それは、不思議な光景だった。
煙るような、霧雨と。
すっかり高くなった、蒼天と。
道後に辿り着いた六人の撃退士は、目前に映る奇妙な『境界』を困惑した表情で見つめている。
「これ…どう見てもここだけ、雨が降ってるよね」
深くかぶった帽子を抑えながら、ハウンド(
jb4974)が首を傾げる。
正面を向けば、雨。振り返れば、陽差し。
「俺、人間界のことそこまで知り尽くしてるわけじゃないけどさ。こんな天気の変わり方ってあるの?」
「いえ…通常では考えられませんね」
周囲を警戒するブルーグレーの瞳。夜来野 遥久(
ja6843)が落ち着いた声音で返す。
「一箇所だけがこのように降り続くのは、あり得ないかと」
遥久の言葉に、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)もうなずき。
「ええ、なにかカラクリがあると考えるべきですわね」
華やかに目立つ美人。ダイナマイトボディが秋空に眩しい。
「加えるならば、天魔の仕業…とも推測すべきか」
そう同意するのは、建物の影にいた神凪 宗(
ja0435)。霧雨を浴びた銀髪は、いつもよりもその濃淡を際立たせる。赤みががかった前髪が、印象的だ。
「一箇所だけに雨を降らせる…一体、何が目的なんでしょうか」
雨を見つめていた久遠 冴弥(
jb0754)が、ぽつりと呟く。悪魔のナナシ(
jb3008)も、雨の降る一角へ視線を馳せながら。
「この中で何が起こっているのはよくわかんないけど…」
最近通っている図書館で読んだ言葉。
「とにかく、行くしかないわね。虎穴に入らずんば…って言うみたいだし」
冴弥もその紅い瞳をきゅっと細め。
「ええ。目的が読めるまで待っている訳にもいきませんからね。動きましょう」
六人は、雨の降る中心部へと向かって行った。
●邂逅
「とりあえず、敵を探さないとね!」
雨具を着用したハウンドが、背の翼で空を掴む。視野を広げる為の眼鏡も着用し、手には空のペットボトル。
(ついでにこの雨を採取することが出来れば…)
飛翔しながら、屋根の上に漏斗と共にそっと設置。その時、視界を何かが横切る。
映ったのは、大きな影。
建物の間を、すべるように移動している。注意深く見ていなければ、見過ごしてしまうほどで。
ハウンドは意思疎通を使い、急いで地上の仲間に伝える。
「大きな影、発見! 速い、こっちにきてるよ!」
そう言ったと同時、別方向からも二体の影がこちらに向かってくるのが見える。
「うわ〜どんどん集まってきてる!」
「向かってくるなら好都合だ。近くの公園まで誘導するぞ」
宗が臨戦態勢になりながら、そう言った時。
目前に、黒い影が現れた。
手はあるが足は無く。のっぺらぼうの顔には大きな口が、一つ。
影は見えない双眸でこちらを見つめるように、じっとした後。
にいっと嗤った。
「私は西橋殿に避難要請を出します。その間、敵の誘導をお願いします」
遥久の言葉にナナシが反応。
「了解。こっちは任せて!」
言うが早いか、メンバーは即座に陣形展開。向かってくる影から逃げるように公園へと向かう。
その間に、遥久は学園へと連絡を入れる。話を聞いた斡旋所スタッフの西橋旅人は、避難勧告要請を受諾。遥久の要請通り、道後公園内への立ち入り禁止を即座に手配する運びとなり。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!ですわ」
「さあ、こっちに来なさい!」
弓を手にしたクリスティーナとニンジャヒーローを発動させたナナシが、派手に振る舞い敵を引きつける。
クリスティーナが射程ぎりぎりの位置から、誘導を兼ねた牽制射撃。アウルの矢はまっすぐに影へと向い、直撃かと思われたその時。
ぱくり、と影が矢を飲み込んだ。
「なっ…どういうことですの?」
思わずナナシと顔を見合わせる。
影はダメージを受けた様子は無い。どういうことか分からなかったが、迷っている暇も無く。
「考えるのは後ですわ。今はとにかく敵を広場まで誘導します!」
影は脇目も振らず、撃退士だけを追ってきていた。
途中逃げ遅れた一般人の姿もいたが、彼らを襲うことは無く。
「どうも俺たちにしか興味無いみたいだね〜」
ハウンドの言葉に宗も頷き。微かに眉根をよせる。
「あの天魔は、自分たち撃退士を排除するためにいる…と考えるべきか」
何のためかは、わからないが。
目的地である道後公園は、既に立ち入り禁止措置が取られていた。
赤々とした夕焼けが辺りを染める中、影と共に六人の撃退士が飛び込んでくる。
「布都御魂、ブレイブロアです」
全員が臨戦対戦になると同時、冴弥が召喚獣へ即座に命ずる。
鋭い咆哮が、地響きのように。
蒼煙纏った馬竜の周囲を紫電が迸る。それと同時に全員の攻撃力が上昇。
双剣を構えた宗が、サイドから影に斬りかかる。
「くらえっ」
ぱくり。
「何?」
斬りかかった所が口のように開き、斬撃を飲み込んでしまう。
(この手応えの無さは……)
「じゃあこれならどう?」
ナナシの放った光の球。翼の生えたそれは勢いよく影へと向かって行き。
激しい明滅と共に響く、衝突音。
「どうやら、効いたみたいね」
影は声こそ上げないものの、先程と違い攻撃を飲み込んだ様子は無い。
直後、今度は影が動いた。ぱかりと開いた大きな口から、飛ばされるのは黒いオーラ。
彼女を狙った一撃を、遥久のシールドが見事受け切る。
「すみませんハウンド殿、刀で敵を攻撃してもらって良いですか」
「いいよ〜! てめ〜は気味が悪いんだよ〜!」
振り抜かれた一閃へ向けて、影が大きく口を開ける。
「うわっ!」
飲み込まれる斬撃に、遥久は眉をひそめ。
(やはり間違い無い)
自身は扇を使って魔法攻撃を撃ち込んでみる。今度は、飲み込まれない。それを見ていた冴弥が。
「どうやらあの影、物理攻撃が一切効かないみたいですね」
クリスティーナが思い出したように。
「そう言えば敵は半透明になると言う情報でしたわよね」
遥久も頷きながら。
「ええ。形状が変われば、あるいは…」
「ありえるわね」
ナナシも同意する。全員の考えはこの時点で一致していて。
一斉に魔法攻撃へと切り替える。その間に影も黒いオーラを発射。今度はクリスティーナのシールドが受けるのに成功する。
「これなら当たりますわね!」
杖に持ち替えた彼女は魔法攻撃を撃ち込む。影は衝撃で身体を震わせ。
その刹那。
真っ黒な身体が突然、半透明に変化する。
「予測に間違いが無ければ…」
宗が再び双剣で斬りかかる。今度は確実な手応え。
「やはりか」
「透明の時は魔法攻撃、半透明の時は物理攻撃が有効で間違いなさそうですね」
冴弥がそう言ったと同時、馬竜が地を蹴る。目にも留まらぬ一閃が、ジェル状になった敵の体躯を襲う。その様は、まるで空間が影によって断絶されたかのごとく。
一体が、その手を鞭のようにしならせる。繰り出された攻撃を、囮で動くナナシの空蝉や遥久のシールドが対処していく。
「おりゃ〜死んどけや〜!」
ハウンドが大きく振りかぶった大鎌で、CR差を生かした強烈な一撃を繰り出す。深く刈り取られた一体を、剣に持ち替えた遥久とクリスティーナの斬撃が襲う。
「これで…終わりだ」
高く跳躍した宗が、上部から高威力の一撃を叩き込む。一体の身体は、溶けるように融解していき。
「一体討伐成功よ!」
その後、残りの二体は影と半透明の状態を繰り返し続けた。しかし撃退士側の反応は見事なもので。
「私は物理攻撃が得意。ナナシさんは魔法攻撃が得意。うまく連携して敵を倒すのですわ!」
クリスティーナとナナシは交互で得意分野を生かし、補い合う。
宗と遥久は挟撃を続けながら、ハウンドと冴弥は正面で相対しながら、上手く攻撃を切り替え確実に当てていく。
その間幾度かの攻撃を受けはしたものの、致命傷になることも無く。
恐らく敵の体力もあと少し――となった頃。
半透明になった残りの二体が突如合体、大きく口を開ける。攻撃が来る、と全員が身構えた時だった。
「うわっ!?」
目にも留まらぬ速さで繰り出された範囲攻撃。ナナシはその回避力でかろうじてかわしたものの、ハウンドはかわしきれず。
「いけない、飲み込まれたわ!」
丸呑みされたハウンドは、中で身動きが取れない。
(――っ!?)
力が抜けていく。どうやら生命力を吸収されているようだった。それに気付いた宗が叫ぶ。
「回復される前に、倒すぞ!」
全員で総攻撃開始。
「どうやら何かを飲み込んでいる最中は、影に戻れないようですわね!」
クリスティーナが剣を構え。ハウンドに当てないよう上部を狙う!
「流星の輝きを御覧なさい!スターダスト・イリュージョン!!」
刀身から放たれる煌めく流星がジェルへと一斉に撃ち込まれる。強烈な一撃は、敵の体躯を大きくえぐり。
「吐き出したわ!」
再び分裂したサーバントから、ハウンドが放り出される。ナナシが即座に抱え上げ、駆け寄った遥久が即座にライトヒールを展開。
「ごめん、手間かけちゃった〜…」
謝るハウンドに遥久とナナシはかぶりを振り。
「いいえ。謝る必要などありません」
「そうよ、おかげで敵の能力が判明したんだもの。むしろ身体を張らせて申し訳ないのはこっちよ」
これは、相手の能力が分からない戦いであり。
予測できる以上のことは、誰かが攻撃を受けるしか無いのだから。
「さあ、あと少しです。行きましょう!」
冴弥の言葉に呼応するかのように、馬竜を包む蒼煙が炎のように沸き上がる。
こういうとき、召喚獣との深い部分での繋がりを感じてしまう。
もっと強く、
もっと激しく。
自身の中に眠る何かを、彼らがまるで体現するかのように。
「くそ〜腹立ったから絶対お前らは俺が倒してやる!!」
復活したハウンド、大鎌を持って敵へと全力で振り抜く。合体をさせないよう、位置取りも完璧で。
放たれた渾身の一閃。受けたサーバントは弾けるようにその身を散らし、融解する。
「あと一体!」
敵の攻撃はことごとく遥久とクリスティーナのシールドがカバー。
「これで最後よ!」
宗の物理攻撃で影へと戻った瞬間を、ナナシの凄まじい魔法攻撃が襲い――
雨の音が戻るとともに、その身は消滅した。
●調査
静けさを取り戻した園内。
「終わった〜…このまま温泉に入りたいところだけど」
ハウンドが笑いながら言う。討伐を終えた六人には、まだやるべきことが残っていて。
明らかに不可解なこの雨。その調査をやらずには帰れないと、全員で決めたのだ。
まず、遥久と宗が温泉街の人の様子を観察して回った。
「……どうも虚ろな表情をしている人が多い気がするな」
わずかではあるが、全体的に活気が無い。遥久が許可を取って試しに、現世定着を使用してみる。効果は――あった。
「これは間違い無いありませんね…」
微量だが、この辺りで感情吸収が行われている証。しかしゲートはこの界隈で発見されてはおらず。
「どういうことだ…この霧雨が原因なのか…?」
宗の言葉に遥久は軽くうなずき。
「断定はできませんが…無関係とは考えにくいと思います」
一方、聞き込みをしていたナナシとクリスティーナは、次の情報を得ていた。
この雨は、ここ一週間ほどずっと降り続いている。範囲が移動したことは一度も無いと言う。
そして、やはりこの雨の範囲にいる時間が長い人ほど、虚ろな表情をする人が多いと言うこと。
「少なくとも、雨が降ってる範囲でだけ起こっているのは間違いないようですわね」
クリスティーナの言葉に、ナナシもうなずきながら。
「ええ。この雨…一体何が、発生させているのかしら…」
ナナシは地図を見ながら。
「範囲の中心地が怪しいかなって思ってるんだけど」
その地にあるのは、道後温泉本館。
しかしゲートや明らかに雲を発生させているようなものは見あたらず。
「今はあまり時間も無いから…とりあえず学園に報告して、対策を採るしかなさそうね」
他方、設置していたペットボトルを回収していたハウンド、冴弥は奇妙な光景を目にしていた。
「あ…あれ……?」
ボトルを回収したハウンドが首を傾げる。
「おっかしいな〜どれも全く溜まってない」
設置していた全てのボトルの中には、一滴の水も入っていない。霧雨だとは言え、多少なりとも溜まっていそうなものなのに。
見ていた冴弥が、考え込むような表情を見せた後。
「……どうもこれは自然の雨とはやはり別物のようですね」
ハウンドが身につけていた雨合羽を指す。
「先程まで全く気付いていなかったのですが…」
合羽が弾いた水滴が、しばらくすると――突然、揮発したのだ。
「消えた…?」
「普通の水はこんな風に揮発しませんよね…」
二人は困惑しながら、雲を見上げる。
本館前でメンバー合流後、各報告を聞いたナナシがうーんと唸った。
「その感情吸収、やっぱりこの雨が関わっているのは間違いなさそうね。でも雨そのものが原因なのか、範囲だけを示しているのかで対処は全然変わってくるわ」
範囲だけなら、雨を遮っても意味が無いからだ。それを調べるために雨を持ち帰ればと思ったのだが。
ハウンドが首を傾げながら。
「あーそう言えば俺、気分が悪いっていう人に合羽貸したんだけど…効果なかった気がする」
「なるほど…そうなると雨は範囲だけを示している可能性が高い、か」
宗の言葉に、遥久も頷き。
「その仮説が成り立ちますね。私たちの聞き込みでも、屋内にいる時間が長い人とそうでない人で体調に差が出た、ということは無かったですし」
「しかしゲートは無いようですし…一体何が」
冴弥そう、言いかけた時だった。
「そこまで調べあげたこと、率直に敬意を表しよう」
突然降ってきた声に、六人は咄嗟に頭上を見上げる。
三層楼の真上。
折り重なる雨雲の合間が、淡く発光する。クリスティーナが眉をひそめ。
「何ですの……?」
蒼い、光だった。
それと同時、稲妻のような閃光が走る。明滅の中現れたのは――。
「天使…」
ひりつくほどの重圧。瑠璃色の瞳を持つ男に、ナナシは問う。
「…貴方は誰?」
男は、手にしたロングソードをまっすぐに突き付け。
「まみえたからには、名乗るのが騎士の礼節」
再び、閃光が走る。群青の外套を翻す下に見えるのは、白銀の鎧。
「私の名はバルシーク。ツインバベル『焔劫の騎士団』が一員にして、『蒼閃霆公』の二つ名を与えられし者」
その薄い唇から発せられるのは、有無を言わさぬ強圧の宣告。
「撃退士よ、今日の所は引くがいい。これ以上の詮索は私が許すわけにはいかない」
「――っ」
今の戦力でとても戦える相手では無い。黙り込む彼らに、バルシークは微かに笑み。
「だが、誇り高き若者よ。もしお前達がもう一度ここに来ることがあるならば」
運命の輪が、加速するように。
「その時はこの剣をもってお応えしよう」
群青が更に深く。
聞いた遥久が、ただ一言答える。
「…必ずまた、お会いしに来ます」
蒼の火蓋は、切って落とされた。