●
真っ白な花火が紺碧の夜空をこれでもかと彩った。
「わぁ……」
佐藤七佳(
ja0030)は思わず感嘆を漏らした。うんざりしていた人ごみも、顔を上げた先にはない。
やっぱり来てよかった。彼女ははにかむ。隣にいてくれる人はいないが充分楽しい。
そう言い聞かせた。
「おい、全然足りねェッ! 鉄板ごとよこせよッ!」
視線を送ると、革帯暴食(
ja7850)が屋台の店主に向かって声を荒げていた。せっせと焼きそばをこしらえる鉄板に身を乗り出して凄んでいる。その手前ではコンチェ(
ja9628)が黙々といか焼きを口の中に送り込んでいた。
「たーまやー!」
声が聴こえ、また辺りが明るくなる。桃色の髪をした女性――ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が両手を挙げて花火を歓迎していた。
ふと落ち着いてみれば、辺りは声に溢れていた。家族と、友と、そして恋人と語らう声で溢れ返っていた。
高くて細い音を上げ、赤い花火が空に広がった。
その下にある人影に、彼女は目を奪われた。
しきりに辺りを気にしながらころころと表情を変え、髪を弄る亀山淳紅(
ja2261)。
恋人を待っているんだ。七佳はすぐさま理解する。ぼっちは、非リアは色事に敏感なのだ。
目を逸らすのも癪なので観察してやった。どうせろくでもない女が現れるに決まってる、と。
だがやって来たのは、頭の左側で髪を結った浴衣姿の女の子。花火の灯りが頼りだったが、どうやら可愛い。
口の中で舌を打ち、七佳は俯く。
その瞬間だった。
ドオオオオオオオオンッ!!
花火のそれとしてはあまりに小さく、そしてとても近い位置から爆発音が生まれ、彼女の全身を叩いた。
驚いて顔を上げる。
そこにあったのは――
空と大地の間に舞い上がる淳紅と、
「綺麗な花火だなぁ!」
眩い笑顔で彼を見上げるサイドポニーの女――嵯峨野楓(
ja8257)の姿だった。
「リア充は爆発だってじっちゃんが言ってたー」
声高に笑い、楓は風のようにその場を去った。
「ば……?」
目を白黒させながら、七佳は、まるで何かに突き動かされるように楓の後を追った。
淳紅が墜落すると同時、近くにいた桜木真里(
ja5827)が駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「お……うん……」
「無理をしないで! 今、知り合いの団体のところへ運びます。気をしっかり持って!」
不穏な雰囲気を警戒し、遠巻きに生まれる人垣。
それを懸命にかき分けて、本当の待ち人――Rehni Nam(
ja5283)が現れた。
「ジュンちゃんっ!」
「あ、お知り合いの方ですか。これから搬送しますので、手を貸してください!」
「ジュンちゃん、ジュンちゃんっ!!」
瞳に涙を溜めて名前を呼ぶ恋人。その涙を震える手でなんとか拭い、淳紅ははにかむ。
「……ごめん……初、デート……」
それだけ伝えると、彼は静かに目を閉じた。
「っ! ジュンちゃん!!」
「大丈夫、気を失っただけです。どうか、気を強く持っ……て?」
新品の浴衣を握りしめながら、Rehniは真里を正面から見据えていた。
●
遠く離れた場所で、その騒ぎに勘付いている者がいた。暗がりを睨む獅子堂虎鉄(
ja1375)だ。
「どうかしましたか?」
優しい声色で語りかけ、ソリテア(
ja4139)が彼の手をそっと握った。
「いや……」
「せっかくのお祭りですし、楽しみましょう」
「……すまん」
言って虎鉄はソリテアを押しのける。
そして、すぐ近くでうずくまる、蒼色の浴衣に身を包んだ長髪の女性に駆け寄った。
「う……なの……」
「おい、大丈夫か?」
虎鉄が女性に手を伸ばす。
刹那。
彼の視界がぐるりと廻り、間髪入れず後頭部に強い衝撃を受けた。
「ぐ……」
「虎鉄さん!」
「来るな!」
痛みを堪え、立ち上がる虎鉄。
ぐらつく視界で、蒼の浴衣がぐにゃり、と溶けた。
「うふふ……夜空の花火より、きれぇな花火が見えるでしょ!」
現れた姿を目の当たりにし、虎鉄は奥歯を噛む。
「エルレーン(
ja0889)……!」
「裏切り者っ!」
言葉の飛礫は、先の一撃よりも遥かに響いた。
「しゅくせぇ、しゅくせぇだぁっ!」
「……お前がここにいるということは、まさか」
「あなたには関係ないの! この場で倒れる――」
「あなたには、ねェ?」
闇の中からの声と同時、エルレーン・バルハザードの防御の薄い胸部に着弾する。
喉を動かす間すら与えず、今度は頭部にゴム弾がヒット。
虎鉄とソリテアが息を呑む中、エルレーンははたり、と前のめりに倒れた。
「はい、一丁上がりィ♪」
火照った息を吐き、闇から黒百合(
ja0422)が現れる。彼女は躊躇なくエルレーンの近くまで歩み寄り、拳を翳す。
しかし彼女は
「待て」
虎鉄の声で挙動を止め、不機嫌そうに彼を見下ろした。
「……何が、起きている?」
黒百合は、心底つまらなそうに口を開いた。
「この女は『アベック仏虎狼獅団』よォ」
言い捨て、彼女は携帯のコールに応えた。
●
時間は少しだけ遡る。
岸を繋ぐ橋の上で、権現堂幸桜(
ja3264)とカタリナ(
ja5119)は腕を繋いで歩いていた。二人の間で、二人で持ったかき氷を交互に食べさせ合い、広がる花火を満面の笑顔に映していた。
改めて形容するまでもない、リア充。
しかし、二人の時間は唐突に終わりを告げる。
同じ歩幅で歩いてきたのに、突然カタリナの足が止まったのだ。
「? どう――」
幸桜が問うより早く、カタリナが彼を突き飛ばす。
支えを失い宙に浮く、赤を湛えたかき氷。
そのカップの中央を、弾丸が貫通していった。
「え……?」
カタリナは駆け出す。幸桜が事態を呑み込むのを待ってはいられなかった。
今にも人ごみに消えようとしている、巨大な面を付けた人物を必死で追う。
「すいません、通してください」
青い髪を振り乱し、懸命に硝煙を辿る。そしてようやく、手が届く距離まで詰め寄った。
肩が外れそうなほど腕を伸ばす。
しかし――
「あ……」
微かに見上げる先には鳥を模した仮面、彼女が追っていたものは違う。
ごめんなさい。急いでいたもので。
カタリナがそう伝えようとした瞬間――仮面の口元が歪んだように見えた。
直後。
背後に膨らむ、圧倒的な敵意。
「――鉄拳制裁(エメラルドスラッシュ)――ッ!」
掛け声一閃、振り向きざまに拳を放つカタリナ。
だが彼女の攻撃は仮面を裂くに終わった。
彼女が打つより早く、麒麟のマスクをつけた者の拳が彼女のみぞおちを捉えていたのだ。
顔を歪めるカタリナの視界で、マスクがはらりと落ちる。
その奥にあった貌に、カタリナは戦慄した。
「……どうして、こんな……ッ」
「リナさんにだけは、知られたくなかった……」
麒麟の声は届かなかった。己を倒したその腕の中に、カタリナは静かに蹲る。
「リナっ!」
ようやっとやって来た幸桜を、麒麟は一瞥。
「万遍なく伝えろ。
『連弩の花が咲く頃、ここで待つ』。
それと――」
言い残し、マスクを付けた人物はカタリナを置いて雑踏に紛れた。
力なく崩れ落ちる最愛の者を慌てて抱きかかえる幸桜。
「リナっ! どうしてこんな……今日はお祭りだったじゃないか! 一緒に……見て回るって……!」
悲しみに染まる最愛の者の頬に手を伸ばすカタリナ。
「私は……『桃薔薇十字軍』の一人です」
聞き覚えのある単語に幸桜は目を丸くする。
「今日、このお祭り会場に『アベック仏虎狼獅団』が現れ、カップル、リア充を爆破して回るという情報を得、戦列に加わりました。でもそれも、コハルとお祭りを回る為。なのにこんなことになってしまって……」
ぶんぶんと首を振る。
「ごめん、なさい――」
カタリナは力ない笑みを浮かべ、意識を闇に落とした。
「リナぁっ!!」
あまりにも場違いな慟哭が響き渡る中、八塚小萩(
ja0676)が携帯を操作する――。
●
「恐らくそれが団長です! 麒麟というモチーフも一致します!」
花火の打ち上げ会場、そのすぐ近くに、肩と頬で携帯を挟む風鳥暦(
ja1672)の姿があった。開いた手にはメモを持ち、報告を一言一句漏らさぬよう、忙しなくペンを走らせている。
「すぐ全員に連絡を送りますね! 小萩さんは引き続き捜索をお願いします!」
通話を終えると、彼女はすぐにメールを作成する。
密なる連携。
人の多い場所だ、紛れようとすればいくらでも紛れられる。
だが本気で隠れようとしない、つまり行動を起こせば嫌でも人目に付く。
それを逃さなければ、必ず全滅に至る。
仏虎狼獅団が現れた場所、姿、戦い方、残した言葉を鮮明にしたためたそれを、仲間へ一斉に送信する。
そのメールは、もちろん黒百合の携帯にも届いていた。
●
「連弩の花……なんのことかしらァ?」
黒百合の呟きに虎鉄が反応する。
「花……この場で花と言えば花火だ。それが連弩、連発する、ということは――」
「スターマイン、ですね」
言い、ソリテアが虎鉄の肩に手を置く。
「フィナーレを飾る百八尺玉、『思い出メモリー』が上がる直前、大会名物の長いスターマインが上がります」
「へェ、詳しいのねェ。流石はリア充、かしらァ?
でもォ……」
小首を傾げる黒百合。
「じゃあ、この『白虎』っていうのは、何を指してるのかしらァ?」
戦慄。
そう表すより他ない感情を虎鉄は味わっていた。
「……心当たりがある。そいつはおいらが連れてこよう」
「あら、ほんとォ? じゃあお願いねェ♪」
次の獲物を求め、黒百合はその場を離れる。
彼女の姿が完全に見えなくなってから、虎鉄は、トートバッグから(はみ出ていた)被り物を取り出した。
「またお前の世話になるとは、な……」
「――お手伝いします」
背後から聞こえてくる心地よい声。振り返らずとも表情が判る。誰かを想う、とはそういうことだ。
「いいのか?」
虎鉄の首に手を回し、ソリテアは彼のうなじに額を押し当てる。
「私は、局長の伴侶ですから」
「……すまん」
答えを聞き、ソリテアは体を離す。
彼女の残り香を噛み締め、包み込むように、虎鉄はアルパカの被り物を装着した。
●
「黒百合さんが見かけた人は虎鉄さんですね、白虎本人ですよ!
引き続き、団員の捜索に当たってください! スターマインまでに少しでも数を減らしましょう!」
通話を終え、軍の面々にメールを送る。
間違いなく敵は動いている。のんびりしている時間などまるでない。
祈るように組んだ手の中で携帯が震える。
暦は素早く応えた。しかし――
●
「ダメじゃ、見つからん!」
周囲の雑音に負けぬよう、小萩は声を張り上げる。
「座標Dにも、橋の上にもそれらしいのがおらん! せっかく妾が入念に準備したとゆうにー!!」
――小萩さん、落ち着いてください!
「ううう〜〜! もよおしてきたのじゃ! トイレは何処じゃ!?」
――打ち上げ場所の近くにあります! 一旦戻ってください!
「うううう〜〜〜〜!!」
目いっぱいに涙を溜め、彼女は準備していたおむつをひとつ余分に穿いた。
「何故じゃ!? こんなに血眼になって探しているとゆうに――!!」
●
「(まるで見つからないわねェ)」
夜の帳に紛れ、注意深く通行人を観察する黒百合。
しかし彼女もまた結果を出せずにいた。
怪しいと疑ったのはただ一人、このむせ返るような熱い夜の中、黒服を纏う優男だけ。
だが無表情で腹の内がまるで探れず、しかも少し遅れて白いワンピースを着た麦わら帽子の女性が追っていた。
非リアではあるまい。
黒百合は判断し、無限とも思われる雑踏に目を戻す。
「(何かしら仕掛けてくるわァ……そうでないとしても、探すことくらいはできるはずなのよォ)」
●
「(なのに……)」
見物席を見回る真里もまた腐心を余儀なくされていた。
周囲に広がる見物席は平和そのものだ。活動しているのが馬鹿らしくなるほどに。
「(強いて言えば……)」
彼はある人物を先程から観察していた。
見物席の中ほど、一等地と言ってもいい場所なのにぽっかりと人が途絶えた場所。
その中央で、楽しそうに語らう若杉英斗(
ja4230)を。
「あ、ほら、また上がった」
その表情はとても穏やかで、
「綺麗だね」
また、花火がかすむほど眩しかった。
「ッ! 違うよ、俺は君のことが綺麗だと言ったんだよ!」
空間と語らい、とうとう目を閉じて唇を突き出したので、真里は視線を花火に戻した。
「(凄い非リアだ。でも『敵』じゃない。
いったいどこにいるんだろう?)」
●
青く、赤く、黄に、緑に。
矢継ぎ早に点滅する空の下、暦は連絡塔として全力で稼働した。
「スターマインまでもう時間がない! 団員が集結する前に――」
団員が集結。
状況を鑑みて、つい口から洩れた憶測の一言。
だがそれは、彼女の脳裏に雷光を走らせる。
現れない団員。
呼び出された白虎。
呼び出した麒麟。
「待って。ってことは……!」
はたと気づき、彼女はメールの文面を差し替える。
全員に通達
橋の上から一般客を退避誘導
並びにスターマインが上がる瞬間まで徹底した団員の捜索
「(もし団員が、リア充を爆破することよりも、裏切り者の粛清に拘っているとしたら――!)」
送信。
が。
――さあ、それではオオトリの前に、スターマイン512連発をお楽しみ下さい!
空高く響き渡るアナウンスと、それに負けぬ弦の音が降ってくる。
「これは……月琴?」
●
ドン! ドン! ドドドドドドドド!
大気を震わせる花火の音を、まるでテンポ替わりにしているかのように、月琴の音は突然鳴り始めた。
橋のへりに腰を下ろす九十九(
ja1149)が奏でる到底素人のそれとは思えぬ旋律に見物客は酔い痴れた。
そこへ――異形の影をしたものが現れる。
屋台側からは、麒麟のマスクを嵌めた者、鳥の仮面を付けた者、そして猫耳を付けた鼻眼鏡の男。
暗がりからは、アルパカの被り物を乗せた虎鉄、魔導書を携えたソリテア、そしてハルバードを担ぐ幸桜。
ただならぬ雰囲気を感じ取った観客は花火を見上げながら橋を降りる。
対峙する6名と、奏でる九十九のみになった瞬間、虎鉄が声を張り上げた。
「まだこんなことをしているのか、麒麟――いや、七種戒(
ja1267)!」
「ぃやっかましぃッッッ!!」
麒麟――戒は激昂。
「覚悟はできているだろうな、元四天王、『愛願の白虎』。
――いんや、今更貴様に四天王を名乗る資格などなかったのぅ?
裏切り者が二つ名など、おこがましいにも程があるわい!!」
僅かにアルパカの頭が垂れた。
「世話になった恩義は、感じている。
だが――今回の凶行を見逃すわけにはいかねぇ!」
クスリ、と嗤う戒。
「そうだ、その驕りだけは撃ち砕いてやろうと思ってなあッ!!」
「ここは俺が」
歩み出た鳥の面の男――マキナ(
ja7016)が、アルパカの頭上にハルバードを翳す。
「裏切り者の粛清ごとき、麒麟の手を煩わせる必要は無い」
連発する花火を映し、色とりどりに点滅する鋭利な斧槍。
「させないよ」
そこへ、幸桜が己の斧槍を添える。
「こんなこと、止めない?」
「邪魔だ。逃げろよ、『6月みたいに』」
「――ッ」
幸桜の瞳に深紅の花火が映り込む。
「これ以上、僕の大切な人を傷つけさせはしない!」
ぴくり、と鳥の面が揺れる。そしてそれから、ゆっくりと幸桜を見据えた。
「……いいだろう。先ずはあんたから――だァッ!」
一喝、マキナは幸桜を大きく押し飛ばした。
「ふふふ。血が騒ぎますねぇ。お祭りはこうでなければ……」
くいと鼻眼鏡を直し、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)が前に出る。
標的に定められ、しかし虎鉄も、ソリテアさえも目を向けない。
「余裕綽々、ですか。さすがはリア充」
器用にツヴァイハンダーを回転させ、カーディスは危うく微笑む。
「ですが――いつまで続きますかねェ?」
虎鉄は小さくため息。
「ひとつ、忠告しておいてやろう」
「はいィ?」
「弛緩するな。逃げ場を与えぬ十字の名は伊達ではないぞ」
敵意を感じ取る。が、遅い。
カーディスは背中を蹴り飛ばされ、橋の上を数転、急いで受け身を取り、橋のへりに飛び乗った。
その正面。
金髪のメイドが似た姿勢でへりに居た。
「友達を守る為に友達と戦う……因果ですね」
「君が来ますか――東城夜刀彦(
ja6047)、いや、夜刀さん!」
変化を解き、夜刀彦は困ったように微笑んだ。
「幸桜さんも言ってたけど、退いてくれませんか?」
「ご想像通り、答えはNonです」
受け、夜刀彦は笑みの質を変える。
「では、挑ませて、頂きます」
「そうこなくては!!」
カーディスは喜色満面。
「今宵は祭り! つまり戦! 故に宴に興じましょう!!
存分! 存分に! 思う存分ッ!!」
「戒」
「あぁん?」
「お前の言うとおり、おいらはリア充だ」
「だから?」
「お前の仲間がもう来ないなら、二人でお前の相手をすることになる」
「それが?」
「戒ッ!」
「黙りくさりれぁぁあッ!」
咆哮と同時、彼女はアサルトライフルの銃口をアルパカの眉間に向けた。
「数の優位? リア充? 恋人? 未来の花嫁!?
一切合財ハチの巣にするために来たんじゃあ!!」
「……判った」
取り出した矢をライフルの銃身に当てる虎鉄。
「禍根を断つぞ、戒!」
「ふ。なんとも色気のない辞世の句だな、ししどんッ!」
●
橋でのやりとりを、楓は少し離れた丘から見下ろしていた。
「おもしろそうなことやってるなぁ」
ぺろり、と林檎飴を舐める。
「まっ、私は怪我するつもりないし、ここで見物――」
かさり、と背後の草木が揺れた。
魔か、物の怪か。楓ははっとして振り返る。
そして、そこにいた者を見て――お化けの方がマシだった、と眉を下げた。
「誰?」
「あなたに初デートを妨害された、Rehni Namなのです」
Rehniは、彼女は、今日の日の為におろした浴衣を草木の露と泥まみれにしながら、指の間を鼻緒で摺り切りながら、一時も休むことなく楓を捜して回ったのだ。
楓は失笑。
「ご苦労なことで」
「それだけですか?」
突然、Rehniの周囲にあった草木が割れ、裂け、落ちる。
目を凝らせば、彼女の手には漆黒の大鎌が握られていた。
「言いたいことはそれだけなのですか?」
「……ごめんね。お詫びにオススメのデートスポット、教えてあげる」
目を見開き、裂けるほど口角を釣り上げ、楓が言う。
「『病室』とかどう? 相部屋になれればだけどさぁ!!」
彼女の平手から、狐を模した炎が飛び出した。
●
「おッ」
結果的に焼きそばの屋台を買い占めた暴食が橋の異変に気付いた。
彼女の隣で、舟に山盛りのたこ焼きをせっせと頬張るコンチェもまた、表情は厳しい。
「え、なになに、見えない」
言いながらソフィアは暴食の背中を上り、肩に座る。
「決闘だよッ。しかも見えるだけで3つッ」
「ふむ……ハルバードが打ち合っているのか」
橋の麓近くで幸桜とマキナの攻防は続いていた。まるで斧槍の暴風。虫一匹入り込む隙間さえ無い、濃密な嵐。
腕力に於いて上回るマキナがやや攻勢に出ているが、幸桜も負けてはいない。
「実力伯仲、って感じ?」
「そんな感じちゃうッ? どっちも決め手に欠くッつーかッ」
いや、とコンチェが首を振る。
「恐らく数瞬で決まるぞ」
マキナの振り降ろしで幸桜が膝をついた。これを機と見、マキナは大きく踏み込んで切り上げる。
幸桜は後退してなんとか回避。しかしそこへ――
「オオオオオオオッ!!」
マキナが渾身の切り降ろしを放った。
手応え――なし。
舌を打ち、辺りを見渡す。が、幸桜を捕捉できない。
刹那。
「はあっ!」
真下からの一閃。
幸桜は、マキナの『面の死角』に飛び込んでいたのだ。
仮面が中央からぱかりと割れ、それが落ちるより早く、幸桜は跳躍、マキナを押し倒した。
「くッ!」
悔恨に蠢くマキナの喉に、斧槍の刃が寄り添う。
「勝負あり、です……!」
「制限されてる視界の外から!」
「可愛い顔してやるねェッ!」
「見事な手並みだ」
感心する3人のすぐ前で、巨大な水柱が上がった。
「こっちは……忍軍同士の一騎打ち――!」
「――っあ!」
水面から顔を出すなり、夜刀彦は胸いっぱいに息を吸い込んだ。水滴が髪から頬へ、そして胸元へ零れてゆく。
が、それより早く彼は再び水中へ身を隠した。
直後、彼のいた位置を無数の黒金が襲う。カーディスが投擲した棒手裏剣だ。
攻撃を外し、しかしカーディスは嗤う。
「いつまで息が続きますかねー?」
発声が終わる、と、同時。
背面――橋の向こう側で無視できぬ水音が轟いた。
だが。
「読めてますよおッ!」
振り向きざま、影手裏剣を放つカーディス。
しかしそこに夜刀彦の姿は無い。代わりにあったのは、花火まで届きそうな影色の槍。
「魔法を囮にした!?」
「高密度の読み合いだからこそ成功するってかッ」
「裏の裏は、というやつだ」
全力の投擲故、反応が遅れてしまう。即ち、夜刀彦の気配に気付けても、対応するに至らなかったのだ。
カーディスの頭部を夜刀彦の艶やかな太腿が挟み込む。そのまま錐揉み回転しながら上昇、後、カーディスを橋のへりに脳天から叩き付けた。
「――ッ」
白目を剥き、川へ落ちそうになる彼の襟首を掴み、橋に寝かせる。そしてそこに跨ると、夜刀彦は彼の口に手作りの温泉まんじゅうをこれでもか、と詰め込んだ。
火照った息を吐き、顔の前で指を揃え、目を瞑る。
「――御免!」
「ケラケラ! やだ、あの子色っぽいッ」
「何を言っている……。ところで、食い物が尽きてしまった。代金は払う、その綿菓子を譲ってはくれないか」
「絶対駄目だッ! これは友達へのお土産サッ」
「あ、見て! あっちも凄いよ!!」
例えば。
暗がりを高速で、文字通り矢継ぎ早に飛んでくる一級の弓術を回避し続ける、とか。
ましてや、それらを一つ残らず撃ち落とし続ける、とか。
漏れ、飛来する銃弾を、後ろの仲間の邪魔にならぬよう防ぎ続けるとか。
到底成し得ることではない。腕だけ磨いたとしてもその頂には至らない。
想いが無ければ、とても。
「ふ、埒が明かぬな、ししどんッ!」
一瞬の隙を逃さず、戒が前に出る。身を低くする彼女の頭上で、『美少女募集』と書かれたマントが靡いた。
虎鉄も応える。そして告げた。
「ティア!」
返事の代わりにソリテアは書を開く。と同時、戒の足元に無数の手が生える。
「戒っ!」
「う る さ いッ!」
手を蹂躙し、戒が前に出る。虎鉄が弓を構えるより早く、戒はアルパカの眉間に銃口を突き付けていた。
「――ッ!!」
「さらばだししどんッ!」
引き金が引かれ、銃口から銃弾が飛び出した。
銃弾は眉間を正確に捉え、頭部を貫通した。
アルパカの頭部を。
「! しまっ――」
割れた仮面の下から睨み上げる虎鉄。そのまま前に出、戒の腹に弓を構える。
戒は後退、やや距離が開いてしまう。
しかし、ソリテアが背後から彼を押すと、隙間はなくなった。
(スロー再生でお楽しみください)
「かああああいっ!」
「しいいしいいどおおおおおんッッ!!」
(通常再生に戻します)
絆を守る封砲が、零距離で放たれた。
●
自身の顔面を狙って飛んでくる炎の狐を、しかしRehniは冷静に対処、鎌で裂く。そしてその挙動のまま、大きく踏み込んで楓に斬り掛かった。
漆黒の刃は、だが虚空を切る。
楓は丘から飛び降りていた。不敵な笑みを張り付けて。
高笑いを残し、丘から降りる楓。猫のような身のこなしで着地する。
「へへ、だあれが――」
舌を出す彼女は、しかし場違いな耳鳴りを覚えた。
「えっ」
顔を上げた彼女の鼻っ柱を、漆黒の炎を纏った弾丸が掠めた。
じゃり、と畦の土が鳴る。
「無粋な輩は粛清だぞーっと……」
待ち構えていた男――影野恭弥(
ja0018)に睨まれ、楓は凍りつく。
彼女の背後にRehniが降り立つ。
「他のやつらと違って、俺はやり過ぎない保証は出来ないけど……どうする?」
鎌の留め金が鳴り、銃の撃鉄が起きた。
「……ッ」
楓はその場に座り込み、がっくりと肩を落とした。
「あ、あの……ありがとう、なのです」
「いいから行きな。初デートなんだろ?」
「! ……はいなのですっ!」
笑顔を取り戻したRehniを横目で見送り、恭弥は口を開く。
「あんだもだ」
彼の背後。
七佳は息を呑んだ。
「祭りなんだし、楽しんでくればいいよ」
「……はい」
頷き、七佳は駆ける。
――迷いを置き去りにして。
●
月琴の音が止む。
戒は虎鉄・ソリテア夫妻によって簀巻きにされ、橋の上に放置されていた。
「花火にしてやろうかとも思ったんだがな、もう時間がない。『思い出メモリー』だけは見逃せないからな」
「ですね」
そっと虎鉄の腕に寄り添うソリテア。
簀巻きがびったんびったんとしなる。
「くっそおおおおおおおおお!」
「そこで眺めているんだな、戒!」
大きな声を上げ、空を見上げる虎鉄。
その、彼の後ろを――
白い光を撒き散らし、七佳が疾走する。
「なん……だ、今のは……」
ひた走る七佳を見送る戒。七佳は脇目も振らず橋を駆け抜ける。
間に合え、間に合えと、うわ言のように繰り返しながら。
戒は頭の上に電球を灯した。
「……ふ、ふふふ。そうだ、いいぞ!
行っけぇっ! 打ち上げさせるなあああああああっ!」
彼女の一言で、その場にいた全員が七佳の目論見を把握する。
だが。
「くっ!」
追おうとした夜刀彦の足をカーディスが強く握り、
「待――」
「今動けば、背中から真っ二つだ」
幸桜はマキナに脅されて動けない。
――さあ、それでは!
橋を降りるなり七佳は方向転換、小萩を振り切り防波堤を駆け下りる。
――カップルの皆様、お待たせしました!
真里が止めようと前に出る。が、その先に銃弾が突き刺さった。
「永遠の愛なんて誓わせるかーーーーーーーー!」
平山尚幸(
ja8488)は咆哮、次弾を装填する。
だが、横から突然銃を叩かれ、丘の下へ銃を落してしまった。
目を向けた先には、麦わら帽子を被った白いワンピース姿の御手洗紘人(
ja2549)ことチェリーの姿。
「『あはは〜☆ させないよ〜?』」
尚幸は舌を打ち、転がるように丘を降りる。
――本大会のグランド・フィナーレ!
七佳がパイルバンカーを備えた腕を引く。
暦の腕は届かない。
――『思い出メモリー』……
泣きそうな顔で踏み込む七佳を――
――入筒です!!
――淳紅が抱き留めた。
「……あかんて」
「っ……離して!」
淳紅は首を振る。
「自分のわがままで、他の人の幸せを台無しにしたらあかん」
「――っ」
その一言で、七佳の全身から力が抜け、
それを証明するように、大粒の涙がぽろぽろと零れた。
「……わかってます、そんなこと……」
●
人が通らぬ、暗がりの中。
エルレーンは独り、地べたにちょこんと座っていた。
溢れる涙を手の甲で拭う。だが止め処がない。
「……かなしくなんか、ないもん」
判っている。嫉妬が醜いなんてことは。
本当は自分が悪いなんてことも、判っているのだ。
「いいんじゃないかな、悲しんでも」
声に振り返ると、泥だらけになった尚幸が優しく笑っていた。
「作戦は失敗、愛を叶える花火は上がる。でも、だから、ずうずうしく見上げてやろうよ」
「でも……」
「醜くたっていいじゃない。カッコ悪くたってそれでいい。
非リアは非リアらしく、リア充の願いなんか掠め取るくらいのつもりでいようよ」
言い、あごを挙げる尚幸(2秒後チェリーに殴られ昏倒)。
エルレーンはもう一度だけ、しっかりと涙を拭い、広がる夜空を見上げた。
●
「七佳さん、こっち。特等席から一緒に見ましょう?」
暦に呼ばれ、重い足取りで移動する七佳。
彼女を見送る淳紅の背中に、
「ジュンちゃん!」
Rehniが声を投げながら走り寄る。
――では、点火します!
「リナ、リナ!!」
「う……コハル?」
愛しき者の声でカタリナが目を覚ます。
「よかった、間に合った!」
――ちなみに、一尺はおよそ30センチなので『思い出メモリー』は直径約32.4メートルです!
――小学校のプールにはまず入りきりません!
「凄いな。楽しみだね」
英斗は興奮を抑えきれぬ、といった様子で語りかける。
「だから花火じゃないって!」
――どうやって打ち上げるかは考えてはいけません! 考えると破局です!
びったんびったん。
「ああああきになるなああああ! どおやってうちあげるのかなあああああ!!」
――では、発射!!
アナウンスに合わせ、ジャンボジェットが発進したかのような爆風が会場を襲った。
風が治まると同時、大気圏の外で『思い出メモリー』が炸裂する。
皆一様に空を見上げた。
広がっていた光景。
「すごい……」
それはまるで、極彩色の流星群。
この世のありとあらゆる『思い出』が、長い尾を引いて夜のキャンパスを染め上げるよう。
「リナ!」
「はいっ!?」
「リナは僕が好きですか!?」
「……はい! コハルのことが、大好きです!」
「僕もリナが大好きです!!」
「ジュンちゃん」
「ん?」
「私、ジュンちゃんのことが大好きなのです。
学園で、世界で、宇宙で。一番いちばん、大好きなのです!」
「……うん。自分も。
大好きやで」
瞳を閉じるRehniを、淳紅が優しく抱き寄せる。
くちびるを離し、ソリテアはにっこりと笑った。
「ずっと一緒ですよ。これからも、いつまでも、ずっと一緒です」
「ああ、もちろんだ!」
虎鉄の顔がソリテアを迎えに行く。
(びったんびったん)
「愛しているよ。俺たちの愛は永遠だ!」
愛を叫ぶ英斗の頭上で、祭りは、戦は、特大の花火は、静かにその幕を閉じた。
皆に幸あれ、と微笑んで。