悪魔である私に、何が遺してやれるだろう。
●久遠ヶ原
ここは学園内にある会議室。
集まったメンバーに向けて、赤坂白秋(
ja7030)がおもむろに切り出す。
「んじゃとりあえず、疑問点を洗い出していくか」
調査前の情報整理。六道 琴音(
jb3515)は立ち上がると、ホワイトボードに書き出していく。
「資料を読んで気になったのは、以下の三点です」
1.被害者は何故殺されたのか?
2.瑠衣は何故現場にいたのか?
3.瑠衣は何故気絶し、殺されずにすんだのか?
「このうち1については、たまたま下級天魔と遭遇して殺された可能性もあるとは思います」
ファーフナー(
jb7826)が資料をめくりながら。
「仮に理由を考えるとするならば…被害者の男は素行が悪かったと言う。男が誘拐なりスリなりの目的で少女に近づき、それを目撃した犯人が助けるために殺したとも考えられるな」
穂積 直(
jb8422)も同意しつつ仮説を加える。
「ひょっとしたら、過剰防衛がいきすぎたのかもしれません」
首を一撃で飛ばすほどの、何かがあったのかもしれず。
「僕はこの件で少し気になる事があるので、被害者について聞き込んで来ようと思います」
じゃあ、と白秋はホワイトボードに視線を移し。
「2番については、偶然通りがかった可能性はあるが…そもそも夜の公園に一人でいた事自体、不自然だよな」
「そうですね…これについては本人に確かめた方がよさそうです」
琴音の提案にうなずき、最後の項目に目を向ける。
「問題は3についてだが」
そこで桜木 真里(
ja5827)が口を開く。
「俺もここが一番引っかかっているんですよね……。もし犯人が下級天魔なら、彼女は殺されていたんじゃないかなって」
「それなのに無事だったのは…犯人が人間だって話もあり得るか?」
白秋の言葉に、雨宮 歩(
ja3810)は肩をすくめ。
「ま、今の情勢を考えればその可能性もゼロではない、ねぇ」
「もしくは…知性あるレベルの天魔だった可能性も」
琴音の言葉に、一同は黙り込む。
知性のある天魔――それはすなわち強敵を意味するからだ。
「いずれせによ、厄介な事件ではあるなぁ」
探偵の出番かなぁ? と歩は微笑し。
「犯人が天魔にしろ、人間にしろ、一つ一つ裏付けを取っていくしかなさそうだねぇ」
※※
事件現場となった公園に、歩は降り立っていた。
「情報は自らの足で、と」
黒スーツにソフト帽。探偵姿の彼は、現場付近の探索と聞き込みをしに来ていた。
与えられた資料を鵜呑みになどしない。自分の目と耳で確認するまでは信じないのが彼の信条。
「何か、見つかればいいんだけど…」
同じく公園に来た琴音も、パトロール兼ねての現場検証。真里と直も聞き込みへと赴き、白秋とファーフナーは瑠衣の養父の元へと向かう。
それぞれの調査、開始だ。
●公園
調べ始めてすぐ、歩と琴音は不可解な点に気付いていた。
「……いまいち状況がはっきりしないねぇ」
警察の資料と照らし合わせ、被害者及び切断された頭部の位置、瑠衣がいた位置などを検証していたのだが。
「状況的に見て、被害者は真っ正面から斬首されてますよね」
首と胴体の位置関係や血糊の飛び方からも、間違い無いだろう。
そして被害者の正面にあたる位置には――瑠衣がいたとしか思えないのだ。
琴音は首を傾げる。
「一体犯人はどこにいたんでしょうね…?」
瑠衣と犯人の間に割り込んだにせよ、それまでの痕跡が見あたらない。
「痕跡の無さが天魔が犯人である証拠なのかもしれないけどねぇ」
例えば浮遊していれば足跡は残らないし、と。
歩は資料に視線を落とす。見つめる先に書かれているのは、瑠衣の『発見者』。
(こいつは一体何者なのかねぇ…)
警察の話によれば、三十代くらいの男だったらしい。今時書生のような格好をしていた以外はそう不審な点はなかったというが、歩がいざ話を聞いてみようしてもどこの誰だかわからないのだ。
「第一発見者は疑えっていいますけれど…警察で追わなかったのは、早々に犯人が天魔である可能性が示唆されていたからでしょうか」
男は気絶した彼女を抱えて現れ、その後すぐに姿を消したらしい。
「まあ犯人が天魔となれば、自分たちの範疇外だからねぇ」
不可解な位置関係、謎の第一発見者。
歩は、木立のざわめきに耳を澄ます。
「……他のメンバーの報告を待とうかぁ」
●藤ヶ谷家
藤ヶ谷瑠衣の養父はよく言えば放任、悪く言えば無関心な父親だった。
白秋とファーフナーが来意を伝えた時も、いまいちピンと来ていない様子で事の重大さを感じているようには見えず。
二人は被害者と瑠衣の接点に心当たりが無いか確かめてみたり、交友関係や生活サイクルを聞いてみたりしたのだが、芳しい答えは返ってこない。
「仕事が忙しくてあまり構ってやれなくてねえ。あの子のことはよくわからないんです」
あっけらかん言い放つ養父は、瑠衣の遠縁にあたるのだと言う。白秋は辛抱強く質問を続ける。
「瑠衣ちゃんが好きなものくらいはわからないか?」
「好きなものねえ…」
ぼんやりと考え込んでいた養父は、ふと視線を上げ。
「ああ、犬のことは大事にしていますよ」
「犬?」
説明によれば、瑠衣は大きな犬を飼っているらしい。
「じゃあ瑠衣ちゃんが公園に行くるのも散歩のためか…」
肯定の返事に白秋は合点しつつも眉をひそめる。
「しかしだな…そもそもあの年頃の女の子が、夜間に一人で……ああ、犬が一緒か? にしても散歩ってのは結構危ないような気がするんだが」
「何度か注意したことはあるんですけれどねえ。私が仕事で帰りが遅いこともあって、勝手に出歩いているみたいで」
そういう問題かと思いつつ白秋が確認すると、今まで瑠衣が危ない目に遭ったことは無かったのだという。
ここでファーフナーが犬についての質問に切り替える。
「その犬の入手経路や時期を教えてもらえるだろか」
「五年くらい前だったかな、突然瑠衣が連れてきたんです。あの子が『とても賢い子だから飼わせてほしい』と珍しく言い張ったのでよく覚えてますねえ」
実際その犬は非常に賢く、瑠衣はいつも一緒に行動しているらしい。とは言え、警察資料に犬の記載が無かったのは、盲導犬では無くただのペットとして見られていたからだろう。
養父は苦笑しながら。
「ただ見た目が凄く怖くてねえ。真っ黒で狼のように大きいものだから、今でも私は怖いくらいです」
「事件当夜もその犬は一緒にいたはずだと思うが…襲われた時、犬はどうしていたのだろうか」
ファーフナーの問いに、養父はかぶりを振る。
「さあそれは…本人が何も言わないもので。ただ発見されたときは、いなかったと聞いています。いつの間にかうちには帰ってきてたみたいですけれど」
そこで白秋は気になっていた事を聞いてみる。
「……少し、事件の事から離れるが。娘さん結構辛い経験をしてるよな。良ければ、子供の頃の話を聞かせて欲しい」
養父の話によれば、瑠衣の実の両親は天魔によって殺されたのだという。その場にいた彼女だけが唯一助かったのだが。
「なぜ瑠衣だけ助かったのか、理由は不明です。まあたまたま助かっただけかもしれませんが」
ファーフナーも続けざまに問う。
「視力を失った時はどうだったのだろうか」
資料によれば彼女は七歳の時、事故で視力を失っている。公園で大怪我を負って倒れていたのを発見されたのだという。
「こちらもよくは……誰かに襲われたのか、事故に巻き込まれたのか。目撃者がいないのと本人もよく覚えてないそうで、結局わからないままなんです」
瑠衣の不可解な過去に、二人は顔を見合わせるのだった。
●面会前に
メンバーは一度集合し、各々が持ち帰った情報を共有し合っていた。
「じゃあまず俺から報告しますね」
警察に行っていた真里が、手にしたメモを読み上げていく。
「まず瑠衣さんの外傷についてなんですが、倒れたときについたかすり傷以外に、手首にあざがあったみたいです」
真里は自分の左手首を指してみせ。
「警察が言うには誰かに強く掴まれたのだろうと」
「被害者がやった可能性はありますね…」
琴音の言葉に、直が手を挙げ。
「あ、僕はその被害者について聞き込んできました。このひと、かなり評判悪いですね……。近隣住民と揉めたり、お店に酷いクレームつけたりしてよくトラブルになってたみたいです」
同じく聞き込みをした歩も頷く。
「どうやら人の弱みにつけこむような奴だったみたいだねぇ。恨んでる人も多そうだったよぉ」
「瑠衣さんとの接点は見つかったのでしょうか」
琴音の問いに直はかぶりを振り。
「そういった話は出てこなかったです。一緒に居るところを見た人もいませんでした」
ただまあ、と歩は視線を上げ。
「被害者が一方的に藤ヶ谷瑠衣を知っていた可能性はあると思ってるよぉ」
「と言うと?」
「ボクは藤ヶ谷の評判についても聞いてみたんだけどねぇ。彼女近所では結構有名みたいだなぁ」
恐らくは盲目である事情と、連れている犬が目立つせいだろうと歩は説明する。
「しょっちゅう犬を連れて散歩するのを目撃されてるしねぇ」
それを聞いた琴音は情報をまとめながら、ふむと頷き。
「となると、被害者は意図的に瑠衣さんに接触した可能性もありますね」
二人を繋ぐ可能性の浮上。見えてこなかった糸口が、少しずつ姿を見せている。
続いて琴音と歩が公園調査で得た不可解な点を報告し、白秋とファーフナーは養父から得た瑠衣の生い立ちや犬の話についての報告をする。
「確かに発見者はかなり怪しいですね…」
直の言葉にうなずきつつも、琴音はまとめる。
「とりあえず今は、瑠衣さん本人との話になりそうですね」
●瑠衣
面会した藤ヶ谷瑠衣は、想像以上に儚げな印象だった。
腰まで伸ばした黒髪に、蒼白い肌。浅黄色の着物を身につけた体躯は、驚く程に華奢で。
「大丈夫です、ゆっくり息をしてください。貴女を傷つける者はここにはいません」
明らかに怯える彼女に、直はマインドケアを使用しながら優しく声をかける。琴音もそっと彼女の手を握ると、傍に寄り添い。
彼らの視線は瑠衣の足下で伏せっている黒犬に向けられていた。
狼の如き鋭利な風貌。立ち上がれば恐らくかなりの大きさだろう。
(でも…なんでだろう。不思議と怖くないな)
真里は試しに歩み寄ってみるが、犬の方は反応を見せない。
「すごく大きい犬だね。格好いいな」
撫でてもいい? と瑠衣に問うてみる。彼女はしばらく逡巡していたが、やがてこくりと頷き。
初めての、意思疎通。
犬の頭を撫で、真里はゆっくりと質問を重ねる。
「犬好きなの?」
こくり。
「よく外出しているのは、散歩のためかな」
こくり。
「夜の散歩も昼とはまた違った雰囲気でよいよね。静かだから風や葉の音がよく聞こえるのかな」
やや間があって、こくり。
真里は瑠衣の様子を注意深く見極めながら、徐々に核心に近い質問をしていく。
その間、琴音はこっそりと生命探知を行っていた。
(……特に反応はなさそうね)
天魔が近くに潜んでいる可能性を考えたが、そう言うことはなさそうだ。
(次は……)
異界認識。
万が一、瑠衣が天魔化している可能性を考えてのものだ。
しかし、特に反応は無く瑠衣の表情にも変化はない。琴音は念のため犬にも使用してみたが、やはり同じ事だった。
(でも、相手がもし高レベルの天魔なら――)
このスキルでは見破れない。琴音は慎重に気配を探り続ける。
「――あの夜のことなんだけど」
その言葉に瑠衣の身体がびくりとこわばる。真里は刺激しないよう、努めて柔らかな声音で続ける。
「もし…何かいつもと違う音を聞いたりしてたら、教えて欲しいな」
しかし瑠衣はうつむいたまま、何も答えない。
着物を握りしめる手が白くなっていくのを見て、彼は思う。
(……何か、いいたくない事があるのかな)
引き結ばれた唇は微かに震えていて。話せないと言うより話したくない。そう言った印象を受ける。
「ごめんね、無理に話さなくてもいいよ」
真里がそう声をかけた後、直がじゃあと話題を変えるように切り出した。
「実は僕、悪魔とのハーフなんです」
急な話に瑠衣は戸惑っているようだったが、そのまま続ける。
「悪魔にも人間にもなれないどっちつかずですが……。こんな僕のこと怖いですか?」
瑠衣はしばらく黙っていたが、微かに首を振る。直は嬉しそうに。
「よかった。ハーフって結構差別されやすいんですけど、撃退士として頑張っていれば分かってくれるひとは人間にも天魔にもいました」
直はゆっくりと語りかける。
「僕は思うんです。大切なのはきちんと相手を知ることだって」
だから、と。
「辛いことがあるなら…話して欲しいんです。僕はあなたたちの事が知りたいです」
ここで見守っていた白秋も切り出す。
「俺たちは瑠衣ちゃんの不安を取り除くためにここに来たんだ」
目が見えない彼女はきっと耳がいい。だからストレートに自分の想いを声音に乗せる。
「だから教えてくれないか。――瑠衣は、何が怖い?」
しばらくの沈黙。
彼女は口を僅かに開いたり閉じたりしていたが、やがて絞り出すように声を出す。
「……こ」
掠れた声には、微かに涙が滲んでいた。
「ころ…される…のが……」
「殺される…誰にですか?」
琴音の問いにかぶりを振る。震え続ける身体をそっと抱き締め。
「大丈夫、落ち着いて」
「わたし…じゃない……ルゥ…が……」
「え?」
「ひと…りに……ない……」
しかし再び声を詰まらせた瑠衣は、それ以降の言葉が続かない。
その日彼女から聞けたのは、ここまでだった。
●
瑠衣の家を後にした撃退士達は、みな一様に押し黙っていた。
この事件の真相に、薄々気付き始めているからだろう。
「……俺たちはどうするべきなんだろうな」
白秋の呟きに、直の脳裏には悪魔だった父親が映っていた。
私物を壊されても盗まれても「悪魔だから」と決して反撃しようとしなかった父。
けれどもし、傷つけられたのが自分だったら。
「……取り返しのつかないことって、確かにあると思います。ですが…僕は償えるものもあると思っています」
「ただ……多分それは彼女を悲しませることになりますよね…」
琴音が目を伏せると、真里も何も言わず頷く。ファーフナーは静謐とした蒼の瞳を僅かに細め。
「……本人の意志を聞いてみるしかあるまい」
殺気を飛ばしたとき、「彼」は返してこようとはしなかった。それだけに。
歩は軽く息をつきふと頭上を見上げる。
視線の先には、枝一杯に咲き誇る花水木。
「いつの間に……綺麗ですね」
真里の言葉に歩はじっと花を見つめ。
「今度会いに行くときは、この花でも持っていこうかぁ」
雨と花が好きな気分屋探偵と覚えてくれるかなぁ? と笑ってみせる。
各々が集めてきたカケラ。
全てをつなぎ合わせ見えてくるもの。
自分たちがやるべきことは――