●日常の守護者
「でかっ」
相対したディアボロ『デビルゴート』の巨躯に、若杉 英斗(
ja4230)は思わず感想を漏らした。
「近くでみるとかなりの巨体だな」
「そうだな、堅そうだ」
ミハイル・エッカート(
jb0544)も同意を示す。ですよね、と英斗が頷く。
「みるからに悪魔ってナリしてるし、コイツぜったいディアボロだろ」
「――ふむ。あれは牛か? はたまた羊? ……いやいや、山羊かのう?」
英斗の決め付けに、「なんぞ黒魔術の儀式でよく見かける悪魔像の如き姿よな」と小田切 翠蓮(
jb2728)が首を傾げる。
「……まぁ、殴ってみたらわかるか」
英斗が気を引き締める。ミハイルもまた、軍神テュールの意匠が施された突撃銃のグリップを握り直した。
ミハイルは思う――昨今、覚醒者への風当たりが強い。ここは格好よく戦う大人の背中を見せるのも、教育にいいだろう。
「ふっ、よい子の皆、憧れるがいい」
びしっ。背中に受ける不安げな人々の眼差しに、ミハイルは振り返らずに親指を立てて見せた。
そんな英雄、救世主に向けられる瞳は――希望。
が、ファーフナー(
jb7826)はそんな人々の想いに複雑な思いを抱いていた。
彼はこれまで長い間、人間を憎んできた。撃退士として生きるのも、社会で生きるため仕方なくだった――けれど。久遠ヶ原学園で友に出会い、積年の心の澱も少しずつ薄れていき。愛猫という大切な存在もできて。居場所というモノを感じ始めていた。
のに。
(戦いが終わった後、撃退士は不要のものとなり、異分子となるのではないか)
これまでの依頼を経て、ファーフナーはそんな不安も抱いていた。
しかし、ただ、今は、自身のできることをするしかない。力を求められている、今は……。
『力』……。
力が無くて、喪った家族、故郷――
力を得ても、手が届かなかった命――
蓮城 真緋呂(
jb6120)は思い返す。それは人であり、天使であり、悪魔であった。この手に宿る、アウルの力。それは万能ではないけれど。
(それでもこれ以上喪いたくないから、力の限りを尽くす。それが『今が日常でなくなる日までの、私の日常』だから)
無に引き結ぶ表情。真緋呂の心と共に歩んできた愛刀『火輪』を、凛と構える。
その傍らでは不知火あけび(
jc1857)が、同じく刀を構えていて。
奇しくも――真緋呂の刃もあけびの刃も、「仲間から贈られたモノ」だった。
(サムライでありたい。誰かを救う刃でありたい)
その気持ちはいつだって、どこでだって変わらない。人々を日常を守るのがヒーローだから――あけびの瞳は揺るがない。侍少女は、刃を天に高く掲げた。
「さぁ、斬るも忍ぶもお任せを! 忍生まれのサムライガール、只今参上!」
堂々不敵に名乗り上げる。あけびが尊敬する『ヒーロー』と同じ翼が、眩い光と共に彼女の背中で羽ばたいた。翼は直後に霧散して――初夏の空に光の粒。迎え撃つは冥魔の咆哮。
戦いが、始まる。
●泥臭いとか、馬鹿らしいとか、いいじゃないか
いつから人を守りたいと思うようになったのか。
ミハイルは素早くデビルゴートの側面へ回り込みつつ、思う。学校の先生をしていたという婚約者の影響だろうか。彼女は子供達を守る力をつけるため、学園に来た。それとも、親子ほどの歳の差のある小さな友人ができたせいだろうか。彼女はのちに義娘となり、彼の内面に大きな影響を与えた。
どっちにしろ、事実は一つ。おかげでミハイルは「何かを奪うよりも守る仕事をしたい」と思うようになったこと。
「だから今は――子供たちを守りきる!」
放つアシッドショット。精確に命中した弾丸は無数の掌となり、赤い煙と共にデビルゴートを体を腐食してゆく。呻いた冥魔がミハイルへ意識を向ける、が、その間隙を縫うように一気に間合いを詰めたのはあけびだ。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」
不敵に笑む少女。ヒーローにも遊び心は必要だ。もちろん討伐は真剣に、四肢に纏うは藤色の花光。繰り出すのは師匠の剣技――龍威し。神速の居合斬り、舞うような剣閃、艶やかな刃が痛烈に冥魔を斬り捨てる。
そんなあけびに、デビルゴートが丸太のような腕を叩きつけんと振り上げた――重い重い、重い一撃。けれどもあけびは無傷である。英斗の庇護の翼が、仲間を傷つけることを許さない。
「俺達が相手だ! ここから先には通さないぜ!」
立ちはだかる。阻霊符は発動済み。英斗は盾だ。盾であることは、彼の日常。だから守る。仲間を、そして一般人を。この悪魔を、食い止めてみせる!
「くらえ! ディバインソード!!」
掲げる掌。天に並ぶ白銀の聖剣。触れた者を眠りに誘う冷たき刃が降り注ぐ。一秒でもディアボロを足止めすれば、誰かが助かる確率が0,1%でも上がるハズ。『飛龍』と名付けた白銀の愛盾を、彼はしっかと構えていた。
撃退士は二手に分かれ、二体のデビルゴートにそれぞれ挑む作戦に出ていた。
さて、もう一体の冥魔の状況はというと――聖なる鎖に縛られて、一歩も動けぬ状態だった。
「冥魔である限り、この鎖を外すのは難しいわよ」
真緋呂が執行者の如く告げた。緋色の瞳が、冷然と悪魔を見据えている。その背後の彼方では、避難しつつある人々の姿。守るべき存在。
「手出しはさせない。それが私達の役目」
尤も――聞こえていないか。雁字搦めの冥魔は懺悔の如く項垂れて沈黙している。
「このまま黙り続けていて欲しいものだが……さて」
呟くファーフナーの手には魔槍ゲイ・ボルグ。薙ぎ払われたこの切っ先が、デビルゴートの意識を弾き飛ばしたのは一寸前の出来事で。
「何事も起こらぬことが幸せである、とは真理よのう」
悠然と、翠蓮は闇の翼を広げて独り言つ。
「そして、その幸せな日常が非日常に反転するのは容易きこと」
平和な日々とはあまりにも脆く儚く、理不尽な暴力や悪徳の前には無力なもの。
――故に。
「我等が理不尽に立ち向かう剣となり盾とならん」
呟き、指先を差し向ければ、ずるりと翠蓮の袖より這い出てくるはおぞましき邪蛇。蠱毒の幻影が鎌首をもたげ、デビルゴートへと噛み付いた。
毒牙の鋭さに冥魔が目覚める――瞬間、敵意を露にするディアボロであるが。その巨体が紙のように吹き飛んだ。ファーフナーの烈風突、真緋呂のフォース。激烈な一突と光の波。特に真緋呂の一撃は、強く天に煌くカオスレートの差もあいまって容赦のない一撃となる。
『このディアボロを、決して人々に近づけない。意識すらも向けさせない。一歩たりとも通さない』
目標を同じくする撃退士の行動に無駄はない。人々から大きく引き離され、そして威風堂々と眼前に立つ撃退士を前に、ディアボロが避難する人々へ攻撃を向ける隙など一寸もありやしなかった。
柔らかな白銀の光がたゆたう――それはまるで風に揺らめく柳のよう。デビルゴートが吐いた炎は英斗の柳風に掻き消され、眼前の彼を傷一つつけることすらも出来なかった。
「どうした? これっぽっちも効いてないぜ!」
燃える闘志に、冷静な心。こと守ることにおいて、英斗の右に出る者はいない。幾つもの戦線を英斗と共に乗り越えてきた飛龍の銀が、武勲の騎士の勲章が如く、誇らしげに煌く。
デビルゴートがたじろぐような様子を見せた。この怪物は一切の手を緩めず攻撃を繰り出している。だが、目の前のちっぽけな人間はまるで傷つく気配がない――動物程度の理性とはいえ、眼前の「怪現象」に本能的な動揺を覚えたのだ。
そんな間隙。光輝を纏う隼がデビルゴートを強襲した。スターショット――ミハイルが放った一撃である。アサルトライフルを構えている彼の腕には、雷光めいた青白い光の残滓が解けていた。
「順調だな」
余分な被弾を減らす為にもディアボロの側面へと立ち回りつつ、ミハイルは口角を吊った。戦況は彼の言う通りである。ディアボロの意識を一般人から引き離し、物理的にも引き離し、襲い来る攻撃は注目や盾役によって巧みにコントロール。そこへ息を合わせて攻勢を叩き込み、一方的な展開を見せている。
そして、今一度戦場に響く銃声。注目効果を得ているあけびを踏み潰さんとしたデビルゴートの足を、銃弾一発がわずかによろめかせ、彼女の回避を容易にさせた。
「ミハイルさん、ありがと!」
少女に当たらなかった一撃は、その近くの地面を大きく抉った。土煙――あけびはその中から勢い良く飛び出して、デビルゴートを鋭く見据える。
集中力は切らさない。状況が有利だからこそ、慢心せず冷静に。一撃ずつをしっかり見極め、一撃ずつをしっかり極める。観察して少しでも気付いたことは仲間と共有し、有効と思われる場所に刃を的確に切り込んで行く。
「はッ!」
あけびが振るう剣閃は影をも縫い止めた。身動きを封じられるディアボロ。一瞬だけ、あけびはもう片方の班を見やる。あちらも順調だろうか――。
――ずん。
重い拳が落ちてくる。
デビルゴートの一撃は――しかし、寸前のところで真緋呂には届かない。
「この場の誰一人、喪わせない」
展開する防壁は自身だけではなく、仲間へも。守るのだ。己の死力を尽くして。真緋呂の物言いは淡々としているけれど、込められた想いは何よりも強く。
そして最前線に立つ真緋呂を支えるように、翠蓮とファーフナーが攻勢に出る――澱んだ砂塵を孕む風、烈風が如き一撃。二つの「風」が牙を剥く。
状態異常、特に行動を縛るものを中心とした容赦のない攻勢に、ディアボロはそもそも手数や戦術を極端に絞られていた。攻勢の機会があっても、そこに真緋呂という盾が立ち塞がる。あまりに一方的な――そしてあまりに鮮やかな戦況と言えよう。
「がァッ!」
ディアボロが叫び、遮二無二巨腕を振り回す。
だが、無駄な足掻き。真緋呂が軽やかに操る火輪がそのことごとくを受け流す。少女は一歩たりとも退かない。そして、返す刃の反撃。黒き刃に纏う炎が煌いて、瞬いて――光の衝撃波となって、デビルゴートを再び軽々と突き飛ばすのだ。
体勢を大きく崩すディアボロ。そこへファーフナーが、強く地を蹴り間合いを詰めた。冷ややかなアイスブルーの双眸に情けはない。男は「仕事」において生真面目が取り柄だった。歯車のように粛々と「働く」ことは、それはそれは得意なのだ。
「――、」
雄々しいかけ声も、ましてや必殺技を叫ぶなどヒロイックなこともなく、ファーフナーは処刑人のように黒い槍を振り上げた。切っ先は無数の棘となり――審判の鎖によって縛られ続ける冥魔の足首を抉るように貫いた。
ぐらり、デビルゴートが大きくよろめく。巨体を支えきれなくなった足から崩れる。ファーフナーの目論見通りだった。彼はずっと、ディアボロの足を狙い続けていたのである。余分な被害を出さぬよう、移動力を殺ぐ為であり……倒れさせれば体高は低く、生物として基本的に弱点である頭部や心臓の位置が低くなる。
それでもディアボロが無理矢理に起き上がろうとした、が。
「そう急くな。そのままゆっくり、地面と仲良うしておれ」
ニンマリと翠蓮が、獲物を捕らえた猫のような悪い笑みを浮かべる。かざす掌、向ける指先。ひゅるり、風が吹く。不浄の砂塵を舞い上げて、デビルゴートに纏わりつく。八卦石縛風。その風が吹き抜けた後に残るのは、石と化したディアボロ一つ。
「学び舎に集う子供達を狙うなど、ほんに悪趣味な奴よ。製造責任者の顔が見たいもんじゃ」
それを見下ろし、翠蓮は艶やかな溜息をこぼす。その指先に鎌鼬の風をまといつつ――見やる先に、
「これで……」
槍を構えるファーフナーが。
「……終わり」
刀を構える真緋呂が。
――息を合わせ、仲間と共に、最後の一撃。
「助太刀するまでもないみたいね」
ふ、と仲間の状況に微笑み。あけびの手には与一の弓。引き絞る先に、逃げ出そうとしたのか翼を広げたデビルゴート。
「敵に背中を向けちゃ駄目だよ? ――ミハイルさん、技お借りします!」
「ああ、好きなのを持っていけ」
あけびの隣でミハイルもまた銃を構えた。少女はその動作を、鏡のように傀儡のように真似をして――。
(友情パワーか。ほんの数年前は一回り年下の友人なんて考えもしなかったな)
そんなあけびを横目に、ミハイルは一瞬だけ含み笑った。
そして。
「サムライは刀も弓も出来る! 私とミハイルさんの友情パワー、とくとご覧あれ!」
「子供たちには近づけさせないぜ。地面にへばりついて、くたばれヤギ野郎」
イカロスバレット。
二射はそれぞれ悪魔の両翼を貫いて、赤と黒の鎖となって、デビルゴートを地面へと引き摺り下ろす。
「もらった!」
その好機を、英斗は逃さない。飛龍の刃を振り被る。ラッキーチャンス、スタートしました。重く激しく叩きつける一撃は――防御態勢(ガード)だけでなく、ディアボロ諸共粉砕(クラッシュ)した。
●任務完了!
「棄棄先生宛でいいのかな? もしもーし、任務完了しました!」
携帯電話で、英斗は学園へ任務完了の報告をしていた。周囲に他の敵性存在もいなかった。「お疲れちゃん!」と教師が言う。一件落着である。
「怖がらずとも噛み付いたりはせぬ故、撫でてみるが良い。もふもふふわふわじゃぞー?」
一方で翠蓮が、避難をした生徒達の前にケセランを召喚していた。突然のディアボロ襲撃によってさぞ不安になっただろう、それを少しでも和らげる為に。
ふわふわたゆたうケセランに、特に女子生徒がわっと歓声を上げていた。スマホに囲まれ猛烈に撮影されても、ケセランは表情を変えずにたゆたっていた。
撃退士達の活躍に、人的被害はゼロ。校舎などに被害が出ないように配慮した立ち回りもあいまって、窓一つ割れていない。強いて言うならグラウンドがちょっとデコボコした程度だ。人々の精神面においては言わずもがなである。
そんな景色を遠巻きに――。
(少しは近付けたかな?)
アケビの花の簪――師匠から贈られたそれに指を触れ、あけびは思う。
(いつか笑って貴方に手を差し伸べたい――)
その為に、もっと強くなる。明ける日の少女は、明日を見据える。
同じようにミハイルもまた、婚約者から贈られたネクタイピンに触れていた。
「見ていてくれるか、俺の雄姿と子供たちの笑顔を」
そんな呟きに、琥珀色の宝石がキラリと太陽に輝いた。それはまるで返事のようで。
光纏を解いた真緋呂はボーッと風景を眺めていた。
(望まれも、時に疎む人もいる力だけど……それでも誰かを助けられるなら、使うことは惜しまない)
ヒヒイロカネをそっと握る。――「けど」。
「……お腹空いた」
はぅ。もう二時間も絶食している。何を食べようか、真緋呂は考え始めるのだった。
一方、ファーフナーは早々に踵を返していた。猫を飼っているものでして。「可能な限り傍にいる」と約束をしたからでして。
――さあ帰ろう、我らのいつもの日常に。
『了』