●case:月居愁也(
ja6837)
”今までで一番記憶に残る『涙』は?”
質問内容を聞いた愁也は、両手を頭の後ろで組むと小首を傾げた。
「嬉し涙も悔し涙もあるからなー…一番ってすげえ難しくね?」
そう言ってひとしきり悩んでから、そうだなーと切り出す。
「双頭竜を倒した時かな!」
「ああ…!」
聞いた旅人も大きくうなずく。
四国で起きた冥魔戦。その幕開けでもあり、旅人にとっても忘れられない戦いだった。
「左右同時に倒さなきゃとか、連携してとか、相談からもうすげえ難しかったし凹んだし…俺すげー空回りしてる感いっぱいでさー。今もそこは変わんねえけど」
瞬く間に過ぎていく時間、やるべきことの多さ。
今となっては笑い話にできることでも、当時は焦燥感やらもどかしさやらで一杯一杯だった。
「多くの人の命がかかっていたんだもの。仕方ないよ」
「ほんとなー。だからこそ、成功した喜びもすっげー大きかったんだろうけど」
必死で走り抜けた森も、受けた攻撃の重さも、親友の守りを背に突っ込んだことも。
「とにかくあの時は無我夢中でさー。冷や汗たらったらで撃破と救出全部やり遂げてさ」
助けられたと分かった時の気持ちは、ちょっと言葉にはできないくらいで。
「あの瞬間、怪我も何もかも全部吹っ飛んでさ。みんなで爆発するみたいに雄叫びあげて、嬉し泣きしたなあ」
「うん。僕もオペレーター室で報告を聞いたとき、全身が震えたよ」
張りつめていたものが一気に解かれ、気付けば涙を流して喜び合った。忘れられない、歓喜の涙。
「皆で協力してやり遂げる嬉しさを味わった涙だったよね。今でも一番心に残ってる」
愁也はそう言い切ってから、今度はほんの少し視線を落とす。
「…けど、普段思い出すのは悔しかった涙かな」
脳裏をかすめる、血の色と臭い。
「四国の…あの日のことは一生忘れない」
旅人も何も言わず頷く。あの日あの時、同じ悔しさと絶望を味わった。
「この件で愁也君とちゃんと話すのは、初めてかもしれないね」
「あの時はお互い余裕なかったもんなー。俺しばらく失踪してたし」
そう言って軽く笑ってから、すっと口元を引き結ぶ。
「…滲んだ視界で見たバルシーク公の背中も忘れない。すげえ悔しかった、なんで動けねえんだ俺って悔し泣きしてさ」
「うん。僕も同じだった」
「だよね」
互いに死活で命を削り、血だまりの中で意識を失った。それでも助けられなかった現実を、どう受け止めればいいのかさえ分からなくて。
「たぶん…この悔しさが消えることは、ないんじゃないかと思う」
「俺もかな。というか、こういうのって妥協できるもんでもねえじゃん? だからこの先何度も思い出して、そのたび悔しくなってさ」
どうにもならない感情にさらされて。
「絶対、もっと強くなってやるって思うんだろうなー」
「うん。だと思う」
「だよね」
互いに頷き合って、しばらく沈黙した後。
「…あ、それとさ。『見せない涙』ってのもあるよね」
思い出すのは、高知での一件。
「大規模作戦でソールと相対して、ある瞬間に深い慟哭が見えたけど…彼は泣かなかった」
「ああ…そうだったね」
「ずっとバルシーク公追いかけてた相方もだけどさ…やっぱり、泣かないんだよね」
そんな彼らの背を見て、感じたことがある。
「泣けるってのはさ、案外幸せなことなのかもしれない」
自分の中で消化できて、初めて「泣ける」のだとも思う。
「泣いて初めて、感情に折り合いをつけた…っていうのかなあ、自分の中で納得するんじゃねえのかなって」
うまく言えねえけどさ、と愁也は小さく笑い。
「だから『泣かない』人は、一生それを背負うって覚悟を決めた人なのかな、って思う」
「そうだね…彼らの『泣かない』は信念に基づいたものだと、僕も思う」
受け入れたから。
選んだから。
理由はそれぞれでも、彼らは『泣かない』ことを自分で選択した人たちなのだろう。
ふと、疑問がよぎる。
「旅人さん?」
怪訝そうな愁也の声に、顔を上げ。
「あ…ごめん。僕の時はどうだっただろうって、考えてた」
「それってもしかして…故郷を失った時の話かな」
「うん、最近思い出したんだけどね。僕が記憶を失ったのって事件後一年くらい経ってからのことだったんだ」
「え…それってつまり、一年間は記憶を持ったまま生活してたってこと?」
愁也の言葉に頷いて。
「そのはずなんだけど…どうも泣いた記憶がないんだよね。理由はずっとわからなくて」
考えようとしていなかったせいもあるけれど。
「今思い出してみても、あの時僕に『泣かない』覚悟があったのかと言えば…なかったと思うんだ」
こちらを見つめる愁也へ、困ったように。
「愁也君の話を聞いて気付いたんだけどね。もしかしたら僕は、自分の感情を受け入れられずにいたのかもしれない…その事にようやく思い至ったよ」
「そっかー…」
愁也はひとしきり何か考え込んでいる様子だった。やがて頭をわしわししてから顔を上げると、真剣な面持ちで。
「俺さ、難しい事はわかんねえんだけど…。今は泣けない人がいても、いつか涙したときに寄り添える人がいたらいいし、そうありたいって思う」
だからさ、と愁也は告げる。
「旅人さんは、この先ちゃんと自分の感情を大切にしてよ。半蔵も俺らもいるからね!」
そう言って笑う友人に、旅人は素直に頷いてみせる。
言葉の端々に込められた気遣いが、ただありがたかった。
●case:ユグ=ルーインズ(
jb4265)
テーマを告げられたユグは、記憶を辿りながらふと気付いた。
(そういえばアタシ、あまり泣いた事無かったかも)
『男』とはそういうものだって、教えられていた。だから苦しいと思う事はあっても、大抵笑っていたように思う。
「そうね…あれは堕天してまだ間もない頃だったわ」
語り出したのは、生きるだけで必死だった頃の話。
「戸籍もないアタシが生きる為にどうにか潜り込んだのが、なんの因果かオカマバーの下働き」
身元がはっきりしない自分を雇ってくれる場所なんて、当時はそうそうなかった。
「あの頃のアタシはオネェ様方の生き方や強さに憧れてたけど、まだカミングアウト出来なかったのよね…だから男として過ごしてたわ」
それを聞いた旅人は、前回の話を思い出していた。生きるために偽り続けた過去の日々。
「しばらくはうまくやってたんだけどね。ある日酔った勢いで刃物出して大暴れした馬鹿が出てさ。ママさん達守らなきゃって飛び出して、取り押さえたのは良かったんだけど…」
助けるのに必死で、他の事まで気を回す余裕がなかった。
「うっかり相手の攻撃を透過で躱しちゃってたのね。それをママさんに見られちゃって」
自分に向けられた、驚愕に満ちた視線。しまったと思った時には遅かった。
「その後…どうしたのかな」
「ママさんに呼び出されて、二人きりで話をしたわ」
彼女の顔はいつになく真剣で、もう隠し通すことなど出来ないと悟った。
「だからアタシ、通報されても仕方がないと思いながら全てをママに打ち明けたの。どうせもうお別れだと思ったから、堕天使だって事からママ達に憧れてた事までぜーんぶね」
拒絶されることも、非難されることも、覚悟した。傷つくのはもう慣れっこだったから。
そこでユグは突然、困ったように微笑む。
「そしたらさぁ…泣くのよ、ママ」
最初は天使が怖いからかと思っていた。でもそれは大きな勘違いで。
「ぼろぼろと涙を流しながら、『辛かったわね』『早く言いなさいよ馬鹿』とか言って抱きしめてくるわけ」
薄暗い照明と、香水の匂い。その時の光景は、何年経った今でもはっきりと思い出せる。
「ママの顔、お化粧崩れて正直酷い有様だったけど、その涙は凄く、凄く綺麗でね。でもなんでママが泣くのか全然わからなくて、それなのに気付いたらアタシも涙流しててさ」
何故自分が泣くのかもやっぱりわからなくて、それでも涙が次から次へと溢れ出て仕方がなかった。
「二人してワンワン泣いて泣いてさぁ…最後には泣きながら笑ってたわ。今考えると凄い光景よね」
そう言って笑うユグを見て、旅人は感慨深げに告げる。
「とても…素敵な人だね」
「ええ。アタシにとっての恩人よ」
ユグの返しに頷きながら。
「自分の後ろ暗い部分を話すのは、とても勇気がいるよね」
伝える事で、嫌われるのではないか。
無理に気を遣わせてしまうのではないか。
考え出すと、キリが無い。
「それでも勇気を出して口にしたときに、そうやって寄り添ってもらえたら……」
どれほど救われただろうかと、思う。
「そうね。ママのあの涙で、私は本当に救われたわ」
自分のために流された涙はとても神聖で、どんなものより美しく思えて。
「だからね、雨の後には虹がかかるように、泣いた後に笑う為に涙はある…そんな風にアタシは思うのよ」
「うん…僕もそう思うよ」
感情の発露で流す涙は、きっと自分たちにとって必要なものなのだとも思う。
「ユグさんの話を聞いてね…思い出したことがあるんだ」
「あら何かしら?」
「僕が故郷を失った後の話なんだけどね」
当時は事後処理に追われとにかく慌ただしかった。やるべきことが多すぎて、ただひたすら日々をこなし一年が経った頃の話。
「当時、僕の過去を知らない人に事件の事を話す機会があったんだ。その時に、相手の人が急に泣き出してしまって」
何故泣くのかわからず、問うてみた。
「そうしたらね…『貴方が悲しそうな理由がわかった。気付かなくてごめん』って謝られたんだ。僕はその時初めて、自分がそんな風に見えてたんだって気付いたんだよ」
旅人は困ったように微笑する。
「僕はずっと、自分は大丈夫だと思ってたんだよね」
悲しみに押しつぶされず、涙ひとつ流さず過ごせてきた。このままやっていけるはずだと、どこかで思い込んでいて。
「情けない話なんだけどね。当時の僕は自分の悲しみにさえ、誰かに指摘されるまで自覚すらできなかったんだ」
その出来事から数日して、突然倒れた。高熱で三日間昏睡状態に陥った後、目覚め時には記憶を失っていたのだ。
「記憶をなくした事は辛かったけど…あの時泣いてくれた人に、僕は救われたんだと思う」
聞いたユグも頷いて。
「そうね。多分そのまま過ごしていたら、きっと限界を迎えていたんじゃないかしら」
そして確信を持った響きで告げる。
「その時の涙も、とても綺麗だったに違いないわ」
●case:ユイ・J・オルフェウス(
ja5137)
「今回は、涙、ですか…」
ユイは前回と同じように、考え込む表情になった。
「……正直に言うと、どの涙も、自分のも、違う人のも含めて、私の中では強く焼き付いている、ですから、選ぶのは、難しい、です」
なので、とユイは旅人を見上げる。
「今回は、一番新しいのにする、です」
そう言って息をついてから、ゆっくりと深呼吸をする。一旦視線を落とした後、意を決したように。
「私の、やっとの思いで、お友達になれた子が、死んじゃいました。その時の、涙が、一番最近の、だったと思う、です」
未だ忘れる事などできない、悲しい記憶。
「戦いの中で、お友達が死んじゃった時、私は、涙が止まらなかった、です」
ユイはぽつり、ぽつりと続ける。
「もう一人いたお友達は、すごく、すごく怒ってるように、外側は見えた、です。彼女は、涙こそ、流していなかったですが、きっと、泣いていたのだと、思う、です」
友達がいなくなったのが悲しくて。
自分の不甲斐なさが悔しくて。
信じていたものがなくなるのが辛くて。
「私みたいに、涙そのものを流してなかったけど、彼女の叫びは、武器にぶつけられたものは、涙の代わりの、なにかだったんじゃないかなと、思うです」
流された涙と、流されなかった涙。
けれどその根底にある慟哭は同じだったと思うから。
「そうだね…きっとその怒りや叫びにぶつけられたのは、深い悲しみだった…僕もそう思うよ」
「本当の涙はこんな悲しいもの、ばっかりじゃなくて、うれし泣きってことだってあるはず、です」
本や詩の中にはたくさんあったし、きっと実際にもあるのだろう。
「でも、私が見てきたのは悲しい、悔しい、つらい、そんなのばかり。そして、多分、これからも、そうなっちゃうんじゃないかな、と思っている、です」
ユイの膝に置かれた手は、いつの間にかスカートを握りしめていた。
「大事なお友だちのために、嬉しいや、楽しいの為に頑張っているのに、今集まるのは、悲しいばかり。……戦いが、そうゆうものだとは、わかっているですけど」
その声は微かに震え始めていて。彼女は、どこか助けを求めるように問いかける。
「嬉しいは、いつになったら、やってくる、ですかね」
その瞳から、涙がこぼれ落ちた。
一度流れ始めた涙は止まることなく、少女の頬を濡らし続けてゆく。
「……つらかったね」
旅人はそっと、ユイの頭を撫でた。
きっとこの少女は、終わらない戦いの中で大きな喪失と痛みを、人知れず抱えてきたのだろう。
口に出したことで、ずっと耐えていたものがせきを切って溢れてしまった。彼女が押し込めてきた慟哭の深さに、胸が詰まる思いで。
「ごめんね、辛い話をさせてしまって」
謝る旅人に、ユイは無言のままかぶりを振る。
「……ユイさんが今、感じているようにね。僕も自分が幸せを感じるなんて、一生ないんじゃないかと思っていたよ」
顔を上げたユイに、ハンカチを渡しつつ。
「でも今は色んなことがあって、周りに助けてもらって、ようやく前を向いていけるようになったんだ。ただ…時々ね、どうしようもなく悲しくなる時はあるよ」
「そういう時は、どうしてる、ですか」
「そうだね…昔はよく我慢してたんだけど、最近は素直に悲しむようにしてる」
その方が、次の日にはいつもの自分に戻れる気がするから。
「なんとなく、分かる気がする、です」
ユイの言葉に旅人は頷いて。
「自分が生きる意味を見いだせなくて、それでも生きていかなくちゃならないのは、ちょっとしんどいよね」
旅人の言葉に、ユイはこくりと頷く。
「斡旋所にもね、僕たちみたいに家族や友人を失った人たちが、毎日のように訪れる。彼らの中には辛い事を辛いと言えない人もたくさんいてね…それでも、どうにかしたくて、助けて欲しくて彼らはやってくるんだ」
そんな彼らにしてあげられるのは、悲しみを共有する事くらいだけれど。
「そうやって少しでも痛みを軽減させてあげられるのなら…僕が生き残った意味はある思っているよ」
聞いたユイはしばらく考え込んでいるようだったが、やがて旅人を見上げる。
「西橋さんも、同じ、なんです、ね」
「同じ?」
「どうにかしたかった、から、助けて欲しかった、から」
この依頼を始めたのでしょう?
ユイの問いかけに、旅人は思わず言葉を飲み込んだ。彼女はきゅっと口元を引き結んで。
「悲しい話をするのは、辛かった、です。けど、話せたことで、少し、気持ちが楽になった、気がする、です」
「ユイさん…」
「だから、西橋さんも辛かったら、話して、ください。悲しいが、少しでもなくなれば、きっと私も、嬉しい、です」
本当の幸せがいつくるのかは、わからない。けれど結局の所、積み重ねるしかないのだとも思う。目の前にいる人が、そうであったように。
「……うん、ありがとう」
旅人の返事に、ユイはこの日初めての微笑みを見せた。
●case:黒羽 拓海(
jb7256)
入ってきて早々、拓海は頭を下げた。
「先日はすみませんでした」
「えっ…拓海君どうしたの?」
「オグンの件です。手を尽くしていただいたのに…期待に応えることができなかった」
聞いた旅人は合点した様子を見せたが、すぐにかぶりを振り。
「僕に謝る必要なんてないよ。僕が出来たことなんて、みんなが高知で成し遂げたことを思えば微々たるものだもの」
それでも申し訳なさそうな拓海へ、穏やかに告げる。
「それに全く成果がなかったわけじゃないしね。また次、頑張ろう」
命が続いていく限り、まだ終わらない。
「ええ。次は必ず」
拓海はしっかりと、頷いてみせた。
※
「さて…今回は『涙』がテーマでしたね」
拓海は先程とは打って変わり、思案する表情に変わる。
「涙は他人には見せぬもの。自分にとってはそういうものです。ただ、泣くことが悪いとは微塵も思っていません」
「それは、どうして?」
「悲しみや苦しみを素直に表す事は大切だと思うからです。表に出さなければ誰かと分かち合う事も出来ない」
独りで飲み込み、背負うことはそう容易いことではない。
吐き出せなかった痛みは月日を重ねるごとに深度を増し、気づけば取り返しが付かない程に心身を蝕んでいることもある。
「それではいずれ押し潰されてしまいます。だから、涙を流す事は悪い事ではない…自分はそう思います」
「そうだね…僕もそう思うよ」
同意を示す旅人に向け、今度はややばつが悪そうに。
「ですが、自分はまあ何と言うか…馬鹿でして。そういう弱い姿を他人には見せたくないと思ってしまうんですよ」
理屈と現実はなかなかうまく噛み合わないもので。
「昔馴染み、とりわけ恋人と義妹にはもっと素直になれと怒られるんですが、なかなかそういう訳にもいかなくて」
そう言って苦笑しながら、拓海は続ける。
「何かを護りたければ、相応に強くある必要がある。だから自分は涙を…弱さを見せないように努めています。
泣いていたら不安にさせてしまうから隠す。つまらない意地です」
「つまらなくなんてないよ」
旅人はそう言ってから、同じく苦笑する。
「不安にさせたくないから。自分の事で心を傷めて欲しくないから…そう言う理由で涙を見せたくない、っていうのは僕もそうだから、とてもよくわかる」
ただ、と考え込むように。
「以前よりずっと泣くようになったのも…事実なんだよね」
「それは…何故ですか」
「うん。これまで皆の話を聞いてきて、気付いたんだけど…僕が泣くようになったのは、誰かの喜びや悲しみを共有したくてなのかもしれない」
「共有…ですか」
「拓海君もさっき言っていたように、感情を分かち合うってとても大切なことだよね」
全てをわかり合うのは難しい。けれど、一緒に喜んだり悲しんだりすることは出来るはずで。
「馴れ合いとか、傷の舐め合いと言う人もいるかもしれないけど、僕はそれでいいと思っている」
喜びを力に変えるのも、悲しみを乗り越えるのも、吐き出すことすらできない人にとっては、その後の話だと思うのだ。
「確かに…そういうときに流す涙は、弱さとは違うと自分も思います」
拓海の言葉に頷いてから、旅人は言葉を選ぶように続ける。
「誰かのために流す涙って…とても尊いと僕は思ったんだ」
嬉しい時も、悲しい時も、自分のために泣いてくれる人がいた。
自分自身、その事にどれだけ救われてきただろう。
「もちろん、実際に涙を流すかどうかじゃないよ。心で泣く人もいれば、別の感情に代わる人もいるよね。その全てを含めて『涙』と呼ぶんじゃないか…みんなの話を聞いて、そう思ったんだ」
※
「一番記憶に残る涙は…親を亡くした当時の義妹のそれです」
その姿がとても痛ましくて、見ていられなかった。
「喪失の重さと痛み、ああして目の当たりにしたから自分はそれを嫌っているのかもしれませんね」
だから、ずっと一緒に居ると彼女に告げた。
同じ涙をもう二度と見たくなくて、少しでも悲しみを減らしてあげたくて。
「あ、もちろん、こう、健全な関係という意味です。とは言え、ずっと一緒にっていうのはちょっと言い過ぎた気もしますが…」
「そんなことないよ。きっと義妹さんは嬉しかったんじゃないかな」
聞いた拓海はちょっと恥ずかしそうに頷く。
「だといいのですが…実はここへ移る時も責められたんですよね」
「約束と違う…って?」
「お恥ずかしい話ですが」
拓海の言葉に、旅人はいつもの穏やかな笑みを見せ。
「そんな風に言ってもらえる相手がいるのは、幸せな事だよね」
「……はい」
いつかは幸せな涙を、共に流せるといい。
きっと自分は、そのために走り続けるのだから。
●case:加倉一臣(
ja5823)
いつも通りの調子で挨拶を交わし、一臣はゆっくりと思案し始めた。
「涙か…泣くとストレスが和らぐ、とか聞いたことがあるな。特に、感動して流す涙にはリラックス効果が高いらしいよね」
そんな話をしつつ、記憶を辿る。
「そうだな…咄嗟に思い出すことは2つあるんだ」
言った後、友へ向け軽く笑んで。
「大丈夫、ちゃんと”一番”は挙げるからさ。頭の中を整理がてら語らせてもらおうかな」
※
「ひとつは、とある悪魔がこぼした一雫の涙」
同じ場にいたこの友人なら、この言い方で伝わるだろう。
たくさんの熱と満開の命。
色あせない、幾重もの夢が花開いた瞬間だった。
「俺はあれをこの先ずっと誇りに思う」
情熱を注ぎ続けた仲間たちと共に成し得た、最高の一雫。
聞いた旅人も頷いて。
「僕は見届ける側だったけど…あの場に立ち会えたこと、今でも誇りに思っているよ」
偶然と運命が収束してゆくさまを、この目で見られた。あの瞬間を、一生忘れることはないだろうと思う。
一臣はハイタッチの代わりに、軽く握った拳を旅人へ差し出す。
「あそこまで届いたのは、色々な人たちが色々な形で関わってきたからだもんな。それを思うと、今でも胸がいっぱいになる」
あの時の涙と、合わされた拳。
それらはきっと、「いつかまた」へと繋がっていくから。
「もうひとつは…あ、こっちが一番な」
一臣は続いて、もう一つの記憶を話し出す。
「ある人の、流されなかった『涙』が最も記憶に残ってるんだ。俺はそいつに、それはもう酷いことを言ってしまったことがあって…深く深く傷つけた」
その言葉を告げれば、相手は絶対に泣くと覚悟していた。それなのに。
「驚いたことに、泣かなくてね。…でも、泣かない代わりに手が震えてた」
握りしめたその手が、ずっと心に残って仕方なくて。
「後日話す機会があった時に、『泣くと思ってた』と伝えてみたんだ。…その時返された言葉が『泣いてどうにかなるなら泣いてたけど、そうじゃないから』だってさ」
そう言ってから、一臣は苦笑を浮かべる。
「強いね、びっくりしたわ」
敵わないと思った、瞬間だった。
「涙には弱いんだけど、泣かれないのも辛いもんだね」
そうさせているのは自分なのに、してやれることもなくて。
一臣はそこで、目前の友人が黙りこくっていることに気付く。
「……タビット、どうした?」
返事はない。もう一度声をかけると、旅人ははっとした表情になる。
「……あ、ごめん」
「いや、急に黙るからちょっと焦っただけだよ」
笑ってみせる前で、旅人は視線をさまよわせている。
「…俺、なんか変なこと言っちゃったかな」
「いや、そうじゃないんだ」
何か言いかけようとするも口を閉ざしてしまう。それを見た一臣はしばらく沈黙した後、かぶりを振り。
「無理しなくていい」
「え?」
「何か、しんどい記憶があるんだろ? 無理に話す必要はないさ」
その言葉に旅人は俯いたまま、考え込んでいた。しかしやがて顔を上げると、漆黒の瞳を向け。
「ありがとう。でも僕は、皆の誠意にちゃんと応えたいんだ。だからよければ…聞いて欲しい」
そう言ってから、曖昧な記憶を確かめるように話し出す。
「十年前、僕も大切な相手に酷いことを言ってしまったんだ」
旅人は事の顛末をたどたどしく説明し始めた。
故郷が天魔に襲われた夜、自分は隣町にいたこと。戻ろうとする自分に、友人の一人が同行すると言いだしたこと。
そして自分は、その相手を嘘で突き放したこと。
「あれは僕なりに相手のためについた『嘘』だったんだけど…彼女を深く傷つけたと思う」
相手は涙ひとつ見せなかったけれど、「わかった」と言った声が震えていたのを今でも覚えている。
「当時の僕はね、嘘を付いたことを後悔しなかった。結果的に僕の嘘で彼女を死なせずに済んだのは事実だったから」
「でも今は後悔してる…ってこの前言ってたよな」
「うん…あの時嘘をついたのは間違いだったと、今は思ってる。僕は本音で彼女を説得するべきだった」
そう思うようになったのは、ここで出会った友人に掛け値無しの本音でぶつかられたことが大きい。
「当時の僕は…ただ、臆病だったんだと思う」
相手の気持ちを知っていながら、受け止めることすらできなくて。
「その後…彼女とは?」
「二度と会っていない」
事件後忙しさを理由に会わないでいるうちに、記憶を失ってしまった。最近になって、ようやく所在を確かめようとしたのだが。
「調べてみたら、数年前に亡くなってたんだ」
「……そうだったのか」
旅人は自嘲気味に微笑する。
「結局、僕は嘘だと伝えることができなかった」
彼女の涙も怒りも何一つ受け止めないまま、謝ることすらできずに。
一臣はしばらく考え込んでいたが、やがてぽつりと呟く。
「本心を伝えるって、骨が折れることだよな…」
時には嘘をついたほうがずっと、楽なこともある。
「俺には旅人の気持ち、わからなくはないよ。やり方は間違ってたかもしれないけど、その時は彼女を護るために必死だったんだろうし」
十年前に同じ立場だったら、どこまで出来ただろうとも思う。
「そういうのが少しでも、彼女に伝わってたら…いや、伝わってたと俺は信じたいけどな」
曖昧に頷いてみせる旅人を見て、しみじみと呟く。
「ほんと、俺たちって馬鹿だよなあ。失敗しないとわかんねえんだから」
「……だね」
互いに小さく苦笑を浮かべてから、息を吐く。
「俺たちに出来る事って、同じ失敗を繰り返さないようにするくらいなんだよな…たぶん」
流されなかった涙は、もう二度と見ることはできない。だから。
「お互いさ、どうせならこの先嬉し泣きを目指していこうぜ」
今目の前にいる、多くの大切な存在のために。
●case:久我 常久(
ja7273)
最後になった常久は、テーマを聞いて憮然と言い放った。
「涙、ねえ。ワシは出涸らしだからかもう出ねぇな」
大体な、と旅人を見やり。
「涙にも種類があるけどよ。わしにどれも似合わないんだなーこれが。大体男が泣くだなんて格好がつかねぇだろ」
何も言えないでいる相手に、問いかける。
「で、何で今回はこのテーマを選んだんだ?」
「あ、それは…」
「ああ先に言っておくが、ワシが泣いた思い出はねぇな。他の誰でもいいって言ってもなー、そんな涙なんて覚えてねぇよ」
立て続けにぴしゃりと言い切られ、旅人は面食らっている様子だった。そのさまを見やりながら、再度問う。
「じゃ、もう一度聞かせてくれや。『何で』、その質問にしたんだ?」
旅人は言葉に詰まっているようだったが、やがて顔を上げると口を開く。
「そうですね…元々の理由は、十年前の自分は何故泣かなかったのか、何故今は泣くようになったのか…。その理由を知りたかったからです」
「成る程な。じゃあ、ワシがどうしてこんな質問をしたかわかるか?」
「それは…すみません、わかりません」
「このテーマだがな、それを聞いて、余り思い出したくもない事を思い出す奴もいるぜ。例えばそう…今、お前の前にいる人物もな」
その言葉を聞いた瞬間、旅人の顔がこわばるのが分かる。
「……お前さんに聞かれたら、お前の友人はお前の事を大切にしているから、『嘘』をつかずに応えただろうよ。違うか?」
「いえ…その通りだと思います」
常久はいつもとは違い、淡々とした口調で続ける。
「そいつ等を大切にしろ、お前さんの為に『涙』を流す事が出来る奴等だ。だけどよ、おまえさんはそいつの古傷を抉ったのかもしれねぇんだ。その事を忘れんな」
「……はい」
旅人は素直に反省している様子だった。それを見た常久は、呆れたように息を吐く。
「お前のやりたいことはわかるがな。もっと上手くやれただろう、年下を苛めてどうすんだ」
目の前にいるのはまだ【大人の男】ではないのだろうと思いつつ。
「こういうやり方は大人のやり方じゃねぇ。次はもっと上手くやるんだな」
それだけ言うと、部屋を後にする。
これ以上語るつもりはない。
そう突き放されたのだと分かり、残された旅人はひとり席に着くと息を吐く。
「久我さんの言う通りだよね……」
自分の軽率な質問で、心の傷を抉ってしまった相手はいたはずだ。それでも話してくれた事に感謝しつつ、自分はどうするべきだったのか、しばし自問する。
「大人のやり方か…」
素直に自分の過去を話して、答えを求めてみればよかったのだろうか。その方が、少なくとも皆の過去を語らせる必要はなかったようにも思う。
それとも、このテーマを議題に選ぶこと自体無理があったのだろうか。
(……だめだ、分からない)
こんな事も分からない自分に、嫌気がさしてくる。常久の厳しさに含まれた優しさが分かるからこそ、応えなければならないのに。
再び漏れる、ため息。
他人と向き合うためには、自分と向き合わなければならない。
全ては、自身を知ろうとせず、向き合う事から逃げてきたツケが回ってきたのだと思う。
旅人はしばらくの間、そのまま考え込んでいた。しかしやがてかぶりを振ると、窓際へと移動し。
(考えてもダメなら、やってみるしかない)
その度怒られても、呆れられても、やらなければ前にも進めそうにない。他に方法も浮かばないのだから。
付き合わせる仲間には、きっと迷惑をかけてしまうだろう。普段の自分なら、その事に耐えられずすぐにでも止めていただろうと思う。けれど。
”本当に望むものは、この手でつかみ取らなければならない”
そう教えてくれた彼らへ届くために、決着を付けると決めた。
「だからみんな…もう少しだけごめん」
呟いた言葉は、開けた窓に吸い込まれていく。
その先で、桜が満開になっていた。