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「ここからだと、電車を乗り継いで……おや」
ディアボロを討伐し、報告を終えた頃。帰り道を調べていた凪澤 小紅(
ja0266)は、スマホの画面に目を落としていた。
転移装置は、撃退士を迅速に現場へと送ってくれる大変便利なものだ。ただし、送りだけ。帰りは交通機関を利用して自力で戻らねばならない。それ故、撃退士たちは仕事へ赴く度に帰路を探さねばならないのだ。
「どうかいたしましたか?」
何かに気づいたらしい小紅に、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が声をかける。
すると小紅は、何も言わずみずほへ画面を見せてやった。
あぁ、なるほど。とみずほ。
横から覗き込んだキャロライン・ベルナール(
jb3415)もまた、納得したように頷いた。
「素直に、したいことを言うと良い。私は構わん」
「あら、それでしたら、もう答えは決まっているはずですわ」
腕を組むキャロラインに、みずほはおかしそうに笑った。
分かり切ったこと。それに、キャロラインだって、小紅と同じように考えているはずだ。
それが手に取るように理解できたから、意地を張るかのようなキャロラインの姿が、面白かったのだ。
「……私が我儘を言うことになってしまうな」
「そう仰らず。見つけたのは小紅さんですもの」
困ったように嘆息する小紅。
その肩に手を乗せて、みずほは彼女の言葉を促した。
「なになに、有名な観光地が近いとか?」
「いーからさっさと帰ろーぜ。仕事はとっくに終わったんだし、寄り道したってなぁ」
嬉しそうに頬をほころばせる九鬼 龍磨(
jb8028)とは対照的に、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は面倒くさそうに頭の後ろで手を組んだ。
「いや……、乗り換える駅の手前が、舞の住んでいる町なんだ。無理に付き合う必要はないのだが」
「えっ! ということは」
「寄りたいってんだろ? ……しゃーねぇ、知らない相手じゃねーし、オレも行くか」
舞とは、かつて久遠が腹学園に在籍していた小倉舞のこと。元撃退士である。
どういった巡り合わせか、今回の仕事で共に戦った撃退士たちのほとんどが、彼女のことを知っていたのである。それが近くに住んでいるというのだから、顔を見にいくのも悪くない、というのが小紅らの考えだった。
少し驚いた様子の龍磨に、ラファルも多少は乗り気のようだった。
「あの、誰、ですか?」
「あー、そうだったね、知らないよね。なんというか、僕らの友達だよ」
この中で、アルティミシア(
jc1611)は舞という少女を知らない。
龍磨が簡単に教えてあげるが、当然、ピンとくるはずもなかった。
「無理に付き合う必要はありませんが……」
「いや、来ると良いだろう。小紅、電話だ」
「私が……? 仕方ない、言い出しっぺだものな」
申し訳なさそうなみずほを遮り、キャロラインがアルティミシアを誘う。
促され、小紅は通話を始めた。
何故アルティミシアも誘ったのか。それは……。
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「ドーナツ、食べに、きました……!」
ウキウキ気分で一番乗りを果たしたのは、他の誰でもない、アルティミシアであった。
聞けば、小倉舞という少女は、プチ・ブランジェなるパン屋で働いているというではないか。しかも、一仕事終えて立ち寄る撃退士たちに、ドーナツを振る舞ってくれるというサービスもあって、一行のテンションは鰻登りだ。
多少休憩を挟み、昼過ぎに任地を出発。プチ・ブランジェへ到着した頃には、夕方になっていた。
店内にはジャージ姿の学生客がいくらか見られ、部活動の合間に軽食を買いにきたようであった。
「あっ、いらっしゃいませ! ごめんなさい、少し――」
「構わん、勝手に待っている」
カウンターの方から少女が顔を出した。彼女こそが、小倉舞である。清算業務に追われ、撃退士に構っている余裕が今はないのだろう。
軽く答えたキャロラインは、店内の隅に設置された椅子に腰かける。他の面々も同様だ。
「営業中にここへ来るのは、初めてでしたわね」
「うんうん、結構繁盛してるんだねぇ」
考えてみれば、この店へ足を運んだ時はほぼ貸し切りの状態であった。みずほはそれを思い起こしながら、学生客の様子を眺めていた。
龍磨は、棚の方へと目を移す。空のトレイが目立ち、この時間までに焼いたパンがだいぶ売れてしまったことが見て取れる。まさか、今ここにいる学生たちが買い占めたなんてことはないだろう。そう考えると、もう少し時間を遡った頃にもっと客がいたはずなのだ。
「や、いらっしゃい。すまねぇな、ちょっと忙しい時間で。ウチの看板娘には後で挨拶させるから、先に食って待っててくれよ」
キッチンの方から大きめのトレイを持って出てきたのは、店主だった。
六人分の皿に、ねじりドーナツがそれぞれ二本ずつ。
「これは……シナモンシュガーですわね」
「お、よく分かったな。ドーナツとしか言ってないはずなんだがな」
臭いだけで理解したみずほが手を組んで喜びを表す。
一方で、小紅は何かを言いたげに、店主へ視線を向けた。
「俺じゃないさ。作ったのはあっち」
店主は、背中越しに親指で舞の方を示す。
このドーナツは誰が作ったのか、小紅はそれを知りたかったのだ。
「……ちょうどいい、ちょっと聞かせろよ」
舞はまだ来店客の対応に追われている。撃退士たちを気に掛ける間もなく、次から次へと清算にやってくる学生を捌くので手一杯だ。
本人が聞いているところではできない話をするなら、今が良いタイミングだろう。ラファルは店主へと視線を向けた。
「パン屋のおいちゃんは俺達を呼んでばかりで何がしたいんだよ」
「あ、それ僕も知りたいな」
「……私もだ。ずっと、気になっていたんです」
ラファルの疑問とは、この店主が、何故撃退士をここへ呼ぶか、というもの。
今回は飽く迄も偶然だが、前回は違う。わざわざ依頼という形式をとってまで、撃退士をここへと呼んでいる店主だ。いったい何を考えているのか、龍磨も小紅も、いつか聞いておきたいと考えていたのだ。
「そりゃ、用事を頼むにゃ都合がいいからだ」
「しかしお金がかかるはずです。依頼がなければ……こうして、舞に会いに来ることも難しかったかもしれません。その点は感謝していますが」
明らかに、店主の返事は正確でない。そう見抜いた小紅は、もう少し深く理由を聞けないかとさらに疑問を投げかけた。
みずほとキャロラインも、この話を興味深そうに聞き入っている。
困ったような顔をする店主。
「子供を育てて、大学を出させてやるまでって考えるとなぁ、結構安いもんだぜ?」
「待て」
今、店主は気になることを口走った。
それを敏感に感じ取ったキャロラインは、口を開く。
「何故子供を育てることが引き合いに出される。それとこれとは、違う」
「例え話だ。まぁ、その、なんだ……パッと思いついた例えが、そんなもんだったってだけだ」
とってつけた言い訳。
キャロラインだけではない。みずほも、小紅も、ラファルも、龍磨も、妙な違和感を抱いていた。
何か、隠しておきたいことがあるのかもしれない。それとも、言いづらいことか。
だが、今聞き出すだけの材料も理由も持ち合わせていなかった。
「そんなことより、ぼちぼち落ち着いてきたな。そろそろ、パンを作り足しに戻るから、ゆっくりしていってな」
「待……ってください」
先ほどのキャロラインの強い語調につられて、思わず「待て」と普段の言葉遣いが出かけた小紅。慌てて一度言葉を飲み込み、目上の人を前にした時の口調に修正する。
まだ何かあるのか、と少し面倒くさそうに振り向く店主に、小紅は椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。
「さっきも言いました。理由はどうあっても、舞に再会する機会を設けてくれて、ありがとうございます」
「それに、舞が明るくなったのも、あなたのおかげだ。ありがとう」
続いてキャロラインも礼を述べる。
照れくさそうに頬を掻いて、店主はそのままキッチンの方へと消えていった。
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「あれ、まだ食べてなかったの?」
ほどなくして、舞が接客を終えて撃退士らのところへ顔を出した。
先ほど店主が運んできたドーナツには、まだ誰も手を付けていない。五分や十分置いといて悪くなるものではないが、舞にとっては不思議だったのだろう。
「舞さんも交えてでないと、一口目の感想をお伝えできませんもの。それに……」
「もう、食べても、いいのかな」
空いた椅子を引いて舞を座らせたみずほが答える。
それ以外にも待っていた理由があるのだが、アルティミシアはもう待ちきれないようだった。ただ手持無沙汰にしていたのだから、なおさらだろう。
「もう少しだけ待ってね。あ、そうだ、舞ちゃん、自分のは?」
「えっ? えーっと、用意してない、かな……」
「駄目だ!」
アルティミシアを落ち着かせて、龍磨が舞に声をかける。
当然とばかりに、彼らは舞も共にドーナツを味わおうと考えていたのだ。だからこそ、舞の分のドーナツが必要である。
しかし、それは用意されていないという。
とっさに声をあげて立ち上がったのは、小紅だ。そのまま彼女は厨房へ消えていき、一枚の皿を持って出てきた。
「私のを一本あげよう。舞も食べるといい」
「あら、それでしたら、わたくしも……」
「じゃあ僕も」
撃退士には、ドーナツが二本ずつ用意されている。なら、一本分けてやっても良いと小紅は考えたのだ。
同じように、みずほ、龍磨もドーナツを舞の皿に乗せる。
「だ、駄目だよ、みんなより多くなっちゃうし」
「もらっとけよ。得したじゃねーか」
困惑した舞だが、ラファルがそう言うので何も言い返せなくなってしまった。
「もう良い頃ですわね。さぁ皆さん、こちらも一緒に召し上がってくださいな」
長谷川アレクサンドラみずほ。彼女は己の信条に従い、例え依頼へ赴くにしても必ずティーセットを持ち歩いていた。もちろん戦闘中に紅茶を淹れるわけではないのだが、時として意外な形で役に立つこともある。
今回が、良い例だ。
テーブルの中央に置かれたティーポット。ガラス製のそれには、茶葉が程よく煮出された紅茶が仄かな香りと煌めく色合いを醸している。
これが全員へと行きわたってようやく、全員の手がドーナツへと伸びた。
思えば……。
ほんの数か月前、舞は簡略化したサバランを撃退士にふるまったことがあった。そのデキは、お世辞にも店に並べられたものではない。決して不味いわけではなかったが、誰かにふるまえるほどのものではなかった。
しかし、心はしっかり籠っていた。
あの時。小紅はそれが嬉しくて、嬉しくて、その心を表に出すのが気恥ずかしくて、思わず酷評してしまったのだった。
でも、今度は違う。
「腕を上げたな、舞。美味しいぞ」
既に焼きたての味ではなくなってしまったが、それでも生地の表面はカラッとしていて、中身はふんわり。シナモンシュガーの量も、ドーナツの味をごまかすようなものではない。引き立てるのに抜群の配分になっていた。
何度も練習したことだろう。それが、今では店に出しても恥ずかしくない味にまでなっているのだ。
「美味しいだけの、ドーナツよりも、百倍良いです。飾らない、美味しさです」
アルティミシアもよほどこのドーナツを気に入ったか、夢中で手を伸ばす。
時にみずほお手製の紅茶で喉を潤しながら、とにかく、手が止まらない。
「そんなっ、普通、だよ」
謙遜する舞だが、内心満更でもなかっただろう。自分も一口ドーナツを齧りながら、照れたように視線を落とす。
「そういえば、以前もこうやってわたくしがお茶を淹れて楽しんだことが有りましわたね。あの時は……」
「みずほ、それよりも今のことだ」
かつて、みんなで紅茶を飲んだことがあった。その時、舞はまだ久遠ヶ原学園にいた。
だが、その時の状況は……。
それ以上のことは、今、口にするわけにはいかない。小紅が制す。
「ううん、いいの。ありがとう、小紅さん、みずほさん。もう大丈夫だから」
そうだ。あの時は、舞が学園を去ることになった事件が、ちょうど動き出した時だった。
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「あーぁ、結局店長さんのパンは食べれなかったなぁ」
「もう少し、時間があれば、良かったのに」
帰りの電車の中、龍磨とアルティミシアがガックリとうなだれていた。
プチ・ブランジェの、店主が焼いたパンは評判が良いらしい。が、龍磨はまだ、食べたことがなかった。
今回こそはきっと食べられる、と期待していたのだが、あの学生客たちが残っていたパンを全部買って行ってしまったために、断念せざるを得なかった。
アルティミシアも、舞の焼いたドーナツをお土産に買っていきたかったのだが、余分には用意されていなかったとのことで、諦めることになったのである。
もう三十分だけでも待つことができれば、二人とも望みのものを手に入れられたのだが……久遠ヶ原島への定期船に間に合わなくなってしまう。帰るしかなかったのだ。
でも、とアルティミシアは顔を上げる。
「遠出してでも、また食べたいですね。あぁ……美味しかった」
「そりゃ褒めすぎだろうが」
甘いものが苦手なラファルは、アルティミシアの感覚が理解できない。
しかしアルティミシアは、理解を求めたわけではなかった。ただ、荒んでいた心が、あのドーナツで癒された。それだけで良かったのだ。
「しかし気になるな」
「あぁ、そうだな。……あの店主、何を隠しているのだろうか」
キャロライン、そして小紅は、店主の口ぶりがずっと引っかかっていた。
何故撃退士を呼ぶのか、何故舞と撃退士を敢えて結び付けようとしているのか。
それはまだ謎のまま。
(あれではまるで、保護者のようだ。そういえば、舞は依然、父親という言葉に強く反応していたが……まさか、な)
何かが頭の中で繋がりそうだが、上手くいかない。
釈然としない心持の撃退士を乗せたまま、電車は夜空の下を走る。