「ハルヒロ君、私から離れないで!」
サタニックアンカーの上で川澄文歌(
jb7507)が叫んだ。
「わかったよ! お姉ちゃん!」
元気よく返事をするハルヒロ。しかし、彼はその時自分に向かって来る無数の触手に気付く。
「しまった……!」
しかし、文歌が笑顔を見せる。
「大丈夫!」
その言葉通り、ハルヒロを絡めとろうとした触手は、渦巻く炎のようなアウルによって阻まれた。
「ありがとう、ピィちゃん」
ハルヒロを守ったのは、文歌が召喚した鳳凰、ピィちゃんの加護であった。
主人に呼びかけられ鋭く鳴くピィちゃん。
しかし、この時、更に多数の触手が文歌たちの方に襲い掛かる。
「え……!」
茫然となる文歌の眼前で、高質化した触手がありとあらゆる方向からピィちゃんに襲い掛かり、その体を串刺しにする。
「ピィちゃん! きゃあ!」
触手は、ピィちゃんによる加護が失われたこの瞬間を見計らったように今度は文歌を捕獲した。
「く、文歌に何かしたら殺すよ!」
水無瀬 快晴(
jb0745)は触手を切断しようとエネルギーブレードを構えた。
だが、触手の数は余りに多く、快晴も自分に迫る触手を切り払うので精一杯である。
「せめて、触手の届かないところに移動しないと……!」
しかし、触手は快晴の想像以上に長く伸ばすことが可能であり、死角は無かった。
一方、苦戦を強いられていたのは長幡 陽悠(
jb1350)も同様であった。
「ストレイシオン……!」
眼前で、これまで多くの戦いを共に乗り越えて来たストレイシオンが硬質化した触手に貫かれていく。
「ありがとうな、ストレイシオン……そしてスレイプニル、後は任せる。一緒に飛ぼう!」
回避に専念して体勢を立て直した長幡は、準備が整うと即座にスレイプニルを召喚し、その背に跨り空中高く舞い上がった。
その、長幡を容赦なく追尾する触手たち。対する長幡はその内接近して来た何本かを、ハイブラストで吹き飛ばす。
そして、ぎりぎり触手の攻撃範囲に入るか入らないかの高度まで上昇、その位置で触手の注意を惹き付けるよう、出鱈目に飛び回って、何とか味方が体勢を立て直す時間を稼ぐ。
「このままでは味方が押し切られてしまう……予定変更ですね」
雫(
ja1894)は残念そうに呟くと、アンカーの触手に捕えられているサンバラトを見た。
しかし、雫が潜行を解除しようとした瞬間、袋井 雅人(
jb1469)と目が合う。
「大丈夫です。僕たちを……学園の仲間を信じて、任せてください!」
袋井は雫に向かって力強く頷いて見せると、これ見よがしにゴルトレーヴェを頭上に掲げ、振り回す。
「さあ、掛かって来なさい!」
その派手な動きと大声に惹き付けられたのか、無数の触手が袋井に向かう。
「でやあああああああ!」
だが、袋井も大剣を振り回して硬質化した触手の刺突を弾き、隙あらば触手を横薙ぎに叩き切って行く。
「こうなったら、全部やっつけちゃえばいいですよね!」
だが、撃退士とて体力は無尽蔵ではなく、流石の袋井も徐々に息が上がり始める。その隙を逃すまいと触手が一気に襲い掛かった。
「……なんてね!」
だが、次の瞬間袋井の身体が、足元に広がっていた自身の影の中に沈む。そして、アンカーの触手は空しく自身の皮膚に弾かれた。
「神経節の場所は、事前に聞いていますからね! 破壊させて貰います!」
そして、闇渡りで一気に神経節の側に出現した袋井は剣を逆手に持ち替えると、神経節に突き立てようとする。
だが、弱点に対する攻撃を察知したアンカーが、袋井に向かって何かを口から発射した。
「ぐっ……」
その何かに真横から激突され、袋井が呻く。
「と、飛び道具があるなんて聞いていませんよ……!?」
しかし、袋井が何とか身を起こした瞬間、彼は飛び道具の正体を認識した。ぬらりと光る真紅の蛸のような頭部がゆっくりと此方を向く。
「ブラッドウォーリア……いや、これがレッドタイド・ヴァイキングですか!」
射出されたディアボロは、アンカーを護衛すべく真紅の刃の斧を構えじりじりと袋井との距離を計り始めた。
●
「このチャンス、絶対無駄には出来ないわ。必ずここで助けて見せる……」
シルファヴィーネ(
jb3747)は自分に言い聞かせるように呟くと、太陽を背にして気配を消したまま、翼を静かに動かし少しずつ拘束されたサンバラトの方へと接近していく。
仲間が囮になって苦戦しているという事実が、焦りに繋がったのか、彼女の身体が触手の一本に触れてしまう。
(しまった……!?)
シルファヴィーネ(以下シルヴィ)と、やはり気配を消してアンカーの体表をよじ登っていた雫の表情が強張った。
シルヴィと接触したアンカーの触手が震え、獲物を探すように周囲を嗅ぎ回る。しかし、次の瞬間別の触手が快晴のライフルに吹き飛ばされたため、触手は快晴の方に向かう。
安堵したシルヴィは今度こそサンバラトを拘束している触手を切断できる間合いへと辿り着く。
(やるわよ……)
シルヴィが視線で雫に合図をする。
雫の方はサンバラトの真下、万が一サンバラトが触手から振り落とされそうになったらすぐに受け止められるような位置に陣取っている。
(お願いします)
雫が頷いたのを確認したシルヴィがグリムリーパーを振り上げる。その刃が太陽の光を受けて禍々しく輝いたその時であった。
「!? ……こいつっ!」
まるで何かを感じたかのように、アンカーの頭部がくるりとシルヴィの方を向いた。
「図体ばかりデカいクセに……!」
一か八かで鎌を振ろうとするシルヴィだが、それを雫が制止する。
「シルファヴィーネさんは、サンバラトさんをお願いします!」
シルヴィは一瞬躊躇した後、雫の意図を理解してサンバラトの下に回り込む。
同時に、アンカーの体表を駈け上がって跳躍した雫が大剣を振り下ろす。シルヴィの方に注意していたアンカーは咄嗟に反応出来ず、サンバラトを捕えていた触手が根元から叩き切られた。
「やった……!」
間髪入れずにシルヴィが、空中に投げ出されたサンバラトを見事にキャッチする。
「よかった……」
この光景を見てようやく雫は安堵した。
そして、この一瞬の気の緩みが致命的だった。
「雫……!」
シルヴィが叫んだ時には、すでにアンカーの口から斧が投擲された後であった。
どん、という衝撃を感じゆっくりと自分の肩を見る雫。そこにはぬらりと光る真紅の刃の手斧が突き刺さっていた。
「なに、が……」
茫然とする雫の前で、アンカーの口から斧の持ち主であるディアボロ――二体目のヴァイキングが這い出した。
「く……あ……」
そして、ヴァイキングはよろめく雫の頭を片手で掴むと、あっという間にアンカーの口の中に引き摺り込んでしまう。
「雫っ!」
ようやく事態を理解したシルヴィが叫んだ瞬間、今度は背後から伸びて来た触手がいきなりサンバラトとシルヴィを絡めとる。
「きゃあああああっ!」
そして、悲鳴を残してシルヴィとサンバラトもまたアンカーの口へと飲み込まれていったのであった。
●
たった一人でヴァイキングの相手を続けていた袋井は満身創痍だったが、彼は一向に諦めていなかった。
「あはははははははー、やれるまだやれるぞ!」
全身血まみれで、疲労に濁った眼で不自然なまでに爽やかに笑うその姿はどこか凄絶さすら感じさせる。
だが、それが癇に障ったのか今度はアンカーの触手が袋井の身体に巻き付いた。
「このっ……」
必死にもがく袋井の眼前で、レッドタイドが斧に魔力を集中させる。
「……これは、まずいかもしれないですよ」
袋井の顔が引きつった瞬間であった。
「ハルヒロ君、お願い!」
文歌の必死の叫びが響く。
「お姉ちゃん、任せてっ!」
文歌の指示を受けてハルヒロが割り込んで来た。その手からワイヤーが伸び、レッドタイドに絡みつく。
「間に合った……!」
そして、この時長幡の声が袋井の頭上から響く。はっとなった袋井が頭上を見上げると、スレイプニルに騎乗した長幡が袋井に向かって急降下していた。
「切断します!」
長幡のイオフィエルが煌めき、触手が切り離された。
「掴まって下さい!」
自由になった袋井は長幡の指示に従い、手を伸ばして長幡に掴まる。
そして、長幡はそのままスレイプニルに急上昇を命じた。
「助かりました、長幡さん。でも、ちょっと申し訳ないんですが途中で下ろして貰えますか」
「はい……?」
ぎょっとした表情になる長幡に、袋井はあははと笑って見せ――ぱっと手を放した。
「袋井さんっ!?」
そう叫んだ長幡は眼下を見て気付いた。
丁度、真下にワイヤーで拘束されたレッドタイドが位置しているのだ。
この間、ハルヒロは触手相手に奮戦していた。だが、ハルヒロの注意はワイヤーで拘束されたままもがくヴァイキングに向けられている。
「早く……止めを刺さないと!」
しかし、アンカーもそれは解っているのか仲間が束縛を振り解くまでの時間を稼ごうと執拗にハルヒロを攻撃する。
そして、遂にヴァイキングの筋力がワイヤーの張力に打ち勝ち、ぴんっという音と共にワイヤーが切れ始める。
「さっきまでのお返しですっ!」
その瞬間、上空から落下して来た袋井が、落下の勢いを利用してゴルトレーヴェをレッドタイドの頭部に突き立てた。
巨大な刃はそのままレッドタイドを唐竹割にして、アンカーの背に突き刺さる。
「さあ、皆で無事に久遠ヶ原へ帰りますよ!」
全身に衝撃を受けながらも剣を支えにして何とか立ち上がった袋井は、やっぱり血まみれでガッツポーズを決める。
増々頭に来たのだろうか。アンカーは触手ではなく今度は巨大な頭部を袋井に向かってもたげた。
「♪みんなに届け☆ Happy Song――!」
その頭部に、文歌の歌声を変換した衝撃波が炸裂する。
「動きを封じられていたって――歌うことは出来るんだよ」
目があるかどうかは分からないが、恐らくこちらを認識しているであろうアンカーに向かって片目を瞑って見せる文歌。
アンカーは咄嗟に触手で文歌を振り回して体表に叩きつけようとするが、文歌はなおも不敵に笑って見せた。
「私の歌を聞いてくれてありがとっ☆ でも。よそ見しててもいいのかなっ?」
違和感あるいは嫌な予感のようなものを感じたアンカーが、下を向いた時には快晴が無防備になったアンカーの神経節にまで辿り着いていた。
「さっき、言っておいた筈だよね……文歌にこれ以上何かしたら、殺すって」
咄嗟に触手を伸ばすアンカー。しかし、無尽蔵に思えた彼の触手もここまで撃退士たちの攻撃で流石に目に見えて減っており、快晴を足止めするには足りない本数である。
「無駄だよ……断ち切らせて貰う!」
快晴の周囲に闇が広がった。
そして、闇の中で、エネルギーセイバーのアウルの刃が光を放ち――その刃の軌跡に沿って次々と切断された触手が宙に舞う。
やがて、アンカーの巨体がびくん、と揺れた。エネルギーセイバーの刃がアンカーの神経節を焼いたのだ。
「もう一撃……!」
そして、踊りの最後を飾るように振り下ろされた刃が閃光と共に神経節に深く突き刺さり、完膚なきまでにそこを焼き尽くした。
「やった!」
力の抜けたアンカーの拘束からようやく抜け出した文歌はアンカーの体表に着地する。
そして、神経を破壊されたせいで鎌首をもたげた態勢のまま激しく痙攣するアンカーを見上げ、ふっと表情を曇らせる。
「……サンバラトくんたちは?」
●
「おのれ……アブガル! 貴様そこまで邪魔だてするかぁ!」
ベロソスが吼えたのは、アブガルが次々と撃退士たちをアンカーの上に射出する光景を目の当たりにしたせいである。
「行かせるか!」
水かきのある手に魔力が集中していく。魔法攻撃で射出中の撃退士たちを狙い撃ちにするつもりだ。
しかし、ベロソスの手から魔力が放たれようとした瞬間、飛来して来たアステリア・ヴェルトール(
jb3216)のロンゴミニアトが黒い炎を纏い襲い掛かる。
「――ベロソス!」
「ちぃぃ!」
ベロソスは直前で身を捻って刺突を回避。黒炎が渦巻いて襲い掛かるが、それすらも周囲に張り巡らせた水のバリアで相殺すると、集中させた魔力をアステリアに叩きつけた。
「ぐぅ……!」
圧縮された水圧を腹部に受けたアステリアが悶絶する。
「汚らわしい雑種が……ここで引導を渡してくれる!」
そのままアステリアに止めを刺そうとするベロソス。だが、その背後から巨大なクローアームが彼に掴みかかった。
「小癪な!」
ベロソスはアステリアに当てようとしていた水流のカッターをそのクローアームに向け、攻撃を防ぐ。
「ちっ……外しちまったか」
半壊したクローアームをワイヤーで巻き取りながらラファル A ユーティライネン(
jb4620)は苦い笑いを浮かべた。
「貴様は……始めて見る顔だな」
硫黄島ゲート攻略に参加していたラファルだが、実際の所ベロソスと直接対峙するのはこれが初めてであった。
「へへ……お前がベロソスちゃんか。折角だから、俺とも遊んでくれよ」
不敵に笑うラファル。今度は右手のみならず、全身の擬態が解除され機械化されたラファルの身体が露わになって行く。
「ふん、死にぞこないのデク人形如きが」
「私と仲間に対する侮辱……万死に値します」
アステリアが凄まじい目つきでベロソスを睨み付けながら言う。その全身から流れる血が、まるで黒い炎のように燃え上がり、アステリアが先ほど受けた傷が癒え始めていた。
「デク人形だぁ? ……誰のせいでこうなったと思ってやがるクソ悪魔が!」
殺気を膨れ上がらせた二人が同時に動き、ベロソスとの壮絶な空中戦が始まった。
●
三人が空中戦を繰り広げながら、徐々に高度を下げるのを見て雪室 チルル(
ja0220)が仲間たちを振り向いた。
「作戦通りに行くわよ、準備はいい!?」
当初、撃退士たちはアブガルの背中から一斉に攻撃して仲間のの射出を援護する筈だった。
だが、ベロソスが撃退士たちの予想より高い高度で攻撃準備に入ったため、飛行能力を持つラファルとアステリアが先行して敵の攻撃を阻害したのである。
この間、ずっと自身の義手の調子を確かめていた郷田 英雄(
ja0378)であったがこの時諦めたように、義手の接続を外す。
「こいつはもう使えんか」
そう呟いた郷田は自身の義手を空高く放り投げる。そして投げられた義手が落下し始めた瞬間には、郷田の手には拳銃が握られていた。
「攻撃開始―!」
チルルが叫んで引き絞っていた矢を放つ。
同時に、鳳 静矢(
ja3856)と鳳 蒼姫(
ja3762)も、射撃を開始した。
「蒼姫、行くぞ!」
「合点ですよぅ、静矢さん!」
放たれた対空砲火はあっという間に郷田の義手を粉々にしつつ、上空のベロソスへと襲い掛かった。
「人間共が!」
一気に劣勢に追い込まれ、歯噛みするベロソスを、ラファルがここぞとばかり挑発する。
「これが人間の力だよクソ悪魔! ……一人でやれることは限られてんだぜ! どんだけ部下を使役しようと、お前一人で出来る事はな!」
しかし、ラファルたちにも余裕はない。ラファルは幾度となくベロソスの動きを封じるための技を繰り出したが、それらは全て回避、もしくは防御され彼女のアウルも限界に近づいていたのだ。
(デビルズバイスはあと繰り出せて一発……コイツ相手じゃ、スキルを換装している暇はねえ……)
悩むラファル。そして、そんな彼女を嘲笑うかのようにベロソスは遂に切り札を使用する。
「ならば、これはどうだ!」
ベロソスが両手をかざすと、海水が立ち上りベロソスに周囲にで渦を巻く。そして、瞬く間にベロソスと全く同じ姿をした分身が複数出現した。
「水が無尽蔵にあるここならこの程度の芸当造作も無い! 死ね!」
そして、アブガルの分身たちは同時に魔力のチャージを開始した。
(あれを一斉に撃たれたらやばいぜ……!)
ラファルが焦りを感じたその時、突如ベロソスの近くの空間がぐにゃりと歪み、揺らめく黒い炎が、アステリアの形となった。
「――雑種!」
「ならば、その木偶人形、全て砕く――! デア・フライシュッツェ!」
ベロソスの周囲に次々と黒い魔法陣が展開する。その数は三二。そしてその全てから黒い魔剱が放たれ、分身の群れに降り注ぎ、分身は次々と魔剱に貫かれて消滅。遂に本体だけが残された。
「貴様!」
ベロソスが吼える。同時にその両手に分身を構成していた海水が再度収束し、片手に一本ずつ、魔力と水で構成された剣のような物を形作った。そして、その刃は大量の水を利用してまるで光のように長く伸びていく。
「やらせるかよ!」
ラファルの放った不可視のアウル――デビルズバイスが今度こそベロソスの本体をを拘束する。
「掴んだぜ!」
「これしきのことで!」
だが、ベロソスはそれを意に介さず両手の剣をそれぞれラファルとアステリアに向けて振り回した。
「どうだ、一人じゃ何も出来ねえっていっただろうが……」
肩を袈裟懸けに切断されたラファルは吐血しながらも不敵に笑い、ベロソスに向かって中指を立てた。
「ラファルさんの言う通り……ですね」
同様に、腹部を横一文字に切り裂かれたアステリアも清々しく笑う。
何故なら、彼女の眼には動きを封じられたベロソスにアブガルの上からチルルが放った星の鎖が巻き付く光景がしっかりと映っていたのだ。
「大丈夫、きっと上手く行く……」
アステリアがそう呟いた直後、二人の闇の翼が同時に砕け、二人は海に落下した。
●
「くそ、届かんか……!」
アブガルの背中の上で、郷田が歯噛みした。彼は仲間が海に落下した場合はアレイスティングチェーンで救助するつもりであったが、二人の落下した位置が離れすぎていたのである。
「世話が焼けるぜ」
アブガルは溜息をつくと、その巨体をうねらせると二人の落下した地点に向かった。
「……」
下を見た郷田は不快そうに眉をしかめたが、素早く二人をチェーンで引っ張り上げた。
「大丈夫そうか?」
心配する静矢。
「大丈夫だ。気絶はしているが重体には至っていない」
郷田が答える。
「オイオイ、何か俺様にいう事があるんじゃねえのかい?」
アブガルが言い立てると郷田は心底不快そうにこう返した。
「そうだな……今は手を出さないでおいてやる。物事には順番があるからな。手前は次だ」
「倅のダチにしちゃあ、礼儀ってモンを知らねえな」
アブガルが笑うが、その時蒼姫が警告の叫びを上げた。
「皆さん、後ろですぅ!」
「人間共……!」
自ら上がったベロソスが、怒気を漲らせた。
だが、怒りを爆発させる機会を待っていたのはチルルとて同じである。
「ベロソス! さっきはよくもやってくれたわね!」
怒りに任せて自らの大剣を叩きつける。その刃はベロソスが形成した水の剣ごと、ベロソスの身体を叩き伏せ――周囲に飛沫を飛び散らせた。
「分身……!?」
そして、次の瞬間恐ろしいことが起きた。ありとあらゆる方向から無数のベロソスがアブガルの背中に上陸して来たのである。
『人間共……!』
『人間共……!』
分身たちが口々にわめく。
「とにかく、数を減らすですぅ!」
蒼姫が近くにいる一体に向けて、アウルの雷を放つ。放たれた雷は見事にベロソスに命中し、分身を飛沫へと変えた。
「きゃあ!」
だが、同時に分身の放った魔力の弾も蒼姫に命中する。
「蒼姫!」
静矢が叫ぶ。
「……これくらいは持ちこたえてみせるのですよぅ☆」
「こいつも分身か……!」
一方、別の分身を大鎌で薙いだ郷田も周囲を見回し、歯噛みする。
静矢も連続攻撃で、二体の分身を同時に破壊する。
「とにかく、数を減らして本体に辿り着かねばな……!」
この分身はかなり精密なものらしく、撃退士たちに対して反撃する能力さえ備えていた。
だが、分身が精密な分、海水を利用しても数には限りがあるらしく、ひたすらに分身の破壊に徹した撃退士たちの作戦も功を奏し、気が付けば分身も残り少なくなっていた。
「本体はそこね!」
そして、遂にチルルが他のベロソスの影に隠れて魔法のチャージに集中しているベロソスを発見した。
「さっきのお返しよ! 纏めて吹っ飛べー!」
愛用の大剣を大きく振り上げるチルル。その切っ先に、冷気のようなアウルが集中していく。
「小娘が!」
「どっちが早いか勝負よ! ブリザード・キャノン発射!」
チルルの突き出した剣の切っ先から冷気の如きアウルが奔流となってベロソスに襲い掛かる。
「人の背中で何てモノをぶっ放しやがる……」
アブガルの文句をよそに、チルルの放ったアウルは瞬く間に進路上の分身を砕き、ベロソスへと到達した。
「お、おのれぇ……!」
その威力に危険を感じたのだろうか。ベロソスは咄嗟に集めた魔力を盾のように前面に展開し、攻撃を受け止めた。それでもなお、そのチルルの攻撃の威力は凄まじくベロソスは苦悶の声を上げる。
そして、遂に水の障壁が突き破られ、まともに攻撃を浴びたベロソスは絶叫と共に飛沫となって砕け散った。。
「……え?」
やや遅れて、その光景の意味に気付いたチルルの表情が強張った。
「グハハハハハ! 所詮は小娘か!」
ベロソス本体の上げる勝ち誇った笑い声が、たった今チルルが砕いた分身のすぐ後ろの海の上から響き渡った。
●
ベロソスは決して無傷ではなかった。
先ほどチルルを欺いた分身はより精密な動作が可能な分、すぐ近くでコントロールする必要があるらしく、本体もチルルの攻撃の範囲内にいたせいで、直撃を受けていたのだ。
なので、ベロソスは飛行してアブガルから遠ざかりながら、水を使った広範囲魔法を放とうとしていた。
すでに、その前兆として周囲の海水が渦を巻き、ベロソスの周囲に巨大な水の壁を作っている。
その壁を眺めながら、アブガルがふう、と溜息をついた。
「まあ、ルールの範囲内か……『追いつくために』『撃ち出してやる』と言ったのはこの俺だからな」
「なんだと……?」
ベロソスがその言葉を訝しんだ瞬間、アブガルの口が突き出され、ぺっという汚らしい音共に――黒い蓮の花が海上に咲いた。
「えれにゃん、……いきまーっす!」
「な、なんだとおおお!?」
突如、アブガルの口から飛び出した支倉 英蓮(
jb7524)を見てベロソスが絶叫した。刀を構えて突進して来る支倉の速度は、彼女自身の翼とアブガルによる加速もあり、逃げ切れるものではなかった。
「おのれ……おのれ……!」
それでも、この時ベロソスにはまだ選択肢が残されていた。強引に魔法を発動するか。あるいは魔法を中断し、一旦退避するか。
その選択肢を奪ったのは蒼姫の的確な援護だった。
「えーちゃんのナイスアタックの邪魔はさせないのですよぅ☆」
蒼姫の放った蒼い雷がベロソスを打ち据えた。
「ぐ……!」
そしてベロソスが体勢を立て直した時には既に支倉に懐に入り込まれていた。
「さあ、ベロベロさん! 最高の猫ロケットを受けてみるですよ〜!」
スピード、タイミング共に狙いすました一撃がベロソスの胴を薙ぐ。
だが、ベロソスもほぼ同時に水の剣による一撃を繰り出しており、結果二人は相打ちとなる。支倉の受けた傷は深く、ベロソスの方は一瞬悶絶して意識が遠のいたものの肉体に対するダメージという点では遥かに浅かった。
だが、この攻防で真に被害が大きかったのはベロソスの方であった。
「しくじった……だと!?」
膨大な魔力を固定したデリケートな状態では一瞬の意識の途切れも致命的であり、せっかく固定した大量の海水がまるで滝のように音を立てて海に帰って行く。
「やった……さあ、ここからがスーパーふるぬっこタイムですよ……!」
吐血しながらも、勝利を確信した支倉が笑う。
そして、崩れさる水飛沫の向こうにベロソスが見たのは、自らを滅する光と闇の混沌の輝きであった。
「英蓮、お前の一撃を無駄にはしない……!」
アブガルの上に立った静矢の両手に明と暗の藤色の輝きが宿る。やがてその輝きは静矢が番えた絶影の矢に収束していく。
「馬鹿な……! この私が、家畜どもに敗れるだと?!」
だが、ベロソスは理解していた。最早回避は出来ないと。
「とっておきだ! 食らえ!」
放たれた矢に宿ったアウルは飛翔するにつれ、徐々にその形を変えていく。そして、ベロソスの胴体を貫いた時、アウルは翼を広げた鳳凰となってベロソスを覆い尽くした。
「が……はっ……」
鳳凰が消滅した後もなお、ベロソスは空中に留まっていた。
「あのレート差で、まだ動けるのか……!」
身構える静矢と撃退士たち。
だが、気力だけで意識を維持していたベロソスの目に、丁度その時神経節を破壊され動きを止めたアンカーの姿が映った。
「我が切り札までも……!」
そして、茫然とするベロソスの見守る中、突如アンカーの口から体液が噴き出した。
撃退士たち。そして、アブガルとベロソスまでがその凄惨な光景に目を奪われる中、アンカーの口からぬるりと人影が這い出した。
その人影は背中から悪魔の翼を広げると、一気に傷口を突き破って飛び出し、空中に浮かぶ。
「なるほど」
最初に状況を理解したのはアブガルだった。
「蛙の子は蛙……とかいうのか? まあ、腐っても俺の倅ってことだな」
●
「ずるいですよ……サンバラトさん。帰ってきたら……いっぱい怒ってあげようと思っていたのに……」
傷つき、サンバラトに右肩を貸して貰っている雫が微かに笑う。
「なによ、助けに来たのはわたしたちなのに、こんなのかっこ悪すぎじゃない……」
同じく、サンバラトの左脇に抱えられたシルヴィもご不満な様子。
「違うよ……二人が僕を助けに来てくれたから、僕ももう一度戦う事が出来た……」
体内で雫とシルヴィがレッドタイド・ヴァイキングと戦っている最中に、サンバラトが二人を援護したようだ。
「フフフ……そう言う事ですか、若。逞しくなられましたな。安心いたしました」
この時、突然ベロソスが笑った。
「え……」
その悪意のない、優しい声に驚いた顔をするサンバラト。
「このベロソス、若の晴れ姿をこの目で見ることが出来ないのだけが心残りですが……お達者で」
それがこの、野心と執念に突き動かされた悪魔の最後の言葉だった。
言い終わると同時に海面に落下したベロソスの亡骸は、どこまでも深く沈んで行った。
「ベロソス……」
かつては家族で会った悪魔に暫し瞑目した後、目を開けたサンバラトは長幡と視線があった。
「あ……」
何か言おうとするサンバラトだったが、長幡が優しく笑って首を振ったのを見て言葉に詰まる。しかし、直ぐに気付いて少しだけ笑った。
「うん、そうだね……ヒユウ。そして皆……本当にありがとう……」
硫黄島攻略艦隊が撃退士たちに追いついたのはそれから数分後であった。
●
「おい、この子供か……?」
「間違いない……やれやれ、これで一安心といったところか」
輸送艦の甲板の上で、アンカーの体内から救出された市民たちを確認していた撃退庁の職員の会話を聞き、興味本位でその子供を見たサンバラトの表情が綻んだ。
その少年は、かつてハルヒロが率いていたディアボロにさらわれたとある楽団のフルート奏者の少年であった。
詳細は発表されないのだろうが、彼こそが『有力者の子弟』らしいことをサンバラトは理解した。
「よかった……」
一方、ハルヒロはかつて自分が手を下してさらった人々が救出される様子をじっと見つめていた。
その傍らでは、文歌が自衛官や撃退庁の職員らと話し合っている。
「……では、ハルヒロ君は取りあえず久遠ヶ原で預かるということで大丈夫なんですね?」
相手も納得している訳ではないのだろうが、仕方がないといった風情で文歌に承認を与える。
「良かったね。ハルヒロ君」
「ありがとう、おねえちゃん……」
その時、それまで胡坐をかいて甲板に座っていたアブガルがゆっくりと立ち上がり、その巨体には少々不釣り合いな小さい翼を広げた。
「さて、取りあえずはカタがついたらしいな。俺様はこのずらかるが、構わねえよな?」
嫌らしく笑うアブガルに関係者の何人かは口惜しさを滲ませる。
海上というこの状況ではどう考えてもアブガルの方が有利なのだ。無駄な犠牲を出さないためにも、救出した市民たちの安全のためにも、ここでの戦闘は避けるしかない。
「残念だが……こっちとしても戦う気分じゃないんでな」
郷田が肩を竦める。
「助けていただいて,ありがとうございました。助けて貰った人を攻撃なんて無粋ですので今日はお帰りください。でも人々を殺したり,カイを傷つけた事は忘れてないですよ……いつか必ず罪は償ってもらいます」
「今は見逃すけど、次は絶対に倒す、よ……」
文歌と快晴はそうアブガルを見上げて睨みながら言い放った。
「それと……もし、英蓮ちゃんに変な事をしても許しませんので……そのつもりで」
さらに、文歌がこう付け加えると、戦闘中の勢いはどこへやら、ずっと文歌の背中に隠れていた支倉がビクッとする。
「あ、あの〜アブ叔父様? そ、その歯磨きの代わりにお風呂でお背中を流すというのは……や、やっぱり」
「風流の解らねえヤツだ。冗談に決まっているだろうが……男に気でも使ってるのか?」
「にゃっ!?」」
真っ赤になる支倉を嘲笑う。
「貴方は何がしたいのですか? 貴方には歪ながらも二人に愛情があると見受けらますが……」
雫が問う。
「愛情? 俺は単にケリをつけただけさ。ハルヒロとの供給ラインも切ったしな……これで俺とそこの二人はもう何の関係もねえってことよ」
アブガルはサンバラトとハルヒロを見てさらりと言い放つ。明らかに動揺を見せた二人だったが、必死にそれを堪える。
「後は……島でのバカンスの間に、この地球も大分騒がしくなってるみたいじゃねえか?……そろそろ俺のために戦うとするか」
言いたいだけ言って、今度こそアブガルは飛び去るのであった。