●時間との戦い(貞操的な意味で)
撃退士が隠れていたトラックの荷台に、カトラスが立て続けに突き刺さされその衝撃で激しく揺れる。
扉の隙間から外を伺うエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が見たのは海賊のようなディアボロが三方からトラックを囲み、アウルによって生み出され剣を次々とトラックへ投げる光景であった。既に相当な数の剣が突き刺さっている。
「人の入った箱に剣を次々と突き刺すあれみたいですね……この場合中から飛び出すのは人間ではないですが!」
エイルズレトラが笑う。次の瞬間、トラックの扉を突き破って飛び出したティアマットが獅子の如き咆哮を上げながら海賊の一体に襲いかかる。もつれ合って転がる召喚獣とディアボロ。
「やらせませんっ」
他の海賊がティアマットに攻撃しようと接近した瞬間、鑑夜 翠月(
jb0681)によって、三体の海賊の周辺でアウルが敵のみを攻撃する色取り取りの爆発を引き起こす。
「後は、ここに残る人に任せてあのヴァニタスへ突撃よ! 急げー!」
雪室 チルル(
ja0220)が叫ぶと、数名の学園生は海賊が怯んでいる隙に次々と車庫の出口を目指して駆ける。
「ハルヒロ……打ちのめす」
雫(
ja1894)は静かに、だが闘志を込めて呟くと真っ先にチルルに続く。
「……ハルヒロ君もどんどん気持ち悪くなってきて、そろそろサンバラト君の貞操が本気で危ないですからね」
やれやれといった様子のエイルズレトラ。
それを聞いた長幡 陽悠(
jb1350)も遠い目をする。
「えーっと……皆が駆けつけるまで無事だといいけれど、サンバラト君……色んな意味で」
一方、仲間を援護するために残ったゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は空中に飛び上がるとライフルを構えた。
「上はすいてるからな!」
ゼロの狙撃で頭部を砕かれた海賊の一体がゆっくりと崩れ落ちる。しかし、残った海賊がゼロにまた剣を投げつけた。
「ちっ!」
これを回避するゼロ。外れた剣はトラックに突き刺さった。
「こここで暴れられたら捕まっている人たちが危ない……倒さなきゃ!」
川澄文歌(
jb7507)は、咄嗟に構えていた魔導書からト音記号のようなアウルを放つ。アウルの直撃を受けた海賊は脇腹を貫かれ倒れ込む。
「私たちがただのネズミかどうか……思い知るとよいですワ!」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)の矢は、流星の如く青白い尾を引きながら最後の海賊に着弾。一旦は倒れ込んだ海賊は剣を床に突き立てて何と起き上がろうとするが、突然もだえ苦しんだかと思うと、再びがっくりと倒れそのまま動かなくなった。
「相変わらずディアボロが悪趣味ですワ……」
毒の追加効果で倒れた敵を見下ろすミリオール。だが、その彼女の傍らで目を閉じ索敵に集中していたアサニエル(
jb5431)が口を開く。
「……大丈夫。取り敢えずは近くに敵はいないね」
最初の反応は車庫から遠ざかって分散していくもの。つまり先行した味方である。
それ以外で船内をうろつくディアボロらしき反応は、いずれも車庫からは遠かった。
「全く。人間ソナーになった気分だよ」
アサニエルはそう肩を竦めた。
「自分たちはもう行くで」
とゼロ。
「家出をしているとはいえ、サンバラトんもいずれ決着をつけねばならぬこと故、ここは首尾よく成功させねばなるまいて〜」
ハッド(
jb3000)も船内へと向かう。
「まずは奴の居場所を見つけるところからか。俺は機関室の方から探っていく」
郷田 英雄(
ja0378)はそう告げると、足早に立ち去った。
「捕まっている人たちのこと、よろしくお願いします」
文歌にそう声をかけられ、長幡は答えた。
「サンバラト君のことをよろしくお願いします。それと、ハルヒロ君のことも。その、サンバラト君を渡したくはないけど、彼がこっち側にくる選択はないのかなって……」
意外なことに、文歌は力強く同意した。
「そうだよね……うん! 私も、サンバラト君の力になってハルヒロ君を説得したい!」
そして、車庫には万が一に備えてここを確保する役目を担った長幡と翠月だけが残された。翠月は不安そうに呟く。
「皆さん、どうかご無事で……」
●鋼鉄の闘牛
「はッ、久しいな化け物。今こそ引導を渡す!」
頭突きで機関室の扉を吹き飛ばし、鼻息荒く眼前に四足を踏ん張る牡牛のようなデュアル牡ゴーゴンに対して郷田は啖呵を切った。郷田と共に対峙しているのは春名 瑠璃(
jb9294)。予定では郷田とアサニエル。エイルズレトラと瑠璃という組に分かれて機関室を目指す予定であった、
だが、さきほどの車庫で郷田と瑠璃は真っ直ぐ機関室を目指したが、アサニエルとエイルズレトラは車庫の敵を倒すために残ったので、この二人が先に到着することになったのであった。
そして、侵入者の気配を察知した牡牛は郷田たちが仲間と合流する前に、彼らに襲いかかったのである。
「来るぞ!」
郷田が叫ぶと同時に、牡牛は角を突き出して二人の方に突っ込んで来た。船内の狭い通路では横に避ける余裕は無い。二人はほぼ同時に跳躍すると、見事に牡牛の頭上を飛び越えその背後に着地した。
「貰った!」
瑠璃が叫ぶ。間髪を入れず二人は牡牛の背面に武器を突き立てた。しかし、その硬質な皮膚は二人のV兵器を容易く弾く。
「ちぃっ……」
郷田は舌打ちし……次の瞬間激しく咳き込んだ。見れば牡牛の頭の方から瘴気を含んだ灰色のガスが立ち込め、二人に纏わりついていた。すぐに石化しなくとも毒性が人間の生命力に悪影響を及ぼすらしい。
これに対して、郷田はまず動きを止めるべく牡牛めがけてアレイスティングチェーンを投げた。手錠は牡牛の脚にがっちりとはまり、郷田の手繰る鎖が限界まで張り詰める。
「このまま仕留めるぞ……ぐっ!?」
だが、牡牛のパワーは郷田を上回っていた。あらん限りの力を振り絞る郷田であったが、少しずつ牡牛の方に引き寄せられていく。そして、牡牛がその体を旋回させ、二人の方を向いた瞬間、郷田は逆に、牡牛に振り回されるような形で宙を舞う。
「え……きゃあっ!」
そして振り回された郷田はそのまま瑠璃に激突。二人はそのまま機関室の中まで吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
とどめを刺すべく、牡牛が再び角を突き出し突進の構えを見せた。しかし、郷田が立ち上がるより早く、牡牛の背後から飛び込んで来た純白の竜人が牡牛に襲い掛かった。
「さあ、そのまま押さえつけて!」
召喚獣に命令を下すエイルズレトラ。
「ようやく尻尾を掴めそうなのに、ここを壊されちゃかなわないからね……動くんじゃないよ!」
そう叫んだアサニエルの放つ光の球は牡牛の体表を容赦なく焦がしていった。
一方、体勢を立て直した郷田の隣では屈んだままの瑠璃が、奇妙な行動に出ていた。
「……誘惑してるつもりか?」
冗談めかして口笛を吹く郷田。無理もない。瑠璃は何故か自身のチャイナドレスの裾を破っていた。おかげで眩しい太腿も顕になる。
瑠璃は悪戯っぽく片目をつぶる。
「このままじゃ埒があかないもの。時間は稼がなきゃいけないしエンジンを壊される訳にもいかない。いっそ闘牛でも試してみようと思って」
だが、布を広げようとした瑠璃の前で信じられない事が起きていた。
「か、体が動きません……」
彼には珍しく、焦った様子でもがくエイルズレトラ。彼の使役するティアマットと、エイルズレトラ自身の下半身が灰色に硬直し始めていたのだ。
「これが石化か……厄介だね!」
アサニエルがスキルの行使を図る。だが、それを見逃す牡牛ではない。牡牛は自らのガスで石化しつつあるエイルズレトラを無視してアサニエルの方に突進。咄嗟によけようとしたアサニエルを横に跳ね飛ばす。
そして、起き上がろうとするアサニエルに再び角を突き出した牡牛は突然行動を停止し、瑠璃の方を見た。
いや、ディアボロのみならず仲間たちも瑠璃の方に視線を集中する。
「『オーレ!』……ってとこかしら?」
真紅のを布を振り回し、大剣を構える瑠璃。だが、これで興奮するのは牛でありディアボロはどうなのか。それは興奮したというよりも、撃退士の異様な動きを警戒して、何か強力な攻撃の前触れと判断し、先に潰しておくべきだと判断したのかもしれない。
とにかく、牡牛は攻撃の矛先を瑠璃へと向けた。
「はぁっ!」
敵に意識を集中しているおかげか、瑠璃は牡牛の突進を見事に躱す。牡牛は壁にぶつかる直前で急停止すると、執拗に瑠璃を狙う。
瑠璃はそれをうっかりエンジンに直撃させないように注意しつつ連続で躱し続ける――かに思われたその時。
「え……っ!?」
牡牛は瑠璃の手前で急停止。至近距離からガスを吐き散らした。
「ごほっ! げほげほ……!」
瘴気を浴びて苦しむ瑠璃に突進が直撃。そして、牡牛は倒れた瑠璃を執拗にその蹄で蹴りつける。
何度目かに振り上げられた前脚が瑠璃の東部を踏み砕こうとした時、その前脚に次々とトランプが突き刺さった。全身に激痛が走った牡牛は悲鳴を上げ、攻撃を中止する。その隙に走り込んで来たアサニエルが瑠璃を救い出す。
「さあ、こんな所で倒れている暇なんてないんだからね……あんたも、あいつも」
瑠璃は全身に満ちるアサニエルのアウルが自分の命の糸を辛うじて繋ぎ止めているのを感じた。
瑠璃の視界の端では輝くアウルに包まれたエイルズレトラが全身を蝕む石化を、アサニエルのアウルに助けられた自身のアウルで吹き飛ばしていた。その手には瑠璃を救ったトンプが輝く。
「御手柄だったな。おかげで体勢を立て直せた」
郷田がそう述べた郷田はエイルズレトラのトランプで神経を焼かれ動き束縛された牡牛との間合いを詰めた。
「約束通り、引導を渡す……!」
郷田のアウルが黄金の粒子のように、彼の左手の義手に纏わりつく。郷田はその腕で渾身のアッパーを牡牛の顎に向かって叩き込んだ。牡牛の顎はぐしゃりと潰れたが、隙間から流れるガスが郷田の義手を襲い、その表面を石化させていく。
砕けた義手の外装が剥離して、武骨な義手の中身が晒される。それでも郷田はアウルを義手に流し込み続け、拳を振り抜いた。
拳の先から砕け残骸と化す義手。しかし、牡牛も大きくのけぞった。次の瞬間その体内から重い衝撃音が響き、牡牛は全身の骨を砕かれでもしたかのようにへなへなと倒れ伏すと全身から多量の体液を吹き出しながら絶命した。
●コスプレクルージングはそこまでだ!
操舵室のサンバラトは床にへたり込み、両手で体を庇うように抱き締め震えていた。ハルヒロがセーラー服の次に着せたのが女生徒用のスクール水着では仕方が無いだろう。しかし、打ちひしがれた彼の耳に、天魔の用いる意思疎通を用いて何者かが話しかけてきた。
(何情けないことになってんのよ……)
(この声は……シルファヴィーネ先輩……!?)
サンバラトには聞き慣れたシルファヴィーネ(
jb3747)の声だ。
(どうせ、もう私たちのことはバレちゃったし……いい加減いらついていたところだから丁度良いわ。すぐ殴り込んであげるから、ちゃんと待ってるのよ?)
(先輩……ありがとう……)
意思疎通で双方向の会話は出来ない事を知りつつも呟かずにはいられないサンバラト。
(でも、今先輩はどこに……?)
「なんだ……?」
ハルヒロが訝しげに操舵室の窓に顔を向けたので、サンバラトにも窓の外を横切る黒い影が見えた。
だが、ハルヒロがその疑問を追及する前に今度は、ゼロがハルヒロに対して意思疎通を行った。
(その年で変態とかドン引きやわ。自分サンバラトが男ってわかってるよな?)
辛辣な口調で語り掛けたのは、ゼロであった。
「男同士だからこそ、僕が一番似合うお召し物を見つくろって差し上げられるんだ!」
(いや、お前それただキモイだけやで? ホンマにサンバラトのこと考えてんのか? それお前が満足してるだけやん。キモイ。ガキやのにキモい。今後が不安や)
「……ひ、人の事をキモいっていう奴がキモいんだ!」
だが、ハルヒロがムキになって言い返いしている隙に操舵室の壁の中から伸びてきたハッドの手がむんずとサンバラトの服を掴む。
「こ、この……! 変態泥棒ネズミっ!」
ハルヒロは自身も壁を透過して曲者の後を追おうとするが、壁に衝突してしまう。
「これは……阻霊符!?」
ハッドは、予め阻霊符の起動を任されていたアサニエルと文歌に頼んで一瞬だけ阻霊符を停止させ、サンバラトの服を盗んだ後また起動させたのである。そして、彼が困った顔でサンバラトの方を振り向いた時にはもう遅かった。派手な音と共に窓が叩き壊され、室内に飛び込んで来たシルファヴィーネ(地の文では以下シルヴィ)がサンバラトをしっかりと抱きかかえたのだ。
「シルファヴィーネ先輩!」
だが、シルヴィはやや不機嫌そうに。
「……もういい加減長い付き合いなんだから、その「先輩」っていうのは無しにしない?」
「え……」
シルヴィは戸惑ったように彼女を見つめるサンバラトからつん、と目を逸らすと改めてハルヒロに叫ぶ。
「ふふん、一歩でも動いたらサンバラトが無事では済まないわよ! ……なんてね」
「汚らわしい手で気安くサンバラト様に!」
「それは、貴方の方だっ!」
今度は操舵室の扉が力任せに叩き壊された。
そして、雫が室内に猛然と踏み込み怒りも露わに声を張り上げた。
「サンバラトさん、助けに来たっす! 早く学園に帰ろうっす!」
雫と同時に室内へ踏み込んだニオ・ハスラー(
ja9093)は元気よく叫んだ次の瞬間、サンバラトの格好を見て、グッとポーズを取る。
「それも良く似合ってるっすよ! 記念に、写真を取って報告書に載せるっす!」
「え……?」
呆然とするサンバラト。
「……そんな事はさせません……」
「ひえっ!? し、雫さん何か怖いっす!」
低い声で雫に縮み上がるニオ。
「でも……ぷ、プライベートなら……その。私にも一枚……」
「え、雫さん今何て言ったんすか!? ……とにかくハルヒロ! 無理やりは駄目っすよ! サンバラトさんが嫌がってるっす!」
続いて、チルルが叫ぶ。
「あんたたちの悪だくみもここまでよ! 観念して黒幕の悪魔と一緒に首でも洗う事ね!」
「お館様を侮辱するのか!」
愛用のステッキを握り締めるハルヒロ。
「さあ、掛かって来なさい!」
チルルは大剣を構える。
しかし、ハルヒロは真っ直ぐチルルに向かうのではなく、一旦飛び上がった後天井を蹴って頭上からチルルに打ち掛かる。突然のフェイントに幻惑されたチルルは杖に強打された。
「チルルさん!」
拳銃を放つニオ。しかし、ハルヒロ今度はチルルを踏み台にして再び跳躍。残像がのこるような速度で今度は雫に襲いかかった。
「ハルヒロ!」
叫んだ雫の大剣はハルヒロの頭上をかすめる。そして雫の懐に飛び込んだハルヒロは強烈な突きを雫の腹に叩き込んだ。
「不味いっすよ。このままじゃ……」
焦りを見せるニオ。狭い室内で同時に戦える味方の数が限られていることからもこの場所で戦うことの不利は明白であった。
「まだまだよ! あんたの実力はこんなもの!? この調子じゃああんたのご主人様も大したことはなさそうね!」
チルルは強打された肩を押さえつつも、不敵にハルヒロを挑発する。彼女の目的は二つ。一つは時間を稼ぐこと、そしてハルヒロはより大人数で戦える甲板へおびき出すことであった。
「あはははは! そんな負け惜しみ!」
一笑に付すハルヒロ。
「そんなんじゃあ、サンバラトは取り戻せないわね!」
そう叫んでシルヴィに目配せするチルル。シルヴィは小さく頷くと、即座にフェリーの窓から飛び出した。
「悔しかったら、追って来てみなさいよ……」
「……まあいいや。遊んであげるよ! サンバラト様、少々お待ちを!」
ひらりと、跳んで窓から外に出るハルヒロ。チルルたちも即座にその後を追うのであった。
●僕の心を満たさないで
快晴の空の下、どこまでも青い海を走る船。その甲板に学園生たちは次々と着地する。
「ハルヒロはどこっすか?!」
周囲を見回すニオ。だが、撃退士たちより先に飛び下りたはずのヴァニタスの姿は見当たらない。代わりに学園生たちの所へ落下して来たのは――。
「皆注意して! 爆弾よ!」
チルルが叫んだ通り、それは黒光りするいいかつい手榴弾であった。
ハルヒロが少し高くなった足場の上で大笑いした直後、手榴弾が次々と爆発し、学園生たちを怯ませる。そして、彼らが体勢を立て直す前に甲板への扉が開き、二体が参戦して来た。
だが、二体の海賊が剣を投げようとした瞬間、その身体に甲板の頭上から放たれたアウルの矢と弾丸が突き刺さる。
「さぁさ、しっかり戦わないと悪い天使がサンバラトさんを攫っちゃうのですワ!」
上空から見方を援護したのは弓を構えたミリオールと、狙撃銃を構えたアステリア・ヴェルトール(
jb3216)だった。
この隙に、チルルが剣を構えなおす。その瞬間、チルルの主観では世界があたかも完全に凍り付いたかのようその動きを止めた。
「……覚悟しなさいっ!」
仲間には、まるでチルルがその場からかき消えたようにしか見えなかった。続いて、一体の海賊が袈裟懸けに切り下げられ、次の瞬間にはもう一体が腹部を貫かれる。そして、二体が崩れ落ちる前にはチルルの刃はハルヒロに迫っていた。
「こいつっ!」
刃がハルヒロの体に届く。だが、浅い。ハルヒロは直前で柔軟に体を捻って、僅かに致命傷を逸らしたのだ。
だが、撃退士たちの攻撃は終わっていなかった。ハルヒロの真横に飛んできたシルヴィが低い姿勢からあらん限りの力で、ハルバードを振り抜く。
「くうっ!?」
ハルヒロが呻く。彼女が狙ったのはステッキ。弾き飛ばすには至らなかったもののチルルへの反撃を防ぎ、更にハルヒロの体勢を僅かに崩した。
「このー!」
ハルヒロの怒りに任せたキックがシルヴィに突き刺さる。だが、シルヴィは吹っ飛ばされながらも叫ぶ。
「……雫っ!」
「……最早、何も言うことは無い。……滅する!」
絶妙なタイミングでハルヒロの背後に回り込んでいた雫が、力のリミットを解除した凄まじい勢いで剣を振るう。いかなヴァニタスとはいえ、体勢を崩している上に、完全に死角となっていた背後からの攻撃には対応しきれない筈であった。
にもかかわらず、雫は見た。
ハルヒロの背面部。そのありえない位置から生えてきたハルヒロの腕のようなものが、二本目のステッキで彼女の一撃を受け止めるのを。
「……!」
だが、体のリミットを外した雫は止まれない。力任せに二撃目を叩き付ける……やはり目の錯覚などではない。二撃目も弾かれた。
そして、三発目の斬撃を仕掛ける頃には、正面に向き直ったハルヒロが自分のステッキでそれを受け――そこで雫の体は限界を迎えた。
「残念だったね!」
膝をついた雫をステッキで殴り飛ばすハルヒロ。
「雫さん!」
アステリアが叫び、空中からミリオールと一緒に援護射撃を行う。、側転で降り注ぐ弾丸を回避したハルヒロは不敵に笑う。
「蚊みたいに空を飛べば安全だと思ったの!?」
ハルヒロの周囲に無数の手榴弾が宙に浮かんだ状態で配置された。そして、彼はステッキをまるでビリヤードのキューのような持ち方で持つと自身の周囲に浮かべた手榴弾を次々とステッキの先端で空中にいる二人の方へ弾き飛ばす。
「ちょ……こんなの、ありなのですワー!?」
全速力で飛行し、攻撃を回避するミリオールとアステリア。その二人に向かって射的を楽しむかのように手榴弾を弾き続けるハルヒロ。しかし、突然その動きが止まった。その理由が解ったのは文歌だった。彼女が叫ぶ。
「ゼロさんっ!」
空中の相手を目で追っていたハルヒロの視界に、甲板からそびえる操舵室の中で何かをしているゼロが入ったのは無理からぬことであった。そして、このままだとゼロが船に残された記録などを調べていることがバレてしまうのは時間の問題だ。
しかも、ハルヒロは船の下で進行している人質の救出に気付いた様子がない。
文歌自身は仲間との通信で、下で移送されている人々を助けようとしているように見せかける作業が進行しているのを把握していたが、それに対する敵の動きが全くないのだ。
この状況を打開するべく、文歌はある行動に出た。
(ハルヒロ君……私の話を聞いて……)
「何だよ、この声……またなの?」
文歌が、霞声で彼にだけ聞こえるように話しかけたのだ。
(『お館様』のことは私達が何とかするから、サンバラトくんと私たちのことを信じて、ここは見逃して……)
ハルヒロというヴァニタスは自身の上位者である『お館様』という悪魔への忠誠をことある事に口にしていた。アステリアなどは、むしろハルヒロはサンバラトよりこの悪魔へ思いが強いのではないかと度々ハルヒロを揶揄していたほどだ。
故に、文歌の言葉は鋭い洞察か、それとも苦し紛れの当て推量だったのか。いずれにしろ、ゆっくりと振り向いたハルヒロ凄まじい目つきで文歌を睨んだ。
「……聞いた風な口を利くなぁあああああああ!」
一瞬で文歌との距離を詰めたハルヒロが文歌を片手でその頭を鷲掴みにする。
「ハ、ハルヒロ君……かはっ!……」
「文歌さん!」
咄嗟に急降下でハルヒロの方へ向かうミリオール。そしてそれを追うアステリア。しかし、僅かな差でハルヒロのステッキが文歌の腹に突き刺さり、その細い体を甲板から弾き飛ばす。
「くっ……」
アステリアは、咄嗟に方向を変え文歌の方へ。
一方、それを見届けたミリオールは勢いを減じる事無くハルヒロの下まで降下すると無骨な五連装パイルバンカーを叩きつける。
「サンバラトさんは絶対に渡しませんワっ!」
騙すためではなく、真摯な想いを宣言するように彼女は叫んだ。
重いアウルの炸裂音が連続で甲板に響く。
「がはっ……」
ハルヒロはよろめき腹から血をしたたらせた。
ミリオールは再度空中に退避しようとするが、ふと全身に違和感を覚えた。
使用者の回避能力を減じさせる一撃必殺の武器を用いた代償か。見れば、怒りに燃える目でこちらを睨むハルヒロの手から伸びたワイヤーがミリオールに巻きついていた。しかもそのワイヤーには手榴弾がたっぷりと括り付けられていた。
「しまったですワ……!」
同じ頃、落下する文歌に追いついたアステリアも、文歌が爆弾を括り付けられていたのに気付く。二箇所で大爆発が起き、振動が大気を震わせた。
その爆発音に混じって、ゼロの意思疎通の叫び声がチルルに届く。
(見つけたで……! 多分、この島がこの船の目的地や!)
◇
立ち尽くすハルヒロは頭を抱えながらぶつぶつと呟き続けていた。
「僕は桜田春弘。パパとママの子供だ。市立第三小学校の5年一組……好きな子だって……だけど、皆死んだ……」
「ハルヒロん……? 如何したのじゃ〜? ほれ、サンバラトんの服を取り返さなくて良いのかの〜?」
何時もと様子の違うハルヒロにひらひらとサンバラトの服を見せびらかすハッド。だが、ハルヒロは全く反応しない。
「サンバラトなんて……どうして僕だけ? もっと早く助けてくれれば……」
「ハル……ヒロ……」
立ち尽くすサンバラト。雫がその手を強く掴み、無言で首を振る。サンバラトにも解っていた。下手にサンバラトが近づいてこれ以上ハルヒロを刺激すれば、また状況が悪化しないとも限らない。
ここまでに重体者も出ている。今、自分の感情だけで行動して自分のために戦ってくれた仲間たちを危険に晒すことはサンバラトには出来なかった。
「行きましょう」
雫が言う。
既に、他の仲間は甲板から飛び降りていた。ゼロのおかげで目的は半ば達成しつつあったが、やはり、最後は彼ら自身の眼で船の行き先を確かめる必要がある。サンバラトは雫を抱えると、甲板から飛び上がった。
「どうしたというのじゃ……可笑しな奴よの……」
ハッドも、もう一度ハルヒロを見て飛び立つ。その背中にハルヒロの叫びが追い縋って来た。
「僕はあいつらが許せない許せないゆる……――どうして憎めないんだよぉっ! 僕の心の中から出て行けよおっ!! サンバラト様ぁ! お館様ぁ!」
船体の横では、落下したところをアステリアに助けられた文歌が苦しい息の下から、泣きそうな声で言っていた。
「私……何かハルヒロ君を怒らせるようなこと、言ったのかな……?」
「解りません」
アステリアが短く応じる。
「私は今までハルヒロが心底からお館様とやらに、冥魔に忠誠を誓っていたと考えていました。でも、さっきの彼の様子は……」
●必ず……
船前部の甲板で行われていたハルヒロとの戦闘が終わりに近づいている頃、船の後部甲板では長幡と翆月、そして郷田が脱出の準備を進めていた。
「万が一の事を考えれば……例え目的が失敗しても人が死ぬよりはいい、と思ったがな」
そう述べた郷田の顔には、しかし疲労の色がここ勝った。
既に降ろせる限りのボートは浮かべられていた。
「やはり……これが限界でしょうか」
翆月が悲しそうに言う。
ボートに乗せられた人々は驚くほど少なかった。気絶している人間を運ぶのは幾ら撃退士でも手間がかかる。そして、安全性を考えればその数には自ずと限界があった。
「……仕方、ないのかな」
と長幡。元々この作戦では民間人の救出はその性質上考慮されていない。彼らの行動もあくまでハルヒロを騙すことが目的だった筈だ。だが、納得出来ない者もいたようだ。スマホに耳を傾けていた長幡の顔色が変わる。
「どうしました?」
翆月が問う。
「……ニオさんが、車庫に戻ったらしいです」
長幡が緊張した面持ちで答えた。
◇
「これ、フルート君のっすよね……」
ニオは、扉をこじ開けられたトラックの中で呆然と立ち尽くしていた。最後まで一人でも多くの人を助け出そうとした彼女は偶然見つけてしまったのだ。
トラックの中に持ち主を失い一人寂しく転がるフルートを。
あの五体の楽器を持ったディアボロが起こした襲撃事件の際、一人だけ毅然とハルヒロに立ち向かったフルート奏者の少年のものだ。それを拾い上げぎゅっと握り締めるニオ。
「必ず、皆助け出すっす……!」
しかし、ニオは気付いていなかった。彼女の背後に海賊が近づいている事に。
「後ろ!」
だが、あやういところで長幡の声が響く。スレイプニルに乗って駆けつけた長幡はそのまま召喚獣に眼にも留まらぬ一撃を繰り出させ、海賊を牽制すると素早くニオを抱え上げた。
「長幡さん、ごめんなさいっす……」
ニオは咄嗟に、近くに横たえられていた子供を長畑に抱えさせる。
「いけっ! スレイプニル!」
召喚獣は馬とも竜とも聞こえる嘶きを上げると、出口へ向かって低空飛行をはじめた。しかし、その正面に数体の海賊がなおも立ち塞がる。
「邪魔をしないで下さい!」
叫んだ翆月を中心に凍てつくような冷気の渦が広がって行く。なおもスピードを上げる長幡。飛び去る彼らの背後には眠り込んだ海賊だけが残されていた。
●その島の名は
「ふぅ、何とかなったってところだね」
救命ボートの上で、アサニエルは遠ざかって行く船を見送りながら笑った。
「……え?」
傍らに寝かせていた重体の瑠璃を見て、目を丸くする。瑠璃の頭に小さなタコが一匹ちょこんと張り付いていたのだ。
「……」
暫し睨みあった後、手を伸ばす。だが、タコは素早く墨を吹くと、海中へ逃げて行った。
「やれやれ……」
溜息をついて苦笑い。ふと気づくと、瑠璃も目を開けて吹き出していた。
一方、サンバラトはシルヴィたちと共に救命ボートに乗っていた。
「ありがとう。シルファヴィーネせ……あっ……」
ジト目で睨まれ語尾を濁すサンバラト。
「ご、ごめんなさい……、シル……ヴィ」
「〜?!」
突然顔を真っ赤にするシルヴィ。
「あの……嫌だった……?」
「そ、そんな訳……私は子供じゃないから素直に言えないのよ、阿呆! 察せ!」
ひとしきり怒鳴ったシルヴィは、水平線の向こうから海上保安庁の巡視艇が近づいていることに気付いた。
「も、もう来たのね……私、怪我人を先に船に運んで来るから!」
慌てて飛び去るシルヴィ。それを見送るサンバラトその肩に、そっと雫のホーリーコートが掛けられる。まだ水着のままだったのだ。
「……シ、シズク……」
「何時かの時と逆ですね」
そこには何かを決心したように穏やかに微笑む雫の姿があった。
「ありがとう……僕は……」
「気にしないで下さい。……何故なら、私は貴方の事が好きだからです」
「――え?」
実に、自然に。何の前触れも無く雫はそう告げると、穏やかに微笑んだ。海風が雫の銀髪を靡かせる。雫の頬は微かに赤く染まっていた。
「今は色々な事があるので答えは無くても構いません。私の想いだけは知っていて下さいね」
何を言って良いか解らずただ雫を見つめるサンバラト。彼がようやく何かを言おうとした時、停止した巡視艇から梯子が投げ下ろされる。
雫は梯子に足をかけると、もう一度サンバラトを振り返って笑うと梯子を上る。
サンバラトがなおも立ち尽くしていると、彼の後ろから妙ににこにこしたハッドがからかうように声をかけてきた。
「サンバラトんも果報者よの〜?」
「ハッド……っ!?」
「怪我の治療をしようと自分にダークフィリアをかけて潜行していたら、面白いものをみてしまったの〜」
「……もうっ」
何か言い返そうとした時、船から拡声器で海上保安庁の隊員ががなりたてた。
「良くやってくれた! 君たちの目撃した島影。船から持ち出したデーター……間違いない! 奴らの本拠地は北緯24度45分29秒! 東経141度17分14秒! 東京都小笠原村――硫黄島だ!」