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マスター:火乃寺
シナリオ形態:ショート
難易度:非常に難しい
参加人数:6人
サポート:3人
リプレイ完成日時:2017/07/31


みんなの思い出



オープニング

 紅蓮が灼くは、汝か、我か。

 ドォオオオ…ン――

 施設の何処かが崩落する、遠雷の様な音と振動が届く。
 何故、私はこんな所にいるのだろう。何故、私はこうしているのだろう。
 長く連れ添った相棒とも言うべき、一振りの大太刀を手に。切っ先は常に無く大きく震え、その身を定かにしない。

(…本来なら、疾うに気絶していておかしくないからな)

 敵を前にして、普段ならばありえない行動。得物の柄から左手を離し、自らの左脇腹へと運ぶ。そこに触れるべき物が無かった。私の左腹部は、大きく欠損しているのだ。しかし出血は無い。
傷口は完全に炭化しているのだろう。撃退士である私は、決して弱くは無い。撃退庁勤めの役人というのは、学園卒業生としては並の実力しか身に付けられなかった者が、多く流れる就職先だ。
だが、決してそれらだけではない、相応に歴戦、熟練の生徒もまた、自らの意思で就く。

 仕事は激務、それに比して安月給とは誰も異論を挟むまい。福利厚生は流石公務員扱い、しっかりとしている。が、死生率が高い『現場』だった。相応かと問われれば、私は苦笑を返すしか無いだろう。
 それでも私は、撃退庁という組織に入った。
理由?
単純な事さ、所謂私怨だ。それを晴らす為に、公営の大規模な組織を利用するのが最適だったからね。

 天魔の襲撃が頻発していた初期、私と両親、妹がいる町もまた、その最中に在った。後は物語のように。
父と母は、私達姉妹を結界が完成する寸前に突き飛ばし、外と内に、家族は別たれた。

 保護された先で、私にアウルの適正が見つかると、当然とその力を伸ばす為に学園へ編入した。甲斐あって、私は過分の実力を身に、幾らかの時を置いて宿縁のゲート開放任務へと参加する事が出来た。だが――。

 既に遅過ぎた時間は戻らず、両親はディアボロになっていた。予想はしていたさ。覚悟もしていた。
でも、よりによって私の目の前に出てこなくてもいいだろう?
どうしてか、一目見て判ってしまったよ。無数に襲い掛かってくる只中で、不思議とさ。
殺したくなんて無かった、しかし、私の帰りを待つ妹の為に、両親の成れの果てに殺される訳にも行かなかったのさ。結果なんて、言わずとも知れるだろう?
 妹には言ってないさ。言えるものか。
後はゲートのコアルームにいた悪魔を、皆で寄って集ってなます斬りにしてやったさ。

「お前達さえ…天魔さえ、存在しなければ…っ」

 憎しみは無い。仇は討ったのだから。
残されたのは、身の奥に焦げ付いた忿怒。何故、私達がこんな目に遇う。同じ境遇の者は五萬と居たさ。
不幸だったのは、不遇だったのは私達だけじゃない。そんな事は解っている。

 それでも理不尽だ、不条理だと! この世界に!
人と天魔を区別無く孕む理に! 怒りを抱かずには居られないんだよ!!

『………』

 睨み付ける目差の曩に、天魔が佇んでいる。この研究施設を襲ってきた悪魔。紅の頭髪、その則頭部から拗れた角が一対、前方に向かって伸びている。眸は金の獣眼。浅黒い肌に、躰の線にフィットした黒革の軽装を纏い、左腕に奇妙に大型の篭手を着け、右手にする穂先から石突まで万遍無き、漆黒の斧槍(ハルバード)。

「あああ゛あ゛ぁああああああ――ッ!」
『――チッ』

 正直、この躰が未だ動くとは思っていなかった。ただ、凝っていた忿怒を声に載せたら、不思議と動いてくれた。
 死線を越えた死線の果てに、刃は生涯最高の速度と正確さで奔り――私の視界はくるくると回り、巡り、落ちてい……。


 振りぬいた斧刃を見やり、残心を解く。背後で重い物が倒れる気配。この建物内の最後の生存者を屠った悪魔――イドは視線を巡らせ、高い天井を舞う物体の落下点へと腕を伸ばす。
 軽い手応えと共に載せたそれは、不思議と穏やかな表情で。或いは――咎人の末路の安堵か。

『テメエらの都合ナンゾ、知った事かヨ』

 紅蓮の魔力がそれを包み、消し炭も残さず焼失させる。
 ここに彼の求める物は無かった。ならば最後の場所に向かわなくてはならない。

『まだ死ぬなヨ、クソババア。俺は、まだ一発もテメエを殴れてネェンだからナ』


「ふむ、なかなか順調に運んだようだね。いや実に結構」
 二つの研究施設の被害報告。デスクのPCにて、それらを参照した男は呟く。
 撃退庁属、第647生態医療研究所――は表の看板。実態は表沙汰に出来ない伝手で確保したサンプル…死病に罹患した天魔を、生きながら腑分けし、研究する方面に特化した人類の暗部とも言うべき部署の一つ。
彼は先だって襲撃され、生き残り無く壊滅させられた二つの研究所を含んで統括していた責任者だった。

「同盟とやらが必要だったのは解るが、お陰で私の様に日陰の住人は、足跡消しに大わらわだ」
 針金の様な印象を与える、細身の男の年の頃は四十過ぎ位か。白衣を纏い、清潔なシャツとスラックス。銀縁の丸めがねにスクリーンを映しながら肩を竦める。
『くすくす…♪ 折角お互いの利になる取引相手だったのに、残念ね♪』

 執務室と思われる、個性の無い無機質な一室。所長室と定められた部屋、デスクの正面で向かい合う応接ソファの一方に、背凭れにしな垂れる少女は楽しげに喉を鳴らす。

「共存路線となって、一部の研究…その過程と内容はとても公表は出来なかったのだが。まあ、“天魔の襲撃で施設ごと焼失してしまっては仕方無い”さ」
『不幸な事故だもの、ね♪』
「まったく、遺憾の極みだ。所属研究員と警備に就いていた者の遺族に、しっかり補償せねばなるまい。私の財布からではないが」
 どちらも人の姿をした、種族の違う二匹の“悪魔”が、嗤い合う。
『後はここだけなのかしら?』
「うむ。残してあるのは『彼』への餞くらいだな。既に虫の息だが…会っていくかね?」
『ふふ、やめておくわ。観劇は手が届かない席から娯しむ物よ。それに…役者も揃ったようだし、ね?』

 唐突に鳴り響くECに、デスクの通信端末が震える。
「どうした?」
《当該施設に、急速接近する高魔力反応を感知しました、所長。対象パターンから、事前予測固体と確認。如何しますか?》
「例の準備は?」
《万端に。また学園より派遣された学生等も、所定の位置についております》
「結構。ではサンプル採集でも始めようか。大人しく生け捕りになってはくれそうにないがね」
《では対象固体名“イド”、想定プランDにより対処致します》
「任せる」

 山陰の山奥、山麓を掘り下げて建造された研究施設に、衝撃が襲い掛かる。対物魔結界が砕け散り、内部に侵入した標的が、警備の撃退士を蹴散らしながら侵攻する様が切り替わったスクリーンに映し出される。

「さて、全て部下任せともいかん。一応責任者の振り位はしてくるよ」
『ええ、さようなら。もう会う事は無いでしょうね』
 歩き出した男は、背後を顧みる事無く片手を上げ、扉より姿を消す。少女は応接卓子に用意されたティーカップを持ち上げ、傾け、中身の液体で卓上を染めていく。
『親愛、友情、共栄共存…いつも耳障りのいい言葉で、人間は都合を切り替えるのよ。移り気だった貴方に私の呪いは効かなかった――でも。一つの情念に突き動かされる今の貴方になら、どうかしらね?』



リプレイ本文


 爆音と共に、待ち構える撃退士達の正面の壁が設置してあった扉ごと吹き飛ぶ。その破片を内部へとばら撒かれ。舞い上がる粉塵の中に透かし見る影は、紅蓮のアウルを纏い実験エリアへと踏み込む。

 その刹那、振るう刃は月白のオーラを刀身と伸ばし、軌跡は霧虹の如く揺らめきを残す。

『…また新手か、鬱陶しいンだよ』
 左腕に挿頭した赤光の幾何学模様を走らせる黒篭手で受け止め、砕け散るアウルの残滓を苛立たしげに見やり、悪魔が舌を打つ。

(不意を打っても対応してくるか)
振りぬいた片刃反身の大剣を残心に、先手の一撃を放ちたるは一行で尤も小柄な青年、久遠 仁刀(ja2464)。防がれたのは純粋に、相手の技量の高さゆえ。
(だが、今更何故暴虐を働く? 既に天魔人は同盟の下にあるというのに)
 戦意を引き締める彼の疑念に、答えは見えず。

現れた魔の背後に続く通路に倒れ伏し、或いは壁に減り込む誘導担った者達の骸。彼らは身を賭して、与えられた役目を全うした。或いは、隔意ゆえにやり遂げたのか。
それを目に微かに眉を顰め、逡巡を振り切る様に六道 鈴音(ja4192)は、阻霊符を発動させながら声を上げる。
「ひさしぶりじゃない、イド。今日こそ決着をつけるわよ!」
『……』
「ちょっと!なんとか言いなさいよ!」
 まったく反応を見せない、見知った筈の悪魔に指差し、声を荒げる。これにようやくイドは彼女へと顔を向け、一瞬交差する視線。
(…? 何、今の)
“まるで初めて会ったつまらない物を見る様な”目差は。奇妙な気色悪さを彼女に残す。

『雑魚共に用はネェ! 退きヤガレッ!』
 圧する咆哮と同時、ドーム内に紅蓮の魔が奔る。対して飛び出す、赤より青へ揺らめく光纏。
「舐めた態度を取ったいつぞやの侘びだ…」
 両影狭まる中、微かな懐旧の念と共に、君田 夢野(ja0561)は黒峰赤刃の片刃大剣を合わせる様に振り抜き。
突進の勢いを乗せ、横薙ぐ黒き斧槍が大気を割る。

「が――ッ、流石にお前の一撃は響くなァ!」
 ぶつかり合うも、刃上に沿って展開された無音の歪みが打音を掻き消し。辛うじて斜め上へと受け流すも、殺し切れぬ一部の衝撃に片膝を付き、体が流れる。
 追撃が来る、そう身構えた夢野だが、まるでもう用は無いかの如くイドは彼の傍をすり抜けんとする。

 その眼前に迫り来る、紅蓮と漆黒を束ねる炎の魔弾。放つは霊符を構える鈴音。
咄嗟に足を止め、斧槍がそれを打ち払い。反撃は紅焔の大蛇と成って襲い掛かる。
「そう来ると思ったわ!」
横っ飛びに避ける鈴音の脇に着弾した炎が床を溶かし抉り、巧く避けられた安堵に彼女は冷や汗を拭う。
(ぎ、ぎりぎりだった…)
これにより得られた間に、体勢を整え再び立ち塞がる夢野。

『邪魔を――ッ』
 忿怒に染まる眼を鈴音に殺気を叩きつけた悪魔に、横手から光弾が襲う。
「しない訳には行かないさ」
 様子を窺う様にドーム壁際に寄りかかっていた筈のアスハ・A・R(ja8432)。彼の手に、いつ握られたのか白銀の魔銃を構え、悪魔を照準に捉えながら嘯く。
「して、どちらにつくのかな、アトリお嬢様?」

 漆黒の刀身を未だ鞘にする大太刀。その柄に手を掛けたまま、黒のセーラーを纏った鬼無里 鴉鳥(ja7179)は、揶揄を含んだアスハの声にピクリと瞼を震わせ、努めて無視をする。
「汝は…斯様な場に、何用で訪れた?」
 焦躁と、疑念と。内心に押し隠し、平常の声音で問う。だが彼は、嘗て情を交わした事もある彼女に対し、敵意と殺気のみを叩きつける。
(…っ。一体、どうしたのだイド!? 私を、この紅葉を忘れたとでも言うのか!)
 仮初めかもしれねど、一度は通じ合えた筈のイドの応えに、鴉鳥は言い知れぬ不穏を噛み殺すように唇を咀む。

(焦燥り、か?)
 悪魔と、それを囲む仲間達をファーフナー(jb7826)の冷ややかな眸が、静かに観察する。様々な経験を畜え、老熟したマフィアの如き雰囲気を纏う彼の目にして、掛けられる言葉に悪魔が見せるのは、邪魔者への厭いと怒り。
(特定の固体が研究施設のみを連続で襲い、しかし目的は不明。にも拘らず、待ち構える様に強化された警備。襲撃されて当然の如く用意された結界術…)
 しかも倒せる事を前提にして、死体のサンプル供出の要望。生態医療の研究所ならば、無くは無い話かもしれないが。
(まるで、誂えた様な流れ――不自然な)


 撃退士達それぞれの疑念や想い。
 それらに答える事も無く、紅蓮の暴虐が突き進む。都度掛けられる言葉に、しかし返るは刃と炎。

 イドの正面に相対し、後退しつつも耐え忍ぶ夢野。嘗て幾度、目の前の悪魔と刃を交わし、その技と術を目にして来た彼たればこそ、それが可能だった。
 同時にイドにとっても、彼の太刀筋は読み易く、脅威とはなり難い。
 開戦からイドに尤も警戒を与えたのは、仁刀の一撃。光と闇の混在する混沌の技はルインズの奥義。夢野に気を取られたイドに、思わぬ深手を負わせる。

『ガッ!? この、クソチビがァ!!』
「くっ!」
 足元から爆発したように襲い来る反撃の炎蛇に飲み込まれ、仁刀が咄嗟に後退する。その空隙を埋め放たれるアスハの銃撃。
 側面から鞘走る、鴉鳥の刹那の抜刀術。鈴音による魔術の炎弾。

 だが、それらを無造作に切り払い、或いは致命に成らぬ技は受けるがまま、ただ我武者羅に突破しようとする悪魔の姿勢に、幾許かでも彼を知る撃退士らは疑念を深めていく。

(何か変だ。今までのイドだったら闘争を、戦いをもっと楽しんでいたのに)
 鈴音は幾度も魔術で矛を交え、時に煮え湯を飲まされてきた故に。

「私の目を見て話せ莫迦者が。汝が「俺のモノ」という女は話の分からぬ阿呆であったか!?」
 鴉鳥は二人で交わした言葉を、想いを抱くが故に。

 聖白の歌気を流す大刃が下段より切り上げる。咄嗟に柄で受け止め、僅かに浮き上がるイドの体躯。踏ん張りの利かぬそこに、仲間の一撃が叩き込まれ、悪魔は苛立たしげに呻る。

 一合、一合と打ち鳴らす槍と剣の戟。時に己が囮となり、時に仲間の作った隙に。飛び交う魔術と、銃撃の輪舞。

 世界が平和へと歩みゆく中に、尚も闘争に在る紅き魔の姿は――夢野に戦の時代の残響を想わせる。
「イド、俺は戦いをやめる」
 だから口に突いて出たのかも知れない。そんな言葉が。刃の応酬は止まらない。相手に聞こえているかも定かでもない中で。

「恐らく、お前にそれは叶わないのだろう。ならば俺達は袂を別つ運命だ」
 反撃に放たれる紅焔を受け止めながら床を蹴り、身を退く間隙に仲間の追撃が打ち込まれ、イドの躰を揺らす。得られた間に、口遊む調べはアウルを乗せ、負った傷を幾らか癒して行く。
「世界は闘争から離れゆく。そうなれば、お前は…何処へ行く?」
 血と肉と、武と魔の時代から、何処へと。

 だが、やがてイドの攻勢は撃退士の陣容を圧倒し始める。元々、彼は相手に合わせて戦闘力を可変して『娯しむ』癖があった。それが今回は始めから全力戦闘。地力の違いが、明確に現れていく。
 撃退士達の刃を斧槍で、時に拳や蹴りで叩き伏せ、銃弾を、魔術を切り払い、受け弾く。

「があっ!?」
「ぐぅぅっ!」
「……っ」
 召還されるマグマの奔流が、夢野を、仁刀を、鴉鳥を吹き飛ばし、床に叩きつける。
「…これほどかっ」
 立て続けに射ち放つアスハの魔銃の光弾を回転させる斧槍の柄が弾き飛ばし、床を蹴り砕かんばかりの踏み込みでイドは鈴音の眼前に迫る。振り上げられた斧刃は頂点に達し、彼女の脳天に振り下ろされる!
「イド、あんたその目!?」
 そして気づく。見上げる悪魔の両の眼、黄金の獣眼だった筈のそれが、翡翠を思わせる輝きを宿している事に。鈴音はこれと良く似たアウルの輝きを知っている。翠の魔女と呼ばれる、少女の姿をした悪魔の魔力を。



 キィィ――ン
 避けえぬ一撃の下に、瞠目する鈴音の眼前。
 一人の男の背が、彼女の前に立つ。天地万象の霊気を集わせ、銛のような形状の黒き魔槍を掲げる男。イドの一撃を受け止めるファーフナー。
「何とか間に合ったか」
 総ゆる攻撃を完全に阻む障壁を纏う、アカシックの奥義を用いて庇ってくれた事に気づき、思わず止まっていた呼気を安堵と共に吐き出し、鈴音は一度大きく跳び退る。
「し、死ぬかと思ったぁ…。ありがとう、ファーフナーさん!」
「構わんさ。――さて、坊主。時間だ」
 小さく肩を竦め、彼は受け止めた魔槍を跳ね上げる。
 手加減無しの一撃を完全に受けられ、イドもまた彼への警戒を引き上げ、数歩引き下がり構え直す。
『時間? 何をイッテ…』

 悪魔が疑問を口にするとほぼ同時に、実験エリアは一つの結界によって包み込まれていた。
『ナンだこ…ぐぅ、あ、こいつ、は?』
 突然、これまで感じた事も無い凄まじい倦怠感にも似た感覚に全身を侵され、イドは蹈鞴を踏んで蹌踉めく。
『何を、しやがった…テメェ!?』
「俺じゃないさ。だがそうだな…これが不可解の最たるものだ」
 様子の変わったイドに対峙し、油断失く魔槍を構えながら、周囲を覆う不自然な魔力の流れをファーフナーは感じていた。

「これが聞いていた結界? すごい!……なんてものじゃない、何これ、複雑すぎて訳が分からない!?」
 魔術師の端くれとして、相応の境地に至る彼女にして、無意識に感知した結界の術式の異様な構成に頭痛と吐き気を催し、咄嗟に感覚を切り離す。
(これ、人に組める物じゃない! 何が研究の成果よ、あの大嘘つき!)
 事が済んだら、あの時答えた所員を問い詰めると心に誓い、鈴音は魔力を練り上げる。


『クソ、がっ! 時間が、時間がネェンだ…退け!』
 突き出される穂先が狙うのは、最も的が大きいファーフナーの体幹。繰り出される二連檄は、しかし先と比べるまでも無く、遅く見えた。
「なる程、大した効果だ。これなら俺でも何とか受けられる」
 受け止め、搦め取り。手にした魔槍から突如と噴出した無数の茨が、イドの身に突き刺さると同時に何かを注ぎ込む。

『かっ、今更毒ナンゾに…けふっ、ナンで消えネェ?!』
 結界が減衰させたのは身体能力だけではない、その抵抗力も半減していた。故にいつもなら一瞬で掻き消せる筈の毒すら、今のイドには厄介だった。
 身を蝕み始めるそれに、じりじりと生命を削られ始める。その上、対しているのはファーフナーだけではない。

「そのまま動くな」
 白の輝きを纏う直刀に持ち替えたアスハの声が響く。悪魔の周囲の空間を切裂いて湧き出す、無数の不気味な腕が絡みつき、イドを捕らえていく。
『俺がッ、こんなモノに…!』
 抗い、力任せに拘束を振り払おうとするイドと拮抗し、ぎちぎちと輾みを上げる腕。

「イド…汝は、この奥だけに意識を向けていたな。一体、何を求めて斯様な真似をした?」
 魂魄の力を以って応急で傷を塞いで戻ってきた鴉鳥が、静かに問いかける。
『…誰だ、テメェは?』
「なっ!?」
 しかし、返って来たのは無情の言葉。驚愕に目を見開き、マフラーの下で唇を戦慄かせて、ふらりと後ずさる鴉鳥。
「落ち着いてイドの目を見て、鴉鳥さん。多分、になるけど…ディルキスの奴に何かされてる」
「……! その色は…そうか、そう云うことか――あの女!!」
「落ち着け、アトリお嬢様。今の顔を見せたら、百年の恋も冷めるぞ」
「っ…うぅ」
 鈴音に諭され、イドの様子を検めて激昂し、いつの間にか隣に来ていたアスハの声にハッとして顔をマフラーに隠す。
 そこに夢野と仁刀も戻り、ほぼ同時にイドは腕の拘束から抜け出す。そして再び対峙する、人と、魔と。

『テメェらが誰かは知らネェ…悪魔を憎んでいようが、怨んでいようが、ソイツも構わネェ』
 ギリ…と、人より鋭い歯並びを噛み締め、イドが言葉を搾り出す。彼は人の所業に嫌悪を抱いても、それだけで忌避をするつもりは無かった。
 彼の同属達は、それ以上の外道、非道を時に人へと与えていたのを知っている。態々、それを止め様と考えた事も無い。
 だから業が反って来たとしても、納得すらしていた。
 それでも、息子として母を見捨てる事など出来はしない。母を切り刻まれて、怒りを覚えないほど淡い絆ではない。
顔を会わせば、心無い言葉を言い合う母子であったとしても。
『俺の体に何が起きたのかもワカラネェ。それでも、此処で退く訳にはいかネェンだよ!!』
 覚悟を乗せ、吼える悪魔。いつもなら、逃げ時を見失ったりはしない。戦いこそが生きる糧だと、楽しげに嘯く男は、ここには居ない。

 在るのは、人と、悪魔の悪意に踊らされる、母の身を案じる――唯の息子。


 イドの槍檄を受け止め、しかし夢野の胸中には空しさが揺れる。
(こんなに軽くなっちまうのか、お前の一撃が。確かに、これなら倒せるだろうが…)
 能力が半減しても、尚膨大な生命力を、致命傷を与えぬよう加減しながら仁刀が、鴉鳥が斬檄を重ねて行く。
(必ず、必ず思い出させてやる。『お前の女』は、執拗く諦めが悪いのだからな)
(何をされたのかは分からないが…或いは鴉鳥の事を“知っていた”からこそ、か?)
 アスハの生成した氷刃がイドを凍りつかせ、それが溶けても、今度はファーフナーの手に生じる雷撃に囚われ、痲痺する躰。

「どうすれば元に戻るか分からないけど…今は、大人しくさせる!」
 動きの取れなくなった悪魔の足元に刻まれる七星の陣。標的から仲間を除外し、転移した背後で練り上げた魔力を解き放つ!



 ドームを染め上げた白光の渦が収まり、起点に倒れ伏す人影。ピクリとも動かぬそれに、最悪を思い浮かべて鴉鳥が駆け寄る。
「…ッ、生きている。よか…った」
「む、まだ毒が残っているようだ。…これでいい」
 状態を確かめたファーフナーが、未だ効果を残す毒に気づいて、イドの躰に刻印を刻む。
 高められた抵抗力が、ようやく彼の身から魔毒を除去していった。
 実の所、この毒がイドの生命の半分近くを侵したのだから、状態異常というのは嵌まる状況では決して侮れる物ではない。
 更に言えば、毒を解除しなかった場合、イドは死んでいた。アフターケアは大事である。

 画して、紅蓮の悪魔は撃退士達の虜となり――

『あら、結局止めは刺さないのかしら? 正義の味方さん達が、依頼人を裏切っていいのかしら? クスクス♪』

「「「「「「!!」」」」」」

 虚空に響き渡る、鈴を鳴らすような、幼くも甘い声音。
『そう警戒しないで頂戴な。第一幕としては、これはこれで楽しめたもの♪ 私は次の演目を見に行くわ』
 姿無き魔女の気配が遠のいていく。
『ああ、でも。そろそろ、外の様子を確かめた方がいいわよ?』


 ――舞台は、第二幕へと進む。


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: Blue Sphere Ballad・君田 夢野(ja0561)
 されど、朝は来る・ファーフナー(jb7826)
重体: −
面白かった!:5人

Blue Sphere Ballad・
君田 夢野(ja0561)

卒業 男 ルインズブレイド
撃退士・
久遠 仁刀(ja2464)

卒業 男 ルインズブレイド
闇の戦慄(自称)・
六道 鈴音(ja4192)

大学部5年7組 女 ダアト
斬天の剣士・
鬼無里 鴉鳥(ja7179)

大学部2年4組 女 ルインズブレイド
蒼を継ぐ魔術師・
アスハ・A・R(ja8432)

卒業 男 ダアト
されど、朝は来る・
ファーフナー(jb7826)

大学部5年5組 男 アカシックレコーダー:タイプA