その……男性のお客様に、い、色目を使うような真似をしていた彼女を黙認していた理由を教えてください」
如月はポケットに手を突っ込み、足をぱたつかせた。
「アタシが、あんな連中追い返せって指示出したからだよ」
パチンッ
乾いた短い音は、厨房を守っていたメンバー、そして会計を補助していたユウ(
ja0591)の耳に届いた。
「そんなことをしても、どうにもならないではないですか。
早番と中番の皆さんがおっしゃっていました。副店長さんは店長さんに恋慕しているのではないか、と。
こんなことをしていたら、その気持ちさえなくなってしまうじゃないですか」
如月は腰に手を当てて顔を伏せ、鼻を鳴らした。
「嫉妬してる、って言うんだろ。さっきも他の奴らに言われたよ。
アタシ、馬鹿だからさ。こんなやり方しか思いつかなかったんだ」
「話は聞かせてもらったのじゃ〜」
間延びした声は奥の闇から。如月は踵を返し、目を見開く。
「アンタは……怪我してるからってんで倉庫整理に回された……えーっと……」
ゆらり、とハッド(
jb3000)が現れる。
「我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世。王である」
「そうだったな。じゃ、ちゃんと仕事しろよ」
「如月の。面接のときに言うておったのう。『なんでもする』と。
今から店長の好みの外見にしてやるが故、店に来た女どもに見せつけてやるがよいぞ」
「そういうのいいから。好みにならもうしてるし。
ほら、仕事に戻るぞ。あんたも」
言って睦月に頭を下げ、店内に戻っていく。
「告白する時は呼ぶのじゃぞ〜」
ハッドの言葉に青筋を立て、睦月にこっそり笑われてしまった。
そして閉店間際。
如月が睦月を連れて戻ってからは、紫鷹、琴音、心の妨害工作は抑えられ、真っ当な接客をするようになっていた。
ここで変拍子が起こる。如月は、副店長である如月の面接を受け、指示に頷いたにも関わらず、大真面目に業務に取り組んでいたユウに『妨害は終了』と伝える旨を忘れ、且つ、ユウが動いたのだ。
「……てんちょー、副てんちょー」
「ん?」
「あ?」
「……閉店前に、次回への反省点を得るために、お客様視点で今回のフェアを見てみるべき」
「ふむ」
一理ある。高畑は髭を揉む。
「……2人でお客様として来店してみるといい。お仕事は私たちだけでも大丈夫だから」
「面白いかもね。やってみようか、如月君」
副店長は口を結んで硬直していた。
「店長指示のようだが?」
「いいチャンスじゃねぇか」
静矢とラウールが小声で背中を押す。
「さあ、こくは――」
大声を上げようとしていたハッドの口を如月が慌てて塞いだ。
「如月君?」
「ウス……」
高畑は如月の手を取り、律儀に一旦裏口から店舗の外へ出ていく。
ほんのりと微笑んで見送る琴音に業務を済ませたフローラが顔を寄せる。
「え、なにがどうなっているの?」
「さあ、どうなるんでしょう」
トレイで口元を隠し、琴音は入り口を注視する。
カランコロンカラン
ベルが鳴り、高畑と如月が来店する。高畑はどこか気恥ずかしそうに、如月は耳まで真っ赤にして、互いの手を握っていた。
「いらっしゃいませ。2名様ですか」
恭弥に頷くと、2人は窓際のテーブル席に案内された。
「本日は、こちらのセットがお勧めとなっています。只今、サービスで飴細工のトッピングをお付けしています」
ではそれを。かしこまりました。恭弥の仕事っぷりに感心しながら、高畑は店内を見渡す。如月は俯いたままだ。
お待たせしました。早記がコーヒーと、黄金色の飴細工が施されたティラミスを運んでくる。ありがとう、とそれらを受け取り、先ずはコーヒーを一口啜る。高畑が頷いたのを見て、静矢は溜飲を下げた。ほんとにちゃと淹れられたのか。疑い半分で如月が含む。旨かった。肩越しに振り向くと、「頑張れ!」を顔に貼り付けた琴音とラウール、ハッドが微笑みを湛えて見守っており、
「がんばってー!」
と心が声と手を挙げていた。
「それでは、ごゆっくりどうそ」
頭を下げて早記が戻っていく。
「何を頑張ればいいんだろうね。こんなに楽させてもらったのに」
「……アタシに、だと、思うッス」
如月が正面を向く。
「すんませんでした」
テーブルに額がぶつかるほど、深く腰を折った。そして告げる。今回のフェアを否定するような指示を出していた。全ては自分の責任だ。アルバイトは何も悪くない、と。
如月がもう一度頭を下げると、高畑は微笑んだまま口を動かした。
「どうして、そんなことをしたの?」
「――……嫉妬、です」
ぐい、と顔を上げる。
「店長、好きです。店長も、『夕化粧』も、大好きです。
だから、その……あ、アタシと付き合ってくださいっ!!」
高畑は大きく椅子に凭れかかり、
「はは……」
しきりに首の後ろを揉んだ。
●
後日。
あなたたちのもとへ、シンプルな白い封筒が届いた。差出人は如月。
シンプルな便箋には手書きの文字が並んでいた。
先日は大変お世話になりました。
あんたたちがいろいろやってくれたみたいなのに、結局OKはもらえなかったよ。
でも、そういう目で見てくれるってさ。
店長なりの気休めかもしれないけど、馬鹿みたいに真に受けて、これからもやっていこうと思います。
感謝、としてはちょっとズレてるけど、給料に色を付けておいたので、確認してください。
ありがとな、本当に。いつでも店に来てくれよ。
アタシもこれから頑張るから、あんたらも頑張れよ!
『夕化粧』副店長 如月
●
天気は相変わらずの快晴。如月は店先のプランターに水をやっていた。
「……へへっ」
14日のいろいろを思い出し、ひとりはにかむ。
聴きなれたベルが鳴り、高畑が顔を出す。
「さあ、今日も頑張ろうか」
「……ウス!」
応え、店内に吸い込まれていく如月。
プランターの中、葉に水を湛えた夕化粧は、その蕾を少しだけ、しかし確かに綻ばせていた。