●
その病院だけ雨が降っているのは、どう見ても異常だった。
(まるで人を閉じ込める檻のよう……)
陰鬱なその光景をシェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は見上げる。
(ただの自然現象とは思えませんわ。目撃情報の天使と何か関係があるのかしら?)
青の瞳で灰色の雨を見つめていると傍にいた天羽 伊都(
jb2199)も同じような気持ちだったらしい、当惑げに口を開いた。
「何だかスッキリしないというか、イヤな空気というか……」
「雨、嫌いじゃないですけど……」
森林(
ja2378)も伊都に同意するように言葉を濁す。
レインコートを羽織り、腕組みをして雨を見つめているのは龍崎海(
ja0565)だ。その表情はどこか分析している者のようだった。
(前田とその上司でいっぱいいっぱいなのに、天界側も動き出してきたか。冥魔ゲートができたのに、反応が薄かったのがおかしかったのだけど)
そう、四国にはツインバベルがある。天界側が何もしないことがおかしかったのだ。現に此処にきて四国からの天界絡みの依頼は増えている。
この雨もその一環だとすれば――。
(他の地域でも似たような雨が起きているみたいだし、また何かの儀式とかなのかなぁ?)
まだあくまでも推測にすぎないが調べてみる価値はあるだろう。だが、その前に。
「濡れたまんまじゃ、この時期でも風邪をひくかも」
用意してきたのは温かい飲み物やタオル。皆に使ってくれと示すと、踊るようにステップを踏みながら雨の中をハルルカ=レイニィズ(
jb2546)が近づいてきた。
「雨の中のティータイムと洒落こみたいところだけど」
ハルルカは藤色の髪を残念そうに振った。片手には傘。けれども、その傘を開くことはない。
「傘、お使いにならないんですの?」
シェリアが小首を傾げるとハルルカは唇の端を少し上げた。
「傘ならいつでも持ち歩いているけれど、ここで使うのは無粋というものさ」
レインコートのフードを上げて、海はハルルカの言葉の続きを促す。
「それに天使たちが意味も無く雨を降らせるはずがない。それを証拠に」
直接肌で雨を感じても、何が分かるとは思っていなかった。けれども、すぐに異常に気づいたのは。
「この雨、濡れないんだよ」
「……え?」
森林は自分の肩を見る。雨粒は服の上で透明な雫になり、すぐに揮発していく。
「本当だ、あの植え込みも」
病院に隣接している沢山の植え込みを指す伊都。緑の植物の下には土がある。だがこれだけ長く雨が降っているのにその土は泥状どころか乾いたままだ。
「なんなんだ、これ」
余計に雨が不気味に思え、海はとりあえずレインコートを羽織ったままひとりごちる。
「すみません、お待たせしました」
そこに御堂・玲獅(
ja0388)の声がかかった。手にはかなり大きなレジャーシート。これを入手するために彼女は少しだけ遅くなってしまったのだ。
簡単に伊都が雨のことを説明すると玲獅も灰色の空を見上げた。
「……よくないことが起こっている気がしますね」
「急ぎましょうか〜」
のんびりとした口調で促す森林。シェリアも同意するように頷く。
まずはサーバントから人々を護らなければならない。雨に関してはそれからだ。
●
今は被害がないとは言え、いつサーバントとその主が気を変えて人を襲うかはわからない。
そのため、まずは病院の入り口や1階にいる人々を上階に避難させることから始めた。あまり時間はかけられないため、6人総出での作業だ。
多くの者は四国の情勢を知っている。そのため「久遠ヶ原学園の撃退士だ」と名乗れば避難に協力してもらえた。とは言え、一時的なパニック状態になるのは仕方がない。
「落ち着いて、慌てず順番にゆっくり避難してください。皆さんの安全はわたくし達撃退士が保障致します。ですからどうか、慌てないで」
それを静めたのはシェリアの落ち着いた声だった。
「流石に危険だからね。病院で怪我をしたくはないだろう? ああ、観覧したいなら2階より上からどうぞ」
ハルルカの特有の喋り方もピリピリした空気をどことなく和やかにする。
歩みの遅い、老人や妊婦、子供などは森林と伊都と海が手を貸した。
「窓等、外に近いところには近づかないようにお願いします」
玲獅も頼みながら手伝う。
避難が完了したことを確認するため、誰もいない1階を歩く。海はハンドフリーの通信機を取り出し、一つを自分が着用、もう一つを伊都に渡した。
伊都も通信機を着用しながら、ふと口を開く。
「……みんな、元気がなかったですね」
「病院だから仕方がないだろう」
「ううん、そういうんじゃなくて、もっと……」
伊都は今回の事件、何かギミックがあるのではと思って臨んでいた。漠然とした思いだけに気になる箇所へ意識は飛び飛びになるが、避難する人々の顔が意識に引っかかる。
「どことなく虚ろというんでしょうか、覇気がないというんでしょうか、なんていうか」
「……天界のゲート内に似てますね」
玲獅の言った単語に「そう、それ!」と反応する伊都。
「生気が抜かれたみたいだったんです。病院でも、ちょっと異常に思えました」
他の5人も思い返し、確かにと頷いた。
「やっぱりただの雨じゃないってことか」
海は阻霊符を取り出しながら呟く。
「サーバントが片付いたら、調査が必要そうですね……」
森林は窓の外、降る雨を眺めて口を開いた。
6人は病院の入り口まで確認すると、海が阻霊符を発動させる。避難を開始する前に敵が違和感を感じて、行動を起こされないようにするためという細心の注意があってこそのタイミングだ。
「では、二手に別れましょうか。サーバントの探索をする班と病院を警戒する班」
玲獅の言葉にしばし相談の後、玲獅と森林、伊都が探索を担当、残りの3人が入り口で警戒をすることになった。
「何かあったら連絡してくれ」
「気をつけてくださいね」
「気をつけて」
海とシェリア、ハルルカに見送られ、3人はまず駐車場のほうへと向かった。
●
玲獅はレインコートを、森林もレインコートと雨除け用のスナイプゴーグルを用意していたため、迷った末2人は着用した。この雨自体にゲートと同じ効果があるのだとしたら、例え濡れなくても浴びていて気持ちのいいものではない。
入り口付近は警戒する3人に任せ、植え込みの間を通り、駐輪場、そして駐車場のほうへと向かう。
玲獅は生命探知と異界認識を、森林は索敵を駆使して代わる代わる気配を探る。
伊都にはそういった能力がない分、別のサーバントがいないか上空を目視したり何らかの装置器具がないか地上を確認したり、二人のできないことでフォローをしていた。ただ、どうしても調べたい物が多いせいで意識が散漫になる。
「狼のサーバントを倒すだけの簡単なお仕事だったらイイんですけど、そういう雰囲気ではないっすねえ」
嫌な空気は肌を刺すほどに感じているのだ。それがどこから来るのかわからないだけで。
上空を見上げても黒の瞳に映るのは灰色の雨だけ。
玲獅が足を止めた。目を細め、一瞬生命探知に引っかかった「モノ」を異界認識で確認する。
森林が素早く阻霊符を使用した。透過能力を使っていたソレは停まっていた車に鈍い音を立てて激突する。
「見つけました。あそこです……」
森林が指示するよりも早く、ちょうど3人の右側から2匹の白い狼が飛び出してきた。大きさは大型犬よりさらに一回り大きいくらいだ。
ざっと伊都が森林の前へ躍り出る。
「ボクが引き付けます! 二人は出来た隙を突いてください!」
全長200cmほどの大剣、ツヴァイハンダーFEを振りかぶり、伊都は左側の狼へと斬りかかる。確かな手応え。狼の白い毛が飛び、真紅が散った。
玲獅はアウルの力で作った鎧を纏い、白銀の盾を構えた。
狼が跳ねる。一匹は伊都へ、一匹は玲獅へ。伊都は大剣で、玲獅は盾でその攻撃に耐える。
その隙を狙って森林が伊都を狙った狼へとアウルを撃ち込んだ。狼の命中した箇所と森林の左手に一枚の葉の形をしたアウルが生える。この葉を通して、森林はサーバントがたとえ逃げたとしても位置を把握できるのだ。
「手負いの獣は厄介ですので気を付けてください」
伊都に声をかけながら、森林は長大な和弓を構え、玲獅に向かった狼の足を狙って矢を放った。矢は狼の足に突き刺さり、動きを鈍らせる。その狼へ向け、玲獅は牽制するように盾をぶつけた。狼がよろめく。
伊都は大剣にアウルの力を込めて、強烈な一撃を目の前の狼に放つ。狼は血を噴き出しながら伊都へと跳びかかった。すぐさま伊都は大剣でそれを防ぐ。狼の一撃は先刻よりも重く、足がずずっと後ろへ下がる。
もう一匹も玲獅に飛びかかるが、玲獅も盾で応戦。タイミングを合わせて森林の狙いすました矢が狼の額に突き刺さる。
玲獅も伊都もどちらかといえば盾役だ。攻撃役は森林しかいない。サーバント相手に遅れを取るとは思わないが、倒しきるには時間がかかる。
(……入り口が心配ですね)
もっと多くのサーバントが襲いかかっているかもしれない。勿論、入り口の3人もサーバント相手に遅れを取るようなメンバーではないが、向こうには護らねばならない人々がいる分負担が大きい。
玲獅は盾から魔法書に持ち替える。羽の生えた光の珠がふわりと浮かび、泳ぐように空を舞うと背後から狼にぶつかった。それは玲獅本人ですら驚くくらいの衝撃。爆発するような音をたてサーバントは跳ね飛び、動かなくなる。
「あと、一匹ですね」
伊都はツヴァイハンダーを持つ手を握り直した。
●
(天と魔が入り混じる四国の地、動き出した天使たち、一点に降り続ける雨)
ハルルカは濡れない雨の中、両手を広げ、その雨粒とはいえない雫を受け止める。
(いいね、とてもいい。心が躍るようだよ)
海はそんなハルルカを見ながら屋根の下で待機をしていた。やはりレインコートは着用している。
伊都に渡した通信機からはまだなんの声も聞こえない。サーバントを探しているのか、それとも。
「病院の方はまだ皆さん、上階にいらっしゃいますわ」
念の為に再度病院へと確認しにいったシェリアが戻ってきて海の隣、屋根の下に並ぶ。海は一度頷くと口を開いた。
「サーバントも天使も、姿は見られたけれども人はまだ襲ってないんだよな」
「ええ、そのようですわ」
「人を襲うのが目的じゃないのかな?」
「え?」
シェリアは不思議そうな表情で海を見た。
「つまり」
いつの間にか近づいてきていたハルルカが口を開く。
「天使の目的はこの雨ということかい?」
「ああ。サーバントはこの雨を邪魔する者の警戒用に――」
「そうかも知れませんわ」
シェリアの細い指が一点を指す。
まるで海が発した言葉を肯定するように、白い狼が一匹、そこにいた。
(これは、天使が命令してこちらに寄越したの?)
シェリアが思うと同時に狼の前足が地を蹴った。シェリアは咄嗟に風の障壁を作り上げる。海は2人の前に出ると狼が噛み付く前にクラルテで動きを封じ込める。
「今の私は機嫌が良いから、特別さ。雨は好きかい?」
ハルルカの声が響いた。手を翳す。生まれるのは無色のチカラ。それは黒の雨へとカタチを変えて白い狼を蝕み侵す。
「雨は石を。私の黒雨は天の意志を、穿つのさ」
それは圧倒的な豪雨と言っていいだろう。黒い雨が槍のように白い狼に突き刺さる。
怯んだサーバントに海の十字槍が追い打ちをかける。シェリアはぎりぎりまで距離を空け、小首を傾げた。
(雨が降っているなら電気は通しやすいかしら?)
降り注ぐは雷。素早いだろう狼にもやすやすと雷は降り注ぎ、シェリアはふふ、と笑みを零す。
狼の最期の咆哮。体当たりを海は十字槍でいなすと、そのまま槍を突き刺した。
サーバントはそのまま動かなくなる。
「なんだい、もう終わりかい?」
つまらなそうに言うハルルカ。海は注意深く生命探知を使用する。
感じた反応に素早く顔を上げると玲獅が買ってきた大きなレジャーシートに2匹のサーバントの死体を包んで、3人が戻ってきたところだった。
「こちらはもう反応ないですよ〜」
森林が手を振る。玲獅も微笑んだ。
「サーバントの死体を天使が悪用するとも限りませんから、処理業者に搬送しようと思うんです」
そのためのシート、というわけだ。
「なるほど、抜かりないな」
笑みを含んだ男の声は、6人の頭上から聞こえた。
●
灰色の雨の中、それはいた。
金の髪、アイスブルーの瞳、そして白い翼。白銀の鎧の腰には剣が下がっている。
(さすがに天使を、この人数で相手しろっては言わないよね?)
海の背に冷たいものが流れ落ちる。学園に連絡しようとした海を制したのは天使の言葉だった。
「安心してくれ、戦う意思はない」
「信用すると思うのかい?」
ハルルカが問いかけると天使は困ったように眉を寄せた。
「じゃあ、こう言い直そうか。この雨を邪魔しなければ、君たちと戦う意思はない。――戦ってみたいとは思うけれどもね」
「ならば、時間の問題だな」
海は油断なく天使を睨みつける。
「この雨を邪魔するというなら、いつでも相手になろう。強い者は好きだ。心が奮い立つ」
いっそ無邪気とも言える笑みを浮かべ、天使はひとつ羽ばたいた。
「私は此処にいる。どうするかは君たちの自由だ。君たちは強い。だから無謀という言葉も知っているだろう」
6人は顔を見合わせた。確かに今ここで天使に戦いを挑むのは無謀すぎる。
だが、雨がゲートと同じような力を持つのであれば、それを黙って見ているわけにはいかない。
……どちらにしても、報告は必要だろう。
「ああ、こちらから声をかけておいて名乗っていなかったな」
天使は去り際にふと口を開いた。剣を抜き、体の前で縦に構える。
「私の名はアセナス。焔劫の騎士団、白焔のアセナスだ。この剣に賭けて約束しよう」
天使――アセナスは冷たい笑みを浮かべた。
「いつでも相手になる準備はある、と」
灰色の雨は、まだやまない。