●まだ日は昇る
「いくつになっても、幽霊とか苦手なんですよねぇ……」
佐藤 としお(
ja2489)はそうぼやいた。
昼間の明るい時間帯でもどこか不気味な雰囲気を醸し出す旧校舎を前に、五人の撃退士達は調査を始めた。まずは現場検証。事件の解決策の鉄板だ。
使い古された校舎は、少し離れたところに立つ現校舎と相反する存在に見えた。白塗りのいかにも新しいピカピカの校舎に比べ、旧校舎は木造でツタが壁を覆っており、幽霊が出てもおかしくないように思えた。
五人の撃退士、と言ったが、ここに一ノ瀬由梨は同席していなかった。なんでも「気分が悪い」とかで、深夜に旧校舎へ潜入する時は一緒に来ると言って去ってしまったのだ。そんな由梨にユウ(
jb5639)は少なからず疑いを持っていた。依頼内容と由梨の証言との食い違いがあまりに大きいのだ。
(なぜ由梨さんは「数ヶ月前に死んだ」はずの勇人さんと、「1週間前に」会ったなどと言っていたのでしょう……)
ただ、由梨の「勇人に会いたい」という気持ちは本物だろうと、それだけは信じることにしていた。
五人が扉に向かうとそこにはボロボロの錠前があり、カタリナ(
ja5119)が少しちょんと指先で触れるだけで下に落ちてしまった。
ギィと音を立て、扉が開く。下足場を抜けると埃をかぶった廊下が五人を待っていた。
扉が開き、風が吹いて埃が舞う。雪のように舞うそれは日を浴びてキラキラと輝く。
白雪に朱の映える巫女服に身を包んだ或瀬院 由真(
ja1687)は、そんな埃に咳き込んだ。
「由梨さんの話を聞く限りですと、勇人さんが流した血の跡くらいは無いとおかしいはずですが……」
口元を押さえながら廊下の床を隅々まで見て歩く。ふと、埃の積もり方が他に比べやけに薄い箇所があることに気づく。
「これ、血痕が拭き取られてます……?」
由真が指すそこは、確かに後から何かで拭われたような不自然な跡になっていた。
血痕が拭き取られている、しかもあまり埃が積もっていないあたり、拭き取られたのは最近ということになる。
「つまり、ここには誰かがいるってことですよね」
カタリナは腕を組み呟く。
わかってはいたが、やはり裏に誰かがいるということである。それはおそらく勇人をディアボロにした……。
そこまで考えたところで、上からぽろん、ぽろんと綺麗なピアノの音が聞こえた。話を聞いていただけに、ピアノの音には皆過敏に反応した。
急いで三階へと向かい、音楽室の扉を開ける。そこには一人の少女が立っていた。
「あ、みんな。このピアノこんなにも綺麗な音か鳴るんだねぇ」
トーン、と再び鍵盤を押す緋桜 咲希(
jb8685)の姿に、一同は溜息を吐く。
話に聞いていただけあって、ピアノが鳴っているのを聞いて緊張が走らない訳が無い。ほぅと一息つくとユウは思わず戦闘態勢になっていたのを解いた。
「で、でも、このピアノがちゃんと鳴るということは誰かが調律をしたせい……旧校舎だから放置されていて当然のはずなのに、これっておかしくないかな?」
咲希の疑問の答えは簡単だ。由梨の話に出てきた犬型以外の何者かが存在する、ただそれだけのこと。
何も言わずとも、皆がわかっていた。
ぽろん、と澄んだ音が夕暮れの校舎を響く。
交番へと向かっていた一行は、この依頼の不自然さに疑問を抱いていた。
まずは真偽を確かめること。できることから確実に、何が正しくて何が間違っているのかを判断しなくてはならない。その為にも由梨が駆け込んだという交番を訪ねるのは何も不思議なことではなかった。
「では、徒草勇人は数ヶ月前に交通事故で死んだのは確かだと」
城里 千里(
jb6410)は警察に見せてもらった過去の新聞を眺めながら問いかける。
警察の肯定を受け取ると、千里は現状の整理に入る。
(徒草の死は嘘ではなかった。ということは食い違った証言をしている一ノ瀬の方がディアボロである可能性があるわけだが……)
問題は由梨がディアボロであることより、勇人や由梨たちをディアボロにした上位の存在にあると千里は考える。何よりも由梨は自分たちに依頼をしてきていた。由梨達を上の存在から守ろう、千里はそう決心した。
永連 紫遠(
ja2143)と剣崎 仁(
jb9224)は由梨と勇人が通っていた学校にて各々に情報収集をしていた。
紫遠は学校の噂が生徒会の仕事で夜遅くまで残っていた時に見かけた、という副会長によって広められたことを知り、仁は由梨の友人より「由梨は既に交通事故で死んでいる」ことを確認した。
●そして月が昇る
「あうぅ、夜の校舎で幽霊とか怖いよぅ……」
咲希は大きな鉈を自分の前に構え、左右を確かめながらおどおどと由梨の少し前を由真と歩いていた。ときどきビクっと肩を震わせながらも先頭を歩く姿は勇気があるのかないのか。
廊下は窓から月明かりに照らされており、埃が降り積もっているのがわかった。夕方に見たものとは雰囲気が違うと、カタリナは由梨を後ろに護りながら槍を握る手に力を込めた。
「あの日もこんな月の綺麗な夜でした。勇人は、ここで……」
由梨が遠くを見つめるようにして呟く。まるでその時を思い出しているかのように。ぽろん、ぽろんとピアノの音がこぼれだした。
唐突にピシリと嫌な音が響く。由梨が天井を見つめ皆が構えた次の瞬間、大きな犬のような形をした化け物が上の階から翼を広げ飛び降りてきた。
「私の近くから離れないようにお願いしますね」
カタリナは震える由梨の前で槍を構えた。
グオオォォ!と犬型ディアボロが咆哮する。鉤爪のついた腕を振り上げたその瞬間、滑り込むようにしてディアボロの足を薙ぎ払う影が見える。ユウだ。ディアボロの悲鳴が校舎を震わせる。
「皆さん、今のうちに!」
そのかけ声に、さっと動いたのはとしおだ。
「ちょっと避けててくださいね、っと!」
彼の全身を包み込む黄金の龍が吠え、ディアボロに銃弾が走る。間髪入れずに仁が足下に弓を放った。足下を攻撃されたディアボロはその場から全く動けずにいた。
「ヒリュウ、私と一緒に来て!」
由真が叫び、ヒリュウがディアボロと由梨の斜線を塞ぐようにして立つ由真の前を行く。
「彼らの邪魔はさせませんよ。潰えなさい!」
ヒリュウはディアボロを上から押さえつけた。これでもう動けまいと思われた……が、苦しそうに顔を歪めたディアボロはにたりと笑うとヒリュウの押さえつけを振り払い、由梨に向かって鉤爪を振り下ろした。
「危ない!」
由梨の前に立っていたカタリナが、光を纏う槍で攻撃を受け止める。が、少し耐えきれず、やっとのことで攻撃を横に受け流す。
「……ッ!」
受け流したかのように思われた攻撃の一部が当たったのか、カタリナに強烈な痛みが走った。
(この感じ、毒?)
慣れない感覚に思わずしゃがみ込みそうになるが、なんとか槍を支えに意識を保つ。
(私がこんなんじゃダメなのに……!)
後ろで震える由梨を見てカタリナは自分の力不足を嘆く。いつだって自分の身を捧げてでも護ることこそ私が誓ってきたことなのに、こんなところで依頼人を護れないなど、自分で自分を許せないと。
「カタリナさん!」
毒の痛みに耐えるので必死だったのが、すぅと楽になる。としおがアウルを注ぎ応急手当をしてくれていた。
「あ、ありがとう……」
カタリナは軽くなった身体を確かめ、立ち上がるともう一度槍を前に構える。
(私は、みんなを護るんだ!)
立ち上がったカタリナの隣を咲希と翼を生やしたユウが通る。
「っはぁ!」
「食らいなさい!」
巨大な鉈による重い斬撃と何発かの銃撃がディアボロを襲う。
攻撃を受け、だいぶ体力を消耗したように見えるディアボロの眉間に仁が放った弓の一撃が綺麗に当たり、その場でディアボロは力尽きた。
「まさか廊下で現れるとはね……由梨ちゃん大丈夫?」
紫遠はしゃがみ込み震える由梨の隣で彼女の震えが止まるのを待って手を差し伸べた。
「……大丈夫、です。もう私は……全て思い出しましたから」
由梨はそんな紫遠の手をそっと戻し立ち上がると、何かを決心したかのような顔つきで皆にありがとうと告げた。
全て思い出した、という由梨の言葉に何か思うところもあった面々だったが、上からぽろん、ぽろんと音が溢れてくるのを聞き、そうも言っていられないことに気づく。
その旋律は悲しく、切なさを感じさせる誰かの悲鳴のようで。
「……音楽室だよね。うん、行こう」
紫遠の言葉に、皆がこくりと頷いた。
「音楽室……ここ、ですよね」
下見した時にも確認したが、三階の隅にある特別教室の上の部分に「音楽室」と掲げられているのを確認し、由真は祈るように握った拳に更に力を入れた。
下にいた時には聞こえていたピアノの音が、その頃には止んでいた。静かに消えるようにして音が止まり、最後の時が近いのだということは皆がわかっていた。
仁は鍵のかかっていない扉をそっと開け、持っていたペンライトで中を照らす。すると、入り口付近や部屋の隅など、所々にキラリと光る何かがあることに気づく。
「これ、もしかしてワイヤーかな」
入り口付近のそれを指し示し、それをすかさずとしおがナイフで切る。と、その腕に突然ワイヤーが絡みつけられた。
ナイフを持ち替えて絡みつけられたワイヤーを切り、ワイヤーの飛んできた方向を見ると、ゆらりと揺れる影が月明かりに照らされていた。
「ユ、リ……」
幽霊のように揺れるその影は人の形をしており、由梨から聞いていた勇人の容姿にとてもよく似ていた。
「あれが渡草か?」
千里は確かめるように呟き、振り向くとそこには呆けたように口をぽかんと開く由梨がいた。
「勇、人……」
意識がまともではないと判断した千里は、由梨がディアボロであると疑っていただけに暴走を恐れた。
一度守ると決めた相手である以上、下手に動かれてしまうとどうしてもこちらにとっても不都合だったのだ。
「由梨さんは貴方に会いに来たんです。攻撃をやめて下さい!」
そんな由梨と幽霊の間に割って入るようにして、由真は両手を広げ立ち塞がった。
「ユ、リ?ウル、サイ……」
由真の声が届いたのか届いていないのか、幽霊の目が紅く輝くと由真に向かってワイヤーが勢い良く飛んできた。
「させない!」
思わず目を瞑る由真の前にカタリナは槍を突き出す。が、その槍にワイヤーが絡みついてしまう。
その隙に咲希は幽霊に駆け寄り、鉈を振り下ろした。当たったのか、幽霊は苦しそうに顔を歪める。
「幽霊でも物理攻撃は効くのか。やはりディアボロということか」
言いつつ、としおはカタリナの槍に絡んだワイヤーを綺麗に切り落としていく。
「……お前は誰に何を求めるんだ」
千里の放つ銃弾が蒼い光を帯びて幽霊の額へと命中する。
「ボク、ハ……」
幽霊はワイヤーを持った手をだらりと下ろし、その場で膝から崩れた。その時だった。
「勇人!!」
気づいた時には遅かった。
カタリナの後ろで護られていた由梨が千里や紫遠の手を振り切って幽霊のもとへと駆け寄ったのだ。
いくら戦意を失いかけているとはいえ、生身の人間をディアボロのもとに渡してしまうのはあまりにも危険だ。
「一条さん、危ない!」
案の定、由梨が近づくのを見て手を上げた幽霊を確認したユウは叫ぶ。誰もがもうダメだと思った。
「……由梨?」
ふっと幽霊の気が緩んだことに目を瞑っていた咲希は気づき、目を開く。
目の前には、さっきまで殺気立っていた幽霊と依頼人の少女が抱き合う姿があった。
「そうだよ勇人、私だよ。ずっと、ずっとずっと貴方に会いたかったの」
「僕も、僕もずっと会いたかったんだ、由梨に」
瞳からこぼれ落ちる涙を惜しげもなく流す由梨の頭を幽霊はそっと撫でた。
まるで人のように優しげな表情を浮かべる幽霊は、もう先までの凶悪なディアボロではなかった。
二人だけの世界を形成しつつあったが、勇人は後ろで控えていた撃退士たちに気づくと、抱きしめていた由梨をそっと自分から離した。
「皆さん、ここまで由梨を連れて来てくれてありがとうございました。彼女にはずっと会いたかったんです。本当に感謝しています」
先まで自分たちを襲っていたディアボロとは思えないほど丁寧に、彼はお辞儀をした。
「だけど、僕はディアボロとされた身。貴方たちにここで殺してもらえるなら、本望です。どうか僕を、ここで殺してはもらえないでしょうか」
「私からも、お願いします。どうか、勇人を救って下さい」
ディアボロと依頼人が二人で揃って頭を下げる様子はどこか不思議で、悲しくて。
「もう、それしか無いのなら……」
カタリナは自分の前で掲げていた槍を構えた。皆もどこかではわかっていたその答えに、各々の武器を構える。
せめて一息に、と皆で合わせられた一斉攻撃に勇人の幽霊は痛みに顔を歪めながらも、どこか満足そうに笑みを浮かべその場で倒れた。
「ありがとうございました。これで勇人も救われ……うっ」
涙を流しながらもお礼を言っていた由梨は、突然頭を抑えその場にうずくまる。
「わ、私、ワタシ、ハ……ココデ、ヒトヲ襲エッテ言ワレテ、ソレデ……」
突然の様子の変化に皆は各々の武器を構えた。
「やはりディアボロだったか……!」
風が吹き、黒い翼が由梨の背中から生えるのを確認した仁は叫ぶ。由梨は既に死んでいることになっていた、ならば今いる由梨がディアボロであってもなんらおかしくはない。
「ワタ、シ、ニ、ソウ言ッタノ、ハ、確カ」
風が吹き荒れる中、誰かの名前を言おうと由梨が口を開いたその時だった。
真っ赤な槍が一本、窓ガラスを突き破り由梨の胸に突き刺さる。一瞬の出来事だった。
千里は槍の飛んできた方を向いたが、少し赤い布がヒラリと見えただけだった。
「……これで眠れ、る」
何かから解放されたかのように、由梨は自身の胸に突き刺さる槍を見るとそっと目を閉じ、その場に倒れた。
あまりに唐突過ぎる出来事に一同は静かにその場を見つめていた。
二人は穏やかな笑みを浮かべ眠っていた。
●
「またわからなかった」
トーン、とピアノは軽快に音を奏でる。
赤いマフラーを身につけた少女は黒い翼を悠々と伸ばし、指を踊らせた。
「どうして人は感情なんてものを持つのかな」
月明かりに照らされたピアノは、埃を被ったこの場所には似つかわしくないほどに透き通った音を響かせる。
「どうして人は愛なんて感情を知っているのかな」
割れた窓ガラスの隙間からは冷たい風が吹き込んでいた。
「どうして私は、それがわからないのかな」
殴るように鍵盤を押し終わりの音を鳴らした彼女は、椅子から降りると赤の槍をくるりと回した。
「いつか、わかる日が来るのかな」
風に赤いマフラーが吹かれ、月明かりは彼女を照らしていた。