●開始前のあれそれ
「ゲェ!! なんだよ、超めんどっちぃ感じじゃねぇか、しかも一人づつだぁ?」
説明を受けた久我 常久(
ja7273)の率直な感想に、西橋旅人(jz0129)はきょとんとなった。
「なんだよーさくっと終わらせようぜ、さくっと!!」
「す、すみません」
素直に謝る彼に、常久は頭をがしがし掻きながら。
「あーーー、とりあえずワシ最後ぐらいでいいわ。暇つぶしてっから順番着たら電話かけてくれや」
さっさと会議室を後にする姿を見送りつつ、旅人は不安げに皆を振り返る。
「怒らせちゃった……のかな」
「いや、そんなことはないと思うよ」
加倉 一臣(
ja5823)が苦笑しながら応える。月居 愁也(
ja6837)も同意して。
「久我さんはいつもあんな感じ。順番が来たらちゃんと話してくれるから大丈夫」
「この依頼に参加したのも、久我っちなりに考えるところがあったんだろうしねぇ」
それにしても、と切り出すのはユグ=ルーインズ(
jb4265)。
「なんというか不思議な依頼ねぇ」
彼の言葉に黒羽 拓海(
jb7256)も頷きつつ。
「西橋さんがどうしてこんな依頼をしてきたのかは分かりませんが……」
旅人とは何度か会った事はあるものの、あまり深くは知らない。けれど、どことなく相通ずるものを感じてこの依頼に参加した。
(俺のような若輩がどの程度役に立てるかはわからないが……少しでも助けになれれば)
その隣では、ユイ・J・オルフェウス(
ja5137)が発表されたテーマを前にじっと考え込んでいる。
「……嘘、ですか……そう、ですか……」
彼女の表情には、わずかに戸惑いの色が宿っているようにも見える。
旅人はそんなメンバーを見渡し、穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、とりあえず始めようかな。みんな、よろしくね」
●case:加倉 一臣
目前に座る友に向け、一臣はいつもの調子で話しかけた。
「やぁ、たまにはこうして一対一でゆっくり話すのもいいものだね」
「うん。何だかちょっと照れくさい気もするけどね」
面と向き合って話すのは、いつぶりだろうか。こんな機会でも無ければなかなかできないのも確かで。
(それにしても、興味深いテーマを選んだな)
旅人が何故この内容を選んだのか気掛かりではあるものの、敢えては聞かずに。
「『嘘』か……得意と言えば得意な分野だよ」
物事を円滑に進める為の。
自分を有利にする為の。
相手を喜ばせる為の。
「他愛もない嘘もあれば、深く傷つける嘘もあったな」
その全てを覚えているわけではないけれど。
「ちなみに…俺が教えた行事の楽しみ方、だいたい『嘘』だから(真顔」
「えっ」
真顔になる旅人に向けて笑ってから、一呼吸置いて切り出す。
「じゃあ少し、俺の親父について話をしようかな」
そう言って、どこか懐かしむように話し始める。
「うちの親父は『嘘』自体は大して上手くもなかったけど、それを使いこなすのはとても上手でね」
女にだらしなくて、でも顔と憎めない性格で世を渡り歩いていた。
「腹違いの弟妹が何人いるかは把握しきれないな」
驚いた様子の旅人に、一臣は笑いつつ。
「今どこで何をしているのか知らないけど…まぁ親父のことだから上手くやってるんだろう」
「……お父さんのことどう思ってたのかな」
旅人の問いに一臣は「複雑なんだよなぁ」と呟きつつ。
「嫌いではないんだ、ずいぶん可愛がってもらった」
あの人を気に入っているとも言えるだろう。
「ただ、あの人と『同じ』になるのだけは嫌だと思って生きてきた」
父親とは違う生き方をするつもりだった。はずなのに。
「でも結果的にそっくりなんだよなぁ…見た目も中身も」
似ていく自分を否定したくて、見ないふりをした時期もあった。けれどそんな事をして自分を偽ってみても、疲れるだけだと気付いたから。
「最近は、似てるならどう進んでいくか考えてるよ」
旅人は考えるように視線を落とした後。
「血のつながりって不思議なものだよね」
血が繋がっているからこそ、大切で。
血が繋がっているからこそ、腹が立つ。
「今の僕には無いものだけれど……オミー君の気持ちは何となくわかる気がする」
自分の中に流れる根源的なナニカ。それらは間違い無く親から引き継いだものに違いなくて。
一臣も頷く。
「受け入れるしかないんだよな、結局」
いくら拒否したところで、真実が消えるわけでもなく。
「否定したい自分を受け入れた上で、何をするか。そっちの方がきっと楽しく生きられる」
だから嘘をつく自分も否定しない。ただ、と彼は色素の薄い瞳を旅人に向ける。
「そもそも嘘のつきようがない事ってあるね」
父親の息子である事も。
今の自分も。
そして何より――
「絶対的な信頼に対して『嘘』で返したくないし、腹を割って話す相手には同じように返したいと思う」
嘘が得意だからこそ、使い方だけは間違えたくないと思う。
「そこはきっと、親父も同じだっただろうしね」
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
「さっき『嘘』だからって言ったアレ、嘘だから(真顔」
「えっ」
旅人は一瞬真顔になった後、二人して吹き出す。
「本当のところ言うとね。僕は嘘でもどっちでもいいって思ってるよ」
だって楽しくて仕方なかった。それだけで十分だから。一臣はなるほどと納得した様子で。
「つまりこの『嘘』にとって、真実はあまり重要じゃないって事だな」
そういう嘘も、あるのだと。
※
質問を終えた旅人は、ふいに呟いた。
「オミー君の言う通り、嘘は使い方を間違えちゃいけない。……本当にそう思うよ」
「……旅人?」
「後悔するような嘘は、つくべきじゃなかった」
そう言って目を伏せる姿に、一臣は沈黙した後。
「嘘ひとつで壊れるものもあれば、嘘程度じゃ壊れないものもある…俺はそう思ってるよ」
向けられた漆黒の瞳に告げる。
「だからもしいつか旅人が俺に大きな嘘をつかなくちゃならない時が来ても、それがお前にとって辛い選択なら――」
あの時と、同じように。
「『また』手を伸ばすよ」
旅人はほんの少し驚いた顔をしていたが、やがてゆっくりと頷いて。
「……うん、ありがとう」
過ちを犯そうとした自分を、身体を張って止めてくれた。傷つけてしまった罪悪感と自分への腹立たしさに、眠れない夜もあったけれど。
(わかってる。オミー君はそんな事望んじゃいない)
罪悪感などと口にしてしまえば、むしろ彼は怒るだろう。だからこそ、いつかまた自分が救いを必要とする時が来るのなら――
「今度はちゃんと、僕からも手を伸ばすよ」
迷いの無い信頼で返したいと思う。
嘘程度では壊れないと言ってくれた。
自分もそう、信じていたいから。
●case:ユイ・J・オルフェウス
「……嘘、ですね……」
ユイは考え込むように口元を引き結んだまま、しばらく言葉を発しなかった。
「……ユイさん?」
旅人に声をかけられ、我に返ったように顔を上げる。
「難しい、です。私にとって、『嘘』は一番嫌いなもの、です」
「……何か理由があるんだね」
ユイはこっくりと頷くと、わずかに視線を落とす。
「私にとって、嘘は、お父さんとお母さんを連れてった、いけないもの、です」
聞けば彼女の両親は、天魔に騙されてゲートへ連れて行かれたのだという。
嘘さえなければ。
嘘をつく相手でさえなければ。
「何度も思ったこと、です」
許せなかった。だから。
「本当に、私は、嘘が、だいっきらい、です」
その声には強い感情がこもっている。今でも、自分から家族を奪ったものへの嫌悪は消える事はないけれど。
「……でも、嘘の中にも、あってもいいかな、って言う嘘もあるのも事実、です」
昔は嘘の全てを許せないと思っていた。でも今は少し、違う。
「嘘の家族、嘘の兄弟。そんなあたたかい嘘なら。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、あってもいいかな、って思える、です」
聞いた旅人はなるほどね、と呟いて。
「そう思えるようになったのはどうしてかな」
「お母さん達がいなくなってから、私の、嘘の家族になってくれた人たちの、おかげ、です」
あの人たちといると、楽しくて。
忘れていた温かさを思い出させてくれた。
「私は嘘がつけないから、つきたくないから、あの人たちとは、家族になれないけど。あの人たちには、感謝してる、です」
だから、とユイは旅人を見上げ。
「うまく言えない、ですけど、嘘をつくなら、あったかい嘘に、してあげてください、です」
聞いた旅人はゆっくりと頷いてから。しばし考え込んだ後、言葉を選ぶように切り出す。
「……ユイさんがその人たちを家族だって思っても、嘘にはならないんじゃないかな」
「え…?」
戸惑った様子の彼女を見て、頭をかきながら。
「急にそんなこと言われても困るよね。ただ、僕はユイさんには素敵な『家族』ができたんだなって本当に思うから……」
そもそも家族って何なのだろう。今まで深く考えることもなかったけれど。
「僕もね、天魔に家族を奪われたんだ。だからユイさんが嘘を憎いと思う気持ちは理解できるし、当然だと思うよ」
ただ、と旅人は彼女に向き直ると穏やかに微笑し。
「君の話を聞いて、僕もいつか新しい家族を持てたらって思えたのも事実なんだ」
また失うのではという恐怖心は消えることはない。それでも、得るものの大きさを教えてもらった気がするから。
「話してくれて、ありがとう」
予想外の返答にユイは少し驚いていたものの。やがて少し恥ずかしそうに、再びこくりと頷いた。
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
困った様子のユイを見て、旅人が先に切り出す。
「あ、無理しなくていいよ。ユイさんは嘘がつけないんだものね」
「そう、です。お母さんたちとの約束もある、です」
絶対に嘘は付かないと決めているから。
「ごめんなさい、ですけど、嘘は、ついてあげられません。代わりに、私にとっての、嘘を、正直に、話しました、です」
申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げる。
「これで許してください、です」
聞いた旅人はかぶりを振って。
「謝る必要なんてないよ。それも一つの『答え』だもの」
それにね、と旅人は続ける。
「嘘を付けないユイさんのことが、少しだけ羨ましくも思う」
「どうして、です、か」
「僕は昔、大切な人に嘘をついたことがあるんだ。その事をとても後悔している。真実を伝える事が、もうできないからね」
もしかしてと言う彼女の視線に、軽く頷いて。
「うん。その人は死んでしまった」
あの時言っておけばよかった。
嘘なんて付かなければよかった。
いつでも言えるなど永遠に続かない事くらい、わかっていたはずなのに。
だからね、と旅人は告げる。
「真実を話すのは嘘をつくのと同じくらい、難しいときもある。だからユイさんが正直に話してくれたことに、僕は感謝するよ」
●case:月居愁也
「俺ね、親友と一度だけ殴りあいの大喧嘩したことあんの」
開口一番、愁也はそう告げた。
「あいつ、俺が学園に放り込まれる寸前まで自分もアウル発現してるの黙ってたんだよね。昔、野良天魔に襲われたのがきっかけで俺の能力は発現したんだけどさ」
当時それがトラウマになってしまっていた。
「あいつ、俺に思い出させるのがイヤだからって。そんな能力なんてないって『嘘』ついてたんだよね」
愁也は笑いながら。
「ふざけんなつって殴り合い」
あの時の事を思い出すと、未だに腹が立つときもあるけれど。
「ボッコボコになったけどさ。言いたいこと全部言ったよ。一生逃げてろとか喚きまくって」
「愁也君らしいね」
苦笑する旅人に「だよね」と頷いてから。
「でも、俺も嘘ついてたんだよね」
「え?」
聞き返す旅人に向けて、意外な一言を告げる。
「あいつが能力発現してるの、実は知ってた」
「それって……」
愁也は苦笑しつつ説明を続ける。
「あいつが黙ってるのには、何か理由があるんだろうと思ってたけどさ」
まさか自分のためだとは思っていなくて、気付けなかった自分にも腹が立って仕方なかった。
「……たださ。俺に嘘ついて隠してた『理由』には怒ったけど、『嘘』には素直に感謝したよ」
その嘘で、救われたものもあったはずだから。
愁也はあっけらかんと言う。
「今でもね、あいつ相手でも隠し事はするし嘘もつくよ。そもそも真実を語ること、正論を述べること全てが正しいことじゃないって思ってる」
正論が、誰かを傷つけることだってある。
真実が、誰かを絶望に落とすことだってあるだろう。
肉体の強さが人によって違うように、心の強さも人によって違うのだから。
「相手を傷つけないために、真実にほんのちょっと嘘を塗すことは、決して悪じゃないと思う。ただ『誰かを傷つける嘘』だけはダメだな。つくなら楽しくて幸せな嘘!」
きっぱりと言い切る愁也に、旅人も同意する。
「うん、僕もそう思うよ」
でもさ、とここで愁也は向き直り。
「『誰かのために』つく嘘はありだけど、『自分のために』つく嘘はいつか無理がくるよね」
誰かを騙せても『自分』だけは騙せない。
「だから自分を甘やかすことはあっても、自分に嘘をつかない生き方をしたいって思ってる」
聞いた旅人はゆっくりと頷いてから。
「……そうだね。自分に嘘をつくっていうのは、一番難しい事なのかもしれない」
どれほどごまかしてみたところで、真実は常に自分の中に存在している。
そのまま見ない振りをし続けるのも、一つの生き方ではあるのだろうけれど。
「でも僕は、それほど器用じゃないから」
「俺だってそうだよ」
言ってから二人で笑う。
「多分僕たちって、根本的に嘘が上手くないんだね」
だってほら、似た者同士の阿修羅だから。
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
「実は俺、夏休みに海外行って親友と結婚式してきたんだ」
真顔で告げられた言葉に、旅人はぱちぱちと瞬きをする。
「……嘘だってのに信じただろ今」
うーんと小首を傾げた後。
「海外に行ったのが嘘なのか、夏休みに行ったのが嘘なのかが迷ったかな……」
「そこじゃねええええええ」
ツッコむ愁也に、旅人は珍しく愉快そうに笑った。
「『楽しくして幸せな嘘』をありがとう」
※
帰り際、愁也は思い出したように振り向く。
「ところで、旅人さん」
「うん?」
「自分のこと好き?」
その問いに旅人は一瞬目を見開いてから、戸惑ったように問い返す。
「……どうしてそんな事を?」
「時々心配になるんだよね。旅人さんいつも”誰かのため”ばっかりだからさ」
もちろんそれが悪いわけじゃ無いんだけどね、と小さく笑い。
「誰かのためにもいいけど、自分自身のこともちゃんと好きかなって」
その言葉に旅人はしばらく考え込んだ後。
「……正直に言えば、よくわからないな。今まで考えた事もなかったから」
どうして、と問いかける瞳に苦笑しつつ。
「興味がなかったんだと思う。自分に」
だから質問にも答えられなかった。
「でもそれって考えてみれば、自分の事を嫌うよりひどい話なのかもしれないね……」
旅人は愁也に漆黒の瞳を向け。
「僕が自分についてとても無頓着だったのは認める」
その事で相手を傷つけてしまう可能性すら、わかっていなかった。
「向き合う気になれたのは、愁也君達のおかげだよ」
共に闘い、命懸けで守られてようやく気付いた。望む結果を掴み取ろうとする仲間の姿に、自分もそうありたいと思うようになったから。
「だから、愁也君の質問にもいつかちゃんと答えるね」
「うん。待ってる。そこは嘘ついちゃだめだよ」
愁也の瞳がまっすぐに旅人を捉える。
「自分をちゃんと見てあげてね。全部ひっくるめて『旅人さん』だからさ」
聞いた旅人は、何も言わずしっかりと頷いてみせた。
●case:ユグ=ルーインズ
「……まぁぶっちゃけ嘘だらけなのよね、アタシの人生」
そう切り出したユグは、にこやかな笑みを浮かべている。それは男性とも女性ともつかない、独特の妖艶さがあって。
「お父様もお母様も普通の天使だったから、アタシの事も『完全な』男の天使として育ててくれた。けど、ある日気付いちゃったのよ、アタシの心は男じゃないって事に」
生まれ持った姿は男。けれど心はそうじゃなかった。
「でもそんな『不完全』、天界も両親も認めるわけないし。だからそれからはずーっと嘘を吐き続ける日々」
男を演じ、女をひたすら隠してきた。自分にさえ嘘をつかなければならないことに、躊躇いを感じなかったわけではないけれど。
「それでも、アタシにとっては必要な嘘だった」
ありのままでは生きていけない環境の中、生きるために嘘を選ぶしかなかった。
「……自分で自分を否定するのって、辛いよね」
「そうね。辛くないと言えば、嘘になるわ」
困ったように微笑む。本当の事を言えれば、どれほど楽だったろうか。
「その後に仕事でこっちに来てさ。自分の心、そのままで生きていい世界を知っちゃって」
この世界でもマイノリティーである事に変わりはない。けれどここでは、自分と同じ”事情”を抱えながらもありのままに生きている人たちがいる。
「凄く生き生きしてるのを見たらさ……びっくりを通り越して、アタシもこうなりたいって思っちゃったのよねぇ」
当時のことを思い出すように、窓外へと視線を馳せる。
「で、色々あって結局堕天したんだけど…ここでまた嘘が必要になっちゃった」
「……天使である事を隠さないといけなくなった、かな」
旅人の言葉に頷いて。
「だからアタシはまた、生きるために嘘をついた」
天使である自分を偽って、人としての日々を送った。
一つの嘘が消えれば、別の嘘が生まれる。結局はありのままで生きていくなどできないのだと、諦めかけたこともあったけれど。
「結局、ユグドラシル=アウイン=ルーインズという存在そのままに生きられるようになったのは、学園に辿り着いた後ね」
ようやく、嘘をつかなくていい場所に巡り会えた。その時の気持ちは、ちょっと言葉にはできないほどだった事を今でも覚えている。
聞き終えた旅人は頷きながら。
「ありのままでいられるって、実はとても貴重なことなのかもしれないな……」
「ええ、実際そうね。こればっかりは自分だけではどうしようもないもの」
受け入れてくれる相手がいて初めて、できること。
「誰一人受け入れてくれない中で自分を貫き通せるほど、生きるって簡単じゃないのよねぇ」
だから、とユグは金色の瞳を細める。
「今まで吐き続けた嘘の山は、今日に至るまでに必要な物だった…そう思ってる」
そのままの自分でいられる場所を、手に入れるための手段。
「これがアタシの『嘘』の話よ」
そう言ってにっこりと微笑む姿は、いっそ晴れやかでさえある。それは過去を乗り越えた強さであり、自分の在り方を認めたがゆえの美しさなのだろう。
その事が、旅人には眩しくも映るのだった。
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
「じゃあ取って置きの告白をしてあげる」
そう言った直後、ユグの瞳から感情の色が消える。
「アタシ…もとい、私は色物堕天使のフリした天界のスパイだよ」
男声と男口調。
先程とは打って変わった雰囲気に、旅人は思わず押し黙ってしまう。その様子を見て、ユグは口端に弧を刻み。
「嘘だろう、って? この質問の後の言葉が嘘という前提にかこつけた真実かも知れないよ。そして真実ならば学園に対してつき続けた嘘の告白だ。さぁ、君はどう思う?」
無機質な笑みを浮かべるユグに、旅人はしばし沈黙した後。
「……僕は嘘だと信じるよ」
「おや、どうしてかな」
「考えても仕方ないから…信じたい方を信じようかなって」
聞いたユグの口元から、くすりと笑いが漏れる。
「ふふ、もちろん嘘よ。さっきのは男として生きていたころの”演技”。なかなかのものでしょ?」
オネェ口調に戻ったのを聞いて、旅人はほっとしたように。
「迫真の演技だった。正直ちょっと迷っちゃったよ」
そう言って笑う彼を見て、ユグは問うてみる。
「ねぇ、聞いていいかしら」
「うん?」
「タビットちゃんは『ありのままの自分でいられる場所』を見つけられた?」
旅人はあまり考え込むことなく、はっきりと頷いて。
「うん、そう思ってるよ」
時々怖くなるけれど。
きっとここで出来た仲間なら、受け入れてくれると信じている。
「そう。ならきっと、あなたが求めるものは見つかるわ」
「……ありがとう、ユグさん」
そう言って、旅人は穏やかに微笑んだ。
●case:久我 常久
「よう、僕ちゃん」
そう声がけをした常久は、向き合った依頼主を見て考えていた。
(成る程、あいつ等の言うとおり真っ直ぐな目をしてる)
「依頼主だから名前位分かるかも知れねぇが、ワシの名前は久我常久だ。まぁ覚えなくてもいいぜ」
「西橋旅人です。改めてよろしくお願いします、久我さん」
律儀に名乗り返す旅人に、ひらひらと手を振る。
「そんな堅っ苦しい挨拶はいらねぇよ。さ、始めようぜ」
そう口にする表情は、最初の時とは違う。その紅い瞳には、鋭ささえ感じられて。
「嘘、だったっけ?」
常久は目を瞑る。
――矛盾、背馳、撞着、背反、不両立、齟齬、相反
幾等でも似た言葉は有る。ではそれらと何が違うのか。
片目のみ開き、問いかける。
「嘘を付くと分かってれば、それは『嘘』か?」
「えっ……」
「嘘と事実の矛盾……整理するために、お前は何が知りたい?」
問われた旅人は一旦沈黙した後。
「……僕には後悔している嘘があります。でも十年前の僕なら、後悔はしない」
そう言い切る旅人を前に、常久は考える。
「……なるほど、その矛盾がどこから来るのか知りたいんだな」
だが、と常久は言いおいて。
「それだけじゃねぇんだろ? お前の目的は」
沈黙する漆黒の瞳に向け、無言で問いかける。
”お前は、何に挑もうとしている?”
自分を取り戻す時、何に挑むかで男の器が知れる。
だから見極めたいのだ。
目前の男が何を求め、何を掴み取ろうとしているのかを。
「――僕は」
その時、旅人の表情がほんの少し変化した気がした。
「十年前の自分を、もう否定したくないんです」
今まで見ない振りをしてきたもう一人の『真実』。それを否定する事は、それまでの人生全てを否定する事と同じだと気付いたから。
「相反する価値観には必ず理由があるはずです。僕はちゃんと向き合った上で、『今』を選びたい」
なぜ変わったのか。
その理由を知らずに今だけを見るのは、選んだことにはならない。
「自分に嘘をついたままでは、本当の意味で過去は乗り越えられないと思いました。僕はもう、昔の自分から逃げたくない」
聞いた常久は軽く息を吐き。
「面倒な生き方を選ぶんだな、お前は」
「元々器用ではありませから……」
困ったように微笑む旅人に向け、あっけらかんと。
「それは見ていれば分かるがな。ま、いいんじゃねぇか? 器用に生きるのが偉いってわけじゃねぇんだし」
そう言って常久は腕を組むと、旅人を見やる。
「ところでお前いくつだ」
「28です」
「うおっ…見た目のわりに結構いってんだな」
「ええ、よく言われます」
人差し指で頬を掻く旅人に、常久は内心で問う。
――お前は【大人の男】か?
「……久我さん?」
不思議そうにしている旅人に、かぶりをふり。
「いや、いい。そんじゃ、次の質問にいってくれや」
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
突然、目前の常久の姿が見えなくなる。
代わりに現れたのは――もう一人の旅人。
「『ワシは此処に居ない』、だ」
変化の術で旅人の姿になった常久は、無言でこちらを見つめる彼に向け全く同じ表情で返す。
「今言ったことを嘘かどうかを確認されても、ワシは答えない。その意味がわかるか?」
「……嘘かどうかは分からないという事ですか」
「そう、お前次第だからな」
怪訝な表情になる旅人に、常久は告げる。
「要は、何を【基準】にするかだ」
姿か、魂か、時間か。
基準が違えば存在の根拠も変わる。
「選んだソレもひとつの事実。しかし、それは全員が共通した答えを言える訳ではないし、どれが正解とも言える物でもない」
だから自分の回答も、人によっては真実にも嘘にもなり得るだろう。
「必要なのは、自分の意思で何をどう捉えるのか、だ」
常久の言葉に、旅人はゆっくりと頷いて。
「……久我さんの言うこと、何となく理解できます」
かつて道化の悪魔と対峙したときに、気付いたこと。
目に見えるものは『その先にある心を映すもの』だと彼は言った。
何を映し、何を捉えるのかは一人一人違う。
真実の見え方も、それと同じことなのだろう。
「だから、僕は自分で選ばなくてはならない」
何が真実で、何が嘘なのかを。
常久は頷くと旅人を見据え言い切った。
「それができるのが、【大人の男】だ」
突然、常久は変化を解く。
「さって、これでワシの話は終わりでいいか? 全員で飯でも行こうぜ〜勿論僕ちゃんの奢りな!!」
にかっと笑うその表情は、最初のときのものに戻っていた。
●case:黒羽 拓海
「お久しぶりです」
部屋に入ってきた拓海は、いの一番に挨拶をした。
「久しぶりだね。直接言葉を交わすのは”あの時”以来かな」
四国で起きた雷霆の大天使との死闘。敗北の痛みを負った苦い依頼でもある。
「ええ。その節はお世話になりました」
当時は二人とも意識を失ってしまったため、ろくに話もできないままだった。
「こちらこそ。こうしてまた話ができて、嬉しいよ」
二人は当時についてしばし雑談をかわした後、本題に入る。
「さて、テーマは『嘘』でしたね」
拓海は思案顔になってから、言葉を確かめるように紡ぐ。
「自分の見解を述べると……『嘘』とは『道具』です。状況や用いる意図によっては人を傷付けますが、その逆、人を救う事もある」
真実を隠す為に用いられる事もあれば、真実を引きずり出す為に使われる事もある。
人を陥れるために使う事もあれば、護るために使われる事もあるだろう。
「そうやって状況や使い手の目的次第で役目が変わるのなら、包丁などと同じようなものかと」
つまり、と拓海は続ける。
「『嘘』自体は悪でもなんでもない。嘘をつくのが悪いという考え方は、要するに誰かを騙して不利益を負わせる事が多いから生まれたんだと思っています」
聞いた旅人はなるほどと頷いて。
「包丁が人を殺したからといって、包丁が悪になるわけではない…それと同じことだと、拓海君は言いたいんだね」
「ええ。なので道具である以上、自分は必要と感じたなら嘘をつくのに躊躇いはありません。それで助かるものがあるなら尚更」」
そう返してから、ほんの少し自信がなさそう付け加える。
「自分の勝手な憶測ですが」
旅人は自身の中で拓海の話を反芻してから、ゆっくりと頷いて。
「うん、とても論理的かつ説得力のある意見だと思うよ」
「そ、そうですか」
ほっとした様子の拓海に、旅人は微笑む。
「説明も端的でわかりやすかった。ありがとう」
「いえ、少しでも役に立てたのなら」
そう言ってから、ふと疑問に思ったことを問うてみる。
「では、逆にお聞きしたいのですが……西橋さんにとって『嘘』とはどんなものですか?」
返された問いに、旅人は考え込むように視線を落とす。
「そうだね……僕も君の考えに近い、かな」
皆と話す中で、段々と気付いたこと。
「結局のところ、全ては主観でしかないのかなって」
「主観、ですか」
「ついちゃいけない『嘘』はあると思う。でも僕が『ダメだ』って思っても、相手がそう感じるかどうかは分からない。その逆だってあるよね。だから拓海君が言ったように、嘘に対して確定的な善悪は決められないと思ってる」
何が正しくて何が間違っているかは、結局のところ各々の捉え方次第で。
「だからこそ、僕らは常に選択しなければならない……」
嘘という道具を使うのか、使わないのか。
そもそもそれは『嘘』なのか、そうでないのかさえ。
「だからね、使い方次第と言った拓海君の意見は、その通りだと思う。敢えて付け加えるとすればそうだな……僕は自分の嘘からは逃げたくない」
「わかります。自分もそうですね」
同意を示す拓海に、旅人も頷いて告げた。
「皆と話して、本当にそう思えるようになったよ」
>Q.今から僕に一つ嘘をついてみてください。
「嘘をつけ、ですか」
拓海は困惑した様子でしばし考え込んだ後。
「……すみません、思いつかないですね。ある意味、これが質問の回答たる嘘とも言えるかもしれませんが…」
取るに足らない嘘なら思いつく。
「例えば、自分は牡蠣が好きだとか※。でも、求められているのはそういうものではない気がしてこう答えました。……要領を得ず申し訳ない」※本当は嫌い
聞いた旅人はかぶりを振ってから、おもむろに切り出す。
「……僕はね、この依頼を出すときに決めていたことがあるんだ」
急に話が切り替わった事に拓海は怪訝な表情を見せるが、そのまま続ける。
「どんな話でも、どんな答えでも受け入れようって。僕は正解を求めているわけじゃないし、このテーマに正しい答えなんてないと思ってるしね」
聞かせてもらえれば、それでいい。
「だから、君が謝る必要なんて全くないんだよ」
「西橋さん……」
それにね、と旅人は言いおいてから。にっこりと微笑んで言い切った。
「そもそも僕のために来てくれただけで、十分なんだから」
●after
全員と話し終えた旅人は、一人考えていた。
(だいぶ見えてきた気がするな)
過去との違い。その理由。まだ確信するには至らないけれど。
一人一人の話を思い出してみる。その度に心の奥でこみ上げるものがある。
それは多分、全員が等しく「本音」で語ってくれたからだろう。
――僕も、いずれきちんと話そう。
彼らの誠意に対して、自分も応えたい。いや、応えなければならない。
そのために、もう少しだけ。