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夜間にまで、巡回と聞き込みを続けて見たが、やはり芳しい情報は得られない。
流石に夜も更け、一旦ベースである警察署に戻る道すがら。
「ほんま明るいなぁ、歩きやすうて助かるわー♪」
気落ちする皆の雰囲気を和らげようと、亀山 淳紅(
ja2261)が声を上げる。
(手がかりは無し。詰まらないね)
空を見上げ、アリーセ・ファウスト(
ja8008)は目を細める。せめてもの救いは、月が見た事もないくらい綺麗な事だけだと。
「だいじょうぶ、きっと手がかりはみつかります」
矢野 胡桃(
ja2617)は、年相応の無邪気さで意気込む。だが、どこか完全に重なり合わない『剥離感』を伴う様で。
「夜の調査は始めたばかりだよ。きっと何か見つかるって!」
こちらは天真爛漫に、鴉女 絢(
jb2708)が相づち。今日回った場所を指折り確認し始める。
(悪魔なら魂を奪う筈ですし…、昏睡と精神の衰弱…天界の関与、でしょうか)
僅かに首肯するユングフラウ(
jb7830)は白麗とした面に思慮を浮かべ。腰まで流れる蒼い髪が、清廉とした月の輝きに妖しく輝く。
(昏睡する被害者、か。何を見ているんだろうな)
昏睡とは、いうなれば深い睡眠と言える。なら夢の一つも見ているのかもしれない。そんな事を考えながら、月野 現(
jb7023)は最後尾を歩いていた。
その時、耳に届く微かな――
(音楽…?)
念の為に張り巡らしていた生命探知に掛かるのは、せいぜい夜の羽虫や野良動物くらいだが。
「…何か聴こえませんか?」
「ん?…へぇ、綺麗な曲やな」
問いかけられ、それに気付いた淳紅が
リイイイイィィ――ッ!
頷きかけた瞬間、突如激しい耳鳴りを感じ、皆が表情を歪める。
「何だ、この異様な気配はっ!」
叫ぶ現。それを見下ろし、月が輝く。煌く。赫く――そして全てが精白の光に。
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「……」
見覚えのある寝室。ふと隣に目を移すと、『彼』がいた。
何故、いつから、どういう経緯で。常時なら当然浮かび上がる筈の疑問も、今は抱かない。
愛おしさと嬉しさの綯交ぜに頬を染め、胡桃はそっと彼の頬に両の手を伸ばす。桃から銀へと流れ移る色彩が、彼の胸に滑り落ちていく。
彼女の涙と共に。
「…大好き、愛してる…だから」
彼の喉下、無防備に晒されたそこに、両掌が辷り込む。徐々に加わっていく力と――殺意。
「ごめん、ね?『―――』」
『彼』の名を、甘く睦ぎ。少女は唇を寄せる。
“いつか、貴方に置いて行かれる位なら。貴方を、殺して。そして永遠に、私だけのものにする”
喘ぎ、彼の動きが徐々に緩慢になって。少女の腕を掴んでい腕から、はたりと力が抜け。痙攣を、慈しむ様な瞳で見守る。
――どれ位、そうしていたろう。
熱が、命が、胡桃の腕を通して流れ込んでくる時間。冷たくなった彼の器を、ぎゅっと抱きしめる。大切な物を掻き抱く、幼子の如く。
「これでずっと…一緒、だよ……?」
壊れた“独占(あい)”の中…いつまでも――。
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はっと見回せば、先ほどまでの街路とはうって変わって。
(なんや!?)
慌てて身体ごと振り向こうとして、足元に粘りつく感触を覚える。
「っっ!?」
瞠目する瞳。一面、血の海。赤黒い水面に、自分の動きが立てた波紋が広がっていく。――否。
『…ィタイ…クルシィイィ…』
「う、あ、ぁ」
竦む躰。水面から次々に浮かび上がる、血塗れの容、顔、顔。伴う無数の腕が伸び、淳紅の足を、腰を、腕を、肩を捕らえる。
――どうして助けてくれなかった?――何故私を死なせたの?――どうして? 何故? どうして? 何故?
「……」
見覚えのある顔、ない顔…嘗て助けられなかった人々の怨嗟。縋りつく手に手に、いつの間にか鋭利な刃物を持ち、淳紅の身体に突き立てて来る。
「…ごめん、ごめんな」
彼は笑っていた。身を、魂を劈く痛みの中で笑いながら涙を流す。何処か幸せそうに。
「でも…」
瞑目、そして再び開かれる瞳…そこにあったのは、見覚えのない通り。文字通り幻の如く、怨嗟の情景は消え去っていた。
「まだ、赦される訳にはいかんのや」
己に言い聞かせ。踏み出すその先に、一つのビル。その上から、心を撫でるような旋律が流れ落ちていた。
●
「こんばんは。えーと」
ビルの屋上。相手は自分の気配を感じていた筈。そこにいた少年は、彼に顔を向け微笑んだ。
『こんばんは、おにーさん』
会話が途切れる、その間も、演奏は留まる事無く。
「…月が綺麗な夜やね?」
『うん、そうだね。こういう夜は、良く音が伸びるんだ。だから好きさ』
腰掛けた屋上の辺で、再び眼下の町に視線を戻し、爪弾き続ける。
先に見た幻――否、夢?
それを越えた先で耳にした旋律。魔術師である淳紅には、それに魔力が込められていると識る。
「よければ自分も月夜の演奏会、ご一緒しても?」
だが、問質す前に口をついたのは、その言葉。
『…楽器は何も持ってないみたいだけど?』
「自分には、これがあるん」
軽く一息、夜気を吸い。淳紅の唇から流れ出す。
『竪琴弾き…ピアノ曲か…できるかな』
選曲の意図に少年は可笑しそうに笑い、歌声に合わせて旋律をなぞり始めた――。
●
「…おや」
気がつけば学園。だがそれは当然の事だ。日常の風景なのだから。
トランプの騎士が、アリーセを巡り争う。決着がつく前に、彼女はバスに乗っていた。
よく知った、見知らぬ街。流れる風景の中に蠢く、異形の影。長く伸び、建物にへばりつく物。足元を転がる歪な石。
正門に辿り着くと、遠く時計塔の上から何かが飛び降りた。
「…卵?」
それは屋上に落ちたらしい。どうなったかは彼女からは見えないが、普通ならば割れた筈だ。そう、普通なら。
「箱の中の猫は如何に、かな?」
楽しげにアリーセは歩き出す。よく見知った、知らない大学部棟には、知った顔が知らない声で、彼女の事を識っている。彼女は識らない相手に親しげに、世間話を交わす。
別れを言い合い、階段を上る。一段、また一段と色が替わる、形が変わる。
「世を識らない動かぬ女王。ボクはそんなのはごめんだね。故に進もう、盤上を前に、女王より先へ」
やがて見える屋上の扉。ノブを掴み――照らす月の下へと。
流れる弦の旋律、共に響きあう歌声。だがそこに居るのは一人の少年。
「ああ…こんばんは、シュライヤくん。逢いたかったよ。月が綺麗だね」
『アリスも来たんだね。…まいったなぁ、腕が鈍ったかな?』
微苦笑を浮かべながら。その声音は何処か楽しげに。
『何を見たの、アリスは?』
「色々だよ。だけど、先ずはゆっくりと“君達”の演奏を聞いてからにしよう」
僅かに頭を振り、舞う銀糸の連なり。瞳を閉じて、また開く。
どこかの屋上だろう、歌う淳紅の姿が目に映る。その傍らで竪琴を抱く少年と視線を合わせ。
適当な辺に手巾をしいて、そこに腰を下ろし。月夜の協奏に、暫し聞き入る。
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(あれ、なんで? 生きてた、の?)
一瞬の疑念。次の瞬間には、それを抱いた事すら“なかった事”。
見覚えのある背中、『あの人』が振り向く。
「ただいま!」
自然とそう口にして、絢は『彼』に飛び込む。振り向き、柔らかく抱きとめてくれる『腕』。あの頃のまま、あの頃の温もり。
「好き…よかったぁ…好きだよ」
何がよかったのか、分からないままに口走る。本来は『もういないヒト』。だから。
「あのね!色んな事があったんだよ、色んな、本当に色んな!」
せがむ様に腕を絡め、まるで恋人のように道を歩く。やがて見える『彼の家』。
「どうぞ、召し上がれ♪」
彼の為に料理を作り、おいしいと言って貰えれば、それが嬉しくて。交互にお風呂に入って、先に上がった絢が布団を準備する。
やがて何時ものように、二人並んで緩やかな、煖かな微睡みに抱かれて。
(私、幸せだよ…、ずっと…いつまでも…)
繰り返す幸せな世界。二度と戻らない物であれば、あるほどに――深く、嵌り邁く。
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家族。
それは夢だ。残酷な、絶望を見る世界の。
一方で、それは幸福だ。在り得なかった日々を幾度夢想したかしれない、満たされた時間。
温く、微睡むような世界の中で、重い瞼を必死に閉じないように。現は、必死に意志力を振り絞る。
「…これは夢だ。もう覆らない現実を、俺は知っている。そして、受け入れたんだ」
差し伸べられる事のなかった、救いの手を。求める事は、もう止めた。そうして自身の力で足掻き続けると決めたのだ。
開かれた瞳に、刻まれる刻印。
術式とは意志力によって行使される、ならば夢の中であろうと、その意思あらば――
「失せろ!こんな術に屈するような心は、もう捨てたんだ!」
瞳の中に刻まれた刻印が、更に輝きを増す。その視線の先から、切り裂かれるように世界が――解れる。
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「あぁ…」
私は、『あの方』の腕の中に居たいと。それだけで満たされと。縋ってしまっていた。
自らの弱さを誤魔化す為の、代償行為だと無意識に理解していても。甘美な誘惑は、彼女を幾度と“堕落”させる。
戦場に付き従えば、持てる全ての権能を、あの方の敵を滅ぼす為だけに。あの方が護りたいと希うなら、この身に幾度刃突き立てられようと、臆しはしない。
そうして…あの方の心を、向けて貰う。
『よく頑張った』と、『大丈夫か?』と。その度に、心が震える。歓喜に、爛れるように甘い…疼きに。
共に帰る『家』で。
共に入る閨で――薄布一枚のユングフラウの姿に、たじろぐ彼。その隣に腰を下ろし、しなだれ掛かる。甘い雌の匂いを振りまき、布越しの柔らかな肉を密着させる。
『ふふ…もう、こんなに…』
彼の腕を自ら胸元へと誘う。そうしながらも、片手は晴れ上がった彼の『モノ』へとあやす様に、伸ばす。
『お願いします、私の全てを…奪って…貴方の物、に』
言い切る前に、『彼』に押し倒される。喜び、悦び、満たされる『欲望』。
『ああっ!っ、はぁ、あ、ぅう…!』
『欲望』の肯定もまた『幸福』には違いない。それが『逃避の涯』であったとしても――。
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「っ…ここ、は?」
流れる歌声。踏み出したのは、見慣れたコンクリートの床面。
「!? ファウストさん…亀山さんも!一体何をして…」
「どうやら抜け出せたのは君で最後かな? まあ、落ち着きたまえよ」
「何を…、そこにいるのは?」
淳紅と少年の協奏は終盤に差し掛かり、切なく響き渡る音律が、月夜を震わせる。
「彼の名はシュライヤ…確か、使徒だったかな?」
現の反応を面白がるように首を傾げるアリーセに、
「使徒、だって!?ならこの事件の元凶じゃないのか!」
咄嗟にヒヒイロカネを活性化、現の手に具現化する銀の自動式拳銃。
「やれやれ。今動くと」
呆れたようなアリーセの声に、
『死ぬ?死んじゃう?死にたいの?殺してあげるよ♪』
(なっ?!)
瞬間、全身の筋肉が硬直する。
(…何か、居る!?)
「アレだよ」
膨大な、魔力の発生源。アリーセは、頤を外らして夜空を見上げる。現も視線だけを動かして、それを追う。
『ふ〜ん、アタシの事、見えるの? ネクサル、見えてるよコイツら〜』
『そりゃあそうだろう。でなければ、此処迄だってこれんさ』
しゅっ、と僅かな摩擦音と共に、演奏を終えたシュライヤの傍らに現れる人影。
「…うえっ!?」
同時に歌い終えた淳紅もまた、『彼女』を視界に入れて、一瞬硬直した。…色々と『見えすぎて』いたから。
「隣の…露出の激しい彼女はどちら様かな?」
アリーセは面白がる様に視線を投げ、少年に問いかける。
『僕の、マスターだよ。自称“研究者”らしいんだけど、ね』
何か含む所があるのか、微苦笑して答える。
「なるほど…ところで」
『ん?』
「そんな格好をした研究者は、極々少数だとボクは思う。所謂、変態に分類されるよ」
『あー…うん、やっぱり』
『何だねその視線は。疼くではないかもっと見てくれ』
何故か頬を染めて身をくねらせる主に、少年は何処か疲れた溜め息を、長く吐き出すのだった。
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そうして対峙する両陣。
淳紅、アリーセ、そして現。その向かいには、少年と、白衣一枚で惜しげもなく裸身を覗かせる肌黒の女。そして。
『ねーねー、つまんない〜。そいつら殺そうよ〜』
『ダメだといっている。せっかく得られたデータの検証が出来なくなるではないか』
『ちぇー』
ふわりと降りてくる光輝。直視するのも困難な輝きが薄れ、その内から染み出すように、三対の翼を具えた小柄な少女が現れる。
『先ずは協力に感謝するよ。君達にその意図はなかったろうがね』
にやにやとコンソールを眺めながら、女が口を開く。
「協力、やて?」
視線を微妙に外らし、淳紅が訝しげに声を上げ。その最中、掌に隠した携帯が小さく音を立てる。
『…』
一瞬、視線を向ける使徒だが、何も言わず。
「どんな内容かは、教えてくれないのだろうね」
『勿論だよ。私としては是非発表したいのだが、それヤルと』
隣の少女を指差す。
『殺されかねんのでね』
『私は殺したくないんだけどね〜。そゆー命令!だから♪』
(女が名をネクサル、天使?…命令…?)
あっけらかんと語る少女と女の言質から、有用と思われる情報を切り取る現。
「そっちの都合が話せんのは分かったけど」
勝手に喋り捲りそうな二人の会話に、淳紅が割り込む。
「今迄の犠牲者も、自分らやろ? 治し方、教えてくれへん?」
駄目元だと思うが、これだけは聞いて置かなければならない情報だ。
『あ〜』
『なんだ、簡単だよ?』
その問いに、ネクサルは微妙な表情を浮かべる。対して少女は、心底嬉しげに、
『私を殺せばいいの♪ 術者が死なないと、普通は解けない術だからね!』
ぱたぱたと忙しなく背中の羽根を動かしながら、腕をぶんぶん振り回す。
『じゃ、やる?殺りあっちゃう!?』
『止めろというに』
少女の後ろから、その首に文字通り首輪を装けたネクサルが思い切りそれを引っ張った。
『やーん、これ嫌いぃ!』
『お前に暴れられたら、こっちまで危ないからな』
頬を膨らませて抗議する少女を引き摺るように、女が下がって行く。それを護るように、少年が撃退士との間に位置取る。
『追ってこない方がいいよ。あの人、あんなだけど強いから』
「…くっ」
歯噛みしながらも、現も先ほど感じた悪寒を、まだ忘れられずに居た。本能からの警告を。
それを見留め、使徒もふわりと浮遊する。後方の二人が十分に遠ざかり、此処に留まる理由も失くなった。
「また一緒に演奏してな、歌でも歓迎!」
背中に掛けられる、淳紅の言葉。少年はチラリと振り返り、微かにはにかんだ。
『そう、だね…できたら、いいね』
その後、街中で倒れていた三人を回収し、警察署に戻った彼らはすぐさま学園に連絡。
得られた情報は少なかったが、天使の為業である確信、及び何かしらの企みがあるという事の判明でも十分だと判断された。
しかし…一般人が昏睡から復帰するのは絶望的、という解析結果も同時に得られるのだった。