●
「駄目だ、絞りきれない」
車中、資料に目を落としていた田村 ケイ(
ja0582)は嘆息していた。
出発前のミーティングで、これまで起きた事故の概要、被害者の状態、車の状態、道路の状態と様々な情報をまとめていた彼女は、これが天魔の仕業なのだとしたらどういった能力の持ち主なのかと思考を巡らせていた。
手足がないという被害者の状態からして、何らかの手段で切り落とされた可能性がある。その線が一番濃厚ではあるが、もしそうだとして一体どのような手段を用いたのかまでは推測しきれなかった。
最も可能性が高いのは、透過能力を用いて車内に侵入した天魔が切り落としたというものだが、遠距離からの斬撃を用いた可能性もあるわけで、どのような可能性をシュミレーションしてみても、今一つピンとこなかったのだ。
それから実際に現場へ向かう今の段階になっても、ハッキリとした答えは出てこない。
「姉さん、もうここまで来たら実際に目で見て確認するしかないだろう」
車を走らせつつ、浪風 悠人(
ja3452)は言葉を発する。
ケイのことを姉さんと呼ぶのは、血縁関係にあるからではなく、ただの愛称として。お互いにそれに見合う程度の信頼関係が築かれていることが、そこに現れていた。
悠人の運転する車は、いわゆるA班。ここにはケイの他にもアサニエル(
jb5431)の姿もあった。
「上手く出てきてくれりゃいいけど、ジェット婆だったら苦笑もんだね」
「そんなギャグみたいな敵だったら気持ちは楽だけど」
ケイは資料を見るのをやめた。
事前情報に期待出来ない以上、最早現場の判断で何とかするしかない。
●
もう一方のB班で運転手を担当する佐藤 としお(
ja2489)が、目の前にA班の車があること、そして視界の先にトラックが移っていないことを交互に確認しつつ慎重に速度を調節していた。
「挟み撃ちが出来れば良かったのですけど……」
小さく北條 茉祐子(
jb9584)が溜め息を吐く。
「仕方ないさ、天魔の存在が明確でない以上、法には従わないと」
B班が警察に提案したのは、逆走。天魔が出現した際、A班とB班が挟み撃ちに出来るようにといったものだ。が、これは却下された。
理由は大きく二つ。一つは、逆走することで警官の運転するトラックやA班の車と衝突する危険性。そういった事故は避けねばならない。そしてもう一つは、道路交通法だ。天魔の関与による事件であることがハッキリしない以上、これに逆らってもらうわけにはいかないのだ。
もちろん、天魔絡みであることが明確ならばこの限りではないのだろうが。
深夜の高速道路は、驚くほど暗い。ある程度車が走っていれば、テールランプなどによる光源が確保出来るのだが、たった二台しか走っていない現状では、先の見えない恐怖というものが常に同居していた。
「紅茶でもいかがですか?」
緊張を解すため、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は魔法瓶に入れていた紅茶を茉祐子に勧める。丁度もうすぐ事故発生現場へと突入していくのだ。一息入れておくのも大事なことだろう。
茉祐子はありがたく受け取った水筒を両手に握りしめ、どこか天魔なんて現れなければ良いのに、と思っていた。
それは、戦いたくないという我がままではない。
恐らく天魔と最初に遭遇するのは、前方に走るトラックに乗った警官達だろう。もし彼らが犠牲者となってしまえば、彼らを大切に思う人が悲しむことになる。
世には人の数だけ物語があり、人の数だけ喜びも幸せもある。万が一にも、それが奪われてしまったら。
蓋をコップ代わりに、透き通るようでいて鮮やかな紅茶に波紋が生まれたのは、車の振動のせいだけではなかったはずだ。
●
「正直に言っていいぞ。怖いんだろ」
トラックを運転する警官は、助手席に座る若い警官に声をかけた。この東北自動車道に入ってからというもの、二人の間に会話はなかった。
助手席の警官はちらちらとミラーを気にしては俯き、またミラーを横目に見て俯きを繰り返している。
「先輩、本当に天魔が出るのでしょうか」
「知らん」
若き警官は震える声で問い掛けるも、運転手の警官はキッパリと言い放つ。
すると助手席の彼はまた俯いた。
「僕を叱りますか?」
「失敗したら叱ってやる」
しばし沈黙。
怖い。当たり前だ。これまで三度……いやこの一週間では四度になるか、トラック絡みの事故が多発している。この時間、もう少し進んだ先で。
天魔が関与する事故であるのならば、調査しないわけにはいかないが、下手をするとこれまでのようにカーブを曲がり切れず大惨事になるかもしれない。それは、若い警官にとって恐怖以外の何物でもなかった。
だから運転する男はこの場で叱ることは控えた。怖くて当然なのだから。
「……おい」
「はい?」
「ミラーに何か見えないか」
言われて、若い警官はミラーに視線を移した。助手席からでも車の右側が見えるよう設置された補助バックミラーには、追い越し車線から何かが走ってくるのが見える。
軽自動車並みの大きさだが、ライトが点いていない。
撃退士の提案によって増設された外部電灯のおかげで多少離れた位置からその物体の存在は確認出来たが、具体的な姿はよく分からない。
助手席の彼は無線機を手に取った。
●
「いや、ちゃんと点いていますよ」
としおは何度かライトをオンオフして再度確認した。
無線越しに、ヘッドライトが点灯しているかどうか確かめるようにと連絡が入ったのだ。
車内に緊張が走る。
「何か見つけたのでは?」
「いけない、急ぐぞ!」
みずほが言い終えない内に、としおは思い切りアクセルを踏み込んだ。
それは、天魔の出現を確信するには十分な情報。
一刻を争う、急がねば。
トラックが危ない!
●
「馬鹿な、くそっ!」
後方にあった物体はトラックの倍以上の速度で迫っていた。その物体がトラックに並んだ時点で、初めてその姿がハッキリと見えた。
羊だ。巨大な羊が走っているのだ。
通常ではありえない。
トラックの運転手は急ブレーキを踏み、咄嗟にハンドルを切った。瞬間、手足がずっしりと重くなる感覚。見れば、手も足も石になっているではないか。
もしも、ミラーにこの羊が影として映った時点で多少でもブレーキを踏むことが出来ていれば良かったのかもしれない。
異変があればブレーキをかけるように。撃退士からの助言だった。
だが、その異変が差し示すものが明確ではなかった。撃退士にヘッドライトの点灯を確認する時間が余計だった。
急ブレーキに、急ハンドル。速度変動による慣性と、進行方向の急激な変化に、トラックは耐えられない。
道路に強くスリップ跡をこすりつけ、トラックはバランスを失った。
●
急加速によってようやく追いついた撃退士達が目にしたのは、トラックが横転して荷台が道路の壁に激突し、ひしゃげてなお地面にバウンドする瞬間だった。
茉祐子が息を飲む。
彼女とは別の車に乗り込むケイは冷静に状況を見ていた。
羊の姿が見える。その出現に警官が驚いたにしろ、いくらなんでも横転するほどの運転ミスを犯すとは思えない。何とか上手くバランスを保てるはずだ。
ということは、予期せぬ何かが起こったと考えるべきだろう。
混乱でもさせられたか? あるいは麻痺、眠り……魅了? 断定は出来ない。だからこそ油断は出来ない。
「急いで、悠人!」
「これでもアクセルいっぱいだ!」
運転手を急かしたのにはワケがある。
横転したトラックをすり抜けたその羊は、道路の柵へと向かっている。これを飛び越えて逃げようという算段だろう。
柵を越えられてしまっては、車では追い付けない。
自動車にも並走する脚力を持つ羊に逃げられてしまえば、何も出来なかったのと同義だ。
射程いっぱい。ギリギリまで接近したケイはコメットを放った。降り注ぐ彗星の群が羊を襲い、その足を鉛のように重くしてゆく。
その隙にとしおが自動車を羊の前方に滑り込ませ、急停止。
みずほ、そして茉祐子が車から飛び出した。
逃がすわけにはいかない。茉祐子はアウルの力によって植物の蔦を思わせる鞭をしならせた。
アイビーウィップ。これを用いれば相手の動きを鈍らせるのみならず、その身を束縛することも可能なはずだ。が……。
「悪い子には、これでおし……お、き」
強烈な眠気が茉祐子を襲った。抗いきれない欲求の波に、鞭を振るう腕に力が入らず、茉祐子はその場に崩れ落ちる。
「おい、何があった!」
車を降りたとしおが駆け寄り抱き起こすと、茉祐子はすやすやと寝息を立てていた。
まさか進んで眠りに落ちるわけもない。これが羊の特殊能力なのだろう。
もしも撃退士の半数でも眠らされたら、羊を討つのは困難だ。
「スレイプニル! アイツの頭を押さえてくれ!」
少なくとも逃がしたくはない。スレイプニルを召喚したとしおは、羊の頭上に位置するよう指示を飛ばした。
その間に羊の背後へと回り込んだみずほがDamnation Blowを叩き込んだ。
右フックによる一撃が羊の脇へとめり込む。
鳴き声とも言えないようなしおれた声が漏れ、どうと音を立てて羊は倒れた。
そこで車から降りたA班の人員が合流。
「チッ、えらいことだ」
トラックの惨状を確認したアサニエルが駆けた。
二人の警官は果たして生きているのか。もしそうならば急ぎ手当をしなければなるまい。
しかし撃退士の行う手当は飽く迄応急のものでしかなく、今は一刻も早く病院へ搬送せねばならないが……そのためにはあの羊が邪魔だ。
割れたガラスから中を覗く。警官は二人とも血だるまになっていた。ガラスが突き刺さっている箇所もある。よくよく見れば、運転席の警官の手足が石になっているのが分かった。
「こんな能力まで……。すぐ病院へ連れていってやる。今はこれで……少し頑張りな」
ライトヒール。少なくとも止血にはなるはずだ。
後は……。
「どれだけの人を犠牲にする気だ! いい加減にしなさい!」
アークを付与した白夜珠から白銀の刃を生みだした悠人は羊を切りつけた。
未だ身動きの取れない羊は、焼け跡とも切り傷ともとれる攻撃の痕跡を身体に作っていく。
こうなれば、勝利は目前。
「逃がさないわ……絶対に!」
星の輝きを収束された銃口から、ケイは一発の弾丸を放った。
眉間に風穴の空いた羊は、断末魔も上げず崩れ落ち、そのまま二度と動かなくなった。
●
病院に緊急搬送された二人の警官は、かろうじて一命を取り留めたようである。
助手席の警官は肋骨にヒビが入り、足の骨まで折れていたものの、治療とリハビリを繰り返せば現場に復帰する見込みは充分あるとのことだった。
一方で運転席にいた警官は、右腕が動かなくなってしまった。それ以外には特に後遺症がないとはいえ、現場復帰は難しいだろうと診断された。が、意欲あるこの警官は、この経験、これまでの経験を活かし、後進の育成に力を注ぐことを心に誓ったのだが、それはまた別の話である。
撃退士の中で、この天魔による事件に興味を抱いたのは茉祐子だった。
何故あのハイウェイシープは、同じ場所、同じ時間、それもトラックばかりを狙ったのか。
習性の問題といえばそれまでだろう。が、それだけで片付けるには疑問が残る。
そうしなければならない理由、あるいはどうしてもそうしたい理由が、きっとそこにはある。
負傷した警官を見舞ったついでに警察署へ赴いた彼女は、あの高速道路での事件について資料を提供してもらっていた。
「確かに、トラックを狙った事件はあるけど……」
パラパラと資料をめくり、類似事件についてはあの羊の仕業であったことの確信は得られた。
しかし知りたいのはそれではない。
あの事件が連発する数日前、やはり同じ場所で事故があったという。その時の資料に目を移した時のことだ。
「あ……っ! こ、この事故、詳しく教えてください!」
軽自動車とトラックの接触事故。トラック運転手は居眠りに近い形で、まどろみの中を運転していたという。つまり、トラック側の不注意による、不幸な事故だった。
これにより軽自動車の運転手だった女性は死亡が確認されたが、葬儀の直前、遺体が忽然と姿を消したという。
間違いない。少なくともこの女性が、あの羊の素体になったはずだ。そうでなければ、あの羊が執拗にトラックを狙った理由に説明がつかない。
この接触事故の発生日時、場所も、あの羊が現れた場所、そして時間もほぼピッタリ一致する。
●
茉祐子は警察に頼んで、自動車の貸与期間を延長してもらった。
他の撃退士達は先に帰ってしまったが、茉祐子は一人、日付変更間際の東北自動車道を運転していた。
本来は禁止されていることだが、車のトラブルを装って路肩に停車する。三角表示板も立てた。文句は言われないだろう。
彼女には目的があった。
「……あなたの心だけでも、大切な人たちと共にありますように」
あの接触事故現場。茉祐子はそこの柵に花を括りつけた。
被害者となってしまった女性は、実家への帰省途中だったという。きっと家族の下へ帰りたかっただろう。
そう思うと胸が締め付けられて、いても立ってもいられなかった。
祈りを済ますと、茉祐子は表示板を片付けて車に乗り込む。
午前零時。東北自動車道の追い越し車線を、一台の軽自動車が走り去っていく幻を見た。