ディアボロは確かに悪魔に属する。しかし本質は獣であり、予めプログラムされた戦術以外に従うのは本能のみ。
今回の遊戯に際し、参加者を死に至らしめぬルールに沿って殺戮・捕食衝動は抑制・制御されていたが、それだけである。
殺すな、だが敵は倒せ。そう指示されたぽちが選らんだのは、敵を一方的に徹底的に甚振る事。
具体的にはその巨大な両翼を羽ばたかせ、いきなり上空に飛び上がった。
「「なっ」」
数名から声が漏れる。
彼らもいきなり空に上がられるとは思っていなかったのかもしれない、僅かな動揺が見て取れた。
だが、翼があるのに飛ばない道理もない。
「散って!」
暮居 凪(
ja0503)の咄嗟の声に、我を取り戻し三々五々に散る仲間達。
その声に惹かれるように、第一撃は彼女に降り注ぐ。大きく開かれた狼竜の頤から吐き出された毒々しいブレスが凪の身を包み、腐食の魔力が彼女の体を、そして装備を蝕む。
「…っ、この!」
長大なディバインランスを構える。本来とは違う姿に鍛え直されたその槍が淡く白い輝きが収束させ、それが色彩を反転、漆黒の閃光となってブレスの渦中を突き抜け、天魔の下顎をかち上げる。天魔が怯んだ一瞬に影響範囲を脱出した。
無作為手当たり次第に降り注ぐブレス。それを避け、時に避けきれず、各々が持てる術を用いて反撃を仕掛ける。
「…きたない手を使うね、悪魔!私たちが苦しむのがおもしろいのか…やっぱり天魔はくずなのッころすころすころす!」
エルレーン・バルハザード(
ja0889)は一声そう叫ぶと、遁甲の業を用いて自身の気配を極限まで消し去る。
序盤から乱戦の様相を呈した戦場で、彼女だけは攻撃を受ける事はなかった。
始めに飛翔を阻む為、影縛りを仕掛ける心算だった彼女だが、相手が先に飛んで機先を制されている。
地上ならば濃い影も自在に飛び回る間は捉えにくく、暫く機を窺うしかなかった。
天魔の角を狙い放たれた飛燕翔扇が、しかし硬質の音を立てて弾き返る。戻ってきた扇を掴みとった東雲 桃華(
ja0319)が大きく飛び退いた。
「くっ!」
それを追って吐き掛けられたブレスが、彼女の片足を腐食の毒で焼く。一転して体勢を立て直し、悠々と飛翔する狼竜を見上げて臍を噛む。
(酷い…)
天使も天使で陰湿だった。けど悪魔はそれ以上に許しがたい真似をしてみせた。
(…絶対に、許さない)
中津 謳華(
ja4212)もまた、魔具を切り替え飛燕翔扇を放ち、そして強靭な毛皮に弾かれ戻るそれを受け止め、ブレスに身を翻す。
「まるデ鎧ダな…しかシ」
静にして狂乱の嚇怒。それが彼の全身を包み、口調の韻律を狂わせるほどに達していた。ある意味では我を失っていると言っても良い。
その瞳は紅に染まり、さながら凶眼の如く。
金色のポニーを靡かせながら、Caldiana Randgrith(
ja1544)が駆け抜け、天魔の下方側面より立て続けに発砲する。
「やっと…やっと暴れられるぜ!勝敗なんぞ知った事か!楽しめりゃいいんだよ!」
込められたアウルにより鋭さを増した弾丸を、空になるまで撃ち尽くす。
撃墜しようと翼を狙った射撃は、しかし大半が避けられるか、胴体の毛皮に弾かれていた。
(今更人質だぁ?知るか)
腹部に張り付いた男の姿を、下から見上げ内心で吐き捨てる。弾倉にネフィリム鋼から生成された弾丸が即座に補充された。
(小細工だろうとなんだろうと…)
天羽 流司(
ja0366)の手から放たれる召炎霊符が火玉と変え、翼を撃つ。だがそれも表層を焦がす程度で、打ち振るわれる風圧にすぐさま散らされる。
「生きているし、居る場所も分かっているなら、引き抜く事だって出来る筈だ」
自分達の狙いを悟らせない様、そう口にする流司。だがディアボロは元々人語に興味を示す事は殆どない。ぽちも、それに興味を向ける事はなかった。
ただ攻撃を喰らったお返しにと、少年に向けて吐き出されるブレス。
回避を捨て、防御に身構える彼とブレスの間に割り込む影。
サー・アーノルド(
ja7315)が掲げたリッターシルトに込められたアウルによって生じる防壁。ブレスが二人を避ける様に割れて周囲に流れていく。
魔法防御に特化した、六芒星の描かれた円形盾は魔法防御に特化された物。だがカオスレートにて双極にある彼の身には、ブレスの負荷は重く圧し掛かった。
「すみません」
「これも騎士の務めなれば」
言い置き、天を舞う天魔を見上げる。
(…これが悪魔の所業だと言うのか)
悪魔の悪辣さに、アーノルドは忸怩たる思いを抱く。
(ラーベクレエ殿、私はここに来て初めて貴殿を憎悪する。この戦を遊戯と呼ぶ悪魔共を憎悪するぞ)
もし、彼のヴァニタスに彼の心情が聞こえたならばほくそ笑むだろう。心を汚す事もまた、悪魔の悦びなれば。
『GAW!?』
突然横面を弾かれた衝撃に狼竜が一瞬顔を背け、その出所を探して首を振り向ける。
「随分、躾が悪いペットだな」
次弾を装弾したスナイパーライフルCT−3スコープ越しに狙いを定め、激発。
(何て悪趣味な…まあ、覚悟を決めていきますか)
スコープの枠に一瞬だけ人質の姿を捉え、直ぐに逸らす。
動き回る標的の眼球を狙った先の狙撃は流石に成功率が低いと、今度は天魔の翼を狙い見事に打ち抜く。
巨大な翼に比すれば小さな風穴だが、高い命中精度を誇る平山 尚幸(
ja8488)の攻撃は次々と的中し、少しずつその飛行能力を殺いで行く。
なればこそ天魔も彼を放っておきはしない。
『GAAAA!』
「おっと、これは拙い」
これ以上翼を傷つけられる事を嫌ったのか、翼を畳み急降下して前足の爪――それぞれが日本刀ほどの長さと鋭さを備える――を繰り出してくる。
即座に魔具をランタンシールドに持ち替え後退するも、彼我の機動力の差は如何ともし難く。
「ぐぅ!」
見事に盾で受け止めるが、衝撃に吹き飛ばされて二転三転。元々が装備を優先して耐久力を減じていた彼には、盾越しの一撃とはいえかなりの重荷だった。
追撃の構えを見せる狼竜。その後背に駆けつけた前衛が仕掛ける。
「来なさい。ここで貴方は潰すわ」
スキルを入れ替え挑発のオーラを纏う凪。癇に障るその波動に、狼竜は唸りを上げながら標的を尚幸から彼女へと切り替える。
一度飛翔を終えると暫く飛べないのか、すぐに飛び上がる気配はなかった。
(私は助けない。結果として生き残りが出たら、それは彼らが自分を助けたと言う事よ)
視線の先に移る、天魔の首に囚われた少年の姿を視界に、人質は己の『手の外』と言い聞かせる。
それは、撃退士達にとって旗色のよい戦いではなかった。
地に降りる狼竜にエルレーンの不意打ちの影縛りが掛かる。更に追撃の
「はうぅーっ!萌えはせいぎぃぃ!!」
雷遁・腐女子蹴。この叫びさえなければ、多分彼女は凄く格好良い。が、これがなければ恐らく彼女ではなくなってしまう。
性とは因果な物である。
動きを縫いとめられ、戸惑いと怒りに咆哮を上げる天魔。
ここぞとばかりに、桃華の斬打が、流司の雷撃の魔術がその動きを続けて封じ続ける。
天魔の前足の体毛を掴み、手がかりに更に自身を高く持ち上げ飛び上がる謳華の一撃が狼竜の眼光を狙い繰り出された。
「此処ニ汝ノ鎧ハなイなァ…」
底冷えする様な呟きと共に。
直撃とは行かぬも、頬骨を砕き溢れる鮮血が天魔の視界を一時的に奪う。
直後、怒り狂った狼竜の巨大な頤が彼を喰らいつき、その牙が深く腹部へと突き刺さる。
そのままなら彼は恐らく死んでいただろう。だが上位者によって『殺すべからず』と受けた抑制が働き、吐き捨てられた謳華の体は床に叩き付けられた。
それでも彼は立ち上がる。怒りに身を任せ、腹部から溢れる鮮血を気力と筋肉で抑え、左下半身を真っ赤に染め上げて。
次に天魔の飛翔を許せば、自分達の勝算が限りなく低下すると誰もが予感していた。
桃華の薙ぎ払うハルバードの一撃が狼竜の左前足を強かに打ち、一瞬バランスを崩させる。
謳華の手法を真似したエルレーンが、天魔の背に飛び乗り、エネルギーブレードの一撃が幾度もその翼を切り裂く。
気配を消しても、背に乗る敵に気づかぬ筈はなく。彼女に襲い掛かる尾蛇の牙を、幾度となく空蝉で回避する。
それをCaldianaと尚幸の銃撃が支援し、鉛玉を蛇の胴体へいくつも食らわせていく。
…それでも、狼竜ぽちは倒れなかった。
翼への最後の一撃、エルレーンの渾身の斬が終に片翼を飛行不可能なまでに切り裂く。だが同時に、空蝉を失った彼女の腹部に喰らいついた尾蛇が傷口から注ぎ込む毒に冒され。
ごとりと、石像となって地に転がった。
直後に、インフィル二名の攻撃に胴体を四散させ弾け散る尾蛇。
影縛りとスタンの解けた天魔が、その機動力を遺憾なく発揮する。
巨体からは信じられぬ速度で、常に凪の側面や後方に回り込み、牙を、爪を繰り出して彼女を切り刻んだ。
目まぐるしく動き回る天魔に翻弄され、思うようにその側面や後背を取れぬ撃退士達。
挑発を続ける凪は、その殆どをカイトシールドを展開して凌ぎ続ける。その傍らで体内の気を制御し、耐久力を維持しながら。
それでも限界がある。消耗度において、圧倒的に撃退士達は不利に追い込まれていく。
凪が倒れ、急場にアーノルドが盾となり、パルチザンの一撃で注意を引き付ける。
アーノルドが倒れれば桃華と謳華が。
この戦闘において、一度も気絶や石化で戦闘不能とならなかったのは流司だけだった。
『参加者を殺さない』と言うこのゲームの主旨は、よくよく考えれば一方的に撃退士達の有利に働く条件でもあった。
気絶から復帰した者が、再び鮮烈に加わってはなぎ倒され。その繰り返しが続く。
だがそれは重傷者が出始めた時に、全てが終わる事を意味しても居た。
選ばなければいけなかった。覚悟を決めなければならなかった。
敗北すれば、何も残らない。しかし今ならまだ、救える命が確実にある。
「あぁ…あぁ、邪魔なんだよ…人質とかそういうの。興が冷めるだろうぉが!」
始めにそれを狙ったのはCaldianaだった。狂乱する様に乱射された弾丸の一部が、首に埋め込まれた少年を掠める。
続く様に身を起こす凪の突撃槍が、眩いばかりの輝きを纏う。
流司が異界より召喚した無数の腕が天魔のみを絡めとる間隙に、突進を仕掛ける。
彼女の向かう先を誰もが察し、苦渋の表情と共に見届けた。
少年ごと、その穂先が深々と狼竜の喉笛を貫く瞬間を。
絶叫が天魔の口を突く。
同時、貫かれた瞬間に意識を取り戻す少年。その視線が、目前の凪を、自身を貫くその槍を捉えて。
理解――そして死への恐怖、絶望が彼の瞳に宿り、凪の姿を映し出す。
「…さようなら」
何かを言おうとしたのだろう、開いた唇から言葉の変わりに溢れ出す大量の赤。
何も残せぬまま、一人の少年がその生を終えた。
急所を守る盾は、最早無い。
「駄犬がァ…キャンキャン吠えルな!目障りダぁァァぁぁァッ!!」
「アハハハッ!狩り殺せ魔弾・『燥』!」
弱点を晒した天魔に、次々と叩き込まれ続ける撃退士達の渾身の一撃。
苦痛にのたうちながらも、最後の足掻きで凪とアーノルドを叩き伏せる狼竜ぽち。
そうして、謳華の止めの一撃。
「余ノ怒りハ、汝ノ死ヲ以テ収めルとしよウ…!」
喉笛から後ろ首までを弾けさせ。終にその巨体を横たえた。
●
彼らは勝者だった。だが向けられるのは罵声。
「人殺し!…どうして、どうして殺したの!?」
無残な肉片の中、これだけは綺麗なまま残っていた少年の首を抱きしめて、殺意すら孕んだ視線が突き刺さる。
直接手をかけた凪は、表面上冷静にそれを受け止める。内心がどうなのかは、周りには分からない。
その背に、近寄った桃華の手がそっと添えられた。俯き、悔しさに滲む涙を隠しながら。
天魔の体内から開放され意識を取り戻した人質三名。その中のアストラルヴァンガードの女性が、少年の惨状の前で崩れ落ち、そして今へと続いていた。
「止すんだ」
別の一人が、彼女の前に立った。
「どいてよっ、どいて!!そいつらは、自分達が勝ちたい為にこの子をっ――」
乾いた音が響く。呆然とする女性の頬を張った青年が――彼は彼女の恋人だった――そのままの姿勢で淡々と諭す。
「なら、僕らなら救えたのか?逆の立場だったら、全員を救えたのか?」
全身を震わせ…暫くして泣き崩れる女性を青年は無言で抱きしめた。
「――気にしないで欲しい、と言うのは無理かもしれないが」
それまで無言で推移を見守っていた長身の少女が、彼らの前に歩み出る。
「私達は…ずっとチームを組んでいて。その分、色々と、な。
――理屈では分かっている、だが感情が言う事を聞かない。…すまない、暫く時間を置けば彼女も落ち着くだろう」
ちっ、と小さく舌打ちをして顔を背けるCaldiana。
「俺は…またやってしまったのか…!!」
歯軋りと共に、己の未熟を悔いる者。
「…つよく、なりたい」
ぼろぼろと涙をこぼす者。亡き師匠の教えを叶えられなかった己を恥じて。
尚幸は、小さく肩を竦めて無言を貫く。流石に笑みは消えていた。
(…此度の所業は許しておく事はできん)
アーノルドは、己の内に沸きあがる、悪魔に対する憎悪に拳を振るわせる。
「立ちなさい。恨むのなら。武器を持ちなさい。悔やむのなら。
思い通りに行くものばかりではないと、思い知らせましょう」
現れた転移の魔方陣。それに歩み寄りながら。
凪は自身に言い聞かせるように、言葉を発した。
●
「負けてしもうたのう、ディル?」
からかいを含んだ大公爵の声が、少女の耳に届く。だが振り仰いだディルキスの顔に落胆はない。
むしろ喜悦が浮かんでいた。
「ええ、お姉さま。ゲームには負けてしまいましたわ♪」
浮遊から地に降り、ふわりとドレスの裾を広げながら。
「でも、彼らは“勝負”に勝てなかった。ただ獣としての勝ちを得ただけ」
周囲の観覧席からも、陰湿な含み笑いが漏れ聞こえる。賭博の勝敗に関わらず、全ての悪魔達から。
彼らにとって、身の程を弁えぬ弱者の希望、理想、信念その他諸々を挫く事ほど愉快な事はない。
「ふふ…して、この余興も次が最後じゃのう。どう仕掛けるのかえ、そちの子飼いは」
「この先、全てはラーベに任せてありますわ…勝つも、負けるも…くすくす♪」
だが。
ディルキスには確信があった。
今のまま戦うならば、あの駒達はラーベクレエには決して勝てない、と。
彼らに足りない物…それは敵を圧倒する純然たる“力”。期待していたより、余りにも彼ら、彼女らは非力だった。