「……雨だね」
霧雨に包まれる道後を見つめ、西橋旅人(jz0129)は一言そう呟いた。全身を黒装束に包んだ彼は、普段のおっとりとした雰囲気は無い。その漆黒の瞳には何の色も映し出されてはおらず。
「ええ。恐らくは…あの日以来、一度も降り止んでいないかと」
隣で同じく雨を見ていた夜来野 遥久(
ja6843)が、応える。
以前見た光景と同じ。不自然に一箇所だけに降り続く雨は、止む気配を見せない。
「あの先に…いるんだよね」
ハウンド(
jb4974)がごくりと喉を鳴らす。これから自分たちが対峙する相手を、思い返しながら。
「この人数で天使相手…刺激的な依頼ですわね」
クリスティーナ アップルトン(
ja9941)がゆるりと微笑んでみせる。対するナナシ(
jb3008)は肩をすくめ。
「ここまで来たら、やるしかないわよね」
あの時感じた威圧は、とても自分たちで太刀打ちできるものでなかった。それでも。
「誰かがやらなければならないのなら、自分たちがやるまで」
淡々とした神凪 宗(
ja0435)の言葉に、黒百合(
ja0422)がその金色の瞳を細める。
「折角の機会よォ…少し痛い目をプレゼントして上げるわァ…」
「こ……怖いですけど…お兄ちゃんを護る盾になる為に頑張るのです!」
いつもは引っ込み思案なメリー(
jb3287)。けれどいつか兄を護るために、戦いから逃げないと決めている。
「天使、ですか…これはまたとんでもない話ですね。しかし、盾の端くれとして尽力させて頂きます」
新緑のような柔らかな光。安瀬地 治翠(
jb5992)が穏やかに、けれど揺るぎない声音で宣言する。遥久も目前にせまった道後温泉本館を見上げ。
「盾としての役割、果たしてみせましょう。必ず、全員での生還を」
彼らの言葉に、旅人は静かにうなずいてみせた。
覚悟に満ちた表情は、ここから先に待ち受ける脅威の大きさを物語っている。
そう、自分たちはこの場に命懸けで来ている。いや、命を懸けさせたのは自分で。
――わかっていた。
あのような言い方をすれば、彼らは断らないであろうことも。
それだけの意志の固さを、確信していたから。
雨音の中、旅人は思う。
わかっていて口にした自分は、卑怯と言えるだろうか。
「――行こう」
かけた言葉に、全員が同意する。そこに躊躇の響きは感じられないけれど。
雨が吐息を吸収する。
張り詰めた空気を飲み込んでゆく。
全ての答えは、この先に。
●道後温泉本館前・アーケード出口付近
辺りは閑散としていた。
既に避難が済んでいるアーケード内は、当然のことながら人ひとり見あたらない。周囲をうかがっていたハウンドが、切り出す。
「じゃあ俺たちはここに残るね!」
彼を含めクリスティーナと宗の三人は、この場で別行動となっている。
宗も全員を見渡してから。
「では作戦開始と言うわけだな。各自武運を祈る」
普段はツンとしたクリスティーナも、今は明らかに心配そうに残りのメンバーを見送っている。
「何かあったら、即連絡するのですわよ。わかりましたわね!」
旅人が微笑みながら、頷いてみせた。
道後温泉本館前は、静寂に包まれていた。
目前そびえる湯屋は、普段の賑わいはすっかり消え失せ今はただ沈黙の楼閣と化している。
「……寂しいものですね」
治翠がぽつりと口にする。人の気配が無い建物は、どうしてこうも孤愁に満ちて見えるのか。
メリーもじっと見上げ。
「…なんだか眠っているみたいなのです」
人の営みが無ければ、建物は途端にその息吹を失ってしまったかのようで。
遥久は上空を見据えると、声高に呼びかける。
「バルシーク殿、我々は久遠ヶ原の撃退士です。宣言通り、再びお会いしにきました」
対する返答は、聞こえてこない。
「……いないのかな」
旅人の言葉に、かぶりを振り。
「いえ、彼は必ず現れます。少なくとも私は、そう確信しています」
その直後。
一瞬、雲間が蒼く発光したように見えた。
認識するより速く、閃光が稲妻のように走る。明滅する光の中――その男は現れた。
大天使バルシークは以前会った時と同じ群青の外套を翻しながら、ゆっくりと三層楼の屋根へと降り立つ。
その様は強者の余裕とも言うべき所作であり。周囲を一瞥すると、口元を動かす。
「よく来た、撃退士よ」
ひりつくような威圧に耐えながら、遥久は不敵に笑んでみせる。
「私は夜来野遥久と申します。…お招き頂き恐悦至極」
対するバルシークも、何も言わず微かに口の端を上げる。それを見たメリーと治翠も、すかさず名乗りを上げ。
「初めましてなのです。メリーと申しますです」
「安瀬地 治翠と申します。お見知りおきを」
自分たちの役割は、出来るだけ会話をして時間を稼ぐこと。その間に、他班が行動に移ることができれば。
まずは治翠が敢えて気安い調子で声をかける。
「ここはいい場所ですね。人が集まりやすく、しかも感情も高ぶります」
「ああ、そうだな。同意しよう」
軽く頷く表情、言葉一つ一つに集中しながら。メリーも思い切って問いかける。
「だからここに来たのです?」
瑠璃の瞳が少女へと向けられる。彼女は震えそうになる足を踏ん張りながら、天使をまっすぐに見据え。
「あなたは騎士様だと伺っているのです。メリーの問いに答えて頂ける程の騎士道はお持ちなのです?」
問われたバルシークはうなずき。
「質問には答えよう。しかしそれがお前達の意に叶うものかどうかは、わからないが」
「……では、教えて下さいなのです。どうしてここに来て、こんな事を初めたのですか?」
「私の主君に命じられたからだ」
端的な答え。それ以上を話すつもりは無いと言う意志が、そこには滲んでいて。
「……この雨は簡易的なゲートのようなのですが。発動までにどれほどの時間を有するのです?」
「それはお前達の目で確かめてみるといい」
刹那。
空を切る音と共に刃が翻る。
抜かれたロングソードの切っ先。そのわずか向こうにいるのは――
「あらぁ…残念。見つかっちゃったみたいねぇ」
振鷺閣に入ろうとした黒百合の姿があった。バルシークは視線をやや横へとずらし。
「もう一人いるのだろう」
「……やっぱりそう簡単には入らせてくれないか」
声に反応し、ナナシが姿を見せる。額には微かに汗が滲んでいて。
「……どうやら読まれていたようですね」
眉をひそめる治翠に、遥久もうなずき。
「懸念はしていましたが…人数の少なさで気付かれてしまったのかもしれません」
バルシークが湯屋の上から動こうとしなかったのも、恐らくは。
縮地を遥久に付与し、旅人がメリーと治翠に告げる。
「…このまま彼女達が襲われるなら、戦闘開始と同時に僕らも突入しよう」
一瞬にして周囲の空気が張り詰める。誰かが動けば暴発しかねない、まさに一触即発の状況。
そんな中、最初に口を開いたのはナナシだった。
「――でもこれで確信したわ」
バルシークの動きに注視しながらも、わざと笑んでみせ。
「雨を発生させる何かは、ここにあるってこと」
それを聞いたバルシークは一旦黙り込んだ後。意外な一言を口にする。
「その通りだ。この雨の原因である『雫』は、この振鷺閣にある」
「……どういうつもりィ?」
黒百合が警戒した表情になる。同じくナナシも身構えながら。
「詮索するなと言っておいて、今度はあっさり場所を教えるのね」
「納得できないか?」
「もちろんだわァ…罠だって考えるのが普通よねェ」
聞いたバルシークはどこか楽しそうに笑みを漏らす。
「正直だな」
そして今度は会話班の方へと向き直り。
「では撃退士よ、選ぶがいい」
何も返さないメンバーに向けて、告げる。
「お前達が何もせず去ると言うのなら、このまま見逃そう。だがもし、お前達が私の剣を受ける気があると言うのならば――」
瑠璃色の瞳が細められる。
「雫は一旦お前達の手にゆだねよう」
「なっ…何を言うのです?」
あり得ないと言った声に構わず。
「ただし私は雫を手にしたお前達を攻撃する。この私の追撃をかわしきることが出来れば、雫はお前達のものだ。どちらを選ぶか、よく考えるのだな」
「……どういうことか、説明して頂けますか」
警戒の色を隠さない治翠に、バルシークは一旦視線を足下へと落とす。
「私はこの建物で戦うことは好まない。今お前達と戦えば、ここを破壊せざるを得ないのでな」
「何故貴方がそんなことを気にするのです。躊躇せずに私たちを排除すれば済む話では?」
「お前達は危険を冒してでも名乗りを上げ、私をここから離そうとした。つまりここで戦うつもりは無かったのだろう。その意志を尊重すべきと判断したからだ」
困惑する撃退士を見て、苦笑しながら。
「理解できないと思うだろうな。では正直に言おう、私は古い建物が好きだ。そしてそれを護ろうとしたお前達を気に入った。それだけのことだ」
「……何という」
遥久が思わず言葉を漏らす。計りかねていた天使の意図に、ようやく気付いたから。
この男は、自分たちを試したのだ。リスクを負うに値する相手であるのかを。
恐らく、戦場を本館に選んでいれば――。
「……恐ろしい方ですね」
遥久の言葉に、バルシークは反応を示す。
「強者だからこそ、と言うべきでしょうか。我々の選択一つに、その様な重い結果を負わせるなど」
聞いた天使は微かに笑み。
「戦場というものは、常に命を懸けた選択の連続だ。特別なことではない」
「ええ。そのことをつくづく実感しました」
最初の取捨を間違っていれば、こうはいかなかっただろう。それだけに。
そのブルーグレーの瞳を、瑠璃の男に向ける。
――選んでやろう。この意志で。
選ばされるなど、甚だ性に合わない。
「ではバルシーク殿。私たちの挑戦、受けていただきましょう」
例えどんな結果でも、正しかったと言ってみせる。
これは残してきた親友への意地でもあり。
その言葉を聞いた蒼閃霆の目に、焔が宿る。ぶつかる意志は雷鳴の如く共鳴し合い。
蒼い閃光が、再び走った。
●それぞれの選択
その頃、本館前のアーケード街で三人の撃退士が息を潜めていた。
(今どうなってるんだろう…)
入口近くの建物内でハウンドは、外を伺っていた。
自分たちは奇襲班としてここにいる。仲間の合図で、出ることになっているのだが。
未だ連絡は無い。
誘導に失敗したのか、それとも既に全員地へ伏してしまったのか。嫌な想像ばかりが脳裏をよぎる。
確かめに行きたい。
沸き上がる衝動を振り切り、かぶりを振る。
(……焦っちゃだめだ)
会話班は出来るだけ時間を稼ぐと言っていた。ここで見つかってしまえば何の意味も無い。
ハウンドは息を吐き、ただじっとその時を待つ。
「信じて待つ以外に、今自分に出来ることなんて無いもんね…」
この焦燥を乗り越えなければ。
はやる気持ちと、彼は今必死に闘っている。
同時刻、ハウンドとは反対側の店舗に隠れているクリスティーナも、同様の不安に襲われていた。
(妙に静かですわね…)
ここは本館前からさほど距離は離れていない。もし戦闘が始まったのなら音が聞こえてきてもいいはずなのに。
何か不測の事態でも起きたのだろうか。それならば、自分たちも出ていくべきでは無いのか。
そっと外を見やるが、誰かがいる気配は無い。
彼女は迷っていた。
今この場で、他班と連絡を取るべきか。しかし作戦実行中の場合、致命的なミスになりかねない。
唇を噛みしめる。
(今は…容易に出ていくべきでは無いですわ)
奇襲班を選んだ以上、クリスティーナはそう判断した。まだ待つべき時。
「仮に不測の事態だとしても…必ず対処してみせますわ」
そう呟いた直後だった。
突然轟音が大気を切り裂いた。同時に胸元に入れていた携帯が震え。
激しい足音と共に黒百合とナナシが飛び込んでくる。
その後を追う蒼の残像を見た瞬間、クリスティーナは地を蹴っていた。
「――なるほど、このような伏兵を用意していたのか」
バルシークの落ち着いた声音が、アーケード内に響く。
「なんとか…成功したね」
真っ先に出て薙ぎ払いを打ち込んだハウンドが、息を切らせながらも笑んで見せる。クリスティーナも敢えてドヤ顔で。
「ええ…『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!ですわ、天使様」
奇襲班の攻撃を同時に受け、バルシークはその場にとどまっていた。受けた傷を確かめながら、一言。
「悪くない作戦だ。見事と言っておこう」
そう語る大天使を、最後の奇襲を行った宗はただ見据えていた。自身が放った死角からの集中攻撃。まともに受けたはずの天使は、それでも大きなダメージは受けていないかのように見える。
(恐らくは、伏兵を予測していたのだろう)
しかし位置までが悟られていたとは思わない。事実自分が攻撃をしかけるまで、あの男は反応を全く見せなかった。
それでも、彼は全ての攻撃からぎりぎりの所で致命傷を避けている。あの角度から見せた凄まじい反応速度に、つい言葉を漏らす。
「……これが歴戦の成せる技、か」
宗は素直に恐ろしい、と思った。
培った時の大きさを、思い知らざるを得ないから。
全ての可能性を得るために、この男はどれほどの教訓と言う名の死を見てきたのだろう。
得た代償の大きさを感じ取れるからこそ、底知れぬ恐怖が自身を支配しそうになる。
けれど。
――挑まなければ。
「越えることなど一生出来ない」
その先にあるのは、痛みかもしれない。それでも誰かがやるべきなのなら自分がやる。
覚悟など、とっくに出来ていたはずだ。
「あはァ…危ないところだったわねェ…」
逃走を中止し迎撃態勢を転じた黒百合が、愉快そうに嗤う。
「ええ。初撃が空蝉でかわせるものでラッキーだったわ」
バルシークから放たれた強烈な一撃を、二人はぎりぎりの所でかわすことに成功していた。
「でもォ…次はこうはいかないと思うわァ…」
恐らく最初の攻撃はほんの小手調べ。次をかわせるかが勝負だ。対するバルシークは手にした長剣を水平に掲げ。
「行け、雷花!」
言うが速いか、蒼の光球がいくつも頭上に現れる。掲げた剣がわずかに揺れた刹那。
激しい閃光と共に、稲妻が一斉に落ちる。
「くぅっ……!」
前方扇状に降り注ぐ落雷。広範囲の魔法攻撃に、ナナシが避けきれず巻き込まれる。
「ナナシさん!」
息も出来ぬほどの重圧。身体中に激痛が走り耐えきれず膝を付く。
「何とか…大丈夫よ…!」
息も絶え絶え声を振り絞る。物理攻撃でなかったのが幸いした。彼女はぎりぎりの所で気絶を逃れていた。
(負け…ない……)
倒れるわけにはいかない。
振鷺閣から回収した『雫』を、自分が受け持っているのだから。
バルシークの言葉通り、『雫』は鳥飾りの足下に置かれていたのはたった数センチの石だった。
蒼の濃淡が美しい石を、手にした時はまだ半信半疑だった。けれど湯屋の屋根から飛び降りた途端、彼の言葉は事実だと悟った。
あれだけ降り続いていた雨が、止んだから。
――冗談じゃない。
ぎりっと歯を食いしばる。
ここまで塩を送られて、負けるなんてできるわけがない。
血を吐きながら立ち上がり、天使を睨み付ける。沸き上がる衝動のままに、叫ぶ。
「私は絶対に諦めない。耐えきってみせる!」
「さあ俺と遊んでよ!」
ハウンドが横合いから金属糸を放った。緑に輝くその糸は、群青の外套ごと左腕を絡め取る。
「今だよ!」
「星屑の流れと共に散りなさい!スターダスト・イリュージョン!!」
クリスティーナが間髪入れず衝撃波を撃ち込む。死角からの攻撃は見事天使の背面へと向かい。
「――っ」
バルシークは攻撃を受けようとわずかに体勢を崩す。そこを宗の禍々しき双剣が襲いかかり。
激しい衝突音と、金属がぶつかり合う音。
そこを魔法書を手にしたナナシが足下を狙って水の刃を飛ばす!
「黒百合さん合わせて!」
「いくわよぉッ!」
このタイミングを狙っていた黒百合が、大鎌を振り抜く。その高威力は、咄嗟に剣で防御態勢を取ったバルシークを吹き飛ばすほどの勢いで。
「まだまだァ!」
再び大鎌を振り上げ連続攻撃を繰り出す。二度目の攻撃は彼の剣に阻まれたものの。
続いて繰り出されたバルシークの一閃を、黒百合は空蝉でかわす。それを見た天使はどこか楽しそうに。
「やるな」
「あはァ…当然よォ。その為にここに来たんだからァ!」
背後にナナシを庇うように金の瞳を細める。
――強い敵はいい。
強ければ強いほど、この身が昂ぶって仕方ない。
彼女は嗤う。
命の削りあいを。魂の削りあいを。
もっと、もっと。激しく、強く。それはまるで、遊戯を続ける子供のように。
強者の懐中をこの手で穿つ。
だから自分はここにいる。
「みんな!」
後方に見えるのは追いついてきた会話班。
最も移動力の高い旅人を先頭に次々と合流、一気に陣形を展開させていく。バルシークを中心に常に移動し続ける円心状の陣形。
「さあ、これで全員揃いましたわね。ここからが本番ですわよ!」
対する大天使も身につけた外套を脱ぎ捨て、長剣を大きく掲げる。
「望むところだ撃退士よ!」
群青が舞う。
閃光が走り、轟音が大気を震撼させる。刃を受けたのは治翠。
「……そう易々とやられるわけにはいきませんのでね」
全身に紫電のアウルを纏わせながら、微笑んでみせる。瞬間的に高められた防御力によって、致命傷は免れているものの。
(……それでもこの威力ですか)
盾で受け止めた瞬間、あまりの衝撃に全身が総毛立った。これが大天使の力なのだと、嫌でも思い知らされる。
彼は冷静にこの状況を分析していた。
このまま攻撃を受け続ければ、いずれ自分は落ちてしまうだろう。それほど力の差は圧倒的で。
――それでも、退くわけにはいきません。
ある少年を支えるために、学園に来た自分。気がつけば盾職を選んでいたのも、彼を護りたいと言う意志が働いたから。
(大丈夫、まだやれます)
限界までここに立つ。それが盾としての自分の矜持。
「盾はメリー達に任せるのです!」
同じくバルシークの前に立ちふさがりながら、メリーは宣言した。庇護の翼を旅人へ使用し、常に敵の射線上に歩み出る。
「メリーが護ってみせるのです!メリーはその為の盾なのです!」
そこにいつもの引っ込み思案な彼女の姿は無い。
なりふりなんて構ってられない。
自分が護らなければ。みんなを、仲間を。
(お兄ちゃん、メリーは頑張るのです…!)
天使が刃を振り抜く。盾を手にメリーは一心不乱に飛び込んでいく。
メリー達がバルシークを止めている間、ナナシに駆け寄った遥久がヒールを施していた。
高威力の回復により、傷はまたたくまに癒えてゆく。
「何とか耐えきったわ。黒百合さんたちのおかげね」
「あらァ…それはお互いさまでしょォ?」
ナナシが受けていなければ、あの攻撃は恐らく自分が受けていた。だからこそ黒百合は、何が何でもナナシを庇おうとしたわけで。
「あなたはその『雫』とやらを守り切ってくれればいいのォ…!」
再び大鎌を構え、黒百合は天使へと突撃する。
振り抜く威力は衰えず、受ける盾も未だ衰えは見えない。それでも攻撃が最大の防御になるのなら、少しだって躊躇はしない。
遥久がナナシへと告げる。
「では一旦私も前へと行きます。ナナシさんは出来るだけ敵の射程に入らぬよう」
「ええ、もう天使の攻撃範囲は見切ったつもりよ。忍軍の意地にかけてでも避けきってみせるわ」
遥久は微笑むとそのまま前線へと走る。増援が到着するまで、まだ時間は残っている。
勝負は、ここからだ。
●死闘
再び響き渡る、落雷音。
放たれた広範囲の稲妻が、撃退士達を巻き込み地に伏せさせる。
「っ……!」
落雷をまともに受けた治翠が、その場でスタン状態に陥る。その傍らにはスタンは免れたものの、かなりのダメージを受けたクリスティーナと黒百合の姿もある。
「……やるわねェ…」
全身の痛みと戦いながら、黒百合は何とか立ち上がった。武器を構えるどころか息を吸うことさえ激痛が走る。
バルシークを取り囲む陣形は、まるで生き物のようにその動きをかえていた。
全ては援軍が到着するまで、押さえ込むため。
天使の一挙一動に全神経を注ぎ、動きにあわせて移動していく。その集中力は凄まじいものであり。
しかし大天使はそれでも尚、その意志の盾をいとも簡単に打ち砕く。
「やはりあの威力は、タダではすみませんでしたわね…」
頬を伝う血をぬぐいながら、クリスは息も絶え絶えに呟く。
「ほう、まだ立てるのか」
バルシークの声に、あくまで凜然と笑んで見せ。
「…見くびってもらっては困ります」
苦しい。でも、絶対にここで下がりたくはない。
「そう簡単に落ちるなら、最初から挑みませんのよ!」
纏うオーラが強い輝きを放つ。解放された力を全て刃に込め、クリスティーナは鮮やかに剣を振るう。
「散りゆく貴方のために、奏でましょう。ムーンライト・レクイエム!!」
彼女が放った輝く剣閃は、バルシークの体躯に深く傷を負わせる。渾身の一撃に耐え切れず体勢を大きく崩したところを、宗の闇遁が襲い。
「このタイミングを待っていたぞ」
「くっ……!」
常に後方へ位置取り、確実にダメージが与えられる瞬間をひたすらに狙っていた。
そこを襲うのは、黒百合の大鎌。
「くらうがいいわァっ!」
血まみれのまま、繰り出される連続攻撃。その限界にまで高めた刃は、大天使の攻撃力さえも削ぎ落とす。
腕から血を流しながら、バルシークは剣を構え。
「まだこんな力を残していたとはな…だがこの程度で私は倒れはしない!」
陣形がわずかに崩れた一瞬の隙を突破する。包囲網から抜け出た彼が狙う先は雫をの所持者。
しかしここでハウンドが間に割り込んだ。
「そっちへは行かせないよ!!」
移動力を上げ、ナナシが狙われないよう常に間に入れる位置を取っていた。
「さあ、俺とタイマンで勝負だ!」
「ならば受けてみるがいい!」
凄まじい衝突音。
振り抜かれた刃と共に稲妻が身体を貫通する。肺にこみ上げてくる血と全身のしびれで、意識が遠のきかける。
「ハウンドさん!」
衝撃で吹き飛ばされた彼をナナシが受け止める。薄れそうになる意識を、ハウンドはぎりぎりの所で保っていて。
溢れてくる血でうまくしゃべれない。それでも身を呈してナナシを守りきった。
「ありがとう…」
ナナシはそれだけ呟くと、魔法書を手に立ち上がる。その目は大天使を見据えていて。
「確かに人はまだ弱く幼いかもしれない…けどね、私は人の持つ可能性を信じてるの」
この世界を守りたいと思う。だから。
「私は負けない、くらいなさい!」
渾身の一撃をうち放つ。他のメンバーも我が身を省みない全力の攻撃を撃ち込んでいく。
それはまさに、命の削り合い。
轟音と共に、蒼が閃く。
舞い上がるのは、鮮血のしぶきと赤い髪。
雷を纏った一閃が、メリーの体躯へと撃ち込まれた。旅人の代わりに攻撃を受けた彼女は、あまりの激痛に、膝を付く。
「メリーさん!」
旅人が彼女を庇うように黒刀を振り抜く。メリーはその場で何とか立ち上がり。
「メリーの盾は…まだ砕けて無いのです。まだやれるのです!」
流れる血もそのままに、バルシークをきっと睨む。
「僕のことはいいから下がって!」
旅人の言葉にも、彼女は頑として譲らない。
愛する兄に胸を張れるように、いつかは兄を護る盾になるために。
そのためになら鬼にだってなれる。
「女の子はいざというとき強いのです。それを思い知らせてやるのです!」
既にナナシを除くほぼ全員が満身創痍。それでも誰かが落ちそうになる度に誰かが庇い、回復をさせ、何とか全て残っている。
全身に傷を受けた遥久が、仲間に向けてライトヒールを展開する。
既に対抗スキルは尽きかけている。
何度も攻撃を受け、身体は限界に近かった。
――盾として受けられるのは恐らくあと一撃か。
それは治翠も同じだった。
(ですがまだ…諦めません)
尚も立ちはだかる二人に、バルシークは問う。
「なぜ、そこまでする」
「その程度か、と見くびられるのが一番嫌いでしてね」
全身を貫く痛みに耐え、遥久が不敵に笑む。同じく治翠も盾を構え。
「ええ、この身尽きるまで立ち続けます。その為に私たちは来たのですから」
その言葉にバルシークが言葉を飲み込んだ直後だった。
アーケード入口に聞こえてくる、多数の声と足音。口元の血をぬぐいながら、旅人が吐息を漏らす。
「……何とか、間に合ったみたいだね」
待ちわびた援軍の、到着だった。
●その重さ
アーケード内に次々に入ってくる撃退士たち。状況を見たバルシークは、あっさりと剣を収める。
「どうやらお前達の方が一枚上手だったようだな」
その表情は悔しそうでも、怒りでもなく。むしろこの場の終焉を、残念がっているようにさえ見え。
満身創痍のメンバーへ向けて、微かに笑む。
「今日の所はお前達の勝ちだ。退かせてもらおう」
それだけ言うと、背中の羽根を大きく羽ばたかせ一気に飛翔する。
瞬く間に去って行く大天使。
九人はその後ろ姿を、呆けたようにただ見つめていた。
自分たちは勝ったのだ。
目前の脅威が大きすぎて、その実感を得るのは容易ではなかった。
増援に来た生徒達が一斉に彼らへと回復スキルをかけ始める。そこでようやく、事の次第を理解したくらいだった。
※※
「こんな小さなもので感情が吸収できるなんて……考えもしなかったわ」
命懸けで奪った『雫』を見て、ナナシは改めて嘆息する。メリーとクリスティーナも淡く輝く石をじっと見つめて。
「とっても綺麗な宝石にしか見えないのです」
「ええ。この中に感情エネルギーを溜め込んでるなんて、とんでもない話ですわ」
治翠もうなずくと、考え込むように。
「天界の技術は、予想以上に進んでいるという事でしょうか?…」
この雫を見るだけで、どれほどの脅威か分かるというものだ。
けれど、大々的に使われている訳でもない事から、問題もあるのかもしれない。
「でも…これ何のために使ってたんだろう?」
ハウンドのもっともな質問に、宗が答える。
「……それを調べるために、太珀殿は破壊ではなく回収を指示したのかもしれないな」
「ええ、恐らくはどこかの調査機関へ持ち込むのではないでしょうか」
遥久がそう言った後、黒百合がおもむろに切り出す。
「じゃあとりあえず、ビールが飲みたいわァ…。大天使からコレを奪った記念ににねェ」
「ふふ、黒百合さんらしいわね」
彼らの間に、ようやくいつもの笑顔が戻ってくる。
そんなメンバーを、旅人はやや離れた位置で見守っていた。
力が抜けたように、その場に腰を下ろす。
長い吐息。全員無事だったと言う安堵感に、今さらながら全身が震えそうになる。
「――お疲れ様でした、西橋殿」
顔を上げると、そこには微笑む遥久の姿があった。その傍らには、他のメンバーもいて。
ナナシがにっこりと笑んでみせる。
「きっと西橋さんが一番気苦労が多かったと思うわ。色々とありがとう」
「そんな、僕はただ…」
思わず視線を落とす。自分はただ、皆を巻き込みここへと連れてきただけ。
任務と言えばそうだったかもしれない。けれどもし。
――そう、僕は後悔が怖くて来たようなものだ。
巻き込む責の重さに、耐えられなかった。万が一の時はせめて自分がと。
その様子を見ていたメリーが、やっぱりと言った調子で断言する。
「西橋さんはメリー達が守って正解だったのです」
「え?」
再び視線を上げた旅人に、人差し指をぴっと立て。
「西橋さんのことはお兄ちゃん達から、すぐ無茶する人だと聞いていたのです。だからメリーが絶対に守ってみせると決めていたのです!」
「……どうして…」
「あはァ…ほんと鈍いのねェ…」
黒百合が否定できない事実をつっこんだところで、治翠が困ったように微笑む。
「誰一人、欠けさせたくなかったからですよ。私たちも」
ハウンドとクリスティーナも。
「みんなで帰らないと意味無いもんね〜! 温泉だって楽しく入れないし!」
「当然のことですわ。何を不思議がる必要がありますの?」
宗に至っては、何故そんなことを聞くのかと言った様子で首を傾げている。
「誰もがその為に全力を尽くした。それだけのことだと思うが」
彼らの言葉に旅人は、ばつが悪そうに頬を掻く。
「そ、そうだよね…僕は何を言っているんだろう」
「……西橋殿が身を呈してでも私たちを守りたいと考えるように、私たちもまた同じだと言うことですよ」
「遥久君…」
旅人に向かって頷いた遥久は、一旦全員を見渡すと微笑む。
「全員で帰れて、何よりです」
それを聞いた旅人は。
何かとてつもなく大事なものを見つけたような、驚きとも歓びとも言えない表情をした。
「……うん、心からそう思うよ」
思わず顔を覆う。何故か喉の奥が熱い。
全員で帰る。
その言葉の重さに、ようやく気付いたから。
●ツインバベルでの会話
「……それで、雫を奪われたとな」
話を聞き終えた男は、大して気にした様子も無くバルシークの肩を叩く。
甲冑の擦れる音が、ゲート内に微かに響いた。
「まあよいわ。どうせお主のことだ、取り返すつもりなのだろう」
そしてどこかおかしそうに口元の髭を撫でてみせる。
「ゴライアスといいお主といい、よほど気に入ったのだなその人間達を」
対するバルシークは諦めたように苦笑し。
「まったく…団長に隠し事はできない」
「お主達が少々わかりやすすぎるのだ。ついでに言ってやろう、バル。お前は久しぶりの単独戦で隙があったな」
言葉を飲み込むバルシークに、笑いながら。
「普段後ろをリネリアに任せっきりだから、そうなるのだ」
ばつが悪そうに黙り込む彼に、騎士団長は。
「養生しておけ。その傷は決して軽いものではなかろう」
そして視線をやや馳せると、まるで独り言のように低く呟いた。
「直に大きな戦いになる」