●西窓班
「これは……異様な光景だね」
ガラス越しに中の様子を伺っていた不破 怠惰(
jb2507)は、呟いた。
目の前に映る、散乱したオフィス内。散らばる椅子やファイルを、大量の血痕が染め上げているのがわかる。
その血の多さが、犠牲者の多さを物語っていたから。
彼女のとろんとした表情に、わずかな影が差す。
「ええ……酷いですな……」
同じく中を見たヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)がうなずく。老成とした落ち着いた響き。
しかしその中に深い怒りが滲んでいるのを、彼自身気付いていて。
「あの場にいる方全てが、犠牲者なのでしょうな……」
床も、壁も、天井までもが血塗れになった室内。
誰もが目を覆いたくなる惨状の中で――犠牲者達は佇んでいた。
血まみれの状態のまま何をするでもなく。ただ、静かに。
「外見だけだと、生きているようにしか見えぬが……」
リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)が低く返す。
報告では室内全員の死亡が確認されている。彼らが既に死者であることは、間違い無いのだろうが。
目に映る彼らは、通常の人間と何ら変わりが無い。表情は虚ろと言うよりはむしろ穏やかと言った様子で、それ故にこの場の異様さを引き立てているとも言える。
「この状態で更に傷めさせようなどと…」
武器を握る手に、力が入る。ぎりっと奥歯を噛みしめ、彼はこみ上げる感情を押し殺した。
そこで怠惰の持っていた携帯が震える。扉突入組の結月 ざくろ(
jb6431)からの連絡だ。
「どうやら、室内班と扉班も到着したようだね」
ホイッスルを手にした彼女は、待機中の二人に向かって告げる。
「――では、突入と行こうか」
甲高い音と同時、彼らは一斉透過で室内へと入った。
●突入
最初、犠牲者達は大した反応を見せなかった。
突入してきた撃退士を見ても驚く様子も無ければ、攻撃してくる様子も無い。
どこか不思議そうに彼らのことを見つめていた。
「一番乗りはあたしがもらったー!」
死者達に向けて勢いよく突進していくのは、瀬波 有火(
jb5278)。
呆然としている一人に向けて、手にした槍を一気に打ち込む。
「ギャアアア」
悲痛の叫びと共に、鮮血のしぶきが上がる。急所を狙ったその一撃は、動きを止めるには充分で。
(なるべく苦しめないよ。…あたしがしてあげられることは、これくらいだもん)
わざと明るい声を出したのも、現場の志気を上げると共に自身の迷いを断ち切るため。
動けなくなった男に、コンチェ (
ja9628)の刃が振り下ろされる。
「大丈夫だ。お前達は俺が冥土に送ってやる」
躊躇の無い一撃は、男の心臓を直撃する。再び上がる、苦痛の叫び。
刺し入れた所から、血があふれ出していた。涙を流しながら男は、何度も何度も同じ言葉を呟く。
「サヤカ…サヤカ…」
程なくしてその声も聞こえなくなる。
「……すまん、許してくれ…」
事切れた男を見て、思わず言葉が漏れる。
コンチェの手には、娘と映る男の写真が残されていた。
現場は一瞬で大混乱に陥った。
襲われると気付いた彼らは、一斉に逃走を開始した。
「昔を思い出す……なんて言ったら、仲間に刺されそうね。黙って粛々と……」
そう呟きながら、片霧 澄香(
jb4494)が黙々と犠牲者達を撃ち殺していく。
「抵抗は無駄よ? 大人しくしてくれれば遺言くらいは聞いてあげるけど…」
しかし彼らと会話を交わすのは難しそうだった。襲われたパニックでただひたすら逃げまどう。
その様子があまりにも憐れで、彼女は無意識に息を吐く。
「…とりあえず、悪魔である私が積極的にやるとしましょうか…」
できるだけ、人間が殺さなくていいように。
「うっ…覚悟はしてたが、やっぱ厳しいぜ…」
目前に広がる惨状に、日向 迅誠(
ja5095)は吐き気すら覚えていた。
血だらけの室内で泣き叫ぶ被害者。そんな彼らに追いすがって刃を打ち込まなければならない現実。
「お前達はもう死んでるんだ…俺は人を殺すんじゃない!」
そう自分に言い聞かせ、迅誠は刀を振り抜く。避けようとした一人の肩から、勢いよく血が噴き出した。
「イタイ…ヤメテ…!」
泣きながら彼を見上げてくる。助けを求めるその目に、たまらず叫ぶ。
「くそっ…なんでそんな顔するんだ…!」
納刀状態の刀で足を払う。倒れたまま逃げようとする所を追い、刃で切りつけ。
「お前は天魔なんだ! 俺たちの敵なんだ!」
顔を見続ければ決心が鈍りそうだった。そこに加勢するのは、天海キッカ(
jb5681)。
「わんも手伝うよ。辛いことは一人で背負わんでええ」
振り上げた大鎌を、男の背に突き立てる。断末魔の悲鳴と返り血をその身で受け止めながら。
「いっそ殺しに来てくれれば、どれほど楽だったろうにね…」
唇を噛みしめる。怒りでどうにかなりそうなのを、抑えるのが精一杯で。
「既に大きな被害が出ていることは確か。にしてもここから更に被害を広げるつもりのないこの動きは一体……」
逃げまどう犠牲者、追いすがる撃退士たち。
まるで地獄絵図のようなこの状況に、アストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)は不可解なものを感じていた。
「まさか…私たちに『人の死体』を損壊させることが目当て…?」
だとすれば、この事件の首謀者は吐き気がするほどに悪趣味だ。恐らく、どこかでこの状況を見て愉しんでいることを思うと、やりきれない思いが募る。
しかし怒りの感情を失った彼女にとって、この場はただ哀しみの存在でしか無かった。
救えなかった。
その現実を、ただひたすらに突き付けられる場所。
扉に向かってきた男を切りつける。すがるような瞳を、まっすぐに受け入れながら。
「……仕方なかったなんで、被害者にどうして言えますか…」
安らかに、などど気安く口には出来なかった。
むしろどうして助けてくれなかったと見られる方がマシだった。
騎士として生きると決めた自分にとって、出来ることは救えなかった命を背負うことだけだから。
●それぞれの戦い
犠牲者達は、次々と討たれていった。
身体能力が撃退士並みになったとはいえ、所詮は戦いすら分からぬ身。
逃げたり暴れたりはするものの脅威となる攻撃をしてくる者は皆無であり、それが更に彼らを憐れに見せていて。
「その身、元は人の身のその身体、その心。死して迄魔道を彷徨うは悲し。一刀、その元に断ち切ろう、安心して成仏召されよ」
ゆらり、と蒼い刃が残像を残す。天城 空我(
jb1499)が放った、渾身の一閃だった。
鮮血が、顔を濡らす。その血をぬぐおうともせず、空我はすべるように室内を駆けると、次の一手を放つ。
ただ、迅速に。冷酷にすら見えるほどに。
迷いの無い太刀は、痛みを感じさせない為の彼なりの誠意。
「そなた達の敵、必ずやこの刀の錆にして進ぜよう。―――南無三」
弔いの言葉を口にするその表情は、ただ静謐に満ちている。
その様子を見たざくろがぽつりと漏らす。
「…天城さん落ち着いてるね。凄いな」
自分も覚悟を決めてきたつもりだった。でも泣き叫ぶ犠牲者たちを見ると、やっぱり手足が震えてしまう。
扉へ向かってくる彼らは、哀しいほどに無防備だった。
攻撃してくるでも無く、ただ向かってくるだけ。そんな相手に剣を向けるのが、ここまで心削られるものだとは。
「…そうとも限らないんじゃ無い?」
かけられた声に振り向く。相手は鷹代 由稀(
jb1456)だった。
「ほら…彼の手、見てごらん」
由稀が示す先。ざくろは空我の握りしめた手を見てはっとなる。
「血が……」
怪我をしているわけではない。死者を見下ろす彼の拳から流れる血は、恐らくは強く握りすぎた所以。
「激しい怒りを押し殺すために、彼はああするしかなかったのよ」
「――っ」
ざくろは歯を食いしばった。
こんな状況に追い込んだ首謀者が、憎くて仕方が無かった。
「なんで…どうしてこんなこと…っ」
犠牲者も、自分たちも何一つ悪いことはしていないのに。
なぜ、こんな思いをしなければならないのか。
この理不尽さを、自分はどこにぶつければ許されるのか。
「…ええ。呆れるくらい悪趣味。人間だった時の程度が知れるってものだわ」
震えるざくろの背に、そっと由稀が手を添える。
彼女の表情に、大きく変化は無い。けれどその微かに歪めた口元が、普段とは違うことを表している。
「子供にこんな思いをさせるなんて…」
近付く敵に、引き金を引く。自分にとってこれは作業で、そこに何の後悔も無い。
けれど、自分以外の人間となれば話は別で。
「ごめんなさい、助けられなくてごめんなさい…!」
ざくろが何度もそう叫びながら、剣を振るう。涙が伝う頬を、紅い血しぶきが染める。
「助けたかったよぉ。助けたかったよぉ」
それでも必死に刃を向ける彼女を、由稀は見ていられなかった。
「冗談じゃ無い……こんなこと許されるわけないのよ!」
彼女の放つ弾丸が、男の頭部を撃ち抜く。
「一度死んだ以上、人の姿をしてても…もう人じゃないっ!」
南窓防衛の稲葉 奈津(
jb5860)が、叫ぶ。まるで自分に言い聞かせるように。
「…悔しい」
思わず言葉が漏れる。隣に居た指宿 瑠璃(
jb5401)が、静かに訊く。
「…何にですか?」
悔しい。何に? 自分の足が震えていることに?
「違う」
奈津はかぶりをふる。自分の心が泣いている。人じゃ無いとわかっているのに、泣いている。
「わかってるよ…私は悔しいんだ」
こんなことでしか救えない、自分の不甲斐なさに。何も出来ない、虚しさに。
聞いた瑠璃が、微かに目を伏せ。
「そうですね…こんな酷い方法でしか助けられない…」
突入前潜行を続けている間、彼女は見てしまった。
散乱する室内。その中で目に入る、書きかけのメモ、電源が入ったままのパソコン。
それらは全て、犠牲者達がつい先程まで生きていた証。
そう、彼らは生きていた。
いつも通り出社し、いつも通り仕事をし。
そしていつも通り、仕事を終えて帰るつもりだった。
けれど永遠に、その時は訪れない。
「全てはもう、手遅れなんですよね…」
だから、淡々と任務をこなす。いつものか弱い雰囲気はそこにはなかった。
奈津は、ぎりっと拳を握る。全てを振り切るように、声を振り絞る。
「…そうだね。私も自分が正しいなんて思っちゃい無い。でもその行いでしか救えないのなら」
剣を振りぬき、封砲を放つ。
「私は鬼にだってなるよ!」
「けったくそわるい、酒が不味くなるわ」
吐き捨てるように言い放つ桃香 椿(
jb6036)の隣で、ヴェルゼウィア・ジッターレイズ(
jb0053)が微笑む。
「ええ、本当に」
彼女の上品な笑みはいつも通りだが、その瞳は笑ってはいない。
「早々に終わらせましょうか。下手に情をかけるのは彼らを苦しめるのと同じですわ」
「ああ、その通りばい。こんな茶番ははよ終わらせたるわ!」
言うが早いか、一気に敵間合いへと飛び込みその刀を振るう。
その鮮やかな一閃は一体の体躯を無駄なく切り裂き、鮮やかな血を散らす。
「悪いね、恨むなら恨んでもエエ、でも、約束ばい。あんたらをこないにしたヴァニタスは地獄に送ったる!」
耳に届く叫びにひるむことなく。舞うように刀を振るう姿は、美しくさえあって。
それは彼女の、覚悟の表れでもあるから。
「相手が誰であろうと、敵ならば討つのが私の信条ですわ」
ヴェルゼウィアはレイピアを構えたまま、宿主達の姿を観察する。
「寄生体そのものを狙えれば…と思ったですが。どうやら体内に入り込んでいるようですわね」
ならば。
彼女は扉へ向かって逃げる男に向けて、高速の一撃を繰り出す。
突き出された刃は男の心臓を正確に貫き。
「――ッ」
倒れ込んだ床には、血だまりが出来てゆく。
それを見ていたハウンド(
jb4974)が、声をかけた。
「優しいですね」
「…そうですか?」
「遺体を傷めないためにですよね。その攻撃」
敢えて刺し殺すことを選んだのは。ヴェルセヴィアはくすりと笑み。
「ええ…でも、あなたも同じだから気付いたのでしょう?」
問われたハウンドはぽりぽりと頬をかき。
「…ばれましたか」
出来るだけ綺麗なままで死なせてやりたい。だからこそ、同じ事を考える者の行動はわかってしまう。
ハウンドは刀を構えると、強烈な一閃を放つ。
「同情したから一瞬で殺してやる! だから大人しく死んどけ!」
戦意の無い奴を殺すのはつまらない。けれど闇雲に殺す気になれないのは、奴らのやり方が気に入らないから。
「俺…結構むかついてるっぽいな」
逃げまどう人を手にかける度、自身の中に言いしれぬ思いがわき起こるのを感じる。
虚しさとやりきれなさと。そして何より怒りの感情であることに、彼自身気付き始めていた。
その様子を見ていた柚島栄斗(
jb6565)が、不思議そうに首を傾げる。
「任務で敵を殲滅するのは普通のことですよね? どうしてみんなそんなに辛そうなんですか?」
彼には任務を躊躇する人の気持ちが理解できなかった。
逃げる男にアウルの弾丸を撃ち込む。そこに精神的躊躇は一切無い。
「任務を全うするのが普通ですよね。僕の言うこと間違ってますか?」
彼の言葉を聞いていた甲賀 ロコン(
ja7930)が返す。
「柚島さんの言うことは間違っていませんよ。私も殺す必要があってそれを理解したから殺す。それだけですから」
彼女にとってみれば、人も天魔も動植物も大差など無い。良い悪いもなく、どのみち生まれて生きて死ぬのは同じだから。
必要なら、奪う。そこに特別な感情は無い。
ロコンは銃を撃ち放ちながら、淡々と続ける。
「ですがそう考えない人がいるのも、理解できます。だから私はそう言う人のフォローに回ります」
ロコンの言葉に栄斗は少しの間考え込んだ後。
「僕は平凡だからそうじゃ無い人の考えは、理解できませんね。でも、皆が僕と同じで無いことはわかりました」
「同じである必要もありませんしね」
そっけないロコンの返しだが、栄斗にはなぜか愉快に思えた。
理由はわからない。けれどいつもより、この戦場は居心地がいい気がしたから。
「…相手は姿や感情はどうであれ、そういうディアボロ。何を迷うことがあるの」
淡々とそう呟くのは、氷雨 玲亜(
ja7293)。敵は敵でしかない彼女にとって、戦いにおける躊躇や容赦は一切無い。
「耳に入れず、気に留めず、戯れ事と切り捨てて処理すればいい」
迷わず魔法攻撃を打ち込む。甘さは戦いにおいて邪魔にしかならない。そう考えるからこその行動だった。
「ええ…私も同じです」
同じく淡々と敵に向けて射撃を続けるのは、木佐貫 ルシア(
jb1274)。
聞こえる悲鳴にも、苦痛に歪む表情にも動じることは無く。
過去に暗殺を行っていた彼女にとって、今回のことは任務の一環。故にためらいを感じることも無い。
「だからできるだけ、とどめは私が」
心理的抵抗がある人に、討たせないために。彼女は傷を負った敵を積極的に狙う。
「なるほど。優しいのね」
玲亜の言葉にルシアは軽く微笑んでみせ。
「この方がきっと効率的ですから」
それを聞いた彼女は、一度瞬きをした後。ほんの少し頬を緩めると、自身も弱って立てなくなった男目がけて必殺の一撃を放つ。
「お見事です」
ルシアの言葉と同時、男の目から光が失われる。
どう思われようと構わない。最終的に敵を討ち、仲間を傷つけずにすむのなら。
だから二人は躊躇しない。
それが彼女達なりの信念だから。
●その尊さ
「止まって…止まってよ…」
その頃、夢前 白布(
jb1392)は声を震わせながら攻撃を続けていた。
立ちこめる死の匂い、一面を覆う紅。
思わず悲鳴をあげた。覚悟はしていたはずなのに。
「どうして…どうして……」
突入した瞬間、目が合った。その目が、想像以上に穏やかだったから。
「この人達は何も悪いことしてないのに…!」
手が震える、胃の中に何かがこみ上げてくる。それでも戦わなくてはいけない。
殺さなくてはいけない。それが自分の役目だから。
「う……うわああああ!!」
叫びと同時、白布の頭上に燃えさかる不死鳥が現れる。敵陣に突っ込もうとした彼を、そっと誰かが遮った。
「え……?」
「ここは俺がやるっすよ」
平賀 クロム(
jb6178)だった。困惑する白布に向かって、彼は続ける。
「それ撃ち込むとあの人達の身体傷んじゃうっすからね。俺が留め刺します」
「でも……」
「夢前さんは逃げる敵の足止めをお願いするっす。俺の力じゃ無理だから」
笑ってみせるクロムだが、本意は別の所にあった。
彼は被害者を討つことに対しての躊躇は無い。倒す必要があるから倒すと言う合理的考え。
それ故に。
(俺みたいなのが手を汚せばいい)
躊躇する感情も、しない感情も等しく尊重すべきもので。
役割を分けられるのなら、その方がいいと思うから。
白布はじっと考え込んだ後。やがて顔を上げると前線を見据えた。
「……わかった。僕はやるべきことをやるよ」
その声音は先程と打って変わって、落ち着いた様子だった。
「僕はあの人達が少しでも苦しまないように、眠らせる」
「ん。後のことは任せるっす」
互いに目でうなずき合う。
例え思考が違えども、彼らは同じ方向を向いている。
だから白布は、クロムの意志を理解してみせたのだ。
撃退士たちの敵に対する反応は様々だった。
躊躇する者、しない者。怒りを覚える者、ただ耐える者。
それ自体は珍しく無い。むしろ当たり前の事と言えるだろう。
しかし彼らはそのどうすることも出来ない感情を、互いに尊重し合う事を選んだ。
その上で、同じ方向を向くことを目指したのだ。
(これは、とても尊いことだ)
メンバーの様子を見ていたZenobia Ackerson(
jb6752)が、内心で呟いた。
ともすれば各々が単独行動を取ってしまう危険な道。
互いに傷つけ合い、深い軋轢さえ生みかねない危うさに満ちていたから。
それでも、彼らはやってみせている。
互いに思いやり、役割を担い、目指す先を間違えたりはしなかった。
それは決して、仲間達だけに向けたものではない。
「悪いな、ここは通行止めだ」
ゼノヴィアは扉に向けて駆けてきた一人に細剣を刺し込む。
敢えて、この武器を選んだ。
遺体の損傷を避けるために。
急所を狙う。
出来るだけ、苦しませないために。
周囲では、リンドや怠惰他も腹部や心臓部だけを狙い攻撃していた。
顔や手足を傷つけないために。
少しでも、綺麗な状態で家族の元へ返すために。
(……不思議なものだ。誰に強制されたわけでもないのに)
淡々と、しかし鮮やかに剣をふるいながら、彼女は感じていた。
こうすべきだと思うからやったまで。
それなのに自身と同じ行動を取る者達の、何と多いことか。
「…しかし悪くない」
救いようのない光景の中で、わずかな希望を感じるのならば。
まさにこのことだと思うのは、安易に過ぎるだろうか。
突然、悲鳴が止んだ。
喧騒の止んだ室内に立つのは、撃退士の姿だけ。
「終わった…のか?」
迅誠が息を切らせながら、呟く。
栄斗も周囲を見渡しながら。
「見た所、敵の姿は見えませんが…」
「いや、まだだ」
発したのはケイ・フレイザー(
jb6707)だった。
扉防衛に当たっていた彼は注意深く、室内を観察し。
「…うん。やっぱり遺体の数は14。一体足りない」
彼は混戦状態の中、撃破個体数をカウントすることに徹していたのだ。
「どこかにいるはずだ。探そう」
ケイの呼びかけにより、室内の一斉捜索が始まった。隠れるところなど無いと思っていたのだが――。
「……いた」
見つけたのも、彼だった。観察に徹していた為、予めあたりをつけていたのだろう。
指した先は、机の下。周囲を覆われた事務デスクだったため、ぱっと見気付きにくい。
中に居たのは、小柄な中年の男だった。
「…多分、ここで絶命したまま、ずっといたんだろう」
膝を抱え顔をうずめ、ただ震えている。彼を見たケイは微かに目を伏せ。
「大丈夫だ。ちゃんとした死をくれてやるから」
彼が人間として生き抜いた、その証として。
武器を構えようとしたケイに、声がかけられた。
「待って」
澄香だった。ヘルマンも、微笑みながら告げる。
「最後は私どもにお任せいただきましょう」
「え?」
躊躇うケイに向けて、澄香が言う。
「元同朋がやったことは気分悪いから。あたしたちにやらせて」
怠惰とリンドも頷き。
「人が人を屠るのを見ているのは、辛いんだ。これは私たち悪魔のわがままだと思ってくれて構わないよ」
「ああ。せめて最後のケリは、俺たちでつけねば気が済まぬ」
やり取りを聞いていたハウンドが手を挙げる。
「じゃあ、俺も。今回のことは大概むかついてるから」
悪魔達の申し出を、ケイも皆何も言わずに受け入れた。彼らには自分たちとはまた違う、複雑な感情もあるだろうから。
ヘルマンが座り込んだ男に向けて、静かに切り出す。
「…お疲れ様でございました。今解き放ちましょう。偽りの生から、貴方の魂を」
その目には憐憫と目も暗むような怒り。けれどその意志を覆すことは無く。
終わらせなくてはいけない。
偽りの檻の中で、魂が朽ちぬように。
愛する者の元へ、会いにいけるように。
澄香がそっと声をかける。
「安心して。苦しませないから……」
人を殺すことに躊躇は無い。
けれど決して気分が良いものではなく。
こんな思いをするのは、悪魔である自分だけでよかったのに。
顔を上げた男が、震える瞳で撃退士たちを見つめている。
怠惰は目をそらすことは無く。
「…理解すると決めたから。私はその悲痛をも理解しよう」
手元にアウルが集中を始める。
この手で討つ、君が生きた証を知ろう。
せめて、悪夢が終わるように。
次の夢が、どうか安らかでありますように。
その思いを、この一矢に込めるから。
「タ…ス…ケテ…」
男がすがるような声をあげる。しかし、その声にひるむ者はいない。
リンドが大剣を構えた。男の顔が恐怖に歪む。
その表情を見据えたまま。
「貴殿の無念…背負わせてもらう」
彼は思う。
長い時を生きるからこそ、自分たちが多くの業を飲み込んでゆこう。
それがせめてもの誠意となるならば。
悪魔として矜持となるならば。
いくらだって、この手を汚すことを厭いはしない。
「人も天魔も、楽しめないなら生きる意味は無いしね……」
刀を手にしたハウンドが、静かに告げる。
言えるのは、これだけだから。
「ごめん。さようなら」
●
静寂の戻った室内には、15体の遺体と25人の撃退士。
無残な姿となった彼らを見て、キッカが呟く。
「…この人達にも家族や大切な人がいたはずだよ」
微かに手が震えている。それが怒りのためなのか恐れのためなのかは、もう自分自身ですらわからない。
死にたくないと叫んだ人に、武器を振り上げた。
助けてと言った人を、この手で殺した。
心が、千切れそうだった。
「わんは…許さない。死者を戯れに操り、尊厳を踏みにじったことを!」
知らず涙がこぼれ落ちていた。
ヴェルセヴィアは自分が倒した男の側へ行くと、そっと瞳を閉じさせる。
「……安らかに」
手に残るのは、肉体を貫いた時の感触。皮膚を骨を、そして心臓を。
ひるむことは無いと思っていた。
けれど刃をくい込ませたあの時、自身の中の何かが砕けそうだった。
それでも戦い続けられたのは、かつて師匠と交わした約束があったから。
「この『赤』を私は忘れませんわ…」
誰が言い出すでも無く、彼らは遺体を中央に集め始めた。
「せめてこれで…」
ざくろが持参したタオルと水で、一人一人の遺体を拭いてやる。涙や血で汚れた顔は、特に丁寧に。
拭きながら涙が頬を伝う。彼らの死に顔が、安らかに見えたからだろうか。
有火も手伝いながら、彼らにそっと話しかけ。
「苦しかったよね…でももう大丈夫だよ」
もうこれ以上は泣かなくていいから。
「…安心して眠って」
もう悪夢は終わった。これからは、きっと良い夢が見られるから。
日本酒を手にした椿が、周囲を撒き清める。
「…こんなんじゃ治まやんやろな、ばってん手元にこれしか無かけん、堪忍ばい」
その隣でコンチェと空我が、ただ無言で供養の祈りをささげ、澄香が十字を切り冥福を祈る。
人目を避けるように奈津が窓の方を向き、「ごめんね…」と涙ぐんだ時だった。
「ああ。もう終わったのか」
かけられた声に、全員の顔が凍り付く。
いつの間にか扉に現れていた男が、冷めた目でこちらを見ていた。
●心火のヴァニタス
「あれは……」
栄斗は無意識に警戒態勢を取る。
見た目は自分と同じ普通の青年。しかし暗い視線と身に纏う威圧が、人のそれとは明らかに違う。
自分の中の何かが蘇りそうで、彼は思わずかぶりを振る。
「……あなたはどなたですか?」
問いかけたルシアを、男は不機嫌そうに見やった後。
「生きる価値の無い奴らに、名乗るつもりは無い」
酷く冷えた声音だった。感情のこもらない、抑揚の無い響き。
誰もが瞬時に理解していた。この男こそ――
「貴方がこの人達を殺したんですね」
アストリットの単刀直入な質問に、男は微かに口元を歪ませ。
「そうだと言ったら俺を殺すのか?」
「…必要ならば、そうします」
ロコンの返しに男の口元はさらに歪みを見せる。
「さすがだな人間。いらないものは全て排除。スバラシイ心がけだ」
「何をっ……!」
怒りをあらわにする奈津をクロムがそっと制し。
「あんたさっき俺たちのこと『生きる価値がない』って言ったっすよね。どういう意味っすか?」
「そのままの意味だが、他に説明が必要か?」
淡々と返す男に向かって、怠惰が怒りに満ちた声を上げる。
「この醜悪な悪戯こそ浅ましさではないのかね? 生きる価値のない者などいない。君が奪っただけではないか!」
「価値が無いと言うなら、貴方たちの方でしょう。死体風情が偉そうに」
玲亜の冷めきった言葉に、クロムも続く。
「そもそもそんな物、一体誰が決めるんすか? 生まれた以上は生きてるんすよ。価値があるとか無いとかてめぇに言われたく無いんすけど」
ケイが男を睨みながら。
「大体何で生きる事に価値なんて求めなくちゃならないのかね。生きていること自体が天文学的確率をくぐり抜けた奇跡だろうに」
何も言わない男に向けて、言い放つ。
「と言うかさ。価値が無いとか言っておきながら、そんな人間の命をすすって生きてるんだろ? 大した矛盾だな冥魔さん」
「…まったくクソ共は、よく喋る」
直後、彼が振るった一閃が壁を扉ごと吹き飛ばす。暗い視線を撃退士に向け。
「だから殺したくなるんだよ」
「やる気ですか…!」
「ならば受けて立たん!」
戦闘態勢に入る瑠璃や空我達に、男は刀を手にしたまま言う。
「安心しろ。今てめぇらを殺るつもりはない」
「…では何しに来た。まさか偶然通りかかったわけでもあるまい」
ゼノヴィアの問いに嘲るように。
「嗤いに来たってわからねえか? お前らの醜悪さを観に来たんだよ」
「……本気で言っているのか?」
リンドの怒りに満ちた声に、男はここで初めて笑みを見せ。
「ああ、そうだ。敵と分かれば全て排除するのがお前らのやり方だろうが。人間が人間をどうゴミくずのように扱うのか試してみたんだよ」
聞いた由稀と椿が、吐き捨てるように。
「ほんと、悪趣味。反吐が出るわ」
「地獄に送るだけじゃ気が済まんばい」
ざくろが震えながら問う。
「そんなことのためにあの人達を利用したって言うの…? 酷すぎるよ…!」
「酷い? 俺が? 笑わせる。あいつらにとどめを刺したのは誰だ? てめぇらだろうが」
「違う! もうあの人達はとっくに死んでた!」
有火の言葉に男は嗤い。
「でも動いていただろ? 声を発していただろ? 死にたくないって叫んでただろ?」
「黙れ、その様な戯れ事に耳は貸さん!」
「やめてよ。これ以上みんなを苦しませんといて!」
コンチェとキッカが叫んだと同時、轟音が響く。
ヘルマンだった。彼の放った一撃が、窓を割ったのだ。
「……申し訳ありませんが、このまま立ち去っていただけますかな」
その声は落ち着いている。しかし彼の目は射殺すほどの憤怒の色を映していて。
「命の価値は自ら決めるもの……私はいつか、全力で貴方を殺しに参りますので」
それを聞いた男は、再び口元を歪ませ。
「……いいだろう。興が冷めた」
きびすを返す背に、澄香が言い放つ。
「…あなた、自分から人間を止めたでしょ。迷惑なのよね」
それを聞いた男はゆっくりと振り返り、微かに嗤う。
白布が怒りに震えながら。
「許さない……僕は君を、絶対許さない!」
「てめ〜の顔は撮ったからな! むかついたから絶対いつか殺す!」
カメラを手にしたハウンドがそう叫ぶ隣で、迅誠が唸るように宣言する。
「こんなことをやって許させれると思うなよ…お前にはいつか絶望を味あわせてやる!」
「ああそうだな。そんなお前達をいつか殺してやるよ」
抑揚の無い声音。まるでそれが当たり前のような言い方に、ヴェルゼウィアが微笑んだ。
「その言葉。そっくりお返しいたしますわ。元人間サマ」
男はもう、その声に応えることは無かった。
●
仄暗い冥界。
男は一人、ただ闇を見据えている。
「ちっ…気分が悪い」
無意識に言葉が漏れる。
もっと、狂乱を期待していた。
もっと、偽善に充ち満ちた叫びを期待していた。
けれど奴らは、静かだった。
仲間同士で罵り合うこともなければ、欺瞞に満ちた迎合も見せなかった。
ただひたすらに、耐えていた。
自分には見えない何かを、見据えたまま。
「……なぜだ」
あれだけ違う感情を抱えながら、なぜ同じ方を向けた?
わからない。
「くそ……この借りは返してやる」
こんなにも不快になるのは、あいつと最後に会ったとき以来だ。
――必ず殺す。
その暗いまなざしは、闇の深さへと溶けていった。