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病院から爆発音と共に煙があがった。
森林(
ja2378)の投げた発煙手榴弾を合図に地元の撃退庁から派遣されてきた撃退士たちが消防服や白衣を着込んで病院へと雪崩れ込む。
「病院で火事が発生しました。すぐに避難してください」とあらかじめ決めておいた文言を口にしながら入院患者や来院者の大規模な避難が開始された。
このアクシデントに天使が出てくる気配はない。
久遠ヶ原学園から来た6人の撃退士たちもそれぞれ消防服や白衣に身を包み、煙だけが上がる病院を見ていた。
「さて、ゲート装置とやらを奪取しましょうか!」
少し興奮気味にやる気を見せるのは天羽 伊都(
jb2199)だ。伊都は今まで天使や悪魔との遭遇がない。それもあって、倒すべき天使――アセナスに強い興味を抱いている。自分の全力を試すいい機会だ。興奮しないはずがない。
「その前に目指す場所を決めないと」
そんな伊都を制するのは何度も天使や悪魔と対峙してきた龍崎海(
ja0565)だった。
目指す場所。それはこの雨を降らせる『仕掛け』のある場所。
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は痛む傷口を庇いながら口を開く。
「……雲を発生させるのであれば室内に設置されてる可能性は低いですわ」
シェリアは激戦をしかも連戦していて著しく体力を消耗していた。今回、まともに戦闘に加われば死ぬ可能性すらある。
(重体でもやれる事はあるはず)
シェリアを突き動かすのはその一念。
(せめて仲間の足手まといにはならないように致しませんと)
そう、戦えなければ頭を使えばいい。
「となると比較的天使が侵入しやすい屋外で、尚且つ空に一番近い場所となれば……」
シェリアは灰色の雨と煙で覆われた病院の一番上を見た。
「そうですね、あくまで推測ですが」
後を引き継いだのは今回からこの事件に関わる知楽 琉命(
jb5410)。
「私の判断は3つ。1つ目は病院周囲のみ雨が降るなら病院近くに仕掛けはあるということ」
琉命は指を一本立てた。
「2つ目は病院の外にあるならわざわざ病院の外に変異を見せるのは不自然」
二本目の指を立てる。
「3つ目として雨が降っている中普通の人は屋上に行く事はしない」
「まあ、屋上が妥当だと思うよ」
ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は気負うこともなく答えた。今回も傘は持っているが、さしてはいない。
「雨の範囲は病院の周りだけだし、わざわざ天使が屋内に仕掛けるとも考えにくいからね」
「俺も屋上かな〜って思います」
森林も意見を支持すると海も頷いた。ハンドフリーの通信機を装着しながら口を開く。
「雨の範囲から中心を推測すると、だけど。遮蔽があるなら地中にでもいいだろうし」
雨が降っているのにいっこうに水たまりのできない乾いた地面をつま先で軽く叩く。
「病院に当たれば屋上かな」
「じゃあ、屋上から行きましょう! 善は急げ!ってね。スタコラ、サッサッ」
うきうきと歩き出す伊都に「待って」とシェリアは声をかけた。
「先に上階の患者さんたちを避難させて安全を確認してからのほうがよいと思いますの。重体である私が確認してきますわ」
本人も怪我をしているならば患者に紛れることも可能だろう。現場の撃退士が避難誘導をしてくれるとは言え、やはり自分たちの目で安全を確認するのに勝るものはない。
シェリアが通信機を装着していると、ハルルカが横に並んだ。
「私も行こう。さくっと避難させてしまいたいからね」
「私もお供します」
琉命も申し出た。シェリアは頷き、数歩病院のほうへと進んでから振り返る。
「上階の避難が終わったらご連絡します。それまで――」
「索敵は任せてください〜」
森林がのんびりとした口調で請け負った。シェリアは安心したような笑みを浮かべるとハルルカと琉命と三人で病院内へと入っていく。
「まだかなー、まだかなー」
逸る気持ちを抑えきれないように伊都がそわそわしている横で、森林と海は視線を屋上へと向けた。森林は索敵を、海は生命探知を発動させる。二人の視界は病院をほぼ網羅するが……。
「反応がありませんね〜……」
「こっちもかな。ということはここから隠れたところに潜んでいるってことか。生命探知でひっかからないってことは相手はそれだけ強いってことなのかも」
海は物理よりではあるが魔法能力もかなりの腕だ。総合力では学園内でも屈指と言えるだろう。その海でも生命探知できないとなるとやはり下っ端そうに見えても天使は天使、ということだろうか。
「何にしても、行ってみればわかりますよ! 『仕掛け』を見つければ?出てくるって言ってたんですし」
持ってきたリュックサックを背負い直して伊都が言う。
怖くないと言ったら嘘になる。けれども、今の自分の全力を試してみたい。その期待のほうが大きい。倒すのではなく、凌いで奪うのが目的だ。守ることなら自信がある。
雨の中、先刻投げた発煙手榴弾の煙が小さくなっていく。森林がもう一つ投げようかと思ったとき、病院から人々がまばらに避難して出てきたのが見えた。
海のつけた通信機が音を立てる。
「シェリアですわ。最上階の避難は無事終了しました。今、この階に『仕掛け』があるか、ハルルカさんと知楽さんが調べていらっしゃいますがそれらしきものはなさそうですの」
「『仕掛け』は全員揃ってから探したほうが安全だよ」
海は病院内に入るよう、森林と伊都に手で合図する。
「そこで待っていて。俺たちもすぐに向かう」
「そうこなくっちゃ!」
駆け足で病院の中へと入っていく伊都の後ろ姿を眺めながら、森林はひとつ頷いた。
(安全第一……。これだけはどんな時でも変わりません)
森林には伊都にないもう一つの目的がある。それは、入院患者を含む全ての命の安全を守ることだ。
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地元撃退士たちがテキパキと避難指示を出しているおかげもあり、最上階はがらんとしていた。
6人はそこに『仕掛け』がないことを確認すると、いよいよ屋上へと足を踏み入れた。
コンクリートの床にしとしとと雨が降る。空は病院だけを覆うように灰色の雲が垂れ込めていた。
琉命が異界認識を発動しようと目を凝らす前に、シェリアの細い指が床を指した。
「あれ……なんですの?」
それは雫型の青みがかった、七色の光る宝石のようなものだ。灰色の雨の中、それだけが色を帯びたように輝いている。綺麗すぎて、逆に異質だった。だからこそ全員が確信する。
この雫型の石が『仕掛け』だと。
森林は素早く屋上から地面を見た。病院の前には大勢の患者たちが集まり、彼らをさらに病院から遠ざけようと地元撃退士たちが動いている。天使の意識をそちらに向けてはならない。
シェリアが一歩下がり、海と琉命が一歩前へ出た。海の後ろにぴったりと伊都が付き、ややその後方にハルルカが周囲を見渡しながら位置取る。
琉命は持参した1枚のシートとシートに包んだ何かを取り出した。包んでいるシートの中には大海の首飾りが入っている。大きさは首飾りよりも『仕掛け』のほうが大きいだろうか。
琉命の作戦は『仕掛け』――雫型の石と首飾りをそれぞれシートに包み、ぱっと見にはどちらがどちらだかわからなくするというものだ。やや包みを大きく見えるように調整すると、海と伊都をちらりと見る。
バサリという翼の音がした。
海とハルルカが身構え、伊都は素早く背中のリュックサックをおろした。
「包んでる時間、あるかな?」
「賭けですね」
琉命と伊都は雫型の石までの僅かな距離を詰める。琉命の指先がひんやりとした石に触れたときだった。
「言ったはずだ。この雨を邪魔するというなら、いつでも相手になろう、と」
それは聞き覚えのある天使の声。琉命の上げた視線の先に剣の切っ先があった。
淡い金の髪に青い瞳。白銀の鎧に身を包んだ、天使の剣。
「石を別の石とすり替えるつもりだったか。なるほど、考えたな」
琉命は悔しそうに唇を噛んで指を引く。伊都はまだ諦めていない。いつでも石に手を伸ばせるよう、油断なく天使を見据えている。
海が小声で通信機に増援の要請をした。緊張した声で返事が戻ってくる。
天使――アセナスは伊都の視線を面白そうに身に受けながら、石を拾おうと指を伸ばした。
「それは諦めてもらいますよ」
森林が阻霊符を置きながら、まっすぐに言い放つ。アセナスが何か言おうと口を開きかけたときを狙い、海が言葉を続けた。
「ゲートとは別に使え、その場の環境や儀式は不要。大量に作れば、範囲の狭さ速度、結界の不備、更に破壊も問題ないってか」
「そこまで調査済みということかい。驚いたね」
アセナスの視線が海へと向いた。伊都はアセナスをまっすぐに見たままだ。
あと一つ。完全に気を逸らすにはもうひとつ足りない。
海は落ち着き払って、言葉を続ける。
「俺たちだって何もしていないわけじゃないからね。それにそんなものが出回られた日には四国が壊滅的打撃を受ける」
「人の子にとっても四国は重要かい?」
琉命が再び身構えた。
伊都が小さく手を上げた。
海は言葉をさらに続ける。
「どこも重要だ。京都だって、天使たちに渡すつもりはない」
「それは随分と勇ましい――」
「やあ、ご機嫌よう白焔のアセナス。キミと刃を交わせる日を心待ちにしていたよ」
アセナスの言葉にわざとかぶせるようにハルルカが声を上げた。アセナスの意識が完全にハルルカと海へと向いた。
絶妙のタイミングだった。伊都がそれを見逃すはずがない。
素早く手を伸ばし、雫型の石を掴みとる!
「……っ!?」
アセナスの剣が伊都に振るわれた。伊都の片手にはアドゥブルブクリエが現れる。剣と盾がぶつかった。火花が散る。
「くっ……!」
天使の本気の攻撃を受け、伊都の腕が震える。同時にそれをぎりぎり凌いでいることを知り、心が躍る。
素早く琉命が伊都の手の中から石を受け取り、伊都のリュックサックに放り込んだ。迷う時間はない。琉命はそのリュックサックを抱えて屋上の扉のほうへ走り出す。
「待て!」
アセナスは伊都から剣を引いた。見たことのない天使の慌てぶりにハルルカが笑う。
「上手く行ったときのキミの顔を楽しみにしていたけれど、予想以上だ」
海とハルルカが琉命を庇うように立ちふさがる。伊都は琉命に並んだ。
「それは僕が守ります。任せてください」
「でも」
琉命は抱えたリュックサックを持って躊躇う。
「それにこんなに天使と距離が空いてたら駄目ですよ。海さんとハルルカさんへ気を逸らせない」
「……天羽さんは、私が護ります」
琉命はリュックサックを伊都に手渡した。伊都はリュックサックを背負うと追ってくる天使を正面に捕らえ、アドゥブルブクリエを構え直した。
「天羽、屋上の入り口まで下がって」
海が伊都の前に体を割りこませようと動く。ハルルカもプロスボレーシールドを掲げ、伊都に並ぶ。琉命がハルルカと逆の方へと回った。
森林はまず地上の避難の状況を確認する。アセナスは石に意識を集中しており、一般人を盾にするという考えはないらしい。同時に索敵を発動させた。気配はない。どうやら天使は一人でこの石を守っていたようだ。
シェリアは先に屋上の入り口まで下がった。攻撃を受けるわけにはいかない。けれども、黙ってみている趣味もない。
「やらせませんわ……!」
魔力の流れを研ぎ澄まし、いつもより慎重に魔力を練り上げ、天使を狙って矢を放つ。放たれた矢は長い銀髪を染めている黄金色を纏い、黄金色はやがて赤い炎へと変化して天使へと向かう。けれどもその矢は白銀の鎧に弾かれて止まった。
アセナスの青い瞳がシェリアを一瞥する。咄嗟に隠れようとするシェリアからつい、と視線は逸らされた。
「ハンデのある相手を倒す趣味はない。大人しく隠れているがいい」
「……っ!」
シェリアのプライドに火が灯る。とは言え、ここでまた挑発などしたら以前の二の舞だ。
「その言葉、覚えていらっしゃることね。いつか後悔なさるわよ」
シェリアの言葉にかぶせるように森林の矢も放たれる。狙いは手だ。だが、その矢も手甲によって弾かれた。
アセナスの二撃目はハルルカに当たった。シールドを構えたハルルカだったが、シールドごと吹き飛ばされる。負った怪我こそ大きくないが、天使の一撃がどれだけ大きいか認識するには十分だ。
「海さん、僕にやらせてください」
伊都がしっかりした声で言った。
「仕掛けを持っているのに? 入り口で陣形を整えたほうが……」
「相手は騎士だと名乗りました。相応しい相手だと見せつけてやりたいんです」
一歩も引かない伊都の言葉に海は一瞬判断を迷う。
「やらせるといいよ」
起き上がりながらハルルカがいつもの口調で言う。
「駄目ならば壊せばいい。『仕掛け』はこちらの手にあるからね」
「余裕だな、人の子!」
ハルルカのいなくなったスペースへと滑り込みアセナスは剣を構える。
「人命優先です。僕の判断で、いつでも壊せます」
森林が伊都のリュックサックへと弓を向けた。
海は通信機から足音を拾った。増援がすぐそこまで来ている。シェリアのほうへと視線を向けるとシェリアは下を指さしながら頷いた。
「返してもらおうか!」
アセナスの一撃が翻る。伊都は盾を構える。ぶつかるのは二度目。高い金属音。ギリギリと盾が削れる感触。伊都は歯をくいしばった。じり、と足が一歩後ろに滑り、脂汗が流れる。
アドゥブルブクリエを掲げる腕が震える。けれども、その盾の向こうで目を見張る天使を、伊都は確かに見た。盾にかかる力がさらに増す。
「貴様……何者だ」
伊都は金色に輝く瞳をアセナスへと向けた。
「久遠ヶ原学園の撃退士だ」
「違うな。彼は名を聞いているんだよ」
ハルルカは入り口を振り返った。シェリアを先頭に地元の撃退士たちが武器を構えて屋上へと姿をみせていた。シェリアの弓もまた伊都のリュックサックを狙っている。
アセナスは剣を引いた。悔しそうに一歩後ろに下がる。多勢に無勢という言葉は理解しているようだ。
「また会えることを願っているよ、白焔のアセナス。次はただ純粋に戦える舞台の上で」
ハルルカのその言葉は事実上の勝利宣言。攻撃を仕掛けることも不要だと暗に告げていた。
「と、名乗るのを忘れていたね。私はハルルカ。雨の悪魔、ハルルカ=レイニィズさ」
「僕は天羽伊都」
アドゥブルブクリエを下ろしながら爽やかに伊都は告げる。アセナスはふん、と軽く笑った。
「次は勝つ」
それが負け惜しみだということはその場にいる誰もがわかった。
天使は翼を羽ばたかせて晴れ渡った空へと飛び去っていった。