――必ず。
●闘うもの
ゲート内、円形闘技場。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわ」
クリスティーナ アップルトン(
ja9941)はいつもの華やかな振る舞いで、宣言した。
「ようやくお会いできましたわね、バルシーク。いざ、決戦の時ですわよ!」
その言葉にバルシークは視線で頷き返す。
「私が、久遠ヶ原学園、第一の助っ人ナナシよ!!」
ビシッとポーズを決め名乗り返すのは、クールな情熱を胸に抱く少女・ナナシ(
jb3008)。
「道後温泉以来ね、バルシーク。始める前に言っておく事があるの」
続きを待つ視線へ向け。
「貴方が負けを認めたら、コアの『防護障壁』を解除してちょうだい。私は殺し合いに来たつもりは無いわ」
ナナシの言葉にバルシークは沈黙で返した。その表情からは承諾とも不承とも読み取れない。
「バルシークさん、自分は櫟 諏訪と言いますよー! いざ尋常に勝負ですよー?」
櫟 諏訪(
ja1215)の口調はいつも通りの穏やかな調子。しかし人なつこい表情の奥では、常に冷静な思考が巡らされている。
「はじめまして? 蒼閃霆公、バルシーク。矢野胡桃、よ。どうぞ、よろしく」
そう言って矢野 胡桃(
ja2617)は、ライトグリーンに変化した瞳をわずかに細めた。
黒で統一された衣装を身につけ黒銃を手にする姿は、普段の愛らしい雰囲気と一線を画す。
「直接戦うのは久しぶりだね、バルシーク。僕の事覚えてる?」
身につけた仮面を外した森田良助(
ja9460)を見て、大天使はわずかに頷く。
「一度刃を交えた相手を忘れる事はない」
「そっか。ならよかったよ」
あの時のことは、自分も忘れられないけれど。
「ここまで来たのです…なら…メリーの気持ちをぶつけるだけなのです!」
そう胸に決意するメリー(
jb3287)の心境は、実の所複雑だ。
(本当は…戦いなんてしたくないのです…)
彼らともっと話をしてみたい。わかり合いたい。でも今は、それを言うときではないのもわかっている。
(全力でと言ったバルシークさんの気持ちを、穢しちゃ駄目なのです…)
だから、と蒼に変化した瞳で瑠璃の男をまっすぐに捉える。
「メリーはちゃんと力で気持ちを伝えるのです!」
同じく内に決意を秘める者。
「直接刃を交えるのはこれで四度目、でしょうか」
静かに、けれど深い熱がこもった響き。右手に雷の如き光を纏った夜来野 遥久(
ja6843)はブルーグレーの瞳を、ただまっすぐに蒼閃霆公へと向けている。
「撃退士、夜来野遥久…『全力』で挑ませて頂きます」
友や仲間と挑むこの戦い、必ず勝つという想いは誰より強いと言える。
全力でというのならば、全力以上で。
「いざ、尋常に」
闘技場内を影達が走る、走る。
開始と同時、バルシークへ向け全員一斉の全力移動。統率取れた動きでそれぞれの目標地点を目指す。
バルシークはすぐに動かない。代わりに動いたのは従士シス。
「迷える子羊に皓獅の加護を…真空蒸着(コスモオーラ)!」
陣を生み出すと同時、白輝のオーラが天使達を覆う。コア班のメンバーに縮地を展開させていたマキナ(
ja7016)はそれを見て呟く。
「予想通り、最初に使ってきやがったか…」
初手での強化は予測の内。研究所戦でゴライアスが使った手でもあるからだ。
(今できる全力を尽くさねぇとな……)
大怪我を負った状態での参加。動く度に全身に痛みが走るが、脚引っ張るなどという無様な真似など絶対にさらしたくない。
「大天使サマってのと喧嘩すんのはこれで二度目だっけか…んあ?」
自身に冥府の風を纏わせながら、宗方 露姫(
jb3641)はシスの顔色が悪い事に気付いていた。
「なんかクリ公のやつ顔面土気色っつうか、下半身踏ん張り過ぎてね…?」
しかしすぐにぴんときたのか、竜尾を一振りし。
「…ははぁん、そう言う事か。なら容赦するこたぁねえよな!!」
その頃、シスは困惑の表情である人物を見つめていた。
「……貴様のそれは一体何だ」
視線先にいるのは、真っ黒な目出し帽をかぶったRobin redbreast(
jb2203)。
「ああ、これなら顔が見えないかなと思って」
「なんだと!? まさか貴様そこまで気にして…」
何故かシスは申し訳なさそうな表情になる。どうやら前回顔の事を言ったことで、彼女を傷つけたと思ったらしい。
ちなみに当の本人はシスの言葉から、彼が表情を読むのだと判断。行動を悟らせないための工夫であり、至って真剣である。
アリーナ中央まで残り40mを切った時、大天使が地を蹴った。
脚部に蒼電を纏い一瞬で突っ込んで来たと同時、凄まじい勢いで刃が振るわれる。
「行くぞ!」
激しい衝突音と衝撃。受け止めた遥久の身体が総毛立つ。
「…相変わらずの威力ですね」
全身が痺れるほどの痛みに意識が遠のきかけるが、直前にかけた聖なる刻印のおかげで持ちこたえる。
「予想通り突っ込んで来たわ、ね」
バルシーク右手側に回っていた胡桃は、即座に反撃開始。彼女が構える白銀の狙撃銃から、装甲を溶かす弾丸が放たれる。
大天使の脚部にそれが着弾すると同時、肩へ目がけて撃ち込まれたのは諏訪の弾丸。
「まずはここからどんどん攻めさせてもらいますよー!」
胡桃の攻撃に合わせ放ったアシッドショットは見事狙い通り命中し、わずかながら白銀の装甲を溶かす。
「少しでも攻撃が通りやすくなればですねー?」
シスの能力の影響で腐敗効果の持続は難しいが、使用しないよりはマシだとの判断だ。
「ふん、相変わらず悪くない腕だ」
シスの言葉に胡桃は今気付いたかのように。
「あら、いたのね、シス」
「おい貴様、今頃何を言っている!」
速攻のツッコミがアリーナに響いた頃、上空へ飛翔していたナナシが得物を大型ライフルに持ち替えていた。
「行くわよ。これが私の……私達の全力全開!!」
最初に放つ一撃は、全力全開の真っ向勝負。
天界眷属を浸蝕する必殺の弾丸が、大天使の頭上から撃ち降ろされる。冥の力を宿した防御無視の一撃は、白銀の装甲をもろともせずに貫通する。
「――っ!」
あまりの衝撃にバルシークの表情が苦痛に歪む。ナナシが放った全力攻撃の威力は凄まじく、脅威の反射速度で致命傷は逃れたものの、穿たれた銃創からは鮮血が激しく吹き出している。
「な、なんだあの攻撃は……」
青ざめるシスの視界端に、コアへと向かうメンバーの姿が入ってくる。しかし目前の脅威への警戒心が勝った。
「あの女は危険因子(デスファクター)だ…」
シスは自らも飛翔するとナナシへ向け勢いよくチャクラムを放つ。しかし高命中の戦輪が捕らえたのは、身代わりとなったジャケットのみ。
「なっ…俺様の攻撃を避けただと!?」
「落ち着け、あれはそういう能力だ。範囲攻撃に切り替えろ」
「ぬ…そ、そうか」
すかさず入るバルシークの言に、動揺しかけた表情に落ち着きが戻る。それを見た胡桃はぽつりと。
「……やっぱり、バルシークがいると違うわ、ね」
全幅の信頼を置いている相手がいる戦場は、まるで景色が違って見える。父と共に出た戦いを思い、彼女は無意識に身につけたトレンチコートに触れる。
その時、バルシークも動いた。
手にした長剣を水平に掲げると同時、蒼の光球が広域にわたっていくつも頭上に現れる。掲げた剣がわずかに揺れた瞬間、激しい閃光と共に稲妻の花が一斉に開く。
「くぅっ……!」
全身を貫く電撃にメリーの表情に苦痛の色が浮かぶ。何度受けても慣れることはない、強圧の雷花に、前衛が巻き込まれる。
「痛い…でもまだまだメリーはやれるのです!」
重厚な円形盾を手に、彼女は小さな身体で必死に立ち続ける。
何があっても絶対に退かない。乙女の意地を今見せないでどうする!
「さすがの攻撃力ですわね…ですがまだ倒れるわけにはいきませんわ!」
同じく雷花を受けたクリスティーナは口元の地をぬぐいながら、即座に反撃へと移る。
生命力が大きく削られた反動でアウルが、解放される。その全てを手にした剣に込め、渾身の力で振り抜く。
「行きますわよ、私の全身全霊の一撃、受けてみなさい! ムーンライトレクイエム!」
まるで月光のように輝く剣閃が、白銀の鎧を大きく削り損傷を与える。
対するシスは上空待機したまま、ナナシへ向けて針状結晶を斉射する。続く繰狂が下方向へ斉射。遥久とメリーを巻き込み、玻璃の嵐が荒れ狂う。
前衛が激しい攻防を繰り広げる中、露姫とロビンは潜行状態へと入っていた。
(ここは慎重に行かせてもらうぜ)
狙うのは影から放つ闇の一手。二人とも大天使の攻撃を受ければ一撃で落ちてもおかしくないため、いかに攻撃を受けないかが勝負と言える。
(今はシスの強化が生きてるから……)
ロビンは冷静にバルシークの状況を観察しながら、魔法攻撃を放つ。
対する露姫もバルシーク側面へと回り込み、射程ぎりぎりから血色の槍を飛ばす。
両者シスの強化が生きている間は、強力なスキルは残しておく算段。極限まで集中力を高め、時機を待つ。
一方の良助は少しでもナナシから意識を逸らせようと、シスへ呼びかける。
「おーい、キミにはまだ僕の二つ名を教えてなかったね」
二つ名と言う言葉に反応するシスへ向け、名乗り上げる。
「僕は別名、大福の創造主(アンコモチクリエーター)と呼ばれてる。いざ尋常に勝負だ!」
「ほう、貴様が悪名高い『大福の創造主』とはな! その勝負受けry」
「シス」
「あ、ハイ」
その頃、マキナはアリーナを左回りに迂回しながら、コア班と並走していた。
「皆のおかげで、こっちへ意識を向ける余裕がねえみたいだな」
交戦開始直後の猛攻が、シスの意識を正面に向けさせることに成功している。とはいえ、実際にコア攻撃が始まればそうもいかないだろうが。
前線に出られない歯がゆさを感じながらも、マキナは今自分にできる役割に徹している。
直に、状況は動き始めるだろうから。
※
その時は、思った以上に早く訪れる。
激しい攻防が続く中、序盤は撃退士側が劣勢と言ってよかった。やはりバルシークの攻撃力は凄まじく、回復がまるで追いつかない。
加えて射程外への面子にはシスと繰狂による攻撃が果敢に行われ、無傷の者が皆無の状況。このまま続ければ撃退士側に戦闘不能者が出るのは明らかだった。
しかし、その状況も長くは続かない。
突然バルシークの損傷速度が、上がりはじめたのだ。恐らくコア障壁への攻撃が始まったのだろう。
「行け、シス」
バルシークは前方を向いたまま端的に告げる。
「だが…」
「私は大丈夫だ。目的を見失うな」
有無を言わさぬ指示に、シスは止める間もなくコアへ向け全力移動を開始する。それを見た良助が即コア班へ通達すると同時、待ち構えていたマキナがシスの進路を塞いだ。
「退け、今の貴様では俺様に勝てん!」
「うるせえ、かかってこい!」
元より玉砕覚悟の時間稼ぎ。少しでもコア班の負担を減らすための囮だ。
「っ…後悔するなよ!」
高命中の刃が、マキナの胴部を深くえぐる。血反吐を吐きながらそれでも彼はシスへと食らいつく。
援護者がいなくなったことにより、バルシークは明らかに押され気味になりつつあった。
元々正面から相手取っていたこともあり、徐々にコア側へと後退していくのがわかる。
(でも、バルシークはまだまだ戦える)
気を抜けば、一瞬で形勢逆転となるだろう。限界まで高めた集中力をここで緩めるわけにはいかない。
「さあ、ここからが勝負ですねー?」
狙撃銃を手に、諏訪が左方向からダークショットを放つ。闇の力を付した一撃が肩に着弾すると同時、胡桃の薙弾が右方向から放たれる。
「移動も剣も。踏んばる足、が、なければ、ね?」
瞬間的に解放された凶弾が、狙った脚部に鮮血を咲かせる。
そして最後は正面からの狙撃。
「絶え間なくいくよ!」
良助が放った黒霧を纏いし弾丸が、バルシークの胴部に撃ち込まれる。
狙撃手による三方向からの連続攻撃は、見事な連携を持って大天使の動きを阻害する。
直後、激しいスパーク音と閃光。
「危ないのです!」
全方位への放電をメリーが庇護の翼で受けきる。
直後、彼女の傷をアウルによる雷の茨が覆う。白い薔薇が咲くと同時に傷が癒され、瞬く間に散りゆく。
遥久による癒しの白雷だ。
バルシークの雷放をシールドで受けきったクリスは、そのまま即座に反撃の一閃を放つ。
「私の剣閃、魅せてさしあげますわ!」
凄まじい速度で繰り出される攻撃は、まるで不可視の刃。そこを彼女とは反対方向に位置取っていたロビンが襲う。
「複数方向からの同時攻撃なら、捌けないよね」
見切り能力が異常に高い相手だからこそ、最も有効なタイミングを狙う。彼女の生み出す三日月の刃が、確実なダメージを与えていく。
(…そろそろ頃合いだな)
シスの強化が切れたのを見計らい、露姫が後方からスタンエッジを撃ち込む。
「よっしゃ!」
意識が刈り取られたバルシークを、ナナシの強襲が再び狙う。
「狙いはここよ!」
長剣を握る腕に闇の一撃を撃ち込む。強圧の弾丸が腕を覆う装甲を勢いよく破砕。
「…やるな、撃退士よ」
撃退士達の凄まじい連携攻撃に、バルシークは確実に押されている。それでも紙一重の動きで致命傷を避けている大天使は、大きく長剣を掲げ。
「だが、私はまだこの程度では倒れん!」
再び雷の花が咲く。
激しい閃光に一瞬目がくらんだように見えた、その時。
「なっ……!?」
撃退士達は信じられない光景を見た。
突然大天使の姿が消えたように見えた、次の瞬間。後方へ向け猛然と駆け出す騎士の背が映る。
「まさか、コア班を襲いに!?」
「止めないと!」
予想外の行動に反応が一瞬遅れるものの、即座に追走を開始。
彼らは混乱していた。
根っからの騎士であるバルシークが、自分たちに背を向けるなどあり得ない。
誰もがそう思っていたし、その判断に間違いは無かったはずだ。
「気を付けて! バルシークがそっちに――」
光信機に向かって叫ぶ良助の目に、既にコア班の目前まで迫るバルシークが映る。奥には、コア班の攻撃を今まさに受けようとしているシスの姿。
(まさか)
そこからは、まるでスローモーション。
彼らの攻撃が到達する刹那、シスの身体をバルシークがはじき飛ばし――
轟音と閃光が、大天使を飲み込んだ。
●護るもの
この戦いに入る前、言われた事がある。
――私に何かあったら、後の事は頼む。
俺は、返した。
――巫山戯るな、貴様はこの俺が必ず連れて帰ると決めてある。
蒼閃霆公はわずかに微笑したまま、何も言わなかった。
※
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
全員言葉一つ発せないまま、目の前に佇むバルシークの姿をただ見つめている。
白銀の鎧を血に染めた瑠璃の瞳が、シスの姿を捉えた。その表情がほんの少し安堵したかのように見えた、刹那。
シスの絶叫がこだました。
「どうなってんだよ……」
血溜まりに伏すマキナの目には、全身を大きく負傷した大天使の姿が映っていた。コア班の刃と追いすがる後方の刃が、ほぼ同時に彼の体躯を貫いたのだ。
咄嗟にシスをはじき飛ばすのが精一杯で、受け身が取れなかったのだろう。両班からの攻撃をまともに受けたのは明らかで。
激しい損傷でほぼ使い物にならなくなった左腕を見て、ロビンが呟く。
「左腕を犠牲にして、利き手を守ったんだね……」
事実、剣を握る右手だけは他と比べて損傷が少ない。
「何故だ……っ」
取り乱したシスはよろめきながらバルシークへと詰め寄る。
「何故俺を庇った蒼閃霆公! 庇えば貴様が不利になることなどわかっていただろう!」
枝門主が護衛である自分を庇うなど、絶対にあってはいけないことだった。
「お前を死なせたら、ゴライアスに顔向けできんからな」
当たり前のように返ってきた言葉に、愕然と立ちすくむ。良助が確信を得たと言った様子で。
「……やっぱりそうか」
この場にいる誰もが思い知らざるを得なかった。バルシークが自分たちから背を向ける、たった一つの可能性。
それは、コアを護るためでもなく。
ましてや逃げるためでもなく。
「シスを護るためだったんだ……」
この男は任務のために非情になれる反面、仲間のためなら騎士の魂ですら差し出せる。
シスが命懸けでバルシークを護ろうとしていたように――
大天使もまた、同じだったのだ。
「…バルシーク、もうこれ以上戦うのは止めましょう。貴方もわかっているでしょうけれどこの勝負、私達の勝ちよ」
損傷具合を見たナナシの提言に、瑠璃の瞳が微かに笑う。
「いや、まだ終わってはいない」
「……これ以上続ければ無事では済まない、わ。貴方ほどの手合いなら、引き時くらいわかるはずよ、ね?」
続く胡桃の問いかけに返ってきたのは、思いも寄らぬ言葉。
「私は障壁とのリンクを切るつもりはない」
「な……」
場が一瞬で騒然となる。
「お前…自分が何言ってんのか、わかってんのかよ?」
唖然とした露姫に、クリスティーナもあり得ないと言った様子で続く。
「障壁のリンクを切らずにコアが破壊されれば、貴方は死んでしまいますのよ!」
大天使は何も答えない。その瞳は「わかっている」と言っているようで。
「…おいちょっと待て。俺はそんな話きいていないぞ」
ここでようやく我に返ったシスが気色ばむ。
「大体、貴様に万が一の事があれば、あの女はどうなる? ソールもあの女も、まだ貴様のことが必要だろう!」
「バルシークさん!」
なおも答えようとしない雷霆へ、メリーが詰め寄る。
「理由を教えてくださいなのです。じゃないとメリーは戦わないのです」
「どうしてもか?」
「当たり前なのです! 何もわからないまま戦うなんて絶対に嫌なのです!」
頑として譲らないメリーに大天使は苦笑してから、諦めたように。
「私は今までの戦いの中で、多くの犠牲を生んできた。その事に言い訳をするつもりはない」
全ては愛する者を護るためだった。
無抵抗な人間の命を奪った事も、隙を見せるとわかっていながらシスを庇った事も、後悔はしていない。だからこそ。
「自分が完敗する時には、全ての責を負うつもりでいる」
それが命を奪った者に対するせめてもの誠意であり、騎士として遂げるべき最期だとも信じている。バルシークはほんの少しだけ、申し訳なさそうに。
「お前達の望み、叶えてやれなくてすまないな」
彼らが自分に望む事が分からないほど、愚かではない。
自分の死が残された者を悲しませる事も、誰より理解しているつもりだ。
「だが、これが私の生き方なものでな」
騎士としての誓いを立ててから数百年。
在り方を変えるには、長く生きすぎた。
「…最初からそのつもりだったの?」
ロビンの問いにバルシークはかぶりを振る。
手負いのシスを狙わず、真っ向勝負を挑んできたこと。その姿勢に称賛を覚えたからこその決断。
「自分たちが何を言っても、意志は変わらないんですねー…?」
諏訪のどこか悟った物言いにバルシークは微かに笑んでから。ロングソードを構え直すと、先刻から言葉を発せずにいる相手に声をかける。
「迷うな、夜来野」
はっと顔を顔を上げる遥久へ向け、言い切る。
「手負いとは言え私は甘くないぞ」
聞いた遥久は苦悩の色を微かに滲ませながら。
「『戦場というものは、常に命を懸けた選択の連続だ』…でしたね」
迷いは即、死に繋がる。初めて刃を交えたときに、言われた言葉だ。
それでも対話を諦めたくなかった彼にとって、突き付けられた選択をそう簡単に受け入れられないのも確かで。
沈黙が続く中、最初に切り出されたのは親友の言葉。
「…俺はコアを破壊するぜ。じゃないと、あの時負けた意味がない」
研究所での惨劇が脳裏をかすめる。鳴り止まぬ悲鳴、血に染まった絶望の色。
良助も静かに頷いて。
「僕も彼がそう望むのなら、戦うよ」
あの時失った命が戻るわけではないけれど。今ここで自分が退けば、彼らの殉死が無駄になると思ったから。
「――分かりました」
ブルーグレーの瞳が、瑠璃をまっすぐに見据えた。その瞳から迷いの色は消えている。
――ああ、そうだ。
ようやく思い出した。
選ばされるのなど、甚だ性に合わない。だから。
「私は私の意志で、貴方を越える事を選びます」
「重畳だ」
刹那、バルシークの身体を凄まじい量の蒼電が覆い始める。
地が震えるような雷鳴と蒼き閃光。
雷霆が咆哮する。
「行くぞ、撃退士よ!」
「待て!」
追いすがろうとするシスをコア班の数名が押さえ込む。
「何をする貴様ら! 離せ、離せええっ!」
「馬鹿野郎!」
羽交い締めにされるシスを、マキナは殴りつける。
「今お前が行ってどうする! 何のためにあいつはお前を庇ったと思ってんだ!」
ぎりぎりの状況下で何より彼を生かすことを選んだ。出血で意識が朦朧とする中、マキナは必死の思いで叫ぶ。
「てめえも男なら黙って見届けてやれ!!」
蒼の剣閃が走る。
それはまさに、鬼神と呼ぶに相応しい気迫と苛烈さ。
刃が唸り、稲妻が大気を切り裂く。
「まだあんな力が……」
一人の男が命を燃やし尽くす壮絶さに、気圧されそうになる。
このままでは押し切られると思った時、戦槌を手にしたナナシが立ちはだかる。
「蒼閃霆公バルシーク! あなたの意地、私も真っ向から受けて立つわ!」
「望むところよ!」
身の安全など考えてはいられない。彼の命を受け止めるのが今自分たちにできる唯一の事だと思うから。
「メリーは…メリーは…」
瞳に涙を一杯に浮かべ、メリーは必死に立ち続ける。
「絶対に…負けるわけにはいかないのです!」
大天使の真正面に立った遥久が、捨て身の勢いでバルシークを押さえ込む。
「私は貴方を…越えてみせます…!」
もう身体はとうに限界。意地だけが彼らの意識を支えている。
「今だ!」
動きが鈍った瞬間、懐に飛び込んだ良助が渾身の零距離殺撃を撃ち込む。
大きくバランスを崩した所に撃ち込まれる、最後の猛攻。
「バルシーク…あなたの生き様、見事だった、わ」
「自分達の全てをぶつけるのですよー?」
胡桃と諏訪が狙い定め、ロビンと露姫が冥を宿す術を放つ。
「……全力でいくよ」
「俺も守らなきゃなんねぇもんがあるからな。手加減はしねえ!」
そしてナナシとクリスティーナが繰り出すのは、我が身を顧みない渾身の最終打。
「これで最後よバルシーク!」
「散りゆく貴方のために奏でましょう、ムーンライトレクイエム!!」
互いの意地と矜持がぶつかり、弾け、全てを飲み込んでゆく。
鮮血が弧を描くように舞い上がる。
血溜まりの中、蒼閃霆公はわずかに微笑を浮かべ――
たった一言、口にした。
「完敗だ」
※
ベロニカの群青は、忠誠の章。
この身を、命を、魂を。
捧げると誓ったあの日から、最も好きな色になった。
誓いは果たされて初めて、意味を持つ。
これは自身の教訓であり――騎士としての尊厳でもある。
※
倒れ込む瑠璃の瞳が、天を仰ぐ。
白銀の鎧は赤黒く染まり、荒い息の中呼吸すらうまくできていないように見える。
「蒼閃…霆公」
光を失いつつあるバルシークの元に、シスがふらつきながら歩み寄る。その顔は蒼白で、大天使の傍らに座り込むと絞り出すように声を漏らす。
「逝くな…頼む、逝かないでくれ……」
懇願するシスの頭に手をやると、雷霆は微かに笑む。
「生きろ、シス」
命に代えてでも守りたかった、希望の象徴。
「新しい時代を創るのは、お前たちだ」
遠のきつつある意識の中、最期に浮かぶのは花のようなリネリアの微笑み。
結局最後まで謝ることが出来なかったけれど。
(ゴライアス、お前も同じだろう?)
騎士としての死に時を得た。
自身の命はここで役目を終え、次の世代が新しい人と天魔の在り方を生み出すだろう。
悔いは無い。
光信機を手にした良助が、涙混じりの声で告げる。
「ゲートコア、破壊成功……っ」
瑠璃の破片が砕け散ったと同時――歴戦の大天使は、その生涯を閉じた。
●受け継ぐもの
大天使バルシーク戦死。
その一報は、瞬く間に天界と学園に広がった。
彼の死は北門区戦にも好機をもたらすことになる。指揮官が彼の従士であった事が影響したのだろう。
残されたシスは、後処理のためすぐに撤退しようとしなかった。
互いに満身創痍。これ以上戦うつもりもないと引き揚ようとしたところ、彼の方から呼び止めてくる。
「貴様宛に預かっているものがある」
そう言ってメリーへと差し出されたのは、掌に収まるくらいの真っ白な小箱。蓋を開けると、鮮やかな群青色のリボンが収められている。
「これ……」
「手料理の礼と言っていた」
シスはそれ以上は何も言おうとはしない。メリーは言葉にならない様子で上質なサテンを見つめる。彼女の豊かな赤い髪に、きっとよく映えるだろう。
「……バルシークさんはずるいのです」
最初から最期まで、肝心な事は何一つ伝えられずに逝ってしまった。リボンに触れるメリーの頬を、涙がぽろぽろと伝う。
ありがとうと伝えたかったのに。
自慢の兄を紹介したかったのに。
もっともっと、話をしたかったのに。
泣き続ける彼女の肩を、マキナが何も言わず支えてやる。
次にシスはわずかに躊躇う様子を見せた後、腕に抱えていたものを差し出す。
「受け取れ」
それは、バルシークが最期まで手放さなかったロングソード。
騎士の誇りにして魂そのものを差し出され、撃退士たちは顔を見合わせる。
「このようなものを受け取るわけには…」
「……この戦いに入る前に、あの男に言われていた」
自分にもしものことがあれば、この剣を撃退士に渡して欲しいと。
「だからこれは、貴様らのものだ」
しばらくの沈黙の後。皆に推された遥久が、代表して剣を受け取る。
「……重いですね」
シンプルながらも鍔や柄頭の部分に瑠璃がはめ込まれた、美しい一振り。
受け取った重みは、想像より遥かに上で。
主を失ってなお白銀に輝く刀身を、遥久はしばらく見つめ。やがてシスへと向き直ると、一礼をする。
「従士シス殿。蒼閃霆公の『魂』、確かに受け継ぎました」
驚いたようにこちらを見つめる天使へ、告げる。
「我々撃退士一同、この命尽きるまで背負っていくと誓います」
それを聞いたシスの中を、あらゆる感情が駆けめぐっていく。
この剣を託す相手がソールでもリネリアでもないことが信じられなかった。
けれど今になってようやく、少し理解できた気がする。
渡す相手に人間を選んだ事に、彼が抱いた希望全てが集約されていたのだ。
「おい、クリ公。何シケた顔してんだよ」
憔悴しきったシスの様子に、露姫が声をかける。
「ったく、お前がいつまでもそんなんじゃ調子でねえからな? これでも飲んで、さっさと元気出せよな」
突き付けられたのは、胃薬と書かれた袋とお茶入りペットボトル。
「あ…ありがとう……」
素直に受け取るシスを見て、露姫はやれやれと言った様子で。
「何でこう出来た妹には、必ずって言っていいほど抜けた兄貴がオマケに付いてくんのかねぇ…」
だからこそ、放っておけないのだけれども。
「前を向きなさい、ね? 貴方らしくないわ、よ」
胡桃の言葉に、シスはわずかに顔を上げる。
「貴方が受け継いだものも、あるのでしょう? それを背負っていけばいい、わ」
それと、と微笑んで。
「貴方からもらう真名、聞いてあげてもいいわ、よ?」
聞いたシスは驚いたように言葉を飲み込んだ後。
「そ、そうか…ふん。貴様がそこまで言うのならば仕方ないな『桃銀の絶対狙撃少女(ピーチトリガーハッピー)』よ」
「……やっぱり、聞かない方がよかった、わ」
「何だと!?」
「冗談、よ」
ようやくいつもの調子を取り戻しつつあるシスを見て、マキナが問いかける。
「そういやお前はメリーのチョコ全部食べたんだろうな?」
「当たり前だ。生け贄を無下にするほど俺様は外道ではない」
思いっきり胃薬握りしめているけど。
「ヘッ、てめえもやるじゃねえか。…ま、妹の手料理は全て完食するものだからな」
「………お前も……大変だな………」
「貴方は私が思っていた通りの人でしたわね、『凍てつく玻璃滅士』」
「『北海の閃光』か……」
「情にとても篤い。素敵なことですわ」
「ふん…そういう貴様も同じだろう」
だからバルシークがリンクを切らないと言った時、詰め寄ったのだろうから。
良助はトートバッグから大福を取り出すとシスに渡す。
「特別君にあげよう。一度食すと病みつきになる邪神の食べ物『アンコモチ』だ」
「ほう…その様な者を生み出すとは、貴様やはりなかなかの使い手だな『大福の創造主』よ」
そう言って大福を受け取ったシスは、隣に立つロビンに視線を移す。
「こ…この間のことは俺様が悪かった」
「……?なんの事だろう」
きょとんと小首を傾げる彼女へ、ばつが悪そうに。
「その…顔について言ったことだ」
「ああ、この目出し帽のことかな? 愛用品だよ」
「愛用品になるまでだと!? ほんとにすみませんでした…っ」
全く噛み合わない会話を二人が繰り広げる中、ナナシが手を差し出す。
「バルシークは貴方に未来を託したのよ。そして、私は天魔と人とが仲よく暮らせる世界を願ってるの」
にこっと笑んで。
「だから、シス。貴方ともいつかわかり合えるって、信じてるわ」
同じく手を差し出すのは諏訪。
「自分の夢も、人と天使と悪魔とが手を取り合える『未来』なんですよー?」
ある悪魔と出会い一層強くなった自分の夢。
「シスさんとも、いつかもっとお話ししてみたいですねー?」
二人に手を差し出されたシスは、やや躊躇いがちに俯きながらも。
黙って二人の手を取るのだった。
●瑠璃の天 玻璃の門
一つの天命が役目を終え、新たな時代が門を開く。
受け継ぐ者たちが創る此の先は、まだ誰にもわからないけれど。
願わくば――
争いのない未来を。