●no name day
空間が丸ごと死んでしまったかのような、静寂。しかし撃退士達は知っている。その『死体』に詰まった吐き気を催すハラワタ(現実)を。
「寄生された方々を苦しみから解放させる手は一つしか……ないのですよね」
神城 朔耶(
ja5843)の柔和な相貌に影が落ちる。意識も自我も保たせたままなど――酷い事を。
ふむ、と。がんもどきマスクの上から防塵マスクを被るという奇っ怪な出で立ちのオーデン・ソル・キャドー(
jb2706)が頷いた。マスクにマスクという点は気にしてはならない。
「カビの菌糸は全身に行き渡り、胞子を吐きながら、助けて、と徘徊する……救い様が無いとは、この事ですね」
ならば、やる事は一つ。
「最後の安らぎ、死を速やかに与えるとしましょう」
撃退士としての戦いは初めてだが、妥協のつもりは無い。振り返る先の人間達を見遣る。その中の一人、鬼燈 ねじき(
jb1534)もまた撃退士としての戦いは初めてだった。戦槌を堅く堅く握り締めている。
「救い、ね」
その傍ら、ジェーン・ドゥ(
ja1442)は常のチェシャ猫を思わせる笑みを浮かべていた。
「さて、さて、何が救いかそれを決めるのは本人だ。だから、ええ、好きにやれば良いのさ」
こんなに『何でも無い日』だからこそ。
斯くして、作戦通りに。朔耶、皇 夜空(
ja7624)、オーデン。アイリス・L・橋場(
ja1078)、ジェーン、ねじき。AB二つの班、左右に分かれて一階を目指す。
無言で、アイリスは静かな校舎を見据えた。正門や裏門の閉鎖は既に完了した。見遣る先。校舎、玄関。
――蠢く3つの人影。呻き声。
錆色のカビに纏わり付かれ、「痛い」「助けて」と呻いているのはディアボロ『支配的モルド』に寄生された、人間。
「……I desert the ideal!」
それに耳を貸す事もなく、光纏。暗赤の煙を纏うと共に消えるは感情、殺戮の自己暗示、黒に隠される双眸。Alternativa Luna。
酷く咳き込む様な嘔吐音が響く。支配的モルドに寄生された人々の口から腐った血反吐の様な物が吐き出され、煙幕の様に撃退士達を襲った。
「――っ、」
いた、い。脳に伝わる危険信号。『ズキリ』。
「ぐ、ご、ふ、っ……!?」
ごぷり。マスクがたちまち真っ赤に染まる。口から鼻からせり上がった血が溢れて伝う。防塵マスクで防げるような代物ではないらしい、『カビの様な姿』をしているとはいえそれはディアボロが行う『攻撃』。
「う、ぅ、い、いたい、いたい゛……げほッ!」
肺が、咽が、焼けつく様に痛い。蝕む毒に咳き込む。血に湿るマスクを引き剥がし露出させた口から血を吐き出す。ぼとぼと。苦しい。ヒューッと咽を鳴らしながら。涙ぐみながら。それでも。ねじきは戦鎚を握り直す。
(あの人達の方が、もっと痛いんだ……!)
だから。だから。
「あァあアアーーー!!」
早く、楽にしてあげないと。どれだけ痛くても苦しくても哀しくても辛くても――振り上げた鎚。を、振り下ろす。ごちゅっ。生々しい感触が武器から伝い、爆ぜた血肉が少女の頬に飛び散る。それが生温かくて、思わず「ひっ」と声が漏れた。
痛い、痛い、止めて。陥没した頭の寄生体が金切り声を上げる。
その騒音を劈いたのは、何処からともなく鳴り響く音楽。さあ注目を集めよう。鳴り響く靴音。瞬く燐光。
「――『クリック? クラック! さあ物語りを始めよう!』」
黄金の昼下がり刻む短針(クリック・クラック・クロック)。かいなを広げてジェーンが嗤う。さぁ語ろう幻想奇譚。この舌と咽が枯れ果てるまで。
それに目を奪われた寄生体達がジェーンを見遣る。呻いてもがいて襲い掛かる。
その背後――一瞬だった。
一人の子供の背中から、ぞぶり。アイリスが大剣を突き立て貫く。凄まじい悲鳴。ばたつく手が、菌糸の爪が、アイリスの肌を切り裂いた。しかし彼女は微動だにせず、子供の背中に片足を掛けると蹴り飛ばす様に刃を引き抜く。絶望に凍り付いた少女の心は動かない。突き下ろす刃。何度も突き下ろす。敵が動かなくなるまで。
「さて、さて、何か言い遺したい話は在るかい」
「おかあさん、どこ……?」
涙の代わりに血を流し。ジェーンへ延ばされる錆色の手。繋ごうか。そして指を絡めよう。遺す言葉を聴き伝える、それは垣根を越える者の、魔女の領分ではあるけれど……難しそうだ。嗚呼。哀しいとか、痛ましいとか、可哀想だとか。
(生憎と、『僕には』もうその辺りはよく分からなくて)
それ以上に愉快で、愛おしいと感じる。疾うの昔にそんな風に成り果ててしまった――だから。
「さあ、首を刎ねて刎ねて刎ねて刎ねて刎ねるとしましょう」
愛しているよ。愛しているとも。
片手は優しく手を繋いで。片手は優しく鋏を振り上げ。
愛しているから、首を刎ねよう。
「――『刎ねて尚も刎ね、ヴォーパルの兎が刻み刈り獲らん!』」
せめて痛みが少ないように――赤く染まった三月生まれの首狩り兎(ヴォーパルバニー)の眼が、振り下ろす刃に映って光った。
じゃくん。
●message for――
バリケードで封鎖された放送室。そこを護るは、シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)と鹿島 行幹(
jb2633)。彼等は行幹がその翼で二階へと運んだ面子である。二人共傷だらけで、その周りには寄生体。
「素敵ね。これを考えた悪魔のセンスは。殺意と虫唾が走る程度には」
肩で息をするシュルヴィアは嫌悪感を隠しもせず、革鞭を握る力を強めて吐き捨てた。胞子を吐き出す人間。助けて助けて、と言いながら。
「お前達は助からない。助ける方法が無い。――すまん」
苦しいだろう。当然だ。だから――行幹は飛燕翔扇を構え地を蹴った。
「すぐに楽にしてやる」
なんて、言いながら。曲を描く一撃で切り裂きながら。冷静な一撃。迷いの無い剣戟。嗚呼。分かっている。こんなの、救いなんかじゃない。こんなの、ただの殺人だ。「恨んでくれ」と呟く。悲鳴と返り血が彼の身体を染めてゆく。光ったのは剣閃か、天使の涙か。
蝕む毒に顔を顰めながら、血を吐きながら、しかし二人は倒れない。
「頼むわね」
ちらとシュルヴィアがやる視線の先には、封鎖された放送室への扉。そしてすぐさま視線を戻し、煌めく鞭をしならせた。
――その最中。
『お昼の放送だ。DJは俺、赤坂白秋が務めるぜ』
始まったのは放送。それは放送室にてマイクの前に立った赤坂白秋(
ja7030)の声。
『突然だが俺達はきみたちを一人残らず、楽にしてやる為に来た。前へならえして一列になって歩いて来な』
言いながら思い出す。それは、彼の姉の葬式の日。遺影に向かってメッセージを読み上げたあの時。その時に、思った。『ごめんと思うなら、好きだと思うなら、もっと生きて欲しかったなら、生きてる内に、言うべきだったんだ』と。
『だがその前に、どうか耳を貸して欲しい。きみたちの大切な人から、言葉を預かっている』
言葉を。言葉を。紡ぐ。放送する。
嘘の言葉。
彼等は犠牲者の親族や友人、恋人達と連絡を取り、『伝えたい事』を集める心算だった。
だが、しかし。
一体、『貴方の子供は死にます、我々が殺します』と言われ、平然と出来る親が――『さようなら』と割り切れる精神を持った者が、この世の何処に居よう? 泣き崩れる者。憤る者。気を失う者。絶望。絶望に満ち満ちて。
だから、彼は本人と偽った言葉を言う。本当にこれで良いのか、果たして意味があるのか、それは彼にも分からないけれど。
(それでも俺は届ける。生きてる内に、言うべきだから)
優しい嘘に満ちた放送と、泣き叫ぶ悲痛な断末魔と。
「死ね。お前達は憐れだ、だが、許せぬ。実を結ばぬ劣花のように、死ね。蝶の様に舞い、蜂の様に死ね。惨殺。塵殺。鏖殺。壊す。喰らう。クソカビめ。お前らみたく後先考えずバカバカ感染させて被害者増やされちゃうとな、一日一人感染したとしても約一月で人類総感染者になっちまうのよ。そしたら困るんだよ俺ら。んまぁ、共存共栄、地球は一家平和が一番っつーコトでだ。死ね」
伸ばされる錆色の手が夜空に襲い掛かる。その毒の菌糸が爪となりその肌を切り刻む。飛び散る赤。夜空を取り囲み、引きずり倒し、振り上げる手。呻き声。夜空は決して謝る事はしない。悪びれない。傲岸に。不遜に。ふてぶてしく。謝って許されるなど。どれほど『ごめんなさい』を重ねようと彼等は戻らず、そんな彼等を殺すだけ。故に謝らない。
「俺は許されようなんて思わない」
掴む手。猛毒の中、霞む視界。喰らい付く歯列に抗いながら。一つでも殺そうとしながら。嬉々として殺そうとしながら。
曰く、人のその原罪の一つは食という『殺し』で『殺人』で。ぼき。ばり。ぐしゃ。引き裂かれた肉と骨の感触と、真っ赤に真っ赤に染まる視界が、ブラックアウト。
「くっ、」
A班の一同は廊下にて激戦を繰り広げていた。シールドを突き破った寄生体の爪に脇腹を切り裂かれ、苦悶の声を漏らしたオーデンが跳び下がる。
「大丈夫ですか……!」
「大丈夫です。と、言いたいですねぇ」
朔耶のヒールを受けつ、苦笑。誰も彼も酷い傷。毒に血を吐く。そんな最中に放送の声が響いていた。だが、哀しきかな、その声に寄生体が見せた反応は一層悲痛な泣き声だった。おかあさん、おかあさんと連呼する子供の口が、オーデンの放つ衝撃波に顎ごと砕かれる。
(今から殺す者へ言葉をかける?)
奇妙な事だと悪魔は思う。戦いに赴いた者と戦いに巻き込まれた者では、覚悟もそれへの対処も異なると言うのに。感情なんてオマケだろうに。
まぁ、とオーデンは思う。優先するは効率性と生存率。『彼等』には、精々敵を引き付けて貰おう。
撃退士達は苦戦を強いられていた。3つの戦力がほぼ機能していない状況。数の差。じわじわ。毒が巡る様に。
「わぁあああーーーッ!!」
血と、涙と、鼻水と。顔面をぐちゃぐちゃにして、悲鳴の様な声を上げて、ねじきは戦鎚を人間の頭に叩き付ける。早く楽にしてあげたい。一秒でも早く。どれだけ不格好になろうとも、その思いだけは曲げない。絶対に。
「――『絡まるぞ 搦めるわ 微睡み妨ぐ不届き者め!』」
絡まり搦める茨の揺り籠(ブライアーローズ)。ジェーンの物語が現実に幻想を呼び込み、歪な術となって顕現した幾束もの茨が寄生体の動きを封じ、その隙を突いてアイリスが剣を振り上げる。振り下ろす。一刀両断。
多を救う為に、もう助けることのできない少を殺す。
(これが、今の私にできる最善で最低の手段です……!)
思いは凍った心の中に。その手は敵を滅ぼす為に。
血に塗れ。誰も彼も。得るモノなんて何もない。
だから、嗚呼、何でも無い日万歳。
「――『偏屈卵は塀の上 ある日気紛れ飛び降りて 哀れその身は粉々に!』」
魔女の詠唱が、響く。
行幹の裂帛の声が響き、その一撃が犠牲者を一閃に裂いた。
その、直後。放送室のバリケードが破壊される。しかしそれはディアボロによってではなく、内側から白秋が蹴り破ったのだ。
「すまん、良く耐えてくれた――ありがとう」
放送は終わり。言葉は仲間と、犠牲者へ。言下には手に銃。狙う照準。狙う頭の、その目と、目が、合った。助けて、と言うのなら。嗚呼、せめて、一撃で。
(……一人ぐらい。たった一人ぐらい、何で助からねえんだよ……?)
湧き上がる感情を何と呼ぼう。手に筋が浮かぶ程握り締めた銃。叫んだ。腹の底から。
「どんな顔してたのか覚えとくから――頭ァ上げとけッ!」
銃声。
乾き切った銃声。
何が正解なのか。正解なんてあるのか。
吐いた血を手の甲で拭い、シュルヴィアは凛と彼等を見澄ました。その哀しい声を遮る様に。
「いい天気ね。 こんな日は……そう、ピクニック日和よね。
あなたは、遠足好き? 皆と食べたお弁当はどうだった? 美味しかった? パパとママにお話した? 喜んでくれたかしら? 楽しかった?」
話を、しよう。優しい声。ふらつき寄って来たその子を優しく抱きしめて。
「もう、眠りなさい。これは、悪い夢。痛いのも……もう少し。
この空を昇っていけば悪夢も終わり。きっと……いい朝よ」
傷だらけの手で、そっと撫でた。瞬間――無数の三日月が舞い踊り。その子の首を、刎ね、飛ばす。
「――おやすみ」
●red red red
赤が、全てを包んでいた。
苦戦しながらもディアボロに寄生された者を全て斃した撃退士達は、これ以上の感染を防ぐ為に校舎へ火を放ったのだ。
燃えている。燃えてゆく。全てが。
「――」
熱風に髪を靡かせ、シュルヴィアはじっと炎を見詰めていた。思い出す――『ごめんなさい。焼かせて頂戴』と。深々と頭を下げて、校舎を焼く事を街の者に懇願した己の言葉。そして、頷いた彼等の、悲しい悲しいその表情。
「……すべての人が助かるなんて奇跡……あるわけないんです……!」
同じく全てが燃え尽きるまで火を見詰めていたアイリスが言い放ったのは、果たして誰に向けての言葉か。
「結局、最終的に命を奪ったのは俺達だ。俺達が、彼等の人生を閉ざした。その事は、忘れちゃいけない……」
握り締めた拳。返り血に汚れ切った体。呟いた行幹の金瞳に――巫女が舞い踊る姿が映る。朔耶が踊る、鎮魂の舞。巫女として死に逝く魂を何もせずに見届ける事はしたくない。けれど、自分にはそれしか出来ない……。
(撃退士とて万能ではないことを思い知らされるような依頼なのですよ……本当に)
炎を、巫女を見守りつ。ジェーンは友人の妹であるねじきに問いかける。初依頼でこんな件を担当して、何を感じ、何を思い、何を決めたのか――
「ええ、ええ、教えて貰えるかしらねじきちゃん、可愛らしいお嬢さん?」
その声に、泣き腫らした三白眼が睨む様に見遣る。人見知り。たっぷりの間を空けてから、吃る言葉が紡がれた。
「殺さない、とダメ……なら、早く殺さないと、ダメだ。
だって、とても痛、いかもし、れない。苦しいか、かもしれない。死ぬ、のが救い、とは思わない、けどやるしかない、から。
だから、殺、す。殺し、た。ぼ、ボクだって辛い、けど……感染して殺さ、れる子供たち、より辛いはずがない、からボクは、やった」
たとえ恨まれようとも。抱き締めた己の腕に爪を立てる。項垂れた視線。「へぇ」と魔女は答える。飴の甘さを舌で感じながら。
(哀しいと、寂しいと、可哀想だと――代わりに言って欲しいのかしら!! 『私』は)
問いに答えは現れる筈もなく。ただ、甘い味が蕩けてゆく。
●after day
撃退士達は全てを遺族に話した。ある者は『なんとか助ける方法は無かったのか』と憤り、ある者はただ泣き崩れ、ある者は『辛い事をさせてしまったね』と、やはり、泣いていた。
「憎まれるのが悪魔の矜持……なんて、ね」
憎しみは絶望した者が縋る藁。オーデンの呟きは虚空に消えた。
『了』