●case:黒羽 拓海(
jb7256)
旅人の説明を聞きながら、拓海は感じていた。
(今回が最後、という事は随分と整理が進んできたんだろうか……?)
本人の表情からは、多くをうかがい知れない。けれど最後だと言うからには、何かしらの成果をこの依頼の中で見出したのだろう。
何にせよ、力になれたのなら良かったとも思う。ただ――
(『嘘』『涙』『優しさ』か……)
選んだテーマを思い起こし、拓海はある疑問を抱いていた。
(旅人さんには、何か悔やむような記憶があるのだろうか)
目前の彼はいつもと変わらない微笑を漂わせている。戦闘時と違い、普段の彼が激するところを拓海は見たことがない。
けれど何かの折に、ふとまなざしがかげる。それは頭上を鳥影が横切るかのように一瞬だけれど、拓海はそのことに気づいていたし、また気になってもいた。
理由を訊いてみようかと、考えてみたものの。
――わざわざ触れる事でもないか。
本人が言い出さない限り、問いただす気にはなれなかった。それは彼なりの気遣いであり、距離の取り方でもあったから。
今まで通り、旅人が答えを出す手伝いができればいい。
そう心に決めながら、拓海は席に着いた。
※
「さて、『優しさ』ですか……」
旅人と向き合った拓海は、わずかに苦笑を浮かべた。
「難しいですね。正義と同じぐらいには定義がありますし」
「うん。僕も今回が一番難しいんじゃないかと思ってるよ」
同じく苦い笑みを返す相手へ、一呼吸置いた後。
「そうですね…自分が思うに、優しさというのは一種の劇薬でしょうか」
傷付けないように接する、癒すように慰める、寂しさを忘れさせるように寄り添う。
「一般的にどれも優しいと言えるでしょう。でも、こういう都合のいい優しさは度を過ぎたら依存に繋がる。それは健全ではないと思うんです」
慰めやは耳障りのいい言葉は、ともすれば甘えや馴れ合いと紙一重の危うさをはらんでいる。自分自身、その心地よさに浸りたくなる時もあるゆえに。
「都合のいい優しさだけが幸せ…という訳でもないと思いますし。相手を想うなら、一見そうは見えない優しさの方が大切な時も多いのではないかなと」
たとえ一時的に相手を傷つけることになっても。
「優しい嘘で隠すだけでは、その実誰も救えない。時には正直に告げた方が救われる事もあると、自分は考えます」
ただ、と拓海はそこで言いおく。
「いわゆる都合のいい優しさも、適度なら問題無いんじゃないか…とも。そもそも、人は割とそれに生かされていると思いますし」
旅人は確かに、とうなずきながら。
「拓海君の言う通り、肌触りのいい優しさすべてが駄目だとは僕も思わないかな…。僕らって、そんなにいつも強くいられるわけじゃないもんね」
時には互いを優しい嘘で覆い、一時的に心の隙間を埋めた気になる。
そうやって自分を慰めながら、日々を生きることだってあるだろう。
「もちろん、ずっとそのままでいいわけじゃないんだけど…劇薬に頼るしかないときは、やっぱりあるよね」
「自分もそう思います。……というか、実際そうですし」
「僕だってそうだ」
二人して笑い合ってから、拓海は質問の返答を口にする。
「結局、本当の優しさというのは、『相手を思いやって動く事』ではないでしょうか」
自己満足でも、表面的なものでもなくて。
「たとえ残酷でも、相手を想って行動する。それは優しいと言えるのではないかと思います。…まあ、世の中にはそういう優しさが裏目に出る場合もままあるのが辛いところですが」
拓海の出した答えに、旅人も言葉を選ぶように口を開く。
「そうだね…結局のところ相手がどう取るかは、どうしようもない部分ではあるし」
場合によっては裏目に出てしまうことも、多々あるだろう。
「それでもなお、相手に優しくあろうとすることが、大事なのかもしれない」
失敗してでも、傷ついてでも恐れずに。それはとても――難しいことだけれど。
そこで旅人は拓海と向き直ると、おもむろに切り出した。
「拓海君って、とても誠実だよね」
「自分が、ですか?」
きょとんとした様子の拓海に、頷いてから。
「一緒に依頼をやっていく中で、そう感じる事が何度もあったよ」
最初は四国の研究所でだった。守るべきものを守れなかった、苦い記憶。
「拓海君とは厳しい結果になった依頼も、何度か経験したよね」
「ええ、そうでしたね…お恥ずかしい話ですが」
ばつが悪そうに頭をかく拓海に、旅人はゆるりとかぶりを振って。
「君はどんな結果になっても、結果を真摯に受け止めてた。それだけじゃなく、いつだってその責任と真っ直ぐ向き合おうとしてた。拓海君のそういうところを、僕は尊敬しているんだよ」
「旅人さん……」
それにね、と旅人はひとつひとつの記憶を辿り寄せるように続ける。
「三つのテーマの中で拓海君が語ってくれたことは、すべて『他者のため』が根底にあったよね」
誰かの為に、嘘をつく。
誰かの為に、涙を見せない。
「それって凄く優しいことだし、尊いと思うんだ」
そう言い切った旅人は、この依頼の原点である”自分の失敗”について話した。それは自分と向き合ってくれた相手へ対する、せめてもの誠意であり。
「僕の失敗はとても褒められるようなものじゃないけど…そこに意味を見いだせるかどうかは僕次第だって今は思っている」
話し終えると、旅人は誠実な友へ向け最後に微笑んだ。
「そのことを、君から教えてもらったと思っているよ」
●case:月居 愁也(
ja6837)
いつものようにうーんと考え込んでから、愁也はおもむろに切り出した。
「旅人さんはさ、誰かに『あなたは優しいね』って言われたらどんな気持ちになる?」
「え?」
やや面食らった様子の相手に、ほんの少し笑ってみせる。
「俺はね、『優しいね』って言われたら、もちろん嬉しいけど…内心、ちょっとだけほっとするんだよね」
誰かに優しくできる自分であることに、安心を覚え。
優しいと言われたことを素直に受け止められる自分であることにも、安堵するのだ。
「『優しいね』って言える相手って、少なからず何かをお互いに積み重ねてきた人な気がする」
ちゃんと相手のことを知っているからこそ、口にできるんじゃないかとも。
「『優しさ』から程遠そうな俺の親友はさ。無茶すれば怒るし説教長いし、聞き流してんのすぐバレるし面倒くさいけど」
それでもさ、と愁也はどこか誇らしげな物言いで。
「俺が絶対って決めたことには反対しないし、黙って手を差し伸べてくれるし、絶対に『俺』を否定しない」
そう言う大きな優しさに、何度感謝してきただろう。
「大体自分もヤバいのに『死なせない』とか、オトコマエすぎじゃね? ……あ、今旅人さん惚気てるって思ったでしょ。うんバレてた」
旅人は笑いながらも、うなずいて。
「きっと愁也君にとって譲れないラインを、ちゃんとわかっているんだろうね。それに――」
続きを待つ赤茶の瞳へ、やや冗談めいた調子で言う。
「言っても仕方ないってことも」
その言葉に愁也は笑い声を上げた。
「あいつがここにいたら、もの凄い同意されそう。でもさあ、それって旅人さんも一緒だからね」
「あ、バレてた」
頑固さではどちらも負けてはいない。愁也はひとしきり笑ったあと、いったん居住まいを正し。
「まあだからさ、おれはあいつも、それから同じように俺の周りにいる友達も、みんな優しいと思う」
それだけに、自分も彼らにとって優しく在れるのなら幸せだとも。
「旅人さんにもいるでしょ? 俺らもだけど、俺らだけじゃなくて、さ」
厳しくて優しい、存在が。
「そうだね。僕も周りにいる人はみんな優しいと、思ってるよ」
旅人は迷い無く頷いてみせた。しかしそこでほんの少し視線と落とすと、ためらいがちに。
「……ただ、僕が誰かに『優しいね』って言われたら、ちょっと戸惑ってしまうかもしれないな」
「どうして?」
「自分がどういう人間か、よくわかっていないのと…今まで、色んな人を傷つけてきたから」
「そっかぁ……」
愁也は天井を仰ぐように、しばし考え込んでいた。やがて。
「でもさ、そんなのみんな一緒じゃね? 誰も傷つけずに生きるなんて、できっこないんだし」
「それは…そうかもしれないけど」
「あのね、旅人さん。優しさって、誰かを傷つけないとかそういうことじゃないと思う」
歯切れの悪い旅人に、きっぱりと言い切る。
「本当に相手を大事に思うなら、信じているなら、時には喧嘩してでも傷つけ合ってでも、向き合っていかなきゃならないんじゃねえかな」
そうやって深い関係を築いていくのだとも思うから。愁也は真剣な表情で。
「ずっと前にシツジに『人間の本質とは』って聞かれたことがあったの覚えてる?」
「うん、覚えているよ」
「あの時のことを踏まえて、俺は旅人さんの質問に答えるよ」
こちらを向いた漆黒の瞳に、確信めいた調子で告げる。
「『優しさとは、人間の本質の中の本質。無償の愛』だってね」
聞き終えた旅人は、ふいに窓の方へと視線をやった。しばらく沈黙した後、呟くような声音が耳に届く。
「……僕の好きな映画にね、『人は自分自身以上に愛する者があるとき、本当に傷つくのだ』っていう台詞があってね」
言いながら、ゆっくりと愁也を振り向き。
「人の本質を突いた、いい言葉だと思う」
旅人はそこで、目元に微笑を漂わせた。
「僕はね、愁也君が人の本質は愛だといったのは、とても共感できるんだよ」
形のないものに救われ、形のないものに振り回される。心の底から誰かを愛し、本当の喪失を知る。
歓びと痛みの大きさは反比例。
それでも、人は誰かを想わずにはいられない生き物だと思うから。
「愁也君が語ってくれた話には、決まって大事な親友とのエピソードがあったよね」
「ああ、うん。もう旅人さんだし自重する必要もないかなって」
旅人は笑いながら、目でうなずいてみせ。
「その話を聞いていてね、気づいたことがあるんだ。愁也君達はお互いに相手のことを、なんの疑問もなく信じてる。それって結構凄いことだし、無償の愛ってこういうことを言うんだろうなって」
「……うん、確かにそうかも」
愁也はちょっと気恥ずかしげに同意する。
「じゃあ僕はそれ程に誰かと深く繋がれたことがあったか…って思うとね。少し、羨ましかった」
あの時、信じればよかった。
恐れなければよかった。
そんな風に思うようになったのも、彼らの関係に憧憬を抱いたからだろう。
事情を聞いた愁也は、しばらく黙り込んだ後。まっすぐに旅人を見つめ、切り出す。
「ねえ、旅人さん」
「うん?」
「何かやりたいことがあるのなら、手を貸すよ」
目前の友は、やや驚いたように瞳を瞬かせている。
「最後の最後は旅人さんが決めることだけどさ。旅人さんが傷ついたり困ってたりしたら全力で助けに行くし、無茶したら怒るし」
手を伸ばせば必ず掴むし。
「旅人さんは大事な友達なんだから。いつだって味方するよ」
対する旅人はじっと見つめ返していたが、やがてふっと頬を緩め。
「愁也君に隠し事はできないね」
「うん。似た者同士だからね」
にやりと返す相手に、心からの言葉を告げる。
「いつもありがとう。愁也君と出会えて…本当によかった」
「だろー?」
愁也は嬉しそうにそう返すものの、何故か急にそわそわとし出す。
「……やっぱ面と向かって言われると照れるね。うん」
次第に恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、そのまま突っ伏してしまう。
そんな素直で、頑固で、かけがえのない友を見て。
旅人はただ、幸福を感じるのだった。
●case:ユグ=ルーインズ(
jb4265)
(旅人ちゃんは何かを掴めそうなのね)
目前に座る旅人を見て、ユグは内心でよかったと思う。彼が何を掴もうとしているのかは、解らないけれど。
(…まぁそれが何であれ、アタシはいつも通り、アタシが思う事を話すだけね)
そんなことを考えながら、本題へと移る。
「うーん、優しさかぁ…」
人差し指を顎に当てたユグは、一通り思考を巡らせてから唇を開いた。
「言葉で言い表すなら『誰かのことを想う心』って感じかしら。アタシが優しさって認識してる物事に共通してる事がそれだなって」
例えばね、と自分にとって優しく見えた存在を、思い起こす。
「以前話した他人の為に泣けるママさんとか、息子を一人前に育てようとしてくれたお父様やお母様とか……」
そこでふと、何かに辿り着いたように視線を留める。旅人をちらりと見やり。
「また、昔話しちゃってもいいかしら?」
「うん、聞かせてくれるかな」
その返事を受け、ユグは遠い記憶に意識を馳せた。
「……あれは、まだ堕天する前の話ね」
もう何年前になるだろう。普段は思い出す事のない、自分を偽っていた頃の苦い記憶。
「あの頃は下っ端天使だったから、上から雑用を言いつけられたりするのね」
その日の仕事は、上司がサーバントに襲わせた街の状況確認だった。
「人間にとっては嫌な話だろうけど、感情を得るのが目的な以上殺し過ぎるのも駄目だから」
状況を見て適度なところで引き上げさせろ、という任務だった。
目前に座る旅人は、何も言わず耳を傾けている。その表情には嫌悪も怒りも映し出されてはいないけれど、故郷を天魔に奪われた彼にこんな話をするのは、ほんの少し胸が痛んだ。
「……まぁそんな胸糞任務をやってるとさ、生き残った人間にも時々出会うわけ」
まだ幼い兄弟だった、とユグは言った。
弱い人間の中でも、更に弱い子供。
自分たちの気まぐれで簡単に命を奪えてしまうような、脆くて儚い存在だった。
「でもね、兄らしき子は弟を庇うのよ」
そして弟も天使である自分を精一杯威嚇して、兄を助けようとしていた。
「弱い者がさらに弱い者を護ろうとする光景をね…アタシはそこで初めて見たわ」
まるで頭を殴られた気分だった。
守ると言う行為は強者にのみ許されるものだと、どこかで思い込んでいたのかもしれない。
その後も同じような光景を目にする中で、弱者でしかなかった人の強さと優しさに、心を動かされなかったと言えば嘘になる。
そこでユグは、申し訳なさそうな微笑を口端に刻む。
「ごめんなさいね、旅人ちゃんにとってはあまり聞きたくない話だったでしょうに」
「いいんだ。思ったことを話して欲しいと言ったのは、僕なんだから」
かぶりを振った旅人は、静かな笑みを返す。
「そもそもユグさんはずっと、自分の過去を包み隠さず話してくれてたよね」
嬉しいことも、悲しいことも。
言いづらいことも、後ろ暗いことも。
すべてをありのままに伝えるのは、本来とても骨が折れることで。
「今回の話だって、そうだ。僕がユグさんの話をどう受け取るかはわからなかったはずだよ」
自分の不利益になる可能性だってあったのに、それでも彼は正直に話してくれた。
その勇気に、敬意を払わずにはいられないから。
「……そうね、言われてみればそうかもしれないわ」
ユグは頷くと、ほんの少し考える表情をみせる。
「何故かって言われると、上手く答えられないわね…アタシがそうしたかったから、なんだけど」
特別な意志や理由あってのものでもないし、さりとて依頼だからという義務的な意識のものでもない。
言うなればそれは――
「……さっきの兄弟の話に戻るけど。旅人ちゃんは、あの子達が自分の損得を考えて相手を庇ったんだと思う?」
「いや、そうは思わない」
きっぱりと否定すると、ユグも首肯し。
「そうよね、むしろ損にしかならない可能性の方が高かったものね。それでもあの子達は真剣だった。何故かしら?」
「それは……本気で相手を助けたかったからじゃないかな」
答えてから、旅人はようやく合点した。
兄は弟を、弟は兄を助けたいと想ったから行動した。ユグの場合も、同じことなのだと。
「誰かのために動けるって、きっと素敵なことよね」
自分の都合だとか不利益だとか、そんなものを越えて誰かのために動くとき。
そこには必ず、純然たる他者への想いが存在するのだとも思う。
「相手を想う確かな気持ち。そこから生まれた言葉や行動は、その人にとって助けになる事も、逆に傷つける事もあるんだと思うわ」
けれどその根源となる心を表現するのに、相応しい言葉があるならば。
「それはやっぱり『優しさ』だと思うの」
聞き終えた旅人は、しばらくの間じっと一点を見つめていた。やがて独り言めいた、呟きが漏れる。
「――あの時、助けたい気持ちに嘘はなかった」
「え?」
聞き返すユグに向き合うと、旅人は一度深呼吸をする。何かを決めたように視線を上げ。
「ユグさん。僕も正直に過去のことを話そうと思う。よければ、聞いてもらえるかな」
語られたのは、苦い記憶。
自分が嘘をついたことも、そのことで大事な相手を傷つけたことも、すべてをありのままに話す。
「当時の僕は、とにかく彼女を死なせいことしか頭になくて…その気持ちだけを、何より優先させてしまった」
本当は、相手を本音で説得すべきだったのに。
「ただね、ユグさんの話を聞いて思ったんだ。十年前と今とでは、考え方もやり方も違う。でも根底にあるものは、きっとどちらも同じなんじゃないか…って」
「ええ、アタシもそう思うわ」
ユグははっきりと言い切る。その表情は確信に満ちていて。
「旅人ちゃんの中にある根源的な心は、今も昔も同じ。その人を想う気持ちよ」
その言葉に、旅人はわずかに目を瞑った。
固い結び目が、ほどけていく感覚。出口の見えない混沌の中で、たったひとつ信じられるものを見つけたような。
「……ありがとう、ユグさん」
視線を上げた瞳には、安堵にも似た色が映っていた。
●case:久我 常久(
ja7273)
「もう依頼ださねぇんじゃねぇかとおもったぜ?」
開口一番そう口にした常久は、旅人へ向けにやりと笑う。対する旅人も、苦笑を浮かべながら。
「もう来てくれないかと思いました」
「何ぃ? 俺がそんな薄情な奴に見えんのか?」
「いえ、見放されたんじゃないと知ってほっとしてます」
素直な返答に常久はやれやれと言った様子で。
「まぁ根性のあるヤツは嫌いじゃねぇぜ」
そう言って席に着くと、いつものように思考を巡らせる。
「さて、【やさしさ】か……」
常久は腕を組んだまましばし黙考し、口を開く。
「【答え合わせ】、じゃねぇかな」
「答え合わせ…ですか」
呟く旅人に、頷いてみせ。
「こうしたら喜ぶんじゃないか、嬉しいんじゃないか、和らげれるんじゃないか」
相手の事を想像して、良かれと想い、行動する。
「だけどよ、その【基準】は、自分の中にある【相手】なんだよな」
今まで一緒に行動してきた分、相手がしそうな行為がなんとなく分かるようになる。
きっと、こうだろう。こうに違いない。自分が見ている【相手】がそうであることを期待して。
「場合によっちゃ、それを【基準】にして、自分の中にある【相手】を押し付けているようにも見える。本当にソレを相手が必要としているのかなんて……本人にしか分からないのにな」
だから時々、確かめようとするのだ。
自分の感じている手触りは、確かにそこに在るのか。
差しのべた手は、本当に冷たい雨を遮ることができるのかと、答え合わせしたくなる。
「確かに…自分が相手のためを想ってやったことが、ちゃんと役に立てたのか。気にならないかと言えば嘘になります」
だろ? と言いおいてから、常久は向き直る。
「だがな、大切なのは正解するかどうかじゃない。答えが出るまで、やり続けられるかどうかだ」
そう語る彼の表情はいつになく真剣だ。
室内に響く声音も、一際重みを増すようにも聞こえ。
「人が誰かに優しくするのは何故か。傷ついてほしくない、笑顔で居てほしいからだ。それは何故か? 大切だからだ」
大切な人に笑ってほしい。幸せでいてほしい。
そう思えば思うほど、相手のことをもっと知りたくなる。
「だから理解しようとして、触れて、ぶつかって、離れて、また触れようとする。そうやって何度も失敗しながら、ズレを修正していくんじゃねぇかな」
「そうですね…その通りだと思います」
旅人の返事に、困惑の色は感じられない。
「多分、一生の内で相手の事をすべて理解するのは難しい事なんだ」
わかったような気でいて、わからない。
そもそもすべてを理解できると思う事自体、幻想なんじゃないかとも思う。
「だがな、相手を理解しようとすることは誰にだってできるはずだ。どちらかがそのことを諦めた瞬間、【答え合わせ】はきっと【別の何か】になる」
「……別の、何か」
「あー…例えば、【嘘】であったり、【憎しみ】であったり、色々だろうよ」
ぶっきらぼうに答えると、常久は旅人を見据え。
「そう言う意味ではな、中途半端なのは下手すりゃ無関心よりも相手を傷つける。負の感情を呼び寄せちまうんだからな」
その言葉が、旅人には重い実感となって喉へと押し込まれた。知ろうとしなかった、わかろうとしなかった自分を隼人が許さなかったように。
「優しくするっていうのはな、相手を理解しようと踏み出す一歩なんだと俺は思うぜ。もちろん、これだけで自分や相手の事が解るだなんて、ありえねぇけどな!」
そう言い切ってから、旅人にはっきりと告げる。
「だから、諦めるなってことだ。お前が本気で誰かに優しくしたいと想うのなら」
心の底から、相手を解りたいと想うのなら――
「最後まで、ぶつかってこい」
過去の自分と、未来の自分に。失ったものと、変わらないものに。
こちらを向いた漆黒に、常久は再びにやりと笑んでみせる。
「俺達は、隣に居るぜ?」
「……ありがとうございます」
口に出された言葉には、深い感謝の念が宿っていて。旅人はまっすぐに常久と向き合うと、おもむろに切り出す。
「久我さんって格好いいですね」
「何だぁ? 褒めたって何も出ねえぞ」
そう言ってがははと笑う常久に、つられて笑いつつ。
「同じ男としてそう思います。理屈じゃなく」
自分が人として、男としてどうあるべきか、今まであまり考えたことがなかった。
でも常久に様々な問いかけをされたことで、自分に足りないものと向き合わざるを得なかった。それは時に、辛いものだったけれど。
「久我さんが仰ってた『大人の男』がどういうものなのか、僕にはまだはっきりとはわかりません。でもいつか、近づいたと言われるようになりたいですね」
聞いた常久は冗談っぽく返す。
「そうだな。いい加減大人にならないとな?」
「ええ。もういい年ですしね」
そう言って互いに笑い合ってから、旅人は告げる。
「近いうちに、『答え合わせ』をしてきます」
●case:加倉 一臣(
ja5823)
「やぁ、今回で最後か。終わるとなると何やら寂しいねぇ」
いつものように気軽な調子で、一臣は席に着いた。
「足掻き続けるのも、そう悪いことじゃないよな」
自分自身、ここに来てずいぶんと思い知らされたなと、話しつつ。
「ああ、そうそう。前回はタビットのこと、話してくれてサンキュ」
意外そうな顔をする相手へ、笑いかける。
「ああして互いの柔らかいところ…っていうの? そういうのを晒しあえる相手がいるっていうのは救いだなって思う」
だからありがとな、と伝えると、旅人はどこか気恥ずかしげに頷く。
「うん。僕もああ言う話を誰かにするのは初めてだったけど、言えてよかったと思ってる」
自分のことを話すのは、まだまだとても勇気がいるけれど。
「話せたことでだいぶ楽になったんだ。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
その言葉に一臣も頷き返してから。
「今までの話、彼女の件だったんだね」
「……うん」
「辛い記憶ってのは無意識に深いところへ押し込まれるって聞いたことあるけど…そうか、思い出したんだな」
思い出せるようになったのは、たまたまなのか、彼の中で起きた何かがそうさせたのか。
今はまだ、はっきりとは解らないけれど。
「…っとごめん、『優しさ』についてだったね」
一臣はひとしきり考える様子を見せてから、口を開く。
「色々な形の優しさがあるよな」
自分が今まで受けてきた優しさを、ひとつひとつ思い起こしてみる。
「相手は、別に優しくしたつもりなんか全くなくてもさ。その一言、そのたったひとつの行動でこちらの気持ちが軽くなったら、それは俺にとって『優しさ』に思えるかな」
自分の弱いところにそっと落とし込まれる一滴の優しさで、救われることがある。
その出所がどうであれ、受ける側が優しいと感じたならそれは『優しさ』と呼べるのではないだろうか。
「確かに…『この人優しいな』と僕が思っても、相手がどういうつもりだったかは分からないもんね」
「もちろん、優しくする側とされる側の認識が一致しているのが、一番いいんだろうけど。なかなかそういうわけにはいかないもんな」
だからこそ、優しさに勇気づけられることもあれば、傷つけられることもあって。
誰かに優しくしようとしても、独りよがりになることもある。
「一筋縄でいかねぇもんだなとは思うけど…それでも、周囲の優しさに生かされてる部分が多々あるなって、俺は思うよ」
そう言い終えてから、一臣はおもむろに切り出す。
「俺、タビットは優しいなって思うよ」
「えっ……」
何も言わずこちらを見つめる相手に、はっきりと頷いてみせ。
「真っ直ぐにそのままの意味でな」
同じ時を何度も過ごしながら、この頑固な友人を傍で見てきた。
仲間のために奔走したり、命を張ったり。
「無茶するときは心配だから怒るけどな! ただ、俺は色々な時にタビットの優しさを感じてるよ」
旅人は一度瞬きをしてから、苦笑めいた笑みを口元に刻む。
「実はさっきね、愁也君と話した時に『旅人さんは優しいって言われたらどんな気持ちになる?』って聞かれたんだ」
「えっ…そうなのか?」
思わず聞きかえす一臣に、首肯し。
「その時、僕は戸惑うかもしれないって答えた。自分は優しいと言ってもらえるような人間じゃないと、思ってたから」
「あーそれ愁也反論しただろ」
「うん」
「だろうな」
おかしそうに頷いてから、一臣は問う。
「…で、今は?」
「正直に言うとね。僕が仲間のために無茶をしてしまうのは、突き詰めれば自分のためなんだ」
相手を想う気持ちに嘘はない。けれど喪失を恐れ、後悔を恐れてやっているのも否定できなくて。
ただ、と旅人は言いおいてから視線を上げる。
「案外、それでいいのかもしれない」
与える側と受ける側。何が正しいのかはわからないけれど。
「オミー君が優しいと言ってくれるなら、僕はそう思ってもらえるだけの結果を出せたってことなんだよね。きっと。だからそこは素直に喜びたいと、今は思うよ」
「うん、それでいいんじゃないか。難しい事は考えずにさ」
相手の本心なんて、本当のところはわからない。なら、伝えてくれた言葉をそのまま信じたっていいじゃないかと思うのだ。
「ただね、オミー君」
そこで旅人は一臣に向き直る。
「僕こそね、オミー君や愁也君や……周りのみんなの優しさに、本当に救われてたよ」
ずっと自分に興味がなくて、そのことで誰かを傷つけるなんて考えもしなくて。
自分が傷つけば、自分を大切に想う相手も傷つく。そんな簡単なことが、友を怒らせるまでわからなかった。
「結局、僕は逃げていたんだ」
誰かと深い関係を築くのが怖くて、心の底にある本音を言い出せなかった。それでも手を差しのべてくれた彼らに、どれほど救われたかわからない。
話を聞いていた一臣は、しばらくの間沈黙していた。やがて顔を上げ、はっきりと。
「旅人、ありがとな」
「え?」
「お前が本音で語ってくれて、俺は嬉しい」
「オミー君……」
微笑映す薄茶の瞳が、分かっていると告げている。
「頑張れよ。まだやるべきことがあるんだろ?」
その響きは、まるで背中を押してくれるかのようで。
「……うん。まだ、諦めたくないんだ」
「あ、ただな。俺にも優しさを発揮できる機会を与えてくれたら友として嬉しいってことも、お忘れなく」
そう言って笑う一臣に、思わず口にしそうになる。
「……もし僕が」
言いかけかぶりを振る。今はまだ、口にする勇気が持てないけれど。
(いずれ過去と折り合いをつけられたら――)
その時は、君を親友と呼んでも構わないだろうか。
●after
依頼後、会議室にはメンバー全員が集まっていた。
そこには先程までいなかった、ユイ・J・オルフェウス(
ja5137)の姿もある。
体調不良から欠席の連絡が来ていたのだが、どうしてもと駆けつけてくれたのだ。
「遅くなって、ごめんなさい、です」
心底申し訳なさそうにする彼女に、旅人はかぶりを振って。
「来てくれただけで、十分だよ。それより体調の方は大丈夫?」
こくりと頷くユイに、旅人もそれならよかったと微笑んでみせる。
旅人は改めて全員に礼を言うと、今回の依頼に至る経緯をもう一度説明した。
事件の話から、幼馴染みを傷つけた話。亡くなったと思った彼女が、生きているかもしれないことまで、すべて。
「その人は、今、どこにいる、です?」
ユイの問いかけに旅人はわからないと答える。彼女はほんの少し考えた後。
「もし、いるところがわかれば、会いたいです、か」
旅人は迷うことなく、はっきりと頷く。
「うん、会いたい」
伝えたいこと、伝えなければならないこと。
きっとたくさんありすぎて、その半分も言えるかどうかわからないけれど。
「もう、逃げたくないんだ」
旅人の言葉にユイを含めた全員が、頷いてみせる。
「きっと、会える、です」
それはもしかすると、願望なのかもしれない。
もう二度と会えない大切な人たち。
喪った存在を目にしすぎたからこそ、一筋の希望がひときわ輝いて見えてしまう。
――願わくば、叶わんことを。
季節は盛夏を迎えようとしていた。