雪室 チルル(
ja0220)は初手から猛然とファウストに打ち掛かっていた。
「ハルヒロの様子がおかしい今がチャンスなのよ! 邪魔しないで!」
同時に、支倉 英蓮(
jb7524)も刀を構えて突っ込んで来た。
「楽器使いとはまた珍しいですねぇ?」
二人は同時に切り掛かる。しかし、ファウストも弓で二人の太刀を弾く。
「ふみゅ……なかなか手強いですね。しかし、目的は上陸までの時間稼ぎ……この私の超戦略的脳で!」
猫よろしく空中で一回転して着地した支倉が何やらぶつぶつと呟き始めた。
と、その時二人を一旦引き離したファウストは楽器を構え、禍々しい音色を奏でようとする。
「う、うるさくなりそうだし耳は畳んどこっと」
慌てて可愛らしい猫耳をぴこん、と寝かせる支倉。
続いて、長幡 陽悠(
jb1350)の召喚したフェンリルが襲い掛かる。
同時に、身構えたファウストに背後に数多 広星(
jb2054)が組み付いて来た。彼は、戦闘開始直後より艦の横腹に壁走りを用いて張り付き、更に気配を消して、奇襲の機会を伺っていたのだ。
突然、首に鋼線を巻き付けられ、締め上げられたファウストは激しくもがく。この隙にフェンリルの爪が命中した。
ファウストは肩に受けた傷に凍てつくような痛みを感じる。怒り狂って演奏を始めようとするが体が動かない。
「硫黄島……人攫いの冥魔が待ち受ける島。そこに僅かでも希望を捨てずに待ち受ける人がいるならば 放っておくわけには参りません」
この隙にレイラ(
ja0365)が敵を昏倒させる一撃を放つ。一瞬意識が無くなりふらふらするファウスト。
「これはチャンスね! 一気に攻めるわ!」
チルルは昏倒した相手に氷の突剣を相手に突き刺す。
「やったわ(しまった! これってフラグじゃない!?)!」
混沌の冷気を用いて如何なる相手をも貫く必殺の一撃に確かな手ごたえを感じてチルルが叫ぶ。
しかし、ファウスト朦朧となりながらもバイオリンを構えた。
「やはり楽器を狙わないと……!」
フェンリルが再度跳躍。敵に食らいついて、バイオリンの絃に牙を突き立てると一気にそれを食い千切った。
その瞬間、ファウストは悲鳴を上げて仰け反った。
「皆さん、離れて下さい! これで決めます!」
そう叫んだレイラの指先には神々しい輝きを放つミカエルの翼が握られていた。
「これで……滅びなさい!」
刃が、煌めく光跡となって次々とファウストに襲い掛かった。一発、二発。刃が命中した箇所は、刳り貫かれたように消し飛び――。
「これで……滅びなさいっ!」
五発目。最後の一撃がその頭部を削り、半分以上の質量を失ったファウストの残骸は海へと落ちていった。
●
「思ったより、しぶといな……」
水無瀬 快晴(
jb0745)はライフルを構えると、数m先のデュアルホルンに向けてアウルの弾丸を発射。しかし、攻撃を受けて怒り狂ったデュアルは再度その肺活量を活かして毒液を噴射しようと胸を大きく膨らませる。
「スレイプニル! GO!」
だが、長田・E・勇太(
jb9116)は素早く自身の召喚したスレイプニルに命じて、白い霧を発生させた。
デュアルは霧で狙いをつけ損ね、毒液は快晴を掠めて飛んで行く。だが、続いて口元に生えたもう一対の小さな手でホルンを握りしめ、凄まじい音を響かせた。
一斉に耳を塞ぐ三人。何とか耐えようとするが、遂にエリックが神経を蝕まれ、倒れ込んでしまう。
「AHHHHH!」
倒れたままもがくエリック。
「不味いですね……」
デュアルから距離を取って潜行していた鑑夜 翠月(
jb0681)の整った顔に汗が浮かんだ。既に戦闘開始から数分が経過している。翆月らは僅か三人でデュアルに挑んだせいか、決定打を欠き戦闘が長引いていたのだ。
「ハルヒロさんやサンバラトさんの様子は……」
思わず、艦橋の方を向いてしまいそうになる翆月。焦りの余りすぐにでも攻撃を仕掛けたくなるが、彼は必死に自分を抑えた。
「今は、対応に向かわれた方を信じて、僕に任された役割をしっかりとこなせる様に頑張らないといけません」
そう信じて、翆月が再度武器を構えた瞬間艦首の方向からチルルが全力で走って来た。
「苦戦しているみたいね! 安心して! 真打の到着よ!」
見事な連携でファウストを片づけたチルルは、艦尾が苦戦していると見て駆けつけて来たのだ。
「ハルヒロは他の人に任せましょう! 雑魚はあたいが纏めてやっつけるわ!」
エリックの霧のおかげで、毒液を回避して接近したチルルの剣が猛スピードで不利降ろされる。しかし、デュアルもすかさずその刃を巨大な手で受け止める。
しかし、この時デュアルは動きを止めてしまう事となった。
「チャンスだな……悪いけど破壊させて貰う、よ」
快晴はこの好機を無駄にせず、ライフルでデュアルのホルンの最もデリケートな部分、すなわちロータリーとよばれる複雑な部品が集まっている個所を狙って再度ライフルを発射した。
甲高い金属音が響き、ホルンから部品が飛び散った。
すると、デュアルはまるで身体の一部を破壊されたかのような悲鳴を上げ、仰け反った。
そして、それこそが翆月の待っていた好機であった。
「終わりです。デュアルさん。失礼しますね」
デュアルの頭上に、冥府の風を纏う翆月の姿がぼうっと浮かび上がった。
闇から放たれた魔法書のカードを頭部の急所に受けたデュアルは、絶命するまで翆月の存在を感知する事はなかった。
●
「お願い、ハルヒロくん! 私たちの話を聞いて!」
しかし、川澄文歌(
jb7507)の叫びは狼が放つロケット弾とマシンガンの銃声に空しく掻き消される。
「これじゃあハルヒロと話をすることも出来ないっす!」
ニオ・ハスラー(
ja9093)も叫んだ。
最初にハルヒロを説得する、という撃退士たちの試みは端から失敗しかけていた。原因は、狼の猛攻にある。
ハルヒロの方はまだ動揺しているのか、積極的にはには攻撃に参加してこなかったが狼の猛攻は、彼らが説得に専念するのを困難にさせていたのだ。
「まずは、アレを何とかするしかないようじゃの〜」
ハッド(
jb3000)はいつもの調子でそう述べると、闇の翼で空中に飛び上がる。
「……お手伝いします」
色々と思う所はあれど、取り敢えずは協力すると決めているアステリア・ヴェルトール(
jb3216)も偽翼を形成し、ハッドに続いた。
二人の狙いは空中からの対地攻撃であった。
それまでは、ハルヒロを守るようにひたすら弾幕を張っていた狼に向かって空中から雷の剣とアウルの弾丸が降り注ぐ。
この時、ようやくハルヒロはサンバラトを一旦引き剥がし、固定した手榴弾を空中に弾き飛ばす。
その瞬間、潜行していたシルファヴィーネ(
jb3747)ことシルヴィが狼の背後に出現。動揺するハルヒロを無視して、ハルバードで狼の頸動脈を狙う。
「あんたがいると落ち着いて話も出来ないのよ!」
重い刃が狼の肩に食い込む! しかし、浅い。
狼は、逆に鋭い牙で噛みつこうとする。
同時に、ハルヒロの手榴弾がハッドとアステリアに襲い掛かった。
「ハルヒロ君を説得する最後のチャンスかもしれないの……今邪魔しないで! 皆に届け! 私の――HAPPY SONG!」
その直後、文歌のアウルが彼女の歌声に乗って、文歌の周囲の味方を包み込み、狼の牙と手榴弾の爆風がアウルに阻まれ、威力を削がれる。
なおも撃ちまくる狼だが、その弾幕の中を敢然と二人の阿修羅が突っ込んで来た。
「俺は敵と話す舌は持たない。だから口説くのはお前らの役目だ」
そう言った郷田 英雄(
ja0378)の周囲に、まるで亡霊の如く数体の人影が揺らめく。
「――そして、一切を守るのが俺の役目だ」
直後、郷田と分身は怒涛の勢いで狼を殴打し始める。
「――滅ぼします」
一方、雫(
ja1894)はもはや語る事もないのか、無言で野蛮さすら感じさせる荒々しさで、大剣を叩き付ける。
一斬、一打、二斬――。
狼も武器をかなぐり捨て、果敢に殴り返そうとする。
しかし、怒涛の連続攻撃を仕掛ける二人の前に、いつしかその抵抗は弱まり、気が付いた時には、全身を叩き潰された無残な姿となった狼が甲板に転がっていた。
「畜生……! まだだ、まだだ……!」
未だ戦意を捨てないハルヒロ。
「なるほど〜、激昂というか自暴自棄というか。人として罪を自覚した故の死を望んでおるのかもの〜……」
ハッドはハルヒロを優しい眼差しで見つめ、ゆっくりと口を開く。
「例え、その身は変わったとしても人の死を悲しみ己の罪に向き合う。ハルヒロんよ。汝の心はまだ「人」なのではないのか? 「人」ならば生きてやれることがあるのではないのか?」
「え!?」
突然のハッドの言葉にハルヒロが固まる。
「己の所業を悔いるならば、その悲しみをどうしたらこれ以上多くの人にそのような悲劇を食い止めることができるのか、その手にある力は「人を守る力」に変えられるんではないか?」
畳みかけるハッド。艦内に放送が流れたのはこの瞬間であった。
●
誰もがその放送の意味を計りかねる中、数多は暗い海面を睨んだ。
「巨大な質量……潜水艦でしょうか? この眼で確かめるしか、ありませんね」
数多は躊躇せず、甲板から飛び降りると海面を水走りで降り立ち、更に期中へと潜る。
「数多さん?」
仲間たちが数多に気付かず甲板に向かう中、長幡だけが不安そうに振り返る。
その間にも、数多は海中を泳ぐ。周囲は完全な暗黒だ。
数多は自らの全身をアウルの繭で包んでいた。
相手が潜水艦であっても、自身がクッションになれば相手を止められる――というのは彼が撃退士であったとしても無謀な考えではある。
しかし、数多が見たのは潜水艦などではなかった。
「光……?」
暗闇の中、巨大な赤く光る球体がぼうっと浮かび上がった。
何かの巨大な眼球のようだ、と数多が感じた瞬間――その眼は確かに笑ったような形に細められる。
直後、周囲の水が何か巨大な質量に押し退けられる感覚があったかと思うと、数多は全身の骨を砕かれるような衝撃を覚えた。
無論、彼はアウルにより衝突の瞬間全身を硬化させていたが、その強力な衝撃はとても耐え切れるものではなく、彼は瞬く間に意識をもぎ取られる。
数多が最後に見たのは、自分を吸い込む巨大な口であった。
●
『本艦はこれより回避運動を行う! 総員、注意して衝撃に備えよ!』
その頃、護衛艦はレイラの進言を受けて回避運動を行っていた。いずれは追いつかれるだろうが、時間を稼げる可能性はゼロではないだろう。
なお、輸送艦がコンテナを射出する事は無かった。機能が備わっているかどうか以前に、対潜攻撃の効かない相手に対しては無意味だと判断されたからである。
急な回頭により大きく揺れる甲板で郷田は思う。
(……ハルヒロが死ねば、サンバラトの中にある何かが死ぬはずだ。俺は八つ当たりをして他人に同じ思いをさせようとしているのか……)
郷田は、邪魔をするのならばサンバラトとて殺す覚悟はある。だが、そのような結果を彼自身が望んでいる訳ではない。
(……死は連鎖する――ここが俺にとっての分け目でもあるかもしれない)
「まるで、稚児の駄々ですね」
一方、ハルヒロへ攻撃のターゲットを切り換えたアステリアは呆れ果てた、と言わんばかりに呟く。
「それの、何処が悪いんだよぉ! 僕から普通の生活を奪ったのは、お前たちの仲間じゃないか! あの時助けに来なかった撃退士たちじゃないか!」
手榴弾の爆風で出血しながらも、アステリアは吠える。
「……そうやって、自分の弱さに甘えたまま、流されるだけなのかっ! 貴方はっ!」
放たれた弾丸が、ハルヒロの胴を掠める。その瞬間、ハルヒロの生命力の一部がアウルの流れを通してアステリアへと流れ込む。
(倒すしかないというのなら、是非も無い……!)
「そう、この身は天魔。ならば、貴方を殺すことで生まれる愛憎全て背負って見せる!」
その同族嫌悪に近い怒りを弾丸に込め、アステリアなおも攻撃を続ける。
「勝手だよ。そんなの」
長幡は、彼にしては珍しく眉を顰め嫌悪とも怒りともつかぬ表情で吐き捨てた。
「どんな事情があっても、今更苦しんでもやった事は消えないのに。でも……」
長幡は自身の想いを飲み込むかのように、そっと目を伏せた。
「でも、君が、そして君を大切に想う人たちが助けたいと願うなら……全力で守るよ」
長幡は再び目を開き、そして叫んだ。
「ストレイシオン! 頼む、全力で皆を!」
続いて、雫とアステリアとハッドを攻撃し続けるハルヒロに打ち掛った。
「お前の言う通り、残された遺族はお前を許さないでしょう」
狙いはその杖、しかしその大剣はまたもや『何か』に受け止められる。
「やはり、隠し腕……? 違う!?」
ハルヒロの側面から現れたのは腕『だけ』では無かった。手榴弾を弾く杖とは別に、もう一つの杖が両手で構えられ、雫の剣を止めると同時に、今度は足が思いっ切り雫を蹴り飛ばす。その刹那、雫は一瞬だけハルヒロの背後に虚ろな目付きの人影を見た。
「く……」
辛うじて受け身を取る雫。ハルヒロの能力も気になる所だが他にやるべきことがあった。
「……でも、もしかしたら、事情を聞いて許してくれる遺族もいるかも知れない」
血を拭い、言葉を紡ぐ雫。ハルヒロはまたもや、動きを止める。
「……そんな人、いる訳ない……!」
「罪は消えないかもしれない。でも、これから多くの人を救えば救われた人達は罪と共にお前を認めてくれる」
――あの時、誰かが僕を助けてくれていたのなら、そして、僕があの時の僕と同じような目に会っている人を助ける事が出来るとしたら。
ハルヒロの脳裏にそんな想いが否応なくよぎった。
「そして、サンバラトさんは手伝ってくれるとも共に逃げるとも言った。なのに、お前は何も選択せずにあの人の重荷になる事ばかり……甘ったれるのもいい加減にしなさい!」
ハルヒロは無意識に、縋るようにサンバラトを見る。
「そうっす! 手を掴んで離さなければいいっす!」
ニオが畳み掛けるように叫ぶ。
「こんなにサンバラトさんがてめぇの事を考えているのに駄々をこねるもんじゃねーっす!」
「でも、僕は……お館様……!」
だが、サンバラトの父親はどういう手管かハルヒロの心に深く取り入っていた。
「パパっていうのは紛い物っす! サンバラトさんだけが本物っす!」
ニオは執着を断ち切るように一喝。
「雫さんの言う通り、全部ゼロになるって事はねぇっす。でも、じょーじょーしゃくりょーのよちあり、ならばまだ帰って来れるっす! だからこそ、この一線を超えたらやり直せなくなって、もう一生サンバラトさんと一緒に居られなくなるっす!」
「そんなの……嫌だよ」
「なら、こっちに来いっす! 世界中の全てが敵になってもてめぇの事を考えていてくれるのはサンバラトさんだけっす!」
「……ううん、違う」
次に口を開いたのは文歌だ。
「あ……」
前回の事があるからなのか、呆然と文歌を見るハルヒロ。
「私も、貴方を助けたい。罪を憎んで人を憎まずなんて、都合が良いのかもしれないけど罪は償う事ができるよ。時間がかかるだろうけど、君には長い時間が残されてる」
優しく微笑む文歌。その表情にハルヒロは泣きそうになり、俯く。
「だから償っていこう? その間サンバラト君や私達がついている。大丈夫、ハルヒロ君はまだ人間の心を持ってるよ。私の事だけじゃない。兵隊さんを殺した事を後悔してるのがその証」
「あ……」
ハルヒロの眼に涙が溢れた。文歌はゆっくりとハルヒロに近づく。
「川澄っ!」
思わず踏み出す郷田。ハルヒロはまだ武器を手放した訳ではない。しかし、その郷田の手をサンバラトがそっと掴んで首を振る。
郷田はサンバラトの目と、仲間たちの目を見て了解した。今は、任せようと。
そして、文歌は抵抗しないハルヒロの小さな体を思いっきり抱き締める。
「確かにサンバラト君は貴方と貴方の家族の命を救えなかったかもしれない。でも貴方の心はサンバラト君に救われたはずだよ……」
優しく、ハルヒロの背中を撫でる文歌。
「……罪を犯したならそれを糧として前に進めばいい。後ろばかり見ていては何も変わらない、よ」
艦橋に来ていた快晴がそう声をかける。
「ハルヒロさん、過去に何があったか私にはわかりませんけれど、それでも、貴方を本当に思う人がそこに居ることは忘れてはいけないのですよ?」
支倉もサンバラト、そして文歌を横目に見つつ、説き伏せる。
「う……ううっ……」
それ以上は聞きとれる言葉にはならなかった。ハルヒロは文歌に顔を押し当て泣き続ける。
「……お母さん……ひぐっ」
ハルヒロの慟哭にそんな声が混じる。
「母親にはなれないけど、友達にならなってあげられるよ。大丈夫。私はシュトラッサーで学園に来る事になった人を知っているよ。だからヴァニタスの君も学園は受け入れてくれる。さぁ、一緒に学園に行こうっ !」
じっと、その様子を見守っていたサンバラトは、その瞬間、確かにハルヒロが僅かにではあるが頭を頷かせるのを見た。
(ありがとう……フミカ……)
サンバラトの眼に恐らく彼がはぐれてから初めてであろう涙が浮かぶ。
そして、サンバラトはゆっくりと仲間たちの方を振り向いた。
「ありがとう……皆」
「サンバラトさん……」
「サンバラト……」
少しだけ表情を緩ませた雫とシルヴィが、何かを言おうとする。だが、次の瞬間、それは叫びへと変わった。
「サンバラトさんっ!!」
倒れた筈の狼が、上半身だけを起こして銃火器でサンバラトを狙っていたのだ。
「……!」
サンバラトもすぐさま気付く。だが、彼はその場を動こうとしなかった。自分が避ければ、背後の文歌とハルヒロを巻き込んでしまうからだ。
「逃げろっ!」
郷田も駈ける。しかし、間に合わない事は誰の眼にも確実であった。
「ご苦労だったな。もう、休め」
その瞬間、凄まじい大音声が周囲を圧する。続いて、護衛艦の真横に巨大な水柱が上がり、そこから飛び出した黒い巨体が中天の三日月を覆い隠すのを。
そして、その巨体が甲板に着地すると同時に水掻きの生えた足で、瀕死の狼を一息に圧殺した。
●
その、大きさは目算で10m前後。その細かい鱗に覆われた体表はぬめり光っており手足には水掻き。まさに半魚人という表現が相応しい外見のデビルであった。手に持つ武器は、サンバラトの武器に良く似た形状だ。
「融通が効かねえ奴だ」
半漁人はそう笑った。
「何よ! あたい達にケンカ売ってんの!?」
最初に啖呵を切ったのはチルルだった。ツヴァイハンダーの切っ先を突きつけ、相手を睨む。
「……初めてみる顔だけど、誰よあんた」
シルヴィはサンバラトを守ろうとする。
そのサンバラトは呆然と呟いた。
「父上……!」
川澄に抱き締められていたハルヒロも振り向いた。
「お館様……!」
●
「はぁあああ!? え、ちょ、コレがあんたの!?」
とシルヴィ。
「え……、サンバラトさんのお父様? え?」
と雫。
「に、似てないってレベルじゃないっす!」
とニオ。
「あたいわかったわ! つまり母親似ね!」
とチルル。
「ザッハーク・オルス、アバドン……確かに、異形のデビルもいたが……」
と郷田。
「知り合いに、物凄く悪魔らしい姿をした先生がいるけど……」
と長幡。
「よ、よく解らないけど大変なんだね! サンバラトくん!」
と文歌。
「サンバラトさんのお父様……という事は、向うの代表者さんですね。お名前を教えてくれますか?」
翠月が問う。すると、異形のデビルは意外と気さくに応じた。
「俺はシン・アプカルル様さ。そこにいるシン・ウバリト……サンバラトの方が耳馴れてるか? の親父さ。だが、今日は息子の方に用はねえがな」
「私の友達に手出しさせません!」
アプカルルがハルヒロを見たのに気付き、咄嗟に庇う文歌。
しかし、当のハルヒロは怯えた様子も無く、どこか悲しそうな目でアプカルルを見た。
「おう、ハラを決めたか? そいつらの巣に行くってんならラインは切るしかねえが、息子もいるし大丈夫だろう」
そして、アプカルルは本当に背を向け、今にも甲板から立ち去りそうな様子を見せる。
「……父上! 今度は何を企んでおられるっ!」
たまらず、サンバラトは叫ぶ。
「どうせ、人間共の作戦は成功してるからな」
アプカルルの言う通り既に、艦は北硫黄島へと到着していた。
「後は、あの硫黄臭い島で俺が直々に地獄を見せてやるよ。そのために舞台を盛り上げるお土産もいただいたしなあ」
ニヤリと口の端を歪める。
その言葉の意味に最初に気付いたのは、長幡だった。
「……そうだ、数多さんは!?」
「そういう名前なのか? こいつは」
アプカルルは自身の白い腹を叩いて見せた。
「小魚でもひき殺したと思ってたら、こいつがぷかぷか浮いてたからよ。何、死んでるわけじゃねえ。まだ俺の腹の中で……」
自慢げに語るアプカルルの足元に突如、ライフル弾の炸裂する音が響いた。
「……動くな。それだけ聞けば十分だ」
発砲したのは、快晴であった。
「やれやれ……折角この場は見逃してやろうというのになあ」
一旦は、海に去ろうとしていたアプカルルはその場で振り向き、快晴へ襲い掛かろうとする。
「駄目だよ……! ここでお館様と戦ったら、みんな殺される!」
はっとなって叫ぶハルヒロ。
「心配するな。それより、少し力を貰うぞ……目を閉じていろ」
郷田は心配そうなハルヒロから、吸魂符で生命を吸うと素早く大鎌を構えて背を向けたアプカルルに挑む。
「俺の目の前で勝手は許さん」
「援護しますッ!」
先刻、狼を葬った時と同様に雫も真横から飛び掛かる。
郷田はアプカルルの背後から大鎌を伸ばし前面に回した刃を一気に引く。攻撃方向を誤認させた上で真横から雫が襲い掛かる算段であった。しかし、郷田がまず感じたのは自身の大鎌が敵の武器で突き上げられ、手から弾き飛ばされる感覚。
そして、『もう一本の』槍が、自身の脇腹を掠める感覚であった。
「がっ……!」
掠っただけ、とはいえ元々の大きさが違う。
郷田は脇腹を深く切られ、吐血する。
「郷田さん! しっかりしてくださいっす!」
そこに、慌ててニオがヒールをかける。
一方、雫の方はやはり妙な部分から生えて来た水掻きの生えた巨大な手ではたかれ、跳ね飛ばされてしまう。
しかし、甲板に叩きつけられながらも、なんとか身を起こした雫と、ニオの必死の治癒術を受けながら、自らの血の海で意識を失う直前の郷田は同じ事を考えていた。
ハルヒロの能力と同じものを感じた、と。
「くそ……!」
瞬く間に仲間二人が蹴散らされても、快晴は一歩も退かずライフルを迫るアプカルルの巨体に向かって撃ち続ける。
「痒い痒い! そんな豆鉄砲で俺を止める気なのかい?」
「Bigならいいってものじゃないネ!」
窮地に立たされた快晴を援護するべく、エリックは自身のスレイプニルを相手の進路に立ちはだからせた。
「食い止めロ! GUNG-HO!! GUNG-HO!! GUNG-HO!!」
スレイプニルの放ったサンダーボルトがアプカルルの巨大に命中。しかし、その前進を止めるには至らない
「Shit!」
じわじわと追い詰められるエリック。
だが、アプカルルが二人を纏めて叩き潰そうと槍を振り上げた瞬間、それまで潜んでいたハッドが奇襲に打って出た。
「これ以上行かせる訳にはいかんぞ〜!」
突如、アプカルルの頭部の前に闇の翼で飛び込んで来たハッドはそのままショットガンを敵の顔面に接射する。
「何だ、お前?」
涼しい表情で聞くアプカルル。
「我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ三世……王である!(き、効いておらんのかの〜!?)」
「俺はシン・アプカルル……騎士様さ」
律儀に名乗り返したアプカルル。
「騎士だろうが、何だろうが……カイちゃんはやらせませんっ! この雷閃光の白刃、避けて見なさい!」
友人の危機を救うべく、刃を構え、文字通り白き雷光の如き速度で迫る支倉。
だが、アプカルルは嘲るように笑い、その口を支倉の方に突き出した。
「にゃっ!?」
それは戦闘狂故の直感か。支倉は嫌な気配感じ、その二股に分かれた尻尾で器用に制動をかけ、機動を変える。
直後、本来支倉が通過するべきだった場所をアプカルルの口から放たれた『何か』が穿った。穿たれた穴は直径こそ小さいものの深い。相当なエネルギーを圧縮したのだろう。
「そんなの……当たりません!」
支倉は今度こそ一太刀浴びせようと、大きく回り込みながらアプカルルに迫る。
「使い過ぎると補給が必要なんだがな」
再びその魚類の唇が突き出される。
二度も同じ手を食うまいと、支倉は再び尻尾での制動を試みる。
「にゃあああっ!?」
しかし、今度の未知の弾丸はまるで機関銃の様に広範囲に放たれた。
必死に回避する支倉。遂に支倉の脚が何かに貫かれる
「にゃうっ……!」
加速中に倒れた倒れた支倉は、そのまま数m地面を滑る。
「支倉さん……! よくも……!」
快晴の瞳が燃え上がった。彼はライフルを投げ捨てると手に握ったエネルギーブレードで切り掛かった。
「遅えんだよ!」
だが、アプカルルは快晴とエリックのスレイプニルに向かって巨大な槍を無造作に叩きつける。
その衝撃で艦体が大きく揺れた。
直撃を受けた快晴は一撃で重体に追い込まれ、召喚獣を叩き潰されたエリックも気絶する。
「さて、これ以上暴れても後の楽しみが減りそうだしな」
アプカルルは舌なめずりすると、一気に甲板から海へと飛び込んだ。
再び立ち上がる巨大な水柱。その飛沫を浴びながら、チルルが甲板の縁へと走る。
「冗談じゃないわ! 好き放題やられたままで、引っ込んでいられないわよ!」
チルルはその両足で甲板を踏みしめると、大剣を想いっ切り掲げた。その刀身の先端に白い雪の様な輝きが収束していく。
「海ごと凍らせてやるんだからっ!」
チルルが海面に向かって突き出された刀身から、白いエネルギーの力場が迸る。
しかし、海中に飛び込んだアプカルルの影は、即座に泳いで衝撃波を回避、逆に支倉を貫いた弾丸をチルルに撃ち返す。
「くうっ!?」
肩を抑えてがくりと膝をつくチルル。恐ろしく正確な狙いである。
「『ここ』なら弾は一杯あるんでな」
頭だけを水面から出したアプカルルが笑う。
「数多さんを返してくれませんか? ……どうせ俺達は今から其方に行くんです……人質何てとらなくても」
スレイプニルに騎乗していた長幡が刀を構え突撃する。
しかし、アプカルルは焦る様子も無く、無造作に片手を伸ばすと一息に長幡を握り潰す。
「……!」
余りの衝撃に、長幡は一撃で悶絶、スレイプニルも悲鳴すら上げず、光となって消滅した。
「お土産は多い方が盛り上がるか?」
(駄目だ……! 俺までが捕まったら……)
薄れゆく意識の中で、せめて自ら命を断とうとする長幡であったが、余りの深手にそれすらも叶わず、昏倒した。その長幡を、アプカルルが口を開いて一呑みにしようとした時であった。
「お館様! どうか、お許しください!」
ありったけの爆弾を括り付けたワイヤーを構えたハルヒロが、アプカルルの口に自ら飛び込んできた。
「……ああ?」
目を丸くするアプカルル。
ハルヒロは躊躇なく、全ての爆弾を起爆する。爆発までの僅かな時間、ハルヒロは護衛艦の方を振り向いて撃退士たちを見た。
「ごめんなさい。サンバラト様……そして、文歌お姉ちゃん……きっと、僕が人間に戻るには、許してもらうにはこうするしか……」
凄まじい衝撃と爆音が海面を波立たせる。
●
「長幡さん!」
長幡に遅れて偽翼で駆け付けたアステリアは、爆風に乗って吹き飛ばされた長幡を必死に捕まえる。
一方、サンバラトと文歌、そして撃退士は呆然と煙が晴れて行くのを見るしかなかった。
「ハル……ヒロ君?」
ぺたんと座り込む文歌。
「グハハハハハハハハハ!」
アプカルルが哄笑する。
「ちょっとした冗談で、息子も同然だと吹き込んでやったり、あの『シャシン』を見せてやっただけでここまでトチ狂うとはな! 愉しませて貰ったぜ! そうだなぁ、こいつはもういらねえか」
アプカルルはぺっと、口から数多を吐き出す。
「数多さんを助けるっす!」
甲板に転がった数多に、慌ててニオが駆け寄りライトヒールを使用。
「そして……息子はやっぱり一旦連れ帰る事にするぜ?」
アプカルルは掴んでいたボロボロのハルヒロを見せつけると、それをゴクリと飲み込んで見せる。
「ハルヒロ君、ハルヒロ君……!」
我を忘れて海に飛び込もうとする文歌を支倉が必死に引き留める。
「フミカ! 駄目……!」
「どうせ、この傷じゃあお前らの巣へ連れ帰っても治療出来ねえだろう? 俺の城で修復する」
嘲るアプカルル。
「何、こいつには散々楽しませて貰ってるからなあ。ちょっとしたご褒美さ。……取り戻して見ろよ。自分たちで開いた地獄の扉だ。閉じる所までしっかりつきあうんだな」
その言葉を最後に、アプカルルは再び海中に潜ると、悠然と泳ぎ去って行った。
その様子を呆然と見つめるサンバラトの肩を、雫がそっと叩く。
「シズク……、僕は……」
だが、雫は目を閉じ優しく首を振る。
「貴方の、望んでいる事は解っています。どのみち、放置しておくことは出来ません……だから、貴方はもっと我儘になって良いんですよ? シン・ウバリト……さん」
気がつけば、文歌も他の撃退士たちも全員がサンバラトを見つめている。
彼は、その視線を正面から受け止めて、頼んだ。
「ありがとう……皆、僕にもう少しだけ力を貸して……ゲートを破壊して、今度こそハルヒロを……!」
夜明けが近くなる頃、護衛艦は無事北硫黄島の沖に投錨し、上陸艇を発進させた。