●大講義棟
三人の少女が駆けている。
向かう先は大講義棟。先頭を走るRobin redbreast(
jb2203)はヘッドセットで耳を防護した上でミリタリーケイデンスを大声で唱和していた。
「ネズミの声を打ち消したうえで、勇敢になれるし、精神も統一できるかもしれないよ。どうかな?」
という、済んだ眼差しの提案である。同じ『声』による攻撃繋がりで『恒久の聖女』の京臣ゐのりのそれは「声を聞かない」――即ち耳を塞ぐことで防御することができた。では今回のディアボロはどうか。ロビンが耳を塞ぎ、音を遮断するように声を発しているのはその為である。
「精神面を攻める、か。いい趣味してるわ。……極めて不快になる程度には」
あどけない少女が歌うにはあまりにも予想外な歌を聞きつつ、シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)が呟く。
それに対し「でも」と答えたのは、シュルヴィアの隣を走る六道 鈴音(
ja4192)だ。
「ネタが分かってるからには、そう簡単には術中にはまってやらないわよっ!! 今日は睡眠時間もバッチリだし、朝ごはんもちゃんと食べてきたし、体調も万全よっ!!」
フフンと得意気に笑い、このドヤ顔である。
それは頼もしい。シュルヴィアは笑みを返しつつ、
(……とは言うものの。私、存外これ系に脆いのよねぇ)
抱いた、一抹の不安。
「先に謝っとくわね。私が狂ったら、構わずやって頂戴。それが一番早いわ」
本来、廊下は走っちゃいけないけれど。今ばかりはそうは言っていられない。時間が経つほど敵のスキル効果が効いてくる可能性もある。
辿り着いた大講義棟。
ヒソヒソ――聞こえてきたのは。
「きたわね。戦場で背中を預ける仲間を信用できなくなったら、おしまいよっ!!」
感知。鈴音の瞳は机の隙間より身を覗かせるディアボロ『シャドーマウス』を捉える。
「ディアボロの策になんか、絶対に乗らないわよ!」
ぐぎぎぎぎ。気合と共に光纏し、鈴音は瞬間移動を発動する。刹那の出来事、鈴音の姿はシャドーマウスの目の前へ。
それと同時にロビンも動き始める。ゴルゴンの紋章を手に机の上へひらりと降り立つと、冥魔を追い込むように繰り出す眼球の魔弾。命中したシャドーマウスが物陰から飛び出だす。
その間にも、ヒソヒソ。ヒソヒソ。最初は囁き程度だったのに、段々鮮明に聞こえてくる。
なにあれ、キモイ。自分だけ調子に乗っちゃってさぁ。ハッキリ言って足手まといなんだけど。邪魔。帰ってくれる?
「っ!? ……これか。成程ね。……分かってても結構クルものがあるわね」
冥府の風を纏いつつシュルヴィアは眉根を寄せる。しかもタチが悪いのは、目の前の仲間や知り合いの声で再生されることだ。
散々罵られつつ、けれどこれは敵の術だと己に言い聞かせ、ロビンに施された聖なる刻印を信じてシュルヴィアは突撃する――が。
『――』
聞こえた言葉に、目を見開いた。
シュルヴィア唯一最大の弱点、アルビノ。普段は達観然と振舞っているものの、割り切れない部分もあり。
「……meluisa。ole hiljaa!」
五月蝿い、黙れ。張り上げた声と共に振るう夜色の鞭。激情のままに振るわれたそれは大きく狙いが外れ、冥魔付近の机をグシャリと破壊した。
「しっかりして!」
咄嗟にかけられた鈴音の声。最中にも鈴音は掌をシャドーマウスに向けており――繰り出すのは六道家に伝わる魔術、六道鬼雷撃。迸る稲妻に鈴音の黒髪が舞い上がる。轟音と閃光、雷撃に打ち抜かれた冥魔は意識すらも焼き切られた。
「大丈夫! 私は敵じゃないから!」
再度の声。強い眼差し。
は、とシュルヴィアは我に返る。
「っ! ごめんなさい! ……はぁ。さっさと仕留めましょう。長居してると確かにおかしくなるわねコレは」
無意識的に零れた母国語。それほどまでに追い詰められている。
「やっぱり気合いを入れるためにも、ミリタリーケイデンス唱和しない?」
ことんと小首を傾げるロビン。どうやらミリタリーケイデンスがお気に入りのようで。残念ながら一緒に歌ってくれる人はいなかったけれど、一人でも歌い始める。性質上ちょっと歌詞がお下品だったりするけど気にしない気にならない。引き続き攻撃続行。
キルマシーン。そうあれかしと『調教』されたロビンにとって、友人関係とは価値が分からない存在で。だから、陰口を言われても「ふーん、そうなんだ」と関心すら湧かない。
が。
『使えない道具だ』
『役立たず』
『もう要らない』
『捨ててしまおう』
「……あ」
僅かに動いた表情筋。でも頭をふるふる、弾き返す。
(もっと頑張らないと)
捨てられないように。ちゃんと正気だけれども、聞こえた言葉は確かにロビンを焦らせた。
(もっと頑張らないと、)
異様なまでの集中。口を噤む。目だけは爛々。それでも正気。ちゃんとマトモ。狂ってなんかない。
(もっと頑張らないと……!)
繰り出される魔弾は寸分違わず、仕事完遂の為に。
陰口が響く。破壊音が響く。シュルヴィアが振るう嗜虐の鞭が、卓も椅子も窓も壁も床も無視して振るわれている。ただただ敵を屠る為。虚ろな目は血だまりの色。母国語で呟き続けているのは「殺す」という呪詛だけだった。幾度目か、鞭を振り上げるのは赤黒い腕。
仲間割れという最悪の事態は起きていない。だが可能性はゼロではないことを、鈴音は理解していた。
(集中、集中――)
コンプレックスである眉毛。それをゲジ眉だのダサイだの罵られても、湧き上がりそうな怒りを抑える。ここで自分が暴れたら、皆に迷惑がかかる。それは偏に、仲間想い故に。
「でもムカつくもんはムカつくっ! 口は災いの元よ!」
飛びかってきたシャドーマウスの噛み付き攻撃を体捌きで回避して。
キリッと吊り上げる眉。向ける掌。
「燃えろ!!」
六道家が最大奥義――六道呪炎煉獄。
紅蓮と漆黒、二色の業炎が冥魔へと襲い掛かる。それはかつて、鈴音の祖先が邪悪な大蛇を討ち滅ぼしたと言われる伝承の技。凄まじい灼熱、シャドーマウスの悲鳴、火達磨となったそれがのた打ち回る。
刹那にその頭を撃ち抜いたのはロビンの魔弾だった。
「任務完了?」
小鳥のように澄んだその声は、何処か達成感に満ちていた。
●生徒用アトリエ
(陰口なんて普通に言うし言われるだろう)
天宮 佳槻(
jb1989)は思った。どんなに仲良くても尊敬していても、気に食わないことや合わない所、不満なところがあって、それを表立って言い難いのは当たり前。
(自分が完璧だなんて思ってないだろうに)
それでも人は陰口を止めないのだろう。悲しいサガだ。
「しかし、」
野郎ばっかで色気のないチームだ。と言いかけて、ミハイル・エッカート(
jb0544)は「なんでもない」と続ける。
作戦通り。二班に分かれた内の片方、通称『野郎組』は生徒用アトリエへと駆けていた。
そして間もなく、聞こえてくる。
ヒソヒソ――『元凶』はアトリエの真ん中に蹲っていた。
「これはこれは」
シャドーマウスを見た江戸川 騎士(
jb5439)はそんな感想を漏らした。全身に口だなんて、パンクな代物じゃないか。
(まあ、サマエル様の事を思い出したのもあるんだが――)
こいつが「ゐのりの声」を出るよう改良したら結構厄介だな。心の中で思う。ので、こいつを見ておこうと思ってこの任務に志願したのである。
「何か陰口が聞こえてくるような気がするが、」
やれやれ。光纏と共に阻霊符を発動したミハイルは「報復する者」の名を持つ銃を冥魔へと向けた。美術品が如き銃の美麗な装飾が、彼の光纏色に光り煌く。
「社会の荒波に出たらそんなものは川のせせらぎレベルだぜ」
発砲。誰にも言わない話だが、罵倒されようが懇願されようが、蔑みや哀れみの言葉を投げかけられようが、ミハイルは眉一つ動かさずにターゲットを始末してきた。
人でなし。そんな言葉が聞こえた。ミハイルは僅かに瞠目する。精神的ショックを受けたからではない、驚いたからだ。
「おおぅ、こいつは驚いた。心を読むのか、それとも俺が自らをそう思っているのか……」
どちらにしても、だ。
(冷酷か? 非情か? そのとおりだ。それが俺の本業だ。今更、陰口でイライラするかっ)
再度向ける銃。
ミハイルの視界、器用にキャンバスの合間をすり抜けてシャドーマウスに接近する騎士の姿。彼岸花の刃を振り上げる。
「さって、テストといきますか」
DDD。破壊を目的とした凶刃を冥魔の口の一つの中に突き立てる。だがそれは対象のグッドステータスやスキルによる強化を砕くものである、シャドーマウスのカゲグチは強化の類ではなく能力だ。封じることは出来なかったか。
「むむ……新しい技は難しいな」
だが攻撃がヒットした事実は事実。刀を引き抜き口をへの字にした騎士の後方、陰口を破るように高く聞こえたのは鳳凰の声。
「ムカつく? だから何? 世の中いろんな人間がいるし、陰で言ってる分なら関係ないね。こっちは目の前の事で忙しいんだ」
聖鳥を傍らに、陰口に対し溜息を吐いた佳槻。その指先には『天地一切清浄祓』が記された護符。翳した一枚、吹き荒れるの風の刃は透明、銀、鈍色。シャドーマウスを切り刻む。
絆だの心だの信頼だのといったものを、少年は理解できない。そも、自分自身の感情すら他人のようで。そんな佳槻の心を表すかのよう、無色透明の光纏結晶が周囲に煌く。
撃退士達の攻撃を浴びて、しかしシャドーマウスが悲鳴を上げることはない。
更にも増して聞こえる、陰口。
「陰口ってのは図星なこと言われてこそ腹立つものだろう。俺が腹立つようなことをだったら聞かせてくれ」
ミハイルは銃声を休めることなく不敵な笑みを浮かべる。今のところ、シャドーマウスの言葉が彼を蝕んでいることはない。
「やべぇ、俺のイケ渋ハードボイルドな雰囲気がそう思わせるのか。もっとフレンドリーを醸し出す様にするぞ」
――と、凄まじくポジティブに解釈すらしている余裕っぷりだ。
だがそんな中でほんのちょっと、本当に、ちょっとだけ、ミハイルの心が揺れかけたものがある。
『そんな歳にもなってピーマンも食えないだなんて』
「ふっ」
ミハイル・エッカート(三十路)、苦手な食べ物:ピーマン。
「俺のピーマン嫌いはチャームポイントだ。これからも張り切ってピーマンを憎み続けるぜ」
狙う照準。聞こえてくる陰口がコイツから発せられると思うとゾクゾクする。
「敵意向けてくる敵を撃つのは爽快だ」
弾丸。
そこを狙って騎士は斬撃。高そうな備品は壊さないように。
「口の数だけ悪口でるのか……?」
呟きながら、攻撃の手は緩めない。鼓膜を掻き毟るような声の嵐に頭がガンガンするが、仲間が施してくれた聖なる刻印のお陰か、仲間割れという最悪の事態には陥っていない。
(ま、このメンバーなら俺が暴走して攻撃してもへいちゃらだから安心ってなもんだ。逆なら大変だけどよ)
なんて思いつつ。騒音は痛みを代価に引き剥がし、刃を振り上げる。
「しかしある事ない事、悪口・陰口叩かれるのは、うぜえよな。まあ天魔の常套手段だが」
俺様はそういうのにへこたれない前向きな奴だからいーんだけど。
シャドーマウスの潰れていない口にまた切っ先をねじ込み、騎士はその人形めいた相貌に表情こそ浮かべれど感情を一つも滲ませず。
(……実際、マジ好きとかズッ友とかの言葉の方が困るぜ。うっかり殺したくなったら、)
苦笑い。
一方の佳槻も、淡々と任務を遂行してゆく。響き続ける陰口に、彼の心は揺るがない。
(今回のメンバーとは親しい訳ではないし、こっちを嫌ってたり馬鹿にしてたりするかもしれないし)
だが、これだけは言える。
仕事中に関係ない陰口を垂れ流して遊んでいられる暇人はここにいない。
(皆、理由は色々だろうが依頼として受けた以上やる事はやるつもりで来ている。言うならもっと暇な時だろう)
そう断ずる。それが当たり前だろう、と。もし仲間から攻撃が飛んでこようとも、それは敵の術の所為である。文句は言わない心算だ。
再度、容赦のない一撃。
もしも誰かが、己が幻惑されようとも、その幻惑が如何に強力であろうとも、元が消えれば解決だ。だから攻撃し続ければ良い。
その一撃に込められた祈りは「全ての困難を打ち祓い、往く道を拓く力」。人でなし、バケモノと罵る声ごと、嵐が如き刃がシャドーマウスを切り裂いた。
べしゃり、転がる冥魔。それが瀕死なのは見るに明らかだった。
「陰口、か」
最期の一撃。ミハイルは静かに、銃口を向けた。
「皆には何が聞こえるのかは知らんが、短所は裏返せば長所ってこともあるさ」
こんなときは、悪評も「すげぇ、すべてが俺に注目している!」と厚かましいくらいが丁度いい。そう続けて。引き金を引く。
「――はいもしもし。うん、こっちは大丈夫。そっちも? んじゃ任務完了か。はいお疲れーんじゃ外で合流ってことで」
通話終了。鈴音からかかってきた電話にそう答え、騎士はスマホをポケットに仕舞った。仲間にも「お疲れー」と労いをかけ、踵を返す。
撤収。最中、佳槻はディアボロの残骸へと振り返る。
(嫌いなら無理して付き合う事も無いし、馬鹿にされても適当に無視すればいいと思うが……陰口すら言われない無視・無関心の方が辛いのだろうか?)
嫌ってることが上で、嫌われていることが下だから「嫌われる側」になりたくなくて。だから自分の方から都合の悪い人間を「嫌う」のだろうか。取り戻された静寂と平和の中、佳槻は思う。
(……このディアボロの元は何だったんだろうな? 自分がひたすら「人より上」の存在と思いたくてそんな安易な方向に走った奴だろうか?)
答えはない。
そこではもう何も、聞こえない。
まるで死体のような静けさだ。
●久遠ヶ原学園
「……先生」
教室。事後報告完了。「お疲れちゃん」と微笑んだ棄棄へ、シュルヴィアは、ふと。
「お願いがあるの。少しの間、慰めて貰える?」
俯いた小声。何事かと尋ねられる前に、彼女は答えた。
「こういう時、紳士は黙ってレディの言う事聞く物よ」
「分かった。おいでシュルヴィア」
手招き。伸ばされた手。優しい手。
シュルヴィアは凭れ込む。顔を隠すように。
「……好きで、こんなの持って生まれた訳じゃないのにっ……!」
潤んで震えたか細い声。二人だけの教室に響く。
教師は何も言わない。黙って、優しく生徒を撫でる。泣き止むまで。
そうして、時計の針が傾いて。
ようやっと、シュルヴィアは顔を上げた。
「……人前で泣くなんて、子供の頃以来だわ。屈辱」
「じゃあ見なかったってことにしておくよ。ノーカンだノーカン」
さぁ笑ってご覧と教師は微笑む。
チャイムが鳴った。
彼女は笑ったのだろうか?
『了』