●二酸化炭素、熱、振動
暗黒しかなかった。暗黒以外感じる物はなかった。そして、とにかくひもじくて。
ちょっと前までならひもじければ温かくも優しい味がする「何か」を吸わせて貰えた気がする。望めば抱きしめてくれた気もする。でも、その何かはいつの間にか消えてしまった。ひもじい。とにかくひもじい。
首を伸ばしこの飢えを乾きを、満たしてくれる物を求めて辺りを伺う。だが何もいない。
いや‥‥。今、遙か彼方にいくつかの火が灯っているのが見える。ひとつはすぐに遠くへ消えた。だが、こっちに近付いてくる火が見える。とてもとても小さな火だ。あまりに小さい点‥‥。足音も僅かだ。この飢えを満たせる物だろうか。それが何でも構わない。 ‥‥あ。こっちへ大きな火が、近付いてきている。たくさんの火。中でもひとつはその火から離れている。あれ、あれがいい。あれならば吸わせてくれる。吸わせてくれる。あれは、ま、ま。まま、ってなんだろ。もう、なに、も、かんがえ、られ、な‥‥。
「初依頼か。よし、じゃあ。張り切って行こーか」
「高野隊士。局長命令だ。その二本の足でキッチリ帰ってこい!」
討伐に出陣する撃退士の1人、 高野晃司(
ja2733)に部活「一閃組屯所」の局長である獅子堂虎鉄(
ja1375)が声を掛ける。
「皆が万一大怪我したときに、負傷者の離脱の手伝いはさせて貰うが‥‥」
同じく討伐に向かう夜風隼(
ja3961)を見送るのは篠江茅葉(
ja3197)である。
「わしは虫は嫌いじゃが。『仲間』を傷つけた以上許すわけにはいかないね」
もう一つの赤の瞳さえ燃えさかる炎のような金色に染まっていく隼を見て、茅葉は出そうとした言葉を飲み込み、ただ無言で頷いた。
「皆さん、参りましょうか」
山歩き用にセーフティーブーツ、そして軍手と装備をしているがそれでもなお優雅に見えるのは古雅京(
ja0228)である。
京の横に並ぶ池田弘子(
ja0295)は軽く屈伸をするとメタルレガースで宙を切る。
「なに、そんなに心配しなくても大丈夫だよ!」
一際大きな声が冬の山に響き渡る。声の主の名は池田弘子(
ja0295)と言う。サバイバルごっこと称し、幼い頃から路傍の草などを敢えて食してきた彼女には山は庭のようなものに感じるのかも知れない。
「では、早速参りましょうか」
弘子の横で頃合いを見計らったように古雅 京(
ja0228)が探索の開始を告げる。
「それにしてもこうも寒いとラーメン食いてぇ」
囮役を買って出た佐藤としお(
ja2489)が1人前を歩いて行く。
1人で歩く危険はあるにしても相手はどこから襲いかかってくるかもわからないディアボロである以上、囮役は必須とも言えた。当初、小動物を囮にしようかという案も出てはいたのだが、依頼のためとは言えこれ以上命を使う事にためらうと言う意見も出た。
ならば、という事でヒルの苦手な塩などを体に塗ることで奇襲を躊躇させ、その上で皆が一斉に攻撃を仕掛けようという運びになった。また、地形の一部には虎鉄らが落とし穴を掘り、その中に塩も入れておいた。実際の所、落とし穴も塩も効果があるのかはわからない。特に相手はディアボロであり当然透過能力を持っているだろう。
としおは持参した阻霊陣が戦闘時、すぐに出せるかを確認する。
一方、その頃。
「うし、ブレイカーになって始めての仕事だな、暴れまわってやるぜ」
今回の依頼を受けた面々とはやや距離を置き山に入る者がいた。リボルバーを構えながら前に進むのは蔵九月秋(
ja1016)である。
索敵をするにも風下になるようにと風の向きを選び、ロングコートで体熱の漏れを防ぎ、さらには体にも草の臭いをつけるなど慎重を期していた。
「全く、初めての仕事が随分散々なものになったな」
これらの執拗な偽装がヒルごときに何処まで通用するやら、と自嘲のように独り言を言いつつ山の中を進んでいく。ただし、必ず他の撃退士らが確認できる位置でいる事には努めていた。
●奇跡の価値
冬の山とは言え、積雪が少ないのには助かった。これで雪が多ければ撃退士には移動のハンデが生じるのに対し、透過能力を持つ天魔には移動の障害になるものが少なくなる。
黒葛琉(
ja3453)は周囲の気配、異常を探りつつ、リボルバーを取り出し動作を確認すると再びそれを収め、囮役のとしおのやや後方から後を追い続けた。
「暗くなる前に出発できてよかったですね」
行動を共にしている和奏(
ja0396)が聞き取れるか取れないか程の小声で琉に話しかける。琉は無言で頷き、また再び周囲の様子を伺う。
来るとしたらどこから来るのだ?
報告では1m程の大きさとは聞いたが、その後でちょっと調べて見た程度でもヤマビルとは不気味な特徴を持つ生き物であることがわかった。
曰く、血を吸うことで体の10倍まで膨らむことなど。また意外に素早く、人の足などは物ともせず登って血を吸う生き物であること、など。
「落とし穴も効果がないかもな」
少なくとも高さには行動が影響されない生き物ではあるらしい。ならば塩などの効果を期待することになるが、そもそも天魔には毒物は効かない。しかし、なんらかの弱点もあるやもしれない。そんな事を思いながら2人は足を前に進ませる。琉や和奏の遙か前にとしおが独りで進んでいる。晃司と隼は自分から見て左手側方面の位置で警戒に当り、自分らの背後には京と弘子が背後からの敵襲を防いでくれている。
警戒に関してならばできるだけの事はやったはずだ。
琉は、そして皆はそう思っていた。
だがしかし。ひとつだけ、たったひとつだけ視点が欠けていたのである。雪が無くとも真冬の雪山である。相手は人ならぬディアボロであり、ヤマビルの特性を持ち得ている敵であったのだ。どんなに慎重にあるいたとしても、生命が眠りについた山の中でその足音は、その体熱は、そして吐き出す呼吸は。
完全な闇の中で息を潜めて暮しているかのディアボロには火を灯してやってくる人に見えたのかも知れない‥‥。
「佐藤、敵襲!」
山の奥から静寂を破る声が鳴り響いた。
最初、としおにはその意味が理解できなかった。しかしとしおが取ろうとした進路の先に、棒のような「何か」が目に入った気がした。
この時、囮として前に進んでいたとしおと本隊の位置は、距離にして80m程開いていた。独りで戦うような蛮勇をとしおは持ち合わせていない。あるのはどうやればこの敵を確実に倒せるかの手段だけである。選ぶまでもなく、としおは反転し本隊との合流を急いだ。
しかし。全く無音で迫ってくる敵というのは恐ろしい。背中を冷たい汗が流れる。息ぐらいはしているのかも知れないが、この天魔は音を立てることもなく移動ができるのだという事をとしおは理解した。そして、その敵は今、不気味な摩擦音を鳴らしながらとしおに迫って来ている。つまり、食欲という本能に火が点いたのだろう。あるいは音を隠す余裕がないのかもしれない。
「食う気満々ってことか」
金色の光を纏いながらとしお、そしてディアボロは全力で疾走する。もし味方に合流する前に敵の間合いに入ってしまえばとしおは最初の犠牲者になるだけでは済まず、吸血の末にこのディアボロの強化さえもしてしまう。
しかしこのディアボロの移動力は決して低くはないらしい。ふた呼吸目、先手を取られたとしおは、相手が攻撃の距離に入った事を自覚した。遠くより異変に気がつき駆けてくる仲間もその事に気がついた。誰しもあと少し届かない、と思った。だがしかし。ディアボロの動きが僅かにではあるが伸びなかった。
「落とし穴?」
京は一瞬でその理由を見破った。準備期間も短くて決して深い穴では無かったのだがそれでも縦方向に開いた落とし穴は、ディアボロの移動距離を僅かにだけだが削ったのだ。
一瞬、安堵の息を漏らす撃退士たち。
だが。それでもわずかに一呼吸分だけ。足りなかったのである。
「避けろ、佐藤!」
月秋の声が響いた時、としおの腹に突き刺さった物があった。一瞬で地面から這い上がったディアボロの、その口が槍のように刺さっているのを、としおは呆然とみていた。
「一撃で、これですか‥‥」
かの撃退士はよく耐えたなあ、ととしおは感心した。生命力の半分をたった一撃で持って行かれたのを実感できたのだ。この後来るのは吸血攻撃と巻き付き攻撃か。としおは、冷静に自分の生命力がそれには耐えられないことを予測しながら。
それでも、ピストルを構えた。
「やらせませんよ!!!」
山全体に響き渡るような絶叫と同時に、伸びきったディアボロへメタルレガースから放たれたアウルの力が爆撃のように炸裂する。
まさに刹那と言うしかない間であった。
速さに優れると言われたディアボロが、としおに食いつこうとするよりも速く、弘子の拳から放たれたアウルの光輝がディアボロに炸裂した。
そして。まるで時が止った一枚の静止画のようにさえ見えた。
冷静に、あくまで冷静に。沸き上がる黒のアウルに包まれた琉が間合いを慎重に測りトリガーを引く。発射された黒のアウルの弾がまた止った世界の中で破裂する。
再び敵への射線を組み狙撃体勢を取る琉に代り晃司がピストルから弾丸を放つも、ディアボロには僅かに逸れてしまう。
あと一撃でとしおを解放できるのに、と晃司が思ったその時。
まさに吸血をしようとしたディアボロの、その口に向かって一筋の光輝が走った。
和奏の打刀から放たれた閃光が、ディアボロへと一直線に走り、遂にディアボロの口を粉砕したのである。
「佐藤さん!」
としおとディアボロの間に弘子が入り、京はとしおの無事を確認する。
ディアボロの怒りは獲物を取られた弘子と京に向けられた。
「おっと、危ないなあ」
ディアボロが仕掛けた攻撃を完全に見切り、弘子は余裕でそれをかわす。
その背後から金色に輝くアウルの力がディアボロに向かって放たれ、そして爆発した。
「消えろ虫けら、わしの怒りを買った己を呪って死ぬがよい」
光纏は金色。そして頭上に伸びた光はまるで狐の耳のように尖って見える。語気も荒いまま、アウルの力を集めてはその手の中で光球へと変えている。
三方向から包囲され、京が最後の一方を塞ごうとしている動きを察知したディアボロは、この時既に体長が30cmまで縮んでいた。
「待て、逃げるな!」
一瞬の間でアウルを集めた隼が、この時、誰よりも速く反応し、アウルの力の爆撃を命中させるも止めまでには至らなかった。
「甘いんだよ」
咥えていた一本を掃き捨てるのと同時に、最後の一辺を塞いでいた月秋がトリガーを引く。
「さて、トリガーハッピーに逝こうか、クソ野郎」
アウルの力を弾丸として放出されたそれは、ディアボロは、そして粉砕された。
●深い闇の中で
「花束を置きにいかせてください」
大きな負傷を負ったとしおだが、虎鉄や茅葉らサポートからの治療もあり、傷はある程度まで癒えていたが山道は厳しいのでは無いかと言う声に、としおは首を振って向かって行った。同行する者も数名おり、後で傷を負った撃退士にも顛末を報告に行こうかと話す撃退士たちに、ようやく明るい笑顔が戻ってきた。
しかし、時を同じくして。
「君の赤ちゃん、どうやらやられちゃったみたいだよ」
異形の構造を持った建築物の最深部で、ふたつの異形が互いの顔を見ないままで会話をしていた。
女、だろうか。人とは異なる異形なのだが、どこか女性を想わせるシルエットの異形は、もう一体、あるいは人に近い形状のそれに声を掛けられるも無言のままであった。
「僕が、憎いかい?」
ようやく、女らしいそれは口を開く。
「わたしに子供はいません。が、いたとしても随分前に殺されましたから」
あなたによって、と小さくつぶやく。
人型のそれは満足そうに頷くと「もっともっと強くなって、僕を楽しませてくれよ」
女のそれに手を伸ばすと、その形状をぐにゃぐにゃに弄った。
尻尾らしい物が生えてくる。その形状は、まさに。
「この尻尾で吸血と再生の能力と周辺感知が格段に上がったよね」
にこっと笑い、異形は再び深い闇の中に潜っていく。
女らしきそれをただ一人残したままで。