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転移装置へ駆ける撃退士達は、互いの行動を確認し合っていた。
想定する敵は、パン屋に出現したということになっている。まずどこに敵がどこにいるのかを捜索しなくてはならない場合がほとんどであるが、今回は場所が特定できている場合である。
そこで、今回の訓練に参加した撃退士達は二手に分かれる作戦を考えた。一つはパン屋プチ・ブランジェの正面から突入するグループ、もう一つは勝手口へ回るグループだ。
特に、勝手口へ向かう方が移動量が多い分、機動力が求められる。現在集まった六人の撃退士の内、三名が阿修羅だったのは偶然だが、ともかく三名が勝手口に向かうこととなった。
「そうなると、俺らは正面か。実戦なら威力に任せて圧力をかけつつ、敵が勝手口の方へ逃げるよう追い込むってことだな」
「うん。壁にはなれるから、易々と正面から突撃されるってことはないだろうし」
編成を確認するルナ・ジョーカー(
jb2309)に、九鬼 龍磨(
jb8028)が作戦を補足する。
訓練を確実に身にするためには、いかに緊張感を持って当たるか、が重要になってくる。だからこそ、敵の動きや、自分達の位置取りを可能な限り考える必要があった。
「我輩は龍磨の影に入り……いや、それよりも市民を非難させるのが先であろう」
懲罰する者(
jc0864)は膝までを覆う大きな白布を頭から被った、異様な出で立ちだ。大きく描かれた二つの目玉模様の下で、彼(?)がどのような表情をしているのか、その声色からは判別がつかない。
今回、「敵はプチ・ブランジェに出現した」という指定以外は何もない。故に、その先で何が起こっているか、どのような状況が考えられるのかは、完全に撃退士の判断や想像力に委ねられている。
一方で、どこか訓練から意識が遠のいているメンバーも中には存在した。
「小紅さん、プチ・ブランジェといいましたら……」
「ああ、間違いない。まさか、こんな偶然があるなんてな」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)、凪澤 小紅(
ja0266)両名は、互いに顔を見合わせて何事か呟きあっている。
彼女らは、パン屋の名前に聞き覚えがあった。そのデジャヴのような感覚を抱きつつも、訓練の概要に目を通す中、備考欄に書かれていたこんな一文が、絡まった糸を解き解いたかのように全ての合点がいったのだ。
――――――
プチ・ブランジェには、当学園を自主退学した小倉舞さんが従業員として勤務しています。
――――――
遡ること一年半。当時中等部三年だった小倉舞は、ある事件を起こして自らの命をも断とうとした。
そんな時、彼女の友人として命を繋いだのが、小紅とみずほだ。
いや、それ以外にも何人も舞を救った人物がいる。ルナもまたその場に居合わせた一人であった。
(ふーん、あの二人が、そうなんだ)
ヒソヒソ話をする小紅とみずほを横目に、龍磨は内心納得していた。
備考欄の「自主退学」という言い回しに興味を抱いた龍磨は、「何故自主的に退学せねばならなかったのか」と興味を抱いて小倉舞について調べたのだ。
小倉舞にまつわる事件には、頻繁に小紅やみずほの名前が出てくる。彼女については、この二人に聞くのが一番手っ取り早いのかもしれない。
「だが……。気になるな」
「え? あ、えぇ……。いえ、でも流石にそれは、良くないではないですか?」
勝手口へ回るグループには、小紅、みずほの他にもう一人、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の姿もあった。
他人の心を平気で折る、と噂されるラファルに対して、小紅は警戒心を抱いている。それは、せっかく新たな人生を歩みだした舞の希望をへし折られるのではないか、という不安からくるものだった。
「何見てんだよ?」
視線に気が付いたラファルが唇を尖らせる。彼女としては心外だろう。
周囲にそう思われていることも、自覚している。だからこそ、それこそが気に食わないのだ。
「おい、何やってんだ。急ぐぞ」
ルナが呼ぶ。気づけば転移装置は目の前にまで迫っていた。
●
転移した先は小さな公園のような場所だった。
撃退士達はすぐさま地図を広げ、現在地を割り出すと、プチ・ブランジェへの最短ルートを割り出す。
するとすぐさま、勝手口班は駆け出した。これを、正面班が追う形。
公園は団地に囲まれた位置にあり、大通りへ抜けて東へ。左手に学校が見える。高等学校だろうか。丁度午後の授業が始まった頃合いで、体育館の方からはシューズと床が摩擦して鳴る「キュッ」という音が断続的に響いていた。
正面班が学校を背にするように角を曲がった頃には、勝手口班は見えなくなっていた。
目標のプチ・ブランジェは、五十メートルほど先に見えている。出歩いている人の姿は見られなかった。
「配置は完了しているようである。いざ、乗り込もうぞ」
懲罰する者が真っ先に扉をくぐろうとした、その時だ。
少女の悲鳴にも似た声が、パン屋の方から聞こえたのは。
「え、なに?」
「分からねぇ。とにかく急ぐぞ!」
龍磨、そしてルナはただならぬ様子を感じ取り、店内へと駆け込んだ。
●
勝手口班は、到着と同時に合図も待たずにプチ・ブランジェへ飛び込んでいた。いや、真っ先に飛び込んだのは小紅だった。
訓練とはいえ、もう冷静さを保っていられない。正面班もぼちぼち到着する頃だろう。この中に敵がいると想定するならば、先手を打つべきだ。
「撃退士、到着しました。状況は!?」
勢いよく扉を開けると、そこはキッチンだった。大きな台の上にはこれから棚に並べられるのであろう数々のパンが焼きたての香りを立ち昇らせていて、少女が一人、大窓から店内の様子を伺っていた。
声に驚いたその少女が肩を震わせると、ゆっくり、ゆっくりと振り返る。
肩甲骨まで伸びた髪を赤いリボンでひとまとめにし、その上から被る白い頭巾。ダークグレーのブラウスに、同色のパンツ。簡素な白いエプロンの少女が誰なのか。小紅には、みずほには、その顔を見なくても分かった。
「要救助者です、小紅さん!」
「確保! 安全圏まで後退する」
みずほの合図に弾かれて、小紅が飛び出した。
少女の驚く顔も凍り付き、これを抱きかかえた小紅は電光石火の勢いでプチ・ブランジェの外へと運び出したのである。
突然のことに、少女が悲鳴のような声を上げたのは言うまでもない。
●
「どうした、何があった!」
店内へ飛び込んだルナは、開口一番に叫んだ。
並べられた台にパンの数は少なく、昼のピークが過ぎた直後であることが窺い知れる。
レジの方には男が一人……五十そこそこだろうか。コックコートには年季が入っていて、まるで男と共に歳を重ねてきたかのようだ。
「ん? あぁ……、訓練の撃退士か。まぁ心配はいらない。今、椅子を出す」
店主らしきこの男、妙に落ち着き払った様子でパイプ椅子を広げた。
加えて、丸テーブルを三つ運んでくる。
まるで悲鳴などなかったかのような様子で、撃退士に椅子を勧める。
「きっと空耳だったのである」
腰かけた懲罰する者が周囲を見回す(見えているのだろうか?)。特に変わった様子や争った形跡のようなものは見つからず、きっとあの悲鳴は気のせいだったのだと結論付けるより他ない。
「いや、そんなはずは……」
「お前さん達のお仲間が、ウチのバイトにちょっとちょっかいかけてるだけだ。だから心配はいらないって言ったんだよ」
首をかしげる龍磨に、店主は説明する。
言われてみれば……。
勝手口へ回った班の姿が見られない。先行した彼女らはいったいどこで何をしているのやら。
と、そんなところへ。
「あー、見てらんね。もう訓練も終わりでいいだろ」
ボリボリと後頭部を掻きながら、勝手口からラファルが姿を見せた。
その表情は少々呆れ顔で、小さくため息すら吐いている。
彼女も勝手口班だったはずだ。一緒にいたはずの二人は、まだ現れていない。
「やあ。外で何かあったのかな?」
「あったも何も……。俺はどうも、ああいうのは肌に合わねぇな」
またも嘆息するラファル。
その脇で一人、ルナだけは全てを察したかのように納得のいった顔をしていた。
●
「会いたかった……。会いたかったぞ、舞。何度ここに来ようと思ったか」
「本当に、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです」
少女を降ろした小紅は、そのまま肩を抱いて声を震わせた。
その脇から顔を覗かせたみずほも、堪えようのない喜びをその表情に浮かばせた。
少女――小倉舞はきょとんとした表情のまま、状況を飲み込めずにいる。
勝手口が開いたと思ったら、疾風のような勢いで何者かが駆け込んできて、抱き上げられて、運び出されて、気づけば目の前に見知った顔がある。
どんな顔をすれば良いのか、何を感じたら良いのか、正解が分からない。
分からないけれど……。
「小紅さん……、と、みずほさん?」
名前を呼ばれた二人は、その感慨を言葉にすることができない。訓練だから自制せねばならない、といった戒めも、その人の顔を見た瞬間にどこかへと飛んで行ってしまった。
ずっと会いたかった人。もう一度、今度はもっと幸せな形で再会できたらと願っていた人。
今、目の前にその笑顔がある。
それだけで十分で、それだけで胸がいっぱいで、小紅は、みずほは、ただ舞の肩を小さく揺すった。
●
ようやく店内にそろった六人の撃退士は、先ほど店主が用意した椅子に腰かけて「その時」を待っていた。
プチ・ブランジェに到着した時点で訓練は終了。
要件は済んだのでこのまま久遠ヶ原島に帰っても良いのだが、店主が言うには、彼らに持て成しの品が用意されているという。
「ほら、これがご褒美だ。ま、食ってやってくれ」
店主が運んできたのは、半斤の食パンだ。生クリームが塗られているが、なんだかやっつけで作られたようにも見える。これが各丸テーブルに一つずつ。
見れば食パンにしては少々形が歪で、耳の色もテーブルによってバラつきがあって、プロが作ったようには見えない。
「あの、これは……?」
「サバランだ。かなり簡素だけどな」
おずおずと、龍磨が尋ねる。
店主の回答を得て、龍磨の脳内には鯖が走(Run)っている様子が浮かんだが、どう考えてもそれは違うだろう。
しかし流石貴族といったところか。みずほはサバランというものを知っていた。
「シロップらしいものが見えませんわね。フルーツが乗っているものも多いのですけれど……。生地もだいぶ違うようですわ」
「はっ、お嬢ちゃんはよくご存じだ。だから言っただろう、かなり簡素だと」
本来はもっと丸みがあって、もっと小さく、そして甘いシロップやフルーツが盛り付けられているもの。だから、実物のサバランを知るみずほには、少し信じられないようだ。
そんな中、苦虫を噛み潰したような表情をする者が一名。ラファルだ。
「このサバランってもしかして、甘い奴なのか……」
甘いものが苦手どころか、嫌いである彼女にとって、これはご褒美でも何でもない、罰ゲームだ。
恐らく、同じような表情をしているであろう人物もある。
(むむう。殺生極まりないのである)
人前で布を取ることのできない懲罰する者にとって、この場での食事は憚られるものだった。懲罰する者が、懲罰される者になった瞬間である。
「なに辛気臭い雰囲気出してんだよ。いいから食おうぜ」
懲罰する者と同席するルナは、我先にとフォークを取った。
パンにフォークは確かな手ごたえと共に食い込み、持ち上げればサイコロ状のそれがついてくる。
口に含むと、ラム酒シロップが沁み出して、生クリームの甘さと混ざってほんの少しだけ、幸せを分けてくれるような味わいだった。
「美味い! イケるじゃねぇか!」
「……」
それを恨めしそうな雰囲気を醸しながら見つめる懲罰する者。彼はこれに未練を残したらしく、後にタッパーに詰めてもらい、お持ち帰りすることにした。
「へぇ、あんこも入ってるんだ。これのおかげで飽きない感じ!」
龍磨もこれに満足したようで舌鼓を打つ。
その様子を、キッチンの方から心配そうに見つめていたのが、舞だ。撃退士達の様子に多少ホッとしたのか、安堵の溜息と共に胸を撫でおろす。
「ひどいもんだ」
だが。
小紅はサバランを一口食んだだけでフォークを投げ出した。取り分け皿とぶつかる音が鼓膜をひっかくようで不快。
ムスッとした彼女の表情に、店内全体に緊張が走る。
「形も不揃いだし、生地も硬いな。焼き加減もまばら、シロップには浸しすぎ。とても客には出せんな」
「そんなっ!」
辛辣な評価に、堪らず舞が飛び出した。
何を隠そう、このサバランを作ったのは、他ならぬ舞だったのだから。
久しぶりに学園の人に会えると、下手なりに精いっぱい作ったつもりだった。だからこそ、ここまで言われるのは耐えられない。それも、一番食べてほしかった人の一人に言われたのだ。
「なるほど、通りでな。流石に店主が作ればこうはならない。ハッキリ言って、素人にしても――」
「おい、いい加減にしろよ!」
見かねて、ルナが怒鳴った。
椅子を蹴飛ばさん勢いで立ち上がる彼を、懲罰する者と龍磨が慌てて引き止める。
その状況を楽しむかのように、ラファルは一人、ニタリと笑みを浮かべていた。
「小紅さん、いくらなんで、も……」
小紅の顔を覗き込んだみずほは、言葉を失った。
彼女の瞳からは大粒の涙がにじみ出ていたのだ。サバランの不出来を悲しんでいるのではないと、すぐに分かる。何か、もっと別のものを感じているのだ。
「……でもな、形も、味も、不出来でも。私は、今まで生きてきた中で、これ以上、美味しいと思ったものは、ないんだ」
●
夕方になっていた。
サバランを一通り平らげた撃退士達も、そろそろ学園へ戻らねばならない。
夕日に向かって行く彼らの背中を、舞と店主は手を振って見送っていた。
何人かの撃退士は、その手に食べきれないほどのパンを抱えている。土産にと買ったものだ。
「ねぇ、あの子……舞ちゃんってさ、元々あんな感じだった?」
ふと、龍磨は疑問を口にした。
報告書で読んだ彼女とは、少し印象が違ったからだ。もっと後ろ向きで、暗い性格の少女を思い浮かべていただけに、意外だったのだ。
サバランを食べた後、少し彼女と話してみたが、結構人懐っこく色々なことを話してくれる。
「そうですわね、少したくましくなった感じがしますわ。以前はもう少し……」
「違うな、みずほ。以前は、そうならざるを得ない状況にあった、というだけだ」
みずほと小紅の回答を得て、龍磨は納得がいった。
だが、それでもまだ分からない。
彼女の性格の癖……。それを正確に見抜いていた龍磨は、今後それがまた表に出た時、きっと過去の二の舞になるのでは、という懸念。
もう少し、関わるキッカケを作ろう。彼は帰りの電車に乗りながら、一人思考していた。