曇天。
見上げる頭上からは、ちらちらと絶え間なく白の欠片が降り注ぎ、やがて白銀の世界の一部と化す。
(時々大雪などが話題になる事はありますが…)
天を見上げていたアストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)はその琥珀色の瞳を、木々の間を抜けた彼方に移す。
そこには冬の弱い陽光が、しかし温かみを持って降り注いでいた。
役所で皆と一緒に借り受けた防寒コートにその騎士装を包みながら、再び白銀の髪を揺らし、天を、雪雲の範囲を見上げる。
それは余りにも不自然に存在していた。風で流れる事もなく、範囲も常に一定。
(天魔の関与と言われれば、頷くしかない状況ですね)
と、物思いに囚れていたせいだろう。彼女は背後からの気配に気づくのが遅れた。
ピトっ
「ぴっ!?」
いきなり首筋に触れた冷たい感触に、少女は肩を跳ねさせて、勢いよく後ろを振り向く。
「な、何をするんですか!」
「いやー、ごめんごめん♪ でもいい反応よ〜♪」
同じくコートに身を包んだ女性が一人、楽しげに、悪びれずに笑う。
彼女の名は、雀原 麦子(
ja1553)。恐らく今回の面子の中で、尤も経験豊富な戦士…の筈なのだが。
柔和で遠慮のない笑顔からは、そんな雰囲気は微塵も感じさせない。そして、気がつくといつの間にかビール缶を握っていたりする。
因みに更に後ろにいたミーシャ=ヴィルケ(
jb8431)と言う少女も悪戯の餌食となったのだが。
「……」
殆ど表情も態度も変えず、麦子的には寂しい反応であった。尤も、それは少女の生い立ちゆえ、仕方ない事ではあるのだが――。
「まったく、何遊んでるんや」
呆れたように後ろの騒動に肩を竦めるのは、ゴーグルに白い登山ジャケット姿のゼロ=シュバイツァー(
jb7501)。
何処か険のある顔立ちだが、そこに浮かぶ苦笑は人懐っこさを感じさせる。
「まあ、いいではありませんか。こういう環境だと、気分的に沈み易い物ですし」
ゼロの隣を歩く古風な雰囲気を纏う男は、宥める様にそう云って懐から取り出したチョコの包みを開き、一口噛み砕く。
その男、宵真(
jb8674)は、口内に拡がる甘い香りと味に表情を綻ばせた。
「て、お前も何食ってるんや?」
「え、ああ、チョコレートですよ。
「そうだよ、シュバイツァー君。無言で雪中行進というのも、気が滅入るものさ」
同意するように頷く少女は、見た目的に胸以外とても幼く…ええ、ともかく若々しい大学部生、シュティーア・ランドグリーズ(
jb8435)という。因みに麦子の行動に逸早く気づき、アストリットを囮に置いて先行する男性二人の近くに逃げた事はおくびにも出さない。
確かに周囲は常に薄暗く、枯れた生命のない世界に冷たい白一色の世界。気分転換くらいは必要やろな、とゼロも自分を納得させる。
「しかし…」
「? なんだ、私の顔に何かついてるのかい? あ、一目惚れとかは無しで頼むよ」
「いや、大学部いうてたけど…小学生にみえ――」
ごすっ!
「いったぁ!?」
「ふんっ!」
思い切り爪先を踏み躙られ飛び跳ねるゼロと、肩を怒らせて先に進むシュティーアの姿を、宵真は微笑ましく見守った。
「さて、そろそろ集落や。ここまでは何もなかったけど――」
「ま、雪より灰が降るとこだし、天魔がらみでしょうね」
空になった缶を手の中で紙の様にぺしゃんと潰し、荷物に放り込みながら麦子が頷く。
鹿児島に対してのイメージというのは、他所から見ればこう云う物なのだろう。実際は、年間全く降灰のない地域も存在はするが。
(ふーむ…、同胞かと思いきや、今回は外れでしょうかね…)
古くから冥魔と袂を別ち、こちらの世界で“魔魅(あやかし)”として生きてきた宵真は、内心で肩を落とす。
「雪女って美人って相場が決まってるけど、今回もそうかしら?」
「彼ら…天魔は伝承を因に下僕を作る場合が多いですから、十中八九は」
麦子の言葉に、気を取り直したアストリットが続く。
(美人かぁ…好みやったらナンパしよかな)
などと考えているゼロを、ミーシャはじっと観察していた。特に意味はないのだが。
「アストリットちゃんやシュティーアちゃんも和服着たら、そんな雰囲気でそうね」
「それはつまり、私たちが冷血女に見えると」
「違うわよ、可愛いだろうなって」
戯れあうような雰囲気の中、進む視界の先に、明かりがぽつぽつと見え始める。
それに伴い、流石に彼らの口数も減って行く。何故か、それは余りにも寒々しい光に見えた。
●
思ったより建物が距離を開け分散していた為、撃退士達は二手に分かれ集落の家屋を巡る事にした。もしかしたら生存者が居るかもしれない、一縷の望みと、その逆の覚悟を持って。
「…これは」
比較的平地に立つ一軒の平屋建て。そこに進入した麦子、宵真、シュティーアが目にしたのは、煌々と蛍光灯の光に照らし出された、氷漬けの骸。老夫婦は、互いに抱き合うようにして氷柱と化していた。
炬燵の上に並べられた膳は、こちらは気温によって氷ついた様だったが。
集落に入り、麦子が一つの術を起動させようとしたが、全く効力を発揮しなかった。その意味する所、術の対象となる小動物がこの周辺に一切存在しない証左。
「他の家も回ってみましょう」
宵真の言葉に他二人も頷き、次の家屋へと向かった。
●
「ここもか…。しっかし、何でこのオッサンら裸なんや。この寒いのに」
微妙な表情を作って、ゼロは溜息をつく。三件目、ここもやはり住人は皆氷漬けになっていた。冷凍睡眠、という線もない。完全に彼らは事切れていた。外傷なく、しかし凍死にも見えない。
「恐らく精神を…抜かれたのでしょう」
死者から僅かに視線を外し、アストリットが呟く。別に死体を見たくないとか、そう云うのではなく。男性の裸を直視するのが躊躇われた為だ。
「Ja. つまり敵は天界の――」
周囲を警戒し、外を見張っていたミーシャの言葉が途切れ、同時にその腕に融合する様に現れる特異な銃身。
しかし、銃口を向ける行動は一手遅い。
「嬢ちゃん!?」
一瞬で冷気に包まれ、氷柱に封じられる少女。
「ちっ、外か!」
「こちらが当たりです。恐らく天使の手勢。場所は――」
黒き光纏を発現し飛び出して行くゼロに続きながら、光信機で別班に連絡をいれたアストリットもまた能力を開放し、その腕に小型の円形盾を顕現させる。二人の手札に、ミーシャを開放する術はない。ならば元凶を叩き、解除するのみ。
『ふふふ…坊や達、私と遊びましょう?』
雪を巻き上げる一陣の風、その中に気配もなく立つ白着物の女が、妖艶に笑う。同時に、殆ど肌蹴ていた前袷を更に大きく開き、ゼロを妖しく凝視る。
「この状況で、引っかかるかい!」
「破廉恥なっ」
ほぼ同時に叫び、二人はその場から飛び退くようにそれぞれ家屋の陰に隠れる。寸前まで居たその場所に、凍結の冷気が虚しく渦巻く。
『怖がらなくてもいいのよ…夢を、いい夢を見させてあげる…』
甘く誘うような声が、冷気に乗せて漂う。
「来るものは拒まん主義やけど、下品なんは勘弁な!」
(会話が出来る…知能がある?だとしたら相当厄介な…)
叫び返すゼロから離れた物陰で内心で臍を咀むアストリット。だが、その予測は外れである。この雪女は実際はせいぜい中級サーバント、その台詞は創造主が趣味で仕込んだ内容を、目前状況に合わせて選択再生しているだけに過ぎない。言わば反射反応の様な物。
尤も、そんな事が撃退士達に解る訳もなく。
「雪女って、目合ったら凍るんやったっけ?」
「…分かりません。アレがサーバントなら創造主によって能力に個体差がでますから。しかし…」
阻霊符を発動しながらのゼロの問い。あの時、ミーシャは敵に狙いをつけようと対象に視線を合わせた筈。なら憶測としてだが、可能性はある。
「…!」
その時、過剰な違和感がアストリットの感覚を刺激する。ハッとして空を見上げれば、雲が酷く近い気が…いや、近すぎる!
「上から何か…恐らくヘリを墜とした…!」
「ちぃ! おい、聞こえるか!どこでもいいから身を隠せ、雹が来る!」
咄嗟に光信機に怒鳴り散らすように通信し、アストリットは物陰から飛び出す。その先には、自ら動く事が出来ないミーシャの氷柱が在った。
●
「この家に!」
通信が来る直前に、シュティーアもまた異常に気づいていた。森羅万象に鋭敏なジョブの振り分けは吉になったと言える。
撃退士達それぞれが建物の内に退避した直後、空より氷の弾丸が無数に降り注いだ――。
その範囲、威力は中級サーバントが用いるものとしては破格といってよかった。
術影響下にあった四件の家屋は軒並み打ち抜かれ、屋根は完全に消滅し、外壁もほぼ崩れかけている。内部に居た者達は、恐らく瓦礫に埋もれたであろう。
そしてそれだけの魔力を放出した天魔もまた、一時的な行動停止を引き起こしていた。
やがて、動く者のない場から去ろうとする。
「どこへ行くのです?」
背後より掛けられる声、同時に瓦礫が吹き飛び、小盾を構えたアストリットが弾丸の如き疾走で飛び出してくる。その脚部には、ゼロより施された縮地の術式。
翳す盾は、天魔の視線を障るための物。そしてその後ろから、同様に加速する影。
「先ほどのミス、この一撃で挽回する」
横飛びにアスリットの身体が滑り、その場に現れる白銀の砲身。激発された弾丸は、違いなく天魔の胴へと吸い込まれる。
『カッ!?』
しかし、天魔もそれだけで倒れるほど柔ではない。だが、その退路にはいつの間に宵真が佇んでいた。
「…見た目は似ていますが、やはり」
何と似ているというのか。それ以上語らず、手にする珠法具より放たれた陰陽図にも似た魔力弾が天魔に爆ける。
更に横手から結晶で出来た様な鞭が逸り、打ち据える。
「見えない相手には狙いが甘くなる様だね」
それが戻る先には、シュティーアの姿。そして体勢を立て直す間も無く、天魔は眼前に出現する影。
「中々の美人ね♪でも、寒いのは苦手だから、ビールが凍る前に肩を付けさせて貰うわよ♪」
刹那に奔る碧き直刃。三、いや四の目にも止まらぬ斬!
『―――!!』
両腕を切り飛ばされ、さらに胴を深々と切り裂かれる天魔が絶叫を放つ。しかし、まだ一押し足りない。
「これで、終わりです」
右側面下方より、鏡面の如く摩かれた刃が跳ね上がる。戦乙女の美しき刀身は、留まる事無く天魔の胴を切り裂き、抜けた――。
●
「ん?」
ゲート内部で操作をしていた少年は、配下の反応が一つ消えた事に気づく。やがて竪琴を抱え、小さなメロディを奏でる。
「…丁度いい理由ができたかな」
やがて、無垢な笑みがその口元に浮かんだ。
●
幸いに皆の傷は浅く、特に治療も必要なく、再び集落の調査を続けるが…生存者は無し。
「さて、こうなると何処を調べたもんやろな」
よっと立ち上がり、ゼロは一つの方角を見上げる。その先には、白銀に埋もれた山頂。他の者達も、同様の予測をしたのだろう、視線をそちらへと向ける。
傍らでは、ミーシャが役所へと現状報告を行っていた。
「雲の中心点が、常にあそこに固定されてるようだしね。調べる意味は在ると思うよ」
シュティーアの言葉に、アストリットも頷く。
「では、皆さんで参りましょうか。と、そうそう、こちらもどうぞ」
そう云って配ったのは、持参したチョコレートだった。
「一仕事終わった後の甘味って奴? でもお姉さんはこっちの方がいいのです♪」
と麦子は荷物から缶ビールを一本取り出し、喉を鳴らして飲み干して行く。
「なんや遠足みたいなノリやな。ま、準備が出来たらいこか」
●
しかし、山道は彼らが考えていたより過酷だった。
普段であれば山の斜面程度、撃退士の健脚ならば問題にならない。だが降り積もった雪は、腰まで埋まるほど。更に踏み固められていない為、足場としては最悪。こんな場所で戦闘になったりすれば――。
『あら…お客様?』
「「…っ!」」
『嬉しいわ…たっぷりと可愛がってあげる…ふふ』
「上です!」
宵真の一声に見上げる広葉樹の一本。その枝の一つに、着物を寒風に靡かせる女の姿。
「いけないっ、隠れるんだ!」
シュティーアの叫び。大きな魔力が、天上に収束する。だが、直立する木々は頭上からの攻撃を遮る盾となりえない。
「くっ!」
皆が可能な限り防御体勢を取る中、宵真は両腕を天に翳し、魔力の障壁を張り巡らす。
直後、一帯に氷の凶弾が降り注いだ。
「っ…皆、無事か!?」
ゼロの呼びかけに、方々から声が上がる。だが、傷が尤も深いのは彼自身だった。この敵に対し彼の相性は最悪に近い。
見回せば、辺りの木々は軒並み打ち倒されている。
『ふふ…元気な子達…』
ふわりと枝から身を躍らせ、雪面に埋没する事無く着地する天魔。
対して撃退士達は、一部の者以外ほとんどまともな行動が取れないほど、雪に阻まれていた。
機動力でいえばこの中で最高峰であるゼロだったが、次にアレを食らって保つ自信はない。ならば。
自身の優位性を知っているのか、決して撃退士達に近づかず、縮地で距離を詰める麦子、シュティーア、自身の術式で加速するアストリット、そして最後の縮地を受けたミーシャを揶揄う様に、後退しながら氷の戦輪で切り刻み、時に氷結の魔法を仕掛けてくる。
強弓に変えた麦子とミーシャの銃撃だけでは、押し切れない。魔力が回復すれば、もう一度あの大技が来るのは必至だった。
機動力のない宵真は、自らの傷を癒すゼロの傍らで、彼を護りながら状況を見守り続けた。
そして一撃が天魔を捉える!
「いまです!」
アウルで形成された雷の魔剣が、天魔の肉体を痲痺させ、動きを一時的に止め。
再び刀に換装した麦子、氷刃を思わせるシュティーアの直剣がその身を切り刻み、ミーシャの銃弾が穿つ!
必死に氷の刃で反撃を試みるも、四方取り囲まれ逃げる事も出来ぬまま、二体目の雪女は遂に崩れ落ちた。
●
『意外に早かったね』
場違いな、天使のような笑み。山頂に達した撃退士達を迎えたのは、美しい装飾の竪琴を抱えた幼い少年だった。
「さて、ボウズ…こんなとこで何してんのや?」
ゼロの問いかけに、少年はくすくすと笑う。分かりきった事を聞くなという風に。
その瞬間、全員が傷ついた体をおして魔具を構える。だが――。
『僕にその気はないよ。皆、大分辛そうだし、その方がいいでしょう?』
ふわりと宙に浮く少年は、瞬く間に撃退士達から距離を開け、そのまま転移して消える天魔を追う術は、彼らにはなかった。
●
『で、何してるの?』
少年は、実は未だ山中にいた。転移した先は大型飛行機械の墜落地点。
『……』
最後に残った雪女は、嬲る様に抱えた男性の遺骸を弄る。
『はぁ…主、何を考えてこんなのを作るんだか』
そうして今度こそ、少年はサーバントを連れ、本拠へと転移したのだった。