●惨劇01
(なにこれ 夢?)
喜屋武 響(
ja1076)の視界の中で殺戮が繰り広げられてゆく。日常の教室が非日常の血潮で染められてゆく。
呆然、と。座ったまま。教科書が広げられたまま。ペンを握ったまま。気付けば響以外の『生きている者』は、目の前にてこちらを見下ろす殺人鬼だけ。
皆死んだ。殺された。キラーに。許せない、と思う以上に、少年の身体を支配するのは死の恐怖。
ガタガタガタ。何の音? 自分が震えている音。怖い。逃げなくては。逃げたらきっと死なずに済む。
そう思った、刹那。脳裏に奔る、5年前の記憶。その命と引き換えに故郷を守り抜いた長兄。彼に恥じる事は出来ない、けど、でも、だけど――無残に引き裂かれた級友の死体と目が合った。
ぶつん、と。何かが響の中で切れる音。
「なんで……ッ、なんで、こんなことするんだ!!!」
絶叫の様な咆哮。怒りを食い殺すほどの憎悪。憤怒。せめて、仇を。勢い良く立ち上がると同時に太刀による居合い一閃。机ごと切り裂き、キラーを狙う。斬った。否。残像。何処。探した瞬間、ぞぶっと腹に熱感。
「え?」
見た。後ろから、響の腹の真ん中を貫き突き出したキラーの腕。
「っッ!!」
声にならぬ声、反射的に振り返りつ振るう剣。響の腹から腕を引き抜いたキラーの鞭に受け止められる。間近。少年の口唇からごぶっと血が溢れる。風穴の開いた腹からは中身が引き摺り出されて漏れている。
響は敵の一瞬の隙を探していた。殺されぬようにと思った。だが。この僅かな一瞬で、悟ってしまった。
――勝てない。
強すぎる。
殺される。
嫌だ。
痛い。
死にたくない。
絶対に死にたくない。
殺せば死なずに済むのか。
殺せば、殺せば、殺せば、……そうだ殺して生きるんだ。
殺せ。
殺せ!!!
「おォああぁァアあアああああああーーーーーーーーッ!!」
殺意と憎悪。捨て身特攻。刺し違える覚悟。全身全霊。
振り上げた剣――は、それを握った腕ごと、刎ね飛ばされていた。
嗚呼。
「……死ぬってこんな感じなんだね」
ああ、遥お兄ちゃんもこんな風に死んでいったのかな――否。違う。兄は皆を護って死んだのに。己は何一つ護れず、何も変えられず、無意味に、死ぬのだ。
どうしようもなく己は無力だった。
己がもっと強ければ、助けられたものがあった。
いつだって逃げていたからだ。
「ごめんなさい」
がくん、と膝を突く。その目からは憎悪が消え、自責と後悔がただただ涙となって流れ落ちる。泣いても己みたいな卑怯者が許される筈なんてないのに。
クラスメイトに。お兄ちゃんに。先生に少し似ている殺人鬼に。
「ごめんなさい、助けられなくて、ごめんなさい」
跪き、項垂れ、懺悔。まるで斬首を待つ罪人の如く。
その白い首に振り下ろされる一撃の存在を感じながら――最期の最後に、少年は彼らしい優しい心と、涙を浮かべ、て、――……
●惨劇02
ミリオール=アステローザ(
jb2746)の目の前で、座っていた生徒の首がぽーんと刎ねられた。びゅる、と噴出した血がミルオールの顔にかかる。鉄臭い、血の臭い。血潮の彼方、丸くした目に映っていたのは殺人鬼キラーの血に塗れた顔だった。
息が止まる様な冷たい感覚――何となく、死を感じた。溜息。いつもの快活さは無く、冷静にして平然。断末魔の真っ只中、徐に立ち上がる。
「こんな可能性に当たるなんて思ってもみませんでしたワ……」
独り言つ様な言葉とは裏腹に。ノーモーションで文字通り烈風の如くキラーへ襲い掛かったのは不可視の触手、操空の第二腕<セカンドアーム・エアルーラー>。気体を集めるそれは消失するが、追随した風が大きく荒れ狂う。だがミリオールには分かる。牽制のこれでアレが仕留められる訳がない、と。
「天使は……敵だ、殺す」
一撃を跳び越え、こちらに猛然と迫るキラーを見遣る。振り上げられた短鞭には、天使を食い滅ぼす冥府の闇が。
「何もせず散るぐらいなら、此の命で最後に楽しむと致しますワ……」
散るならせめて、地球と、学園の皆と、自分自身の為に。ミリオールは『生き残る事』をも廃棄して、己の全てを戦いに投じる。それは覚悟。この身全てを、懸けてやろう。
「逃げも隠れも、しませんワ。私の全てで、戦ってやるのですワ」
動く事せず。捨て身特攻。振り下ろされた殺天使の一撃を、外界全てを拒み遠ざける斥力の網で受け止める――それでも彼女を襲ったのは暴力的なまでの攻撃だった。肌を剥ぎ肉を殺ぎ骨を砕き臓腑にまで達する凶撃。そして地獄の闇が傷口を容赦なく蝕み広げ痛みを刻むのだ。
「ッ……は、」
眩む視界。踏み止まる。出血。眼前の殺意。されどミリオールは笑う。めきり、めきり。口角を鋭く吊るその横顔はどこか人でないものを思わせる。戦いは好きだ。闘いが好きだ。血沸き肉躍るとは正に。
楽しい。
「はッ、は、 ハハハはhhaHh ¶縺 0披ケΤ6障ア≫ ̄@」
この世の言葉ではない名状し難き音声で壮絶に笑う。楽しい。楽しい。その笑顔を、纏った青光が底暗き不気味さで照らし出す。全てを脅かす滅びの光。百尾彗星<プレイグス>。彗星の如き一突。返す様にキラーから放たれたのは再度の闇。片腕が肩から千切れる。吹き出す血。
「眼前には強敵、味方は居らず、死は目前……最高ですワ!」
教室にはもう二人きり。誰も巻き込まず、後先など考えず、全てを注ぎ込めるなんて。舌舐めずる、歓喜。伸ばした手で至近距離のキラーを掴んだ。
「ふふ、無様な姿を残すわけには参りませんの……」
果てしなく染まった血。暴かれた身体から流れ続ける血。それを全て使い――深淵女王<アウラニイス>。辺り一面を染めるミリオールの血が蠢いた、刹那。それらが全て混沌とした無定形の暗影となり、教室中に溢れ返る。世界を染める。隙間無き蹂躙はキラーだけでなくミリオールをも切り刻む。構うものか。息絶えるまで。そして新たに生まれた傷口から、血液から、連鎖反応の様に新たなる破壊の金切り声を上げるのだ。
「喰いつくせ……沸騰する混沌《アザトース》……」
溢れ、溢れ、世界が閉じてゆく。唸りを上げる蝕腕の嵐が奏でる音は下劣な太鼓のくぐもった狂おしき連打にも、呪われたフルートのかぼそき単調な音色にも、聞こえる様な気がした。ミリオールの世界が、無形の黒影に堕ちてゆく。
(後は皆が何とかしてくれるかな)
最期にそう想い――ミリオールは、目蓋を閉じた。満足の絶頂と、消滅と共に。
●惨劇03
「っ、そこの貴女! 一体何があったの!」
悲鳴を上げて逃げ惑う生徒達。その中の下級生を一人捕まえて、夏野 雪(
ja6883)は問うた。この異常事態は何なのだ、と。
そして聞かされたのは、惨劇である。まさかこの学園内で。我が耳を疑うも、雪は静かに頷いた。
「何てこと……わかった。今すぐ斡旋所の教室に逃げ込みなさい。ごめんね、貴女も撃退士だから自力で冷静になってもらうけど、説明して、力量のある人を集めてもらいなさい。一刻を争う。行って! 時間は稼ぐから!」
言葉が終わる頃には駆け出していた。急がねば。急がねばならぬ。
「非能力者も居るとはいえ……ここで……こんな事っ」
握り締める拳――ふと、手に紙切れを一枚握っていた事に気付く。
婚姻届、と。その紙には、書かれていた。
「……くっ」
噛み締めた奥歯。鞄に紙を突っ込むと、道の脇に放り投げる。
往かねばならぬ。
「私は盾」
往かねばならぬ。
「……ごめんなさい」
「赤と〜♪ 緑と金髪の〜♪ 三色頭の進級しない〜女子高生〜♪」
風紀委員のアーニャ・ベルマン(
jb2896)は創作ソングを口ずさみ、真っ赤なマフラー靡かせて、フィナンシェグラスを輝かせ、自立型猫ぬいぐるみのミハイルをオトモに廊下を歩いていた。
「学園の平和を守る美少女戦士☆フーキイン、参上!」
ガラッ、と教室の扉を開けた。そして惨状に目を疑う。
ベッタリ、教室が赤かった。全て赤かった。何も無かった。ただ生々しい血だけがベッタリと。その真ん中にてゆらりと、キラー。切り刻まれた全身をアウルで治癒していた殺人鬼。
「……って、あ、あれ!? なんかすごくシリアスな展開!?」
『おい、アーニャ、さっさと逃げたほうが無難じゃないか?』
ミハイルがアーニャの脚をつつく。が、少女はぶぶんと首を振った。
「こ、怖くないもん! これで逃げたら撃退士が、いや、美少女戦士の名がすたるもんね!」
地面を蹴る。壁を走って撹乱――だが刹那に足首を掴まれた。そのまま床に投げられ、叩き付けられる。
『アーニャ!』
「くっ……大丈夫、ミハイルさん」
これは、牽制や様子見で勝てる相手じゃなさそうだ。鋭く体勢を立て直しながらアーニャは再度キラーへと躍りかかる。
「聴いて驚け見て戦慄け! 喰らえ必殺、忍法『陽虹』ーー!」
振るうワイヤー。それは七つの色に輝き、奔流の如くド派手に周囲を駆け巡る。ずぎゅーんどぎゅーん。ファンシーでメルヘンで。
けれど、少女の砂糖色の幻想を粉砕する、無慈悲な殺意。ワイヤーの間隙を縫って、ぼぐっと少女の腹に投げつけられた球状の何か。競り上がる胃酸に噎せながら、見遣った。生首。人間の。死者の眼差し。血の臭い。死の臭い。
「っ 」
『アーニャ、前だ!』
ミハイルの声が響き、ハッとアーニャが顔を上げた。そこにはキラーの、包帯の奥からの冷たい眼差し。血腥い吐息。振り上げられた短鞭。
堅い音。
「私は盾。全てを征し、全てを守る」
アーニャとキラーの間に割り込み、盾にて一撃を受け止めた雪だった。凄まじいプレッシャーだが、それを巧みに盾で弾き返し。見遣る。心臓が、高鳴った。強敵と相対した時とは異なる悪寒が、雪の全身を巡る。
奇抜な、そして既視感のする風貌。違うのは真っ赤と、包帯。
そんな筈はない。
そんな訳はない。
これは天魔に違いない。異界認識を行う。
「……!? 見破れない……?」
いや、違う。違う!
(あの人の愛は本物で、確かなアガペーだった。私の敬愛するあの人は、こんな事はしない!)
振り払う迷い。冷静にならねば。鋭く眼差し。
「もうすぐ仲間が来る。お前は終わりだ」
その言葉の通りだった。
窓の外から突然の射撃。同時に壁走りを用いて教室へ飛び込んできた月臣 朔羅(
ja0820)、異変を聴きつけ駆け付けて来たのだ。朔羅の反射的な発砲を躱したキラーを、彼女は睨め付ける。
「いきなりで御免なさい。その殺意が余りにも純粋且つ露骨過ぎて、つい」
不敵に笑ってみせる。数はこちらが上。己も腕には自身がある。幾つもの戦略シミュレートを脳内で同時展開している。負ける要素は無い。
「さぁ――本番と行こうかしら」
負ける要素は、無い筈だ。
なのに、どうして――こんなにも、心臓が痛いほど、『嫌な予感』がするのだ?
――……そして
「う、ぅ、うぅぅ」
教室に響くのは血だらけになったアーニャの泣き声。その傍にはそれ以上に血だらけの朔羅と雪が、倒れていた。
朔羅は双銃による鮮やかにして巧みな戦法を用い、胡蝶の如く立ち回った。
雪は堅牢にして磐石なる防御術で文字通り『盾』となり、要塞の如く立ちはだかった。
けれど。朔羅の立ち回りを超える人外めいた動き。雪の盾をも砕く壮絶な攻撃。
キラーが鞭を振り上げる。振り下ろす。だがそれは、朔羅が手近に転がっていた死体を蹴り飛ばし、勢いを殺して。
「皮肉なものね。貴方のお陰で、使える盾がたくさんあるわよ?」
既に彼女の両手は無く。千切れた断面から止め処ない血。白銀の髪が血に濡れて、血の気の失せた頬にへばりついている。しかしその目は未だに冷たき戦意を宿しているのだ。戦える。まだ戦える。
「鏖の夢はもう終わり。死んで、目を覚ましなさいな」
月臣流、恒月・壱之型『裏縫』。千切れた腕の傷口から影の五指がキラーに襲い掛かり、絡みつく。
まだだ。まだ負けていない。両手が無くとも足が。歯が。ボタボタボタリ。血を大量に垂らしながらも朔羅は立ち上がった。失血で霞む眼前。は、と零れた吐息は鉄の味がした。
「私をあまり、甞めないで頂戴……!」
斯くしてそれらは同時だった。キラーが裏縫を引き千切るのと、朔羅が己の千切れた腕から銃を蹴り上げたのと。スローモーション。殺人鬼が迫る中、朔羅は銃を咥え、構え、唇と舌で引き金を引いた。如何なる状況であろうと勝利を諦めぬその様は正に修羅の如く。発砲音と弾丸。
応える様に、キラーも攻撃を繰り出した。封砲のようなもの。ルインズブレイドの必殺技。黒い光の、奔流。
「私は盾」
その前に立ちはだかる、少女一人。ただただ仲間を護る為、血だらけの身体を引き摺って盾を構える雪がいる。
「この命が砕けるまで、私は盾――!」
誰かを護って死ねるなら、誰かの為に死ねるなら、盾として死ねるなら、後悔は。
後悔は……
(あぁ、ごめんなさい。渡し損ねちゃいました。折角頂いたのに)
ごめんなさい。その思いと、盾に亀裂が走るのは同時。ビシリ。ビシリ。広がってゆく。
(私は……ここで、終わりみたいです)
砕けてゆく。砕けて逝く。嗚呼、もう、あなたの盾になれないのが……心残り、かな。
「……ごめ、な……さ……りゅ……とさ……ま」
小さな微笑と、片頬を伝った涙と。
そして――
ばきん。
砕けた『盾』は、光の奔流に飲み込まれた。跡形も無く。
「もう、これ以上殺さないでよっ! もう誰も、死なないでよぉ……嫌だよぉ……!」
アーニャの悲痛な叫びが教室に響く。朔羅は立ってこそいるが既に意識が混濁して幽鬼の如くふらついている。それらを、ミハイルは見。たった一匹、キラーの前に立ち塞がる。
『俺がなんとかするから、お前はそこのねーちゃんを連れて逃げろ!』
「! でも、ミハイルさん」
『いいから行け! 早く! 振り返るな!』
言葉が終わると共に、ミハイルがキラーに襲い掛かった。
アーニャは奥歯を噛み締め、朔羅を抱えると全速力で走り出した。後方。見えないけれど。振り返るなと彼は言った。
『生き延びろよ……アーニャ』
八つ裂かれ、血溜まりの上。血を吸って重くなってゆく綿。
彼女ならきっと逃げ延びれると、信じて――暗転。
●惨劇04
キラーの事は良く知っている。性格も思想も技量も正義も。
故に、それが今暴れてる理由も、何となく分からないでもない。かつて自身がそうであったように、そうなりかけたように。
「だからこそ、だからこそに、もうここで止めるんですの……!」
愛用のソウドオフショットガンを手に、十八 九十七(
ja4233)はキラーの前に立ち塞がっていた。
寝坊して、遅刻して、辿り着いたら惨劇だった。知り合いも友達も殺されてしまったそうだ。キラーという殺人鬼に。九十七はキラーの事を良く知っている。知っているからこそ、ここで止めねばと決意した。
であるからこそ、廊下にて殺戮を繰り広げていたキラーの攻撃をビーンバッグ弾で妨害し、こちらを向かせ、窓から飛び降りひと気のない校庭まで誘導した――それが今。
殺人鬼がそこにいる。圧倒的にして絶望的な力の差を感じる。正しく死の予感。冷たい汗が背中を伝う。おそらく普通に戦っても奇策を用いても逆立ちしても生きては帰れまい。承知の上、覚悟の上。それでも逃げぬ。背中を向けぬ。
「敵を憎み悪を憎み、その果てにあるのが親しい友の死ならば、ならば友に顔向けできるような正義を」
向ける銃口。照準の先。
キラーの事は良く見てきた。しかしその『本気』は見た事がなかった。しかもおそらく、今のキラーは彼の本気よりも、一線を越えた状態。タガの外れた『人でない鬼』に相応しい状態。されど九十七は思案するのだ。
(あの強さの秘訣はおそらく……優位に先手を取れる素早さ)
渦巻く混沌を身に纏った殺人鬼が一瞬にして間合いを詰めてくる、『死』が迫る――未だだと九十七は引き金を引かなかった。己の身体をキラーの一撃が大きく引き裂いても。
臓腑をも引き裂くそれは紛れもなく致命傷。ぐら、と揺らぐ意識。
その最中で。
『―――?』
謡う様に問う声が、何処かで聞こえた。血でと死に埋もれる世界の中で。
靡く銀髪。唄う鋏。チェシャ猫の様に笑う唇。
解らない。
けれど『 』の声が、何処か酷く気に障るから――意識を、痛む体躯に引き留める。
「キィラァアアアーーーーーーーッ!!!」
攻撃のチャンスは一度きり。それはキラーの攻撃後の一瞬の隙。
これに賭ける。九十七の手がキラーの胸倉を掴む。全身のアウルがその手に超圧縮されてゆく。
Δικαιοσυνη。それは『正義』の名を冠す、原初にして極致の業。醜く歪で純粋で綺麗な、一つの正義の示し方。
周囲一辺を巻き込む大爆発。世界を染める正義の光。
爆焔燃え盛る中、アウルのオーバーヒート状態で九十七は倒れていた。一歩も動けない。掠れる吐息、掠れる視界、掠れる意識でキラーを探す。それは彼女のすぐ傍にて、何とか原形を残したまま血溜まりに倒れて微動だにしなかった。
だ、が。
「殺す……まだ……殺す」
『根性』を超越した何か。敢えて言葉にするなら『執念』。
その殺意を生命力に、キラーがずるりと身を起こす。
息をする絶望。足音と共に振り上げられゆく鞭。
「それもあんたの……『正義』の一つ、なんですの……?」
敵を鏖し、全てを無に帰せば、成程『悪』は発生しない。許せなかったのか。赦せなかったのか。全てを『敵/悪』と感じるほどに。
正義の対極はまた正義。破れた正義は悪となり、ただ正義に食い殺されるのみ。
それでも九十七は最期まで、その目を見開き己が『正義』を譲らなかった。
振り下ろされる。
●
惨劇05
「ふぬ……? 何か騒々し……」
職員室の近くを歩いていたリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)の耳に届いたのは、紛れもなく悲鳴だった。それと同時に、どうしてだろうか。脳裏を過ぎったのは『あの教師』。嫌な予感。ざわめく職員室に入ると『彼』のデスクへ、感じる嫌な直感のままに無我夢中でそこを漁った。何か異変があったのでは。思った。けれど異様なほどに整頓されていただけで――いっそそれが無機質な殺風景を思わせて、ゾッとする。
「…….あの者に限って、まさか……」
悪夢の様な心地の中。
リンドは駆ける。
この、噎せ帰るほどの血腥さに、「これは夢ではない」と嫌でも教えられながら。
そして、真新しい血のにおいの目の前にて、リンドは立ち止まる。
目が、合った。顔の無い殺人鬼と。
本能的恐怖。逃げろ。殺される。逃げろ。
気が付いたら走り出していた。逃げ惑っていた。
的中した悪い予感――否、アレは違う、彼ではない、彼であるはずがない。
いいや。
それこそが、違う。
逃げてどうする。
彼であるなら尚更、向き合わねばならぬ。
「……せめて、もう少し奇形じみた怪物になっていてくれれば……それなら、一思いに斬り伏せる事も出来たというのにな」
震える声で震える足で立ち止まった。混沌の光を纏いつ振り返った。キラーが迫る。武器を――無理だった。盾を構えるので精一杯だった。辛うじて一撃を受け止めるも、あまりにも重い攻撃に吹き飛ばされる。壁に叩きつけられる。
「天魔は、殺す……俺の、敵」
キラーの無機質な声。それを聴いて、ああやはり彼なのだと。リンドは呻きながらも、立ち上がって盾を構えた。突き刺さる様な殺意が痛い。けれど震える足を、自分なりに見つけた『戦う理由』で強く支えた。逃げない。逃げない。
「俺は、大事な人間は絶対に死なせない……絶対に殺さない!! 御主があくまでも俺を殺すつもりなら、俺は御主を止めきってみせる! 俺も……死なない、御主に俺を殺させるものか……トモダチ、だからな!」
約束したのだ。トモダチだ、と。
だから止める。傷付けずに、止めるのだ。
大切だからこそ、止めねばならないのだ。
なのに。
裂けた咽。胸に開いた風穴。引き裂かれ中身を暴かれた腹。倒れた身体。どくどく、血が流れる。
吐血に濡れたリンドの唇は、されどもう、音を紡げなかった。ごぽ。ごぽ。出したい声は逆流する血に流される。
「 ……」
仰向けに見上げた彼。手を伸ばしてくるのが見えた――わしゃわしゃと撫でてくれた彼の手を思い出していた。笑顔を声を一緒に食べたアンパンの味を思い出していた。
光が見える。それを冥魔を滅ぼす殺意の光なのだと感じながらも。
嗚呼、眩い。明るい。温かい。
まるで、幸せな思い出の様に……光は、白く、白く、リンドの世界を覆い尽くした。
●
惨劇06
『彼』に会おう。
シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)は何となくそう思った。橙色の光が差し込む校舎を歩く。靴音が響く――妙だ。自分の靴音が聞こえるほど静かなんて。この時間なら部活に下校に、多くの生徒で賑やかなのに。誰もいない。何処を見渡しても。
まぁいいや、考えすぎだ。
(適当に談笑して、忘れましょ)
溜息、足音、カツン、カツン、――カツン。
立ち止まる。廊下。赤い。全てが。夕日と、血。臓物と、死体。狂気と、惨劇。
その真ん中。人間を引き裂いた人間が居た。二人とも見覚えがあった。引き裂かれたのは級友で、引き裂いたのは……。
「これは何の冗談かしら? これも、貴方が言うミステリアスで、ロマンティックな気まぐれなのかしら?」
ソレは応えない。死体になった人間をぽいと放って、シュルヴィアへと振り返る。顔のない男。その人外そのものな視線に一瞬、息が止まった。けれど彼女はあくまでも冷静に、震える咽を堪えて言い放つ。
「そう……また答えないの。でも、ダメよ。今回は……答えなさい」
右手に刀を、左手に鞭を。死体の様に静まり返った廊下。響いたのはシュルヴィアの声だけだった。
「……答えなさいって……言ってるのよっっ!!」
――飛び掛った。
嗚呼。
ダメね。
……勝てないわ。
「は、はは……まったく」
ずる。右腕だけで身体を引き摺り、床を這う。
「そりゃ、勝てる訳なかったわ……バカね」
ずる。左腕は、二合目で鞭と共に引き裂かれた。
「これで別人だったら……お笑いね」
ずる。刀はたった一合目でへし折れた。
「聞いてる? もしそうなら……」
ずる。両足は三合目で太腿を骨ごと抉られた。くっついているのが奇跡である。いっそ千切れたら身軽になるんだろうか。
「ちょっとは、悼んでくれるかしら」
ずる。彼の足元。彼はシュルヴィアを見下ろしている。ゴミの様に蹴り飛ばされた。階段を転げ落ちる。
「無様ね。みっともないわ……」
ずる。階段の一番下。ごぼっと血を吐いた。どう考えても手遅れだ。助からない。
「潔くも、ない」
ずる。もう痛みすらも感じない。温度も何も感じない。死ぬんだろう。証拠に、彼は留めを刺しにすら来ない。
「無駄な事……しない主義な筈……だったのに」
ずる――ぺちぺち。
「ね、ぇ……」
……。ダメだ。もう、進めもしない。床を掻く指の爪が折れ剥がれても。天井をボンヤリと見る。夕日の赤か、血の赤か。
「ねぇ、ってば……ねぇ、」
ぺち、ぺち。右手がそれでも、地面を叩く。遠退いて行く足音を、引き止める様に。
「貴方のせいよ……せん、せ――」
ひゅー……白い咽がか細く、泣いた。
後悔するならNO。しないならYES。
(今の私は……どっち、かし……ら)
……。
……。
――…… …… ……
●惨劇07
授業が無くて暇だから、中庭で萌える展開を探していた――そんな、御門 莉音(
jb3648)の日常が終わりを告げる。
「うわぁ……ちょっとコレは洒落んなんなくない?」
ナンかやばげなお人。目の前の殺人鬼に、そんな感想を抱いた。莉音の背後には初等部生徒が二人、恐怖にガタガタ震えている。
(逃げ――いや、ちびちゃん達がいるし、俺だけ逃げるってワケにもいかないでショ)
彼等を隠す様に陽だまり色の翼を広げた。逃げろ、と後ろ手に送るジェスチャー。走り出す靴音が遠退いていくのが聞こえたので、一先ずはホッとしつつ――否、安堵したなんて嘘だ。出来る訳がない。
「天使……天魔は、敵……殺す」
「へぇ……なんだかその笠、職員室で見た覚えがあんだケド、まさか違うよねぇ?」
言葉の終わりと同時に、向けるショットガン。放つ散弾。牽制の速射。
1秒でも、0,1秒でも稼がねば。まだあの子達は遠くにまで行けていない。
なのに、なのに。鞭の一振るいで叩き落とされた弾丸。
「無理無理無理……勝てる気がしない」
幾つもの刃で貫かれる様な錯覚を覚えるほどの、嫌な予感。目前の殺人鬼の悍ましい殺気。本能で分かる。強い。アレは物凄く強い。そしてアレは何故か己を凄まじく憎んでいる。敵視している。殺すつもりだ。殺されるかもしれない。莉音は己の顔が大きく引き攣っているのを自覚した。殺される。息が詰まる。気が付いたら後ずさりしていた。そうしながらも、チラと後方へ気をやって。
(よし、ちびちゃん達は逃げ切ったか――)
気を抜いた一瞬。
その時には、もう、
殺人鬼が、目の、前、に。
「っッ!!」
咄嗟に散弾銃を翳して首を護った。ばぎん、と銃が砕かれる音と――莉音の体が引き裂かれる音。
「は、」
見開いた目。ぶば、と一閃に咲いた鮮血の花。臓腑にまで達している。そのまま地面へうつ伏せに引き摺り倒された。背中に更なる痛み。翼を掴まれていると気付いた。ヒヤリと嫌な予感がする。
「っ! やめ、」
めきっ。
「がぁッ」
めきめきみちぶちごきぶちぶちぶちべりべり ぶちん。
「うぅ゛あアァアアアアアアアッ!」
甚振る様に、力尽くで無理矢理もがれる翼。暴れ回っても踏みつけられて押さえ込まれ。莉音の吐血に湿った絶叫が響く。骨が肉が皮膚が引き剥がされる激痛。その中で、莉音の脳内にてまるで走馬灯の様に浮かぶのは『相棒』の皮肉気な笑顔だった。
「この期に及んで自覚するとか……報われない……ってか、救われない、なぁ……」
血だらけ、血まみれ、ずるりずるりと地面を這う。最期に声が聞きたくて、力の入らない手で携帯電話を取り出して、コーリング。
「ごめ、しくじっちゃった……帰れんかもー……」
事情を問う低い声が耳に心地良くて、痛みも消えるような気がして。
見遣った先に、殺人鬼の脚が見えた。目の前にて見下ろしているんだと察した。
嗚呼。
暗転。
●惨劇08
「……そんな奇抜な服装してるヤツァ、学園中探し回っても一人しかいねーよな……。ああ、いねーぜ俺が保証する。何がどうなったかまでは、知らねぇ聞きたくねぇのぜ」
授業をサボってブラついて、そんなギィネシアヌ(
ja5565)の平和な時間を切り裂いた悲鳴。駆けつけたそこには、手に誰かのハラワタを握り引き摺る不気味な殺人鬼。明らかな異常。生じた感情は紛れもなく恐怖。だが、震えるだけの阿呆に育てられた訳じゃない。
「『俺は怪物。八ツの尾に一ツの頭で九龍。人で在らざるもの……紅闘技:九龍大系<クリムゾンアーツクーロンモード>』」
目には目を。怪物には怪物を。蛇頭の尾が八、ざわりと蠢く。
向けたのはガトリング砲。肉を削ぎ穴を穿つ暴力の化身。発砲。弾丸の雨。叫んでいた。銃声の中で。涙が止まらない。新調したばかりのこれを向ける相手が敬愛する彼だなんて。これは、「よくやった」って彼に頭を撫でて貰う為なのに。こんな事したくないのに。どうしてどうして。
「違う、この感情じゃないのだ。勝つに必要なのは……」
呟いた。視線の先。弾丸をシールドで防いだキラーが振るう鞭が、ギィネシアヌの柔らかい腹を引き裂く。夥しい出血。赤。赤。血に塗れる中。少女の手の甲の紅紋章:神ノ悪意(サマエル)が囁く。
『楽シメヨ、ソウサズット……ヤリマクリタカッタンダロ? アサカラバンマデコウシテ殺シ愛ガデキルアイテト』
悪意。
それでいい。
ずっと苦しんでいた人と戦う事への理由を、十二の翼を持つ神なる赤蛇が与えてくれた。
戦える。
「楽しいかい、センセェ。俺もそうだぜ」
見える。
彼はずっと、ずっと、ずっと、戦い続けてきた。その身体の限界を超えて。けれど人の身に無限は無い。ボロボロだ。何処も彼処も。血だらけで軋んで歪んで。それでも彼は戦いを止めない。敵を鏖すまで戦いを止めない。
ならばそれに応えよう。泣いて笑って、嘲笑って啼いて。
「コイツが俺のトッテオキだぜ。来いよ、アジ・ダハーカ。一緒に踊ろう」
燃料は悪意。心で燃やして暴力へ。紅弾:三叉ノ悪竜<クリムゾンバレットタイプアジ・ダハーカ>。ガトリングガンから放たれた赤いアウルは恐ろしき竜となり悍ましい咆哮を轟かせる。それはギィネシアヌが抱く『悪』そのもの。圧倒的な暴力。
それはキラーが打ち出した殺戮なる光の奔流と真っ向にぶつかり、そして――
……無限に感じた戦いの時間。
今は静寂。
夕焼けの中。
血みどろの中。
赤い世界の真っ只中、二人きり。
倒れていた。二人とも。血溜まりの中で。
「う……」
ギィネシアヌの身体は、下半身が千切れて無くなっていた。一方のキラーは、まるで全身を蛇に食い荒らされたようだった。
「センセ」
血だらけの身体を引き摺って、ギィネシアヌは倒れたキラーに近付いてゆく。咳き込み噎せて、血を吐きながら。
「俺……強くなったろ? だから、さ……」
伸ばした手。男の血塗れた頬をか弱く撫でる、少女の血塗れた手。冷たい。寒い。ギィネシアヌの頬を涙が伝う。冷たい。寒い。とても寒い。
「また……『よくやった』って……褒めて、よ……セ ンセ …… ……」
意識が遠のく。寒いんだ。ここは冷たい。日が沈む。
キラーと折り重なる様に、ギィネシアヌは力尽きた。
心臓の音は聞こえない――もう、二度と。
太陽が沈む。終わりと永遠をその赤に孕んで。
『了』