●既に始まり
久遠ヶ原学園。転移装置周辺は俄かに慌しさで包まれていた。
「ったく! 出先で絡まれるとかどこのひ弱ボーイよっ! そんな珠じゃないでしょうに!」
騒々しさに一際高く響いた声はシュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)のものだった。
棄棄より突如として依頼された任務。シュルヴィアが思い返すのは、いつも通りのへらへらした調子で語られた電話越しの棄棄の声。なんとも一方的で、あまりにも大雑把で。
嗚呼、思い返せば返すほど、苛々してくる。
「大体なに! 緊急とは言え説明簡素過ぎ! 座標あってんでしょうね。転送したらいしのなかにいる! じゃお話に……ちょっと! まだ準備できないのっ!? さっさと装置動かしなさいな! 緊急だっつってんでしょう!」
着々と準備されてゆく転移装置――であるが、今のシュルヴィアには一分一秒がやたらと長く感じられた。故にもっと苛々として捲くし立てる。それは普段から令嬢然とした気品のある振る舞いをする彼女を思えばかなり珍しい光景である。
「あと一分だけ待って下さい」と職員より窘められ、「全くもう――」と噛み潰す様な返事をする。その実は、誰よりも今すぐに現場へカッ飛んでいきたい心根なのだ。待てと言われ、まるで文句を噛み殺すように苛立たしげに爪を噛む。噛み千切らんばかりだ。
着々と出撃の準備は整ってゆく。それに比例し、シュルヴィアも徐々に落ち着きを取り戻してきた。
「……ねぇ。町中なら広くない路地もある筈よ。今から伝える事、憶えといて頂戴」
仲間へと振り返る。転移装置の準備が完了する。
そして視界は蒼い光に包まれて――
――撃退士達の視界には黒い夜が広がっていた。
棄棄より課せられたオーダーは、彼を襲ったというアウル覚醒者・二名のハーフ悪魔の捕縛だ。
それを今一度脳内で確認し、御門 莉音(
jb3648)は油断無くその手にショットガンを携えた。
「明日はせんせのコマ取ってんだよね。だからさっさとふん捕まえなくっちゃ」
「あぁ、勿論だ。僕の小さな迷いも受け止めてくれた『素敵』な先生を、皆で助けよう!」
応えたのは九鬼 龍磨(
jb8028)、いつもは緩やかな笑みを浮かべるその顔を今日ばかりはキリと引き締め状況に備えた。
(ぎゃーーー!! 棄棄せんせぇぇぇえええええ!!!)
大声を出して敵に気付かれるならば『忍軍』失格――故にカーディス=キャットフィールド(
ja7927)は心の中で大騒ぎをしていた。先生だから大丈夫だと思いますが、と心を落ち着けながらも黒猫きぐるみはポーカーフェイス。万が一と阻霊符を展開しつつ壁に立つ。
(……誰も、誰も死なせやしない)
沈黙、されどその瞳は断固と雄弁。『誰も』。そう誓う強羅 龍仁(
ja8161)の護りの手は『敵』と判断されている存在にまで向いていた。
沈黙。同様のマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)はされど、龍仁とは対極に近い思考をしている。
己として生死は問わず、任務としては生存が望ましく。ならば己は『善処』しよう、『絶対』とは決して、口にする事は無いけれど。
斯くして撃退士が標的を発見したのはそれから程なくであった。
激しい殺気を放つ、武装した三名。うち二名は冥魔のものと思しき翼を展開している。見るからに明らかだ。
搗ち合う視線。
何者だ、と言いたげな三人の剣呑な視線。当然だろう、明らかにアウル覚醒者であろう者達が急に現れたのだから。
「こんばんは。いい夜ね」
今にも破裂しそうな空気を感じながら、イリス・リヴィエール(
jb8857)は翡翠色の眼差しを静かに三人へ向けた。
「ある先生が覚醒者達に絡まれている、ととある人物から通報があったのだけれど、どういったご関係?」
「……成程、何処までも小狡いあの男のやりそうな事ね。貴方達、棄棄が呼んだ久遠ヶ原学園の子でしょう?」
「如何にも。で……」
自分の質問にそちらはまだ答えていない、と促すイリスの言葉に「えぇ」と引き続きアウル覚醒者の女ジィンが頷いた。
「あいつから知らされたかどうかは知らないけれど。私は夫の仇を取る為に、この子達は父親の仇を取る為に、あの人を殺した棄棄を殺しにきたのよ」
「……? 棄棄先生が、何を……?」
「あの怪人はね。何も悪さもしていなかった、平和を愛する無実のあの人を……ただ、『悪魔だから』という理由で殺したのよ。私の目の前でね。天魔なら見境無く殺すような狂人、そして自分の問題を貴方達に擦り付けるような最低のクズ。まぁ……貴方達にとってはどうでも良い話かもしれないけれど。だからこそ、貴方達には関係ないわ。退いて頂戴。邪魔をしないで」
強く見返すジィン、そして子供達の視線。そこには揺ぎ無い色があった。強い深い憎しみがあった。怒りがあった。悲しみがあった。ずっと今日という日の為に抑え続けていた感情があった。刺し違えてでもという覚悟すらも見受けられた。
何を言っても何をやっても、彼女達が諦める事は無いのだろう。
然らば。
「いいえ」
イリスは皆を代表して、『NO』を叩き付ける。ミクロン単位とも視線を揺るがせる事も無く。
「『いいえ』。ここにいる皆を代表して『お断り申し上げます』。退きません。邪魔をします。――関係なくないから」
「そう。……残念だわ」
静かに告げられた言葉に対して、爆ぜた殺気は凄まじく。
月と街灯が見下ろす夜の中、火蓋は切って落とされた。
作戦通りに撃退士は三つの班に分かれて動き出す。
A班――それはそのまま踏み込み敵前衛であるドンとルマの正面へ。龍仁、龍磨、シュルヴィアが担当する。
B班――一斉に各々の翼を広げて敵前衛と後衛の間に割り込む。マキナ、莉音、イリスが召喚したストレイシオンのヴァーグ。
C班――ジィンの背後を目指す。壁を駆けるカーディス、ヴァーグに防御展開を指示しつつ翼で飛行するイリス。
彼らの動きの例に漏れず。小宇宙の翼を広げたミリオール=アステローザ(
jb2746)はB班として空を往く。
「んー、何だか楽しめそうに無い相手ですワ……」
ミリオールは戦いが好きだ。戦闘狂だ。けれどその相貌は戦場に在るというのにガッカリとした様子であった。実力云々ではなく、明らかに自分を見ていない相手。地球の者故に敵意を向けられようと殺すつもりはあまり無い、けれども、
「きっちりと前を見据えないと、何も出来ずに終わってしまいますのよ?」
誰の過去も、今を生きるわたしには関係ありませんワ――極光翼の星を散らし、長い紫の髪を流星の様に靡かせて、ミリオールは飛び上がる。
胸の前で合わせる様に翳す両掌。不可思議な光がそこに発したかと思えば、幾何学的文様で表面が覆われた10センチはあろう鍵の幻影が浮かび上がる――銀の鍵<リトルドミネーター>。それは窮極に至る異界の理を限定的に現世に持ち込む神秘の異業。
「少しだけ、征服完了ですワ。さぁここはわたしの領域……逃げても構いませんワ、逃げられるものなら」
戦場を照らす金の光。それに照らされ、カーディスは軽やかに壁を駆ける。敵の後衛よりも後ろというのはなかなかに遠いが、彼の脚はあっという間にそこへ到達してみせる。
「棄棄先生が、貴方たちの大切な人を殺した――ご事情は分かりました。貴方たちの目的が敵討ちだという事も」
「だから? 『復讐は何も生まないよ!』とでも正論を吐きにきたのかしら、冗談はその遊園地のバイトみたいな格好だけにしてくださる?」
「いいえ、私は言葉を吐きに来たのではありません。ただ私は、棄棄先生を襲うことは誰だろうと敵対行動とみなします!」
「あの狂った男の肩を持つなんて、可哀想な子!」
「可哀想――同じ言葉を貴方に。最悪は殺してしまうやもしれませぬので、どうかお覚悟を」
言葉は静かに、存在感は大きく。忍ぶ事を捨てたカーディスが道の真ん中に着地する。それに応えるよう、ジィンはアウルを鎧状にしてその身に纏った。
黒い焔を背中に宿すマキナはただ、ただ、唇を一に結んだまま語る事は無い。騙る事も無い。けれどたった一言、言葉を、放った。
「一応は降伏を勧めますが――無駄ですよね」
その返答は、ドンとルマが合わせて放つ焔氷の苛みだった。灼熱の奔流と零下の渦。マキナはその右手『偽神の腕』を防御に構える。翻る銀の髪、敵を見澄ます金の瞳。最終通達を紡ぐ。
「――では、力尽くにて」
復讐。仇討ち。同情はしよう、理解もしよう。だが然し、それがどうした。「理解してくれ共感してくれ同情してくれ」と豚の様に喚かない事に関しては評価しても良い。己が意志で有無を言わさぬ敵対を決めたのならば有無も言わせず終わらせよう。そも、復讐の叫びなど子供の癇癪も同然、共感だけは、微塵も出来ない。分からない、分かり合えないなら、戦争をしよう、終わらせよう、分かり合えない軋轢は苦痛だ、地獄だ、とっとと駆け抜けるに限る。息をする時間すら惜しいほどに。
襤褸包帯が包む右腕が黒い焔で燃え上がる。力を込める。力を込めた。降り抜くのは深淵よりも黒い色、八人の撃退士の中でもトップクラスの打撃力を以てドンの体を殴り付けた。それと同時に幾重もの黒焔の鎖が彼を絞め上げる。封神縛鎖<グレイプニル>。それは『創造』の秘術。
同じくB班、牽制の為に莉音はショットガンを放つ。当たらなくても良い、急所も狙わない、殺したくはない。
「……あんたらはせんせの事を責めるけどさ、じゃああんたらの夫は、父親はどうなのさ?」
銃声の中で。それでも、莉音は言いたかった。
「仮にあんたと一緒になってからは何もしなかったとしても、その前は? 例えばあんたと出会って人間の見方が変わったとしても。もし昔から親人間派だったとしても、小さいうちは? 直接間接問わず魂を奪われた人の身内にとっては仇じゃないの? せんせを責められるのかなぁ?」
「今更正論を並べ立てられた所で、『ハイそうですか』と引き下がる程度の覚悟で来たんじゃない。……アンタが死ねば怪人も泣くかしらねぇ!?」
ルマが叫ぶ。翳す掌、アウルによる氷の棘がその心を表すかの様に荒れ狂う。撃退士に突き刺さる。莉音にも。肩に、腹に、脚に、腕に。冷たい、熱い痛み。顔を顰める。
「そうだ……多分……きっと、せんせは僕等が傷付くのを嫌がると思う。だから尚更引けないよ、こっちだってさ」
真っ直ぐ、強く、莉音は相手を見据える。その体が柔らかな光で包まれた。龍仁が放った治癒のアウルだ。
そんな龍仁は顔
が歪みそうになるのを必死に堪えていた。脳の奥がチリチリと痛い。自分の目の前で子供が傷付いてゆく。息子と重なる。痛みの声が聞こえる度に心臓が嫌な跳ね方をする。やめろ、やめてくれ、そう叫びたい、遮二無二に。感情が爆発しそうだ。
(……落ち着け)
深呼吸一つ。自分はあの双子を攻撃はできない。だから治癒と護る力で、仲間達を支えるのだ。
タウントによって敵の意識を少しでも引き付けんとする龍磨は防壁陣で猛攻を凌ぎつつ、じっと前を見据えていた。
(……相応の覚悟と事情はあるだろう。けど今は、止める!)
誰も死なせはしない。冷静な決意。故に自分が考え得る限り状況最善手を。
「仇ぃ? 親父がヘボ悪魔だったのを恨みな!」
「父さんが強かったのか弱かったのかすら、僕はもう永遠に分かる事は出来ないんだ!」
冷静さを殺がんと態と行った口汚い挑発に、応えたドンの声は悲痛。振り上げられた拳はどうしようもないほど遣る瀬無く、行き場も無く、八つ当たりも同然に激しい焔を纏って龍磨へ振り下ろされた。
重い拳。天魔の影響を受けぬ状態にて、龍磨はそれを真っ向から盾で受け止めた。拳が触れた部分から吹き上がる焔が彼を苛む。肌が焼ける。メラメラと。
「っ…… それでも、僕は退かない。退けないんだ」
盾で弾き返した――その瞬間。
「『ガラヴァー』!」
響いた声は仲間の声だ。『頭を狙い横に薙ぐので屈んで備えよ』――そんな暗号指示通りに最小限で龍磨
は動く。その間隙より振るわれたのは、後方に位置するシュルヴィアが操る夜色の鞭だ。夜を舞う蝙蝠の様に軽やかに、されど鋭く強かに、一撃。
「チッ……!」
品の良い唇が紡いだのは、その持ち主の佇まいからは正反対の舌打ちだった。
「全く……殺気と怒気で総毛立つわ。呪いを吐く為だけの口じゃないでしょうに!」
シュルヴィアは今、苛立っている。湧き上がる感情を露に『敵』を睨み付ける。深紅の睥睨。血色の両腕。『どっちが怪物だか分からない』風貌で。
「事情なんか知るものですか。言い訳も何も言わなくて良い、必要ない。わたくし、たった今、戦う理由が出来たのだもの。……先生侮辱されて笑える程、嫌ってないのよこっちは!」
明確な敵意だった。宣戦布告。誰かの戦いではない。これは既にシュルヴィアの戦いなのだから。
「あなたは敵。わたくしの敵。だから倒すわ。力尽くでも。――『ナガー』!」
足を狙い横に薙ぐので飛べ。今度は獲物を狙い地を這う蛇の如く、敵意の鞭が唸り劈く。
その反対側、イリスのレイピアとジィンの防御アウルがぶつかり合った。互いに無傷ではなく、互いに肩で息をしている。ぶつかり合う視線。
その最中で。
「大切な誰かを殺されて、そいつを殺したい気持ちは痛いほどわかる。私も父さんを殺されたから」
弾かれた剣。立て直す体勢。地面を踏む。飛び出す勢いを乗せて刺突を繰り出す。
「父さんの場合、何らかの誤解によって同胞の悪魔に粛清されて、永遠に会えなくなった。例え大勢に慕われたとしても、当時と考えが180度変わったとしても、やったことは変わらないのだから許せるはずはない」
「ただ」と。揺らがぬ双眸はその剣の如し。
「今回は、先生には前に海へ遠足に行った時に引率してもらったお礼もあるから、こうしてあなた達と敵対しているだけ。恩や借りは返す主義だから」
「……天魔の血が交じってる貴方達と遠足、ね。罪滅ぼしのつもりなのかしら、あの男。忌々しい、どうしてその性根をあの時に持たなかったんだ」
断固とした敵意は敵意しか呼ばぬ。ジィンが繰り出す隕石魔法が戦場に轟音を響かせた。
戦闘音楽だ。ミリオールは切れた口唇を赤い舌で舐め上げては、頭上より全てを睥睨する。それは凶を告げる月蝕の赤月の如く。
「今宵は良い風が吹いてます……束ね甲斐がありますワっ!」
ジィンへ翳す掌。一瞬の風が吹いた――その時にはもう、不可視の触腕・操空の第二腕<セカンドアーム・エアルーラー>がジィンへ叩きつけられた直後。ミリオールの『腕』が束ね集めた風が開放され、恐るべき暴風となってジィンを包み込む。苛烈な刃の渦に巻き込まれたジィンの全身から、ぶばっと鮮血が迸った。
「一度に一本、まだまだですワ……」
「ぐッ く、そ……!」
ぼたぼた鮮血を垂らすジィンが自らに回復の術を施してゆく。奇しくもそれは、龍仁が仲間へ治癒術を発動したのと同時。持てる力を全て使い戦線を強固に支え続ける彼<父親>と――それと近しい力を持つ彼女<母親>の目が合ったのもまた、偶然か。必然か。
「お前は――」
目を逸らせぬまま。龍仁は、膨れ上がる想いを言葉に、代える。
「護る力を得て……それで何故子供の心を守らなかった!」
何故憎しみを与えて子供を育てた。激しい怒りだった。それに返って来る声もまた、怒りであった。
「また怪人が殺しに来るかもしれない……夫を殺したように、『天魔だから』とこの子達を殺しに来るかもしれない! もう奪われるのは嫌なの、これが私の『護る方法』よ!」
「それで棄棄を殺してお前達には何が残る……お前は折角授かった大事な人の子を……この世に残った最後の繋がりをも無くすつもりか!」
「それを奪おうとしているのは他でもない貴方でしょうに。そう思うなら退いて頂戴!」
その言葉、その想い。龍仁には痛いほど分かった。奥歯を噛み締める。
だからこそ、過ちを犯す前に助けたい。妻を見捨てて逃げた臆病で弱い自分を、未だに憎み呪い続けているからこそ。
憎悪――それを棄てられぬからこそ、人は無限に争い続ける。業とも言える。双子の氷炎の中、されど表情一つ変えずにマキナは立ち、その母親を見据えていた。
「復讐の為に生きる事を選んだのは、それでも自分でしょうに」
然らば終焉(おわり)を。地獄を終わらせた先に安息を希うが故の終焉。その渇望求道執念希望絶望はあらゆる障害を轢殺する。赫怒も怨嗟も慟哭もまるで等しく意味がない。
黒夜天・魄喰壊劫<ラグナレック・フレスヴェルグ>。魂を喰らう黒き焔が――ジィンへと襲い掛かる。無慈悲なケダモノのアギトの如く。食い千切る。
「「母さん!」」
緩やかに頽れるジィンの姿に、双子の声が重なった。
「殺してはいない」
それらに、そして敵の死を望まぬ仲間達に、連絡めいたマキナの一言。勿論彼女の攻撃は手加減の無い一撃だったけれど、悪運が強かったのかその丈夫さに救われたか。何だろうが、良い。次はお前だと言わんばかりにマキナは双子に振り返る。
双子にはけれど、恐怖や尻込みは無かった。一層敵意を煽られた、という状況か。
ドンが火炎の散弾を放つ――その中を、カーディスは莉音の射撃支援を受けつつ駆け抜ける。一瞬で詰める間合い。零。向けたリボルバー。
「多少の乱暴は許して下さいね!」
言下、それは疾風をも穿つ一撃。脚を狙う――部位狙いは困難故に直撃には至らなかったが、それでも鮮血。速度を武器に変えたそれは確かな痛打となる。
舌打つドンが翼によって飛び上がった。この挟撃包囲から逃れる心算か。
「お見通しよ。そうはさせない……ヴァーグ!」
イリスがストレイシオンに命令を下す。クォーンと高く鳴いたヴァーグがアギトを開いた。展開される魔法陣。撃ち出される魔弾が宙のドンにぶち当たる。飛行を妨害する。
「『プリチョー』!」
フェイントも織り交ぜつつ、そこへ更に叩き込まれるのはシュルヴィアが振るう黒の鞭。縦に打ち据えるので半身を横へ。前衛にて盾であり続ける龍磨が身を捻り作る間隙を縫う一閃。打ちのめせ、さぁもっともっと打ちのめせと夜の鞭が囁くままに。
ドンが落下する。地面を転がり、血反吐を吐いて起き上がろうとする。その目の前に、ふよ、と。漂ったのは黒い球。しまった、と目を剥いた時にはもう遅い――吸引黒星<ブラックホールドレイン>。彼の力は、ミリオールに悉く貪り啜られる。
「子供は寝る時間ですワ。もうお眠りなさい」
力を失ったドンは、そのまま眠る様に地面に倒れ込んだ。
「私は復讐を肯定する」
ざ、と最後に残ったルマへ一歩、イリスは剣を構えつつ。
「だからこそ、貴方に問うわ。……まだ続ける?」
この戦いを。この復讐を。お前はまだ続けるのか?
さぁ示せ。
その問いに。
「当たり前でしょ……当たり前でしょうがよッ!!」
応えは冷たい、氷の嵐。
「――そう」
安心した、とも言えた。この程度で諦める程度の復讐ならば、なんと脆い覚悟なのか。諦められる復讐は復讐などと呼ばないだろう。彼女もまた復讐を理解する存在故に。
壁となるヴァーグが主人を包むように翼を広げ、その攻撃からイリスを護る。死体を見せる必要は無い、故に殺すつもりはない。
イリスが一直線にルマへ迫る。別方向からはカーディス、そして莉音の牽制射撃。立て続けの攻撃。少女がタタラを踏む。が、踏み止まった。氷を纏う。止血も兼ねた鎧。
けれど、嗚呼――そんなモノなど、マキナの前では丸裸も同然で。かける言葉は最早無い。燃え上がる黒焔は終焉を内包した幕引きの一撃。神天崩落・諧謔<ラグナレック・ミスティルテイン>。防御など無意味と断じる強制。如何な理不尽も退けんと渇望の発現。叩き付ける右拳。摧滅。終焉。殴った感覚はけれど、自分のモノではない心地で。
マキナの拳にルマの氷鎧に大きく罅が入った。既に勝敗は目に見えていた。けれどルマは未だに戦おうとしていた。
「世界は理不尽よ。先天的にも後天的にも、理不尽の塊。どうして……器用に生きれないのかしらね、人は」
静かな、シュルヴィアの言葉だった。
誰も彼もが思い通りに生きられたらどれほど楽な事だろう。けれど、誰かの思い通りはきっと誰かの思い通りではなくて。矛盾が生まれて。理不尽で。結局不器用に、不恰好に、無様に生きる他に無くて。生きる他に無くて。生きなければならなくて。
「ままならないものね」
振り下ろされた鞭――氷の砕ける音。
「……!」
蹌踉めいた。倒れゆくルマ。
その小さな身体は、龍仁の大きな腕が受け止める。
「もういい」
龍仁のもう片方の腕には、倒れたドンがいた。二人の子供を、彼はぎゅっと抱き締める。
「良く頑張った。だからもういい、戦わなくて良い。……ごめんな」
こうする事しか出来なくて。上手く言葉が思いつかなくて。
せめて、せめて……父親を知らぬこの子達に、父親の温もりを与えてやりたい。
「ごめんな……」
無力な両手だ。もっと何か出来たのではないか。もっと上手くできたのではないか。いつも彼を襲うのは、そんな自己嫌悪。体に絡む茨の様に傷みを与えてくる過去の記憶。
両手で感じるのは小さな体温。生きている温度。これだけは、理不尽だらけの世界においてどんな生き物でも変わらない。龍仁が護りたいもの。
弱弱しく、意識を手放してゆく双子が、その両手で龍仁を少し――ほんの少しだけ、握り返した。
「「父さん」」
幻聴ではないその一言。
そして二人は、戦闘不能と共に意識を失った。
斯くして戦場は『戦場』ではなく、『ただの路地裏』へとその姿を戻した。
静寂が訪れたその最中、三人は撃退士に捕縛されるに至った。
●くさり
「終わったみてぇだな」
戦いの後、姿を現したのは棄棄である。お疲れさん、との言葉に答えつつ、龍磨は拘束された三人へと。
「……死者に声は届きません。学園に来て下さい。生きてるあの人に、恨み言をたくさん言えばいい」
「甘ちゃんの空想ね。おめでたい事だわ。……ハッキリ言ってあげる。それ、侮辱以外の何者でもないからね、坊や」
ジィンが龍磨に唾を吐き捨てる。皮肉と敵意に笑む女の口は、……呪文を紡いでいた。
「!!」
咄嗟に動いたのは莉音だった。棄棄の目の前に盾にならんと躍り出る。
が、
「だめよ」
「え、」
跳ね除けられた。体勢を崩した莉音の視線の先、棄棄目掛けて放たれた魔力のナイフ、それが――棄棄の右目に突き刺さる。
「うおっ痛ぇ こりゃ帰ったら義眼にしないとネ」
あっけらかんとしていた。薄ら笑ってすらいた。怪人と呼ぶに相応しい佇まいだった。魔力のナイフが右目に刺さった状態で、男はまず莉音の頭をわしゃわしゃ撫でる。それからジィンの元へ無言で歩み寄ると、その頭部を蹴り飛ばして昏倒させた。
「拘束する時は口もちゃんとしばっとけよ、そこの双子もそうしとけ」
「せんせっ……!」
思わず莉音が棄棄の肩を掴む。
「おう莉音、俺を護ろうとしてくれたんだな、ありがとな。あと先生は右目は元からポンコツだったんで大丈夫だからね」
「そうじゃなくてっ……今のせんせは要救助者なんだから……」
「わかってる、わかってるよ。ありがとな。お前は悪くない、だから自責はしないでおくれ。ごめんな。……彼らの人生を狂わせちまったからよ、俺は。馬鹿馬鹿しく見えるだろうが、これが俺のせめてもの贖罪だ。だから俺を救わなくても良い、自分で決めた事なんだ」
静かな表情だった。右目から流れる血が涙の様に見える。
「……。……すまなかった」
意識の無い三人へ、届かないだろう謝罪。
その背を莉音は見詰めている。徐に口を開いた。
「せんせ、調子悪いんでしょ? 俺のお師匠がけっこう隠しがちだったからさ、わかる、よ」
「あ? あーそうな、最近お肌の調子が悪いわ。こないだ背中にニキビできてさ……」
なんのことやら。鉄面皮のその奥は見破れない。それに龍磨は続けて声をかけた。
「全く……来られなかった生徒が心配の余り怒りますよ!」
なんだろうが怪我人だ。棄棄を担ごうとしたその手――は、
「いやんばかんすけべえっち」
「あいででででで!?」
ひょいと捻られ、それは能わず。
「さー任務完了お疲れさん! 後処理とかそういうのはやってるから、お前ら先に帰っとけ」
教師にそう言われたのならば致し方ない。一人また一人、現場から踵を返す生徒達。
けれど。シュルヴィアだけはいつもの様子で、立ち去らずに棄棄の前にいた。じっと。その目は先ほどの棄棄の『贖罪』を責めている様な、一方で取り敢えずの無事に一安心したかの様な。
「裏方ごくろうさ……ってちょっと!」
ふらふらじゃないの、大丈夫なの!?さっきの傷が――その言葉は、棄棄がその手で彼女の口を塞いだ事で阻まれる。
「頼む」
ごほ。咳き込みながらの小声だった。
「もうちょっとだけ、俺を『強くてカッコイイ先生』でいさせてくれ」
『不調を悟られぬように立っているだけ』が精一杯な状態で男は言う。離した手を自身の唇に、「しー」と動作をした後に、シュルヴィアの白灰色の髪を撫でながら。
呆れる様に女は肩を竦めた。溜息交じりで。「肩を貸してあげようかと思ったけど必要ないなら何よりよ」なんて皮肉を吐いて。やはり男は笑っていた。
帰りましょう。帰ろうか。
嗚呼、こんな夜も終わりそうだから。
『了』